先日、靖国神社に参拝し遊就館を拝観した。
展示物を見ていろいろと感じるものがあった。
もちろん靖国神社にも参拝する。
また、特攻隊員たちが食べたものと同じレシピのたまご丼も味わった。

遊就館の企画展をみる
現在、終戦80年 靖国神社遊就館企画展「青少年に伝えたい 沖縄戦の学徒隊、特攻隊」が開催されている。開催期間は令和7年7月10日(木)から9月14日(日)。
パンフレットによれば、「遊就館は、御祭神の遺徳を尊び、古来からの武人の足跡を展示する博物館として明治15年(1882)に開館しました」とある。
なかなか見応えのある内容で、じっくりと見るには結構時間がかかる。
この展示を見に行ったのは今月(8月)上旬。じつは6月下旬にも訪れている。
6月下旬、昔の職場の俳句仲間(お偉いさん)と久しぶりに待ち合わせ、拝観後に飲みに行くこととしていた。
午後3時、遊就館入り口で6年ぶりに顔を合わせる。ゆっくりと見学していたら、閉館30分まえのアナウンスが流れた。最後は駆け足で展示室をさっと通り過ぎることになった。
そんなわけで、企画展もあることだしもう一度見残したところを見に行くことにした。
今回は12時半ころに入場。時間はたっぷりある。しかし、問題があった。それは体の疲れの問題である。そして疲れがピークに達した展示の最後がこの企画展「青少年に伝えたい 沖縄戦の学徒隊、特攻隊」だった。最後の力を振り絞る。
沖縄戦については、5月上旬に自民党の西田参議院議員が沖縄での公演中に、「ひめゆり学徒隊」の説明について発言し、それが歴史を修正するものだとしてマスコミに大きく取り上げられた。
自民 西田昌司参議院議員 “ひめゆりの塔めぐる発言は不適切” 謝罪し撤回 | NHK | 戦後80年
それを受けて発言した参政党代表の神谷参議院議員の発言も沖縄の新聞の一面に取り上げられた。
【ファクトチェック】参政党の神谷代表 沖縄戦「日本軍は県民を守りに来た」「戦ってくれたから本土復帰できた」 裏付ける資料なく根拠不明 | 沖縄タイムス+プラス
日本のマスコミはどうも日本のマスコミではないような報道姿勢である。沖縄市民を、そして日本を守るために航空機や戦艦大和による特攻作戦で散った全国の若い戦士たちは嘆き悲しんでいることだろう。そして傷を負った日本軍人のために看護した学徒隊も同じ想いだろう。
今回の展示では紹介されていないが、敵飛行場に強行着陸し、敵航空機と飛行場施設を破壊した義烈空挺隊の隊員もみな沖縄で命を失っている。
沖縄戦の概要については、茂木誠先生の講演で学ばせていただいた。沖縄戦を語るには、前年7月のサイパン島玉砕の情報が島民に知れ渡っていたことを頭に入れておかねばならないと茂木先生は語っていた。
自決するまえに海軍に送った太田実中将の電文には、
「若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、防弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が行き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます」(現代語訳)と綴られ、
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」と締めくくっている。
アメリカと日本は戦争をしていたのであり、アメリカが爆撃を行って沖縄に上陸した。日本の兵士はアメリカに立ち向かったのである。
展示室出口のゲートを3時半頃に通り抜ける。ゲートの左側では特別展「終戦80年 戦跡写真展」が開かれていた(令和7年3月1日(土)から12月7日(日)まで開催)。
疲れたのでともかく右手にある茶寮「結」にて休憩。海軍コーヒーで疲れを癒した。
八千代食堂
遊就館に入場する前、1回目も2回目も靖国神社境内にある八千代食堂で昼食をとった。
はじめてのときは玉子丼を食べた。この玉子丼は知覧の富屋食堂鳥濱トメさんの味を受け継ぐ曾孫の方が作った割下をつかっているということだ。鳥濱トメさんは多くの特攻隊員の面倒を見たといわれる方である。

そして先日は会津ざるそばに野菜かき揚げを注文した。
セルフサービスなところはちょっと・・・だけれど、味の方はどちらも美味しかった。
12時近くになると混み合うので、11時半ころまでに入るのがおすすめ。支払いは現金のみなので注意。
靖国神社正式参拝
6月は正式参拝をした。このすぐ近くで何十年も働いてきたのに靖国神社に参拝するのは初めてだった。
暑い日だった。中門鳥居を潜って進むと拝殿に十数名の女子学生が並んでいるのが見えた。その向こうには本殿が見える。
一般の参拝者の後ろを通り、正式参拝入口と書かれた案内に従って右側の建物(参集殿)に回る。入り口で靴を脱ぎ、左手の受付で正式参拝を申し出て申し込み用紙に住所と名前を記入する。親族に戦没者がいた場合にはその名前を書く。玉串料五千円を渡すと参拝者の印としてシールが渡されるのでそれを胸に貼る。
記念に持ち帰りたいときは台紙を持って行くように言われた。もちろん貰う。そして参拝後にいただける御供物の引換券が渡される。
受付が済むとだだっ広い参集殿いっぱいに置かれている胡床(折りたたみ椅子)のひとつに腰掛けた。他に人は見えなかった。
しばらくすると、さっき見えた拝殿の女子学生たちがぞろぞろと出てきた。それから少しして名前が呼ばれる。先程は気が付かなかったが奥にもうひとり座っている女性がいた。
神官の後ろについて行く。
初めに入った部屋は手水場となっていた。柄杓での段取りを頭に入れてきたが、水道のような感じで水が流れるようになっていたので拍子抜けした。
つぎに回廊を歩き、拝殿に入る。そこで祝詞とともにお祓いを受ける。
ふたたび回廊を通り本殿に昇殿する。もうひとりの女性と2メートくらい離れて座り、玉串を神官から受け取り英霊に感謝を込めて参拝する。終わると反対側の回廊に進む。
右に折れたところに盃が用意されており、そこで御神酒をいただく。回廊を一回りして正式参拝の儀式は終了となる。最後に御供物の入った紙袋を受け取った。
紙袋には次のものが入っていた。
一、護符
一、神菓(一口羊羹)
一、神酒(靖国神社と書かれた180mlボトルに入った日本酒)

最後に

企画展のパネル展示の中に穴澤利夫特攻隊員の手紙がある。婚約者に宛てて書かれた。手紙は穴澤隊員が戦死された4日後に婚約者の許に届けられたという。
この婚約者を想う気持ちが強かったからなのか、彼の生前の記憶を持つ少年がいる。少年はこの生前の記憶を頼りにとうとう彼の婚約者を突き止めた。まだ生きていた。彼女は穴澤隊員のことを想い生涯独身をつらぬいていた。
(気になる方はyoutubeで検索してみて。ただし批判的なものもあり)
海軍コーヒーで休憩後、戦績写真展をさっと見て、4時10分頃遊就館を後にする。相変わらず日差しは強く、30度を超える暑さの中を九段下駅へ向かう。遊就館内は冷房が効きすぎて寒いくらいだったので、この温度差に体がついていけない。
昼間向かう時は左側の木陰を辿って歩いた参道が、帰りは反対側に木陰ができていた。
では、このへんで
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