4月になって新しい職場で働き、ぐったりしている。
新しい人間関係、覚えることの多さ。
そんなわけでなかなかブログに手をつけられなかった。
そんな中で連日句会があり、どうしても記録に留めておきたいと思い今これを書いている。
行われたのはホームの句会と所属する俳句結社の俳誌700号記念大会兼名誉主宰のお別れ会。
結社の大会では他の俳句結社の主宰らが招かれ、なかなか面白い会だった。
ホームの句会
我がホームの句会は、土曜日に行われた。
この日は朝から晴れてポカポカ陽気。それがだんだんと雲に覆われ、気温が下がっていった。句会が終わって帰るころには雨が降り出していた。
やがてかなり大粒の雨になってバツバツとヘルメットに当たる音がしていた。
そんな天候が変わりやすい春の一日、句会場にはいつもの仲間が集まった。
ぼくはいつもの通り、由緒あるお寺にバイクを止め、句会の重鎮だった方のお墓にお参りしにいった。
すると句仲間の二人と出会った。
そのうちの一人は久しぶりの参加。ただし欠席でも投句は続けていてよく特選をとる人である。
この人は長野の生まれで食べ物のことをよく話題にする。
ここでわざわざ長野の生まれと言ったのは、むかしは食べ物が採れなくて食べられるものはなんでも食べたということを聞いていたからだ。
そのせいで食べ物が目の前にあればすぐに食べてしまうらしい。
たしかに、句会でお菓子が出るとかならずすぐに食べ始めていた。
その方が、寺の裏に生えている蕗をみて、
「この蕗食べられるかしら。採っていったらどろぼうよね」
するともう一人が、
「2、3本ならいいんじゃない」
「2、3本じゃ料理できないわね」
そんな会話をしていた。
二人はお寺の隅で昼食を食べようとしていて、ぼくにも分けてくれようとしたが、もともと駅近くの店で食べることにしていたし、その人の分が減っては申し訳ないので辞退した。
その長野県人は食べることにはこだわりがあるが、気前もいいのである。
昼食を終えて句会場にいくと、ほぼ全員が集まっていた。
そこには選者の姿はなく、長野の人もまだ来ていなかった。
そしてさらにもう一人遅れてくるという。
全員が揃って句会が始まる。
あいかわらずぼくの句はほとんど採られない。なんとも寂しい限りである。
最後に準選者の二人から、並選と特選をひとついただいた。
春愁や交はす会釈のぎこちなさ
記念大会兼お別れ会に参加する
翌日は俳句結社の記念大会。富岡八幡宮の祭儀場で行われた。
午前11時受付開始、投句締め切りは12時である。
10時少し前、門前仲町の駅に到着。ここは現役時代にときどき飲みに来たところだ。ここに全国の地酒が置いてある酒屋があり、立ち飲みで試飲ができる。試飲といってもつまみも置いてある。
立ち飲みは隣同士との距離が近く、知らない間柄でもすぐに仲間になれる。それが立ち飲みの良いところだ。
そんなことを思い出しながら富岡八幡宮の前にくると、大鳥居をくぐる前から境内を溢れ出た骨董市が所狭しと店を出していた。
そこから参道脇にびっしり店が並び、本殿のすぐそばまで続いていた。
ともかくお参りしようとまっすぐ参道を歩いて本殿の前に行く。するとホームの句会の仲間と出会う。
少ししてもう一人の仲間もやってきて、一緒に境内を回る。
骨董市の雰囲気はまるで昭和だと思いながら見ていると、並んでいるのは昭和だけでなく、もっと古いものも並べられている。
さぞかし昔から開かれているのかと思いきや、どうやら平成になってから始まったとのこと。それにしても賑やかである。
境内には伊能忠敬の像や大関、横綱の大きな石碑が建てられている。
この参道脇に婚儀殿があり、その向こう側には弁天池がある。こちら側に来ると賑やかな参道とうってかわって人が少なく静かで落ち着ける。
この日は八重桜が満開で、藤棚の藤もまさに万朶の花であった。
11時少し前に受付が始まったので会場に入る。
席に着くとまずは家で握ってきたおにぎりを食べる。携帯ポットにお湯を入れ、フリーズドライの味噌汁も持ってきた。
続いて句の推敲。投句は3句である。
今日の選者は我が主宰のほかに3名が招かれ、すでに席に着いていた。我が主催と来賓2名は虚子の曾孫になる。もう一人は日本文学の研究者。
