剱岳 (ネガをアプリで反転)
前回は、一服剱まで行き、戻って剱御前小舎に到着したところまで書いた。
なお、当時のモノクロネガが見つかったので、前回の服装について訂正しておきたいと思う。
着替えに持って行ったシャツで登っており、上着は着ていなかった。
それにデイパックを背負っているので、記憶にはないが、上着と旅行鞄は家に送り返していたかもしれない。
さて今回は、小舎で相部屋となったおじさんと一緒に下山した話と、アルペンルートで黒部から松本、上高地へ行った話です。
前回のはなし。
剱御前小舎で相部屋のおじさん
大日岳をバックに (ネガをアプリで反転)
山小屋に入るとひとりのおじさんと相部屋となった。
「こんにちは、よろしくお願いします」とあいさつする。
「どちらからですか」と聞かれたので「神奈川県からです」と答えた。
同じようにこちらからも訪ねると、
「松任市からだけど知ってますか」と訊かれた。
「いやー、ちょっと、すみません」
「金沢市の隣ですよ」ということだった。
そして、数日前から山に入り、天気が回復した昨日に念願の剱岳に登ってきたところだという。
しばらくして日が沈みそうなので、夕日を眺めに二人で表に出る。
素晴らしい夕日が大日岳の向こうに沈んで行く。
夕日の写真を撮っていると、おじさんが記念写真を撮ってほしいという。
そこで夕日をバックに写真を撮る。次に交代して僕も撮ってもらう。
おじさんは、「住所を教えるので後から送ってほしい。実は脱サラして10月から商売を始めるので、今回の山が最後になると思う」と話した。なにやら決意のようなものが感じられた。
写真は家に帰ってから六つ切に焼いて送ってあげた。すると丁寧なお礼の手紙とともに菓子折りを送ってくれた。今も元気でいるだろうか。
おじさんと下山
みくりが池に写る立山 (ネガをアプリで反転)
山小屋にもどり夕食。食後におじさんがコーヒーをご馳走してくれ、すこし話をした。すると明日は下山するという。
「それじゃ僕と一緒ですね」というと
「それなら一緒に下りましょう」ということになった。
翌朝は5時20分に起床した。そして6時40分、雷鳥沢を下り始める。
8時10分雷鳥平に下りてくる。ここでおじさんが紅茶を淹れてくれた。
みくりが池の横を通り、室堂には9時35分に着いた。
ここでおじさんとお別れする。「がんばってください」と声をかけた。
黒部ダムから松本へ
黒部湖とロープウェイ (ネガをアプリで反転)
これからこちらは大観峰に向かうバスに乗る。ロープウェイで黒部平、そして黒部湖に行き、黒四ダムを見学した。
ダムからは2箇所の放水口から放水されていてすごい水量と水しぶきだった。
再びバスで扇沢から信濃大町駅に抜ける。駅に着いたのは 午後1時を少し回ったころだった。松本行きの列車は1時33分発なので、ここで山菜そばを食べる。松本まではちょうど1時間だった。
さてこれからどうするか。できれば有名な上高地に行ってみたい。
松本の観光案内所で上高地で安い宿が空いているかを調べてもらう。すると五千尺ロッヂが空いているという。2段式ベッドということだが安ければ構わない。料金は5,100円だった。
そこを予約してもらうと少し時間があるので松本城を見学しに行った。
松本城は木造で建築された当時のまま取り壊されずに残っている数少ない戦国時代の城である。中に入ると狭く急な階段を登っていく。誰でも天守まで登れたわけではないと思うけれど、着物を着て刀を差していては登るのも降るのも大変だっただろう。
初めての上高地
午後4時40分、松本からバスで上高地に向かう。6時35分、上高地バスターミナルに到着。そこから歩いて河童橋を渡り1、2分で五千尺ロッヂだ。
翌朝、夜明けとともに外へ出る。朝食前の散策である。
河童橋から大正池までを少し早足で回る。人がほとんど歩いておらず、空気がきれいでおいしく、梓川の水は清く澄んでいる。とても気持ちの良い朝だ。
穂高はガスがかかって見えない。けれど、大正池は朝霧が湖面にただよい、幽玄な感じで美しい。
宿に戻って朝食を済ませ、明神から徳本(とくごう)峠まで登ってみることにする。
7時50分に宿を出発して明神には8時30分に到着。ここから徳本峠に登る。
10時少し過ぎに峠に着くが、ガスっていて、やっぱり穂高は見えない。本来ならここから穂高連峰の素晴らしい眺望が拝めるはずだった。
なんとか穂高が見たくて1時間半もねばって見たけれどやっぱりダメ。あきらめて下山する。
明神まで戻ってくると晴れて来た。明神岳がよく見える。ここで明神池をみてから河童橋まで戻る。
残念ながら、今日は帰らなければならない。明日は仕事があるためだが、それよりも金がない。
帰りのバスは混んでいて、2本後しか空いていないという。1時間半後のバスで新島々まで行き、松本電鉄で松本にでる。
夕食はクレジットで
松本に着いて夕食を食べるのにも金がない。それでクレジットカードが使える店を探した。
どうにか見つけたのは鰻屋だった。旅の締めなのでちょっと贅沢してもいいかなと店に入った。食べ終わり、いざクレジットで支払おうとしたら、クレジットの使い方がわかるものが今日は休みのため、現金で払ってほしいといわれてしまう。
当時は今のように読み取り機というものが普及しておらず(というか当時あったのかどうかわからない)、エンボスで複写するアナログ機で行うものだった。
現金で払えと言われても、払ってしまうと家に帰れない。
恥ずかしながら、「現金はもってないんです」と言うしかなかった。
「では、後からでいいですからここに振り込んでください」と店の名刺に振込先を書いて渡された。なんだか便宜を図ってもらっているような、申し訳ない気持ちになる。こちらの住所と名前を書いて店をでる。
旅の最後は情けない気持ちになったが、時間もお金も目一杯使った充実した旅と登山だった。
まとめ
雄山山頂の祠 (ネガをアプリで反転)
雷鳥沢を下っている時、雷鳥を見かけた。雷鳥を見るのは初めてなので、一緒に下ったおじさんに教えてもらった。そのときは茶色の羽毛だったが、雪が降る頃になると真っ白に変わるのだという。
それから、富山の小学生は(県内すべてであったかどうかは覚えていないが)、学校行事で雄山に登るということをおじさんは教えてくれた。
神奈川県でも同じように(こちらも県内すべてかどうかはわからないが)、小学5年生の時に大山登山があった。 ちょうどアポロ11号が月面着陸した時で、バスで酔ってしまった僕は宿坊の大広間ではなく教員の部屋で寝かせてもらったため、月面着陸の様子をテレビで見ていたのである。
中学校でも大山登山があり、それがきっかけで色々な山に登るようになった。けれど僕にとって大山が登山の原点で、とても愛着のある大切な山である。
近頃、郷土の歴史や地元の偉人について子供たちに教えることが少なくなっているように感じる。まして日本が建国の歴史を教えてくれていないのだから、郷土や日本国に愛着を感じられなくなっても当然であるともいえる。
せめて、地元の信仰の対象となっている山に登り、どういう理由で山の上に神社や祠が建てられたのかということを、後世に語り継いでほしいと思うのである。
では、このへんで
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