Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

念願の丹沢主脈縦走 【丹沢最高峰 蛭ヶ岳】その2

蛭ヶ岳山頂より

前回は雪山の様相を呈した蛭ヶ岳山荘に到着したところまで。

今回は山荘での様子と下山するまで。

 

蛭ヶ岳山荘

蛭ヶ岳山荘

蛭ヶ岳山荘はありがたいことに通年営業となっている。

山荘でのお世話は一人の男性が切り盛りしてくれている。

いったいいつ、下界へ降りのだろう?

(ホームページを見たら、二人で交代で管理しているとのこと)

 

山荘の入り口を入ると、男女4人が酒盛りをしていた。テーブルには白い酒の瓶が置いてあった。

「お泊まりですか?」酒盛りの男性に声をかけられた。

「そうです」

「入口は向こうのようですよ」

そう言われて外に出て横を見ると<締め切り>と書かれていた。

「締め切りのようですよ」そう答えたが反応がなかったので、酒盛りテーブルの横の扉(引き戸、これが重くてなかなか開かない)を開けて中にはいる。

そこは大広間になっていてコの字形にテーブルが置かれ、その中心にストーブが置かれていた。

 

すると、ちょうどそこに山荘の管理人が出てきた。

「そこから靴を持ってこっちに入れて。ストックは折りたたんでそこの袋に入れて」

言われた場所はカウンターの横で、どうやらそっちが出入り口だったようだ。

「お疲れのところ悪いけど、そこで手を消毒して」と扉の横を指差した。

 

ああ、いまでも感染症に気をつけているのだな。

しかし、しばらくすると気をつけている理由がわかった。それは、ここ丹沢には水場がすくなく、当然手を洗うことなどできないからだ。

 

宿帳に記入して料金を支払う。1泊2食付きで8千円。翌日の弁当も頼んでいたので8,500円だった。続いて夕食、朝食の時間とトイレの使い方の説明を受ける。

「トイレは汚したら置いてある水を使って自分で綺麗にするように」

「消灯後、トイレの電気をつけたら消し忘れに気をつけるように」

そうして奥へと案内され、今夜使う布団の指定を受けた。

 

とりあえずザックを置いてまずは布団を敷き、ダウンの上下を着る。そしてトイレに行ってから缶ビールを買い、酒盛りチームに合流した。

 

そこは自炊室で大きなテーブルが3つ並んでいる。下は土間でサンダル履きである。中央に置かれたストーブが暖かかった。

 

酒盛りチームは、それぞれ茨城と東京から来た夫婦連れだった。もうかなり飲んでいるようでご機嫌な様子だった。さっき見た白い酒瓶はどぶろくで岐阜のお酒ということだった。おつまみと共に少し御相伴に預かった。

 

東京の夫婦の方は(こちらの方が50歳前後、茨城の方は60歳後半の夫婦)、日本百名山に登っているとのことで、登頂数は今回で69座となるとのことだった。ぼくは68座、「ほぼ同じじゃないですか」と言ってくれたが、「いやいや1座負けてます」と答えた。

 

茨城の旦那が窓の外を覗き、「少し晴れてきましたね」と言う。

「予報では明日は晴れるとのことでしたので、期待して良さそうですね」東京の旦那が答える。

 

しばらくすると雲が切れて下界の夜景が冬の澄んだ空気の向こうにきらめいていた。

 

そんな時刻に小屋に入ってくる人がいた。

男性2人のパーティだった。

 

午後5時半、夕食の準備ができたと言うので酒盛りを切り上げて自炊室から広間に移る。管理人からは夕食の取り方についての説明がある。

 

「夕食はカレーです。お盆にカレー用とおかず用のお皿(スチロール製)をとり、そこにごはんを入れて渡してください。そこにカレーを入れます。カレーのおかわりはありませんが、ごはんのおかわりは自由です。おかずも一度とって残っていたらおかわりしてかまいません」

 

おかずはパイナップル、煮豆、サラダなどで6、7種類あった。最後にお茶を入れて席に戻る。お茶は水不足のため一人2杯までとのこと。

 

運動してエネルギーを使ったのでしっかりご飯をおかわりした。美味しい米だった。カレーは小と中の間くらいの辛さだった。

 

食後はさっきの酒盛りメンバーでふたたび酒盛り。若い方のご夫婦は紙パックの日本酒を3合買ってそれをストーブで燗をつけて飲んでいた。ぼくは持参した芋焼酎をサーモボトルに残ったお湯で割った。年上のほうのご夫婦は、すすめられた日本酒を少し飲んだくらいでもうあまり飲んではいなかった。

 

最後に来た男性二人はこちらには加わらず、二人で缶ビールを何本も空けていた。この二人とはとうとう最後まで会話をしないままだった。

 

日本酒夫婦の奥さんは、もうろれつの方も怪しいくらいに酔っていた。8時消灯なので部屋に引き上げて布団に入る。夜中、その奥さんの寝言には驚いた。なんと歌を歌っていたのである。なんとも陽気な奥さんであった。

 

翌朝、そのご夫婦に挨拶すると、二日酔いもせずまったくケロッとしているのことにも驚いてしまった。若さということなのだろうか。こちらは少し飲み過ぎてしまったと思っているのに。

 

www.youtube.com

 

 

あたりまえだが下山はほぼ下り

蛭ヶ岳山荘からのご来光

朝食後、自炊室の前のベランダのようなところからご来光を拝む。ほかの方々は靴を履いて外に出て行った。茨城の旦那が戻ってきて、

「こんなに素晴らしい富士山が撮れましたよ」

そう言って、スマホの写真を見せてくれた。

 

確かに素晴らしい富士だった。

しかし、サーモボトルに詰めていこうと、お湯を沸かしながらご来光を拝んでいたので外に出て行けなかった。

 

7時20分、靴を履いて正式な出入り口から外に出る。7時出発の予定だったので20分遅れだ。焼山登山口を13時16分に発車するバスに乗り遅れると夕方になるまで待たなければならないため遅れるわけにはいかない。しかし計画では12時バス停到着なので余裕はある。

 

しばし富士を眺めてから姫次(ひめつぎ)と書かれた方面に下っていく。ここも塔ノ岳のときと同じく北斜面となるので雪がしっかりついていた。そこは急斜面の階段となっていて、滑ったらかなり下まで落ちていきそうだ。あまりツルツルならチェーンスパイクをつけようかと思ったが、雪の上はしっかりと凍っていて靴底が食いついたのでスパイクなしでも大丈夫だった。

ここを下っていく

それにしても、もういいよというくらいどんどん下る。振り返ると蛭ヶ岳山荘はかなり見上げなければならなかった。1時間ほど下ると地蔵平に着く。ここから姫次までは平坦な道が続く。35分で姫次。ここで休憩し上着を脱ぐ。

 

地蔵平の手前のブナ林

姫次 蛭ヶ岳山荘が小さく見える

ゆるやかに下っていくと八丁坂の分岐。ここで青根方面から来た登山者と出会う。

 

「いやー、太陽はありがたいですね」という挨拶を交わす。

「どちらまでいかれる予定なのですか」と尋ねると、

「脚の調子を見ながらですが、蛭ヶ岳までの予定です」

「けっこう雪がついているので気をつけて。でもアイゼンは使わなくても大丈夫でした」

 

続いて青根分岐を過ぎると黍殻避難小屋が登山道の下に見えた。少し降りていかなければならないのでそこはパス。

 

大平分岐のちょっと先から黍殻山への道と巻道とが現れる。魔が差して登りを選んでしまった。これがけっこう急登できつかった。山頂には雨量計なのかアンテナなのか、雨量を無線で城山ダムに知らせるための施設というものが建てられていた。

 

巻道に合流し、今度は平丸分岐、鳥屋分岐が現れる。分岐ばかりだ。

 

そして縦走最後の焼山はまだかと地図を見ると、目の前のこんもりした山がそれらしかった。そして山頂という感じがしないまま10時35分、焼山山頂に到着した。そこには櫓のような展望台が建てられていたので登ってみた。そこからは宮ヶ瀬湖が見えた。足場が狭くスリリングな展望台だった。

 

宮ヶ瀬湖

焼山山頂にはあっけなく着いてしまったが、ここからの下りが急だった。地図には滑落注意と書かれている。焼山から一気に700メートルも下るのである。1時間ほど歩いて焼山登山口に着いた。12時少し前だった。

 

 

最後に

ちょんと飛び出ているのは大山? 焼山手前で

焼山登山口バス停では二人連れの若い女性と一緒になった。「お疲れ様」と声をかけあっただけだが、ぼくよりも大きなザックを背負っていた。小柄な女性のほうがほとんどしゃべっているのが面白かった。小さな子供のような声だった。

 

丹沢はたくさん歩いているのに最高峰の蛭ヶ岳にはなかなか登る機会がなかった。それがようやく達成できた。

今回は南北に主脈を縦走したが、東西に歩く丹沢主稜というルートもある。今度はそちらも歩いてみたい。

 

では、このへんで

 

 

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念願の丹沢主脈縦走 【丹沢最高峰 蛭ヶ岳】その1

「山と高原地図」丹沢を広げる。そこにはこれまで歩いてきたルートに色がつけてある。

地元なので何度も登っている。けれども丹沢の山域は意外と広く奥深い。よってまだ足を踏み入れていないところがある。

 

今回、地図の中央に縦に貫く線を引くことができた。

この丹沢主脈のラインを中央とすると、色がつけられているのは圧倒的に右側(東側)だ。

それは東側の方が交通の便が良いこともあるが、家から近いというのが一番の理由だろう。

さて今回、主脈縦走も山小屋泊も初体験である。

 

いよいよ丹沢主脈縦走

大倉から歩き始める

2025年1月21日、いよいよ念願の丹沢主脈縦走に挑戦である。

 

丹沢主脈縦走とは、丹沢南山麓の登山基地である大倉から北上し、相模原市の焼山登山口に下山するクラシックルートで、通常は山中で一泊する。今回ぼくは蛭ヶ岳山頂にある蛭ヶ岳山荘を2週間くらい前に予約した。

 

前の週はずっと晴天続きであったが、非常にも2日前から天気が崩れ始め、予報では登山1日目は雨、翌日から晴れとなっている。

 

大倉バス停に8時2分到着。ここで防寒着を脱いだりストックを準備したり水を補給したりトイレに行ったりと、しっかり準備を整える。8時15分には出発のつもりだったが結局は10分ほど遅くなった。

 

歩き始めて少しすると小雨がぱらつく。見上げると曇っていはいたが、峰々は見えていた。

 

朝食を食べてまだ2時間半しか経っていないのに、なんだかもう腹が減ってきた。運動時は米粉食パン1枚だけでは足りなかったようだ。少し先の大倉高原山の家との分岐を過ぎたあたりで、補給食として持ってきた羊羹を取り出して食べた。

 

しかし、それだけでは足りず、すぐ先の雑事場ノ平のベンチでクリームパンを1つ食べた。ここまで大倉から40分と地図には載っているが、1時間かかってしまった。途中で数人に抜かれていたが、パンを食べている間にも2人に追い越された。またすぐに追いつくんじゃないかと思ったが、すぐに全く姿が見えなくなった。

 

雑事場ノ平から平坦な道をすこし行くと見晴茶屋に着く。

 

見晴茶屋からは急な上りで階段がつけられている。そして少し緩やかになり階段が木道に変わる。木道をしばらく行くと今度は石畳に変わる。ひょっとして「登山者のためにわざと変化をつけている?」なんてことを考えたりしてしまった。

 

その後緩やかになってからだんだん斜度がきつくなっていく。大倉尾根はこのように緩斜面と急斜面を交互に登っていく。

石畳といってもこんな感じ

そして急斜面の先に緑色の小屋が見えた。駒止茶屋だ。そこに冷たい風が吹き抜けた。熱った体には気持ちがいい風だった。雨は止み、時々日が差している。このまま晴れてほしいと願う。だがやがてまた陰ってしまった。

 

10時半、堀山の家に着く。ここで抜かされた二人に追いついた。休まず通過する。

 

ここからはまた急な登りだ。黙々と行動を稼ぐ(一人なのでいつものことだが)。右から天神尾根の登山道が合流すると少し見晴らしが良くなってくる。こうして11時10分、花立山荘に到着。相模湾を見下ろしながらここで昼食をとる。昼食といってもさっき食べたのと同じロングライフのパンの味違い。ブルーベリーとあんぱん、それに白湯。25分休憩。

花立山荘前から

12時ちょうどに塔ノ岳到着。あいにく山頂は雲の中で全く周りの景色が見えなかった。写真を撮っていたら一瞬雲が切れて鍋割山が見えた。

塔ノ岳山頂

ガスが晴れた瞬間

15分ほど山頂にいて、丹沢山に向かって北側斜面を下っていく。そのとき塔ノ岳山頂にいた時の人数を数えたら15人だった。

 

42年ぶりの丹沢山への縦走路

塔ノ岳北斜面を下っていく

塔ノ岳までは大勢の登山者に出会ったが、丹沢山方面にくると急に人が減った。そしてこれまでの南斜面とは打って変わって雪道だった。滑らないように慎重に下っていく。木々に霧氷が付いていて綺麗だ。

 

雪道が終わるとぬかるみがまっていた。なるべく靴の上に泥がつかないように気を遣いながら歩いていく。

 

今回履いてきた靴は、メレルのカメレオン8。この靴は周りにゴムの補強がなく、おまけにメッシュの布で覆われているので、泥がつくと洗わない限り泥が取れない。

 

また、外側の小指のあたりが擦れて左右とも毛羽立ってきている。これを購入したのが昨年1月なので1年しか経っていない。あまり耐久性はないようだ。ソールも硬めで木道を歩くとコツコツと音がする。それなのに減りは早い。とても履きやすいのに残念だ。

 

塔ノ岳から丹沢山への縦走路は、天気が良ければ左右に丹沢の峰々が見渡せるはずなのだが、あいにくの天気でまったく見通しがきかない。おまけに雪まで降ってきた。だが、雪はつぶつぶの粉雪で上着にあたってもすぐに落ちていくのでカッパを着るまでもなかった。

塔ノ岳と丹沢山との中間地点

上着はモンベルのEXサーマラップパーカーで、多少の撥水性もある。このパーカーは本当に買ってよかった。ものすごく薄いのに保温力があり、風もかなり防いでくれる。かさばらず軽いので、脱いでも邪魔にならない。それに化繊なので汚れても洗濯機でパッと洗える。つまり行動着として活躍してくれている。

竜ヶ馬場手前の縦走路

塔ノ岳から1時間ちょっとで丹沢山に到着。ここは42年ほど前に一度来たことがある。4月上旬のまだ雪の残る頃だった。あの時はここで鹿に遭遇した。まだあまり鹿などをみたことがなかったので珍しさでしばらく見入っていた。それから丹沢三峰ルートを通って宮ヶ瀬に下った。日帰りだった。ニューバランスのジョギングシューズで、下山の最後の方ではもう足首がグラグラになってしまっていた。それでその後登山靴を買うことにしたのだった。

 

今回もローカットシューズだが、まだ足首は大丈夫だ。

丹沢山山頂

蛭ヶ岳へ

天気が悪くてもそれなりに美しい

だいぶ雪が降ってきた。つぶつぶの粉雪だったものが少し大きくなってふわりふわりと落ちてくる。気温も下がっているようだ。

 

丹沢山から50分ほど歩くと不動の峰休憩所についた。随分と新しい。23年8月に完成したということだ。この真新しい綺麗な小屋で休憩し、白湯を飲んで温まる。こんな天気の時は本当にありがたい。なお、基本的に宿泊はできないそうだ。確かに中は大きなテーブルがあるだけだった。

 

そこから数分で不動の峰、続いて棚沢ノ頭にでる。あと1時間で蛭ヶ岳である。いつの間にか雪は止み、なだらかな尾根道を泥に気をつけながら雪と泥の境辺りを歩いていく。

棚沢ノ頭を過ぎたところ

そして、本日最大の難所の鬼ヶ岩に差し掛かる。鬼のツノのような尖った岩が現れ、そこから鎖がつけられた岩場を下っていく。

 

目の前にどんと丸い丘のような山が正面に立ちはだかってきた。ああ、あれが蛭ヶ岳だな、そう思ってスマホのコンパスEXアプリで確認するとやはりそうだった。

鬼ヶ岩

これは樹氷と呼んだ方がいいか

鎖場を下っていると再び雪が降ってきた。そして蛭ヶ岳へ最後の登りを登っていく。15時26分、蛭ヶ岳に登頂。同時に蛭ヶ岳山荘到着。ここはまさに雪山。

蛭ヶ岳山荘

記念写真

 

つづく。

 

 

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これまでの日本百名山 【2023年以前】

大山中腹から

 

先日、2024年に登った百名山を振り返りましたが、それ以前についてもいままで整理してこなかったので、この際に整理してみました。

 

2023年に登った百名山

武尊山

まずは一覧表から。

 

2023年は、前年の12月から冬の間は山に登らなかったため、体力がかなり低下してしまいました。そのため、24年からは体力維持も兼ねて雪山登山の挑戦を始めました。

 

雪山を始めたのはそればかりではなく、23年の最後に登った鳥取の大山が大雪の降った後で、雪山の美しさにすっかり魅了されてしまったからでもあります。

 

