奥武蔵に伊豆ヶ岳という、鎖場のスリルと360度の展望が楽しめる山がある。
この山に1983年10月と翌年11月に登っている。
登るといっても標高851メートルの低山なので、どちらかといえばハイキングである。
小学生でも登れるので家族連れで行くにはおすすめのハイキングゴースだ。
そうはいっても、僕が歩いたのはだいぶ昔の話。
行かれる際は、最新の情報を調べて行ってくださいネ。
小学生のハイキング集団
83年10月1日土曜日、ここのところ続いた秋の長雨で晴れの日がまったくなかった。
おまけに台風10号がやってきて、山とは縁遠くなっていたのだが、この日は久々に晴れた。
前夜まで雨が降っていたのが嘘のようだ。天気予報がずばり的中したのだった。
それなのに体調はいまひとつ。いつものように寝坊をして午前10時に正丸駅に到着。
これから目指すのは伊豆ヶ岳である。標高851メートルの奥武蔵の低山で頂上直下には鎖場もあってちょっぴりスリルが味わえる。
小田急線で新宿に出て、山手線に乗り換えて池袋。西武池袋線で飯能まで行き、西武秩父線に乗り継ぐ。西武池袋駅から正丸駅までは約1時間20分であった。
正丸駅から正丸峠に登り、伊豆ヶ岳山頂まで約2時間ほどで到着する予定である。
西武池袋駅で電車を待っているとき、小学生が大勢リュックサックを持っていた。そばにいた先生が「さわがないように。ハイそこ、静かにして」と大声で叱っていた。内心、「騒々しいな、こんなのと一緒になったらかなわないな」と思った。
正丸駅について、トイレに行ったり軽い準備運動をしてから歩きはじめる。最初のうちは静かな山歩きを楽しんでいた。ところが、正丸峠に到着すると、池袋駅でみかけた子どもたちと先生に出くわしてしまった。
子どもたちの行列を抜かすのも大変なので、後ろについて歩いてはみたが、やっぱりペースが合わない。
後ろの子どもに「どこの山に行くの」とたずねると、伊豆ヶ岳だという。池袋駅で見かけたとき悪い予感はしていたが、残念ながら的中してしまった。
そこで、その先の小高山で長めの休憩を入れて時間をつぶし、間隔を開けた。
12時20分、伊豆ヶ岳山頂についた。するとメガホンを持ったおばさん先生がピーピーガーガーとやっている。まったくもう、静かにしてくれ。
お昼寝ハイク
騒々しくてうんざりしたのは、実のところは体がくたくたになっていて、山頂についたときにはもうダウン寸前だったからでもある。
ただ、男坂の鎖場だけは元気を出して登った。けれどその後は疲れてもう歩く気力がなくなっていた。
そのため、予定のコース(天目指(アマメザス)峠から子ノ権現をとおり吾野駅に向かうコース)をとる気持ちが萎えてしまっていた。
そこで、昼食後はこのままゆっくり下山することにした。
昼食を食べ終わり、ごろっと横になる。するといつの間にか眠ってしまった。そして気がつけば午後2時半になっている。どうやら1時間半くらいは寝ていたようだ。けれど、ひさびさの上天気で、気分は最高。
たまにはこんな山歩きもいいものだと思う。
職場の仲間と
翌年11月25日、職場の仲間6人(男性4、女性2)で、前年とは逆コースでハイキングに行った。
山頂で記念写真を撮り、まばらな木立の急斜面を木につかまりながら、皆苦労して下ったことが懐かしく思い出される。
一緒に登ったメンバーは、この頃はもちろん役職などなく、みな同じ立場で(先輩後輩の関係はあったけれど)友達のように接することができた。
このときから長い年月が過ぎ、それぞれ役職にも違いができて昔のようには付き合うことができなくなってしまった。残念ながらそれが現実である。
ただし、女性はそんなことにはとらわれないところがいい。
昔に比べて女性も役職につく人が多くはなったがまだ少数である。だから女性は、多くの男性がやってしまいがちな、職場の階級を私生活にまで持ち込むというようなことはしない。それどころか職場でも役職と人格とをはっきりと分けて接していることが多いように思う。
付き合い方に変化が現れたのはそればかりではなく、世の中の風潮が効率優先に変化して行ったことにもその要因はあると思う。
世の中の風潮が変化して行ったのはいつの頃かと考えてみると、バブルがはじけ始めた平成の3、4年(91、2年)ごろだと思う。マスコミの報道内容が悲観的なものばかりとなって、それが世間の常識を変えてしまったような気がする。
まさに、伊豆ヶ岳の急坂を下って行くように世の中も不安の中へ転げていったのだった。
まとめ
今回は計画を変更し、体調に合わせて下山した話であった。
昼寝をしたおかげで元気になり、さらに正丸峠を通らない最短ルートで下山し、正丸駅には3時40分についた。
山で昼寝をするだけの登山というのは、考えてみれば贅沢な山登りである。
一人の山登りは、体調に合わせて予定を簡単に変更できるところが良いところだ。
特に前年、雨の丹沢で遅れているにも関わらず計画通りに行こうとして遭難しかけたことがあり、そうした反省が生かされたハイクであった。
おかげでお昼寝ハイクという、(自分では)まずそんな計画は立てないだろうということを体験できた。
そして翌年に職場の仲間といっしょに登ったことは、一人では経験できない貴重な楽しい体験だった。
残念ながら、それぞれが勝手に思い込んだ世の中の常識にとらわれて、少しずつ距離をおいてしまったのであろう。楽しい関係のまま歳を重ねることができなかったことが残念である。
皆が定年を迎えたら、昔のように対等に無邪気な気持ちで無駄話などができるだろうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、このへんで
遭難しかけたときの話はこちら。
ロードバイク・ヒルクライマーの方、天目指峠にお出かけしてみては。
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