Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

山頂の強風に苦戦 【蓼科山】

3月始めの日曜日、北八ヶ岳の蓼科山に登ってきた。

正月2日に北横岳に登り、正面に、強風に流れゆく雲の切れ目からちらっとだけ見えた山である。

天気予報と睨めっこして、休日で晴れの予報だったのがその日だった。

 

 

蓼科雨山日帰り登山

正月以来のあずさ1号に乗り、八王子から茅野に向かう。

9時7分、茅野駅に到着。日帰りで登山するため、今回はレンタカーを利用することにした。余裕を持って前泊するつもりで計画し、宿も予約したのだが、あとから前日は仕事があることに気がつき、宿をキャンセル。そして特急の指定も変更することになった。

 

蓼科山に公共交通機関を使って登るには、茅野駅からバスを使うことになるが、登山口まで行くバスがない。北八ヶ岳ロープウェイ行きのバスに乗り、途中下車してそこから登山口まで歩いていくことになる。

 

行きはこれでなんとかなるのだが、帰りが困る。午後3時過ぎまでに再びバス停まで戻ってこなくてはならない。そうなると、一般的な歩行タイムでは間に合わない。健脚で、かつアイゼン装着など準備に手間取らないことができる人でなければ無理だ。雪山に相当慣れている人だけができる芸当だ。

 

そんなわけで、近くのペンションに前泊する計画を立てた。しかし、前日は仕事が入っていてそれができない。そこで考えたのが、レンタカーというわけである。

 

いつも使っているニコニコレンタカーがあったが、残念ながら空いている車がなかった。そしてつぎに予約を入れたのがオリックスレンタカーだった。

 

駅からオリックスレンタカーの店舗まで歩いていく。信号待ちをしていると北八ヶ岳ロープウェイ行きのバスがやってきて停止線で止まった。そうすると路肩いっぱいに止まったので前に行けない。しかたなく右側に大きく回ってバスを追い越した。

 

営業所での手続きが終わり、9時半頃に出発。10時20分頃に女乃神茶屋のある登山口駐車場に到着した。このときすでに満杯であったが、雪をどかして隅っこに駐車。軽自動車かつスタッドレスタイヤでよかった。

 

急いで準備をしたつもりだったが、準備に30分くらいかかってしまう。駐車場から道路を歩いて少し戻ると登山道の入り口である。

 

その入り口でアイゼンをつけている時にもう下山してくる人がいた。その若者に声をかけた。

「もう、登ってきたのですか?」

「ええ」

「ずいぶん早いですね。暗いうちから登られたのですか」

「そんなに早くないですよ。明るくなってからです」

「前に来た時は車がいっぱいで駐車できずに他の山に登ったんですよ、それで早く来たんです。でもこの時間から登るのもありですね」

 

「山頂は晴れてました?」

「上はすごい風でしたよ。風は強かったけれど晴れて景色がよく見えました」

 

「午後まで天気が保ってくれたらいいのですが」といって歩き始める。時計を見ると11時だった。

 

 

登山開始

はじめはほぼ平らな道で奥まで入っていく。その後急な斜面を登る。地形図を見てイメージした通りだ。

歩き始めはこんな感じ

樹林帯に入っていく

こぼれ日が美しい

ここから登りに入る

樹林帯の中は薄暗い

この急登、写真では伝わらない?

12時頃中間点を通過する。このあたりから傾斜が緩み、蓼科山の頂上が見えた。

 

再び急登になり、それが頂上まで続く。ルートはほぼ直登である。それは冬道だからではない。夏道も同じルートなのである。

 

振り返れば時々樹々の間から街が見下ろせる。あれは茅野の街なのだろうか。

 

この二度目の急登を登っていると、だんだん雲が湧き始めた。この日の予報は晴れのち曇り。だが、もうちょっと晴れていてくれ。

山頂が見えた

振り返れば

登り始めたのが遅かったせいか、下の方で多くの下山者とすれ違った。そして登るにつれて誰とも会わなくなる。二度目の急登を登っていると再び数人の下山者とすれ違った。このときすれ違った人が最後なのだろうか。その後はまた誰とも会わなくなる。

 

曇ってきた。温度計はマイナス12度。だが、登っているので寒さは感じない。

高い木がなくなる

八ヶ岳が雲の中に

雲が流れて

再び下山者と出会ったのは、頂上直下の岩場地帯になってからだ。樹林帯を抜けた途端に強風が襲ってきた。上に行く前にアウタージャケットを着ておかなくては。

 

だが、下の樹林帯は急斜面で平らな場所がない。どこかいい場所はないかと探している時に上から男女のペアが降りてきた。挨拶をすると、

「上はすごい風で立っていられないくらいなのですぐに降りてきました」とのこと。

 

教えてもらったことにお礼を言うと、「気をつけていってらっしゃい」と言って下っていった。

 

 

強風が吹き荒れる山頂

風除けにちょうどいい岩陰を見つけてそこにしゃがんで風を避ける。ザックを下ろし、風に飛ばされないようにしっかりと握ってアウタージャケットを出して着る。時刻は13時、ついでにここで好物のシナモンロールの昼食をとる。飲み物は白湯。今朝入れてきたお湯はまだ熱々だった。

 

そうやって休んでいると、また一人下ってきた人がぼくの横をすり抜けていった。

 

身支度を整え強風の中を登り出すと、とたんに風で体が飛ばされ倒れてしまう。鎖場の杭を掴み、落ちないように踏ん張っていた。するとすぐ上に3人組のパーティが降りてきた。彼らが道を譲ってくれていたので這いつくばいながらゆっくり登る。

 

一気に上に登ることもできそうだったが、横に行くルートもあるように思えた。岩を掴んだり、雪のある場所ではピッケルを差しながらトラバースしていく。そうやって進むと先に進むのが難しい場所になった。危険だ。落ち着いて周りを見てみると、1メートルくらい下が歩きやすそうに見えた。

 

そこで少し下ってみる。するとなんといままで通常ルートに沿ってはいたが、その上側を歩いてきたと言うことがわかった。

頂上直下

そのまま進むと雪の踏み固められた道になった。そして風も弱くなった。さっきは山に風が当たってから回り込んで、風のスピードが速くなっている場所だったようだ。そうして進行方向に小屋がみえた。蓼科山荘ヒュッテだ。

お、晴れてきた

蓼科山荘ヒュッテに到着

ありがたいことに雲は流れて晴れてきた。北八ヶ岳もよく見える。山頂も雲がなく、方角がわからなくなることもなさそうだ。

 

ヒュッテから山頂に向けて斜め後ろに踏み跡が続いていた。そのトレースに従って登っていくと蓼科山山頂の標柱があった。登頂である。

 

その後中央にある蓼科神社にお詣りし、その先に伸びているトレースに沿って歩いていく。その先にはコンクリートの柱のような台がある。おそらく方位盤が設置されているのだと思うが風が強くて上にはあがらなかったので確認はしていない。

 

再び同じ道を戻ってくる。ヒュッテまで後少しの平らななんでもないところで足を縺れさせて前に転倒。風のせいで体がよろけてアイゼンの爪をスパッツに引っ掛けたのだ。幸い平らな場所で岩も出っ張っておらず怪我はしなかった。スパッツも無事だった。

 

だが、下りで同じように転ぶと大怪我をする恐れがある。滑落することもありえる。その後気を引き締めて慎重に歩く。

 

広くて丸い山頂

登頂!

山頂中央の蓼科神社

方位盤?

蓼科神社に引き返す

ヒュッテに戻ってきて

いざ下山

13時48分、蓼科山荘ヒュッテを後にする。

ヒュッテから向こう側に回り込むと再び強風に煽られる。姿勢を低くし、一歩一歩確実に踏みしめてゆっくりと下っていく。

 

そんなとき、さっき風に煽られて苦戦した場所にこれから登ってくる人がいた。ずいぶんと遅くに登ってくる人もいるのだなあと思う。風の状況を聞かれたので、向こうに回り込めば風が弱まる。ここが一番風が強いということを教えた。

 

岩場を過ぎると急な雪の斜面になる。しかし樹々に遮られて風は弱い。風がないとホッとする。心に余裕が生まれる。

 

ときどき前方が開けて景色が見える。正面は南アルプスで北岳や仙丈ヶ岳が見えているはずだが、山頂が霞んでいてどれがどの山だかわからなかった。

眺めがいまいちすっきりしない

順調に中間地点まで下り、そこの平らな場所で休憩。ソイジョイを食べ、フリーズドライの味噌汁を作って飲む。流石にサーモボトルのお湯も少し温くなっていた。

 

15時20分、登山口に到着。アイゼンをつけたまま駐車場に戻る。ストックやピッケルを片付け、靴も履き替えて駐車場を後にする。走り出すと、さっき山頂直下ですれ違った登山者が、登山口のところでアイゼンを外しているのを確認。無事に下山したことに安心した。

 

 

最後に

蓼科温泉であったまる

茅野駅に向かう途中に温泉がある。今回この温泉に入ることも楽しみにしていた。

駐車場から10分くらいで到着。16時頃だった。

この蓼科温泉は共同浴場で地元の人たちが大勢利用していた。

 

「歳をとると雪かきが大変でねえ、あんたは若いから平気でしょ」

そういった相手を見ると60代後半か。「そんなことはない」と返ってくる。

「今朝はマイナス12度だった。だんだん春らしくなってくるねえ」

 

マイナス12度で春らしい? こちらとはだいぶ感覚が違う。

蓼科温泉は源泉掛け流し温泉。お湯の温度は「熱い」ので43度くらいはあったのではないか。

ここでしっかり温まり、無事にレンタカーを返却。

茅野駅ではたっぷり待ち時間があったので、通路のベンチと待合室で地酒を飲みながら過ごす。駅弁は売り切れたので、夕食は立ち食いそば。券売機が新型すぎて操作に戸惑う。中のおばちゃんが出てきて手助けしてくれた。直接注文できないのがちょっと寂しかった。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

ガトーショコラを見に 【浅間山外輪山 黒斑山】

佐久平駅でバスの発車を待つ

2月の連休の最終日、晴れの予報に合わせて雪山に向かう。

場所は、浅間山。

だが、現在、噴火警戒レベルは2なので浅間山には登れない。

しかし、その浅間山がよく見える外輪山がある。

それは黒斑山という外輪山の最高峰。

今回はその黒斑山に挑戦。

 

黒斑山

2月は祝日が2回あり(厳密にいうとその1日は振替日)、そのどちらも3連休となる。土曜日に仕事が入るとそうはいかないのだが、その始めの方、幸い休むことができた。

 

3連休の最初の2日は前回のブログに書いたように句会で埋まった。

そしてその最終日、お天気マークのある雪山初心者向けの山を探して見つけたのが、浅間山だった。

 

しかし、残念ながら浅間山には現在登ることができない。それは活火山で噴火警戒レベルが2なのである。日本百名山の一つとして数えるには、第一外輪山の黒斑山か第2外輪山の前掛山をその代わりとすることになる。ただし、前掛山にはレベル1でないと登山することができない。そのため、黒斑山に登頂することで浅間山を登ったことにする。

 

黒斑山は雪山初心者でも登りやすい山であることに加え、ガトーショコラのように見える浅間山を眺めるのに絶好の山なのである。

 

 

今回の登山は車坂峠を起点とする。新幹線で佐久平駅、そこからバスで高峰高原ホテル前までいく。登山はピストンで、再びホテル前からバスで帰る。

 

十分に日帰りで登山することができるコースなのである。ただし、自宅から始発のバスに乗っても間に合わないため、最寄り駅まではバイクで向かう。

 

(出典:黒斑山 (くろふやま):2,404m - 山と溪谷オンライン)

 

ただ、バスは行きも帰りも1日2本しかなく、乗り遅れると大変だ。帰りも、高峰高原ホテルでは現在宿泊は行っていないため、歩いて30分ほどのところにある高峰温泉に泊まるか、タクシーを呼ぶしかない。

 

黒斑山までのコースタイムは登り1時間半、下り1時間15分で合計2時間45分。ただしこれは無雪期の標準コースタイムなので、雪山だともっとかかる。

 

 

ガトーショコラを眺める

佐久平駅8時35分発のバスに乗る。佐久平駅前は道路は除雪されていたが、歩道は少し雪が残っていた。

 

空は晴れていた。今まで雪山でスカッと晴れたことがほとんどないため天気が気になる。唯一晴れたのは、1月に登った赤城山で遠くまで見渡せた。ただこの時は雪が少なく雪山という感じがあまりしなかった。先日登ったの丹沢大山は相模湾までが見渡せたが、日が差すことはなかった。

 

やはりお天気がいい。暖かい上、周りの景色が眺められる。それに特に冬山ではガスって道がわからなくなるのが怖い。

 

新幹線に乗っていて、窓から晴れているなと安心していたら、軽井沢の駅に近づくと急に曇り靄っていた。それが佐久平駅に到着すると晴天なのでほっとした。

 

バスに乗っている時も、山道を登り出したら曇りだして不安になった。それが上に登るにつれ再び晴れ出すといった変わりやすい天気だった。

 

時間通り9時35分に高峰高原ホテル前に到着。バスはこのあと高峰マウンテンリゾートまで行く。

 

バスを降りると強い風が吹いていて、暖かい車内からいきなり寒風にさらされる。目の前にある高峰高原ビジターセンターに急いで駆け込む。

 

ありがたいことにここでトイレを使わせてもらい、建物の中で防寒着を脱いでザックにしまったり、アイゼンをケースから出したりさせてもらった。ちなみに今回は冬靴を持ってきた。

 

雪山といっても軽い登山しかしないつもりだったので冬靴は買わないつもりだった。3シーズン用と冬履との違いは断熱層があるかないかとソールの硬さが主な違いである。3シーズン用でも靴を濡らさなければ、そして熱い靴下を履いていればそれほど冷たくならないだろうと、そういった対策をしてきた。

 

実際、天気にもよるが、それでもなんとかなるような気はしている。けれど、こんど雪山教室に行くことにしたので冬靴が必要となったのである。

できるだけ出費を抑えたいので、特別価格が抑えられた靴を試すため、横浜の登山用品店まで出掛け靴を履いて30分くらい店内を歩いてから購入した。足に合ってラッキーだた。

 

また、ピッケルもネット購入した。これらシューズとピッケル、それにいつものストックをナイロンバックに入れて持ってきた。そして、ここまでのアプローチシューズとして軽量な、そして厚手の靴下で履けるよう大きいサイズのものをワークマンで買って履いてきた。

 

一応ご紹介すると、冬靴はスカルパのマンタテックというやつで、多分冬靴では一番安い。登山店のスタッフの話では、現在は値段が据え置かれているが近々値上がりするだろうということだった。

 

また、ピッケルはアイゼンで使用者が多い、グリベルというメーカーのもので、G1というモデルを買った。初心者はシャフトがストレートのものが良いということなので、それに従った。

 

 

 

こうして身支度を整え、登山口に向かう。

高峰高原ビジターセンター

いざ出発

登山口は、ビジターセンターの向かい側の少し上で、広場のようになっていた。一段高くなっているので滑らないように慎重に上がる。

 

ここで12本爪アイゼンを装着。このアイゼンはモンベルの3シーズン用に合わせて買ったものだが、幸いこのマンタテックにも装着できた。少しだけ右足の方が小さく、ちょっと緩いのが気になるので、今回の山行で試してみるのも目的の一つである。

 

こうして準備を整え、10時10分、いざ出発。思ったよりも早く準備ができた。

 

登山コースには表コースと中コースがあり、この登山口から道が分かれる。登りは表コース、帰りは中コースを通ろうと思う。

 

表コースはアップダウンがあり、ほとんどが樹林帯だがところどころ眺めの良いところが現れる。薄手のグローブを2枚重ねていたが、指先が冷たくなったので、最初の見晴らしの良い場所で厚手のグローブを取り出して交換した。

 

踏み固められたトレースのおかげで、アイゼンの爪がしっかり雪に刺さり、とても歩きやすい。そして雪を踏み締める音がなんとも言えず心地よい。

樹林帯の中は薄暗い-P(PはパナソニックLX-5で撮ったもの)

稜線の上に浅間が顔をのぞかせる-P

しばらく登ると左手に浅間山の山頂が顔を覗かせた。ちょっと雲が気になるが、ガトーショコラは見られそうで気持ちが昂る。

 

11時23分、槍ヶ鞘に到着。ここで浅間山とご対面。やったー、ガトーショコラだ。

ここでしばらく写真を撮ったりして風景を楽しむ。左手を見ると雪がほとんどついていない急峻な崖を登っている登山者の姿が小さく見えた。

槍ヶ鞘

次に目指すのはトーミの頭である。槍ヶ鞘から15分ほどさっき見えた崖を登って到着。順番を待って標柱前で写真を撮る。

トーミの頭-P

ここから外輪山の山頂傳に黒斑山、蛇骨岳、仙人岳、鋸岳と続く。いずれも浅間側の内側は深く切り立っており、危険な感じである。

 

それにしても見晴らしが良い。最高だ。よく見ると浅間の山頂から噴煙が上がっている。今ここではそれほど風はなく日も当たって暖かい。それでもマイナス2、3度ではあったが。

 

ところが浅間の山頂は雲がかかったり晴れたりと、雲の流れが早い。上空は風が強く吹いていそうだ。

 

ここから外輪山を縦走でき、それほどアップダウンもなさそうに見える。歩いていくと左手は深い森、右手は荒々しい崖とその下の平原そして浅間の優美な姿。

 

少し歩くと草すべりの分岐がある。ここからこの崖を下れば湯の平である。現在は賽の河原を通って外輪山を一周することが可能である。しかし、公共交通機関を使っての日帰り登山では時間が足りない。

 

12時8分、黒斑山に到着した。とくに登頂したという感じがしないままの登頂である。しかし、これで日本百名山の50座目、ちょうど半分という記念となる山となった。

 

黒斑山からの浅間-P

山頂にて(バックの浅間が飛んでしまった)

ガトーショコラではないけれど

ここでザックを下ろして昼食にする。浅間を眺めながらの贅沢な食事である。デザートとしてワッフルチョコをいただく。いわゆるガトーショコラではないのだけれど、ガトーの意味を調べるとケーキなどの焼き菓子のことらしいので、ガトーショコラとはチョコレートの焼き菓子、だからこのワッフルチョコもガトーショコラと言えなくもないとこじつけて納得させた。

 

ちなみに昼食はモンベルのリゾッタで、ここでも自作(ダイソーのランチバックの改造)のコジーはとても役に立った。モンベルのアルパインサーモボトルもほとんど冷めておらず、そのままお湯を注いで食べても熱々だった。

 

うまく合っていないけどパノラマで

外輪山の内側

 

山頂には50分ほど滞在して下山開始。来た道を戻り、途中から中コースへの分岐の方へ下っていく。

 

中コースはほぼ樹林帯の中を通り、ようやく下の方まで来てから視界が開ける。ここも樹林帯にしっかりとトレース跡があるので迷うことなく下っていけた。ただ、あまりに順調なので下るのが惜しかった。もっと歩いていたい、そんな気持ちだった。

中コースから下山-P

動物の足跡-P

スタート地点に戻ってきた-P

なるべくゆっくりと下っていったのだが、13時50分、車坂峠のスタート地点まで戻ってきてしまった。

 