さて、23年前半は体力が落ちたのに加えて体調がいまひとつ。そんな中でそろそろ始動しなければというあせりの中で、ともかく最初に選んだのが武尊山でした。このときもやはり登り初めから体調が悪く、下山するまでそれが続きました。

 

しかし、天候に恵まれて素晴らしい眺めを満喫できました。

 

つぎは恵那山で、夏の暑い中を抜け出して標高の高い場所でテントを張り、だいぶ体調も良くなってきました。しかし、体力的には厳しい山でした。特に神坂峠の分岐手前の急登がきつかった。めずらしくだいぶ水を飲みました。

 

8月には飯豊山に登りに行き、麓でキャンプしたその夜、調子がおかしいと思っていたら発熱。登山をあきらめてテントを撤収。ふらふらになりながらスーパーカブで郡山まで戻り、ホテルに泊まりました。熱が下がらないのでここで二泊。解熱剤を飲んだらどうにか熱が下がりました。

 

そして、さくら市内のホテルに一泊して自宅に帰りつきました。検査キットで検査したところコロナだったことが判明。しばらく力が入らず、味覚障害にも悩まされました。

 

こうして9月は登山ができず、10月になって以前から予約していた屋久島に向かいました。入山の翌日が大雨の予報だったため、縦走はあきらめ宮之浦岳の往復に計画変更しました。大雨の中、どうにか宮之浦岳には登頂し、下の山小屋に泊まりました。この日、バスが運休となっていたことを後から知りました。

 

この屋久島に登ったあたりから体力も回復してきました。

 

10月下旬と11月上旬には上信越の四阿山と巻機(まきはた)山に登りました。どちらもスーパーカブで出かけましたが、三国峠の紅葉が見事でした。四阿山では思いがけず雪が降り、寒さが厳しい登山となりました。ところがそれより北の巻機山では快晴とは行きませんでしたが、周りの山々を眺めながらのんびりした登山を楽しめました。

 

巻機山の翌週は夜行バスで四国へ。レンタカーで剣山と石鎚山に登ってきました。どちらも登山口までが狭い道で、運転に気を使いました。剣山は名前と裏腹になだらかな山で、ハイキングのような登山でした。ところが石鎚山では雨に降られて寒い思いをしながら鎖場を登りました。

 

ここの鎖場は他とは違い、鎖が岩から離れているところがあり、そのためかはわかりませんが、太い大きな鎖が張られていました。そして鎖の輪の中に靴を差し込んで登りました。霧で周りが見えなかったこともありますが、この三つの鎖場を無事に登り終えたことに安堵し、石鎚山の隣の天狗岳に行くのを忘れてしまいました。

 

この年は雪に降られることが多く、四阿山に続いて安達太良山でも雪が降りました。前夜にどかっと降ったそうです。一応5本爪の簡易アイゼンは持っていましたが、アイゼンなしで十分登れました。しかし、山頂の風雪はきびしく、急いで下山しました。

 

翌日は磐梯山に行く予定でしたが、悪天候のため断念し、温泉に浸かって帰りました。

 

次の大峰山では雪に降られはしませんでしたが、数日前に降った雪が残っていました。上の方では簡易アイゼンを使いました。多くの登山者の方々はチェーンスパイクを履いたり手に持ったりしていました。小屋は数日前に閉鎖され、その前でテントを張りました。

それほど高い山ではありませんが、奈良の山は奥深く谷も切り立っていて険しいところでした。

 

大峰山の後大台ヶ原へ向かいましたが、近道がレンタカーのナビに表示されず、遠回りをしてしまったため、大台ヶ原全体は歩く時間がなく、一番たかい日出ヶ岳に登っただけで降りてきました。

 

そしてこの年最後に登ったのが伯耆大山でした。

 

結局この年はあまり山に登れず、11座に止まりました。

 

 

2022年に登った百名山

一覧表です。

百名山挑戦は2022年から始まりました。挑戦することに決めて最初に登ったのが金峰山と瑞牆山でした。4月下旬でところどころにまだ雪が残っていました。金峰山では雨に降られ風も強くて山頂では大変でしたが樹林帯の中は静かでいい山でした。

 

翌日の瑞牆山は快晴で楽しい登山となりました。ほとんどが岩場でしたが登りやすく楽しい道でした。1箇所だけ氷のため通行に難渋した場所がありましたが。また、登りで一緒になった二人の女性の登山者との山頂での語らいは楽しいものとなりました。

 

この頃はまだスーパーカブに乗って半年ほどで、このあとの百名山の山行でどんどん距離を伸ばして行きました。

 

両神山のテント場は快適でトイレも綺麗でした。そのあと遠出して美ヶ原、霧ヶ峰と歩きました。美ヶ原も霧ヶ峰も雲上の楽園といった感じで、登山というよりも高天原の住人になったようでした。

 

その後、念願の槍ヶ岳に登りました。あいにく時折り小雨が降る天気で山頂付近はガスで何も見えませんでした。霧の中で岩にへばりついている時に恐怖が襲ってきて動けなくなりました。しかし、助けてくれるものはいないと自分に言い聞かせ、勇気を振り絞って登っていきました。梯子も上に出る時が怖かったです。

 

そして、その夜はババ平でテント泊したのですが、雨に降られて翌朝気がつくと水溜りの中に浮かんでいました。幸いテントがまだ新しく防水が効いていたので浸水はしませんでした。しかし、下山中の雨ではゴアテックスの雨具は浸水してきてかなり濡れてしまいました。ゴアテックスには寿命があることを知りました。上高地の温泉で温まって帰りました。

 

次の日光白根山でも下山時に雨に降られました。それまではガスもなく遠くまで見渡せました。雨具は新調したので問題はなかったのですが、激しい雨でヘルメットのシールドが曇って前が見えなくなりました。しかたなくシールドを跳ね上げて走りました。

 

向かったのは中禅寺湖湖畔のテント場。このときはモンベルのムーンライト2型を持っていったのですが、使い古したせいで防水がされずに浸水してきました。

 

翌朝は幸いにも晴れてくれて、男体山に登りました。最初に頑張り過ぎたせいでへばってしまい。その後が大変でした。男体山はひたすら登りとなるので筋力を使いすぎると回復する間がないのです。ただ、歩調が合う方が話し相手になってくださり、山頂でも一緒にお昼を食べました。

 

次の常念岳も思い出の残る山でした。蝶ヶ岳からの縦走でしたが、蝶ヶ岳のテント場は超満員でトイレに行くのもテントの迷路を通っていきました。翌日はやはり雨。常念岳の手前で若い女の子の二人連れと知り合いました。山頂に着き、雨で昼飯をどうしようかと考えていたらひとりが食べきれないので小屋で作ってもらったおにぎりを食べてくれないかというのです。それで蝶ヶ岳の小屋まで一緒に帰って来ました。

 

面白かったのは、赤いレインウェアの子が靴を前に出して見せて

「もうずっと履いているので穴が空いちゃって。年季がはいっているんです」と言っていかにも気に入っているという感じだったが、実は靴擦れを起こしているということで、3人で笑いました。

 

ところがその先でソールが半分剥がれてしまったのです。これは笑えません。何かいい方法はないかと考えて思いついたのがテーピングテープでした。これをぐるぐる巻きにしたらどうにか歩けるようでした。それからその子が財布を徳沢に忘れて来たという話を聞きました。これはすごい話で、蝶ヶ岳小屋に着いたらその財布が届いていたというもう漫画のような話でした。

 

つぎの甲斐駒ヶ岳、千丈ヶ岳でも少し雨に降られています。幸い、次の八甲田山以降で降られたのは会津駒ヶ岳だけでしたが、結構雨に降られた年でした。

 

八甲田は2度目の登山で、地元の友人と登りましたが、彼は途中リタイア。彼の家に一泊し、翌日は岩木山へ。ところが台風が近づいているということで帰りのバスが運休。時間も遅かったので車で来ている方に麓まで送ってもらいました。東京の方でした。

 

続いて会津駒ヶ岳、燧ヶ岳、那須岳につづけて登りました。檜枝岐のキャンプ場にテントを張りましたが、冷たい雨の中を走っていきました。会津駒ヶ岳は生憎の雨となりましたが、山上には湿原が広がり幻想的な光景でした。しかし、「必ず滑ります」の注意書き通り木道の上で滑って転びました。

 

燧ヶ岳は登山道がほとんど湿っていてというより水浸しでゆっくり休めるところがなくてとても疲れました。那須岳は3日連続登山の最終日でもうヘトヘトになって下山しました。

 

滑ると言えば筑波山も石の上がツルツルで、とても気を使いました。そのあとは形の良い甲武信岳に行きましたが、その整った姿は近くでないと見えませんでした。テント泊でしたが、小屋で注文した日本酒が美味かったです。

 

甲武信のあとに続けて大菩薩嶺に行きました。上の駐車場までの道はカーブが多く、そこを登るのがスーパーカブにとっては大変でした。本当は大菩薩嶺は2度目なのですが、ほとんど覚えていませんでした。

 

その後は九州の山(九重山、阿蘇山、祖母山、霧島山(韓国岳)、開聞岳)を一気に制覇しました。大分空港でレンタカーを借りて鹿児島空港で返却しました。祖母山の時だけガスで景色が見られませんでしたが、そのほかは遠くまで景色が見渡せました。

 

この年の最後に天城山に行きましたが、近くのキャンプ場で前泊したところ、テントポールを忘れてしまい、トレッキングポールを使ってなんとか寝ることができました。最初に整地してあとは自然に任せたようなワイルドなキャンプ場でした。

 

2021年までに登った百名山

地蔵ヶ岳(鳳凰三山)

とりあえず、登山記録のある山をリストにしました。


ところが先日、登山記録を整理していたところ、1度目の大雪山(旭岳)は写真の記録や記憶は鮮明に残っていましたが、登頂を記したメモが見つからず、登頂日が判明しませんでした。

 

しかし、立山に登った時と同じ靴(クォーディーのモカシン)で登ったことは確かなので、83年から85年の間だと思われます。なお、時期は秋でした。

 

この頃は職場の友人と登ることも多く、リストの13座のうち6座はソロ登山ではありません。

 

なお、記録の見つからない大雪山を除き、他は当時メモ用紙に書いておいたものをこのブログに載せています。

 

最後に

少々長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

こうして振り返ってみると、「割と覚えているものだなあ」と我ながら感心しています。

記録のない大雪山も旭川の出張の帰りに登ったもので、綿毛のチングルマが群生していたことを思い出します。

 

こうした思い出はお金では買えない貴重なものだとあらためて感じています。

これからも時間の許す(身体が動く)限り、思い出を作っていきたいと思います。

 

では、このへんで

 

 

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日本百名山を振り返る 【2024年】

 

朝日岳からの夕日

新年おめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

さて、がむしゃらに日本百名山を登ってきて、昨年末で68座まで到達しました。

ここで1年を振りかえってみようと思います。

 

2024年に登った日本百名山

まずは、登頂した山をリストにしてみました。

雪山登山

2024年の大きな変化は、雪山に登り始めたことです。

前年の12月、伯耆大山で思わぬ大雪。このとき麓のモンベルで12本アイゼンを購入。この登山で雪上を歩く楽しさを味わい、年明けの1月2日に雪山初心者向けの北八ヶ岳の横岳(北横岳)に登りました。ロープウェイで山頂付近まで行けるので歩く距離が短いことが初心者向けと言われるところ。

 

山頂駅から表に出る階段で滑って転ぶ人を何人も見かけました。寒くて手が悴んでいたうえに、冬用ではなく3シーズン用の登山靴に、Amazonで買った安いネオプレンのカバーをつけ、さらにアイゼンやゲイターをつけたりするのにかなり時間がかかりました。

 

その翌々週は赤城山へ。ここで初めてチェーンスパイクというものを試しました。ところが外す時に前後を逆に装着していることに気づきました。この日は暖かく良い日でしたが、黒檜山から駒ヶ岳へ向かうと雪が少なく、チェーンをいつ外そうか思案しながら歩きました。駒ヶ岳でチェーンを外すとぬかるみがあらわれ、泥が靴底について重くて参りました。さらに最後の下りでは、少し残った雪が凍り、滑って転んだ時に脛を岩にぶつけてかなり痛い思いをしました。

 

蓼科山では山頂付近で強風の洗礼を受けました。バランスを崩して倒れてしまい、じっとして踏ん張って耐えたりしました。

 

3月中旬にモンベルの雪山講習が谷川岳でありました。この時に合わせてようやく冬靴を買いました。講習でじっとしていても足が冷たくならず、道具のありがたみを感じました。ただ、雪山はお金がかかることも確かです。

 

冬山は終わりとなり、講習で習ったことを忘れそうなので、5月に残雪の西吾妻山でアイゼンワークのおさらい。樹木の周りではスポッと残雪を踏み抜いてしまったことが数回ありました。ゲイターを装着していなかったため、雪が靴の中に入ってしまい、取り除くのが大変でした。

 

最後にアイゼンを使ったのは中央アルプルの木曽駒ヶ岳でした。このときは八丁坂で落石があり、危うくぶつかるところで肝を冷やしました。この坂は下りの方が恐怖でした。

 

新緑

西吾妻山の翌日に登ったのは磐梯山でした。それほど離れてはいないのにほとんど雪はなく、ブナの新緑がとても綺麗でした。登っている間の眺望もよく、山頂からは猪苗代湖が真下に見えてとてもいい山だと思いました。

 

次に登った岩手山は、眺めると美しい山なのですが、登るとなると厳しい山でした。距離が長いため、日帰りとなると少し急ぐ必要があります。樹林帯の中では眺望がきかず、ようやく見晴らしが良くなったと思うと溶岩の岩場が続きました。とくに山頂付近では、富士山のようにずるずると靴が埋まり、体重移動をうまくやらないと進めませんでした。そしてお釜の淵に立つと強風で飛ばされそうになりました。

 

6月になり、東北の朝日連峰では暑さ、とくに蒸し暑さに参りました。ここで手袋の片方を落としてしまったのが残念です。樹林帯を抜けると風が吹き抜けてほっとしましたが、山頂直下の小屋まで結構な距離があり、大変でした。しかし、この時期、高山植物が咲き乱れていて眼を楽しませてくれました。

 

ヒグマ対策

羅臼岳

この月は北海道の道東の山に登りました。一番の心配はヒグマ。クマスプレーを借りる暇がなかったので、100均で火薬銃を買いました。

 

道東1日目は羅臼岳に登りました。クマベルを鳴らしながら周りを警戒しながら登るので、精神的にも疲れました。そのせいか、コルのハイマツ帯から山頂までの岩場は足が上がらず、途中でしばらく休憩しました。下りは山頂で出会った青年と話しながら一緒に下ることができて、クマの恐怖からは少し解放されました。

 

道東2日目は斜里岳に、羅臼岳の下りで一緒だった青年と同じ日程だったため、一緒に登りました。斜里岳はまさに沢登りで川の中にザブザブと入って行きました。しかし、古いスニーカーを履いていたので、帰って来る頃にはソールが一部剥がれてしまいました。

 

道東3日目は雌阿寒岳。前日にオンネトー国営キャンプ場にツェルト泊。ワイルドな雌阿寒温泉にも浸かりました。雌阿寒岳では噴火が起こらないように祈りながら登り、強風に肝を冷やしながら山頂に立ちました。

 

一旦家に帰り、再び北海道へ。大雪山からトムラウシ、そして十勝岳という三泊の縦走に挑戦しました。大雪山の旭岳は2度目の登頂となりました。このときはクマスプレーをレンタルできましたが、借りに行ったり返却しに行ったりとかなり面倒でした。荷物を軽くするためツェルト泊しましたが、2日目、ツェルトを張った後にひどい雨風となり、シュラフからなにから濡らしてしまいました。そのため、トムラウシ登頂の後、十勝岳には行かず1日早くトムラウシ温泉に下山することにしました。ヒグマは一度も見かけませんでしたが、登山道に糞があって驚きました。

 

信仰の山

大雪、トムラウシへ行く前には御嶽山と高妻山に登りました。御嶽山では数年前の噴火による遭難について、事前にいろいろ調べました。実際に歩きながら頭の中でシミュレーションしてみると、生きて下山できた人は本当に幸運だったということがよくわかりました。亡くなった方々のご冥福をお祈りしました。

 

高妻山は登山することが仏の道を歩くことで、まさに修行を積んだように思いました。

体調があまりよくなかったこともありましたが、急登続きで体力のなさを感じた山でした。

 

次に登ったのが剱岳。この山を目の前にすると思わず手を合わせて拝みたくなります。劔沢でテントを張りましたが、大雨のため1日停滞。しかしその翌日、朝方は雨でしたが登っている途中から晴れてきて、最高の登山ができました。

 

 

絶景の山

火打山からの白馬

つぎに登ったのは妙高山と火打山。妙高山は変化に富んでいて楽しい。ただ、頂上に近づくにつれて傾斜が急になって結構きつかった。あいにく曇りで周りの山々は見えませんでしたが、北峰から南峰、そしてその逆から見た山頂の岩場はとても美しい景色でした。

 

高谷池ヒュッテのテント場にツェルトを張り、翌朝から火打山を目指しました。多くの人は4時頃には出発したので、ずいぶん早いなと思いましたが、それは山頂で日の出を見るためであることがわかりました。私は遅れて出発したおかげで、しばらく山頂を独り占めできました。この火打山からは360度の絶景が楽しめました。

 

