ホノルル2日目はパールハーバーの記念館巡り。
ここもツアーを利用した。
当初はザ・バスを利用して独自に回ろうと思っていたが、うっかりアリゾナ記念館の見学予約の申し込みを忘れてしまった。
当日券は早朝に並ばないと無くなる恐れがあったので急遽ツアーを申し込んだ。
だが、ツアーにして正解。日本語でのガイドが付いてくれてよかった。
ホノルル2日目 パールハーバーツアー
ツアーバス
12月6日金曜日、ホノルル2日目。
昨夜は無理してたらふく食べたので、今朝はカップ麺(そば)の朝食。今日は未明からパールハーバーツアーに出発する予定である。
集合は、ハイアットリージェンシーワイキキビーチというホテルのコア通り出入口で、出発は5時半だ。集合場所までぼくのホテルからは約15分。早く目が覚めたため、4時50分頃に部屋を出た。
集合場所に着いたのは5時10分頃。そこには若い人たちが6、7人がベンチに座っていた。
「へぇー、こんなに若い人たちがパールハーバーに興味があるんだ」と感心していると、一斉に外に向かって歩き出し、待っていた小型バスに乗り込みだした。
ぼくも行ってみると、「パールハーバーツアーは5時半でしょ、これから迎えにきますよ」と言われた。どうやら違うツアーだったようだ。
5分後、一人の男性がやってきてベンチに座った。その後すぐにフォードのマイクロバス・トランジットが止まり、運転手が降りて来て、ぼくとベンチの男性の名前を呼んだ。
この場所での集合は二人だけだったらしく、時間前だったがすぐに出発した。フォードはシャトルバスに比べて断然乗りごごちが良かった。その後、各ホテルを回り、総勢12名のツアーとなる。外はまだ真っ暗だった。
運転手はガイドも兼ねていてすべて日本語だった。日系3世とのことだった。
パールハーバーは、現在でも米軍の基地として機能しており、その一部が観光用に開放されているとのこと。したがって、バッグ等手荷物の持ち込みはできない。そのことはツアー申し込み時の注意事項に書いてあったが、バスに乗り込んできた人の半数はバッグを持っていた。
そのため、途中事務所に寄ってそこにバッグを預けされられていた。そして小物だけ透明のビニールバックに入れて戻って来た。入場する際にそのバックを目の高さに持ち上げて、係員(軍人)によく見えるようにしてくださいとのことだった。
パールハーバーはワイキキからだとホノルル空港の少し先で1時間弱で到着する。それなのにまだ暗い中で出発したのには理由がある。それは、アリゾナ記念館は事前に見学の申し込みをする必要があるが、当日見学分も用意(1日1300枚)されている。しかしこれが早い時には8時頃にはなくなってしまうというのである。
ちなみに入場料は無料なので、もし入場できない場合や海が荒れてフェリーが出せない場合(記念館は海上にある)などもツアー料金に変更は生じない。
運転手兼ガイドの日系3世は、途中、当時日本の諜報員(吉川猛夫)が偵察を行った丘の上の旅館(春潮楼)の場所を教えてくれたり(まだ暗いため灯りだけで判断)、日本総領事館から密かに抜け出した川のほとりなどを回って説明してくれた。
この諜報員のことは以前テレビ放送で見たことがあった。ただ、この日本の諜報活動はすべてアメリカに知られていた。ようするにパールハーバーは完全にアメリカルーズベルト政権に嵌められた日本の奇襲攻撃であった。
われわれを乗せたバスは、ハイウェイを西に向かった。途中、ハワイに電車を通す計画が二十年かかってもまだ完成しないという話を聞いた。これは、予算の見積もりが誤っていたとのことで途中で資金が足りなくなって中断、さらに上の機関(どこかは不明)に資金をつけてもらって現在一部区間で開通とのこと。
パールハーバー・ビジターセンター
この高架鉄道を左に見ながら進んでいく。
運転手さんは、パールハーバーの攻撃について次のように説明した。