朝、この広場で装着したアイゼンをここで外そうとしたが、一段下に降りなくてはならないことを思い出し、下に降りてから高峰高原ホテルの駐車場の隅で取り外した。駐車場のアスファルトは乾いていたので丁度良かった。ここでスパッツを外し、冬靴もワークマンシューズに履き替えた。

 

さて、バスの時間まで2時間以上ある。温泉に入ってのんびりしよう。

 

次々と下山してくる人はみなこの駐車場に止めた車のところへ行った。やはりちょっと早く下山しすぎたのだろう。

 

入り口から中へ入ると受付があり、そこで入浴料700円を支払う。なかなか良心的な価格である。

「今なら富士山を眺めながら入れますよ」

そう言って浴場の場所を説明してくれた。ああ、この一言がうれしい。

 

温泉の窓からは手前の雪は見えたが、メガネをしていないので富士山は見えなかった。だが、時間もたっぷりあるのでのんびりと湯に浸かった。いつも時間に追われてばかりいる習慣なので、へんに落ち着かなかったりもするのだが贅沢な時間を過ごすことができた。

 

湯から上がるとロビーでビールを飲みながら、大きな窓から贅沢な景色を堪能した。

もちろん富士も見えたし、その右手には八ヶ岳から蓼科山に続く山の稜線の美しい姿が見えた。

湯上がりに高原ビール

ホテルの窓から(富士が小さすぎて雲もかかってしまって)

帰りのバスは16時18分発。10分前にバス停に向かうとバスは到着していた。すでに二人掛けの席に一人は乗客が座っていて、所々二人で座っていた。

 

一人で座っていても隣にザックを置いているので座る場所がない。その中でも優しい人がいて、足元にザックを置いてくれていたので、声をかけてそこに座らせてもらった。

 

ぼくの後から乗り込んだ人たちも座席を探してうろうろする羽目になっていた。そんな姿を見てザックを膝に乗せて席を空けてくれる人が現れて、なんとか全員が座ることができた。

 

バスが発車するといつの間にか首を揺れに合わせて眠ってしまった。心地よい疲れであった。

 

 

最後に

大満足の雪山登山だった。

晴天と悪天候とでは雲泥の差だ。

しかし、天気は自然の循環、悪天候もまた地球に暮らすものにとっては必要なこと。

だから全てを楽しめばいいのである。

この前の蔵王ではホワイトアウトで前に進めなかった。

それもいい経験。だからこそ、晴天のありがたさがわかる。

 

帰りは小諸でバスを降りて小海線で佐久平まで戻って新幹線に乗った。その方が早く、またそうしなければ予約した新幹線に間に合わなかったのである。

 

さきほど温泉では時間に追われずのんびりしたが、結局ふたたび時間に追われて家まで帰ることになった。

 

そして、バイクの駐輪場では清算機が故障で電子マネーが使えず、新500円玉も使えずで、もう一度駅まで戻ってお札を崩さなければならなかった。あと30分遅れたら250円追加料金が発生するタイミングで、最後まで時間に追われる始末であった。

 

あ、最後に冬靴はあたたかく、ちょっとだけ大きく感じられたが靴擦れもなく快適でした。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

これがホワイトアウトか 【蔵王山】その2

前回は、山頂レストランで天候の回復を待っているところまで。

ヤマップか何かで、山頂レストランでコーヒーを飲んでいたら天気が回復したという記事を読んでいたので、同じようにならないかと期待。

だが・・・

challe.info

休憩のあと再び外へ

ホワイトアウト

山頂レストランで休憩しながら窓の外を眺める。

一時というか一瞬といった感じで日が差したが、またすぐに太陽は雲の向こう側。

それではと、地蔵岳を巻く道が通れないかと地図を見る。ひょっとしてそっちなら行けるのではないかという淡い期待が湧く。

そうと決まれば出発だ。

 

スキー置き場の壁の隅にスノーシューを立てかけておいたので、その前で立ち話をしている人に声をかけて割り込ませてもらう。

 

表に出てスノーシューを履く。今度は試しに左右を逆にしてみた。

アレッ。今度はすっと踵が留められる。それにラチェットダイヤルが枠に引っかからないどころかかなり余裕がある。

 

ひょっとして左右があった? だがそんな話は聞いていない。ともかく調子が良い。ついでにスノーシューをザックに取り付けるために付けてきたベルトを外してスノーシューに靴を縛り付けてみた。これで壊れる前と同じように使える。とても歩きやすく快調になった。

 

地図を見て巻道の入口あたりまで行ってみるが、案内板などは見当たらない。ただ、スキーで歩いた二本線がそのあたりから熊野岳の方に伸びていた。

 

ともかくこのトレースがあれば戻って来られる。そう思ってトレースの後を追っていく。だが、相変わらず雲の中にいてさらに見通しが悪くなっていた。

 

最初のうちは駅近くにいる人の影が見えていたが、しばらくするとその姿も見えなくなる。見えるのは霧の中に浮かぶスノーモンスターばかりである。何度も何度も振り返りながら、歩いてきた道を確認しながら前に進む。

 

いま、視界のなかで見える人間は自分一人である。まだそんなに遠くまでは来ていないはずなのに、まったく人の気配を感じられない。もし、このトレースを見失ったら、スマホやGPSの電源が落ちてしまったら、そうなったら人が大勢いる駅の近くで遭難することになる。

 

さっきまではっきり見えていた二本のトレースがだんだん薄くなってきた。よく見ないと見失いそうだ。それに雪の影がスキーのトレースのように見えたりもしている。さらには自分が歩いたスノーシューの跡はほとんどわからない。それだけ雪への沈み込みが少ないのだ。

 

スマホのGPSで確認すると、夏道に沿ってはいるけれども夏道とは離れた場所を歩いていた。雪の上はどこを歩いてもいいのである。つまりはっきりとした道はない。

 

次第に完全にホワイトアウト状態になってきた。

 

もう危険である。引き返そう。目を皿のようにして、今歩いてきたトレースを探す。それなのにトレースがはっきりとわからないところもあった。そんなときは少し引き返し、心を落ち着けてトレースを探した。

 

少し戻ってくると、駅の近くにある鐘の音が聞こえてきた。この音に向かって歩けば方角を間違えることはないだろう。なんだかとても安心した。

山頂駅近くにある鐘



 

再び地蔵岳に登る

標柱には「地蔵山」とある

うっすらと人影が見えてきた。もう安心だ。それにしてもホワイトアウトになったら動くのは危険だとはっきりと判った。GPSをたよりに歩くのは非常事態の場合だけと肝に銘じておこう。

 

ちなみに、正月に登った北横岳ではスマホの電源が落ちた。それは突然に起こった。そもそも古い機種だったので、バッテリーが弱っていたこともある。でも登山のYouTubeを見ていると、雪山ではスマホのバッテリーが落ちるということを何人もが語っている。

 

実際、昨年12月の伯耆大山では、モバイルバッテリーを繋いでもぜんぜん充電されなかった。モバイルバッテリーをポケットに入れ、そこにカイロを入れることにより、ようやく充電することができた。

 

そんなことがあったので、今回はスマホを買い替えている。といっても中古ではあるが。ただ、バッテリー能力が100%というものを買った。それにスマホは体に近いポケットに入れておくようにしたのでなんとか持ち堪えている。

 

さらにカメラはコンデジを持ってきていて、なるべくスマホを外に出さないようにした。

 

こうして命綱であるスマホのバッテリーが落ちないようにしてきた。それにガーミンのGPSも併用しているし、アナログのコンパスと地図も持っている。

 

それでもやはり真っ白な世界は恐ろしかった。

 

無事に生還できたことで嬉しくなり、スノーモンスターの近くの新雪の上をぐるぐると歩きまわる。スノーシューの調子もいい。だからもっと歩きたいということでもう一度地蔵岳に登ることにした。

 

午前中に下ってきたあたりから上に向かっていく。やがてエビの尻尾が目に入る。もう頂上はすぐそこだ。みな同じところを登るのでトレースもしっかりしている。後ろからはわかんを履いた女性が登ってきている。

 

山頂はさっきよりも視界が悪くなっていた。山頂の標柱を確かめるとすぐに下山した。

 

スノーシューは踵が自由なので踵から踏み込んで下っていく。さらに急なところでは斜めに下っていく。歩き方を習っていないので、自分で考えながらいろいろ試してみる。

樹氷高原駅の表に出て

ゴンドラの中から

 

こうしてまた山頂駅まで帰ってきた。まだ少し早いがロープウェイで下ることにして支度を整えた。山頂駅からはすぐにゴンドラに乗れた。しかし、途中の樹氷高原駅では2、30分待たされてしまう。

 

こうして麓の駅に降りてくるとまっすぐにレンタルショップに向かった。

見えているのは鳥兜山?

 

えっ、修理代がそんなにするの

店の中に入りスタッフに声をかける。

「スノーシューの返却なんですけど、それが割れちゃったんですよ」

するとスタッフの顔色が変わったのが判った。

 

奥に座って事情を話し、取れた部品を見せる。

「これはもう直せないですね。修理代をいただくことになりますが」

「普通に使っていただけなんですけど」と言ってみたが、そんなことはどうでもいいという感じで無視される。

 

いったんレジの方に行き、再び戻ってくると、

「1万円いただくことになります」

驚いて、思わず「えっ、そんなにするんですか」と返した。

だが、スタッフは何も答えず、他のお客さんの対応を始めてしまった。

 

もう一切話は聞かないぞという態度だ。感じが悪い。

ああ、レンタル代と合わせると13,000円。ワカンが買えちゃう。

 

「領収書をいただけますか」

こちらが声をかけるまで無視されつづけた。

こんなやりとりをしてお金を払い店を出ていく。

すでに2時を回っていた。山形行きのバスは15時過ぎだが、昼食がまだなのである。

 

温泉くらい入って行きたかったが、昼食を取ったらもう時間がないのでバスターミナルに向かう。

 

バスターミナルの中は人で溢れかえっていた。というより外にも大勢人が立っていた。

状況を伺っていると、ぐるりと回りながらバスを待つ人の列だとわかった。最後尾を確かめて列に並ぶ。

 

館内放送で臨時便が出るという。よかった。そうでなければ乗り切れないところだった。

 

ターミナルに来る時、その手前で振り返ると山頂の雲が晴れてきて熊野岳らしき山が見えていた。残念。また今度挑戦しよう。

蔵王温泉から蔵王を眺める

 

こうして熊野岳には登れず、スノーシューの修理代を払い、ついていないという想いを残して蔵王を後にした。

 

 

最後に

帰りの山形新幹線で

不運なことばかり書いてきたが、スノーシューで新雪の上を歩くのはとても楽しかった。

それに平地ばかりではなく、坂道も結構登れることがわかった。

しかし、スノーシューは値段が高いことと重量があることがネックである。

まずはわかんを買って雪山を楽しんでみたいと考えている。

 

なお、蔵王は夏に刈田岳の駐車場から登ったことがある。しかし、ほとんど歩くところがないので百名山の登頂とはしていない。

熊野岳を登った時に蔵王山の登頂とすることにしたい。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

これがホワイトアウトか 【蔵王山】その1

蔵王ロープウェイ地蔵山頂駅から

1月最終日曜日、蔵王に行ってきた。

天気予報を眺めながら、歩けそうな山で天気が良さそうなところを探す。

どこも天気が悪い。

その中で唯一、蔵王は晴れのち曇り。

風もその日は弱め。

よし、行くしかない。

 

蔵王に行くぞ

蔵王ロープウェイ駐車場

蔵王に行くと決めた。

さて、どうやって行くか。

前日の土曜日は、夕方から職場の新年会。

日曜日を有効に活用するためには夜行バスが便利。

調べると新宿から蔵王温泉行きのバスがある。

さらに3列シートでトイレ付きの席が空いていた。

早速ネットで申し込む。ああ、ネットは便利だなあ。深夜でも申し込むことができる。

 

新年会の後、小田急線で新宿に向かう。

午前0時を少し回った時刻、予定より数分遅れてバスが到着。

乗客はほとんどが若者。外国人もいる。座席は運転手の後ろの前から2番目。ありがたいことに中央の席に乗客はいなかった。けれどほぼ満席ではあった。

 

やはり3列シートは断然に楽。身動きするのに気を使わなくて良いのがいい。

おかげで(お酒がだいぶはいっていたこともあるけれど)、最初の休憩で停車したことにも気がつかないで眠っていた。

 

翌朝7時20分、予定通りに蔵王温泉に到着する。途中、山形駅前で半数くらいが降りていた。

停車したのは蔵王温泉で唯一というコンビニの近く。このコンビニで水と羊羹を買う。

そして向かったのは蔵王ロープウェイ乗り場。

途中に蔵王中央ロープウェイというのがあって、うっかりすると間違えそうだ。

こっちは子供が小さかった頃にスキーに来て乗ったことがある。

 

あのとき、3番目の息子がツツーと走って行って前のゴンドラに一人で乗ってしまった。小学1年くらいだったろうか。そちらはもう満席なので我々残る4人は次のゴンドラに乗ることになった。仕方がないので上で待っているように叫んでゴンドラに乗ったことを覚えている。

 

そんなことを思い出しながら、おそらく前日に除雪された歩道を滑らないように気をつけながら歩いて行った。

 

ロープウェイが動くのは8時半から。だがすでに、8時前の蔵王ロープウェイの駐車場は半分以上うまっていた。

 

今回はスノーシューをレンタルするつもりで来ている。だが、まだ開店前だ。そこでまずはロープウェイの切符売り場に並ぶ。もうすでに10人くらいが並んでいた。

 

 

地蔵山頂駅

事前に調べたところでは、ロープウェイに乗るまでに1時間半もかかることがあったという。それでも予定の熊野岳まで往復することはできるだろう。でも、早くつけばその先の苅田岳まで足を伸ばしたいと考えている。

 

チケット売り場(自動券売機)は20分くらい前(だったと思う)に開いた。このときすでに列の後ろには50人くらいが並んでいた。


チケット購入後、道路の向かいにあるレンタルショップでスノーシューを借りる。初めて使うと言ったけど、使い方の説明はなし。三千円なり。スノーシューがザックに取り付けられるようにベルトをつけてきたのでそれでザックにくくりつけた。


再びロープウェイ駅に戻り、乗り場の列に並ぶ。ちょうど階段の下くらいだった。二台目のゴンドラに乗れた。ただ満員電車並みに詰め込まれはしたけれど。

 

高原樹氷駅で乗り換え、地蔵山頂駅に向かう。こちらは12人が必ず座っていける。連なって次々とやってくるやつだ。こうして9時には山頂駅に到着した。思っていたよりもずっと早い。


山頂駅ではトイレに行ったりオーバーパンツを履いたり準備が大変だ。それに、バスを降りる前にコンビニのおにぎりを食べてはいたけれど、パンを齧ってエネルギー補給。

 

こうしてやっぱり一番最後になった模様。そうしている間に次々と人が送られてきていた。

 

するとなんだかやかましい。大声で喋る人がいく人もいる。そう中国人だ。小さな子供を連れて家族で来ている人たちが結構いる。富裕層なのであろう。だだ、それにしてもうるさい。

 

スノーシューを履こうと表に出る。すると太陽が雲の向こうに透けて見えていて、ガスで遠くまで見通せない。これでは熊野岳にいくのが難しい。なんとか晴れてくれないかと願う。

 

スノーシューを取り付ける。だがこれには苦労した。うまく嵌まらないのである。力技でどうにかつけて歩き出すとすぐに転けてしまった。するとBOAシステムのラチェットダイヤルがシューの枠に引っかかって元に戻らない。両足ともだ。

 

そのままでは戻らないのでいったんシューを外して引っ掛かりを潜らせてから履き直す。実に面倒だ。少し歩いてみて分かったのは、足を高く上げると枠に引っかかるということ。

地蔵岳の方向

ガスで近くしか見えないが、とりあえず地蔵岳まで行ってくることにする。さて、地蔵岳はどこだろう。地図を見ると、ロープウェイの駅の右手に地蔵岳があるはずだ。だが、山頂が見えない。

 

そして夜にだいぶ雪が降ったようで、地蔵岳に向かう人のトレースはほとんど見えない。それに今日一番くらいのロープウェイで来ているので、先行者も少ない。

 

それでも僅かについているトレースの後について登って行く。すぐに雪が深くなる。足を高く上げる。するとスノーシューが引っかかって前につんのめる。

 

ここまでにもう数回転んでいる。だがこのときは急斜面で、外して付け直す余裕がなかった。少し力を込めて踏みしめると、なんとBOAのダイヤルが割れてすっ飛んでしまった。

 

まずい。最初に思ったのは、修理代を取られるかということ。そのつぎにここで引き返さなければならないかということ。

 

修理代についてはいまさらどうなるものではない。

スノーシューはもう使えないかというと、踵をはめるのがきつかったことが幸いして、つま先がガッチリ固定されていなくとも外れてこないということがわかった。つまり気をつけながら歩けばなんとか使える。

 

それで、ともかく足をあげすぎないように注意して(後から思えば、踵が上がらないように固定すればよかった)、ほぼ新雪状態の上をのっしのっしと歩いて上がった。

 

途中で気がついたのだけれど、トレースが見えなくなったのは、さらに上にいった人たちはスノーシューかスキーを履いていたからだと思われる。壺足で歩いた人は途中で諦めて引き返したためにそこで踏み跡がなくなっていたのではないか。

 

スノーシューで歩くとほとんど沈まない。自分でも歩いた後がわからなくなるくらいだ。はっきりとわかるのは、ストックをついたまあるい穴。

 

ちょっと不安だけれど、ともかく登っていけば山頂に辿り着ける。気をつけるのは下りだ。

 

新雪の上も歩いてみた。どこを歩くのも自由だ。スノーモンスターのすぐそばにまで寄っていける。下では観光客がモンスターのそばによって写真を撮っているのが見えた。

エビの尻尾の道案内

 

そうして少し登って行くと、等間隔に並んだエビの尻尾が見えた。登山道に立てられた目印だと思われる。よかった。これに沿って登っていけば山頂に着けるだろうし、帰りも迷わずに下れる。

 

ところどころにちょっとした段差のような斜面があって、スノーシュー初心者(というか使い方もよくわからない)にとっては頭を使うところもあったが、トライアンドエラーで、真っ直ぐにいけなければ斜めに登ればいいわけで、なんとかクリアー。

 

例の壊れたシューがときどき引っ掛ったりはしたけれど、無事に地蔵岳の山頂に立つことができた。

 

山頂は真っ白で、視界は6、7メートルほど。周りの景色は見えず、熊野岳にいくのは断念して下山することにする。

 

地蔵岳山頂にて

 

下りでも段差のような斜面では斜めに降りて、転倒せずに下ることができた。エビの尻尾が終わってから下は、登ってきたルートが分からず、方角だけを頼りに下って行く。ときどき、鐘の音が聞こえて、山頂駅の方角を確かめられたのはよかった。

 

とりあえず、山頂駅のレストランで待機して、天気の回復を願うことにする。

天気の回復を願い一休み

 

レストランに入るといっきにメガネが曇る。ここで暖かいコーンスープを注文する。幸いテーブルが空いていてそこに座ることができた。

 

つづく。

 

 

広告

 

 

1月、今年は雪が少ない 【赤城山】

正月からバタバタとして、なかなかブログを書く時間が持てない。

先日の1月14日、ようやく赤城山に登ってきたが、実は2日に北横岳、8日に鍋割山に登っている。

とりあえず、記憶の新しいところから書き始めることにした。

 