2024年最後の山は、中央アルプスの空木岳でした。日帰りはできましたが、なんと12時間も歩いてしまいました。山頂ではゆっくりする時間はありませんでしたが、それでもたくさん写真を撮りました。この山も360度絶景で、木曽駒ヶ岳に続く稜線の左側には御嶽山が、その遠い先には白山とおぼしき山も見ることができました。上ではすでに雪が積もっており、チェーンスパイクでザクザクと雪を踏みしめました。

 

晩秋の山を楽しむ

空木岳の前に岩手で用事があり、そのついでに早池峰山と八幡平に登りました。あいにくどちらも雨に降られ、景色は楽しむことができませんでした。しかし、早池峰山の不思議な地形と珍しい蛇紋岩を見ることができ、八幡平では幻想的な湿原の中に身を置くことができました。

 

最後に

今年最後の空木岳登山は、ホノルルマラソンのトレーニングを兼ねて選んだ山で、翌日は筋肉痛になり、トレーニングの目的は十分に達成できたように思います。また、今後、林道を使うときは、閉鎖されていないかを確認することを忘れないようにしたいと思います。もう何度か同じ失敗をしているのです。

 

なお、2月下旬に熊野古道の中辺路を歩きました。

また、2024年は10月後半に解散総選挙があったため、山には登らず選挙活動の手伝いに専念しました。

12月にはホノルルマラソンをワラーチで走りました。ワラーチでのフルマラソンは自分の中では凄く達成感を感じ、年末までしばらく浸っていました。

 

では、このへんで

 

 

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長い長い登りに苦戦 【空木岳】

初冬の11月下旬、中央アルプスの空木岳(うつぎだけ)を目指した。

標高2千5百メートルあたりから前に降った雪が解けずに山道を覆っていた。

実は計画段階で失敗をしていることが判明し、登山開始時だけでなく、下山時にもヘッドライトを使うことになる。

 

登山計画を立てる

今年の5月に木曽駒ヶ岳に登った。

そのとき、駒ヶ根キャンプセンターに前泊し、翌朝に菅の台バスセンターからロープウェイ乗り場に向かった。

challe.info

その駒ヶ根キャンプセンターから程近い場所に空木岳の登山口があることを知り、機会を狙っていた。

 

前回このブログに書いたが、突然8月末で仕事を辞めることになり、これからは自由に時間が使える、これまでほぼ休日に行なっていた登山を天気予報を見ながらいい時に行ける、サボっていた心理学の研修にも行けることになった。

 

そしてなにより、定年時にリストアップした「やりたいこと」をとにかくやっていこうと思った。

 

「黄金の15年」のうち、すでに5年が経過している。黄金の15年とは楠木新著「定年後」に書かれている言葉で、気力体力が充実しているのは多くが60歳から74歳までであるというものである。

https://m.media-amazon.com/images/I/817J-gAgU5L._SL1500_.jpg

残りあと10年。よくばっていろいろとリストアップしたが、どれも時間のかかるものばかり。とてもすべて出来そうにない。ともかくいま出来るものからどんどんやっていこう。

 

前置きが長くなったが、そんなことでホノルルマラソンに出場することに決めた。そのトレーニングとして位置付けたのが空木岳登山なのである。

 

ホノルル行きを決めた後、心理学の全国年次大会に合わせて岩手の山には登ったが、行程的には軽めの登山だった。その後、衆議院議員選挙が行われ、今回初めて参政党候補者の選挙の手伝いをした。参政党にとって大事な選挙だと感じたので12日間精一杯出来ることを手伝った。

 

選挙の後は少し疲れが出て体調がすぐれなかった。急に寒くなって来たこともあり、登山をする気になれなかった。それに天気もすぐれない日が続いた。

 

ようやく元気が出て来て、晴れの予報が続いた11月24日から26日までの予定で空木岳登山の計画を立てた。

 

スーパーカブに乗って駒ヶ根キャンプセンターでキャンプし、翌朝未明から池山林道終点の登山口までカブで移動する。そして同じ登山口へ下ってくる。

コースタイムは、登りで約5時間半、下りで3時間45分。

 

 

計画の失敗と長い長い登山道

翌朝4時にキャンプ場を出発。ヘルメットを外に出していたら霜が凍っていてなかなか落ちず、視界があまりよくない。

 

まだ真っ暗な中をどんどん山の中に入っていく。くねくねとした道を登っていくと、突然目の前にゲートが現れた。閉ざされたゲートである。道を間違えたかと思いスマホで調べると別な道が表示された。そこで一旦下る。もう一度スマホを見直してみると、そのルートは歩行者のルートであることがわかった。

 

ここでバイクを置いて下から登るか、さっきのところにバイクを止めて林道を歩くか。

どちらも時間的にはそれほど変わらないように思える。しかし、当初の計画でも日暮れギリギリであり、さらに時間がかかるとなるともう真っ暗だ。その場合は林道を歩いたほうが歩きやすいと考えた。

 

もう一度さっきの閉まっているゲートまでカブで行き、そこから林道を歩き始める。このとき5時20分。標高は1千百メートルあたりだろうか。ただ、地図を見ると、林道途中から登山道に入って当初予定の林道終点地点まで行けることがわかった。やはり冬場は林道は通行止めになる。わかっていたはずなのに何度も同じ失敗を繰り返している。

 

30分ほど林道を歩くと登山道の入り口に辿り着いた。ここは駒ヶ根高原の菅の台から続いている登山道で、そこに合流したことになる。

 

その登山道を入っていくと再び林道を横切って登山口に到着した。標高は1350メートルくらい。6時25分、この時点で計画より1時間半遅れていた。

林道終点の四阿

朝焼けの伊那谷と南アルプス

ここで着ていたダウンジャケットやダウンパンツを脱ぎ捨て(捨てないけれど)、身軽になって再出発。時刻は6時40分。

 

 

いざ、登山開始

登山開始(もう始まっているけど)

落葉だらけの登山道

始めは大きく蛇行しながら登っていく。それがタカウチ場というところまで続く。そこからもあまり急ではないが今度はほぼまっすぐに登っていった。そして急登が現れ始め、そこを登っていくと池山小屋の分岐点についた。

 

ここから空木岳方面にわずかに進むと再び分岐があり、通常の登山道が右、左は遊歩道経由となっている。それは尻無というところで合流する。ここは右の通常の登山道を進んで行った。

 

池山小屋への分岐にある水場

続いて2百メートルほど進むとマセナギという分岐点に出る。ここの標高が1980メートル、標高ではちょうど中間あたりまで登って来たことになる。

 

そしてここから等高線の詰まった険しい道のりに変わっていった。ここまでは遊歩道といった感じ。そしてなななんと「大地獄」というすごい名前のついた切り立った場所を越え、続いて「小地獄」という鎖場を越えると「迷い尾根」というなんとも怖い名前のところへ出た。

 

ここから真っ直ぐにはいかないで右に曲がる。それほど迷いそうな場所ではなかったが、目印がないとまっすぐ行ってしまうのかもしれない。

 

崖を登ったところに大地獄の標識が

ここを登ると小地獄

迷い尾根の案内標識

ここから次の分岐点までアップダウンを繰り返しながら300メートルほど登っていく。遅れて出発したので少し気が急いたのか、あるいは気が緩んだのか、トラバースの崖っぷちで石を引っ掛けて落としてしまった。下に登山道はないので人はいないと思われるがドキッとした。

 

なお、今日はここまで誰とも出会っていない。月曜日の平日で、時期的にも登山シーズンではないためだろう。ところがその先のひらけた斜面を横切り急な斜面を登っていたら下から声が聞こえた。どうやら追いつかれたようだ。するとその人影にはすぐに近づいてきた。犬を連れたトレールランナーだった。早い。ぼくを追い抜くとあっという間に姿が見えなくなった。

斜面をトラバース このあと追い抜かれる

前に降った雪がまばらに残っているところにでて、そのすぐ後にヨナ沢の頭という標識が立っていた。そして日の当たらない場所では2、3センチくらいの雪が固くなって残っていた。それほど傾斜がきつくなく、登りでもあるので登山靴のままで歩いていけた。

 

今回は雪を想定して冬靴ではないがアイゼンのつけられる登山靴を履いて来ている。ただし持って来ているのはチェーンスパイクだ。さて、どのあたりで取り付けようか。

 

チェーンスパイクを履いたのはその先にある分岐の手前、おそらく標高2500メートル付近だったと思う。久しぶりに聞く雪を踏む音が心地よい。

 

分岐では左の空木平経由のルートをとった。この分岐まではおおよそ標準コースタイム、つまり1時間半遅れで11時5分だった。すぐに目の前に避難小屋が現れた。そして空木岳の山頂が間近に見えた。左手には南アルプスの峰々が白く青空に浮かんで見える。空木平はあまり広くなく、小屋の周りだけが平らだった。

 

ここでは日差しを遮るものがなく、雪が太陽の光を反射して眩しかった。それに表面の雪が解けてそれが氷っているらしく、テカテカと輝いていた。

ヨナ沢の頭 ここから雪が現れ始める

左が空木平経由、右が駒石経由で空木岳へ

空木平避難小屋と空木岳山頂

甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳

左から北岳、間ノ岳、西農鳥岳

 

遠い山頂

腹が減ったので、昼食にしようと避難小屋に入ってみた。扉を開けると入口から日差しが入り中を明るく照らした。入口付近に座り菓子パンを頬張る。とくにお湯も沸かさず水で喉を潤した。遅れているので20分ほど休憩してふたたび登り始めた。

 

ところがここからが苦戦した。空木平は小さなカールといった感じで小屋は標高2530メートルあたり、そこから一気に2864メートルの山頂まで直登していく。おそらく雪のおかげで歩きやすくなっていたの思われるが、息が上がってしまい、何度も立ち止まって呼吸を整えた。

 

山頂が見えているのになかなか近づかない。苦しい。そしてまずは駒峰ヒュッテに到着。あと少しだ。12時56分、苦労してやっと空木岳山頂に立つ。

駒峰(コマホウ)ヒュッテ

ヒュッテ前から山頂を見上げる

しかし、山頂からの眺めは素晴らしかった。早く降りないと日が暮れることは分かりつつも15分ほど写真やビデオを撮っていた。

 

山頂の様子

南駒ヶ岳に続く尾根

伊那谷と南アルプス

下山ルートの駒石の尾根とその向こうに八ヶ岳

木曽駒ヶ岳に続く縦走路

御嶽山 左肩に見えるのは白山

こうして名残惜しくも下山を開始した。あとは日が暮れるまでにどこまで降りられるかだ。下山は駒石のルートをとった。こちらは分岐までなだらかに下っていくので楽だった。そして広々とした尾根で視線の先には南アルプスの稜線がくっきりと見えており、手前は伊那谷がはっきり見える。ほんとうに気持ちよく歩くことができた。

記録としてチェーンスパイクの写真

駒石の標識があるのはこの石 5、6メートルくらいある

この景色を眺めながら下る

分岐点からは再び樹林帯に入る。しばらくは広葉樹林帯。尻無から池山小屋の分岐までは遊歩道経由のルートをとる。ここを下っていくとダケカンバの林が現れた。明るくてありがたい。もうすぐ16時になろうとしていた。

ダケカンバの林

そして16時40分、池山林道終点まで戻ってきた。ここまで3時間半、結構急いだつもりだが、標準タイムよりも15分早いだけだった。もう日は落ちたが、まだ明るさが残っている。明るいうちにヘッドライトを準備し、菅の台への登山道に入っていく。

林道終点の駐車場

この林道を横切る登山道の一つ目を過ぎたあたりでにライトを点灯。木々の間には街の明かりが見えた。

 

そして登り始めた林道に出たのは17時ちょうど。ここからは林道歩きなのでともかく一安心だ。しかし、あたりは真っ暗になった。ライトのバッテリーが切れると困るので明るさを抑える設定にした。すると見えるのはわずか数メートル。崖から落ちないよう道路の真ん中を歩く。

 

そして未明の歩き始めからちょうど12時間、17時20分に林道のゲートに到着した。登る時はどんどん明るくなっていくから良いが、下山時の日暮はなんだか心細い。スーパーカブが見えた時はとても愛しく感じた。

 

 

最後に

歩き詰めでとても疲れたし、筋肉痛も始まりかけていた。ランニングをしていたので体力はあると思っていたが大間違いだった。

このあと、前にも行ったこまくさの湯に行き、たっぷり温まった。

 

キャンプ場に戻り、エスビットに火をつける。するとなんと固形燃料が弾けて飛んだ。

寒いので外ではなくテントの中で行っていた。エスビットの五徳の下には桐の板を敷き、その下には防火シートを敷いていた。ところが固形燃料が燃えたまま弾け飛んだのである。それは防火シート(百均のものを半分に切って小さくしていた)を飛び越えた。

 

念の為、エアマットにはGパンを被せていた。そして大半はすぐ下の板と防火シートの上に落ちた。桐の板は黒く焦げ、防火シートも銀色のところが少し溶けた。

そして、飛び散ったうちのひとつは自作コジーに飛んだ。それは簡単に穴が空いた。ああ、よかったテントに飛ばなくて、と思っていたらもうひとつ燃えているものがあった。

 

それは2ミリ厚の銀色のテントマットだった。いそいで火を消したが遅かった。銀マットを溶かし、その下のテントのフロアを溶かしていた。やっちまった。ただ、その下のグランドシートには農ポリを使っていたのでまた切って作れば良い。

 

家に帰ってからアライテントでを調べると、リペアシートが売られていた。同色かどうかはわからないが、早速注文した。

 

それにしても固形燃料が破裂して飛び散るってどういうこと?

 

では、このへんで

 

 

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雲の中を歩く 【八幡平】

早池峰山に登った翌日は、八幡平に向かう。

早朝の盛岡は快晴。

このまま晴れていてくれ。

今日はレンタカーではなく、路線バスに乗っていく。

1日1便なので乗り遅れないように気をつけよう。

 

茶臼岳から登り始める

盛岡駅

盛岡2日目、鉈屋町のゲストハウスから盛岡駅に向かう。

快晴。

やったー! 晴れだ。

駅前で朝食を食べ、9時10分発のバスに乗る。

5分前にバス乗り場に行ったところ、もうすでに乗客が乗り込んでいた。どうやらぼくが最後の乗客らしい。

 

座席は二人席が並んでいて、そこにほぼまんべんなくひとりずつ座っている。空いている席にはたいていザックが置かれていた。足元にザックを置いてくれている若者の隣に声をかけて座る。途中、3、4人が乗ってきて、あとはそのまま八幡平に向かった。

 

ただ、直接八幡平に向かうのではなく、寄り道をするため、同じバス停で2度休憩があった。終点の八幡平頂上バス停までは約2時間の行程である。

 

ぼくは終点の少し手前の茶臼口で下車した。ここで降りたのは6、7人だった。残念ながら、バスが登っていくにつれて天気が怪しくなり、とうとう雲の中に入ってしまった。

 

11時14分、軽く準備運動をしてから車道を少し登って脇道に入っていく。山道の脇では盛りを過ぎた花がぼくを出迎えてくれた。

 

茶臼岳登山口

あいにくの天気になる

ヤマハハコ

茶臼口下車組で先頭を切ったのは一人の若い男性で、次がぼくと同年代の男性二人組。その次にぼくが行き、その後に中年の女性が続いた。

雲の切れ目に裾野がのぞく

はじめは草地の狭い山道で傾斜が緩かったが、ところどころに急な斜面が現れる。そこにくると、前をいく男性の歩みが途端に遅くなり、息を切らせている。急かしているように思われないために少し離れて待っていた。

 

振り返ると、ソロの女性がしっかり間隔をとりながらついて来ていた。

 

しばらくして、前の男性の一人が道を譲ってくれた。もう一人はつぎの急斜面の手前で道を譲ってくれた。礼を言って登っていくと、後ろを行く女性もすぐに後について来た。なかなか早い。しかもぼくよりも大きなザックを背負っている。

 

女性はぼくに近づきすぎないように適度な間隔をとっていた。それはこれまでたくさんの山に登っていることを感じさせた。すぐにぼくもその女性に道を譲ることになった。

 

ぼくの前を進んで行くとすぐに姿が見えなくなった。やはり早い。

 

そのうちに先頭で登山口に入っていった若者に追いつく。休憩をしていたので追い越して進む。11時50分、茶臼山荘に着いた。

 

茶臼山荘

そこから5分ほどで茶臼岳に登頂。そこにさきほどの女性もいた。

「全然見えませんね」

そう、声をかけられる。こちらも「ダメだと思ってましたがやっぱりダメですね」と応じる。

 

茶臼岳山頂

茶臼岳山頂より

茶臼岳からふたたび山荘に戻り、ここでトイレを使わせてもらう。トイレは小屋の中にあり、しかも水洗であることに驚いた。とても清潔だ。

 

さきほどの女性もぼくの後からトイレに行ったようなので、先に進んでいった。

 

 

雲の中を歩く

そこからの道はこれまでとは違い、低木の樹林帯の中を行く、平坦で凸凹の岩が敷かれているような道で、窪んだところに水が溜まっていた。滑りやすいので慎重に足を置いていくが、やはりときどき滑ってしまう。

 

地図上では楽そうに思えたが、とても歩きにくく、ずっと気を張り詰めていたために結構疲れてしまった。

 

12時35分、黒谷地湿原展望デッキに到着。ここで少し休み、カロリー補給をする。

少し雨も降り出したので、ウインドブレーカーを脱いでレインジャケットを着た。ウインドブレーカーは、ずっと雲の中を歩いていたのでかなり湿ってしまっていた。

 

