Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

宇沢浩史著『人間の経済』を読んで

宇沢弘文著『人間の経済』を読んだ感想をまとめました。

宇沢弘文氏は、アメリカ・日本で活躍した経済学者で、シカゴ大学の経済学部教授に36歳で就任したという秀才です。1956年に渡米、1968年に東京大学に戻っています。

 

ご注意:引用が多いため少々文章が長くなっております。

 

1「自由」と「利益」の暴走

市場原理主義の蔓延
P49

フリードマンの唱えた自由主義とはもっぱら企業の自由のことで、儲ける機会をとことんまで追求しよう、ということでした。デヴィッド・ハーヴェイがネオリベラリズムの特徴として指摘したのはその点で、水、土地、空気、自然環境など、市場が存在しないものについては、政府が代行する責務があると強調していました。

 

現代の日本の社会問題を考えると、デヴィッド・ハーヴェイのいう水は水道の民営化、土地は外国資本による土地買収、そして山などの水源地の買収は水の問題とつながる。

 

自然環境はメガソーラーパネルによる環境破壊と広範囲にわたる風力発電。メガソーラーは熊本の阿蘇山や北海道の釧路湿原が問題になっている。いまのところ空気については問題となっていないが、今後工場などから大気汚染物質が吐き出される可能性はある。

 

また、風力発電では低周波の音波が発生するので、敏感な野生動物たちにどのような影響を与えているのかわからない。当然、人間にも睡眠障害、頭痛、めまい、耳詰まり、動悸、吐き気などの健康被害を引き起こす可能性が指摘されている。私自身も自転車日本一周の際、風車のある高台のキャンプ場で寝ていたら急に吐き気を催した経験があります。

 

このような市場原理主義は新自由主義と名前を変えて現代に蔓延しています。最近ではグローバル全体主義という人もいます。欧米が植民地支配していたときのように、一部のグローバルエリートたちが労働者を搾取している構造で、私たちはプランテーション農園で働らかせられているかのように徐々に自由を奪われていく存在になりつつあります。

 

リーマン・ショックの本質
P51

大切なものは決してお金に換えてはいけない、ということです。人間の生涯において大きな悲劇は、大切なものを権力に奪い取られてしまう、あるいは追いつめられてお金に換えなければならなくなることです。

 

宇沢先生良いこと言っているなあ!

大切な物、命、家族、先祖から受け継がれた土地、神社仏閣などなど。

そして言論などはもうだいぶ権力に奪い取られている。言論をお金で買われている人たちもかなりいるように思います。

 

 

3 教育とリベラリズム

ジョン・デューイの教育哲学
P95

ジョン・デューイは、十九世紀後半から二十世紀にかけてアメリカで活躍した最も優れた哲学者であり、教育者です。接点こそありませんが、私に言わせれば、デューイは福沢諭吉の考え方を体系的に展開した哲学者ということになります。

 

デューイは『Democracy and Education』(民主主義と教育)で、「教育の三大原則」をまとめている。

第一は、社会的な統合で、学校教育は子どもたちが学校の教室という場で、他の子供達と一緒に学び、遊ぶことで一人前の人間に成長するのを助ける。

第二は、平等に関わる原則で、生まれた場所や家庭環境が違ってもその時々の社会が提供できる最高の教育を受けられるようにする。

第三は、一人ひとりの子どもの知的、精神的、道徳的な側面の発達を助ける。

 

この原則では勉強の能力を高めることは一切言っていない。人と人が触れ合うことによる成長、そうした場が平等に提供されること、そして目指すのは成績だけでなく、心の成長や道徳心の醸成を助けることだと言っている。まさに教育とは人間性を高める教育のこと。

 

よかったのは教育基本法がつくられるまでで、そのあと文部官僚たちはデューイの理念、あるいは諭吉の思想をないがしろにするような制度の改変を次から次に重ねてしまった。そのことを私は非常に残念に思います。

 

大学紛争の頃も、(中略)それ以降の教育も実に悲惨なものです。試験で高い点数をとって有名大学に入り、一流企業に就職できたらもうそれで満足、ただそれだけで教育を考えている。そうではなくて、一人ひとりの子どもが人間として立派に成長し、社会的に活躍することができ、同時に豊かな感性と広い知識を持つようになること、いわばバランスの取れた人間にすることが教育の大切な役割なのです。