「パールハーバーへの攻撃は2方向から行われました。北から島の西側を回って行った第1波、次に北から島の東側を回って行った第2波です。実は計画では第3波まで行う予定でした。しかし、南雲忠一中将は第2の攻撃をもって引き上げてしまったのです。もし、第3波が燃料貯蔵施設や船舶修理施設を攻撃していたら、アメリカは6、7年は遅れをとっただろうと言われています」
マイクロバスは、アリゾナ記念館のある軍事施設の駐車場に到着。門の前でガイドの説明を行ってはいけないとのことで、東屋のベンチに腰掛けて説明を受ける。外はまだ暗かった。
「航空魚雷は通常一旦60メートルくらい沈んでから浮上してきて目標を攻撃します。しかし、この湾は浅いので海面上を水平飛行して浅い角度から魚雷を発射する必要がありました。向こう側に少し建物が見えていますが、あそこがフォード島でご覧のように非常に狭い湾です。したがって一気に降下して水平飛行になり、また浮上しなければなりません」
やはりこうした話は現場で聞くと地形と共によく頭に入る。時速300キロ以上で飛んできて瞬時にこうした体勢をとることは相当難しいであろうと想像できた。
少し明るくなり出した頃、パールハーバー・ビジターセンターの入口に並ぶ。入場の係はみな軍人である。午前7時に開門。ひとりずつチェックを受けて入場し、まずはタブレットでアリゾナ記念館の入場券の発券を行う(入力はガイドさんがやってくれた)。
このパールハーバー・ビジターセンターへはチェックさえ受ければ入場できて、アリゾナ記念館に入るときだけ入場券の発券をするという仕組みだ。アリゾナ記念館は、8時にフェリーが出発するが、その前にシアターで映画を見るので7時45分に開場する。
時間まで自由に園内を見学する。右手には潜水艦(ボウフィン潜水艦博物館)が係留されていて、博物館として中を見学できる(有料)。その近くには小さな飛行機が展示されている。これは無人機だとのこと。
また、日本の資料を含めた資料館がシアターの横に立っている。
7時40分、シアターの前に並ぶ。ここで先ほどの入場券(スマホに表示)を提示して前に進み再ぶ。その後入場。本来ならここで映画が上映されるはずなのだが、この日は担当官のスピーチのみだった。アメリカ国歌が流れ、それが終わると海側の扉が開かれた。桟橋にはフェリーが停泊していた。
全員がフェリーに乗り込むと向かい側のアリゾナ記念館に向けて進み出した。この日はほとんど風はなく波は静かだった。
フェリーは5分ほどで記念館前の桟橋に到着。順番に桟橋に移り記念館に入っていく。館内には資料などは置いていなかった。外の海面上には沈没したアリゾナの一部が見え、海面下にもその一部が見えた。
記念館の奥には、戦艦アリゾナの亡くなった乗組員の名前が壁に書かれており、そこが慰霊の記念館であることがわかった。係官が英語で説明をしてくれたがまったく意味がわからず残念だった。
このあと次のフェリーが到着すると、第2陣が入館してきて入れ替わりでわれわれがフェリーに乗り込んだ。
ビジターセンターに戻ってくると、今朝、車をとめた駐車場に集合し、次の目的地の戦艦ミズーリ記念館へ向かった。
戦艦ミズーリ記念館
戦艦ミズーリ記念館へは、橋を渡ってフォード島に上陸する。車の下を鏡で覗くなどのチェックを経て橋を渡る。駐車場からミズーリの係留しているところまでは自由に歩けるが、道を外れるとすぐにポリス? が飛んでくると言われた。
戦艦ミズーリの桟橋の入口には、ニミッツ元帥の銅像が立っていてわれわれを出迎えてくれた。
ガイド氏によれば、ニミッツは非常に優秀な人であったこと、そしてまだ若かった頃(士官候補生の頃)に日本海海戦で勝利した日本の祝賀会で東郷平八郎に教えを乞い、その後も手紙のやりとりを続けたとのこと。
そして、戦艦三笠の保存に際して、ソ連が抗議したのをニミッツが制したことにより保存が実現したということだった。