そろそろ歩き始めようと思っているところに先ほどの女性もやって来た。会釈をして先に行く。その後、その女性には追いつかれず、帰りのバスにもいなかったので別ルートを行ったものと思われる。

 

茶臼岳から黒谷地湿原に向かう

黒谷地湿原に入る

木道が現れる

黒谷地展望デッキ

 

深田久弥氏は、「日本百名山」の中で次のように八幡平について書いている。

「八幡平の真価は、やはり高原逍遥にあるだろう。一枚の大きな平坦な原ではなく、緩い傾斜を持った高低のある高原で、気持ちの良い岱を一つ横切るとみごとな原始林へ入ったり、一つの丘を越すと思いがけなく沼があったりして、その変化のある風景が面白い。」

 

さすが文筆家である。まさにその通りで、ぼくはいま原始林から湿原を通り、再び原始林の丘を越えているところである。次には沼が待っているはずである。丘に登っても景色は見えなかったが、雲の中を歩くのもオツなもので、ぼくはまさに雲の中を逍遥していた。

 

丘を登る

展望はゼロだった源太森

 

ガマ沼から八幡平頂上へ

沼地の端にやって来る

丘を下ると再び湿原になる。ここからは木道が雲の中に続いている。左手には八幡沼があるはずだが全く見えない。やがて右手に池塘がいくつも現れる。

 

ここではたくさんの人とすれ違う。また、ガイドが10数人連れて説明をしている。

やがて、小屋が見え、その下にガマ沼が見えた。

木道が雲の中に伸びていく

現れた池塘

池塘の説明書き

幻想的な風景

少し晴れてきて、八幡平頂上らしいものが見えて来る

陵雲荘という山小屋

ガマ沼がひっそりと横たわる

ガマ沼に着くとだいぶ霧が晴れてきた。どうやら雲を抜け出たようだ。ガマ沼の小高い縁は広い展望台になっていてベンチなどが置かれているが、今日は連休前の金曜日でしかも小雨混じりの天気のため人は少ない。

 

それでもこれまでの道ではほとんど人と会わなかったので、人が大勢がいるように感じた。この展望台からひと登りするとさらに高い場所から沼が見下ろせる。

 

そこから左に下っていくとバスの発着所になり、右手に行くと八幡平頂上だ。八幡平頂上に続く道は石畳の広い道で登山という感じではなく遊歩道という感じである。

 

そして数分も歩くと目の前に八幡平と書かれた大きな柱と展望台が見えて来る。

征服というものとは全く異なった八幡平登頂。ただ、ゴールに着いたという思いだけがあった。

 

八幡平頂上

www.hachimantai.or.jp

 

最後に

八幡平頂上からは20分ほどで頂上バス停に到着する。バスの出発は14時55分なので35分ほど余裕があった。雨は上がっていたがちょっと冷え込んできたため、買ったばかりの化繊のミドルウェアを着る。そして暖かい缶コーヒーを飲んだ(缶は持ち帰り)。

 

バスが走り始めると、一瞬雲が切れて南側の裾野が見えた。

岩手山と秋の空

バスが下っていくと空は少し明るくなり、岩手山が見えた。「ああ、いい山だな」。夏に登った時のことを思い出す。

 

八幡平は紅葉の盛りまでは後少しという感じだった。今回はずっと雲の中にばかりいたために八幡平の大きさを感じることはできなかったのが残念だった。

 

しかしながら、盛岡の街は美しく、そして昔の建物を大事に今も使い続けている人たちがいた。こうした自然な景観はとても感じが良い。そして盛岡名物も味わうことができ、酒屋の角打ちにも行けた。また、遊びに来たいと思った。

じゃじゃ麺(ともかく混ぜる)

ひっつみ(四角いすいとん)

冷麺(ピリ辛あっさり)

角打ちの酒屋(翌朝の風景)

街の水場

夕暮れの仙北町

 

では、このへんで

 

 

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つるつるすべる岩に苦労する 【早池峰山】

紅葉の東北盛岡へ夜行バスで向かう。

今年の初夏に続いて2度目の盛岡。

前回は岩手山に登った。その岩手山は火山活動の活発化で登山できなくなっている。

先に登っておいて良かった。

今回は、日本交流分析協会の全国年次大会の出席に合わせての登山。

目指すは早池峰山、そして八幡平。

 

盛岡

10月9日、高速夜行バスがバスタ新宿を23時20分に出発する。

翌10日午前5時50分頃盛岡に到着。予定より20分遅れだった。朝食は、もう恒例となった牛丼屋の朝定食。それから盛岡駅の待合室で電車が来るまで休憩。

 

今回の盛岡でも隣駅の仙北町でレンタカーを借りる。ここは朝7時から開いていてとてもありがたい。今回は日産ノートを借りた。

 

ネットで予約する時に車の色が赤となっていて、派手すぎるかと思ったが実際は濃い赤、どちらかと言うとえんじ色で、昔乗っていたシトロエンBXを思い出すような色でなかなかよかった。

 

ナビに行き先をセットする。これがいつも手間取る。車のナビは登山口をなかなか示してくれないのだ。いろいろやった結果、手前の山荘が出てきたのでそこに行き先を設定した。

 

レンタカーに乗る楽しみは、さまざまなメーカーの車に乗れることだ。いろいろな乗り味が味わえる。今回日産を選んだのは、これまで乗ったことがなかったからだ。

 

エンジンをかけるボタンはハンドルの左側にあった。大抵は右側である。シートは少し沈み込む感じ。8万キロを走行しているので少しヘタリ気味なのかもしれない。走り出しは少しおっとりとした感じ。キビキビ過ぎず、おっとりしすぎない普通の感じ。よく言えばなめらかな感じだ。

 

ぼくが気に入ったのは、信号で停止する際に早めにエンジンが停止しない点である。ちゃんと低速で停止線のところまで行ってくれる。そしてエンジンが止まることに気がつかないくらい静かで、始動する時も振動が少ない点である。ただ、走行時エンジン音が静かと言うわけではない。走行中はしっかりエンジンの唸る音が聞こえた。

 

盛岡から花巻方面に南下していく。道の駅紫波(しわ)でトイレ休憩、その後山道に入っていく。すると、この車は俄然力を発揮し出した。馬力がありトルクもあってドライブに入れたままで楽に走れるのである。

 

さらにカーブが連続するときにバケットシートであることに気がついた。走りやすい。静粛性など高級感には欠けるが、日常使いの車としてはとても良い車だと思った。

 

 

早池峰山登山口

小田越登山口

さて、車の乗り味を試しているうちに道はどんどん狭くなって山の中に入って行った。

ナビに入れた山荘を通り過ぎ、いくつかの滝を見ながら進んでいくと、河原坊駐車場が見えてきた。

 

今回登るのは小田越コースで、登山口の小田越には駐車場がないため、河原坊から舗装された道を歩いていくのである。

 

すっかり秋めいた森の中をゆっくり登っていく。あいにく天気は曇り。途中、ときどき日がさして、晴れるかと期待をしたがやはり予報通りである。予報では降水確率も高い。

 

9時40分。いよいよ登山を開始する。舗装道から左手の小道に入っていく。すると現れるのが木道で少し手の込んだ滑り止めが施されていた。木道は二列になっていたが、木道自体の幅が狭いので、すれ違いには気を遣った。

登山口の木道

この時間時もう下山してくるということは、まだ暗いうちから登り始めたのだろう。ここにくるまでに数多くの登山者とすれ違っている。

 

そして、ぼくが今登っている時間に登るひとは誰もいない。

 

登山道の赤や黄色の紅葉の濡れた落ち葉が心を癒してくれる。ただ、樹上では風がごうごうという音をたてていた。登るにつれて霧が出てやがて雨になる。木々の高さが低くなってくるとその揺れが大きくなってきた。するとパッと目の前が開けてあっという間に森林限界を越えた。

 

森林限界を越えると岩だらけ

振り向くと雲が切れて谷間が見渡せた。木々が無くなったため、直接雨が当たる。レインウェアを着る。そして、そこから長くて急なガレ場が続いていく。風にあおられてバランスが崩れる。

 

頑張っていると、下山する人とぽつぽつとすれ違う。ソロ登山者ばかりだ。なんだかもの寂しい風景である。

 

足元は雨で濡れた岩がつるつると滑る。よく見るとさまざまな種類の岩が混じり合っている。とくに茶色っぽい岩が滑るようだ。今日履いているメレルのカメレオンエイトは全くグリップが効かない。岩に手を添えながら慎重に登る。下りでは気をつけなければならないと思う。

霧が晴れて谷間が見渡せた

森林限界を越えた

やがて、前方の霧の中にカラフルなザックカバーやレインウェアの集団が見えた。7、8人くらいはいるだろう。それが間近に迫る。こちらのスピードは一定なので、前方の集団は相当遅いペースということだ。

 

あまり急かしてはいけないという思いと、自分のペースで歩きたいという思いが交錯する。それに落石を受けては困るという思いもあった。そこで少し間隔を空けて後をついていく。

 

先頭は女性、最後尾とその前は男性だ。男性二人はこちらの存在には気づいているようだった。しかし、そのまま歩き続けている。30分くらい経ったころだろうか、「先へ行きますか?」と声をかけられた。ぼくは「いいんですか」とすこし皮肉っぽく言ったが、相手は気づいてはいないようだった。

 

そして、前方に声をかけてくれるのかと思ったら、何も言ってくれない。困っていると、その前の男性が少し前の女性に声をかけた。それを聞いた女性が先頭の女性に向かって叫んでくれた。

 

「道を開けてくださーい」

それでようやく追い越すことができた。やれやれ。

急斜面と前方の集団

 

そこはちょうど傾斜が急な場所で、その後少しなだらかになり、再び急傾斜となる。鎖場あり、梯子ありである。濡れているので慎重に登る。やがて稜線に出た。

 

稜線は吹さらしなのかと思いきや、ハイマツが生い茂っていて多少風を防いでくれていた。稜線を伝って数百メートル進むと早池峰山山頂である。そこまで登り始めのように木道が案内してくれた。

角の尖った岩場が続く

2段になっている梯子

稜線上の木道

 

11時46分、山頂に到達。ここは岩場で風雨が激しく、記念写真を撮るのに苦労する。

 

ここが早池峰山神社?

山頂の劔

避難小屋に退避

山頂で写真を撮り終えるとひとつ大きな岩を降りたところにある避難小屋に退避した。

小屋は最近建てたものらしかった。中に入ると土間を囲むように板の間が作られており、柱と柱の間が一人分のスペースという感じだった。ちゃんと数えたわけではないが、荷物を棚に上げると20人くらいは泊まれそうだ。

 

レインウェアの水滴を払ってから板の間に腰掛ける。ここで昼食だ。平塚から持参したパンを食べていると、小屋の扉が開いて一人の男性が入ってきた。途中で追い越した団体はまだ登ってきているはずはない。とすると、おそらく後から登ってきた人だ。かなり早い。

 

昼食を食べ終え、「お先に」といって下り始めたが、あっという間に追い抜かれた。そしてその姿がだんだんと小さくなるのを見送った。

 

下り始めは雨は止んでいたが、またすぐに降り始め、下るとともに小雨になっていった。慎重に下っていたが、やはり2度ほど滑って尻餅をつく。転ばなかったものを含めると、つるっといったのは10数回もあった。

ミヤマキンバイ

午後2時5分前、小田越登山口まで降りてくる。再び舗装路を駐車場に向かって歩いていった。

 

 

最後に

今回の早池峰山は岩場が多いこと、そして次に登る八幡平は木道が多いことを想定してストックは一本だけにした。荷物を軽くするという意味もあった。

 

そして、ストックを使ったのは登る時だけで、それも樹林帯の中だけだった。あとは折り畳んで手に持っていた。

 

河原坊にはビジターセンターがある。下山後そこに立ち寄ると、山頂の小屋で一緒だった人がいた。職員の方から近隣の情報を聞き出していた。ぼくは館内を見て回る。すると岩石の標本があった。やはり数種類が混ざっていた。となりの模型も早池峰山全体の地形を理解するにはよくできたものだと思った。

 

では、このへんで

岩石の標本

早池峰山の模型



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変化に富んで楽しい山 【妙高山・火打山】その2

妙高山に登って高谷池のテント場に到着。

池のほとりで日暮まで至福の時間を過ごす。

山頂では、残念ながらガスで景色は見られなかったが時々日が差した。

明日はどうやら晴れそうだ。

早朝に出発するので早めに就寝する。

 

高谷池ヒュッテテント場

夕暮れのテント場

高谷池ヒュッテテント場は水場の向こう側にある。

この水場は飲料に適さないとのこと。

テント場はあまり大きくないため、20張り程度しか張れそうにないが、そのためもあるのか予約制なので逆に安心である。

ただし、早いもの順で良い場所がなくなっていく。ぼくはぎりぎり平なところに張ることができたが、後から来た二人連れは傾斜もあり砂利も多い場所に張っていた。

 

その後から来た二人連れのひとりがぼくに言った。

「ツェルトですか、玄人ぽくていいですね。ぼくもツェルトにしてみようかと思いましたが、ちょっとまだその勇気がなくて。風は大丈夫なんですか」

ぼくは北海道の経験があったので、

「ちゃんと張れば結構風にも耐えられますよ。ただ、岩にロープを結ぶときは、岩が回転するのでその点を気をつける必要がありますが。どうぞ、ぜひ挑戦してみてください」

そう言うと、今度やってみると言っていた。

 

ペグの位置を直したり、張りを調整したりして落ち着いたのが4時頃。夕食の前にちょっと一杯ということで、ヒュッテに行き日本酒を注文した。日本酒は3種類あり、そのうちの純米酒千代の光を選んだ。料金は1合で800円。徳利でアルミのお盆に載せてお猪口とともに渡してくれる。

商品 | 千代の光酒造

 

旨口でいい味だった。つまみは食べる煮干し

なお、これだけでは物足りず、持参のウイスキーも味わった。

 

 

御来光

スマホの目覚ましは午前3時にセット。5時出発の予定である。

目覚ましが鳴ると、すでに周りではごそごそと出発準備の音がする。皆も暗いうちに出発するようだ。

 

火打山へはツェルトや寝袋を残して出かける計画である。だからいつもより余裕がある。といってもいつも予定時刻よりも遅くなることがほとんではあるが。そうやってのんびり支度をしていると、周りが静かになっている。時計を見ると午前4時。皆出発したようだ。ずいぶんと早い。

 

ぼくは朝食を食べ、トイレも済ませて5時ちょうどに出発した。今回は計画通りにできたので内心ほくそ笑んでいた。

 

ライトがないと歩けないくらいの道はおそらく初めてだろう。霜がついているのか、植物の葉が白く光っている。

木道脇の植物の葉が光る

しかし、はじめは木道なので安心だ。ぼくのほかに登山者の姿は見えなかった。皆はとうの昔に出発しているせいだ。高谷池の木道から離れ、少し登ると天狗の庭といわれる湿地帯に出た。そこから見えるあのなだらかな姿の山が火打山だろうと見当がついた。その火打山が天狗の庭の池に映っている。美しい光景だった。

天狗の庭からの火打山

この天狗の庭の淵を回り少しずつ上に登っていく。ここまでずっと木道がつけられている。そしてこの辺りまで来るともうだいぶ明るくなっていた。そしてこのルートで一番の急坂が目の前になった。

 

この坂の途中に二人の登山者の姿があった。ぼくはその少し下で休憩し、後ろを振り返った。すると地平線がオレンジ色に輝いている。もうすぐ日の出の時刻だ。そしてこの時に初めて気がついた。皆4時前に出発して行ったのは、山頂で御来光を見るためなのだ。ぼくはまったくそんなことは考えていなかった。

 

そして5時40分頃、太陽が登り始めた。山腹からでも御来光を眺めるとなんだか心が洗われるような独特な心境になる。ぼくは思わず手を合せた。

 

御来光。右手のコブのような山は妙高山

白馬から五竜にかけての稜線がみえる

最近登った高妻山。そして隣に乙妻山

妙高山と天狗の庭

 

しばし朝日に照らされた光景にうっとりする。そして日が当たると途端に暑くなった。今日はタイツは履かずカーフサポーターとニッカーボッカーにして正解。着ていたレインウェアもザックにしまい、ふたたび急坂を登り始める。

 

急登を終えるとなだらかになって平な場所に出る。そこが雷鳥平である。このあたりから、御来光を見に登った人たちが続々と下山してきてすれ違った。随分とたくさんの人がまだ暗い中を登っていたということがわかる。

急登のあと

雷鳥平

山頂はもうすぐ

そして山頂を最後に降りてきたらしき人から、

「こんにちは。いまなら貸切ですよ」と声をかけられた。

 

6時33分。火打山に登頂。言われた通り山頂には誰もいなかった。自撮り棒で記念写真を撮ろうとするが、朝日が眩しくて画面が見えない。感で撮影するがなかなかうまくいかない。何度も撮り直してようやく全体が入っている写真が撮れた。

山頂に到着

おや、日本海だ。街は糸魚川市かな。

もう一度、白馬の稜線

火打山頂からの妙高山と天狗の庭

 