早朝の電車に乗る

14日は全国的に晴れマークが多かった。

山の天気予報でも赤城は晴れ。

ただ、雪は少なめでチェーンスパイクがあれば十分といった感じである。

赤城山は一昨年に計画を立てていた。

けれど、11月で路面凍結のおそれがあるため延期することにしていた。

そして今年、元旦にチャレンジしようとしたところ、前日、すこし喉が痛くなったため2日に延期することにした。

 

ところが、赤城山に朝早く到着するバスは、土日しか運行していないことが分かった。

そんなことで2日は行き先を変更して北八ヶ岳の横岳(北横岳)に行くことにしたというわけである。

 

赤城の土日運行の早朝バスというのは、前橋駅を8時45分に出発してあかぎ広場というところまで1時間ちょっとで運んでくれる。

 

しかし、このバスに乗るためには平塚駅5時18分発の電車に乗らなければならない。

当然それまでに平塚駅に着くバスなど走っていない。

 

そうなると、自力で駅まで行かねばならない。

つまり、ぼくの場合はスーパーカブに乗って行くということになる。

 

午前3時半、まだ夜が明けていない中に起き出して出発準備を整え、4時10分に家を出た。

 

早朝のバイク。まだ体は温まっていない。当然寒い。だからたくさん着込んだ。それでもまだ寒い。したがってあまりスピードは出さなかった。

 

驚いたことには、そんな早朝にもけっこう人がいたことだ。バイクに乗った人も数人見かけたし、自転車に乗っている人もいた。日曜日に仕事に行くのだろうか。

 

そういえば電車に乗る人もけっこういて、平塚駅で乗車すると座席の8割くらいは埋まってしまった。

 

さて、この電車、東海道線なのになんと高崎行きなのである。これは上野東京ラインというもので、熱海駅を4時35分に出発した電車が約40分かけて平塚駅にやってきて、それから約3時間かけて高崎まで行くというものである。

 

だからぼくは、この電車にずっと乗っていれば(座っていれば)高崎まで連れて行ってくれる。長丁場だが、東海道線にはトイレがついているのがありがたい。

 

 

あかぎ広場バス停留所

おのこ駐車場から

高崎からは両毛線に乗り換えて、15分で前橋駅に到着。ここからバスに乗り換え、1時間10分ほどであかぎ広場前で下車。10時少し前にようやく赤城山の麓に到着だ。

 

バス停の前はおのこ駐車場で、そこのトイレで用を足し、着込んでいたものを脱いでザックに詰め、チェーンスパイクをすぐに取り出せるところに入れ替える。

 

そんなことで手間取っていたらいつの間にかぼく一人取り残されてしまった。こうして10時半、赤城山の黒檜山登山口に向けて歩き出した。

 

左手に大沼を見ながらまずはその先の赤城神社を目指す。大沼は独特な読み方で「おの」と読むらしい。寒さのせいで言葉を省略したのだろうか。

 

赤城神社は駐車場側から入って行くのだが、そこは裏手になる。ぐるっと回って正面に行き、登山の無事を祈る。お参りをして戻る時、うっすらと積もった雪の下が凍っていて一瞬つるっと滑った。幸いコケはしなかったが気をつけなければならない。

赤城神社

 

駐車場から15分ほどで黒檜山登山口に到着。ここで電車に乗る前に買ってきていたもち麦パンを食べてエネルギー補給。そしてチェーンスパイクを装着した。

 

チェーンスパイクはAmazonで買った知らないメーカーの安物である。これで歩くのは初めてとなる。

 

 

黒檜山を目指す

黒檜山登山口

10時55分、いよいよ登山開始だ。この登山口の急登はYouTubeで何度も見ているので驚かなかった。それに地形図を見ると山頂近くの分岐の稜線まで線が一直線で等高線も詰まっている。つまり急登を直登することになる。

 

雪は少ないが、やはりチェーンスパイクがあると安心して登ることができる。アイゼンほどグサっと刺す必要はないが、歩き方はほぼ同様で靴底の爪をしっかり効かせることが大切だと感じた。

 

少し登ると大沼を見下ろせるポイントがある。大沼は半分凍りかけでまだまだワカサギ釣りは出来そうになかった。

最初のポイント

 

ツアーの一行なのだろうか、ガイドが10数名を引き連れていて、途中で皆が本格アイゼンを装着していた。おそらくアイゼンの練習のためでもあるのだろう。

 

その一行を追い抜いて岩と雪のミックスの登山道を登って行く。

 

急登を登り終えると少し傾斜がゆるくなり、尾根道に出る。そこに猫岩の標識が立てられている。だが、どれが猫岩なのかがわからない。そしてここから岩の多い尾根道が続く。

猫岩から先の尾根道

 

この尾根道の先に富士山という標識が目に入る。標識の指し示した先に富士山が見える。だが、ぼくの場合はいつも眺めているので特別な感慨は湧かない。その代わり富士のおかげで大体の方角がわかる。それにしても今日は快晴。遠くまでよく見える。

富士山、わかりますか?

 

このあと再び急登となり、黒檜山から駒ヶ岳に続く尾根道に出る。そこを左に折れて数分で黒檜山山頂だ。赤城山はカルデラ湖を囲む火山の総称である。その中で一番高い山が黒檜山なので、これを登って百名山登頂ということになる。

 

12時ちょうど、稜線の分岐に到着、その2分後に赤城山1828mの頂に立った。今年最初の百名山である。

黒檜山を見上げる

山頂直下の急登

分岐の標識

49座目の百名山登頂

山頂で記念写真を撮ってもらい、その先の展望地に向かう。少し下ったところに大勢の人が思いおもいに景色を眺めていた。そしてちょうど昼食どき、風もなく暖かな陽射しを浴びて昼食をとっていた。

 

それにしても雲ひとつない最高の眺めである。山の名前がよくわからないのでAR山ナビでスマホカメラで見てみるが、なかなか同定するのが難しい。けれど、どちらの方向にどんな山が見えているのかはわかる。それぞれに頂に雪を載せている姿が美しい。

AR山ナビで写真を撮る

 

ぼくもここで昼食にする。100均のランチバックを改造したコジー(保温用のカバー)を初めて試す。お湯はモンベルのアルパインサーモボトル500に今朝熱湯を入れてきた。食料はいつものモンベルのリゾット。これにいつものフリーズドライ味噌汁。こちらはフォルダーカップに入れてお湯を注ぐ。このカップも改造型コジーに入れることができる。

 

思った通りほとんど冷めずに暑いリゾットを食べることができた。大成功である。

 

この展望地には40分ほど滞在。出発の際、チェーンスパイクを6本爪の軽アイゼンに履き替えた。この軽アイゼンはまだ使ったことがなかったのでテストしたかったのである。なお、チェーンスパイクは靴底に雪がダマになってくっついてしまうのが難点だとうことがわかった。

 

黒檜山、分岐を超えていくとその先に鳥居と黒檜大神の石碑がある。ここにはちょうど13時に到着。ここで無事にここまで来れたことに感謝し、この先も見守っていてほしいとお願いした。

黒檜大神

 

 

黒檜山から駒ヶ岳

駒ヶ岳と小沼、大沼

黒檜山から駒ヶ岳へ続くルートは、一旦おおだるみまで下る。せっかく軽アイゼンに履き替えたのだが南向きの斜面に雪はほとんどなく、すぐにアイゼンを外すことになった。

 

大ダルミから駒ヶ岳への登りには多少雪が残っていたが、アイゼンなしでも十分に登ることができた。そして13時半に駒ヶ岳登頂。ここからの眺めも素晴らしい。東側を望めば平野の中にポツンと筑波山が聳えていた。

大ダルミ

谷川岳

遠くにうっすらと筑波山

駒ヶ岳山頂には10分ほど滞在。あとはおのこ駐車場まで下って行くだけだ。

 

ところがこの斜面、雪が溶けてぬかるんでいた。滑り止めとして軽アイゼンを履いて下ってみる。案外調子が良い。そして稜線から樹林帯に入ると、ジグザグの南に向いている坂は雪が溶けているけれど、北に向かうときは残った雪が凍っていた。

 

そのため軽アイゼンはつけたまま下って行く。アイゼンは、雪のないところでは歩きにくいが雪や氷の上ではとても安心感がある。

 

だいぶ下って駐車場まであとわずかになり、雪もだいぶ少なくなったのでアイゼンを外す。そして雪が残っているところでは慎重に足を置いていった。

 

ところが、ちょっと気を許した隙に足が滑った。あっという間に足が前に持っていかれ尻餅をつく。左の尻の端と右膝に痛みが走る。それは左の尻の端がちょうど岩が尖ったところに落ちたのと、右膝が前の岩に突っ込んで行ったことによる。

 

幸いなんとか歩くことができたのでよかったが、ソロの場合、骨折でもしたら下山できなくなる。氷の上はためらわずにチェーンスパイクなどをつけておくべきだということである。用心に用心を重ねることに越したことはないのだ。

 

今回のことを教訓にして、雪や氷のある山は特に気をつけなければならないということを肝に銘じておきたい。

 

こうして14時20分、無事に元の場所に戻ってくることができた。

延べ時間3時間50分(休憩約1時間)、歩行距離6.7キロの登山であった。

 

 

最後に

駐車場で軽アイゼンの掃除をした。

持って行ったブラシで汚れを落としたのだが、例の泥が詰まってなかなか取れなかった。洗い場があればちゃんと綺麗にできたとは思うが、それでも細かいところに泥がけっこう詰まっていた。これが雪でも落とすのは大変だろうと思った。

 

歩行時間は大したことがなかったが、移動時間が長かった。

バイク30分、電車3時間、バス1時間。合計4時間半。これが片道である。

ただ座っていれば良いのだが、家にたどり着いてどっと疲れが出た。

夕食も平塚駅のラスカの食堂でぎりぎりラストオーダーに間に合った。

21時にはビルを出なければならず、店を出てトイレに行こうとしたら、

「どちらにいかれるのですか」と警備員に呼び止められた。

トイレですというと、もう閉めるので急いでしてきてくださいと急かされてしまった。

 

ありがたいのはバイクの駐輪場で、朝から夜まで停めていてなんと250円。

やっぱりバイクはいいなあ、寒いけど。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

絶景は幻の如く【大山(だいせん)】その2

大山登山。

前日に集めた情報では下から雪。

一度解けて凍り、再びその上に雪が積もっている。

おかげで六合目まではアイゼンなしでも歩くとこができそう。

でもその先は最低でもチェーンスパイクが必要。

風は海側(北側)から吹きつけて来て、予報では風速10mくらい。

だから登りでは追い風となるが、下りでは正面下から噴き上げてくる。

風が強い時はゴーグルが必要となる。

そして天気は曇り。午後から少しは回復するかも。

こういった状況だった。

 

雪山を登る

今年最後で、毎週登山の最後を飾るのが鳥取大山。伯耆大山といったほうがいいか。我が家の近くにも大山があるが、むこうは<ダイセン>といい、我が家の方は<オオヤマ>という。馴染みの深い山と同じ文字の山にこれから登ると思うと、何か特別なものを感じてしまう。

 

朝5時半に起床。階下に降りてお湯を注ぐだけの蕎麦と昨日の夕方に買った味噌パンで朝食を済ます。

 

相部屋となった男性はぼくより早くに起きて外の天気を何度も見に行っていた。ぼくが食事をしている時に外から入って来て、「雪が降ってますよ」と教えてくれた。ぼくがスマホで調べた限りでは、8時頃まで雪で、晴れマークは夕方になってからだった。

 

その男性は、午後になった方が晴れる確率が高いというので9時過ぎに出発する予定だという。ぼくは本格的(となってしまった)雪山は初めての体験となるので、余裕を持って予定通り7時に出発すると答えた。

 

宿のオーナーは、お湯を入れておき、朝に再びお湯を沸かすと早いといって、昨夜のうちに渡したポットに熱いお湯を入れて渡してくれた。そのポットを手に再び2階に上がって登山の準備をする。

 

再び下に降りると、今夜の集まりのために来た人たちが3、4人到着して登山準備をしていた。

 

オーナーは登山口までの道が滑るので気をつけるように言った。とくに橋の上が滑るという。お礼を言って7時に宿を出発する。

 

雪は結構降っていた。道は完全に凍っていてその上に雪が積もり、昨夜の道よりも滑らなかった。橋の上は結構雪が積もっていてまったく滑らず歩くことができた。

 

橋の向こう側に駐車場があり、そこに登山届のポストが置いてあった。必ず記入して行くようにと書かれていたので、コンパスで登山届を提出していたが、ここでも紙の登山届を記入してポストに入れる。

 

その隣にトイレがあり、そこの屋根の下でダウンの上着をザックに入れた。寒いと困るのでたくさん着て来ていたが、さすがに着過ぎだったようだ。

 

駐車場に車はまだわずかしか停まってはいなかった。これから登ろうという男性がトイレに来たので足元を見ると、すでに本格アイゼンを装着していた。それを見て、ここでアイゼンをつけて行った方が良いかもと思ってはみたが、雪も小降りになって来たので行けるところまで行ってみることにした。

 

こうして7時40分、準備万端で駐車場の奥から歩き始める。だが、夏山登山口は車道をもう少し先までいったところだということが後で分かった。だた、駐車場の奥からでも夏山登山道に入ることができたので、問題はなかった。

 

夏山登山道に入ると、まるで参道のような階段の道だった。なだらかで雪は少なく、さらに階段がつけられているので、アイゼンがない方が歩きやすかった。

夏山登山道

しかし、登るにつれて雪が多くなって来た。標高1000メートルあたりで初めてとなる12本爪アイゼンを装着する。アイゼンはオーバーシューズが履けるようにビンディング式ではなくベルト式を購入していたが、オーバーシューズはまだ買っていないため、今回はレジ袋をオーバーシューズ代わりに履いてからアイゼンを付けてみた。

 

このとき、ザックの口を広げたままで作業をしたのでザック内の荷物の上に雪が積もってしまった。慎重に雪を掻き出す。だが、少し中が濡れてしまった。良い教訓になった。

 

アイゼンの爪を反対の足に引っ掛けないように気をつけて、足をつく幅を広げて慎重に歩き出す。

雪道は夏よりも運動量が多くなるようで、途中で暑くなり、ザックを下ろしてさらにフリースを脱ぐ。脱いだフリースをザックにしまうのも、手袋をしているので時間がかかりもどかしい。けれど、またすぐに暑くなり、再び停まってラムズウールのセーターを脱いだ。

 

結局着ているのはモンベル・ジオラインメッシュの袖なしのアンダーシャツ、ジオライン中厚手のアンダーシャツ、ウィックロンのフロントジップシャツにゴアのレインウェアという格好となった。

 

五合目に着くと谷側から風が吹いて来た。これまで樹林帯で風はほとんどなかったのでそれが心地よく感じる。

 

五合目の標柱の反対側には小さな祠があってそこに登山安全と書かれた石柱が立っていた。そこで登山の安全を祈願する。

 

 

登山の安全を祈願する

樹氷が美しい

初めて歩いた雪山らしい雪山は、とても素晴らしく感動的だった。静寂な樹氷の樹林帯の中にぎゅっぎゅっと雪を踏み締める音が響く。こうして雪山を登っている自分というものを意識すると自ずと気持ちが昂ってくる。

 

そうやって自分に酔っていると目の前に小屋が現れた。そこが六合目だった。

そこからは大山山頂や三鈷峰が見えるという図が書かれた案内板が小屋の前に立てられていた。けれど真っ白で何も見えない。


ここまで登るのにかなり暑くなっていた。上はその都度脱いできたが、下はアイゼンを外すのが手間なので我慢してきた。そこで、この避難小屋の前でレインウェアのパンツを脱ぐことにし、アイゼンを外す。雪山ではこうしたひとつひとつの作業に時間がかかり、夏山とは全く違うということを実感した。

 

六合目からの急坂を登るべく準備万端整えて登山道に入ろうとしたとき、上から若者が二人降りて来た。

「もう登って来たのですか、早いですね」と声をかけると

「途中で諦めて降りて来たところです」との答えが返って来た。

足元を見るとアイゼンもスパッツ(最近はゲイターと呼んでいるらしい)もつけていない。降りて来て正解だと思う。

 

だいぶ下の方から前になったり後ろになったりと、ほぼ歩く速度がおなじの3人のパーティーがいた。彼らはチェーンスパイクで登っていた。ぼくと同じでピッケルはなく、ストックだけで歩いていた。

 

かと思えば、六合目に後からやって来た4人連れのパーティーは、本格アイゼンにピッケルという完璧な冬山装備。こうした観察をするのも面白かった。

 

この辺りは雪が深かった

森林限界を越える

西側斜面

山頂はもうすぐ

山頂付近の木道

頂上避難小屋(裏側)

 

10時46分、大山(弥山)登頂。山頂は視界がきかず、風が強かった。しかし、予報の風速10メートルまでは吹いていないようでラッキーだった。一緒になったフル装備のパーティーに写真を撮ってあげ、こちらも撮ってもらった。

 

山頂には5分ほどいただけですぐに下山する。夏は下りルートとなる方は踏み跡が全くなかったため、登って来た道を引き返した。

 

幸い風が弱くなっていて、ゴーグルをつけずに歩くことができた。天気は回復に向かっているのだろうか。

天気が良ければ気持ちがよさそう

美しさに見惚れながら下って行く

 

ちょうど1500メートルの地点で、突然、ガスの切れ目に下の景色が現れた。えっと思ってスマホを用意している間にもう見えなくなってしまった。その景色とは日本海とその海岸線がくっきりと見えたのだ。それがまるで幻のようにすぐに姿を消してしまった。その後しばらく粘ってみたけれど、ふたたびチラリと見えたのは薄いベールに包まれていた。

ここに絶景が見えていた

あきらめて六合目の小屋まで下って行く。すると、再びあの絶景が姿を現した。

 

ちょっと残念だったのは、手前の樹氷が見える範囲を狭くしていることだった。しかしそれでもその景色は素晴らしかった。手前の樹氷の向こうには紅葉の小高い山が見え、その向こうには半島の先が見えた。

六合目から見えた景色

少し右手を見る

すこし引いてみる

とりあえず写真が撮れたので、避難小屋で昼食にする。小屋は思ったよりも狭かった。先客がいたが、ちょうど出るところだったようで場所を空けてくれた。昼食はモンベルのリゾッタで、宿のオーナーが沸かしてくれたポットのお湯を入れて出来上がりだ。

表に出ると、パンを食べている人がいたので小屋の中に入れると声をかけたが、そのまま外で食べていた。

すると、だいぶ前に下って行った男性が走るようにして登り返して来た。下の景色が見えてきたのであわてて登って来たのだと言った。

 

その男性と場所を入れかわりながら写真を撮る。ときどき青空がのぞいてだんだん晴れてくるかと思いしばらく待っていたが、なかなかこちらの思うようにはなってくれない。流れて行く雲の切れ目からときどき下が見えるという状況は変わらなかった。

 

登って来た男性は、「なかなかこっちへ来る機会がないので、せっかくの景色を見ようと登って来た」と言った。東京の方でたまたま出張があったので、1日延ばして登りに来たのだそうだ。今日はこれから帰るということだった。

 

しかし、それにしてはしっかり冬山装備を身につけているなあと思った。きっとしょっちゅう山に登っているのだろう。しばらく景色を眺め、その男性は先に降りて行った。

 

少し遅れてぼくも降りようと思ったところに山頂で一緒だったパーティが降りて来た。もうとっくに降りていたと思っていた。きっと山頂の避難小屋で昼食をとっていたのだろう。

 

その4人のパーティーが降りた後をついて下る。途中で見晴らしの良い場所があり、そこでも写真を撮る。どうやら雲の下に降りてきたようだ。

 

そこからさらに下ると元谷に下る道との分岐になった。今朝はまったく踏み跡がついていなかったが、いまは踏み跡がついていた。そこで、同じ道を引き返すのはやめて、当初の予定通り元谷を経由して戻ることにした。

 

分岐を右に急な階段を下って行く。アイゼンをつけているので雪の少ないところでアイゼンの爪が引っかかり、つんのめりそうになりあせった。慌てず慎重に下ることにする。

元谷に降りる行者登山道

木々の間に谷が見える

谷に降りると三鈷峰が正面に。そして青空も

元谷避難小屋

元谷避難小屋のあたりをうろうろして景色を眺める。谷の少し上に東京から来たという男性がじっと動かずに写真を撮っていた。

 

そこで、スマホをしまい、少し下にある登山道に入ろうとして振り返った時、大山北壁全体が見渡せた。そしてその美しさに息を呑んだ。

ああ、写真ではあの感動を伝えられない

https://youtu.be/qOG2iKxZdkU

動画ならどうだろうか?