そして会場を見回して参加者の人数(席の数)を数えてみるとおよそ六十。まあ今日も寂しく帰ることになるだろうと思う。
句会が始まると忙しい。次から次へと清記用紙が回ってくる。ひどいときには5、6枚手元に溜まってしまう。
3句掛ける60人で180句を読んでその中から3句を選ぶ。集中力の維持が大変だ。
選句用紙に選んだ句を書き、句会運営の方に手渡すとほっと一息いれることができる。
ここで受付で配られた、事前投句入選句の冊子を見る。するとなんと一人の選者からぼくの句が選ばれていた。特選ではなかったが、入選句の一番始めにそれが載っていて嬉しくなる。
ただし、掲載順が入選作の順位とは限らない。でもまあそれでもいいさ。
披講がはじまる。思った通りぼくの句は読み上げられない。名乗る人は何度も名乗っている。実力の差を感じる。
けれどこれが勉強だ。どういった句が採られるのか、どういう表現をしているのか。
一般の参加者の選が終わると選者の選に移る。ここでも読まれない。
最後の最後、ほぼ終了というところでかろうじて1句読み上げられた。
どうにか一言だけ名乗ることができた。よかった。つぎは2回名乗れるように頑張ろうと思う。そのためにはしっかり勉強しないといけない。
座談会
この後、選者の座談会になる。
座談会といっても編集長からの鋭いツッコミである。
特選一席となった句を二人の選者が選んだが、後の二人が選ばなかった理由を聞いたのである。
その一人。この句で使われている「花筏」はその選者の会では認めていないということだった。
ふつう花筏といえば、花屑が川に流れているものを言うが、やはり花屑は花屑であるという。また、花筏という植物もあって判別がつかないということもある。
なるほど、そういったルールの違いがあるということをはじめて知った。
我が会の主催はその点おおらかで、あまり細かいことは言わない。一般の人の多くが理解できていればそれで良いという考え方だった。
また、ちょっと問題点があるという句に三角をつけてもらうようにいってあったとのことで、その三角をつけた句とその理由を訊いていた。
ひとつだけ挙げると、門前仲町のことを「門仲」と省略したことを挙げていた。
お別れ会
お別れ会は「乾杯」に続き「献杯」の二言で始まった。
会場は同じで、用意の間一旦外へ出て待機した。
部屋に戻ると豪華弁当が並べられ、小さな缶ビールが置かれていた。
乾杯及び献杯はこの小さな缶ビールをコップにあけて開けて行われた。
名誉主宰だった師の遺影が飾られ、師にゆかりのある方々がスピーチをした。
ひとしきり歓談した後、選者の座談会が行われた。
こんどは思い出話などを交えた気軽なやりとりだ。
これまであまり頻繁な交流はなかったようだが、これを機会に仲良くしてほしいと思う。
最後の挨拶で我が主宰は、伝統を守るということは昔からのやり方を変えないということでは守れないという趣旨のことを話された。
確かにそうだと思う。今に続く老舗の和菓子屋なども守るべきものは守り、そのうえで時代に合わせて変えていっていると思う。
ぼくが思う俳句の守るべきものとは、5、7、5という17音のリズムと季題を入れるということだと思う。
時代に合わせて少しずつ変えていくべきものは、季題の中身だろう。現代の人が読んでわかる季節というものが大切なのではないかと思う。
最後に
会が終了し、後片付けを手伝う。
女性は若い方が大勢参加しているが、若い男性はほとんどいない。
なんとこのぼくが若手になってしまう。
力はないが力仕事はぼくの役目だろうと力仕事を買って出る。
ガラスの入った衝立てを舞台の上に上げる。
これがかなり重かった。そこでもうひとりの男性と一緒に持った。
さて、もうひとつを上げようとしたところ、そのもう一人の男性が向こうへ行ってしまった。
「えっ」
しかたなく一人で上に持ち上げた。倒したらガラスが割れてしまう。責任重大だ。
どうにかそれを舞台に上げるとそれでもう力尽きた。
飾られていた花をいただき帰路に着いた。
では、このへんで
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