テント場の退出時間

山頂の眺めを楽しんで、6時50分に下山を開始する。テント場の退出は8時となっているため、いそいで下山しなければならない。

だが、ほとんどが木道の下りなのですごく楽だ。天狗の庭まで40分もかからなかった。

もういちど天狗の庭の逆さ火打

7時45分、無事に高谷池のテント場に戻ってきた。先に登ってきた人たちはテントを乾かしていた。さて、ぼくもいそいで撤収だ。

 

時間は8時を少し回ってしまっていたが、30分くらいは問題ないと言われている。下山する前にザック置き場にザックとストックを置いてトイレにいく。

 

ザック置き場は、身軽になって火打山に登るために設置してくれているのだろう。ぼくもアタックザックを持ってくれば良かったと、気が回らなかったことにちょっぴり後悔した。昨日の妙高山の時も黒沢池ヒュッテにザックをデポしておけばもっと楽に登って来れただろう。それに剱岳の時にせっかくアタックザックを買ったのだから。

 

ともかく後悔をしても始まらない。急いで下山だ。昼前に下山できれば温泉に入ろう。入域料を払った証の雷鳥の札を見せれば市営の温泉が割引されて250円で入れるというのだ。

 

 

いよいよ下山

温泉のことばかり考えて8時35分高谷池ヒュッテを後にする。30分ほど下ったあたりで何かおかしいことに気がついた。あれ、ストックがない。しまった、ストックを忘れてきてしまった。ツェルトを立てるのに使っていたため、火打山に登る時はストックを使っていなかったのが気づくのが遅れた原因だろう。しかしまだ30分しか歩いていない。戻ろう。

 

こうして再び高谷池ヒュッテを再出発したのが9時40分。黒沢出合まで下ったときは11時半になっていた。そしてここでエネルギー切れ。沢の水を汲み、浄水してお湯を沸かす。ここで昼食だ。もう温泉はあきらめた。ともかく1食分余計に食料を持ってきていて助かった。

 

1時間ほどここで休憩し、笹ヶ峰に戻ってきたのはちょうど午後1時になっていた。さて、ここからまた10時間近くかけて帰らなければならない。気を引き締めてバイクに跨った。

 

 

最後に

今回の新しい試みに入れなかったが、化繊のジャケットはとても使い勝手が良かった。濡れても保温力が落ちないし、汚れても洗濯機で洗える。ダウンは行動着として着るには汗をかかないような場面でしか着れない。だから、両方あるとすごくいい。

 

また、今回ベアフットシューズで長時間歩いた。感想としては踵のある靴よりも疲れる。だから、足の筋肉を鍛えようと思うならベアフットシューズを履き、足に楽をさせたいときは踵のあるシューズを履くのがいい。

 

ザックのウエストベルトについては、モンベルのお店で要望を伝えておいた。ウエストが細い人のために、ベルトの長さをもう少し短くしてもらいたいということ、あるいは後付けのパットを作ってもらいたいことである。ネットで検索したら、同じ悩みを持っている人がいることがわかった。タオルを巻いたり自作のパッドをつけたりと工夫しているようだ。それに、ウエストベルトを短くすると大きなポケットはつけられないことになる。ウエストが細いとそれなりに不便なのである。

 

ギアのことが多くなってしまったが、最初に書いたとおり、急坂あり、岩場あり、湿原ありとまるでディズニーランドのように色々楽しめる山であった。百名山を完登したあともう一度登りたいと思った山だった。そして、まだ登ったことのない人にお勧めしたい山でもあった。

 

では、このへんで



 

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変化に富んで楽しい山 【妙高山・火打山】その1

黒沢池ヒュッテ

整備された木道あり、岩だらけの急坂あり、平坦な湿原あり、ワイルドな登山道あり、ハイキングコースのような登山道あり、そして絶景あり。

今回登った妙高山、火打山へのルートはそんな変化に富んだ楽しいところであった。

鎖場も随所にあって慎重に歩かねばならないところもあり、それが気を引き締めてくれる。

そして急坂も多いので体力が必要になるが、少し歩き慣れた方には是非歩いてほしいと思えた山だった。

天気と計画

2024年9月29日午前6時37分、家をスーパーカブに乗って出発。途中細かい雨もあったが、概ね曇りの天気だった。

8月下旬の台風以来、9月はほとんど雨だった。前回の剱岳も登頂を予定していた日は大雨だった。翌日は雨が上がってくれて登頂できたのは幸運だった。

さて、まだ登っていない百名山でお天気の予報の山はないかと探す。どこも雨マークがついている。そんな中、唯一お日様マークがついていたのが、妙高山だった。

妙高山のすぐ隣には火打山があり、ここも百名山のひとつ。1回の登山で2座登ることができる。

 

しかし、晴れマークが付いているのは10月1日と2日。スーパーカブで走っていくと、登山口までおよそ10時間くらいかかる。だから麓で1泊、山の上で1泊の2泊3日の旅になる。だから9月30日に出発するとちょうど良いのだが、あいにく3日は参加しているパソコンボランティアで講師をやる予定が入っていた。2日の帰宅が0時近くとなっては翌朝の講座に支障が生じる。

 

そこで1日早めて29日の日曜に出発としたのである。それが吉と出るか凶とでるか。なお、第二の職場は8月末で退職したので、ボランティアの活動日以外はフリーとなった。

 

碓氷峠のバイパス手前でかなり冷え込んだので、買ったばかりの化繊のパーカー(モンベル EXサーマラップパーカー)をレインウェア(モンベル ストームクルーザー)

の下に着込んだ。峠は霧で見通しが悪かった。

(出典:モンベル | オンラインショップ | EXライト サーマラップ パーカ Men's

 

午後4時20分、笹ヶ峰キャンプ場に到着。日曜日だからか、キャンプ場は先客が1人テント張っているだけだった。それにこのキャンプ場も9月末で営業が終了となる。結局その後も誰もやって来ず、広いキャンプ場にテントが2張りだけで日が暮れた。夜中の3時頃、トイレに行くために外に出たら満天の星だった。今日は晴れかと期待が膨らむ。

 

 

新しい試み

表は意外と暖かかった。今回試した銀ロールマットは暑い位だった。

今回は五つの新しい試みがあった。

一つ目は、この銀ロールマット。昔使っていたもので横幅50センチ、長さ180センチ、厚さは0.8センチ。これだけだとちょっと心許ないので、古くなった0.2センチ厚の銀マットを二つ折りして背中部分に当てがった。この方法はなかなか快適で、翌日は2度くらいまで気温が下がったが、まったく底冷えはなかった。

 

二つ目は、今回はツェルト泊としたのだが、この中にインナーポールを入れて居住空間を広くした。ファイトラックのツェルト用ポールは市販されていないため、自作するか他者メーカーのものを流用するしかない。ぼくはモンベルのツェルト用のインナーポールを購入してみた。近くの河原で試し張りをしたところ少し長すぎた。

 

ちゃんと長さを測って短くしたたつもりだったが、装着してみると2センチくらい短かった。切ったのは両端のポールで、先っちょをたしか3.5センチずつ切断した。ただ、若干短めではあるが、役目はしっかり果たしてくれた。

 

このインナーポールを装着すると、高さは若干低くなるが、横幅がぐっと広がって居住空間が広くなる。

 

3番目はシューズである。先日買った足袋型シューズは非防水のため、雨に降られると足が濡れてしまうのである。寒くなって来たのでこれでは困る。

そこで新たに導入したのが防水、ミドルカットのベアフットシューズである。そしてバイクに乗るにも防水であった方が良いし、ミッドカットはくるぶしを保護してくれる。

 

なお、小石などが入らないように中華製スパッツをアマゾンで購入して装着した。

 

そして4番目はブーツ・ケースである。ケースといっても巾着袋のようなもの。これはツェルト内に靴を入れるために導入した。レジ袋でも代用できるのだが、専用のものを使うと気持ちが上がる。

 

靴は外に出しておくと動物に持って行かれる可能性があるため、全室のないツェルトでは中に入れておく必要があるのだ。

(出典:モンベル | オンラインショップ | ブーツケース

 

最後はザックである。店頭に出向いて、一般に良いと言われているザック(グレゴリーやミステリーランチ、オスプレイ)を背負ってみたが、なかなかしっくりとくるものが見つからなかった。

 

現在まで使って来たカリマーのザックは35Lで、荷物を圧縮すれば3泊4日のツェルト泊までならなんとか収まる。しかし、背面長が若干短いので腰と肩とに荷重を分散することが難しい。それに12、3キロを担ぐと、ショルダーベルトの耐久性が心配でもある。そこでこの重量に耐えられる40〜45Lのザックを探したのである。

 

そうしてなんとか背中にぴったりなザックをモンベルショップで見つけ、今回これを使ってみた。

モンベル・キトラパック40

このキトラパック40をシンプルにしたアルパインパック40というものがあり、本当はこちらを狙ってお店に出向いたのだが、背負ってみると残念ながら背中にフィットしなかった。キトラパックはすこし機能が多過ぎる感じがして、もう少しシンプルでもよかったように思う。

 

ただ、一つ問題なのが、ウエストベルトのサイズである。ぼくはウエストサイズが小さいため、目一杯締め込んでもまだ少し余裕ができてしまうのである。とくに暑い時期は薄着となるため尚更である。

 

今回背負ってみて、やはりウエストの締めが甘いので肩に比重がかかってしまい、肩が痛くなってしまった。ウエストベルトに咬ませるパッドを工夫する必要がありそうだ。

 

 

いざ、出発

登山口のゲート

さて、トイレから戻り、1時間ほどまどろむ。ツェルトの結露を拭いてから朝食。そして撤収。日の出の時刻が5時40分頃なので、5時頃出発しようと考えていたが、いつの間にか時間が過ぎて6時に駐車場を出発した。気温は12度。サーマラップパーカーを着たまま歩き始めて、約30分ほど歩いたところで暑くなってパーカーを脱ぐ。

入域料を支払って雷鳥の札をもらう(5百円がなかったので千円を箱に入れる)

登山道は、初めはずっと木道。これが階段ではなく、進行方向に縦に板が貼られていて、はしごのようにゴムの滑り止めが等間隔でつけられていた。これは結構歩きやすい。その木道が黒沢出合まで続いていた。ここは水場となっているが、とくに湧き水が出ているわけではなかった。沢の水を汲めということだろう。

木道が続く

黒沢出合からは木道が消えて急登になる。すぐに十二曲りが始まる。カーブのところに12分のいくつと、何個目のカーブを曲がったかわかるように札が立っていた。12個、たいしたことはない。いつも行く丹沢は九十九曲りだ。

十二曲り

だが、十二曲りのあとの方が大変だった。もう崖のようなところをよじ登るのである。こうして難所を過ぎるとまたなだらかになって角の丸い大きな岩が続いている道に変わる。ここは意外と歩きやすかった。この変化に富み、よく整備された道は歩いていて楽しかった。

富士見平に到着する。ここは高谷池(こうやいけ)と黒沢池との分岐点で、左に行くと高谷池、右に行けば黒沢池である。ぼくは最初に妙高山に登ることにしていたので右の道をいく。

 

ここは黒沢岳の中腹をトラバースしていくため高度差はあまりない。樹林帯の中を進んでいくと、目の前に黒沢池の湿原が現れた。素晴らしい。そしてここにももちろん木道がつけられていて、新しいものは昨年作られたものだった。ここの木道では梯子のような滑り止めも木で作られていた。この滑り止めもありがたい。

 

木道の左側に見える山は黒沢岳、右に見えているのは三田原山だろう。妙高山の姿は見えない。

黒沢岳をパノラマで撮ってみた

 

ウェアについて

今回選んだウェアは、ポリプロピレンのロイヤルロビンズの長袖アンダーシャツ、その上にメリノウールとポリエステル混紡のTシャツ。そして歩き始めに来ていたのはEXサーマラップパーカー。今回上半身はこれで正解だったと思う。

 

下はモンベル・メリノウールアンダーパンツとその上に靴下屋さんの作ったランテージというサポートタイツ。さらにその上にモンベルの自転車用のニッカボッカ。

ただ、タイツは失敗だった。暑い。タイツは途中で脱げないのが困る。やはりいつものカーフサポーターにすればよかった。もっと寒そうならレッグカバーという手もある。

 

いずれにしても脚絆のようなものは脛の保護のためにもあったほうが良い。ともかくタイツは暑くなっても途中で脱げないのでだめだ。

 

 

黒沢池ヒュッテから妙高山を目指す

黒沢池ヒュッテ

9時5分、黒沢池ヒュッテ着。ここでしばし休憩し、9時20分出発。外輪山? の大倉乗越を9時45分に越える。急坂を登ってここを越えたが、その先も急坂の下り。そのあと中腹をトラバースするが、左側は崖下で、草で見えないが踏み抜いたら滑落は必至だ。高度差がないからと言って油断はできない。

 

このルートは歩く人が少ないのだろうか、これまでの整備された登山道とは違って荒れている。

大倉乗越

滑落しないよう慎重に進む

10時20分頃、長助池方面と山頂に向かう道との分岐の少し前でエネルギーが枯渇したため、小さな沢の流れる音を聞きながら昼食とする。25分の休憩。

 

そこから雨が降ったら沢となりそうな岩だらけの道を登っていく。すると、だんだん傾斜がきつくなっていく。これが妙高山山頂付近の稜線に出るまで続く。辛抱のしどころだ。

沢のような登山道


そして12時ちょうど、妙高山北峰着。それから南に少し歩いて南峰にも登頂。北峰は2445.8メートル。南峰は2454メートルで山頂標識には妙高大神となっていた。

北峰直下の洞穴の祠

南峰の標識

 




右手に北峰がみえる

 

12時35分下山を開始する。ときどき日が差すが景色は見えない。

見えそうで見えない景色

午後2時10分、黒池ヒュッテ着。休憩せずにそのまま高谷池ヒュッテに向かう。途中で朝に一緒だったぼくより少し若いくらいの夫婦連れとすれ違う。彼らは火打山に登ってきたところで、これから黒沢池ヒュッテに宿泊して明日、妙高山に登る計画とのこと。ぼくと反対のコースだ。

 

黒沢池ヒュッテから高谷池ヒュッテの中間には茶臼山があり、ここを越えて行かなければならない。疲れた体にとってこの茶臼山を登るのは堪えた。午後3時、ようやく高谷池ヒュッテに到着。

 

ここのテント場は事前予約が必要で、WEBで予約した際にダウンロードして記入して来た宿泊名簿を提出する。料金は事前にモンベルを通して支払い済みのため、あっという間に受付完了。

 

つづく

 

 

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念願の劔へ。ところが雷、突風、どしゃ降り!【剱岳】その2

登山2日目は一日中雨。それも大雨と突風と雷。

よってトイレ以外はずっとテントの中。

ひたすら横になって休養。

明日は最終日、なんとか剱岳には登りたい。

お願いだ。雨よ止んでくれ!

 

3日目の計画

ともかく15日は一日中雨。何もすることがないので休養に心がける。

スリーピングマットは40年以上前に買ったロールマット。厚さは1センチのはずだけど、家に帰ってから測ってみると0.8センチだった。テントを張るときにできるだけ出っ張った石は取り除いたのがが、それでもやはりところどころに出っ張りがあってそれが背中を突き上げる。

 

ひさかたぶりに使ったロールマット。一日中寝ていて思ったのは、上向きに寝てじっとしている時は問題ないが、横を向くとさすがに腰がきつい。そして少しズレると上向きでも石の出っ張りが背中に当たった。

 

したがって、たまに横向きにはなるがほとんど上向きで寝ることになった。それでも不思議なもので数時間は爆睡できた。それに雨や風にはためくテントの音さえだんだん気にならなくなっていた。

 

そんな中で食事以外に仕事らしいことをしたのは3日目の計画変更だった。当初の予定では4時起床。6時にテントを撤収して立山三山を縦走し、浄土山にも登って室堂に戻ることにしていた。帰りも夜行バスを予約していて、出発は0時20分なので時間には余裕があった。

 

この雨が上がった場合のことを考えて計画を立て直してみる。剱岳に登って室堂に引き返すには、標準コースタイムのとおりに歩いたとすると、5時に出発しても16時20分の最終バスに間に合わないことがわかった。まずい。

 

最終バスの時刻から逆算すると、12時半にはテントを撤収してこの劔沢を出発しなければならない。だが、日の出時刻は5時半頃。目が悪いのであまり暗い道は歩きたくはない。だから5時出発はぎりぎりのところ。すると削れるのは昼食の時間だ。これは小休止のたびに少しずつ口に入れていけばなんとかなりそうだ。

 

だが、それでもまだ少し間に合わない。

 

そこで地図を見てみると、劔沢を通らずに剣山荘から劔御前小屋に向かうルートを通れば少し時間が短縮できることがわかる。それで、出発前にテントを撤収し、剣山荘の近くにザックをデポし、そこからアタックザックで剱岳を往復することを思いついた。これなら間に合う。

 

ちなみにアタックザックを使うことは初めから考えていて、そのために今回それを購入してきた。欲しかったのはモンベルのバーサライト15というやつで、これはなんと93グラムしかない。だがオンラインショプでは売り切れだったため、代わりのものを探す。そこで見つけたのがネイチャーハイクの18リットルのバックで重さは110グラム。

webshop.montbell.jp


これはこれで良かったのだが、あとからちょっと使い勝手の良さそうなものを見つけた。それはアライテントのザックで、こちらは20リットルで190グラム。デザインもこっちがよかったなあ。


