ヤビツ峠 (出展:Wikimedia Commons)
前回、登山中に道に迷った話を書いたので、これに関連する話をしたいと思う。
24歳の頃の話である。
この年、4月から5月にかけて家から近い丹沢に5回入っている。
そして7月、この年6回目の丹沢登山を友人と一緒に行く約束をしていた。
ところが、時間になっても現れないので電話をすると、「6時に起きて雨だから行かないと思った」ということだった。
こちらはすっかり準備していたので、「それじゃ、一人で行くよ」と言い放って電話を切る。
このとき、雨だからやめておこうとは考えられなかった。「こちらは約束を守って時間に間に合うようにやってきたのに」という怒りがあったのだろう。それにもう準備を整えているということもあったと思う。
前回の記事はこちら。
札掛から新大日
(赤の破線は歩いたコース。青は予定コース)
そんなわけで少し遅れて小田急線の秦野駅に着く。ここからヤビツ峠行きのバスに乗ろうとしたところ、悪天候のため、途中の蓑毛までしか行かないという。
仕方がないので蓑毛まで行って、そこからヤビツ峠まで歩く。ヤビツ峠に着いたときは、ここを9時に出発する予定でいたのに既に10時20分になっていた。
丹沢とは丹沢山を含む山塊の総称で丹沢山地と呼ばれている。
主峰穂蛭が岳で標高1,672.6メートル、丹沢山が1,567メートル。表尾根と呼ばれる小田急線から眺められる稜線のピークが塔ノ岳でこちらは1,490.9メートルだ。
丹沢は首都圏から近いため、昔から多くの登山者が訪れる人気の山であるが、その中でもとくに表尾根は人気がある。ゴールデンウィークなどには行列ができて、鎖場では順番待ちで何十分も待たされることがある。
ところが、その奥の裏側に入ると途端に人が少なくなる。
予定のコースは、ヤビツ峠から札掛まで林道を行き、札掛から新大日を目指す、そこから表尾根を歩いて塔ノ岳に登る。鍋割山方面に少し下り、小丸から登山訓練所(今は別な場所に移転)まで下り、そこから林道を歩いて大倉まで歩く。
大倉到着が午後5時半の予定である。大倉からはバスで渋沢駅まで行くことにしていた。
このとき、若くて元気だったため、早足で行けば予定のコースを行けると考えた。浅はかな考えである。
予定コースを変更
(札掛には管理釣り場がある)
雨の中、札掛まで林道を歩く。雨は次第に小ぶりに変わった。
この頃持っていた地図はガイドブックのものではなく、国土地理院発行の2万5千分の1の地図だった。だから、一般的な登山道とあまり人が歩かない道との区別がない。
その2万5千分の1の地図を見ると、新大日に登る別の道がついている。しかも途中までは幅の広い林道である。
「林道なら早く歩ける」。そう考えた。このとき11時50分だった。
そうして境沢林道とかかれた沢に沿った道をどんどん進んで行った。途中、山側の沢から溢れ出る水が道路を横切り、その水の中をバシャバシャと進んでいく。
林道の終点に来ると、すぐ目の前に沢の水が流れていた。そこは水が澄んでいて美しい沢だった。そこから細い山道に入って行く。地図を見れば沢の左岸に道があることになっているが、道は沢を越えて右岸にもついていた。
思えばこの時点で道を間違えていたのかもしれない。
道がなくなる
初めはちゃんとした登山道に見えたが、だんだん道が荒れてくる。そのうち獣道のようなところを進んでいった。それもそのうちに途絶え、道がなくなってしまった。地図によれば道があるはずなので、しばらく沢に沿って登って行く。
そうやってかなり奥まで入ってきた。さて、一体どうしようかと考える。たしか午後3時をまわっていたと思う。とてもまずい状況だった。
引き返すにしても、沢を下って行くのは危険に思われた。地図には沢が始まるその手前から新大日に続く尾根道に出る道が描かれている。その道がどこなのかはわからなかったが、ともかくこの斜面を登って行けば尾根道に出られることは確かだ。
そこで、急な崖のなかでも登って行けそうなところから登り始める。途中、草がところどころにしか生えていない広い土の斜面に出た。草をつかまないと登って行けない。
そのとき、「遭難」という言葉が頭に浮かんだ。ここで遭難したらどうなるんだろう。登山届は出してこなかった。そのころ携帯はない。ここで滑って落ちて怪我でもしたら、もしも動けなくなったらきっと誰にも気づかれないままだろう。
けれど、もしそうなったときは、救難の笛を鳴らそうと考えた。とりあえず、エマージェンシーシートもある。
すでに下るのは不可能だった。慎重に、草が抜けないように上から押さえつけるように体重をかけ、ゆっくり足を動かす。一歩一歩慎重に。
そうやってなんとか危険な土の斜面を抜け出した。恐ろしく長い時間だった。
(赤丸が急な崖)
一般登山道にでる
そうして次に現れた樹林帯の中を木々を頼りに登っていくと尾根道に出ることができた。やった、困難を乗り越えたのだ。このとき午後5時だった。そしてこの道が自分が考えている道であることを確かめるために、左方向に進んでいく。新大日に出られれば間違っていなかったことになる。
10分ほどで新大日にたどり着いた。助かった。現在位置が把握できたのだ。ここで次はどうするかを考えた。できれば暗い登山道は歩きたくない。最短で林道に出られるルートを探す。あった。それは塔ノ岳とは反対の行者岳方面に行き、そこから登山訓練所の近くへ下る道だ。
10分ほど休憩して下山ルートを決めると再び歩き始める。行者岳手前から右に伸びる道を降り始めたのが5時半、林道に降り立ったときは6時半で、なんとかライトを点けずに下りてこられた。林道に入ればもう安心である。この頃にはもう雨は上がっていた。
そのときの地図には名前が書いていなかったので知らなかったが、現在のガイドブックの地図によれば、政次郎尾根を下ったことになる。
林道を1時間15分歩いて大倉の水無し川対岸の戸沢に着く。大倉からのバスが終わっているかもしれないので、そのままバス通りまでまっすぐ進んでいき、バスに乗って午後8時、渋沢駅についた。めためたな登山で、イライラがさらにイライラを呼んだ反省すべき登山だった。
(青い破線がぶつかるあたりに登山訓練所があった)
まとめ
ともかく無事に下山できたことに感謝している。
一歩間違えば誰にも発見されず白骨となっていたかもしれない。
色々と教訓はあるが、悪天候の日にわざわざ登らないこと、イライラしないこと。
イライラしていたのはうまくいかない原因を他人のせいにしていることから生まれている。このため冷静な判断ができなくなっていた。道を見失った時点で引き返すべきであった。
ただ、遭難するかもしれないという危機が迫ったときからは冷静な判断ができたと思う。
このときの教訓を忘れずにこれからも山に登っていきたいと考えている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、このへんで
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