 

福沢諭吉の教育に対する考え方がどういったものかはわかりませんが、このジョン・デューイと同じ考えだとしたら、それは素晴らしいことです。教育というのは人を育てること。その一人ひとりが国の基となるのです。ひとが生きがいを感じるのは社会に貢献している実感を感じられるときだと思うのです。国民の一人ひとりがそのような態度で生きていたら、きっと日本は素晴らしい国になることでしょう。

 

4 大学と都市の理想と現実

ジェイコブスの四大原則
P104

 ジェイコブスは、アメリカの多くの都市が「死んで」しまった背景には、ル・コルビュジエの「輝ける都市」を理念とする近代的都市像があると考えました。コルビュジエのいう近代都市とは「自動車に乗って、豪壮な高層ビルのあいだを縫うようにつくられた高速道路を走りぬけ、街の中心には行政機能を果たす建物が左右にならぶ」といったもので、その通り都市の再開発がおこなわれてきたことが最大の原因だと考えました。

 

ジェイコブスは自分の足でアメリカ中を歩きまわり、住みやすくて人間的な魅力をそなえた街並みがまだ残っていることを発見し、それらの街並みに共通する特徴を探し出して「ジェイコブスの四大原則」としてまとめました。 

 

第一の原則は、都市の街路は狭く、折れ曲がっていて、各ブロックが短いことです。幅が広く、まっすぐな街路を決してつくってはいけない。街を改造したり、新しい街を作ったりするときは広い直線道路はつくらず、プロックを小さくします。

第二の原則は、都市の各地区には、古い建物ができるだけ多く残っているのが望ましいということです。街を構成する建物が古く、つくり方もさまざまな種類のものがたくさん混じっているほうが、住みやすい街だというのです。
 テレビなどでは見たことがあるでしょうが、アメリカでは、一ブロックまるごとダイナマイトで爆破してしまうので、古い建物は跡形もなくなります。ジェイコブスは「飲み屋でもレストランでも、新しくすると味が落ち、値段も高くなる」「新しいアイデアは古い建物から生まれるが、新しい建物からは新しいアイデアは決して生まれない」という有名な言葉を残しています。 

第三の原則は、都市の多様性についてで、都市の各地区は必ず二つかそれ以上の働きをするようになっていなければならない、というものです。住宅地、文教地区、公園、工場、という具合に機能によって整然と区分けしてしまうのではなく、あくまで自然発生的であるべきだと主張しました。ジェイコブスは、当時のアメリカの新しい都市開発は自動車の使用を大前提としてゾーニングを貫徹してしまうので、とても人間が住めるような街ではなくなってしまう、治安も悪くなると真っ向から反対しました。

第四の原則は、都市の各地区の人口密度が充分高くなるように計画するのが望ましい、ということです。人口密度が高いということは、住居をはじめとして実際に住んでみて魅力的な街だということをあらわすからです。

 

これらジェイコブスの四大原則が、高層ビルの群立や幅の広い道路といった近代都市を否定し、人間的な魅力をそなえた、住みやすく文化的香りが高い年をつくるために有効な考え方であることは、一九六一年に名著『アメリカの大都市の死と生』(The Death and Life of Great American Cities)が刊行されてから半世紀のあいだに、はっきりしめされてきたと私は思います。

 

宇沢先生の言うとおりだと思います。路地を歩けばわくわくするし、古い建物を見つけたら眺めているだけでも楽しいし、いつ頃建てられたものなのかを想像するのも楽しい。そして機能を集約した地域にはどこか空虚さを感じさせます。人が集まってくる場所にはそれなりに何か人を惹きつける魅力があるからで、さらに人が人を呼び込むようなところもあります。

 

ともかく人は猥雑なところが好きなのです。刺激が欲しいのです。それはどうも人種による違いはないのかもしれません。

 

 

6 天与の自然、人為の経済

水俣病の記憶
P134〜P135

 水俣病をはじめとして全国の郊外問題にかかわるなかで、私はそれまで専門としてきた近代経済学の理論的枠組みの矛盾、倫理的欠陥をつよく感じざるを得ませんでした。そして数多くの郊外の人間的被害の実態を分析していく過程で、その原因を解明し、根源的解決の道をさぐることができるような理論的枠組みとして到達したのが、社会的共通資本という考え方だったのです。

 