ちょっと話がそれてしまったが、重たい荷物を背負って難関のカニのたてばいやよこばいを通るのは危険なので、アタックザックを使うことを考えたのだった。

 

 

夜が明けて

3日目、午前3時に起床する。やはりまだ雨が降っていた。だが、天気予報では5時頃から雨が上がり昼過ぎからは再び雨だという。よし、これならなんとかなるかもしれない。

 

ともかく食事をし、身支度を整える。だが、テントを撤収し終えるとすでに5時20分になっていた。まだ雨は降り続いていたが急いで出発する。

 

6時少し前、剣山荘が見えて来た。雨は小降りになってきた。

剣山荘はもう目の前

6時頃、剣山荘の表の邪魔にならない場所にザックをデポさせてもらう。中からアタックザックを取り出して急いで出発。必要なものはすでに入れておいた。雨はもうほとんど止んでいる。

 

身軽になって小屋の裏側から剱岳に向かって登っていく。ここは前に登ったことがあるはずだがと思ったが全く記憶がなかった。それもそのはず、帰ってから当時の記録をみると、劔御前小屋から劔御前を通って一服劔に向かうルートを通っていた。

 

荷物も軽くなって軽い足取りで登っていくと、後ろから足音がする。登り始めた時には誰も見かけなかったので、相当早い。広い場所で道を譲る。なるほど、若い。そしてこちらは上下雨合羽を着ていたが、その若者はTシャツに短パンという出立ちだ。

 

その後、岩場の鎖場の近くで見かけたが、そのあとはとっとと先へ行ってしまった。

 

そうして歩いていたら、ラッキーなことに目の前に雷鳥が3羽。結構近づいても逃げていかない。ただ、ぼくのスマホでは広角しか写せないので、光学式ではないズーム機能で写してみた。

 

姿はまだ夏羽である。これって岩場にいると本当に目立たないなあと思う。動いていたからわかったものの、じっとしていたら気が付かなかったかもしれない。

 

 

岩場の連続

雷鳥を見た後、いよいよナンバー付きの鎖場が始まる。そして気持ちが引き締まる。

 

ナンバー2を過ぎて、そのあとに一服劔に到達。40年前に来た場所だ。標柱は倒れて文字もよく読めなかった。

 

一服劔からの眺めはガスがかかっていたが、それでも向こうが透けて見えて来た。

 

このあと前劔に向かって未踏の世界に踏み出していく。

おやっ、なんだか青空が見えて来たぞ。天気予報通りだ。いや、少し時間が遅れて雨が上がったが、それよりもこんな青空になるなんて超ラッキー。

 

振り返ってみると素晴らしい景色がそこにあった。

雲が切れてくる

おやおや、どんどん雲がなくなっていく

そして素晴らしい雲海

小さく見える雪渓の上に劔御前小屋がある

雲が躍動している

剱岳は目の前に

 

念願の剱岳に登頂

こうして何度も振り返りながら当面の目標の前剱に登頂。時刻は7時3分。予定では7時20分なので、遅れた時間はすでに取り戻した。この調子で進めばなんとか最終バスには間に合うだろうと一安心する。

 

そしてここで雨合羽を脱いだ、ように思う。身軽になっていよいよ目の前に壁のように聳えている剱岳にむかって歩き出す。

 

そして現れた一本橋とそれにつづく鎖場。多くの登山系ユーチューバーたちがここを紹介してくれている。動画で見ると本当に怖そうだ。

剱の名所

一本橋でふらつかないように、事前に何度か丹沢の同じようなところを通って練習して来た。さて、いざ本番だ。谷の下を見ないようにして集中して早くもなく遅くもなく歩いていく。集中していたせいかそれほど怖くはなかった。

 

そして、すぐに岩場のトラバース。ともかく鎖を絶対に離さないようにして歩いていく。動画で見たよりもちゃんと足を置く場所があったのでここも思ったより怖くはなかった。だが、油断は禁物である。

 

ここを通り過ぎると下りの鎖場が現れる。

 

そこを下ると左へ回り込んだ。そして目の前に剱岳とその肩に雲海が広がっているのが見えた。

 

このあとは鎖場の連続である。目の前を行く夫婦連れらしき二人はしっかりビレイをしながら登っていてだいぶ待たされた。鎖場ではこうしたことがあるので時間には余裕を持って計画する必要があると反省する。

 

平蔵の頭を越えると登りルートと下りルートとに分かれる。

 

そして登りルートには最大の難関、カニのたてばいが待っている。

トラバース

ちょっと平坦な道

ここがカニのたてばい

幸いカニのたてばいでは渋滞しておらず、後続者もいなかったので、慌てることもなく慎重に一歩一歩登って行った。手をかけるところ、足を乗せるところを慎重に選んでバランスを崩さないように気をつけた。

 

こうして集中していたらいつの間にか難所を通過していた。頂上まではもうあとわずかである。

 

そして8時23分。とうとう念願の剱岳に登頂した。山頂にはたくさんの人が休んでいた。山標の前では若い中国人のパーティが代わりばんこに写真を撮っていてしばらく空きそうになかった。しかたなく空くまで近くで待つことにした。

 

そうしてどうにか静かになったあとに急いで写真を撮った。しかし、じっくり構えている暇がなく、後から見たらブレていた。大勢いたのだから誰かに撮ってもらおうと思っていたが、あの中国人たちが騒いでいて頼めそうな人が近くにいなかったので自撮り棒を使った。

計画では9時までに山頂を出発することにしていた。幸い早く到着することができたので少しゆっくり休憩した。といっても20分ほどだが。それにしても、アタックザックは正解だった。荷物が軽いため標準コースタイムより早く歩くことができたのである。見れば多くの人が小さいザックで歩いて来ていた。やはり考えることは皆同じである。

 

下山は特に気をつけて

8時40分、山頂を後にする。アンラッキーなことにあの中国人たちも下山を始めてぼくの先を歩いて行った。後について歩いて行ったら彼らは早月尾根の方へ下っていく。あやうくついていきそうになった。

 

下りはほとんど渋滞で、それは鎖場でガイドツアーの人たちがガイドの指導を受けてセルフビレイをとりながら歩いていたからだった。バスの時間はあるが、少し早めに下山を始めたので多少はゆとりがあったため、いらいらせずに待つことができた。

 

いずれにしてもこんな場所で追い越すわけにはいかない。それに追い立てると登っている人が焦って滑落するかもしれない。だから、ここは静かに黙って見守る。遭難は下山中の方が多いということだ。

 

それからひとり不思議なひとを見かけた。

それは外国人の女性で東洋人ぽくも西洋人ぽくも見える40代くらいの人だった。

 

その女性は山頂直下でこちらが登っている時に下山をしていた。それがこちらが下山している時にまた見かけたのである。最初にすれ違ってからもうだいぶ時間が経っている。その女性は髭モジャの男性と話をしていた。その男性はどうやら剣山荘の人らしかった。男性はその外国人に下山ルートを教えていた。そしてぼくに向かって女性が剣山荘まで降りるので、ちゃんと降りられるように見ていてほしいといった。

 

いいですよ、と答えたが、その女性はさっさと歩いて行ってしまった。結構早い。こんなに早いのになぜいまこんなところにいるのだろう。おそらく道を間違えてしまったのだろうと察しがついた。

 

その女性はどういうわけかガイドツアーの人たちの先を歩いていた。どこかで追い越したのに違いない。山のマナーを知らないらしい。そんなことを考えながら順番待ちをし、ようやく岩場を越えようとしたその時、道を間違えたと言ってその女性が上りの鎖を伝ってきた。いったいどうやったら下りから上りに入れるのだろう。

 

上りから下りの方へ移ってくるように後ろにいたガイドが叫んだが、とうとうその女性はそのまま行ってしまった。したがってその後は姿を見ていない。ちゃんと降りられただろうか。その後遭難のニュースは流れていないので大丈夫だったと思う。

 

こうして10時40分、剣山荘に降りて来た。計画より1時間も早かった。

このあと剱沢は通らずに劔御前小屋に向かい、雷鳥沢へ来たときと同じ道を下って行った。

すっかり秋めいた剣山荘

チングルマもすっかり綿毛に

剱沢に見えるテントは2張りだけ

雷鳥平も秋めいて来た

雷鳥平野営場のテントもだいぶ少なくなった

みくりが池温泉までの登りがつらい

地獄谷

血の池

こうしてだいぶ早く下山することができたので、みくりが池温泉でひと風呂浴びていくことにした。浴場はレストランの中を突っ切っていく。ビールを美味しそうに飲んでいる人たちを見て、湯上がりにぼくも、そう思って出て来たところ、なんとレストランは2時で終了。さっきここを通過したのは2時少し前だ。しかし、ともかくさっぱりした。

表のテラスでのんびり休憩。残った行動食を食べながら水を飲む。こうしたゆったりとした時間をたっぷりと味わい、室堂ターミナルに向かった。

 

最後に

室堂ターミナルにいくと、雄山の山頂に建っていた社が建て替えられ、古い社がここに移築して展示されているという。腐った部材は新しいものに変えられていたが、立派な社がそこにあった。

 

以前雄山に登った時に見ているはずである。でもまあ覚えていない。

そこで当時に撮った写真を見てみたら、写っていた。

ああ、写真ってやっぱり記録だなあと一人得心している。f:id:Hakuto-MA:20210613013915j:plain



今回の旅を総括すると、大雨でもダブルウォールのアライテントは快適で、雨のため予定変更して立山縦走はできなかったが、剱岳に登るときは素晴らしい天気に恵まれてとても幸運だった。そして最後に温泉にも入ることができて最高の登山だった。

 

では、このへんで

 

 

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念願の劔へ。ところが雷、突風、どしゃ降り!【剱岳】その1

9月14日(土)から16日(月)まで2泊3日の予定で、コンパスアプリから登山届を提出した。

翌日、「富山県気象警報・注意報」というメールが届く。「【立山町】雷注意報(発表) 突風」というメッセージ。

そのあとも、時間をおいて13回、合計で14回の警報メールがきた。

ここは劔沢キャンプ場。

14日に見えていた剱岳は完全に雲の中。

お願いだ、晴れてくれ!

 

夜行バスで富山、そして室堂へ

バスの中から室堂ターミナルが見えた

9月13日、 バスタ新宿から夜行バスに乗り、翌朝富山駅に着いた。今回は立山の室堂から剱岳を目指し、帰りに立山を縦走して室堂に戻る計画である。

 

富山駅を7時11分発の富山地方鉄道に乗り、1時間15分ほどで立山駅に到着。ここから美女平まではケーブルカーを乗り継ぐ。その後は室堂までバスだ。ところがこのケーブルカーは事前に予約が必要だったようで、当日、チケット売り場に並ぶと次に予約が取れるのは10時40分とのこと。それに乗れるのはぼくが最後、危ないところだった。

 

仕方がないので駅前の木陰で時間を潰す。ちょうどこの土日に続けて句会があり、不在投句する句を考える時間ができた。

 

こうして予定より2時間ちょっと遅れて室堂に到着した。ここに来るのは3回目だがほとんど覚えていなかった。前に来たのは遥か40年近く前のこと。最初に来た時に立山を縦走している。

金沢に出張して山に登りたくなる 【立山三山登山その1】 - Hakuto-日記

金沢のおじさんと下山 【立山三山登山その2】 - Hakuto-日記

 

あの時は出張の帰りで、突然思いついて山小屋を予約した。今考えると無謀な登山だった。けれど思い出に残る登山でもあった。剣御前小屋で出会った方が早期退職をして和菓子屋の後を継ぐことにしたということだった。それで最後に剱岳を登りに来たと話していた。ぼくはちょうど写真学校に入りたてで一眼レフを持っていたので、その方の写真を撮って後から送らせてもらった。それは自分で現像し、心を込めて六切りに焼いた。

 

あの時は時間がなくて一服剱まで行って引き返した。そしていつかは剱岳に登るぞという想いを胸に抱き続けてきた。

 

 

劔沢でテントを張る

バスを降りたらまずは昼食

室堂で昼食をとり、今日の目的地、剱沢小屋のキャンプ場に向かう。みくりが池では道を間違えて室堂に戻る方へ行ってしまったり、剣御前小屋のある別山乗越に登る道も予定とは違う道で登ってしまった。なんだか少し頭が痛くて、そのせいで注意力が散漫になっていたのかも知れない。

 

雷鳥沢から別山乗越への急登は標準タイムよりも30分早く登ることができた。ここで10分ほど休憩して剱沢へ下る。下りは自分では結構早く下れたと思ったが、10分ほど早いだけだった。やはり下りは苦手だ。

 

こうして午後3時10分、今日の目的地に到着。受付(2泊で2千円)を済ませてテントを張る場所を探す。好立地の場所はすでに先に来た人たちでいっぱいになっていた。でもよく見るとほとんどが少し傾斜している。ぼくは少し傾斜がきついが細かい石ばかりの所を見つけてそこにテントを張った。究極の1人用なので場所は取らない。

みくりが池

ヤマハハコ

これから歩く道 下に雷鳥沢キャンプ場が見える

ちなみに今回ペグが打てないことを想定して自立式のアライテント トレックライズ0を持ってきた。マットは昔使っていたロールマット。厚さは10ミリで長さは110センチ。だいぶへたって厚みは少し減っているが、これがとても軽い。足下は厚さ2ミリの銀マットを二重にして敷いた。これならロールマットの間に入れて丸めることができる。

 

今回は、ツェルトでなくこのテントを持って来て良かったと、このあと実感することになる。


 

出発前に量りを買ったので、全てをザックに入れて量ってみた。水を除いて9.3キログラム。まあまあだ。このうち食料は約2キロ。水は富山駅で1リットルを詰めた。それほど重い方ではないと思うが、1キロ以下のザックで背負うには少々重い。大雪山のときはもっと重かったが、それでも長時間背負うと肩が痛くなる。

 

夕焼け後の剱岳 (ちょっと遅かった)

テントを立てて、夕食。ウイスキーを少しいただく。するといつの間にかウトウトしてしまう。外を見ると剱岳が夕焼けに包まれていた。あわててスマホを探す。そして、いざ撮ろうとしたらもうすでに遅かった。

 

歯磨きをして早々に就寝。隣のテントの二人連れは明日の予定などを話している。どうも天気は下り坂のようだ。週間予報では晴れと曇りのマークだけだったのに。すると、夜半に雨の音。なんとか明日は晴れてくれと願う。ところが雨の音で何度も目覚める。

 

剱岳は危険な山だ。多くの遭難者がでている。雨が降って岩が濡れていたら、滑落の危険があるため登山は断念することにしていた。だからなんとか雨だけは止んくれと願う。

 

明け方はかなり冷えた。ザックからカイロを出して腰に貼る。そして午前4時。だめだ、雨はますます強くなっている。

 

 

15日は一日停滞

こうして翌日は、「富山県気象警報・注意報」というメールが13回も届く。「【立山町】雷注意報(発表) 突風」だけでなく、というメッセージ。

 

そのあとも、時間をおいて13回、合計で14回の警報メールがきた。

「西部では16日明け方まで土砂災害に、15日夜のはじめ頃まで低い土地の浸水に注意してください」「15日夜遅くまで土砂災害に警戒してください」「【立山町】大雨注意報(発表) 土砂災害注意 雷注意報(継続) 竜巻・ひょう 洪水注意報」「富山県では、15日夜遅くまで土砂災害に警戒してください」「富山県では16日昼前まで土砂災害に、16日夕方まで高潮に、16日昼過ぎから16日夜のはじめ頃まで落雷に注意してください」などなど。

 

ただ、たまに雨が小降りになる時があり、この時とばかりトイレに行く。戻ったら、テントに入る前に張り綱をピンと張る。それにしてもこんな天気なのにダブルウォールのテントは快適だった。数日前に縫い目のシームリングが劣化していたのでやり直していたことも幸いだった。

 

しかし、劣化したシームをうまく剥がせないところもあって、おそらくそのせいだろう。1箇所だけ少しの雨漏りがあった。それ以外はまったく雨が染みておらず、北海道のツェルトでびしょ濡れになったことを思うと天国だった。

ツェルト泊、風雨の洗礼 【大雪山〜トムラウシ山縦走】その3 - Hakuto-日記

 

それにしても本当に一日中雨で、それは夜になってからも変わらなかった。

 

この停滞のため、立山縦走の計画は中止とした。今回の目的は兎にも角にも剱岳。明日雨が止んでくれたら剱岳に挑戦するが、雨だったら撤退だ。お願いだ。雨が上がってくれ。

 

つづく

 

 

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ツェルト泊、風雨の洗礼 【大雪山〜トムラウシ山縦走】その3

南沼キャンプ指定地はトムラウシ山頂までわずかの場所にある。

稜線ではないが、風が通り抜ける場所らしく風が強かった。

それに遮るものがなく、せいぜい膝上くらいまでの草が囲ってくれている程度であった。

 

3回目のツェルト山行

ツェルトをテントがわりにして初めて張ったのはオンネトーの野営場だった。あのときはまったくといいくらい結露がなかった。

 

2回目は高妻山に登るために戸隠のキャンプ場に張った。このときは内側にびっしりと結露していた。しかしそれほど酷いとは感じなかった。起き上がると体に触れて服が濡れたため、すぐにレインジャケットを着た。そしてツェルトの内側に触れたときに結露が床にまで流れてきた。まあその程度なのでマイクロファイバーの雑巾で拭けばなんてことはなかった。

