Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

ご来光と教訓 【北岳登山その2】

 

f:id:Hakuto-MA:20210601004944j:plain

(リバーサルフィルムをデジカメで複写、以下全て同じ)

 

前回は、北岳登山といいながら登山口に到着したところまでとなってしまった。


さて、いよいよ登り始める。だが、持ってきてしまった以上は重いザックを背負って登らなければならない。

 

それでもなんとか歩き通せたことをあらかじめお伝えしておきたいと思う。

それは幸運にも天気に恵まれたからである。そのおかげで素晴らしいご来光を仰ぐことができた。

そして重いザックの他に、もうひとつ教訓を得ることができた。

 北岳登頂

f:id:Hakuto-MA:20210531221302p:plain

 

広河原から歩きはじめる。ところがいきなり荷の重さにまいってしまう。

重い足取りで、大樺沢(おおかんばさわ)を遡行するように登っていく。朝のうちは晴れていたが、雲が出てきて晴れたり曇ったりの天気になった。

 

しょっぱい汗を舐めながら大樺沢二俣に着いたときはすでに3時間が経過していた。この二俣から道が二手に分かれる。右俣コースは沢から離れ、北側から北岳を目指す。一方、左俣コースは大樺沢をそのまま突き進む。その左俣コースを登っていく。夏の終わりまでは雪渓を登っていくのだが、秋のシーズンには雪が溶けている。

 

午後2時55分、左俣を進んでから3時間かけて八本歯のコルに到達する。この手前は急坂で、蛇行しながら少しずつ高度を稼ぐが、高い段差を乗り越えるのには苦労した。

f:id:Hakuto-MA:20210531221934p:plain

 

八本歯のコルからは尾根伝いに西に向かう。約30分で北岳分岐に到着。左に行くと北岳山荘、その先は間ノ岳に続く。そして右に進めば北岳だ。今日は北岳山荘のテントサイトに泊まる予定なので、ここで大型ザックをデポし、デイパックに最小限の荷物を入れて北岳に向かう。

 

北岳頂上付近はガスがかかっている。北岳に続く道は大きな岩がゴロゴロしていて、いわゆるがれ場というやつだ。森林限界を超えていて高い樹木はなく、ところどころにハイマツと茶色い草が生えているばかり。空はガス(下から見れば雲)で真っ白なため、なんだか殺伐とした感じだった。そういえば、時間が遅いせいか周りには誰もいない。

 

f:id:Hakuto-MA:20210601005141j:plain

 

分岐から登ること25分、午後3時55分に北岳登頂を果たす。あたりはガスで真っ白で下界を見渡すことができない。10分ほど頂上にいてから元来た道を引き返す。

 

分岐でデポしたザックを回収し、約30分ほどで北岳山荘に到着する。午後5時だった。今日は約8時間歩いたことになる。受付を済ませてテントを張り夕食。8時就寝。

 

間ノ岳から農鳥岳

f:id:Hakuto-MA:20210531222424p:plain

 

翌未明に目が醒めるが、寒くて寝袋から出る気になれず、しばらく横になっていた。4時半、やっと寝袋から這い出るが寒いのでシェラカップを空焚きして暖をとった。続いて朝食の支度をし、食べていると次第にテントの中が明るくなってきた。表に出てみるといい天気だ。急いでカメラを取り出し、三脚にセットする。

 

f:id:Hakuto-MA:20210601005312j:plain

 

すると、眼下に雲海が広がり、その向こうにはてっぺんが平らの優雅な三角形の富士山が雲をしたがえている姿がシルエットで見える。そして地平線(本当は雲平線)がオレンジ色に輝き出し、それに続く空もオレンジに染まりだした。

 

この荘厳なドラマを地球は日々繰り返しているはずなのに、感動し、太陽が出るまでのひとときを神聖なものに感じてしまう。不思議だけれど無上の喜びを感じる。

 

太陽が昇ってしまうとこの神聖な儀式は終わりを告げ、ふたたび俗の世界に戻った自分がいる。それでもちょっぴり心が浄化されたような気になっている。いずれにせよ、高度3千メートルのご来光は特別であった。

 

正気に戻ってテントを撤収し、出発したのは7時45分。だいぶ遅くなってしまった。いざ、ザックを背負って歩きだすと、今日も荷物の重さにまいる。昨日の疲れも残っていてガタガタだ。

 

けれど天気は最高だ。そして尾根道なので昨日のような急登はない。ただ、少し風が強い。

 

これから歩くコースは白峰三山を踏破するコースで、昨日登った北岳、そしてこれから向かう間ノ岳、農鳥岳を白峰三山という。

 

農鳥というのは農耕の目安となる残雪が鳥の形ようにみえることをいう。ところが農鳥岳の雪形よりも間ノ岳の鳥の雪形のほうが大きいと深田久弥氏は『日本百名山』のなかで述べ、それに間ノ(あいだの)という名前はいかにも従属的であることから、「農鳥山」と呼んだらどうかと提案している。

