大正池からの穂高(86年11月撮影) (リバーサルフィルムをデジカメで複写 以下全て同じ)
これまでに富士山、北岳、間ノ岳登山について書いてきたわけだが、この流れでいくと、つぎは穂高岳ということになる。
穂高岳という名前がついている山は、奥穂高岳、前穂高岳、北穂高岳、西穂高岳とあるが、今回登ったのは奥穂(3,190m)と前穂(3.090m)である。
この登山では、前穂とそれに連なる北尾根が美しいと感じた。
夕暮れ時に三角のピークが連なる姿に心を奪われた。
北アルプスは、南アルプスと比べると交通の便が良くて一気に山の懐まで入ることができるところが良いところだ。
それなのに奥穂と前穂しか登っていないことが残念である。
鍛え直して、なんとか再び北アルプスを歩きたいものだ。
なお、ウィキペディアによれば、「長年、南アルプスの間ノ岳と並び国内第3位の標高とされてきたが、2020年11月1日放送の林先生の初耳学ではGNSS*により3191mと測量された。国土地理院も参考にするとしており、今後単独3位となる可能性がある。」とのことで、再び単独で第3位になるかもしれない。
*(筆者注)GNSSとは衛星測位システムのこと
上高地
1986年10月4日、朝5時半に上高地に到着する。
ちょっと記録してなかったのだが、たぶん夜行バスの「さわやか信州号」に乗ってきたように思う。はじめに計画を立てた時は急行アルプスに乗るつもりだったが、それだとタクシーでも使わないと5時半には到着できないと思われるので間違いないだろう。
初めて上高地に入ったのは84年9月で、出張の帰りに立ち寄り、五千尺ロッジに泊まって明神池までを往復した。85年には写真学校ゼミ講師の宮本先生の仲間でつくっている「霧氷の会」に参加させてもらい、以後、ほぼ毎年11月初旬に入ることになった。
そして86年は、7月に職場のワンゲル部で上高地にやって来た。涸沢ヒュッテに宿泊し、屏風の頭に登って上高地に戻るというルートを歩いた。
つまり、上高地の地を踏むのは今回が4回目ということになる。
ワンゲルで来た涸沢
屏風岩と北穂高?
7月に来たばかりなのに、どうしてすぐにまたやって来たのかというと、涸沢から奥穂高岳を間近に見上げられるのに、これに背を向けて屏風の頭に登ったわけで、どうしたって今度は奥穂に登りたいと誰しもが思うだろう。
このときも夜行バスだったが、大正池でバスを降りた。そこから歩いて6時頃に河童橋に着く。
メンバーは6人でそのうち女性が1名。河童橋から梓川沿いのほぼ平坦な道を歩いて、明神から徳沢をとおり、横尾まですすむ。ここから少しずつ登り始め、屏風岩を取り囲むように回り込んでいくと涸沢ヒュッテに到着する。
ここは人気が高く、ベストシーズンなので人が多かった。そしてこのひヒュッテに泊まったのだが、頭と足を互い違いびっしり詰められたので寝返りすることもできず、ゆっくり眠ることはできなかった。
翌朝、奥穂を眺めると既に登り始めている登山者がよく見える。これが有名なザイデングラートかとおもう。なにしろ氷河で削られてお椀のようなカールを一直線に登る道なのだ。登山者の小さな粒が山のスケールを感じさせた。
我々はこれに背を向け、屏風の頭に向かう。途中雪渓を横断するところがあった。緊張する場面なのに、後からついていった僕は「おーい」と声をかけ、カメラを向けた。次に自分が歩いたとき、ここで滑ったら谷底まで落ちてしまうような場所だった。もし、誰かが落ちていたらと思うとゾッとした。雪渓を歩いている最中に声をかけて写真を撮ったことを反省した。
屏風の頭に登って下山する時、仲間の女の子が遅れだした。よく山に登っている子だったので、どうしたのかと思って聞いて見ると、どうも下りが苦手でいつも時間がかかるということだった。徳沢に下ってくるまでずっとサポートして下った。ところが、先頭を行くリーダーは、後ろのことにはお構いなくどんどん先に行ってしまう。
徳沢についても待っていてくれないので、堪りかねて早足で先頭を追いかけ、リーダーに追いつくと文句を言った。それなのに待ってはくれないことに呆れてしまう。若かったせいもあり、そうとう頭にきた。それで帰ってからワンゲル部を退部してしまった。
話が長くなってしまったが、そんな経緯を思いながら再び上高地にやってきたというわけである。
穂高だぜ
前穂高岳北尾根
今回は単独行なので気が楽だ。今朝は天気も良く、美味しい空気を吸い込み、思わず笑顔になって歩き始める。重たい山靴も穂高を歩けるのでこころなしか軽く感じられ、ニコニコしているように思われた。
上高地からほぼ1時間間隔で明神、徳沢、横尾を通る。そして前回も通った屏風岩を回り込んだ本谷橋を10時に通過する。快調なペースだ。
ところが、昼前に涸沢に到着し、そのころからポツリポツリと雨が降り出した。それでも降ったり止んだりといった感じで、空も明るかったため、予定通り穂高岳山荘を目指して登ることにした。見渡せば紅葉が見事だ。穂高連峰の山並みが美しい。
ザイデングラートを登り始める。この日も登山者は多く、行列となって少しずつ登っていく。左手に見える前穂北尾根がガスで見え隠れしていたが、登るに連れてとうとう何も見えなくなってしまった。すると間もなく穂高岳山荘が見えてきた。
今回のまとめ
若気のいたりでワンゲルをやめてしまったが、翌年に結婚してからはあまり出かけられなくなったのでちょうどいい時に辞めたともいえる。
けれど、気持ちの良い辞め方でなかったことは確かだ。そのため、いまだに気持ちがすっきりしていない。
こんなことなら、もう少しスマートに出来なかったかと思うのだ。何事も怒りにまかせて行動してはいけないということである。
その後すぐに、このときのリーダーは転勤していなくなり、そのあとのワンゲルでの活動は、せいぜい2〜3人が集まる程度になったようだ。
ようするに、自分は部の運営から逃げたようなものである。自分を成長させるせっかくのチャンスを逃してしまったことに、今更ながらに気づく次第である。
では、このへんで(次回に続く)
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