Hakuto-日記

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緊張した初めての谷川岳 【谷川岳登山】

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谷川岳 (ネガをアプリで反転)

1984年10月10日の体育の日に山に登った。

当時は体育の日といえば10月10日と決まっていた。

体育の日になった理由。それは1964年に開催された東京オリンピックの開会式が行われた日だからである。

ではなぜ、10月10日が開会式に選ばれたのか。それは10月14日が特異日で晴れの日が多く、その日に近い土曜日であることからこの日に決めたのだそうだ。

 

休日というのはこのように昔は意味があって決められていた。

 

それが土日にくっつけて移動させると、もともとなんの日であったのかがわからなくなる。なんて考えるのは頭が古い証拠かな。

 

さて、今回は、10月10日に登った谷川岳の話です。

土合駅で仮眠をとる

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10月9日、仕事を終え、夜間部の写真学校へ行き、授業終了後にそのまま上野へ向かう。

 

上野発長岡行きの普通列車に乗り込み、2時52分土合駅で下車する。

 

土合のホームは清水トンネルの中にある。したがって薄暗い中に降り立つのであるが、当然外にでてもまだ夜が明けていない時間である。


ホームから地上に出るまでには4百何段かの階段を登らなくてはならない。紅葉シーズンでもあるためかホームから階段まで登山者で一杯である。


約10分かけて地上に出てみると、駅の構内は仮眠をする人たちで足の踏み場もないくらいにいっぱいだった。それでも無理してこちらも仮眠をするために割り込む。

 

そして4時50分に起床。簡単にパンとワインとビスケットで朝食をとる。5時10分、いよいよ念願の谷川岳に向かってあるき出す。

 

ガンゴー新道から頂上を目指す

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谷川岳西黒尾根 (ネガをアプリで反転)

歩き出してみるとどうも体が重い。やはりゆっくり眠れていないせいだろう。舗装された道を歩いただけで疲れてしまう。

 

登山指導センターで登山登録をして再び舗装された道を行くと6時20分、ガンゴー(巌剛)新道の入り口に到着した。

 

あまり一般的でないこのガンゴー新道を選んだのには訳がある。

 

それは、NHKで放送された『関東甲信越小さな旅』(現在の『小さな旅』)で、このガンゴー新道が紹介されていたからだ。


番組を見て、一般的な西黒尾根に比べて人が少なく静かな山登りが楽しめること、そして樹林帯から登って行くと、途中に鎖場があって変化が楽しめそうだと思い、このコースを選んだのである。

 

昔からどうもマイナーなものに惹かれてしまう癖がある。たとえばテニスでは軟式テニス、スキーはクロスカントリー、それにカヌーなどに興味をもってしまう。

 

それはさておき、一ノ倉を眺めながら急登をがんばっていると約1時間半で西黒尾根との合流地点、ガレ沢のコルに到着した。


この上に出ると急に展望が開け、最高の気分だ。ここで一服し、次は谷川岳の頂上まで一気に登る。

 

そこからは岩場が続き、スリル満点だ。しかし、一歩間違えば谷底なので緊張して登って行く。

 

幸い最高の天気なので特に危険なこともなく(谷川岳は危険な山というイメージがあるため)、割合と楽に頂上に立つことができた。

 

谷川岳のピークは2つあり、トマの耳とオキの耳と呼ばれている。トマの耳の登頂は9時半、オキの耳の登頂は9時40分だった。

 

少し早いが、オキの耳の山頂で昼食にする。

 

谷川温泉に下る

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谷川岳の紅葉 (プリントをデジカメで複写)

山頂で1時間ほど休憩し、再びトマの耳にもどって熊穴沢小屋からいわお新道で二股、牛首をとおって谷川温泉へと下る予定であったが、道が不通となっていたため、天神平経由で保登野沢を下山することになった。

 

ところがこの道はかなり歩きやすく、静かでなかなか良かった。

 

2時少し過ぎに谷川温泉の街に入った。ここはひなびた温泉街で、雪のあるときにでも訪れたいようなところだった。そこに咲いていたサルビアの赤い花がへんにものさびしく感じた。

 

谷川温泉からバスで水上駅に着いたのは2時45分だった。高崎行きの列車の時間が3時21分だったので、待ち時間で手打ちそばを食べる。上野に着いたのは7時47分だった。

 

谷川岳ふたたび

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谷川岳トマの耳 (プリントをデジカメで複写)

6年後、ふたたび職場の仲間と4人で訪れた。

 

この時は、西黒尾根の一般コースを歩いた。


季節は同じ頃だがもう少し遅い10月20日だった。このときも素晴らしい天気で、さらに紅葉が素晴らしかった。


このときもやはり谷川温泉に下ったのだが、その手前で黄色く色づいた葉が斜光線に輝く中を下っていった。まるで夢の中を歩いているようで本当に素晴らしかった。

 

ただ、谷川温泉からのバスの本数が少なく、1本逃すとしばらく待たなくてはならない。このときそのバスの時刻が迫っていた。

 

皆急ぎ足で頑張ったが、あと少しのところでバスの発車時刻まで数分となったとき、
「もう間に合わない、無理」と言った。すると、そのなかのまだ入社したばかりの男の子が、
「バスは遅れてくるかもしれないので、あきらめないでもう少しがんばりましょう」と皆に言った。


その一言で皆が、ダメ元だから頑張ろうとなり、あきらめないで急いだところ、本当にバスが遅れてやってきて、一本待たずに乗ることができたのである。

 

このとき、<簡単に諦めてはいけない、できるだけ頑張ってそれでダメならそのときにはじめて諦めれば良い>ということを、その男の子に教えられた。

 

残念ながら、翌年その子は地元の市役所に職場を変えてしまった。けれど、あきらめたくなったときは、いまでもそのときのことを思いだすのである。

 

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まとめ

2回とも好天に恵まれた登山であった。

 

2回目も1回目と同じく夜行で土合駅につき、長い階段を登って駅で仮眠をとっている。このときもたくさんの人がいた。人気のある山である。

 

初めて登った時は、危険な山と言われている谷川岳に登っているという緊張感と割とあっけなく登ってしまったということとのギャップに戸惑ったが、後から色々と情報を集めてみると、遭難というのは一の倉沢の岩壁を登るひとの場合が多いこともわかってきた。

 

ただ、太平洋側と日本海側の境となる山なので、日本海側からの湿った風を受けると天候が崩れやすく気象の変化が激しいということである。そうなると気温は急激に下がることもあるだろうし、雲の中に入れば岩山では道に迷いやすい。やはり油断をしてはならない山である。

 

だから天気の日に登ることはとても重要なのだ。

 

ただ、また登ることがあったとしても、これからはもう夜行日帰りなんて無茶なことはぜったいにしたくないと思う次第である。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

では、このへんで

 

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