 

今回の山行では、昨夜の白雲岳避難小屋の野営地で泊まった時は、戸隠の時と同じくらいかそれよりも少ないくらいの結露だった。だが、二日目のツェルト泊では悲惨な目に遭うことになった。

 

疲れ果てて南沼キャンプ指定地に到着すると、風い強が吹いていた。北沼は山に遮られていたせいか、それほど風は吹いていなかったのでちょっと困ったなと思った。

 

まだ、テントの数が少なかったので、水捌けの良さそうな場所で平らな場所、そして多少は草の陰になる場所を選び、できるだけ風が吹いてくる方向にツェルトの狭い面を向けて横からの風を受けないように配置した。

 

苦労して30分くらいかけて張り終えた。しかし、すこし風の方向と斜めになってしまったため、片側からの風で半分くらいまで内側に凹んでいる。それをサイドリフターで引っ張るとなんとかまともな居住空間ができた。ペグは刺さらなかったので全て転がっている石を使ってペグがわりにした。

 

中に入ると、まずはウイスキーの水割りで一息淹れる。これでやっとゆっくりと寛げると思ったのも束の間、風の音に混じって雨の音が聞こえてきた。はじめは、雨が降る前に到着できてツェルトも張れて良かったと余裕で、雨もすぐに止むと思っていた。ところが次第に風雨が強くなっていく。

 

そして夕食を作るためにお湯を沸かしていたら、すぐに結露だらけになってしまった。この結露という厄介者の洗礼をこのあとしっかり受けることになる。

 

 

ツェルト泊、風雨の洗礼を受ける

夕食が終わった頃

風にツェルトがはためくと、中の結露が雨のように降ってきた。防水布なのでこのくらいの雨では染み込んできているとは思えない。早くもテントの中でレインジャケットを着る。

 

食事を済ませると、必要のないものはザックの中に入れ、ショルダーポーチや歯ブラシなどはビニール袋の中に入れた。歯磨きをして、レインパンツを履いて外に出る。そうしてガイラインのたるみを取り、ペグがわりの石を点検、少し石を足して補強した。

 

中に入るとレインジャケットを脱いでダウンジャケットを着る。下にはダウンパンツを履いた。インナーシュラフをSOLのエスケープヴィヴィ・ライトの中に入れ、その中に潜り込む。

 

こちらの風に煽られる音に混じって隣のテントがはためく音も聞こえてくる。こうして横になったのは19時頃だっただろうか。

 

うるさいながらも疲れていたので眠りにつく。だが、眠りは浅くなんども目が覚めた。

 

そうしてうとうとしていると、突然バサッという音と共にツェルトの布が覆い被さってきた。咄嗟に手が出て押さえる。「まずい、足元側のポールが倒れたか」と思った。しばらくそうしていたが、スマホで時間を見ると深夜2時。朝までこうしているわけにもいかない。ともかく灯りをつける。

 

幸いポールは倒れていなかった。外れたのはサイドリフターで空間が半分になっていた。布地に触れたため、エスケープ・ヴィヴィがびしょ濡れになってしまった。防水性はないといことがこれでよくわかった。ダウンが濡れると保温力が失われるので、狭いツェルト内でレインウェアの上下をダウンの上から着るも、すでにかなり湿ってしまっていた。それから表に出てサイドリフターをもう一度張りなおす。

 

ついでに他のガイラインも点検したが、他は問題なかった。これだけの風が吹いても倒壊しないことに逆にツェルトのタフさもよくわかった。そのかわりサイドリフターの重要性も再認識することになった。

 

この時点で翌日はトムラウシ温泉に下山することに決めた。びしょ濡れのまま歩いてもう1泊するなんて無理だ。十勝岳はまたいずれ登ることにしようと気持ちを切り替える。

 

その後、レインウェアを着たままエスケープ・ヴィヴィに潜り込んで夜明けを待った。そんな状況でも少しは眠ったようだ。

 

明け方、寒くなって目が覚めた。「低体温症」という言葉が脳裏に浮かぶ。トムラウシの大量遭難事故は夏場に起きた。原因は低体温症だ。だから体が冷えないようになんとかしなければと思った。

 

そこで思いついたのが、まだ一度も使ったことのない若い頃に買ったエマージェンシーシートだ。ザックからこれを取り出す。取り出すまではそれほど時間は掛からなかったが、これを広げるのが大変だった。おそらく15分くらいはかかったのではないだろうか。これをエスケープ・ヴィヴィに巻くと(シートは意外と大きかった)濡れ対策にもなり、気持ちにも余裕ができた。

 

 

スマホが充電できない

こうして朝を迎えた。生きていた。まるで悪天候によるビバークをした後のようだった。過ぎてみればこれも経験と前向きに考えることにした。

 

まずはツェルト内の水を雑巾で吸い取り、外で絞ることを10回くらい繰り返す。スマホとケーブルは水びたしになってしまっていた。幸いビニール袋内のものやザック内のもの(中にビニール袋を入れてある)は濡れなくて済んだ。

 

エアマットも畳み、いざモバイルバッテリーからスマホを充電しようとすると、どうやっても充電が始まらない。残りはあと10%程度、ともかくトムラウシ山での記念写真が撮れるようバッテリーを温存する。

 

それでもいちおうモバイルバッテリーに繋いで出発する。出発は7時45分。だが方向を間違えて北沼の方に歩き出してしまう。すぐにおかしいと気づいて元に戻ったが、再出発はおそらく8時頃だったと思う。それからトムラウシ山を目指す。

 

 

トムラウシ山からトムラウシ温泉に下る

歩き始めはしっかりと降っていた雨も霧雨になっていた。それが眼鏡について前がよく見えない。そうして急な岩場を登って8時22分、ついにトムラウシ山に登頂。

山頂からの眺めはゼロ

この後バッテリーが落ちたが、途中で見て見ると数パーセント充電されていたのでとりあえず写真を撮っておく。

トムラウシ公園の少し手前

その後、トムラウシ公園、前トム平という名がついたところを過ぎ、コマドリ沢出合まで下っていく。そのとき雲が切れて青空が見えた。もちろん雨は上がっていた。

 

この下りの途中でレインウェアを脱いでザックにしまう。その後もたまに青空がのぞいたが、やはりずっと雲がかかっていた。

 

11時頃、何度も前後して見知った顔がコマドリ沢出合で一堂に会して休憩をとった。そこにはあの間宮岳で話しかけてきたパーティもいた。ここで皆顔を洗ったり体を拭いたりしてくつろいでいた。

 

そこでロックガーデンで聞こえたナキウサギの話が出た。するとその中の一人が写真を撮ったというので見せてもらった。他にも姿を見た人がいたが、ほかはぼくとおなじく声だけで見つけられなかったという人が多かった。

 

そこから一旦登りになり、そのあとはだいたいなだらかな道を下っていった。こうしてトムラウシ温泉登山口に降りてきたのは2時15分頃だった。トムラウシ山から降り始めて6時間弱、とても長く感じた。

やっと降りてきた

最後に

バスの中から

トムラウシ温泉の東大雪荘は綺麗で立派な建物に変わっていた。

若い頃にバイクツーリングで来た時以来だ。

温泉も広くて綺麗だった。まったく昔の面影はなかった。

 

温泉に入ってサッパリすると、次にやることは今日の宿探し。さて、どこに泊まるかだ。トムラウシ温泉からのバスは新徳駅行き。早めにバスがやってきたので、運転手さんに新徳に着いてから旭川行きのバスはあるかどうかを尋ねると、親切に営業所に問い合わせてくれた。

 

するとこのバスがついてから約20分後に出るバスがあるという。予約が必要だということで電話番号を聞いて電話で予約をとる。次に数日前に泊り、明日も泊まることになっているゲストハウスに電話してみる。すると昨日はいっぱいだったが今日は空いているという。事情を話して少し時間は遅くなるが泊めて欲しいというと快く承諾してくれた。

 

玄関前では顔見知りになった人たちが別れの挨拶をしていた。ぼくも今夜の宿をとった話などをしたところ、なんと旭川空港に車を止めている人がいて、ぼくの泊まるゲストハウスを調べてから、空港から近いので車で送ってくれるという。バス停はいくつかあるが、空港の次はたしか旭川駅まで止まらないという。

 

その方はなんとあの五色岳で10分くらい話をした富山から来た方だった。

旭川から戻ったら結構な時間がかかったと思われるが、おかげで随分と早く宿に到着することができた。本当に感謝である。

 

翌日、宿のレンタルバイクで旭山動物園を見学しに出かける。旭川ではますはコインランドリーにより、回転寿司で昼食。ところが動物園のほどんど全てを回ったところで雨が降り出してしまった。

 

それから雨の中を東川町のトランジット東川までクマスプレーの返却に向かう。シートの下にスプレーや洗濯物を入れることができたのは助かった。

 

スマホは一時的に充電できたので動物園までは大丈夫だったが、雨に濡れるとまたも充電不能。地図を頭に叩き込み、ずぶ濡れになってスプレーを無事ポストに返却(この日は定休日だったため)。

 

そこから宿までの道は途中までは完璧だったが後少しというところで間違えて、5キロくらい違う方向へ。それでもなんとか無事に宿まで辿りついた。

 

こうして大雪山からトムラウシ山までの縦走の旅は終わった。大変ではあったけれど、思い出に残る旅だった。

 

では、このへんで

 

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ツェルト泊、風雨の洗礼 【大雪山〜トムラウシ山縦走】その2

前回は、旭岳から白雲避難小屋まで。

さて、ここからが大雪山を余すところなく楽しめるルート。

しかし、大量遭難があったルートなので気を抜かずに行こう。

 

二日目、まずは忠別岳に向かって

8月12日、3時に起床。とりあえず寝具を片付ける。この山行では寝袋は持たず、ダウンジャケットとダウンパンツを履き、それにシュラフのインナーシーツとSOLのエスケープヴィヴィ・ライトをシュラフ代わりとした。

 

目覚めるとすぐにレインジャケットを着る。ツェルトの内側が結露で濡れているのでこれを着ないと服が濡れてしまうのである。それに朝方は冷え込んでいたのでレインジャケットを羽織ったままでいた。

 

朝食は、荷物を軽くするために1食分のシリアルと粉ミルクをビニール袋に入れてきた。あとは水を入れるだけである。これにミニッツメイドの朝バナナでカロリーを補充する。

 

明るくなってきたので小屋の周りを少し歩いて写真などを撮る。

 

そうこうしているうちにいつの間にか5時少し前。慌ててツェルトを撤収し出発の準備をする。ツェルトの撤収は簡単で楽だ。ペグを無くさない様にしっかり本数を確認する。

 

5時15分、トムラウシに向けて出発。朝日を浴びた高根ヶ原の先に忠別岳、その向こうに小さく王冠の様なトムラウシ山が見えた。最高だ。

忠別岳に少し雲がかかっている

歩き始めるとこれから行くところがよく見えた

歩き出すとすぐに暑くなる。まずはレインジャケットを脱いだ。さらに進むと下草が朝露で濡れている。そこでレインパンツを履く。そこを通過したら今度はそれを脱ぐ。こうして何度も立ち止まっているうちに後ろからやってきた人たちがぼくを追い抜いていった。

 

朝日を浴びながら歩く高根ヶ平はとても気持ちが良かった。

 

さらに歩いていくと、気温も上がり暑く感じはじめたので長袖をさらに1枚脱いで身軽になった。

柳絮

高根ヶ原 忠別岳とトムラウシ山が見える

高根ヶ原は名前の通り平らな平原で左側が切れ落ちて崖になっている。右側はハイマツが一帯を覆っている。登山道はその間の崖っぷちにつけられていて、たいていは石ころだらけだが、ところどころにハイマツのトンネルがあって、そこは少し大変ではあったが、開けたところはとても快適で気持ちよかった。

 

8時30分、忠別岳到着。忠別岳は右側が崖になっていて、左側が緩やかな傾斜になっている。その緩やかなところを少しずつ登っていて、頂上につく少し前でエネルギー不足を感じ、しばらく休憩してカロリー補給をした。

 

このときに追い抜いて行った集団は、忠別岳山頂で休憩して食事などをしていた。

ハイマツとササのトンネル

忠別沼と忠別岳

忠別岳山頂

これまでずっとこの忠別岳を目指すように歩いてきたので、なんだか寂しい気持ちになった。

 

次の目標はヒサゴ沼

ここでは休憩を取らず、すぐに反対側に降りていく。久しぶりの急坂だ。下っていくとトムラウシ山に笠雲がかかっているのが見えた。さらに下ると下に避難小屋が見え、登山道から少し脇に逸れるがそれほど遠くないように思えた。

 

小屋への分岐には9時15分頃着いた。そこから小屋の方に行ってみたが、だいぶ下るのと5、6分歩いても小屋が見えて来なかったので引き返すことにした。

振り返って見る忠別岳

忠別岳避難小屋分岐


目の前には壁のように聳え立つ山々見える。地図を見てあれが五色岳、化雲岳だろうと見当をつける。10時5分頃、その五色岳の山頂に到着した。忠別岳から前後ろになりながら歩いてきた方と一緒になったので少し話をする。富山から来ている方だった。

五色岳から化雲岳のほうを眺める

そこからハイマツ帯の中を進むとすぐ右側が崖だったりして、油断すると危険な箇所だった。だんだん崖っぷちから離れていき、なだらかな平原地帯に出た。沼のところで分岐があり、右に行くと化雲岳、左はエスケープルートだ。出発が遅れたこともあり、また、天気が下り坂で雲が出てきていたので眺望はきかないと考えて、エスケープルートを取ることにした。

 

11時過ぎに向こう側の分岐に出たが、その少し手前で登山道にクマの糞を発見した。明らかにこの辺りにクマがいる証拠なのでゾッとした。

 

そのとき化雲岳の方から降りてくる人がいた。だいぶ前にぼくを追い抜いて行った方で、雲の切れ間に旭川の町の方が見えたということだった。その方はこれからふたたび白雲岳の方へ引き返すという。ぼくはここで昼食にした。

 

11時半に出発。ヒサゴ沼に向かう。そこの水場で補給するつもりだ。12時ちょうどに沼に到着。これまで話をした方は皆このヒサゴ沼に泊まると言っていた。水場を探しながらテント場に行ってみるとテントはまだ2張りのみで、人影は見えなかった。

 

水場が見つからず、いよいよ沼の水を汲むしかないかと思っていたら向こうから人が歩いてきた。尋ねると雪渓の下が水場だと教えてくれた。なるほど、そういうことか。どのぐらい汲もうか迷ったが約3リットル水を汲んだ。重い。

ヒサゴ沼に到着

この雪渓の下の水を汲む

 

そして南沼のキャンプ指定地へ

水を汲み終わると12時25分、そのまま雪渓の脇の大きな岩が転がったところを登っていく。間宮岳分岐で話しかけてきた人が一人でそこを降りてきているのに出会う。なぜ一人? そう思いながらもコースを間違えていないことに安心する。


ヒサゴ沼との分岐にはちょうど13時に到達。そこはメインルートのコルになっていた。よって左に折れてさらに登っていく。

 

これまでですでにだいぶ疲れており、そこから先にある日本庭園、ロックガーデンなどと綺麗な名前がついているところはさらに体力を消耗するところだった。


次の目標の北沼にいくにはこのロックガーデンという大岩の積み重なった山を越えていかねばならない。登っているとナキウサギが鳴く声がしたので必死に探したが、残念ながらその姿を見ることはできなかった。

ここがロックガーデンか

上り詰める前に見つけたシロバナトリカブト

そこを登り詰めてホッとしたのも束の間、さらに細かな石が転がるの平原に見えるところを登っていかなければならなかった。霧のためコースから外れないように注意して進む。誰かが立てた杭やケルンが道標となった。


こうして右手の霧の中にさらに白く輝くものが見えた。北沼に到着だ。南沼まではあと少し。

 

そして15時半、ようやく南沼キャンプ地に到着した。テントの数は少なかった。

北沼

つづく

 

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ツェルト泊、風雨の洗礼 【大雪山〜トムラウシ山縦走】その1

最初に白状しちゃうと、旭岳からトムラウシ山に登り、さらに十勝岳に登って下山する3泊4日の計画を立てていた。

ところが2日目の夕方から風と雨が激しくなり、3度目のツェルト山行は悲惨な結果に。

それに体力的にもしんどくなって3日目に下山した次第。

けれど旭岳からトムラウシ山の2泊3日の縦走としては充実した山行だった。

 

旭川空港に向かう

8月10日、19:00過ぎに旭川空港着.手荷物のベルトコンベアの故障で荷物の積み込みに時間がかかり出発が遅れ、そのぶん到着も遅れた。


旭川空港のコンビニで夕食、朝食、昼食の3食分を買い、タクシーでゲストハウスへ向かう。1550円也。

 

ゲストハウスは空港からほど近い富良野線千代ヶ岡駅の近くにあった。近いと言えば近いのだが、歩くと40分くらいかかるそうで微妙な距離。大雪山縦走の予定は立てていたが、実際に動き出したのは1ヶ月前のため、航空機のチケットはもう高いものばかり。その中でも一番安いのは、この夜に到着する便だった。

 

次に宿を探した。そこで驚いた。旭川の宿で残っているのは高いところばかり。それで空港からタクシーに乗っても、旭川市内に泊まるより安くなる今回のゲストハウスを見つけて予約を入れたと言う次第。