戦艦ミズーリはあの有名な調印が行われた場所でもある。実はアリゾナ記念館に行くことばかり考えていて、日本の降伏文書調印式が行われた場所だということをすっかり忘れていた。甲板には大きなパネルで写真が飾られており、そこに日本側が調印した重光 葵(まもる)外務大臣の姿も写っていた。
もう一つの目玉は「神風特攻隊」の1機が右舷後方に激突した跡の窪みというのがある。とくにぼくがなんとも言えない気持ちになったのが、激突寸前の写真が撮られていたことだ。それは物凄い迫力と臨場感を持ってぼくに迫ってきた。
そしてその隊員の写真を見れば、まだ19歳の若き戦闘員であった。
真珠湾航空博物館
戦艦ミズーリからわずかの距離にある航空博物館に、再びマイクロバスに乗っていく。前方から右手にかけて広く大きな草地が続くが、そこは昔滑走路だったところだそうだ。
そして、前方左手に大きな倉庫のようなものが現れ(実際は格納庫)、外にはずらっと戦闘機が並んでいた。
博物館ではオーディオガイドの貸し出しがあり、日本語にも対応していた。
最初に目にするのは零戦、続いてBー25となる。奥にはシュミレーターがありドックファイトのような宙返りなどを経験できるそうだ。
格納庫の展示物を見て外に出ると細かい雨が降っていた。集合時間の12時5分までまだ20分ほどあったので、外に展示された戦闘機を見に行った。
jp.pearlharboraviationmuseum.org
戦闘機が展示されたその先にもうひとつ大きな格納庫があり、そこではリストアの作業が行われており、その途中の状態のものが展示されていた。
そろそろ時間なので急いで博物館の入り口まで戻る。庇の下に入った頃から雨は激しくなりだした。
マイクロバスに乗り込みワイキキへ向かう。途中で博物館に来なかった二人連れの男性(おそらく兄弟)をミズーリで拾う。
雨はワイキキに戻るまで振り続けたが、ツアー会社の事務所に戻った頃に小雨となり止んだ。
ぼくの出発地点のハイアットリージェンシーワイキキに到着したのは午後1時20分。たっぷり8時間の充実したツアーだった。
もし、個人的に回っていたとしたら、もっと時間がかかったに違いない。それにガイドなしでは見逃したところも多かっただろう。少々高いが、入場料が高いのだからしょうがない。このツアーに申し込んで良かったと思う。
ツアーの後
マイクロバスから降りると、事前に調べておいた店に昼食を買いに行った。ピケ丼のテイクアウトである。店の名はマグロスポット。ちょうどホテルに帰る途中にある。この店を紹介しているブログでは、これをホテルのベランダで食べるのがおすすめと書いてあった。確かにその通りで、ゆったりと椅子に座ってワイキキの街を見下ろしながらいただいた。
昼食後、スーパーに買い出しに出かける。ガイド情報ではワイキキはずれにあるウォルマートがABCストアに比べてかなり安いとのことだった。ウォルマートはコンベンションセンターの先にあり、歩いて3、40分のところにあった。
ここで土産物、水、ビール、バナナを買う。ビールは1パイント缶で日本のような350ml缶は置いていなかった。後で調べると、1パイントはイギリスでは568mlなのに対して、アメリカでは473mlだった。
キリンの一番搾りとハイネケンが2.98ドル、税(売上税)はハワイでは4.712%だった。あとでワイキキ・マーケットでビールを買い足したところ、やはりウォルマートの方が安かった。
夕方からビールを味わって夕食(モンベル・リゾッタ)をとり、7時頃、ホノルルマラソン アロハフライデーナイト ファウンテンステージ (Lewers St.沿いビーチウォーク)に出かけ、8時の終了までステージを楽しんだ。
ホテルに戻り、シャワーを浴びて就寝。長い1日でこの夜は爆睡した。
今回はここまで。
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