
前回は雪山の様相を呈した蛭ヶ岳山荘に到着したところまで。
今回は山荘での様子と下山するまで。
蛭ヶ岳山荘

蛭ヶ岳山荘はありがたいことに通年営業となっている。
山荘でのお世話は一人の男性が切り盛りしてくれている。
いったいいつ、下界へ降りのだろう?
(ホームページを見たら、二人で交代で管理しているとのこと)
山荘の入り口を入ると、男女4人が酒盛りをしていた。テーブルには白い酒の瓶が置いてあった。
「お泊まりですか?」酒盛りの男性に声をかけられた。
「そうです」
「入口は向こうのようですよ」
そう言われて外に出て横を見ると<締め切り>と書かれていた。
「締め切りのようですよ」そう答えたが反応がなかったので、酒盛りテーブルの横の扉(引き戸、これが重くてなかなか開かない)を開けて中にはいる。
そこは大広間になっていてコの字形にテーブルが置かれ、その中心にストーブが置かれていた。
すると、ちょうどそこに山荘の管理人が出てきた。
「そこから靴を持ってこっちに入れて。ストックは折りたたんでそこの袋に入れて」
言われた場所はカウンターの横で、どうやらそっちが出入り口だったようだ。
「お疲れのところ悪いけど、そこで手を消毒して」と扉の横を指差した。
ああ、いまでも感染症に気をつけているのだな。
しかし、しばらくすると気をつけている理由がわかった。それは、ここ丹沢には水場がすくなく、当然手を洗うことなどできないからだ。
宿帳に記入して料金を支払う。1泊2食付きで8千円。翌日の弁当も頼んでいたので8,500円だった。続いて夕食、朝食の時間とトイレの使い方の説明を受ける。
「トイレは汚したら置いてある水を使って自分で綺麗にするように」
「消灯後、トイレの電気をつけたら消し忘れに気をつけるように」
そうして奥へと案内され、今夜使う布団の指定を受けた。
とりあえずザックを置いてまずは布団を敷き、ダウンの上下を着る。そしてトイレに行ってから缶ビールを買い、酒盛りチームに合流した。
そこは自炊室で大きなテーブルが3つ並んでいる。下は土間でサンダル履きである。中央に置かれたストーブが暖かかった。
酒盛りチームは、それぞれ茨城と東京から来た夫婦連れだった。もうかなり飲んでいるようでご機嫌な様子だった。さっき見た白い酒瓶はどぶろくで岐阜のお酒ということだった。おつまみと共に少し御相伴に預かった。
東京の夫婦の方は(こちらの方が50歳前後、茨城の方は60歳後半の夫婦)、日本百名山に登っているとのことで、登頂数は今回で69座となるとのことだった。ぼくは68座、「ほぼ同じじゃないですか」と言ってくれたが、「いやいや1座負けてます」と答えた。
茨城の旦那が窓の外を覗き、「少し晴れてきましたね」と言う。
「予報では明日は晴れるとのことでしたので、期待して良さそうですね」東京の旦那が答える。
しばらくすると雲が切れて下界の夜景が冬の澄んだ空気の向こうにきらめいていた。
そんな時刻に小屋に入ってくる人がいた。
男性2人のパーティだった。
午後5時半、夕食の準備ができたと言うので酒盛りを切り上げて自炊室から広間に移る。管理人からは夕食の取り方についての説明がある。
「夕食はカレーです。お盆にカレー用とおかず用のお皿(スチロール製)をとり、そこにごはんを入れて渡してください。そこにカレーを入れます。カレーのおかわりはありませんが、ごはんのおかわりは自由です。おかずも一度とって残っていたらおかわりしてかまいません」
おかずはパイナップル、煮豆、サラダなどで6、7種類あった。最後にお茶を入れて席に戻る。お茶は水不足のため一人2杯までとのこと。
運動してエネルギーを使ったのでしっかりご飯をおかわりした。美味しい米だった。カレーは小と中の間くらいの辛さだった。
食後はさっきの酒盛りメンバーでふたたび酒盛り。若い方のご夫婦は紙パックの日本酒を3合買ってそれをストーブで燗をつけて飲んでいた。ぼくは持参した芋焼酎をサーモボトルに残ったお湯で割った。年上のほうのご夫婦は、すすめられた日本酒を少し飲んだくらいでもうあまり飲んではいなかった。
最後に来た男性二人はこちらには加わらず、二人で缶ビールを何本も空けていた。この二人とはとうとう最後まで会話をしないままだった。
日本酒夫婦の奥さんは、もうろれつの方も怪しいくらいに酔っていた。8時消灯なので部屋に引き上げて布団に入る。夜中、その奥さんの寝言には驚いた。なんと歌を歌っていたのである。なんとも陽気な奥さんであった。
翌朝、そのご夫婦に挨拶すると、二日酔いもせずまったくケロッとしているのことにも驚いてしまった。若さということなのだろうか。こちらは少し飲み過ぎてしまったと思っているのに。
あたりまえだが下山はほぼ下り