 

こうしてしばらく北壁を眺めていた。いつまでも眺めていたいと思った。

 

名残惜しくもこのあと堰堤を渡り、ブナ林を谷に沿って下る。この林の中の下宝珠越との分岐でアイゼンを脱ぐ。そこから少し登ると大神山神社奥宮に着いた。社殿は工事中で足場で覆われていた。

 

 

奥宮正面の階段を下ると長い長い参道となっていた。雪が残り滑る参道を杖をつきながら登ってくる夫婦連れやリュックを背負った人が数人登って来た。ぼくも滑らないように気をつけながら下って行く。

大神山神社参道

 

下まで降りてから今度は大山寺への階段を上がる。ここにも雪の中を歩いてお参りに来ている人たちがいた。

大山寺

14時50分、ふたたび登山を開始した駐車場に戻って来る。ここで下山届をポストに入れて大山登山は完結した。

駐車場手前の橋の上から

 

その後は温泉に入り、食堂で名産の豆腐をいただく。

 

夜、同室の男性の山仲間による宴会が開かれた横でちびちびとビールを飲んでいたら、博多のもつ鍋やおつまみのご相伴に預かった。温泉の食堂ですこし食べ過ぎており、腹がぱんぱんになってしまった。

 

しばらくして地元に住むマッターホルンに登ったという母親と5歳の娘さんが相手をしてくれた。こうして実に幸せな気分で床に着いた。

 

 

 

米子城跡

8時40分発米子駅行き

翌朝、8時40分発のバスに合わせて支度をする。1階に降りると、昨日の母娘が朝食をとっていた。

 

他に同室の男性とその仲間の男性も食事をしていて、山の話などをしている。なんとなく聞いていると、それぞれの山の山小屋メニューの話だった。そしてその山小屋の人気メニューを食べるために登ってくる人もいるという。グルメでないぼくにとっては想像できない話だった。けれど、そうした登山の楽しみ方もあるのだなあと参考になった。

同室の男性はいつも山小屋を利用しているらしく、そこからいろいろな情報を得ているようだった。山小屋に泊まるのも悪くないなと思った。

 

バス停について今日の大山を眺める。今日も山頂は雲の中だ。

 

バスはすでに到着していた。ここ大山寺バス停が始発で米子駅行きだ。乗客はぼく一人でだいぶ先まで誰も乗ってこなかった。これじゃ赤字だな、地方のバスがどんどん廃路線となるのもうなずける。

 

米子駅に着くと小雨が降っていた。帰りの飛行機は午後2時過ぎなので、米子城を見に行く。昨夜、マッターホルンのお母さんに話したら、今、若い女性に人気の城だと教えてくれた。

 

城(実際には城址だが)に向かっている途中で雨が本降りとなったので傘を差す。駅の近くから小さい山が見えたが、近づくとその先にもう一つ小高い山があり米子城はそこにが築かれていた。

www.yonagocastle.com

城は明治になって取り壊された(明治政府はなんと酷いことを)ということだが、石垣などはしっかり残っている。天守のあったところまで登ると、海側からぐるっと回って米子の街全体が眼下に収まった。雨なので残念ながら大山までは見えなかった。

米子駅方面の眺望

米子駅前で昼食(11時半に店が開くまで待った)を食べ、帰りも鉄道に乗り、今度は乗り遅れないように早めに空港に向かう。このJR境線は鬼太郎列車が走っていて、それぞれ駅名に愛称がつけられている。米子駅はねずみ男駅となっていた。帰りに乗った列車は目玉おやじの列車だった。

 

 

最後に

伯耆大山は曇りだった。雪だった。けれど大山の素晴らしさの一端を味わうことができた。

大山から見下ろす景色はまさしく絶景だということも、短い間だったけれど雲の切れ目から覗き見ることができた。

そして北壁のスケールの大きさと美しさに見惚れてしまった。

さらにぼくにとって本格アイゼンを履いて登るのは初めてで、雪山の素晴らしさを知った。

同宿の男性は3回目にして初めて下の景色を見ることができたと言っていた。ぼくは初めてでそれを見ることができたので幸運だった。

 

 

今年の目標の日本百名山50座にあと2座足りなかったが、今年最後の登山はとても満足できるものだった。

これで西日本側は伊吹山を残すだけとなった。あとは北の山々と標高が高い山ばかりが残っている。そして今後はテントばかりではなく、山小屋に泊まるのも悪くないなと思っている。

今回は日程に余裕を持たせたので、ゆっくり景色を眺めたり、温泉に入ったり、食事を楽しんだりすることができた。こうした楽しみをこれからも味わっていきたいと思う。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

絶景は幻の如く【大山(だいせん)】その1

米子に向かう列車の中から

今年最後となるであろう百名山。

鳥取の大山に登りにきた。

予想に反して今年は雪が早い。

雪山はやらないつもりであったが・・・

 

神奈川の自宅から米子に向かう

毎週登山を計画したのが十月で、その時にいっきに交通機関の予約もとった。

鳥取の大山にはどうやって行くか。

一日休暇を取ることにして金曜から2泊3日で予定を組む。

できるだけ疲れず、そして安く行って来たい。こうした条件で調べたところ、飛行機を使うのがよいと判断した。

1日目と3日目は移動日とし、2日目に日帰り登山をする。これなら疲れない。

 

そうして2023年12月1日(金)の早朝、羽田に向かった。

いつもなら、横浜YCATから羽田空港直通のバスに乗る。だが今回は、空港行きの京浜急行に乗って行くことにした。到着は羽田空港から出発する時刻の40分前の予定だ。

 

ところがである。この日は平日でしかも通勤時間帯。相鉄線を横浜で降りて京浜急行まで歩くのに大混雑で予定の電車に間に合わなかった。さらにうっかりして特急ではなく普通電車に乗ってしまった。

 

こうして羽田駅に到着したのは20分前。慌てて第2ターミナルに向かい、荷物を預けようとしたところ、受付時刻を過ぎているとのメッセージ。保安検査場も通過しておらず、結局予定の便に乗ることができなかった。

 

しかし、ありがたいことに次の空席がある便に振り替えてくれるという。

この日はとても混んでいて、保安検査を受けるために並ぶ人の行列が、ベルトで作られた通路からあふれてさらに列が続いていた。

 

係の人に聞くと、「3番カウンターで振替手続きをしてください」という。

行ってみると、そこは大型荷物を預ける場所だった。そしてそこもかなり多くの人が並んでいた。念の為係の人に確認して列の最後尾に並ぶ。

 

こうして12時30分の便に振替をしてもらった。予定の便は9時10分だったので3時間20分遅れとなる。

 

ああ、今日は移動のみでよかったと思う。慌てることはない。

到着したら昼食を取る予定だったので、ここで先に食べておこう。だがいまは10時半、少し早い。今回はクレジットカードのゴールドカードを持ってきた。ラウンジに行ってコーヒーでも飲もう。そう考えてラウンジのある場所を探す。2階だ。

 

ラウンジは建物の隅にあった。

「このカードで入れますか」

受付でカードを提示する。

「お調べいたします」

そう言って受付の女性がカードを端末に読み込ませる。

「お客様、このカードは期限が切れています」

「えっ」

カードを見ると期限は11月末、昨日で期限が切れていた。

 

新しいカードが届いた記憶がないなあと思いつつ、すごすごと引きさがった。

しかたがない、少し早いが昼食を食べることにしよう。

 

だいぶ早い昼食をとり、すぐに保安検査場の列に並ぶ。

あとは出発ロビーでのんびり過ごした。

 

 

米子空港から大山寺の宿まで

米子鬼太郎空港駅

米子空港には14時過ぎに到着。出発が10分遅れたので到着も10分遅れだった。

乗換案内アプリで調べると、JRで大山口駅まで行き、バスに乗り換えて行くのが早いらしい。

ただ、早いと言っても、米子での乗り換えで37分、大山口発のバスが出るのに31分と待ち時間が長い。

それでもまだバスがあるだけマシだ。タクシーで行くとなるといくらかかるのだろう。

米子方面

当初の計画では、15時頃に大山寺バス停に到着予定だった。着いたらまず宿に行って荷物を置き、近くの温泉に入ってからそこの食堂で夕食を食べるつもりだった。

 

バスの到着は17時20分の予定。すでに食堂のラストオーダーの時間は過ぎている。せめて温泉だけには入りたい。調べると平日は最終受付が17時半となっていた。間に合うか。

 

4時を過ぎてかなり寒い

予定時刻の16時19分に電車が大山口駅に到着すると、かなり冷え込んでいた。だが、出発までまだ30分もあるというのにすでにバスは駅前に停まっていて、中で待つことができた。

 

幸いバスは定刻より少し前に到着した。ありがたい。凍った道を急いで日帰り温泉「豪円湯院」に向かう。間に合った。ここで490円を支払って階段で2階に上がる。左手を戻るように進むと自動ドアがあり、ボタンを押すと、なんと手前のドアの向こうのドアも一緒に開いた。2重のドアになっている。これは寒さ対策なのだろうか。

 

脱衣場から中に入ると洗い場になっている。寒い。ガラス戸一枚向こうに露天風呂が見える。ひとまず外の露天に向かう。寒さでぞくっとする。しかし、湯船に入れば天国だ。外は雪景色。最高である。

 

内湯は洗い場の向こう側にあった。薄暗い洞穴のようなところで、なんだか神秘的な風息が漂う。

 

ここは490円というとてもリーズナブルな価格だ。それでシャンプー、コンディショナー、ボディソープが置いてある。それだけでも良心的で素晴らしいのに、さらにとても気持ちのいい温泉だった。ぜひ、みなさんにおすすめしたい。

 

豪円湯院 - 大山の霊水で温泉事業と豆腐豆乳の製造をしています。

 

さて、温泉から上がると18時少し前。温泉の並びの2つ先に売店があったので今夜の飲み物とおつまみを買う。そこはモンベルの直営店でここで買ったもののポイントを加算してくれる。

 

なお、この店の閉店は18時、ギリギリ間に合ったのだった。

ここから歩いて1分のところにモンベル大山店がある。ここは19時閉店なのでまだ時間がある。ちょっと寄ってみることにした。

 

store.montbell.jp

 

 

モンベル | 店舗 | モンベル 大山店

 

 

店に入るとすぐのところに置いてある手拭いに目が止まった。大山限定デザインだという。もうひとつ手拭いが欲しいと思っていたのでこれを手に取ってレジに行く。

 

レジで手拭いを渡し、店員さんにちょっと聞いてみた。

「大山の雪はどうですか」

「この前どかっと雪が降っていったん解けたのですが、上の方では解けずにまたそのうえに雪が積もっているようです。」

「本格的なアイゼンは必要ですか」

「6合目まではアイゼンなしでも登れるようですが、その上は急になってアイゼンなどが必要になるようです。チェーンで登られている方もいるようですが、わたしなら12本爪アイゼンを持っていきますね」

今度12本アイゼンを買おうと思っているところだったので、聞いてみた。

「持ってきたのは6本爪の軽アイゼンなんですよ。ここで12本アイゼンって置いてありますか」

置いてあるというので、それじゃここで買うといったら在庫を出してきてくれた。

 

何種類かを手にして来て、実際に登山靴に合わせてくれた。するとこのまえ海老名のモンベルで合わせたサイズではギリギリで、逆にちょっときついくらいだった。

 

しかし、ワンサイズ上にするとゆる過ぎて使えない。いろいろ試して最終的にSMサイズのワイドがいいということになった。登山靴はワイドではないため、その分靴が前に出るのでゆとりが生まれたのである。そのかわり、前の爪の出っ張りがちょっと短くなってしまった。

 

閉店の音楽が流れる中、モンベルを後にして今夜の宿に向かう。ここから宿までは5分ほど。凍った坂道を滑らないように気をつけながら歩いて行く。

 

今日から2日間お世話になる宿は「寿庵」という変わった名前のゲストハウス。オーナーは女性。これまでいろいろと近くの店の情報をくれたり、素泊まりなので食事の準備などの心配をしてくれるメールを送ってくれていた。

 

実際にお会いしてもやはりとてもこちらを気遣ってくれて、それがとても自然で気さくな方だった。遅くなったことを詫びて、空港からどうやって来たとかアイゼンを買っていたという話をした。

 

受付票に記入して代金を支払い、施設を案内してもらう。宿泊する部屋は2階だという。建物は古いが宿泊客のことをよく考えて内装が整えられていた。つまり、必要な部分に絞って新しいものに交換されているといった感じで、それがよく考えらえて過不足がないというような印象を受けた。

 

それから夕食にしようと、もってきたレトルト牛丼のパックとアルファー米を取り出す。するとオーナーは、鍋にお湯を沸かしてくれた。とてもよく気がきくのである。

 

そして、もう一人千葉の男性が同じ部屋で、この日は客は二人だけだが、翌日は山つながりの人たちが大勢集まって宴会を開くので賑やかになるのだという。

 

明日は何時に出発するのかとオーナーに聞かれた。7時頃に出ようと思うと答えた。計画では6時に出発することにしていたが、日の出の時刻が7時頃であることが分かり、出発を遅らせることにした。また、予想に反して雪が多いので、弥山への往復だけにして三鈷峰まで足を伸ばすことをやめることにした。

 

残念ながら明日の天気予報は曇り。しかも朝のうちは雪。ただ、午後は晴れるかもしれないという。ぼくは初めての本格アイゼンでの雪山なので、どのくらいの時間で歩けるのかわからないため、日の出とともに出発しようと考えた。

 

同宿の男性は大山は3回目だった。明日は午後の方が天気が回復しそうなのでゆっくりと9時頃に登る予定だという。

 

こうして夜10時に消灯してベッドに横になった。

 

つづく

 

 

広告

 

 

ドライブウェイは冬季通行止め 【伊吹山は白かった】

米原に向かう途中

大阪からJRで米原に向かう。

なんと宿から大阪駅まで40分もかかってしまった。

それは地下鉄乗り場がなかなか見つからなかったからだ。

東京のように地下鉄への入口に目立つ大きな看板がないということもあるが、そもそもどんな地下鉄が走っているかをよく調べていなかったからである。

昨日、奈良から大阪に戻るのも高速を乗り継いだが、どの高速を走っているのか皆目分からなかった。

全てナビにお任せで、出口を一つ早く降りてしまった時には焦った。

そして借りた車も古くてかなり酷かった。

米原では<軽>を借りることにしている。

どんな車になるだろうか。

 

 

伊吹山ドライブウェイ

伊吹山へ

大阪駅から新快速とやらで米原に向かう。これがちょうど米原行きなので間違えようがない。

大阪から約1時間半、9時半頃に米原駅に到着。

予約していたオリックスレンタカーの店舗に向かう。

米原は高い建物がないため、空が大きく感じる。

列車から見えた温度表示は7度となっていて、駅舎から出ると寒さを頬で感じた。

 

店舗に近づくと、洗車を終えたばかりの軽自動車が見えた。おそらくあれだなと思う。

店内に入り、受付をしてくれている女性の店員さんに「寒いですね」と声をかけると、

「ずっと暖かかったのですが、一昨日から急に寒くなったんですよ」ということだった。

 

手続きを済ませ、外に出るとやはりその車が用意されていた。ワゴンRだった。

一周して外観を点検する。ピカピカだ。そしてそれはまだ1万キロも走っていない新車だった。

 

担当の男性はとても親切に車について説明してくれた。とても感じがいい。大阪の担当者は一体何だったのだろうと思う(前のブログにその感じの悪い対応ぶりについて書いた)。

 

「これから伊吹山に行ってこようと思ってるんです」と言ったが、特に情報は得られなかった。

 

伊吹山に登るには、伊吹山ドライブウェイで山頂まで登るしかない。

今年7月の豪雨で登山道が崩れたので、現在は下から登山することはできない。車で山頂駐車場まで登り、そこから山頂まで行ってくることができるだけである。

 

それにこのドライブウェイを通行するのに3,140円もかかるのである。

けれど、せっかく大阪まで来たので帰りがてらちょっと登ってこようと思ったわけなのである。

 

本当は麓から登りたい。だが、登山道がいつ復旧するかわからない。

 

そんな複雑な思いで伊吹山ドライブウェイ入口に向かう。

途中、前方に白く化粧をした独立峰が目に入る。きっとあれが伊吹山だろう。思ったより雪が多いなと思った。

 

するとナビが、通行できない可能性があるのでルートを再検討するようにというようなメッセージが現れた。嫌な予感がする。

 

それでももう後少しで入口に到着だ。とりあえず行ってみようということで車を走らせる。

 

そういえば、ここのところレンタカーの車の感想を書いていた。ここでもちょっと言いたい。

軽自動車は今回初めて借りた。

昔、軽自動車を所有していたことがある。当時は排気量が360CCだった。それにアクセルの位置がすこし内側に寄っていた。それに比べると、現代の軽は軽じゃない。まったく普通のコンパクトカーという印象だ。

 

加速はいい。馬力もある。音も静か。サスペンションも少し硬めで走りやすい。性能としては申し分ない。欠ける点と言えば、実用的すぎて遊びがないというような感覚的なもの。運転を楽しむという贅沢を求めてはならないのである。まさに質実剛健といった車なのであった。

 

そんな車に乗って伊吹山ドライブウェイ入口に到着した。

そしてそこには<冬季通行止め>という文字が。なんと前日から通行止めとなっていた。

 

ああ、オリックスレンタカーの担当者も知らなかったのだな。

 

仕方がない。時間までどうするかを考えよう。

目の前の駐車場に一旦車を入れる。ここは関ヶ原。関ヶ原古戦場を見ておくのも悪くない。

 

 

関ヶ原古戦場

記念館前の通りから

関ヶ原。一体どんなところだろう。石田三成が先導する西軍と徳川家康率いる東軍がこの地で戦った。そんな漠然とした知識しか持ち合わせていない。そして、これまで見たドラマでは地理的関係がよくわからなかった。

 

現地を見れば多少はわかるかもしれない。そう思ってナビに関ヶ原古戦場と打ち込む。すると古戦場記念館というのが表示された。ここへ行ってみよう。

 

