3月最終日曜日、この日が千秋楽となる演劇の舞台を観に行った。
前日に風邪を引いてしまい、行けるかどうか心配だったが、熱も出ずなんとか行くことができた。
今回は初めて見にいく劇団だった。
最近はエンターテイメントの舞台が多かったが、この日はシリアスなテーマだった。
それは、よど号乗取り事件を扱った舞台だった。
よど号乗取り事件
それは1970年、昭和45年3月31日に起こった。
赤軍派と名乗る男子学生9人が、羽田発板付(福岡)空港行きの日航機よど号を乗取って北朝鮮の平壌に向かわせた事件である。
給油という口実で一旦板付空港に着陸。ここで高齢者や女性、子どもなど23人が開放される。その後平壌に向かう。
ところが平壌空港の手前で進路を南にとり、韓国の金浦空港に着陸する。これは日本政府が韓国政府にお願いして、あたかも平壌空港に着いたかのように装って犯人たちを騙そうと計画されたものだった。
これを知った犯人グループは態度を硬化させる。
犯人グループと交渉を重ね4月3日、運輸政務次官の山村新治郎氏が乗客の身代わりとなって人質となることで合意。
こうして同日、金浦空港を離陸し平壌空港を目指すが、日没が迫ったため、目視できた近くの小さな飛行場に着陸。機長が持っていた地図は中学生用の地図帳のコピーだった。機長は戦時中特攻隊の教官をしていた経歴を持つ。
舞台「天の秤」
今回の舞台はこの事件を再現したものである。
ここで、正義とは何かということが「秤」という概念を使って語られる。
「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」
この言葉がたびたびセリフとして語られる。それは司法、裁判の公平さをあらわす言葉で、正義の女神の姿がそれをあらわしている。秤とは正義、剣とは力のことである。
その言葉は人質となった乗務員同士で、ベテランと若手の上下関係の中で常にベテランが気をつけている言葉として語られる。ベテランは若手より力をもっている。だからそこには公平さが求められる。若手はベテランの行いをしっかりと見ているものである。この言葉はもちろん犯人グループの犯行に対しても投げかけられている。
よど号事件のその後
北朝鮮に着いたのは犯人グループ9人と日航機乗務員の3人(客室乗務員は金浦空港で降りている)、そして人質の山村政務次官だった。
日航機乗務員と山村政務次官は4月5日に解放され帰路に着く。犯人グループはそのまま北朝鮮に亡命、現在4人が同国で存命していると思われる。
山村新治郎政務次官は帰国後ときの人となる。その後農林水産大臣、運輸大臣を歴任。1992年、訪朝団として北朝鮮を訪問する前日、自宅にて次女に刺殺される。
最後に
今回の劇場はど真ん中に太い柱があって、舞台を両方向から挟むようになっていた。
そしてその席はすぐに後ろが高くなって、後部座席では舞台を見下ろすようになっていた。
それはまるで天から俯瞰して乗取り事件の現場を眺めているようでもあった。
緊張感のある舞台で一瞬も目が離せない舞台だった。役者の演技もみな素晴らしく、完全に引き込まれてしまった。
正義の剣、それは危険な剣である。赤軍派が振るった剣は彼らにとっては正義の剣だ。人によって正義は違う。もちろん時代によっても異なる。そうやって正義の剣を振りかざして戦争が続いている。そうぼくは感じた。
では、このへんで
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