 

ちなみに北岳の標高は、これまで3,192.4メートルとされてきたが、三角点よりも高い場所があるという登山者からの指摘により2004年10月、3,193.2メートルに改定されている。そして間ノ岳も3,189メートルから3,190メートルに改定(2014年)され、日本第4の山から、奥穂高岳と並び日本で第3位の高峰となった。

 

f:id:Hakuto-MA:20210601005514j:plain

 

出発してまず中白根山を登るのだが、すでにここで背中の重さに参ってしまう。なんとか頑張って9時25分に間ノ岳に登頂。タイムを見るとほぼ一般のコースタイムどおり。自分でもびっくりした。それなのに出発が遅かったせいか同じ方向に向かう人は一人もみなかった。

 

朝の寒さで冷えてさらに風に当たったせいか急に腹が痛くなる。途中にあったトイレに駆け込む。焦っていたので周りの景色をよく見ていなかったが、おそらく色々と有名な農鳥小屋のトイレだと思う。当時から変わっていないとすれば・・・いや、想像するのはやめておこう。

 

向かう先には農鳥岳が見える。昨日のように到着が遅くなるといけないので頑張って歩く。西農鳥岳に着いたのが11時半ころ、農鳥岳に着いたのは12時20分ころだった。昼は簡単に済ませてともかく歩く。この間ずっと見晴らしのいい尾根道を進み、腹の具合も治ってすばらしい天空の道だった。

f:id:Hakuto-MA:20210601005619j:plain

 

下山

f:id:Hakuto-MA:20210531222819p:plain

 

農鳥岳を過ぎて大門沢下降点からは下りに入る。天空の道に別れを告げ、気合いを入れて下り始める。タイムを稼ごうと一気に急坂を下った。樹林帯に入り、ポンポンポンと走るようにリズミカルに下っていると、ズルっと滑って足が中を舞い、目の前に空が現れる。気がつけば大型ザックが下になって亀のようにひっくり返っていた。

 

危なかった。ザックが体を守ってくれて怪我はなかった。しかしそれ以後は慎重に下ることにした。

 

まあ、危ないこともあったが無事に大門沢小屋に午後3時20分に到着する。ここでテントを張る。大門沢の下りはきつかった。午後7時には眠ってしまった。

 

たっぷり眠り、翌朝は6時半に出発。ふたたび下っていくが今日も体がきつい。大古森沢をとおり、電力発電所の手前にくると、”三山縦走おめでとう”と書かれた立て札があった。はじめは、サンザン? と理解できなかったが、ああ、白峰三山かと思い出す。どうも思考力が低下しているようだ。9時25分、奈良田に到着する。

 

三山縦走はここ奈良田で終了だ。奈良田には温泉がある。このときは250円で入浴できた。現在はどうか。町営の奈良田の里湯温泉 女帝の湯の入浴料金は550円(水曜定休)となっていた。

 

当時この湯に入ったのかどうか定かではないが、ぬるぬるスベスベのとてもいい湯だった。

f:id:Hakuto-MA:20210531223130p:plain

 

まとめ

ここでひとつお断りしておくと、下りが長いため、上の地図の大門沢小屋から続く地図1枚分は省略している。

 

標高3000メートルの日の出前の荘厳な地球のドラマは縦走登山の一つの醍醐味だ。

もちろん歩いて登るだけでなく、車で登れる山もあることはある。

それでも自分の足で登って見るご来光は格別だ。

 

こうした本格的な登山はこの時が最後となったが、体が動くうちにもう一度経験して見たいものだと思う。

 

そしてこの登山で得た教訓は、「背負うのは自分の体力にあった重量にするべきである」ということと、「下る時は慎重に歩くべきである」ということだ。

幸運にも大型ザックが背中と頭を保護してくれた。

 

この登山の一月前に、丹沢登山訓練所の沢登り教室に参加した。そしてこの縦走から帰った後、単独で沢登りに出かけた。沢を登っていると、後から来たパーティーに追いつかれたと思った時、カーンと大きな音が響き渡った。

 

なんだろうと振り返る。するとその音は、なんと高さが1.5から2メートルくらいはある大岩から後ろ向きに落ちた人のヘルメットの音だった。

背中はザック、頭はヘルメットのおかげでどこも怪我はしなかったようだ。

このとき、自分がこの南アルプスですってんころりんした姿と重なった。

 

このとき落ちた人が、もしヘルメットをかぶっていなかったら重大な怪我をしていたことはまちがいないだろう。

 

最後に思い出したのだが、この時に履いて行ったのはガリビエールというメーカーの昔ながらの重たい革製登山靴。この靴を履くのもこの時が最後となったのだった。

 

ガリビエールに関する記事はこちらです。

challe.info

 最後までお読みいただきありがとうございました。

では、このへんで

 

広告