そこまでは5分とかからなかった。

車を停めて記念館へと向かうと大型バスが止まっていて、入口に長い列ができていた。

そこで初めて気がついた。いま、NHKの大河ドラマは家康が主人公だった。我が家にはテレビがないので大河ドラマは全く見ていなかったのですぐには気が付かなかったのである。

 

入口から入って入場券を買おうとすると、

「12時のシアターはもう予約でいっぱいです。予約していない方でも次の回なら入れます」という説明があった。

通常の展示を見る場合は800円、シアターも見る場合は別途500円がかかるらしい。

 

そんなにのんびりしている時間もないので、2階の展示室と5階の展望台に行ける800円の券を購入した。

 

この展示でもビデオでの解説があり、合戦が始まってから時間ごとにパートが区切られて説明されていた。これを見ただけでも大体の流れがわかった。

 

初めは地の利の良い場所に布陣した西軍が優っていたが、劣勢になったのを見た家康は最前線まで陣を移動させた。それがこの記念館前の広場の位置だった。

 

それから形成は逆転し、石田三成の陣がある笹尾山が責められるという流れだ。

 

この記念館は関ヶ原古戦場のほぼ中央に位置し、展望台に上がると関ヶ原全体が見舞わせるという絶好の場所だ。ガラス越しに周りを見ながら当時の合戦の状況を想像することがなんともいえず楽しい時間だった。

 

中央少し上、白いものが見えるところが笹尾山

 

その後、石田三成の陣のあった笹尾山に行ってみた。

ここは関ヶ原全体が見渡せる絶好の場所だった。三成も当然戦況を目の当たりに知ることができただろう。

笹尾山入口

笹尾山を登る

笹尾山からの眺め

決戦地 三成軍が応戦

もし、西軍の総大将である毛利輝元がこの関ヶ原で指揮をとっていたら、家康は負けていたかもしれない。そんなことを空想してみるのであった。

 

この笹尾山には自称小早川秀秋というガイドの方がいた。説明の後、これだけは覚えて帰ってほしいと言っていたのが、最近の研究で、「わし小早川秀秋は初めから東軍で、途中で寝返ったのではない」ということだった。

 

それがなかなか訂正されないのでこうして皆さんに説明しているのだということだった。

 

こうして、伊吹山登山は断念せざるを得ず、かわりに笹尾山という小さな山に登ってきたという顛末であった。

 

 

最後に

今回の大峰山、大台ヶ原、伊吹山を巡る計画は、残念ながらまともだったのは大峰山だけだった。

大台ヶ原は最高峰のみ、伊吹山は登れずという結果。

だが、こうした旅も楽しかった。

 

ともかく毎週山登りに出かけるという強行軍なので、多少の計画不足はやむを得ないし、予定通りいかないことを楽しむのも悪くない。

なにごとも悲観的に考えては楽しくない。必ず良い面と悪い面とがあるものなのである。陰と陽は表裏一体なのである。

その現実をどのように捉えるかということが人生を豊かにもするし、つまらなくもする。

これからもほどほどの無理をしながら登山を続けていこうと思っている。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

車のナビに従ったのが間違い 【大台ヶ原】

大台ヶ原の平らな道

大峰山の弥山にテント泊して、翌朝、弥山登山口まで降りてきた。

 

レンタカーを時間内に返却するには、予定より1時間早く出発しないと危ない。

流石に大阪、道が混んでいることを計算に入れていなかった。そう思って急いで準備をする。

 

問題は車のナビである。正確に打ち込まないと目的地が見つからないし、そうしても見つからないこともあっていつも手間取る。

ところが今度は割と早く目的地を設定できた。

だが、確か移動距離は37キロだったはず。

それなのに3時間半もかかるとナビが表示している。いったいどういうわけか?

 

カーナビの目的地設定に苦労する

大峰山下山中に朝日が昇る

毎度のことながら、カーナビに登りたい山の登山口を入力しても見つからないことが多い。

弥山登山口なんか結局設定できずに近くの場所を設定して走り出した。

だが、近くだと思っていた場所は結構離れていて、その先はスマホのGoogleマップを見ながら走ることになった。

 

8時20分、下山して車に戻り、急いで支度をしてカーナビを設定する。

今回の目的地は大台ヶ原。

ここは訪れる人が多いのだろう、すぐに見つかった。到着まで3時間程度かかるという。

 

おかしい。

計画したときの記憶では1時間程度で到着するはずだった。だが、早く到着して早く帰らないとという気持ちの焦りがあった。

この駐車場に来るのも計画よりも2倍の時間がかかった。だから、おかしいなと思いながらもそんなものなのかと一人合点し、ともかく急いで出発した。

 

それは来た時の道を戻るものだった。

そして、車の加速の悪さなど不満を抱きながらも慎重に狭い道を走っていった。

ようやく渓谷の狭い道を抜け出して、センターラインのある道に出た。

しかし坂道はDモードでは前の車についていけず、Sモードに切り替えてやっとついていけるという具合だ。

後ろを走るタクシーが車間距離を詰めてくる。

そんなとき、道の駅を見つけたのでそちらにハンドルを切る。ちょうどここで弁当が売っていた。お湯を沸かさずに済むので昼は弁当にすることにした。ついでに朝食としてパンをひとつ買った。

 

大台ヶ原に近づくと、道は山の稜線上を走るようになる。それがずっと繋がっている。あまりキョロキョロと周りを見てはいられないが、この道をドライブしているだけでもけっこう楽しい。

 

そしてけっこう頑張ったが、時間短縮はできず、11時半にようやく大台ヶ原駐車場に着いた。

 

 

大台ヶ原最高峰に登る

展望デッキからの景色

大台ヶ原では駐車場のあるビジターセンターを起点に一回りするコースがある。およそ4時間弱。けれどそれだと15時を過ぎてしまう。

レンタカーの返却は17時。とても間に合わない。

レンタカーの返却時間を伸ばすか、大台ヶ原のコースを変更するか。

頭では冷静にそう考えているのだが、体のほうは4時間も歩きたくないと言っていた。

 

疲れている・・・そもそも大阪までは夜行バス。しかも4人がけでほとんどリクライニングもできないというバスに乗ってしまった。これがいちばんの原因。そして大峰山の雪道をあるいたこと。

 

大台ヶ原最高峰は日出ヶ岳で1695メートルだ。それが片道40分で行ける。ちょうどいいじゃないか。

とりあえず、日出ヶ岳に登れればいい。そう思うことにした。

 

ビジターセンターからしばらくは上りも下りもない。始めは上高地みたいだと思った。だが、右側が谷になっていてその斜面の形に沿って道がつけられていた。上高地では梓川に沿って道がつけられているところが違っている。

 

やがて坂道になり出したが、それでも急坂ではなかった。これならスニーカーで十分歩ける。ああ、きょうは楽ちんだなと思う。

 

その急ではない坂を登っていくと稜線にでた。向こう側の少し下が展望台のデッキになっている。天気が良い日はここから海が見えるのだと書いてあった。今日は残念ながら天気ではあるが遠くが霞んでいる。

デッキ越しの景色

そのあたりから日出ヶ岳山頂までは階段がつけられていた。山頂には展望台がある。

12時8分、日出ヶ岳登頂。ひとまず展望台へ。

残念ながら近くの山は見えるのだが遠くの方は霞んで見えない。

それにしてもお手軽な百名山だった。

やはりここにはもう一度来て周囲を歩きたい。そう思った。

最後の登り

一応記念撮影

展望台から南を見る

これは西だったかな

これは東方面

昼食

日出ヶ岳を後にする

 

最後に

大阪の夜

13時少し過ぎに大台ヶ原駐車場を出発した。

良くも悪くもカーナビがないと目的地につけない。

大阪の高速は複雑で、カーナビの指示通りに走るのも大変だった。

そして料金所だらけ。ETCカードを持っていないので一般の料金所に入るのも車線変更などで気を使った。

それでもどうにか間違わずに大阪に戻って来た。

だが、渋滞のためあとどのくらいかかるかの時間が読めず、料金所の先でレンタカーのお店に「遅れそうだ」と電話をかけた。

本来は出口に行くところだったので本線に戻るのも大変だった。

そして最後の最後に出口を一つ早く降りてしまった。

カーナビはまだ高速の中を走っていることになっている。

あとは感で走る。

そして、周りの車には迷惑をかけたが、どうにかカーナビも一般道の表示になり、時間内に車を返却することができた。

この日の宿がある本町で地上に出たらイルミネーションが綺麗だった。

 

そうそう、後で確認をしたら、弥山駐車場から大台ヶ原まではやはり37キロ。それは行者還トンネルを抜けて、つまりカーナビで案内してくれたのとは逆方向に進むべきだったとわかった。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

大阪から奈良へ 【大峰山(八経ヶ岳)】

弥山より八経ヶ岳を望む

先週、磐梯山に登れなかったので、今年中に50座の目標は果たせそうもなくなった。

けれどめげずに頑張ろう。

 

先日の寒波で西日本でも雪。

当然、今回目指す大峰山も雪が積もっているだろう。

いや、もうだいぶ解けたか。

ちょっと迷ったけれど、今回は4本プラス1本の簡易アイゼンを持っていくことにした。

今回はテント泊の予定なのでできるだけ荷物は軽い方がいい。

 

登山計画

大峰山は奈良県にある。山脈である。

一般には大峰山で最高峰の八経ヶ岳を指す。

 

八経ヶ岳を目指すために、弥山登山口まで車で入ることにした。

弥山に登ってから八経ヶ岳まで往復し、弥山のテント場に泊まる予定だ。

 

11月22日の水曜の夜に高速バスで横浜を出発し、大阪ヘ向かう。大阪からは今回もレンタカーを利用する。

 

この計画を立てたのは10月で、コロナで夏を棒に振ったのを取り返すために毎週出かける計画を立てたのである。

それは、10月の初旬に屋久島の宮之浦岳に登った後だ。宮之浦岳がちょうど40座目だった。

今年中にあと10座は登りたいという野望を抱いた、とはちょっと大袈裟だが、西の山に登ればなんとかなるだろうと思った。

 

ところがもう西の山は数えるほどしか残っていなかった。

そこで、北の方にも目を向けて、まだ雪は本格的に降らないだろうと言う希望的観測でまずは北方面の山に登る計画を立てたというわけである。

 

そうして、これまで北にある四阿山、巻機山をまずは目指した。

ところが四阿山では天気が悪く、雪に降られた。巻機山では曇りだった。

そのつぎに四国の剣山と石鎚山に登った。剣は霧、石鎚は冷たい雨に降られた。

 

そして先週の安達太良山で45座目となった。

ふたたび北になったのは、休みが取れたので後から追加したためだ。しかし、悪天候のため磐梯山は断念した。これで50座の目標は達成の見込みがなくなった。

 

それにしても毎週末は天気が悪い日が多かった。本当に晴天だったという日は一度もなかった。

 

 

弥山登山口

11月23日早朝、大阪の梅田に到着すると天気は曇りで肌寒かった。ひとまずトイレに行きたかったが、どこにトイレがあるのかが分からない。

コンビニに行けばあるだろうと3軒のお店に入ったが「トイレはありません」と書いてあったり言われたり。最後のところでは「この辺だと吉野家くらいかな」と言われてしまった。

 

残念ながら、朝食はバスの中で食べたところなので、牛丼は食べられない。すると斜向かいにタリーズの看板が見えた。ちょうど開店したところだった。レンタカーは8時半の予約で、店は8時からしか開かないので、一服するにはちょうどいい。

 

こうしてすべてがうまくいき、気持ちよくニコニコレンタカーのガソリンスタンドまで歩いていった。これまでニコレンを2回利用したが、どこも感じが良かった。そしていつも新車だった。

 

ところがである。応対してくれた親父さんは言葉は丁寧ではあるのだが、どうも上から目線でものを言われているように感じてなんだかげんなりした。

 

「車は禁煙です。タバコを吸ったら罰金をいただきます」

「飲食禁止ではないですが、臭いが残るようなものは食べないでください」

「駐車違反で罰金を払う場合はこちらの電話番号に連絡してください。当て逃げされたときは保険の対象外になります。この時も連絡してください。それから、時間に遅れそうになった時も必ず連絡してください。連絡がなく遅れた場合は、規定の遅延料の2倍をいただきます」

 

借りる車の点検となり、別の担当に変わりホッとする。

今回の車は以前借りたトヨタパッソと兄弟車であるダイハツのブーンである。

だが、残念なことにとても古い車なのだった。

 

だから、これまでの車と比較することができない。比較対象外である。

走行距離が14万キロを超えていて、サスがへたっていた。これでは怖くてカーブではずっと減速せざるを得ず加速も悪かった。それにタイヤも随分と減っていた。

 

ヘッドライトはオート機能がついておらず、トンネルが多いところを走ったので、まめに操作をしなければならなかった。

 

まあ、こんな具合で、昔に乗っていた車の運転を思い出したりした。そして最近の車はよくできているなあと感心したのである。

 

余談ではあるが、最近ライトをアッパービームにしている車とよく出くわすが、きっとオートにしていて勝手にアッパーに切り替わっているのではないか。これだけはいただけない。対向車は眩しくて前が見えなくなるので危険である。

 

 

さて、前置きが長くなったが、大阪から奈良の行者還トンネル西口にある弥山登山口に向かう。これが道が混んでいて結構時間がかかった。距離にして104キロ程なので、2時間もあれば着くだろうと思っていたのだが、結局、4時間もかかってしまった。

 

これは、渋滞ばかりでなく、渓谷の狭い道に入ってからスピードが出せなかったことも原因である。

 

駐車場に停めると、係の人が料金を取りにやって来た。当然のことながら「これから登るのか」と尋ねられる。上で泊まる予定なんですと答えると、2泊なので2千円になりますという。

 

「山小屋はもう閉じているのはご存知ですか? 水も持っていかないとないですよ」

小屋が閉じていることは知らなかったが、「テントなので大丈夫です。水も持って来てます」と答える。

実は途中で水場があったかと心配になった。地図を見てそれがないことに気づき、コンビニで2リットルのペットボトルを買って来ていた。買っておいて良かったと思った。

 

「上の方は雪がだいぶ残っているらしいですよ」と情報をくれた。

「一応、アイゼンも持って来てます」

ただ、万一のための簡易アイゼンだけどと心の中でつぶやいた。

 

こうして2時間遅れで登山を開始する。

 

 

登山開始

登山口近く

始めは沢沿いの平らな道だ。当然だがすぐに下って来た人に出会う。その後も次々とやって来た。登りに入っても下の方に雪はほとんどなかった。だが、チェーンスパイクを手にした人が結構多かった。

 

「雪はどうですか?」

「上へ行くと雪がありますよ。アイゼンがあった方が歩きやすい感じです」

そう聞いて、それならアイゼンなしでもいけるかなと思う。

 

始めの登りは尾根道ではあるがかなりの急登だ。50分程歩くと稜線に出た。ここは奥駈道出合(おくがけみちであい)である。ここからはなだらかな稜線になる。なだらかではあるが、雪が解け出して、ぐじょぐじょになっているところを何度も通過した。

 

稜線の尾根は広いので、道は一本だけではなく、また、雪のため通れる場所も増えていた。できるだけ、ぬかるんでいない場所、そして雪が深くない場所を選んで歩いていった。

 

この感じならアイゼンは使わなくても行けそうだと思った。

広い稜線

前方左手に見えた山。たぶんあれが目指す山だろう

14時20分、聖宝の宿(しょうぼうのしゅく)跡を通過する。そこには行者だろうか、銅像が建っていた。あとで調べてみると、それは聖宝理源大師の像だそうだ。大師は大峰山中興の祖と言われているらしい。

 

大峰山中興の祖

 

この少し先までがなだらかな起伏の稜線で、その先からだんだん急な登りになる。

ジグザグになった道の先には青空が広がっていた。

急な登りに入ったところ

いったんなだらかになった後、さらに傾斜がキツくなる。やがて道は北側斜面に回り込み、聖宝八丁といわれるところになる。

 

そこで、ローカットシューズで下りてくる人に出会う。その中年の男性に雪の状況を尋ねた。

 

「このすぐ上のところが一番雪があります。そのさきの木道はそれほどでもありません。私はアイゼンなしで来ましたけれど、行ってみれば付けたくなりますよ」

 

こちらがアイゼンを付けようかどうしようかと思っていることを察して教えてくれたのだ。

 

 

軽アイゼン

その方の言った言葉の意味はすぐにわかった。斜面をトラバースしていくので、滑って右側の谷に落ちていってしまう危険を感じたのである。

 

安全な場所に少し戻ってアイゼンを付ける。今回は4本プラス1本爪の簡易アイゼンなので、少々心許ない気がした。しかし、実際に歩いてみると、これがあるのとないのでは大違いだった。

 

アイゼンの爪がしっかり雪面に刺さるように足を降ろして歩いていく。土踏まずあたりにしか爪がないため、つま先で蹴るように歩いては滑ってしまう。

アイゼンをつけたところ

こうして難所を過ぎると木の階段になった。先ほどの男性が言った通り、ここは雪があまりついていない。しかし、隅の方には踏み固められた雪があるので油断はできない。けれど、アイゼンをつけている場合は、雪の上の方が歩きやすい。

 

そこを登ると左にトラバースし稜線に出る。この少し手前で、女性を先頭にした3人連れと出会ったのが最後だった。そこをまっすぐに進んで山頂を目指す。

 

稜線に出たところ

弥山小屋

15時10分、山頂近くの弥山小屋に到着。小屋は割と大きかった。その小屋の向こう側にテントが一つ張ってあった。おそらく日が当たって解けたのだろう。小屋の前のそのあたりだけ雪がなく、芝が見えていた。

 

急いでぼくも隣にテントを張った。そして15時半、自転車用の上着を来ていたので、背中のポケットに水や行動食を入れて、ザックを置いて小屋を出発。最初、弥山山頂に行こうとしたが、思い直してまずは八経ヶ岳を往復することにする。

 

弥山小屋

右側の芝の上にテントを張る

八経ヶ岳に向かう

ゆっくりと下り始めると、南斜面のため雪はあまりついていかったのでアイゼンを外す。コルに下り、登り始めたところでふたたび付ける。

 

最後の登り

山頂にある錫杖

なだらかな弥山山頂。赤い屋根の小屋が見える

15時53分、八経ヶ岳に登頂。久しぶりにみる眺望の良さに感激する。

5分ほど滞在し、同じ道を戻る。オオヤマレンゲ自生地といわれる道を今度はのんびりと歩く。

トウヒ?