朝食後、自炊室の前のベランダのようなところからご来光を拝む。ほかの方々は靴を履いて外に出て行った。茨城の旦那が戻ってきて、
「こんなに素晴らしい富士山が撮れましたよ」
そう言って、スマホの写真を見せてくれた。
確かに素晴らしい富士だった。
しかし、サーモボトルに詰めていこうと、お湯を沸かしながらご来光を拝んでいたので外に出て行けなかった。
7時20分、靴を履いて正式な出入り口から外に出る。7時出発の予定だったので20分遅れだ。焼山登山口を13時16分に発車するバスに乗り遅れると夕方になるまで待たなければならないため遅れるわけにはいかない。しかし計画では12時バス停到着なので余裕はある。
しばし富士を眺めてから姫次(ひめつぎ)と書かれた方面に下っていく。ここも塔ノ岳のときと同じく北斜面となるので雪がしっかりついていた。そこは急斜面の階段となっていて、滑ったらかなり下まで落ちていきそうだ。あまりツルツルならチェーンスパイクをつけようかと思ったが、雪の上はしっかりと凍っていて靴底が食いついたのでスパイクなしでも大丈夫だった。

それにしても、もういいよというくらいどんどん下る。振り返ると蛭ヶ岳山荘はかなり見上げなければならなかった。1時間ほど下ると地蔵平に着く。ここから姫次までは平坦な道が続く。35分で姫次。ここで休憩し上着を脱ぐ。


ゆるやかに下っていくと八丁坂の分岐。ここで青根方面から来た登山者と出会う。
「いやー、太陽はありがたいですね」という挨拶を交わす。
「どちらまでいかれる予定なのですか」と尋ねると、
「脚の調子を見ながらですが、蛭ヶ岳までの予定です」
「けっこう雪がついているので気をつけて。でもアイゼンは使わなくても大丈夫でした」
続いて青根分岐を過ぎると黍殻避難小屋が登山道の下に見えた。少し降りていかなければならないのでそこはパス。
大平分岐のちょっと先から黍殻山への道と巻道とが現れる。魔が差して登りを選んでしまった。これがけっこう急登できつかった。山頂には雨量計なのかアンテナなのか、雨量を無線で城山ダムに知らせるための施設というものが建てられていた。
巻道に合流し、今度は平丸分岐、鳥屋分岐が現れる。分岐ばかりだ。
そして縦走最後の焼山はまだかと地図を見ると、目の前のこんもりした山がそれらしかった。そして山頂という感じがしないまま10時35分、焼山山頂に到着した。そこには櫓のような展望台が建てられていたので登ってみた。そこからは宮ヶ瀬湖が見えた。足場が狭くスリリングな展望台だった。


焼山山頂にはあっけなく着いてしまったが、ここからの下りが急だった。地図には滑落注意と書かれている。焼山から一気に700メートルも下るのである。1時間ほど歩いて焼山登山口に着いた。12時少し前だった。
最後に

焼山登山口バス停では二人連れの若い女性と一緒になった。「お疲れ様」と声をかけあっただけだが、ぼくよりも大きなザックを背負っていた。小柄な女性のほうがほとんどしゃべっているのが面白かった。小さな子供のような声だった。
丹沢はたくさん歩いているのに最高峰の蛭ヶ岳にはなかなか登る機会がなかった。それがようやく達成できた。
今回は南北に主脈を縦走したが、東西に歩く丹沢主稜というルートもある。今度はそちらも歩いてみたい。
では、このへんで
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