 所有関係には私有のものもあれば、公有もあり、国有もあります。それはマルクス経済学にも近代経済学にも共通していますし、私自身、かつては経済学者の通例として、すべて所有関係でものを考えてきました。しかし、それだけでは森林や海のような自然環境をうまく、持続的に管理していくのは不可能です。日本でも、明治の近代化の過程で急速に壊されてしまった入会(いりあい)制度のように、皆で相談して大切に使い、次の世代に伝えていく、つまりコモンズの精神を取りもどす必要があると思うのです。

Google AI によれば「コモンズの精神」とは、特定の個人や組織が所有しない共有の資源(コモンズ)を、コミュニティのメンバーが協力して、枯渇させないように管理・保全し、未来の世代にも活用できる形で引き継いでいこうとする考え方です。

 

宇沢先生は、コモンズの精神を「社会的共通資本」と呼んでいます。同名の著書のはしがきでは次のように書かれています。

 

社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本が社会的共通資本の重要な構成要素である。都市や農村も、さまざまな社会的共通資本からつくられているということもできる。

以上のようなものは皆で協力して大切に守っていかなければならないと思います。

 

7 人類と農の営み

戦後農政の矛盾
P158

第二次対戦後、アメリカは、日本を意のままに動く国になるよう仕向けてきました。その占領政策の基本は二つあって、一つは、戦争中に利害を超えて軍隊に協力したアメリカの自動車産業に日本の巨大なマーケットを捧げることでした。はじめのうちこそ、日本が自動車をつくれないように重化学工業をもつことを禁じられていましたが、朝鮮戦争による軍需で解禁され、積極的に推し進めたことが高度経済成長をもたらしました。
 それともう一つが、余剰農産物に苦しむアメリカ農業と日本の農業がコンフリクト(競合)しないようにすることで、農業基本法によって選択的農業という流れを全面的に法制化していったのです。

 

日本はいまだにアメリカの占領政策から脱しきれていません。戦後80年、もうそろそろ自立していかなければならないと思います。そのためにはまずは食糧です。食糧自給率を高め、国民が飢えることのないようにしなければなりません。

 

P158〜P159

それと並行して、農村の子どもたちを中学卒業と同時に「金の卵」と称して大量に都会へと連れ出し、工場などで朝から晩まで働かせるような政策が、広範囲で何年間にもわたってつづけられました。そのため農業基本法が制定されてから三十年ほどのあいだに、農業を選ぶ新卒者が九万人から千八百人にまで減ってしまった。このような極端な政策をこれほど大規模におこなった国は、おそらく日本をおいて他にありません。

 

P161
高速道路は日本の古い町並み、田んぼや畑が広がる農村を壊し、その周辺は次第に町や農地として機能しなくなっていきます。今の農村は道路だけはまっすぐで一派でも、商店ひとつないゴーストタウンみたいな地域ばかりです。

 

臨海工業地帯に象徴される日本の高度経済成長は、経済的に豊かになる過程で陸と海の自然環境を破壊し、農村という大切な社会的共通資本に深いダメージを与えました。成長を続けるために生産性を高め、農村の生活を犠牲にしてきたことが、国としてのバランスをはなはだ欠く状況をもたらしたことが残念でなりません。

 

農業ばかりではなく、森も海も守る必要があります。これまで第一次産業の担い手がどんどん失われてきていて瀕死の状態です。第一次産業で十分に暮らしていける仕組みになれば担い手が増え、地域も活性化していくと思います。

 

P163

大切なことは、それぞれの国がもっている歴史と文化を社会的共通資本として大事に守り、それを子や孫たちの世代に伝えることであり、そのために私たちが力を合わせて協力し、共同して解決していくことです。そこで中心になるのが農の営みであり、いかにしての村を活性化し、そこで生きる人たちの生きざまを人間的、社会的な視点から豊かで希望あるものに変えていくのか、その実現に向かって出発するための条件を求めるときは今をおいてないと思うのです。

 

日本国民がこの宇沢先生の言葉に耳を傾け、マスコミが作ったものではない国民の本当の世論で政治を動かしていくしかないのではないかと思います。

 

国の方向づけを行うのは予算と法律です。予算案と法律を作るのは政府と国会です。そして国会議員を選ぶのは国民です。

 

そのためには、私たち国民が投票に行くことです!

 

感想は以上です。最後ませお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

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