枯れ木と月

16時20分、小屋に戻り今度は弥山山頂を目指す。7分ほどで山頂に到着。ここには立派な弥山神社が建てられていた。

鳥居をくぐって山頂を目指す

山頂の弥山神社

弥山山頂から八経ヶ岳を望む

テントに戻るとお湯を沸かし夕食。早々に寝袋にくるまる。

夜になって風が出て来た。風に煽られたテントが体に触れる。

それほど寒いというわけはなかったが、なんだか底冷えしている感じがしたのでカイロを腰に貼る。

翌朝まで風は止まず、テントを片付けるときに飛ばされないように慎重に畳んだ。

6時10分、朝食は食べずにともかく急いで下山した。

外はもうライトなしでも歩けるくらいだった。

下山するまで風は止まず、特にあのなだらかな稜線では風が強かった。

 

 

最後に

4本プラス1本爪の簡易アイゼンはもうかなり昔に買ったものだ。

プラス1とは、この1本だけが横向きになっているのである。あと4本が縦方向になっている。まあ、5本爪ということである。

 

ゴムのバンドも古いので何度も引っ張って確認したが、ヒビなどは一切なかった。

そういえば、使うのは今回が初めてだった。これまではお守りとして持っていただけだった。

 

使ってみて、雪があったりなかったりの今回のような場合では、軽アイゼンがピッタリだったと思う。それに危険度もかなり下がったと思う。使ったことはないが、ほとんどの人はチェーンスパイクを使っていた。こちらも同じだろう。

 

今回も頑張って歩いたつもりだったが、歩行時間はほぼ標準タイム。やはり雪道では時間がかかることがよくわかった。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

あゝ猪苗代は悪天候 【磐梯山は姿を見せず】

安達太良山から磐梯山に登るべく、猪苗代に移動した。

山の中に入ると小雨が降って来た。

長い長い土湯トンネルに入る。

トンネルと抜けるとなんと激しい雨。

山の向こうとこちらではこんなにも気候が変わるのか。

なんとか磐梯山に登りたい。

さて、明日は晴れるだろうか。

 

猪苗代のゲストハウス

雪の安達太良山を頑張って歩いた。

急いだつもりだったが標準タイムとほぼ同じだった。

やはり雪道は時間がかかるものだと思った。

ああ、疲れた。

熱い風呂に入りたい。

だが、今日の宿はゲストハウス。多分シャワーしかないだろう。

 

暗くなって宿のに到着。

駐車場はどこだろうと思っていたら、若いオーナーらしき人がライトを持って近づいて来た。待っていてくれたのだ。

オーナーが先頭に立って駐車場まで案内してくれ、小雨の中をぼくが荷物をまとめて外に出るまで待っていてくれた。

宿は、民家を改築したものらしい。内装がとてもすっきりと綺麗に作られていた。

指定された部屋にはベッドが4つあり、すでにひとりの宿泊客が入っていると言う。

中心がラウンジになっていてかなり広く作られていた。そのなかにバーが併設されていて、飲み物のほかに食事も作ってくれる。

 

「明日は何時頃出られますか?」

「明日は磐梯山に登ろうと思っているので6時半頃出ようと思います」

「どこから登られるのですか?」

「猪苗代のスキー場のあるところから登ろうと思ってます」

「それならここから10分くらいで着きますよ」

「予報では明日は雨らしいです」

「晴れてくれるといいですね」

 

 

悪天候のため登山中止

翌朝、ラウンジの広い窓から見える外には雨が降っていた。

それもけっこう強い雨だ。

本来なら磐梯山が見えるであろう窓からの景色は白い靄の中である。

この雨なら山の上は雪になっているだろう。

安達太良山にもあれだけ積もっていたのだから、さらに降れば歩くのは難しいだろう。

そう判断して登山を中止することにした。

 

用意して来たコンビニのおにぎりを食べながら、バスの発車する時間までどうしようかと思案する。

そうだ、温泉に入ろう。

 

近くの温泉を探す。たくさんある。どこにしようか。

レビューを見ていると「森の旅亭 マウント磐梯」が良さそうだ。

ここからだと車で約30分。10時半から入浴できる。ちょうど良い。

10時までのんびりして出発。昨日走った道を戻っていく。

ホテルに近づくとなんと雪が降り出した。

傘を差しながら玄関にむかう。

フロントで入浴したいと申し出ると、

「現在清掃中なので、男湯は貸切風呂になります」

ここの良いところはさまざまなお湯が楽しめるというところ。心の中で「残念」だと思うが、ほかに行くのも大変なので妥協した。

 

貸切風呂はすでに4人が入っていた。内湯は3人入っていてぼくが入るともういっぱいという感じ。

そとに露天風呂があるらしい。あとの一人はきっと外にいるのだろう。

内湯の3人はすぐに出ていった。

露天風呂に行ってみる。

やはり一人入っている。

「雪ですね」

その人が言った。

「ここにはよく来られるのですか」

「近くにいるのですが、初めて来たんですよ。どちらからですか?」

「神奈川県からです。磐梯山に登ろうと思っていたのですがこの天気なのでやめました」

「富士山には年に2回くらい登っています」

「わたしは一度でもういいと思いました。富士山は眺める山だと思います」

「今年は箱根の温泉に行って来ました。一泊5万円もしたので孫を連れていったら大変でした」

 

 

十割蕎麦

そんなことを話して温泉から上がって外に出ると雪は止んでいた。

十割蕎麦の看板を見ていたので昼は蕎麦が食べたい。

近くに二軒見つかった。

そのうちの一軒に行ってみる。

走っていると日差しが差し込んできた。一瞬、登るべきだったかと思ったが、やはり雪が深くなっているだろうと思い直す。

 

蕎麦屋に入ると、ご主人がストーブに当たっていて客はいなかった。

かき揚げせいろセットを注文する。

するとご主人は奥に向かってオーダーを伝えた。

すると作るのは別の人か。

出来上がりを待っていると夫婦連れの客が入って来た。

 

ご主人がぼくのせいろセットを運んできて、かき揚げはセリだと教えてくれた。これに蕎麦の実と刺身こんにゃくが付いてきた。

 

そのあと奥から女主人が現れる。やはり調理は奥さんがしているようだ。

すると女同士で色々と話し始め、その後、女主人はご夫婦に大根の塩漬けを「食べてみて」と運んできた。その後ぼくにも。

 

こうしてこの次には山椒の実。その次に「飲んでみて」と大根のスープを運んできた。

それは、赤い大根と蕎麦の実のスープで胡椒が効いた食欲をそそるもので、大根の食感がとても良い感じだった。

 

上から赤大根の塩漬け、山椒の実、赤大根のスープ


極め付けは蕎麦湯だった。

蕎麦つゆに入れた蕎麦湯を全て飲み終わってから、熱い蕎麦湯を入れ替えて持ってきてくれた。

つゆはもうないので蕎麦湯だけをいただく。するとこれがすごく旨いのだ。やはり十割蕎麦だ。

 

こうしている間にも女主人はご夫婦とずっとおしゃべりをしている。

「スープには出汁は一切入れていないんです。最近は何でもかんでも出汁を入れるけど、入れなくても大根の味がちゃんとでるんです」

こうして注文した以外にいろいろとご馳走になっていると、外でまた雪が降り出した。それも吹雪のようにたくさん降っている。

「この降り方では積もらないね」

喋る機会のなかった店のご主人が言った。

それにしても目まぐるしく天気が変わるおかしな天気である。

店を出て郡山にレンタカーを返しに向かう。

少し下ると雪は止み、また日差しが差し込む。

戊辰戦争の記念碑が目に止まり、駐車場に入ってみる。

そこには「母成峠古戦場」と書かれていた。

 

 

予定より早く郡山に到着し、レンタカーを返却。

「タクシーを呼びますか。バスもありますよ」

若い女性の店員が愛想よく言った。

「歩いていくので大丈夫です。磐梯山に登ろうとしたけど、天気が悪いのでやめたので」

そう言って駅まで歩いていった。

 

帰りは高速バス。15時50分発なので、まだ1時間もある。

こうなりゃ打ち上げだ。

駅の建物の中に地酒の飲めるいい店を見つけた。

メニューを見るとちょい飲みセットというのがある。

ビールと日本酒、それにつまみが2品付いている。

運ばれてきた日本酒は「榮川」の純米酒だと説明してくれた。

 

呑みながら、屋久島で出会った青年が日本酒で気に入っていると言っていたのは福島の酒で、確か「廣戸川」だったというのを思い出した。

 

メニューを見てみるとその名があった。

そこでもう一杯注文。

飲み比べると、ぼくのお気に入りは榮川の方で一般に言う旨口。廣戸川は淡白なさっぱりした味で、なるほど若者に受けるのはこう言った淡麗なやつなんだろうなと、一人納得していた。

 

 

最後に

こうして、登山としては不本意だったけれど、それなりに日本百名山を巡る旅は楽しむことができた。

そして、レンタカーでいろいろな車を運転するのにも慣れて楽しかった。

意外にも、車の所有をやめてみて実は車の運転が好きであったことが分かった。

冬の季節。バイクは寒すぎる。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

本当の空は見えたのか 【安達太良山】

 

智恵子の言う本当の空とはどんな空なのか。

安達太良山へ本当の空を見にいった。

それは、青空、曇り空、そして雪の空だった。

 

新幹線で郡山へ

郡山駅に怪しい雲が

今回もニコニコレンタカーを利用する。店舗はガソリンスタンドで、JR郡山駅から1キロくらい離れていた。それでもスタッドレスタイヤ装着で価格がすごく安いのでこちらを利用することにした。


郡山駅に着くと、晴れてはいたがなんだか怪しい雲が迫ってきていた。
車で走り出すと、左手前方になだらかな山が見えてきた。おそらくあれが安達太良山だろう。これから登る山が見えると気持ちが昂るものだ。

だいぶ近づいてから


しかし、それにしても風が強い。今回借りた車はトヨタライズ。クロカンぽいデザインをしている。それだけに横風に煽られる。

 

ちなみに四国登山ではホンダフィットを借りた。どうしてもそれと比べたくなる。正直言って全体的な作りはフィットの方が上に感じた。

ライズに乗っている方には恐縮だが、フィットの方が走りが滑らかなのである。人の感覚に合わせたセッティングが心地よく感じるのである。加速時の滑らかさや停止時の停止の位置決めがスムーズなのである。

 

それにハンドルの形状は断然フィットが上である。だが、もちろんライズにも良さがある。それはハンドリングのクイックさやサスの硬さ、それにマニュアルモードがあって自分の好みに合わせて走ることができることである。

 

これは、ランクの違いが影響しているかもしれないので、あくまでもニコニコレンタカーが所有している車での比較であることをお断りしておく。

レンタカー話はこれくらいにして登山の話に戻ろう。

 

今、目指しているのは安達太良山ロープウェイ乗り場。だがカーナビに案内されて走っていても道の脇にロープウェイという文字が全く現れてこない。たいていは案内表示があるものである。少々不安になりながら山道を登っていく。だが、四国のように狭い道ではないのでとても走りやすい。

 

広い駐車場が現れてナビの案内が終了する。車は数台しか停まっていない。人があまりにも少ない。車のドアを開けて登山準備をするが、扉が閉まってしまうほど風が強い。


準備を整え、ロープウェイ乗り場に向かう。左手奥にあって駐車場からは見えなかった。だがちょっと待てよ、ロープウェイが動いていない。今日が運行日であることは事前に確認している。果たして乗り場の前まで行ってみると<強風のため運休>の文字。ガーン!

 

さて、今は11時。どうするか。予定ではこの時間はロープウェイの上の駅にいることになっている。到着が遅れたのは道が混んでいたり、途中のコンビニで休憩したりしたからである。

 

それにしても困った。だが、下山が1時間くらい遅れてもまだライトをつけるほどではないだろう。ということで歩いて登ることにした。


山を見上げると、ところどころ白くなっている。雪が降ったようだ。ここのところ冬型の気圧配置が日本を覆っている。西日本でも雪が降ったという。

 

 

雪解けの登山道

奥岳登山口

11月。この季節はいつ雪が降ってもおかしくない。そう思って軽アイゼンを準備して来た。これまでは4本(プラス1)爪の本当に簡易的なものだった。それをもう少ししっかりとしたものと言うことで6本爪のものを急いで買って来た。だから、多少の雪ならば行けるはずだ。

 

ロープウェイ乗り場のある奥岳からの登山道は、ロープウェイとは反対側にあり、車が通れるくらいの道を進んで、その後あだたら高原スキー場の端っこを通って行く。リフトの下を行く感じだ。

 

この辺りは雪が解け始めていて、少し窪んだ山道は川のようになっていたり、解けたシャーベットのようになっていた。

雪が現れる

川を遡るように

リフトをくぐって

リフトの上あたりに来るとだんだん登りがきつくなる。けれど木々や岩などの壁に遮られて風は当たらなくなった。

岩に合わせて曲げられた梯子

急な登りを抜け出すと、なだらかな道になる。

シャクナゲが見られるようになったなあと思っていたら、その先に五葉松平の標柱が立っていた。

五葉松平

そこから少し登ると下に街を見ることができた。二本松市だろうか。

久しぶりに山から街を見下ろす

雪は深くなって行くが行手に青空が見える

薬師岳となっているが、ここが見晴台(空が暗くなって来た)

本当の空は天気が下り坂であることを示している

ここに智恵子抄の本当の空と書かれた柱が立っていてその向こうに安達太良山が見えた。そしてそこに黄色い服を着た同年代の女性の姿があった。

ここまで歩いて来て、女性のものと思われる踏み跡をずっと見て来たので、その踏み跡をつけた女性だろうと思われる。

 

後から聞いたらぼくより30分くらい前に登り始めたらしい。

「これから山頂まで行ってこられるのですか?」

「ええ、そのつもりです」

「くろがね小屋のほうを回って下りられるのですか?」

「そのつもりでしたが、ロープウェイが運休で時間が遅くなったので、この道を引き返すほうが早く降りられそうですね」

「私はゴンドラが動いていないので、ここまでで下山しようと思っているところです」

とのことだった。そして、本当の空の柱の前で写真を撮ってあげた。

 

その方は宮城から来た方で、何度か登りに来たことがあるようだった。百名山を目指しているわけではないらしい。

お互いに「それじゃ、気をつけて」と言うと、来た道を戻っていった。

 

もうすぐ12時半になろうかとしているところだったので、ここで昼食にする。今朝ポットに入れて来たお湯を、モンベルのリゾッタとフリーズドライの味噌汁を入れたカップに注ぐ。

 

空になったポットを岩の上に立てておいたら風で転がってしまった。ここは風を遮る場所がなく、身を屈めているのが一番だった。

 

食事をしながら横を見ると、向こうでもさっきの女性が食事をしていた。そして食べ終えると再びこちらに向かって歩いて来た。

 

「ゴンドラの音が聞こえて来たので山頂まで行ってこようと思います」といって安達太良山の頂上に向かっていった。

 

少し遅れてぼくも歩き出す。女性が言っていた通りなだらかな山道だ。ただしほとんど雪で覆われていた。雪の下は木道らしい。

しばらくなだらかな道が続く

途中からだんだん上りになり、ところどころごろごろした岩が露出していた。なぜかそういったところだけ雪がついていなかったりした。

立ち止まって下を見ると、雲の下に街がまだ見えていた。さきほどの女性にはこの辺りで追いついて先に行かせてもらった。

黒い雲が覆い出したがまだ街は見えていた

雪は解けたのか、風で吹き飛んだのか

何十年ぶりかで使ったロングスパッツ

雪の紋ができていた

山頂に近づくと、小雨が降り出した。しばらくウインドブレーカーで凌いでいたが、だんだん濡れて来たのでレインウェアを着ることにする。

 

上に登るにつれ、雨は霰に変わっていった。くろがね小屋方面への分岐を過ぎると笹原の風除けがなくなって、まさに岩がゴロゴロした火山になった。すると強風がもろに吹きつけてくる。

 

 

安達太良山山頂

安達太良山山頂

視線の先に黒く標柱が見えて来た。近づけば安達太良山と白い文字で書いてある。ここが山頂か。ここでひとまず記念撮影。

 

そうしていると、さきの黄色い服の女性がやって来た。ここでも写真を撮ってあげる。そして後ろに見える岩山には登れないのかと尋ねると、あそこが本当の山頂で登れると言う。女性はここからすぐに下山を始めた。ぼくは荷物を置いて岩山に向かった。

 

本当の山頂に行くために岩山を半周くらいした。幸い風下側だったのでそれほど苦労はしなかったが、狭い山頂では強風が吹き荒れていて写真を撮るのにも苦労して、何回も撮り直した。

たくさん撮ったうちの最後の写真

ふたたびザックを置いた場所に戻り、鉄山の分岐まで行こうかとも考えたが、真っ直ぐに立っていることもできないくらいの風と周りが何も見えない状態なので危険であると判断して来た道を戻ることにした。

 

ところが下りの場合、広い岩原では踏み跡が見えず、登山道がどこかわからなくなる。方角を頼りに下っていけば登山道になるだろうと思っていたが、雪がついたところまで降ると、そこに踏み跡が全く見えない。

 

これは違うところに降りて来たなと思って登り返す。そうして再び下るとまた同じ場所に出てしまった。まずい。そこでスマホのGPSで現在位置を確認したところ、だいぶ右方向にずれてしまっていることがわかった。

 

少し登り返して左方向に進むとロープが張られているのが見えた。そのロープに沿って下ると踏み跡があった。よかった。ここでやっとホッとする。

 

この下りでは上りのときよりもだいぶ下で黄色の女性に追いついた。

「さっきすれ違った人の情報ではゴンドラが動き出したようです。今も動いているといいですが」

「動いているなら乗っていこうかな」と言うと、

「私は乗って行きます」との強い言葉が返って来た。

 

坂がだんだんなだらかになり、木道らしき上に積もった雪を踏み締めていくと、ロープウェイ方面への案内があった。駅に着くと、ゴンドラは一見動いていないように見える。やはり止まっているのか。

 

構内に入り、話し声のする方に向かって尋ねてみたら「動いてますよ」との返事。よかった。ひとまずトイレを借りて戻ると黄色の女性が歩いてくる姿が見えた。入ってくるのを待って「動いているそうですよ」と声をかけた。

 

切符は自動券売機で買うようになっていた。ぼくはモンベル割で100円も安く買うことができた。女性もモンベル会員でJAFの会員でもあると言うことだったがカードを持っていないといって正規料金の1200円で購入していた。ちなみにJAFは50円引きだった。

 

せっかくなので同じゴンドラに乗り込む。

その女性の話では、雪山をスノーシューで歩いていて膝を痛めたので、下りにこのロープウェイが乗れる安達太良山が気に入っているとのこと。それで何度も登りに来ているとのことだった。面白いのはご主人は全く登山をしないので、下で車で待っているのだと言う。なかなか活動的な女性である。

 

ゴンドラを降りると、

「秋はここに長い行列ができるんですよ。それに火口付近の景色もすばらしいのでぜひまた天気の良い日にいらしてください」

そう言ってご主人の待つ車の方へ歩いていった。

 

 

最後に

安達太良山の雪。それは前の晩に降ったものだと言う。

さすがに女性のコミュニケーション能力は高く、すれ違った人からそう言った情報を得ていた。

ただ、情報元の前日と今日登った人は、昨日は登山道が凍っていたので今日の雪の方が歩きやすかったと言っていたということだった。

ぼくも雪山気分を味わえたのは良かったが、下り坂の天気というのはあまり気持ちが良くない。早く登ってこなくっちゃと言う焦る気持ちが生まれ、急ぎ足になった。

 

よかったのは、雪の上を歩くときは少し高く足を持ち上げる必要があることがわかり、大腿筋をいつもより使うことなどもわかったことである。

 

このあと、明日の磐梯山を目指すために猪苗代の宿に向かった。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