 

宿に到着して受付を済ませると、そこから少し離れた建物に案内された。そこは大広間のある離れで、布団が敷かれていて簾で仕切られていた。 宿泊客は自分を入れて3人だけ。ぼくと同じく日本百名山を目指している方とバイク乗りだった。9時頃まで飲みながら話しをした。

 

 

旭岳に向かう

出発前、宿からの景色

8月11日朝7時10分、オーナーの住んでいる棟の前に行く。昨夜、タクシー会社に問い合わせたところ、東川町までだいたい4千円から5千円程度はかかるということだった。そこで、オーナーが2千円と格安でトランジット東川まで送ってくれるということでお願いしていたのである。

 

トランジット東川とは、東川町にあるアウトドアショップで、旭川から旭岳に向かうバスの停留所の近くにある。そこでクマ撃退スプレーをレンタルすることにしていたのである。

 

7時半に店に到着すると、すでに店主が店を開けてぼくを待っていてくれた。15分ほど使い方のレクチャーを受け、停留所のある道の駅に向かった。バスを待っていると旭川市内の循環バスが二台来て、次に旭岳行きのバスが来た。一緒に乗ったのは、外国人(西洋人)の男女二人連れと大学生くらいの男子1名。バスは満席で、補助席を出して座った。

 

8時14分、定刻通りバスが発車する。そして9時を少し回った頃に旭岳ロープウェイ旭岳駅に到着した。姿見駅には9時45分到着。準備を整え10時に出発。気温25度。朝方曇っていたが次第に晴れてきた。暑い。

ロープウェイに乗るところ

姿見駅に到着

近くに咲いていたエゾリンドウと綿毛のチングルマ

姿見の池の脇にある大雪山愛の鐘

姿見の池に旭岳を映そうとするも

弱ったセミが靴にとまる

 

旭岳から白雲岳避難小屋へ

ひたすら火山の岩がゴロゴロしたところを登っていく。弱ったセミがたくさん飛んでいて、それが地面に落下したり足元にとまったりする。気をつけて歩かないと踏みつけてしまいそうだ。

 

途中、右手をみると、これから歩く予定の山並みが遠くに見えた。どうやら十勝岳あたりまで見えている様だ。このままずっと晴れていてほしいと願う。

旭岳中腹から南を望む


11時55分、旭岳山頂到着。少し前からガスが出始めた。同年輩のおばちゃんがさっきまで晴れていて360度全部見えて最高だった。動画を撮ったので送りましょうかという。スマホを見せてもらうとアンドロイド。こちらはiPhoneなので簡単には共有できないことがわかり、その場で動画を見せてもらう。たしかに雲ひとつない景色だった。

外国人に撮ってもらう

山頂で昼食をとり、12時25分に間宮岳に向かって歩き始める。さっきまで見えていたこれから歩くルートはガスで見えなくなった。山頂の気温20度。


旭岳は2度目となるが、向こう側に回るのは初めてだ。ザレ場の急な下りで最初は手こずるが次第に慣れて早く下れるようになった。

急なザレ場の下り。下にはテントが見える


一番下ったところに旭岳キャンプ指定地があり、10張りくらいテントが張られていた。そこからは上りと下り、なだらかになった先に間宮岳への分岐がある。そこから間宮岳を往復した。

 

山頂までの道はほぼ平坦で、そのわずかに高くなったところに間宮岳の標柱が立っていた。幸い雲が少し切れて黒岳が見えた。

メアカンキンバイ

荒涼とした風景

間宮岳分岐

遠くに黒岳が見える

人が数人立っているところが間宮岳分岐

分岐に戻ると休憩中の人が5、6人いた。話をすると、もう何度も登っている口ぶりだった。みないかつい体つき。トムラウシ温泉東大雪荘に下山予定とのこと。

エゾイワツメクサ

イワブクロ

北海岳

ミヤマサワアザミ

北海岳を下り平原の一本道

花に癒される

ミヤマアキノキリンソウ

タカネトウウチソウ

初めて現れた雪渓

イワウメが咲き乱れる

イワウメ

ヒグマ情報つきの案内標識

トウヤクリンドウ


午後3時を少し回った頃、白雲岳分岐に差し掛かる。ここで細かい雨が降り始めたのでレインウェアの上だけ着る。東川から一緒にバスに乗った大学生らしき青年もやってきてそこで休憩しはじめた。あとから間宮岳分岐で話をしたパーティーもやってきて、こちらは休憩せずに下って行った。


3時半、白雲岳避難小屋着。受付をして1,500円(野営指定地利用協力金500円・登山道維持管理協力金1,000円)を支払うと、なんと可愛いイラストのオリジナル手拭いをくれた。

 

 

テント場は7、8割程度埋まっていて、テントの隙間にツェルトを張る。そのあと水場に水を汲みにいくと、立派な角を生やしたエゾシカが近くで草を喰んでいた。

水場近くに咲いていたダイセツトリカブト

白雲岳避難小屋のテント場

 

 

つづく

 

 

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体調不良でハードな登山【高妻山】

戸隠キャンプ場を抜けていく

日本百名山完登を目指し、ちょっと頑張り過ぎたか。

前日にバイクでキャンプ場入り。翌早朝より登山開始。

ところが、体調不良で足取りが重い。

その上、お腹がゴロゴロいい出した。

おまけに雨も降り出す。

このまま撤退?

そんな考えが頭をよぎった。

 

戸隠キャンプ場は大賑わい

我が家から戸隠キャンプ場まではおよそ280キロ。スーパーカブに乗っていったが気温は30度を超えていて、信号で止まると熱気がぷわっと体を包む。

 

途中、国道20号にある道の駅はくしゅうでお弁当を買って昼食。そして富士見町から八ヶ岳に沿って麓の道を北上していく。

 

天気が良く、八ヶ岳がよく見える。昔、家族で2シーズン続けてクロスカントリースキーを楽しんだ原村を通過。八ヶ岳に登った時は反対側の本沢温泉から硫黄岳、横岳と南に縦走したことがある。あの時は結局小淵沢駅まで歩き通したっけ。

スピードがわからない 【車のこと その6】 - Hakuto-日記

歩き通した充実感 【南八ヶ岳主脈縦走】 - Hakuto-日記

 

北上していくと、蓼科山が見えてくる。ここは今年の冬に登ったばかりだ。その手前の山頂が平らな山は北横岳か。ここも正月に登ってきた。

 

山中に入っていくとその姿が見えなくなる。不思議なものである。山から離れることにより全体の姿を望むことができる。急カーブをなん度もターンしていくと白樺湖に出た。そしてそこから下り坂になる。

 

しばらく下って行ったところで疲れが出た。長和町というあたりで休憩をとる。昨夜しっかり睡眠をとったつもりだったが眠りが浅かったのか、なんだか眠い。建物の日影に入り、そこで座って目を瞑る。気がついたら30分も経っていた。どうやら少し眠ったみたいだ。

 

その後は眠気も起こらず走り続けることができた。菅平高原を通った時は涼しくてホッとした。休憩はコンビニで買い物をしたときくらいで急いでキャンプ場へ向かう。

 

午後4時半、戸隠キャンプ場に到着。すでに多くのテントが張られていた。よく整備されたキャンプ場で、トイレも綺麗だった。ここはみなさんにお勧めできる。

 

バイクを乗り入れると駐車料金500円がかかるが、登山者用の無料駐車場に停めておけば料金はかからない。荷物を下ろすと登山者用駐車場にバイクを停めた。

 

テントは北海道に続きツェルトを持ってきた。一般のキャンプ場でツェルトはかなり目立った。

夕食の準備

キャンプ場に咲いていたギボウシ

 

高妻山へ登り始めたが

ここから森に入っていく

引き返したところに咲いていたヤマアジサイ

高妻山はキャンプ場が登山口になっていた。その奥の戸隠牧場までバイクで行けると思っていたが、一般車両は乗り入れ禁止だった。5時45分、キャンプ場を出発。戸隠牧場の中を歩いている時に雨が降り出す。カッパを着てザックカバーをかける。

 

登山口から右に左にと曲がってなだらかな平原を少しずつ上っていき、森の中に入っていく。しかし、なんだか足が重たい。歩き始めて1時間ほど経った頃、急に腹が差し込んだ。まずい。地図を確信したがこの先トイレは無い。

 

仕方ない、引き返そう。

 

こうして戸隠牧場を抜け、キャンプ場のトイレに駆け込む。何とかセーフ、戻ってきてよかった。しかしだいぶ時間をロスした。朝食の刺激が強かったせいだろうか。食べたのはモンベルのリゾッタ、ガパオだった。


気を取り直して再び登り始める。牧場入口に戻ったのは6時45分、40分くらいのロスだろうか。それをログで確認しようとしたら、なんとうまくログが取れていなかった。結局最後までダメだったのだが。


相変わらず重い足を持ち上げながら1時間ほど歩くと滑滝に着いた。ここには鎖が付けられていた。ここまで十数回と渡渉を繰り返している。大洞沢という沢だ。斜里岳のように沢の中を歩くことはほとんどなかったが、ここも沢登りといっていいコースだった。

イタドリ

こんな登山道

滑滝

シモツケソウ

帯岩

そしてそこからは急登になり、さらに登っていくと鎖場が現れる。短い鎖場の上は帯岩という壁だ。難所である。ここをトラバースするのである。滑るといけないので鎖を離さないようにしながら慎重に横断する。

 

この後、氷清水を過ぎたあたりで、牧場入り口手前で追い抜いた男性に追いつかれた。一不動まで後わずかのところである。もうかなり疲れていたので先に行ってもらった。

水場

スダヤクシュ

キツネノボタン

ああ、今日は絶不調だ。お腹もまだ少しごろごろしているし、足も重たい。慌てずのんびり行くことにしよう。頭の片隅には登頂は無理かもしれないという思いもよぎった。

 

8時27分、一不動に到着。ここは戸隠山から続く縦走路のコルの部分だ。不調ではあるが、それでも2時間コースのところを1時間40分ほどで登ってきたことになる。

 

この一不動は稜線上になるので風が通り抜ける。すこし風が強かったが、熱った体を冷ますにはちょうど良かった。ただ、汗冷えしないように熱りが収まったらウィンドブレーカーをすぐに着た。

 

先ほどぼくを追い抜いて行った男性が座っているベンチの隣に座り、ソイジョイでカロリー補給して腹薬を飲む。

 

「かなりの急登でしたね」ぼくがそう言うと、

「高妻の登りはもっと凄いですよ。(後ろを振り向いて)あ、今日はガスで見えないか」

「もう何度か登られているのですか」

「数え切れないくらい登ってるよ。ただ、乙妻へは1回しか行っていなくてね」

乙妻山は高妻山の先にあり、相当早い時間に登るか相当の健脚でないとなかなか行けない山である。

 

その男性は先に出発して行った。ぼくがさらに休憩していたら、下から男性1人女性2人のパーティが登ってきた。それを契機にベンチを空けて出発する。8時40分だった。

 

 

崖っぷちはお花畑

ママコナ

ここからは尾根の稜線を歩くことになるが、そこはアップダウンが激しくてきつい道であるという人が多いところだ。少し登っていく東側がぱっと開けた。そこに二釈迦と書かれたプレートと祠が立っていた。どうやら仏様が順番に祀られているみたいだ。

 

後で調べたところ、十三仏といわれる不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿門・大日・虚空蔵がおられるということである。その諸尊のあたまに順に番号がつけられてそれぞれの場所に祠が建ててあるもののようだった。

 

いま向かっているのは五地蔵岳である。実際、その先に順に並んでいて、高妻山の手前には十阿弥陀が建てられていた。しかし、四番目は気が付かずに通り過ぎてしまった。おそらく普賢の祠が建てられていたと思われる。

 

  

  

  

 

いま立っている二釈迦の祠のある足元には切り立った崖がある。そこには高山植物がたくさん咲いていた。つまり崖っぷちはお花畑なのだった。

崖っぷちのオオバギボウシ

クガイソウ

遠くに見えるのは妙高山と思われる



アップダウンを繰り返し

この後もアップダウンを繰り返し、高山植物を愛でながら五地蔵山に向かう。

ノリウツギ

ハクサンオミナエシ

明るい稜線

五地蔵山の山頂付近は草が刈ってあり、広場のようになっていた。ここでも少し休んでカロリー補給をする。下山で使う予定の弥勒新道の分岐はどこかと注意していたら、その先の六弥勒のところから弥勒新道が伸びていた。

 

五地蔵山を過ぎても急なアップダウンは続く。一つ目のピークは急だが二つ目はダラダラと登りダラダラと下った。

カニコウモリ

ヤマハハコ

九勢至(きゅう・せし)にでると今度は左側が大きな谷になっていた。

 

岩が増えてきた

 

この先、急斜面!!

ここから急斜面が始まる

高妻山山頂まであと少しのところで急斜面が現れる。疲れた体でここを登るのはしんどい。下ってくる人影を見とめた時は、休憩がてら待つことにした。こういった急斜面は下りが危険なのだ。

 

ここを登る

ミヤマコゴメグサ

頂上はまだか

 

阿弥陀如来を拝み、登頂

十阿弥陀

上まで登り切って横に登山道を進むとふたたび急斜面があらわれた。波状攻撃である。この急斜面はかなりのものでだいぶ消耗した。頂上はまだか。すると岩稜帯が現れ、十阿弥陀如とある。ようやく頂上と思ったが、高妻山の標識はない。残念、まだ先か。

 

がっかりして岩の上にしゃがみ込んでいたら、一不動で話をした男性が向こうから現れた。

 

「本当にここの登りは急ですね」というと、

「ただ、距離が短いですから、300メートルくらいでしょうか」

 

「ここからは北アルプスがよく見えるのだけど、今日はガスって残念でだね。雨が降らないだけマシですが」

「家に電話したら下は蒸し暑くて大変だって。それに比べここは天国だね」

 

聞けば地元の方で、足を怪我してしばらく登れなかったので足慣らしにやってきたとのこと。今後常念岳や鳥海山に登りたいと話していた。

 

そんな話をしばらくしてから降りて行った。こちらも気を取り直して岩場を進んでいく。

 

そして、ほどなく高妻山山頂の標識が目に入る。11時50分だった。ここでコンビニで買ったパンで昼食。食べていると一不動に後から登ってきた3人組もやってきた。お疲れ様と声をかけあい、登頂を讃えあう。そして12時10分一足先に下山を開始する。

なんとか登頂できた

 

危険な急斜面は時間をかけて慎重に下る。アップダウンを繰り返していると九頭竜山や戸隠山がその険しさをあらわにしている姿がよく眺められた。

 

六弥勒から弥勒新道を下っていく。眼下には戸隠牧場やキャンプ場が見え、向こうには黒姫山や飯縄山が優雅な姿を見せている。

戸隠山方面を望む1

戸隠山方面を望む2

すでに紅葉したナナカマドも

黒姫と飯縄の間にあるので古池だろうか

間近に猿も

ここから下界を眺めながら下っていく

気持ちの良い下り

だいぶ下ったあたりで

牧場まで降りてきた


やがて森林限界の草地から樹林帯に入って行き、下界は見えなくなる。

こうして長い下りを辛抱して下り、15時30分戸隠キャンプ場に戻ってきた。

 

キャンプ場に戻ったらシャワーを使わせてもらおうと考えていたところ、残念ながらちょうど清掃中だったため、結局、トイレで体を拭いて着替えをした。

 

さっぱりして売店で瓶のジンジャーエールを飲んでいたら、ヘルメットを持った20代の女の子が隣に座り「お疲れ様でした」と話しかけてきた。

 

その娘は戸隠山に登って一不動から降りてきたとのこと。蟻の塔渡りというナイフリッジなど危険な岩場を通ってきたと言うことになる。

 

「蟻の塔渡りも跨いで進めば怖くなかったですよ」と平然として話していた。ぼくがこれからバイクで帰るというと、以前ホンダのCB400に乗っていたが、登山にハマったので手放したと言うことだった。

 

そうやって話をしていると雨が降り出した。しばらく話をして休憩を取るとカッパを着て駐車場に向かった。戸隠高原を降りていくと雨は上がった。

 

 

最後に

高妻山は本当にきつかった。苦しかった。先週の御嶽山の疲れが残っていたのだろう。

 

戸隠連峰はやわらかい土と鋭く固い岩稜帯が混ざり合っている硬軟併せ持つ神秘的な山だ。登山道でもその土は柔らかく、ストックの先が埋まってしまうほどだ。岩稜帯ではストックの先のゴムが滑って怖かった。

 

登りではこのゴムキャップをつけていたが、急斜面を下るのに危ないのでゴムを外した。しかし、岩稜帯を過ぎるとやわらかい土で、その先が埋まってしまうためしっかりと突くことができなかった。

 

先がどろんこのままゴムキャップをつけたくなかったので結局そのまま下山することになった。つまりあまりストックが役に立たない状態で下ったことになる。

 

そしてもともと弱い膝に少し違和感を感じ始めたため、無理をしないでゆっくり下った。

 

一時は撤退という言葉も頭をよぎったが、五地蔵山あたりがなだらかだったため、そんなことも忘れて歩いていたらなんとか頂上まで行くことができ、下山までしっかり歩き通すことができて本当に良かった。

 

今回は遠くの景色は眺められなかったが、それよりも十の仏に導かれて無事に登ってこれたことに感謝したい。

 

では、このへんで

 

 

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