Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

俳句という文化を守りたい 【俳句結社の同人会に参加】

以前からときどき記事にしてきた俳句のこと。

今回も控えめにご報告です。

みなさんが、「凄い!」と思えるような句を作るのが夢。

夢ということは、まずもって夢のようなこと。

それでも続けるのは使命に燃えているから。

え、なんの使命?

それは日本の文化を受け継いでいくこと、俳句は文化なのです。

守れ!日本文化を。

 

連日の句会



4月になりました。

入学式に合わせたように桜が咲きました。

そして、すぐに葉桜となり、桜吹雪が舞っています。

こうした花の移り変わりがすべて俳句になるのです。

 

それも、人それぞれに見え方が違い、それぞれに感じ方が違います。

そうやって見ているもの感じているものの違いがはっきりと分かるのが俳句なのです。

 

俳句って個人個人で作るものですが、それが大勢集まって同時に発表することで見え方や考え方の違いがわかるものなのです。

 

そのことがわかるのは俳句会、通称「句会」というものです。

その句会に連日参加しました。

 

一日目は所属している俳句会。

加入してからもうすぐ25年になります。

気心の知れた仲間との句会は気持ちが休まります。

 

けれど、25年もやっていると亡くなられた方もいれば続けられなくなって去っていった人もいる。そして有難いことにあたらしく仲間となった方もいる。

 

指導者も変わられ、3代目の方もご高齢で参加できなくなっています。

さて、今後はどうしたら良いのか皆で考えているところです。

 

ただそうした状況ですが、おかげさまで今でも続いています。

ところが若い方はいません。つまりこのままだと消滅することになります。

こうした流れは我が句会ばかりではなく、どこの句会でもほぼ同じことが起きているのです。

それは俳句という伝統文化の危機でもあります。

 

俳句という伝統を守ることの意味は二つあると思っています。

ひとつは俳句がとらえる花鳥諷詠の世界。花鳥諷詠を感じる日本人の心。日本の自然と季節による移り変わりを感じる心です。この日本人の感性を大切にしていきたい。

 

もう一つは日本語を守るということ。

実は戦後、一度日本語が破壊されようとしました。

かろうじて生き残りはしましたが、歴史的仮名遣いと言われていることばを失いました。

これにより現代の多くの人は戦前までの文章が読めなくなっています。ほんのわずか80年前までの文章がです。

 

そしていまの小学生の書く文字を見ていると、それは文字というよりも図形と言った方が良い。特に漢字。形だけ文字のように見えるけれども書き順はめちゃくちゃ、そればかりではなく切れるところも繋いで書いてしまう。

 

こうした書き方をしている児童がいかに多いことか。

これではいずれ日本語が失われてしまう。そんな危機感を感じています。

 

もっと日本語を大切にしてほしい。

もっと日本語が好きになってほしい。

 

それ以前にもっと日本という国を好きになってほしい。

そうした教育をやってもらいたい。

 

そんな思いで日本語を守るための一つの手段として俳句会に参加し、俳句結社に参加しています。俳句という文化を大切に守っていきたいのです。

 

 

同人会に参加

翌日は俳句結社の同人会が東京で開催されました。

こちらは全国にいる同人が集まりました。

北は北海道から南は長崎まで。

この日集まったのは50人あまり。

 

その中には40代も数多くいました。

これは凄いことです。

高齢化が進む俳句の世界で40代は若い。

これなら少なくとも2、30年は大丈夫かも知れない。

 

けれどもっと続いていくためには毎年若い人が入ってくる必要があります。

それでもなんとか希望がまだあるのが我が俳句結社なのです。

 

それは希望ではあります。けれども我が俳句結社だけではダメなのです。

 

今、俳句を世界に広めようとする動きもあります。

けれど、それよりもまず若い世代に俳句を教えていくほうが先ではないでしょうか。

俳句は子どもにもわかりやすいものです。

はっきりと意味がわからなくてもリズムなどの感覚でわかるものです。

小さい頃の自分を思い出してみるとそれがわかります。

 

  柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺(子規)

 

とか

 

  雪の朝二の字二の字の下駄の跡(田捨女)

 

などは子供の時に聞いてずっと頭に残っています。

 

もちろん有名な芭蕉の

 

  古池や蛙飛び込む水の音

 

などはほとんどの人が知っているでしょう。

 

現在、所属する結社では、ひらがなは歴史的仮名遣いを使っていますが、漢字はほぼ新漢字を使います。

 

自分自身もなんとか読めてももう旧漢字は書けません。

もう旧漢字に戻ることはできないでしょう。ひらがなも同じです。

 

ああ、でもやっぱり「匂う」よりも「匂ふ」のほうが心にグッとくるのだけれど。

全部ひらがなで書くと「にほふ」になります。

 

どうも話が脱線しっぱなしですが、暖かい春の日差しの休日に全国から同人となった人たちが集まって吟行し、その後句会を開きました。

 

吟行場所は富岡八幡宮。境内では蚤の市が開かれていました。

ガラスの器、陶磁器、古銭、着物など様々なものが所狭しと並べられ、それに加え桜の花びら、伊能忠敬の像、横綱の碑など句の題材にはこと欠きません。

 

本当に同じものを見ても捉える目が異なっています。

それはおもしろいです。

それが吟行句会の楽しいところなのです。

 

隣接する施設で句会が行われ、そのあと懇親会。

なんと5年ぶりとなる同人会でした。

 

 

最後に

最後は同人会の成績について記しておきたいと思います。

永年やっているにも関わらず、鳴かず飛ばずというのもちと寂しい気持ちになります。

かろうじて選者の並選に2句入りました。

そのうちの一句をご紹介します。

  骨董のギヤマンにある春愁(はるうれひ)

これからもまだまだ勉強し、感性も磨いていきたいと思った次第です。

いつもいつもこうした大会の後に同じことを思うのです。

進歩がない。

いやいや続けることにも意味があると自身に言い聞かせて・・・

 

では、このへんで

 

 

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