霧のつるぎと雨のいしづち 【石鎚山】

石鎚登山ロープウェイ下谷駅から

レンタカーで剣山から霧の山道を下り、徳島自動車道、松山自動車道を通って夜8時、今夜の宿、西条市にあるお遍路さん向けの「お宿すけ家」に到着。

1階のフロントに入って奥に向かって声をかける。応答がない。

カウンターの上には食べ終わった食事のお盆が載せてある。

少々不安になりながらカウンターの上をよく見ると、隣に置かれた書類に自分の名前が書いてある。ここで間違いない。19時到着予定としていたので待ちきれなくなってどこかへ用事で出掛けているのだろうか。

何度か声をかけるが静かなまま。待っていても仕方がないので電話をかけてみる。するとすぐに応答があり、1分も経たずに管理人が現れた。

 

やって来たのは元気なおばちゃん。

「お待たせしました。車が一台増えているなと思っていたんです」

「遅くなってすみません」と遅れたことを詫びる。

なんだ、それならフロントに来ていてもらいたいものだと心の中ではそう思う。

明日の出発予定時間などを聞かれ、石鎚山に登るつもりだと答える。

 

お遍路さんの宿

翌朝、計画よりも早い時間に出発する。それはお宿のおばちゃんから駐車場がいっぱいになって止められなくなることがあると聞いたからだ。

ロープウェイの始発は8時40分、移動時間は50分。そこで6時に準備を整えて部屋を出て外の洗面台に向かう。そう、ここは洗面台も風呂も外にあるのである。

 

ちなみに昨夜おばちゃんとは結構話をして、いろいろと親切に教えてくれたのだが、風呂や洗面の説明はなかった。たぶん忘れたのだろう。そしてただ部屋の番号だけ告げられた。

全ての部屋は外から出入りするようになっていて、外からの鍵はない。内側から錠を下ろすようになっていた。さすが素泊まりの宿、そしてお遍路さんの宿である。

 

宿の設備はともかく、おばちゃんは親切だった。なんと朝早いのにお弁当を作っておいてくれた。特別料金などはない。これが四国のおもてなしなのだと思った。

 

お弁当の内容はいなり寿司。それにバナナとゆで卵、おまけにキットカットが一つ別の袋に入っていた。

 

 

石鎚山に登る

 

7時頃に石鎚登山ロープウェイ下谷駅下の駐車場に到着する。まだ一台しか停まっていなかった。ここにはロープウェイ利用者専用の駐車場はなく、京屋旅館か泉屋旅館の駐車場を利用することになる。停めたのは手前の泉屋のほう。ネットで調べたところでは1日700円だったが、実際は500円だったのでなんだか得した気分になった。

 

車の中で前日にコンピニで買ったおにぎり弁当の朝食を済ませ、7時半頃車を出る。

ロープウェー乗り場に行くとそこで働く人がつぎつぎと出勤してきた。始発が出るまで待合室の中を眺めたり、外の景色を見たりして時間をつぶした。そして最初の便に乗れないと困るので、かなり早めに列に並ぶ。

 

始発のロープウェイの箱は満員だった。残念ながらガスで景色はほとんど見えない。

 

約8分ほどで山頂成就駅に到着。念のためトイレに行ってから、8時50分に雨の中に出て行く。他の人は駅の中で出発の準備をしていた。ぼくが今日の一番だと思っていたが、すぐに若者に追い抜かれ、しばらくして先行者がいることがわかった。トイレに行っている間に出発した人がいたということに気づく。

雨の中を出発

歩き始めてすぐに追い越される

石鎚神社成就社

山頂駅から登山道をさらに登って行くと、旅館や売店などがある石鎚神社成就社に着く。ここから長くゆるやかな坂がしばらく続く。なるほど、ここが八丁坂と言われる所以だ。この坂の鞍部が八丁で、通りかかったのは9時22分だった。ここから今度は登り返して行くが、こちらの登りは少しずつ急になって行く。

 

だんだんきつい登りになる

9時56分、前社森の手前で「試し鎖」が現れる。ここに立ててある注意書きなど何も見ないで鎖にとりかかったので、登った後に下りがあるなんて思わなかった。帰りによく見たら、「上りの鎖を登った先は、険しい下りの鎖場です」と書いてあった。

 

迂回路もあるが、それほど大変そうでもないので雨の鎖に取り付く。ここは鎖を補助として使う感じで登ることができた。

登り終えるとさらにその少し上にお地蔵様の像があったのでそこで手をあわせる。ここが前社森だろうか。

 

下りでは、途中で下りられなくなり、登り返して隣の鎖に移ってようやく下に降りることができた。

試し鎖

鎖場の頂上(ここが前社森かな)

下りの鎖場

なお、この鎖場は、上り下りを合わせると67mである。ただ、ガイドブックには78mと書かれている。

 

鎖場を抜けると売店があった。すでに店じまいしてロープが張られており、中に入ることはできなかったが、多少軒先で雨宿りができた。そこで、だいぶ体が暖まっていたので中に着ていたシャツを一枚脱ぎ、行動食のソイジョイを食べた。

 

そうしている間に迂回路を登って来た中年の女性がやって来た。

「山頂はこっちですか?」

「向こうは鎖場なので多分そうだと思いますよ」

「鎖場を登って来たのですか? すごいですね。わたしは雨で滑りそうなのでやめました」

「ここが最初の鎖場なので一の鎖でしょうか」

 

このとき試し鎖のことは忘れていて(立札も読まなかったので)、てっきり一の鎖だと思っていた。

そんな会話をしてからその女性は頂上に向かっていった。ぼくは少し遅れて歩き始めたが、じきにその女性に追いついた。道を譲ってくれたので先に進む。

 

10時28分、夜明け峠通過。10分後、続いて一の鎖が現れた。ここで間違いに気づく。この鎖場は33mであっという間に過ぎた。

 

一の鎖のあと登山道に出ると、さきほどの女性がやって来た。

「ここが一の鎖でしたね。さっきのは試しなんとかというやつみたいです」

まずはさっき言った誤りを訂正した。そしてぼくが先にたって歩く。

 

10時49分、急坂を登り一息入れて上を見ると鳥居が見えた。そこから少し登ると休憩所があった。二の鎖小屋らしい。中に入ると、外人の3人連れが弁当を食べていた。もう1人ガイドらしき日本の女性が少し離れて座っていた。ぼくはその間に入ってお宿のおばちゃんが作ってくれたお弁当を食べはじめた。


少し後から先ほどの女性が中に入って来てぼくの隣でパンを食べ始めた。そう言えば外国人のうち二人は夫婦のようで、彼らは食パンを持って来ていて、それに何かを挟んで食べていた。あとの一人は日本式のお弁当だった。

 

パンを食べ終わって先に外に出た女性が、「なんだか冷えて来ましたよ」と言った。外はますます靄って来ているようだった。

 

11時13分、二の鎖の袂に着く。実はさっきからの鎖場で、手が冷たくなってきたのがしんどかった。気合を入れて鎖に取り掛かる。最初はそれほどではないと思ったが半分ほど登るとだんだん厳しくなってきた。ここの鎖は65メートルある。ここを通過するのに10分ほどかかった。

 

11時33分、三の鎖の基部に到着。ここのは68メートルだ。見上げると、まるで垂直のような壁で、ガスのため上部まで見通すことができなかった。そしてここは二の鎖よりも厳しかった。鎖が岩場から離れている部分があり、そういった場所では靴の先を鎖の穴の中に突っ込んで鎖だけで登らざるを得なかった。落ちればおしまいだ。そうして何とか登るとそこが山頂だった。時計を見るとここも登るのに10分ほどかかっていた。

二の鎖手前の休憩所、避難小屋としても使える

二の鎖

三の鎖小屋

三の鎖基部

三の鎖、上から下を見下ろす

こうして11時45分、石鎚山に登頂した。しかし周りは霧で何も見えない。そして冷たい雨。しかし厳しい鎖場を乗り越えてホッとした気持ちとやり遂げた高揚感があった。記念写真を撮り終えるとすでに心は下山に向かっていた。

三の鎖を左側に這い上がったところの石畳

避難小屋と頂上社

                                                                               

ここで地図を広げてみればよかったのだが、実は石鎚山の最高点は隣の天狗岳だったことをすっかり忘れてしまっていた。

 

天狗岳登頂を忘れていることに気がついたのは、家に帰ってからリーフレットの地図を眺めている時だった。ドジもいいところだ。まあ、どうせ登っても周りの景色は見えなかっただろう。だが、気持ち的にはやり残した感がある。

ここに天狗岳が見えていれば

ともかく早く下山しようと、5分ほどで下山を始める。すると雨がボツボツとレインウェアのフードを叩き始める音がした。よく見ると雨がみぞれに、いや、霰に変わっている。これから雪になって道路に積もったら下りられなくなる。そう思って急いで山を降りていった。

雨は霰になった

 

京屋の石鎚山温泉

山頂到着は予定よりも30分ほど早い。下りも30分短縮したら1時間早く下山できることになる。もし早く下りられたら温泉に入ろう。そう思いながらどんどん下って行く。

上りと下りに分かれている階段

ただ、ふと目に入った小道の先に石の祠が目に入った。その先の向こうが岩山になっている。ほんの僅かなので道なき道を岩の上まで登っていった。後で調べるとそこは行きではまき道になっていた剣山(1631m)であることがわかった。

山道からそれた場所に

その先の岩山

りっぱなブナの森

また、帰りには石鎚神社成就社に立ち寄ってお参りをした。

神門

石鎚神社成就社

そして13時47分、石鎚登山ロープウェイ成就駅に到着。

成就駅はすぐそこ

山頂成就駅

駅の中に入ると暖房が効いていてとても暖かかく、大勢の人が次の便(14時00分)を待っているようだった。

するとその中に二の鎖小屋で一緒だったあの女性がいた。

お互い「寒かったですねえ」と挨拶する。

「まるで修行しているみたいでした」とその女性は言った。

 

そこにロープウェイの職員から「臨時便が出ますが乗られる方はいますか」と声がかかる。

せっかくなのでそれに乗ることにした。他の人たちはあたたかい待合所でくつろいでいる。

結局臨時便に乗ったのは、その女性とぼくともう一人の男性の3人だけだった。

 

その女性は東京から来ている方で今日帰るのだという。伊予西条からここまでは路線バスで来ていて、高速バスで渋谷まで帰るのだという。そして当然百名山を目指していた。先週は磐梯山に登り、今回の石鎚で38座目ということだった。こちらは44座目であると言った。

 

ロープウェイを降りてからも話しながら下る。そうしたらさっき一緒だったもう一人の男性とは剣山で一緒だったそうで、泊まったホテルも一緒だったそうだ。そしてやはり公共交通機関でやって来ているということだった。

 

京屋旅館の前まで来たところで、予定より早く降りて来たので温泉に入って行くつもりだと言った。

温泉の入り口まで来ると、番人が呼び込みをしていた。入り口には入浴料500円、白濁湯だと書いてある。

その女性も誘われたが、着替えを持って来ていないということで躊躇っていたが、もう一人のホテルが一緒だったという男性が入るというので、結局3人とも入浴することになった。

ちなみに呼び込みの番人は中国から来ているということだった(これはその女性が聞き出した)。

 

そのもう一人の男性というのは、長野の人で、公共交通機関を使ったのは今回が初めてだという。しかしやっぱり待ち時間などで自由に行動ができないという不便さを感じるということだった。普段はやはり車だそうだ。

 

その方も今年中に登れる山をやりくりして来ているようで、先週は大山に登ったということだった。考えることは皆おなじようだ。

 

石鎚山温泉は実に良い温泉だった。本当によく温まる。鄙びた感じもいい。それに石鹸とシャンプー、ドライヤーまで置いてあるのは本当にありがたかった。

 

15時頃長野の男性と共に上がる。東京の女性もちょうど一緒に上がって来た。

帰りのバスの時刻を尋ねると、発車までは15分くらいあるということだった。

「またどこかの山で会うかもしれませんね」と言って二人と別れた。

 

 

 

最後に

朝、洗面にいった時、昨夜お盆の食事を食べたと聞いていたフランス人の女性が、軍隊のポンチョ見たいのを着てお遍路に出かけるところだった。

石鎚山の駐車場から走り出して数分下ったとき、その女性が登ってくるのが見えた。

雨の中、お宿から約22キロを歩いて来たのである。

きっと、ぼくと同じお弁当を食べたのだろうな。

 

石鎚山。とりあえず弥山には登ったので1座制覇ということにする。

ただいつか機会があれば天狗岳に再チャレンジしたいと思っている。

しかし毎週登山に出かけるというのは計画、予約、準備などで大忙しである。せっかく出かけた先で登り残しがないように気をつけたいと思う。

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

霧のつるぎと雨のいしづち 【剣山】

剣山 大劔神社付近

この秋からの個人的な一大イベントは、今年の百名山駆け込み登山である。

連続3週目に向かうのは剣山と石鎚山。

これらを登れば44座登頂達成である。

ただ、どちらもあいにくの天気となり、なかなか思うように晴れてはくれない。

おまけに寒波が南下して来てかなり冷え込んだ。

そして今回もいろいろとどじを踏んだ。

ひとつめは徳島県の剣山から。

 

モンベル・クラッグホップレザー・シューズ

雪が降る前に登れる山を目指す。

この夏にコロナにより山に登れなかったツケで、秋から冬にかけて駆け込みで登山する羽目になっている。

そうして選んだのが四国の山。

だが、ちょっと慌てていたせいか、順番を誤ったかもしれない。四国はもう少しあとでも大丈夫だった。

その間に北方の山は登れなくなる。

よくよく調べたら、道路が冬季通行止めで車で登山口まで行けないことが判明した。それで計画を変更せざるをえなくなった。

そのことはまた今度。

 

ともかく、11月第2週目の土日にかけて四国は徳島県の剣山と香川県の石鎚山に登る計画を立てた。

この四国の名峰、一体どんな山だろう。

調べると、剣山はリフトを使えば簡単に登れるハイキング的な山である。また、石鎚山の方は、ちゃんとした登山にはなるが、多くの人が訪れる伊勢原の大山のような存在なのかと思われた。

 

そこで一考。

登山靴では大袈裟すぎるし、岩場もあるのでローカットの方が登りやすそう。

実は今持っているローカットシューズは、自転車で日本一周をしていて、11月に足の霜焼けがひどくなったので、サンダルから靴に履き替えようと、米子のアウトドアショップで買ったものである。4年前になる。

 

それはサロモンのゴアテックスのシューズでなかなかに履きやすくて気に入っていたが、だいぶ傷んできた。そして底が滑りやすいという欠点ある。

 

そこで、モンベルの登山靴が足によくあっていたので、やはりモンベルのローカットシューズを新調することにした。トレイルグリッパーというソールは滑りにくいということも決め手になった。

 

ただ、ハイカットの登山靴は少し大きめで、靴下を2枚履いてちょうど良い。ローカットでは厚い靴下は履かない。だからワンサイズ小さいのを買おうと決めて出かけた。

 

これも駆け込みではあるが、前週の巻機山登山から帰った翌日にモンベルショップに買いに行った。ただ希望の色(グレー)の在庫がなく、近くの店から家に送ってもらうことにした。それなのになんと翌日には届いてしまった。

 

もちろん試し履きをしてからサイズを選んだが、微妙に小さい感じがする。つまり、26では大きいが25.5では小さいといった感じなのである。しっかり紐を締めないとつま先が当たるのである。ただ指先が紫色になるほどではない。

 

26センチを買っていたら、靴の中で足が動くのでもうワンサイズ小さいのにすればよかったときっと後悔していたことだろう。これだから靴選びは難しい。

 

https://webshop.montbell.jp/common/images/product/prod_k/k_1129580_dkma.jpg

 

 

 

剣山へ

担当者外出中

11月11日朝8時30分、横浜駅西口から乗った高速バスが丸亀駅に到着する。予定より30分早い。

 

駅の建物内にあるスーパーに立ち寄り、昼食用のおにぎりを買う。朝食はバスに乗る前に買っておいたニューデイズのフランスパンのサンドウィッチを車内で食べた。昼食時の手作りのおにぎりは、めちゃくちゃうまかった。スーパーの隣にはセブンイレブンがあったが、スーパーに入って正解だった。

 

それから歩いて5分くらいのところにあるニコニコレンタカーへ行く。予定より早く行ったため担当者が不在。電話をかける5分ほどでやってきた。受付は数分で終了したが、ナビの目的地設定に戸惑い、結局、お店の人にナビを設定してもらい、9時30分出発となった。

 

走り出して目的地の見ノ越駐車場に向かう途中で眠くなってきた。コンビニで休憩する。羊羹を食べ、コーヒーを飲む。

 

山道に入ると道が狭くなる。車がすれ違えないようなところがほとんどだ。おかげで眠気は吹き飛んだ。しかしそれが永遠30キロほども続く。疲れる。

天気は曇り。山を登るとだんだん霧が濃くなって来た。ただ、一山越えると霧が晴れていた。少し下った先に駐車場が見える。

 

12時ちょうど、見ノ越に到着。既に駐車場はいっぱいだった。枠の外の空いたスペースに車を止める。車の中で昼食のおにぎりを食べ、水を補給してからリフト乗り場に向かう。切符は片道1050円だ。かなり冷え込んできたのでダウンを着てリフトに乗る。

 

12時37分、西島駅でリフトを降り、大劔神社に向かうが、予定していたコースとは違う道を歩いてしまった。ただ、西島駅からは3本もルートがあって、どこを通っても大差はない。

 

13時14分、頂上ヒュッテ着。ここで大柄な外国人たちと一緒にトイレを借りる。なんとここは水洗でとても綺麗だった。ヒュッテからは木道を進んでいく。13時23分、7、8人の外国人の集団に続いて山頂へ到着。ここまで標高差もほとんどなく、拍子抜けした感じで実感がなかった。

 

山頂には三角点があり、その周りをしめ縄が囲んでいた。ガイドブックの写真でみたやつだ。それでようやくここが山頂だと納得できた。

 

 

刀掛けの松から大劔神社に向かう

大劔神社

 

頂上ヒュッテ付近の木道

 

三角点の注連縄

 

周りは霧で全く景色が見えないため、予定していた次郎笈(じろうぎゅう)コースは取りやめて、反対側の一の森に向かうことにした。

 

木道の先の広いデッキのような場所の先に階段があり、そこを降りて笹原の一本道に入っていく。

一の森方面にあるデッキ

行く先は霧の中



二の森を過ぎるとそこから原生林ぽい苔の森に変わる。その先へ進むと鞍部になり、西島駅に向かう北側斜面の道との分岐になる。そこは帰りに通ることとして、まっすぐ進むとリフトのようなものが見えた。どうやら荷物を運ぶためのものらしい。その先に一の森ヒュッテが建っていた。

苔の森になる

シコクシラベ(シラビソ)

青空が見えた。霧で隠れているところが一の森か

南を見ると晴れ間が

荷物用リフトか

一の森ヒュッテ

一の森

そこに一の森の標識が立っていた。ここが一の森? そこから上の方にこんもりとした小高い山が見える。とりあえずあそこまで行ってみようとその先の右手に伸びる道を登っていく。

 

尾根に出るとそこから右に折れる道がついていた。そっちの方へ進んでいくと、小さな丘に「一の森頂上」という標識が立てられていて、その先は行き止まりだった。ここで一服する。

 

 

靴ひもが短い枝の先にひっかかる

そこから少し戻ると一の森ヒュッテに降りる道がついていた。そしてさっきの分岐まで引き返し、そこを右に入って北斜面の横腹をトラバースして行く。

 

こちら側は木々がたくさん生えていて湿っていた。そしてガスが濃い。北側斜面はこういった天気が多いのだろう。尾根道とはだいぶ様相が違う。

鞍部の分岐

北側斜面の道

苔むした木

 

その道は少し下っているがほぼ標高差がない。右側が深い谷になっているため慎重に歩く。すると突然右足が何かに引っぱられるようにして体が右に周り、崖下の方に向いた。一瞬「落ちる」と覚悟した。イテテテ。転んで大きくすねを打った。幸い一瞬ひやっとしただけで下には落ちなかった。

 

一体どうしたのかと足元を見ると、幹から切り落とした枝の根元の出っ張りに靴紐の結び目が引っかかってしまっている。こんなことは初めてだ。しかし崖下に落ちなくてよかった。

 

ズボンのすねの部分を見ると、生地が擦れて引き攣ったような感じになっていた。当然、怪我をしているだろう。

 

すねの怪我は今回が初めてではない。この夏、武尊山の下山中に足を滑らせて倒木の下ですねに怪我をした。それで、そのあとに長さ13センチほどの簡単な<すね当て>を自作した。

その後、このすね当てをサポートタイツの下に入れて使用したが、幸いというべきか一度もすねを打つようなことがなかった。

 

そのせいもあり、また、面倒だったこともあり、この剣山ではせっかく作ったすね当てをしていなかった。もし付けていれば、これほど痛みを感じることはなかっただろう。どじな話である。

 

また、この少し前に、日本人は昔から脚絆というものを付けて脛を守っていたということに気づいていたというのにである。脚絆はそれだけでなく、疲労軽減の意味合いもあったという。まさにサポートタイツやサポーターと同じ役割である。これは日本ばかりではなく、西洋ではゲートルというものを軍隊などでつかっていた。こうした機能的なものを見直そうと思っていた矢先だったのである。

 

その後しばらくすねの痛みは続いた。やはり手間を惜しんではいけないことを痛感。もちろん紐の結び目は、通した靴ひもの間に挟み込んだ。

 

それから穴吹川の源流の谷を抜け、両剣神社、古剣神社の脇を通り、午後3時半、刀掛けの松の分岐に戻って来た。そこから西島駅までいき、リフトには乗らずに歩いて見ノ越まで下山する。

穴吹川源流

剣山本宮三十五社

まるで屋久島

刀掛けの松

西島駅

剣神社から参道を見下ろす

午後4時5分、剣神社に到着。山道の階段を下り、4時15分、見ノ越駐車場に戻って来た。

 

 

最後に

白い車が今回のレンタカー

最後にレンタカーと道路についての感想を述べたい。

 

翌日は石鎚山に登るため、見ノ越駐車場から西条市の宿に向かう。

徳島自動車道に入るためにつるぎ市までは来た時と同じ道を戻った。

つまり、車のすれ違いがほとんどできない狭い道を延々と30数キロも走って戻ったわけだ。

 

さらに問題があった。山の上は霧が濃くて前がよく見えない。のろのろ運転をせざるを得なかった。

途中、サービスエリアで休んだり、コンビニに寄ったりしたが、4時半頃に出発して到着したのは夜の8時だった。

車の運転は登山よりも大変だった。

 

今回借りたレンタカーはホンダフィット。4年前に車は手放して、最近乗った車といえば1年前にやはりレンタカーで乗ったトヨタパッソ。

フィットはどうやら新車のようだった。最近まで流行りだった信号待ちのエンジンストップ機能は無くなっていた。これはいい。この機能があると停止線までゆっくり進めない。停止線まで行く間にエンジンが止まってしまうからだ。

 

フィットはなかなかいい車だった。坂道も軽快に登るし、下りでエンジンブレーキも効いてくれた。すくなくともパッソよりは軽快に走る。カーブではすこしサスペンションが柔らかくて細かいカーブでは車体が傾ぐのが気になった。ただ、その味付けが乗りごごちをよくしているとも言える。

 

また、高速を走っていて、まるで高級車のように風切音がほとんどしなかった。スピードが上がっても車内は静かなのである。これはすばらしい。

 

便利機能の一つとしてヘッドライトのオート機能がある。これはもちろん便利だが、特に驚いたのがアッパービームもオートだったことだ。山道ではとくにこれは便利だろう。しかし、問題もあった。それは霧の場合である。アッパーにすると余計に前が見えない。はじめは、いつのまにかアッパーになっていたので、誤って操作したのかと思った。ところがロービームにしてもまたアッパーに変わってしまうのだ。

 

おそらくこんな時はオート機能を外せばよかったのだろう。

しかし、初めて乗った車で、さらに走行中に切り替えるのことは難しいことなのである。

 

次回は石鎚山に登ります。

では、このへんで

 

 

広告

 

 

文化の日はポカポカ陽気 【巻機山】

1週間前の天気とはうって変わってポカポカ陽気となった文化の日。

先週の雪の週末が記憶に残っていて、ついつい厚着をしてきてしまった。

この前と同じ国道16号のファミマにスーパーカブをとめて休憩。中間着を脱いで着膨れから解放され涼しくなった。

今回は途中から東へは向かわず、国道17号線を北上。目指すは新潟の巻機山。

その登山のために『北越雪譜』で有名な江戸後期の科学・民俗学者の鈴木牧之が生誕した塩沢を拠点に定めた。

 

東松山スリーデーマーチ

奇しくもこの日は文化の日で東松山を通った。この日この場所には思い出がある。

歩道をゼッケンをつけた大勢の人が行列を作って道路歩いていた。

ん、この光景、どこかで見たことがある。

そうだ。きっと歩け歩け大会をやっているに違いない。

たしか毎年、文化の日に合わせて行っていたはずだ。

ぼくはこの大会「東松山スリーデーマーチ」に2回参加したことがある。

たしか第3回と第5回だったと思う。

初めて歩いたときに申し込んだのは50キロコース。東松山の箭弓稲荷を出発して50キロ歩いて戻ってくる。それを3日間続けるわけだ。

 

ただし、ぼくと一緒に参加した職場の先輩は、最終日に50キロは無理だと言うので40キロに変更した。

そのことがいまでも悔やまれる。だからいまでも忘れないでいるとも言えるが。

 

2回目の参加では、初めから40キロコースで、最終日のみ新人の女の子が参加するので30キロコースを歩いた。

 

最初は足の裏に豆ができた。豆ができていると、休んだ後に歩き出すのが辛い。精神力が必要になる。あのときは、豆を処置してくれる救護所が森林公園の中に設置されていた。

 

2回目の参加では、一番擦れる指の付け根のあたりの足の裏にクラフトテープを貼って滑りをよくした。そのおかげで豆はできなかった。これはほかの人がやるのを見て真似してみたのが功を奏したというわけだ。

 

あのときは体育館に雑魚寝したっけ。なつかしいなあ。

いまも50キロコースは健在なのだろうか。それにしても大会が40数年も続いているというのはすごいことだと思う。

 

ちなみにスリーデーマーチ最終日となる11月5日、新潟からの帰りにも東松山を通った。すると、足が痛いのだろう、歩き方がおかしい人を見かけた。きっと足の裏に豆ができていたのじゃないか。

 

 

双子キャビン

さて、この夏、武尊山登山のために通った水上方面には行かずにまっすぐ17号を進む。猿が京温泉を過ぎると、そこから先は峠道になっていく。

 

この三国峠をバイクで走る。楽しい。全山紅葉の中である。帰りにはさらに余裕を持って景色を眺めたが、やはりここの峠道は最高である。

 

トンネルを抜けると雪国、ではないが、名だたるスキー場がずらっと並んでいる。苗場、かぐら、かぐらみつまた、ガーラ湯沢、石打丸山と、滑ったことはないが聞いたことのある名前がつぎつぎと現れた。

 

そして、上越国際の名前が見えるとその先が塩沢である。その途中コンビニで明日の朝食のおにぎりと今晩用の地酒を買い、へぎそば屋で腹を満たした。

 

以前、東京で食べたへぎそばは青臭い匂いがしてイマイチだったが、ここ中野屋のは匂いはせず、つるつるでとても美味かった。単なるもりそばを注文したが、煮カボチャまでついてきた。わさびを半分ほど入れたが、これがすごく効いていて涙が出た。

 

5時過ぎに今夜の宿<双子キャビン>に到着。入口は1階だが受付は2階。はじめ受付の場所がわからず、誰もいなくてどうしようかと思ったが、張り紙を見つけて2階に上がり、リビングと言うか食堂みたいな感じのところに入ると5,6人の人がいて安心した。

 

指さされた奥のカウンターを見ると、向こう側に仏頂面の親父が座っていた。話しかけると外見とは違ってとても親切に応対してくれた。

 

この双子キャビン。素泊まり専用の宿で、2泊でなんと5,200円ほど。それでいて館内は清潔だしコーヒーは自由に飲める(しかもドリップコーヒー)。風呂は順番にはなるが、熱くてたっぷりのお湯に浸かり疲れを癒すことができた。

 

先週のキャンプ場よりもずっと安いので、登山目的ならみなこちらを選ぶだろう。さらには正面に巻機山がバッチリと拝めるのである。

へぎそば中野屋から

カボチャは2切れありました

へぎそば屋

双子キャビンから未明の巻機山

双子キャビンから夕方の巻機山

双子キャビンから日の出後の巻機山

 

機織りの美女

駐車場から 微かに山頂がのぞいている

巻機山。これを「まきはたやま」と読める人は地元の人かおそらく登山をやっている人だろう。ぼくがこの山を知ったのは、「山と渓谷」という雑誌に紹介されていたからである。それももう40年くらい前のことである。

 

あれからずっと登ってみたいと思っていた念願の山なのである。それがようやく目の前にある。

 

ここで巻機山についてかるく紹介しておこう。

 

深田久弥は「日本百名山」の中で前述の鈴木牧之の北越雪譜について触れている。ぼくはこの本(岩波文庫版)を図書館で借りて読んだけれど、旧かなに慣れていないため全ては読みきれなかった。でも鈴木牧之がすごいと思うのは、観察眼が鋭いということである。それは雪の結晶の図を見ればわかる。

 

北越雪譜は青空文庫で読むことができる。

京山人百樹刪定 岡田武松校訂 北越雪譜 北越雪譜二編 鈴木牧之編撰

雪の結晶の図はWikipediaで見ることができる。

北越雪譜 - Wikipedia

 

深田久弥は、日本百名山の巻機山の章で、北越雪譜上下2巻の中で山の名前が2つだけ上がっているとし、その一つは苗場山でもう一つが破目山(われめきやま)だが、後者の名前は聞いたことがないと言う。

 

そして牧之の描写から、破目山とは天狗岩に相違ないと推理を働かせる。

この岩の後方にひかえているのが割引岳(わりびきだけ又は割引山(わりびきやま))で、国土地理院測量部の人が名前を聞き誤ったのではないかと疑っている。なお、わりびきだけは、別名をわれめきだけという。

 

巻機山の山頂はゆったりとした平原のようなところで、どこがピークなのかがよくわからない。この巻機山本峰にニセ巻機山、牛ヶ岳、割引岳を含めた山の総称として巻機山と呼んでいる。

 

麓の塩沢、六日町のあたりは豪雪地帯で、民家のほとんどは特殊な3階建てである。1階はコンクリートであつらえた、まるで地下室のようになっている。降ろした雪で埋まってしまうからだろう。

 

この地域は古くから機織り(塩沢紬や越後上布)が盛んで、巻機山は機織りの神として信仰されているとのこと。山中で美女が機を織っていたという伝説からこの名がついたとも言われていて、頂上の辺り(特に本峰と割引岳との分岐地点)は御機屋と呼ばれている。

 

この御機屋直下の直登となる起点あたりには織姫の池がある。

 

 

巻機山登山ルート

地形図や登山地図を見ると、先週登った四阿山に地形がよく似ている。

当初、四阿山と同じように周回コースを考えていた。

それは、割引沢からヌクビ沢を登っていくルートをとり、割引岳を往復したあと巻機山本峰に登って一般ルートの井戸尾根を降りてくるコースである。

 

しかし、このヌクビ沢ルートは急なため下山禁止となっている。加えて岩が濡れていて結構滑るらしい。この冬の時期に沢に落ちたくはない。

 

それでは多少なりとも沢の少ない天狗尾根ルートを通ってはどうか。いちおうこのコースで計画を立てた。けれどよくよく調べてみないと。危険な匂いがする。

 

地形図を見ただけでも山道は沢筋から一気に尾根まで駆け上がっている。

ヤマップなどで実際に歩いた人の投稿を調べると、登山装備をしっかりとしてさらに複数のパーティーで入山していた。

 

ぎりぎりまで検討し、次の理由から一般ルートを往復することにした。

理由その1、ソロであること。万が一の時に助けてもらえない。

その2、万が一沢に落ちた場合、体が冷えて危険である。凍死することもあり得る。

その3、もうダメ、となっても下山禁止。引き返せない。

以上である。

 

ぼくの目的は日本百名山の制覇であってヌクビ沢の制覇ではない。ここで怪我をして山に登れなくなっては元も子もない。

 

一般ルートを往復することにしたら、割引岳か牛ヶ岳のどちらに行くにも同じくらいの時間なので、どちらに行こうかと考えた。両方に登る時間はない。ここは楽な牛ヶ岳に行くことにして、急遽コピーした地図にボールペンでコースタイムを書き込んだ(ところが帰りにバッグに入れたウイスキーが漏れてボールペンで書き込んだ部分が滲んでしまった)。

 

 

 

そういうわけで11月4日6時10分、桜坂駐車場からいよいよ巻機山に向かって歩き出したのである。

第2駐車場からすぐのところにある橋を渡ると第1駐車場になる。トイレがあるのは第2の方である。

第1駐車場の奥が登山道となっていて、そこに登山ポストが置かれている。コンパスアプリによる登山届は出したが、念の為この登山カードにも記入してポストに入れた。

 

(ここからは写真が多くなります)

 

ポストの隣の登山案内

入山禁止(初心者は)の注意書き

さらに隣にも

ミズナラやホウの落葉を踏みしめて

登り始めの山道

里山の雰囲気

たくさんの落ち葉を踏み締めて歩いていく。同じ道に登る登山者が多くいて、前の登山者を追い越したり追い越されたりしながら自分のペースを掴んでいくことになる。しかし、周りを意識してどうしてもハイペースになりがちである。

 

朝のうちは肌寒いため、また、バイクで体が冷えたため、少しハイペースで体を温め、少し暖かくなったら一枚ずつ脱いでいく。そうやって立ち止まり同時に自分の体調も確かめておく。

 

さきほど勢いよく抜いていった韓国人の集団がにこやかに休んでいた。あの勢いで抜いていったのにもう追いつくなんて。おそらくあまり登り慣れていないと思われる。南アルプスで遭難した韓国人のパーティのことが頭に浮かんだ。

 

後から地図を見てなるほどと思ったのだが、この辺り一面広葉樹林帯で、針葉樹は見当たらない。かなり落葉もしていたので木々の隙間から向こうの山が透けて見え、日の光も入って来てとても明るい。この山の女神は陽気な性格らしい。

 

紅葉の中を行く

シシガシラ

五合目から 左手が巻機山山頂

7時10分、五合目焼松に着く。なぜ焼松なのかは不明。ここで今回試しにしてきた腹巻を脱いだ。試しなのでイオンで買ったヒートなんとかという安いものだ。モンベルのはちょっとお高い。今回で腹巻きの効果は大きいことがよく分かったので、今後寒い時は忘れずにつけることにしようと思う。

 

五合目を過ぎるとブナの林に変わっていく。美しい林だ。

五合目を過ぎるとブナ林になる

六合目手前から中低木の林に

7時43分、六合目展望台に到着。展望台からは、目の前にドーンと天狗岩が聳えていた。それに続く天狗尾根を辿った先に割引岳が見える。その下の影のところにはヌクビ沢がはっきりと見て取れる。こうした木々の陰になっていない沢というのも不思議な気がする。ここを歩いていれば上から丸見えなのである。

天狗岩と天狗尾根、割引岳に続くヌクビ沢 どちらも下山禁止のルート

イワカガミの葉

ニセ巻機山(前巻機)

八合目手前から階段が現れる

樹林や笹の中を進んでいたのが七合目からは草と岩ばかりとなる。このあたりから南側の展望がぐっと開け、目立つのは三角の万太郎山だ。そのほかたくさんの山が連なっている。やはり山は展望がよいに越したことはない。

三角なのが万太郎山。その左は谷川連邦

前巻機に登っていくと向こう側に巻機山が見えた

9時ちょうど、ニセ巻機山に到着。ニセとはあまりイメージが良くないが、巻機山によく似ていて、登りながらではこのニセものが目の前に立ちはだかる。この山に登るとこれから歩く道が見渡せ、模型のルートを眺めているように全体の地形がよく理解できる。

ヤマラッキョウでしょうか

織姫の池

9時半、御機屋に到着。すこぶる調子が良く、予定より1時間も早く到着した。これなら割引岳もいけるかもしれないと思う。

そして、ちゃんとした山頂の標識はここしかないという情報だったので、本当のピークではないがここで記念撮影。近くの人に撮ってもらった。

山頂の一つの御機屋にて

山頂に広がる池塘の草原

巻機山本峰 なんとも寂しい標識

広い山頂

遠くに燧ケ岳が見える

左手に赤城山、中央右に谷川連邦がみえる

巻機山本峰をさっと通り過ぎ、その先の牛ヶ岳に向かう。東に向かっていた道から北東に折れ曲がるとますますたくさんの山が見えるようになる。

牛ヶ岳

振り返ると

牛が岳はどこがピークなのかがよくわからなかったので、少し下り始めるところまで歩いていった。そこには先行していた大阪から来たという男性が休んでいて、なんとスーパードライのロング缶を飲み始めた。ここまでこれを担いできたということだ。ぼくは飲んだらだるくなるのでこういった真似はできない。

 

牛が岳から再び巻機山に戻る。途中のベンチのある場所で緑づくしの若い人と立ち話をする。その人は言っていた。

「新潟の山はどこも登山口が低い場所にあるのが大変で」

なるほど。この山も山頂までが長く、登ってくるのが大変だった。色々と山の話をして、あとで時計を見たら20分も経っていた。

 

10時55分、ふたたび御機屋に戻って来た。ここで昼食にする。沸かして来たお湯をモンベルリゾッタに注ぐだけだ。残ったお湯で味噌汁を作る。こちらもフリーズドライ。

こうして30分ほど休憩して割引岳に向かった。

 

11時40分、割引岳着。ここから越後三山がよく見えた。

割引岳

割引岳山頂から麓の街を見下ろす

越後三山(左から八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳)

 

最後に

14時半、無事に下山。駐車場に戻ってくると、そこに靴を洗うための水道とブラシが置かれていた。

ぼくが靴を洗おうとしているところに、やはり下山して来た男性(50代か)が近くにやって来た(蛇口は3つあった)。

「これはありがたいですね」

ぼくもずいぶん親切ですねと答える。

そして、その方は日本百名山を登っていて今日が51座目であること、昨日は苗場山に登り、昨日出会った人に今日も出会ったこと、明日も谷川岳に登ってそのまま名古屋に帰ることなどを語った。

ぼくは42座目ですと答える。

こうして百名山にやってくると百名山を目指して登っている人が本当に多いことがわかる。

その夜、30代の男性二人がやはり百名山を目指して宿にやって来た。

 

では、このへんで

 

 

広告