Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

初ホノルルマラソン体験記 その5【ハワイ4日目】

(ハワイから帰ってからも体は絶好調でぜんぜん眠くない! 

案の定、前回のマラソン体験記を書いたあとに発熱。

そういうことで1週間ぶりの続きです。そして最終回)

 

ハワイ4日目。いよいよマラソン当日である。

前日は7時にベッドに入ったが、やはり気持ちが昂っていたのだろう、なかなか寝付けなかった。

浅井えりこさんはこう言っていた。

 

「気持ちが昂って眠れないことがあると思います。私もそういうことがありました。でも大丈夫、1日くらい眠らなくてもマラソンは走れます。ただ、体だけは横になって休めるようにしてください」

 

したがってこれも想定内。大丈夫、心配はいらない。

少し眠り、午前2時半に起床する。

 

ホノルルマラソン当日(ハワイ4日目)

スタートラインまで

 

当初考えていたぼくの初マラソン完走計画は、10キロまで1キロ6分40秒、20キロまで7分40秒、30キロまで8分40秒、残りの10.195キロを9分40秒で走るというものだった。

 

これでいくと、順調にいけば5時間半で走り切ることができる。しかし、練習のときに起きた膝の痛みがでたらどうしようという不安があった。

 

浅井えりこさんの話を聞いてから、できるだけイーブンペースで行くこと、そして5キロごとに1キロ歩くという戦法に切り替えることにした。

 

ペースは1キロ7分40秒で4キロ走り、次の1キロを10分で歩く。するとおおよそ5時間40分くらいで完走できる。目標は6時間なのでこれもクリアできる。間に歩きを入れるので、脚にとってもだが精神的にもこちらの方が断然楽にいける気がする。

 

あとは水分不足とならないように給水所でこまめに補給することを頭に叩き込んだ。

 

まずは身支度を整える。Tーシャツにランパン、そしてワラーチを履く。帽子、サングラスもテーブルに並べた。ゼッケンは前の晩にピンで止めておいた。

 

それから朝食だ。おにぎりと味噌汁、そしてバナナを食べ、アミノバイタル(100ml)はスタート直前に一本、あと一本は25〜30キロあたりで飲む計画だ。

 

走る時の持ち物は、モンベルのウエストポーチの中に入れる。中身は、パスポート、部屋のカードキー、非常時用の3ドル(ザ・バスに乗るため)、これらをジップロックに入れた。それに日焼け止めと給水用の折り畳みカップ、エイドの氷を入れるジップロック。補給食は、アミノバイタル、カロリーメイトのゼリータイプ、一口ようかん、柿の種、それに塩タブレットを9個。

マラソン当日の朝食(バナナは一本にした)

これらをウエストポーチに入れた

午前3時50分、ホテルの部屋を出る。4時10分にアラモアナ・パークに到着。公園に近づくに連れてランナーの数が増えていく。パーク内に設置されたたくさんのトイレの前には大行列ができていた。

 

スタート順は、予測タイムごとに色分けされている。6時間から7時間で申請したぼくは紫色のゼッケンで、最後尾の黄色の一つ前の塊だった。ぼくが到着した頃はまだ前方だけに人が集まった状態だった。スタートまでまだだいぶ時間があったので、公園内でストレッチをしてスタート時間を待った。5時少し前になると、道路に隙間がなくなるくらいにランナーでいっぱいになる。ぼくもその人混みに紛れ込んでスタートを待った。

 

午前5時、一斉に花火が上がる。残念ながらちょうど木が陰になっていたが、ビルに反射した花火と合わせて楽しめた。

 

数分経ってようやく少しずつ動き出した。スタート地点を通過したのは5時20分を少し過ぎていた。

 

6キロまで

スタートをしたものの、前方はまだ歩いている人たちばかりだった。人が多くて前に行きたくてもなかなか行けない。ちなみに公式ページによれば「今年はトータルで36,121人(内日本人:10,338人)がエントリー、フルマラソン23,641人(内日本人:6,242人)、10Kラン&ウォーク9,693人(内日本人:3,331人)となり前年比23%増となりました」。これは過去最高の参加人数とのこと。

 

しかたなく、最初は歩くペースと同じ速度でジョグ。ペースは1キロ8分51秒だった。3キロまでは状況が変わらず、ほぼ同じペース。

 

サンセットクルーズで行った港あたりまで来るとライトアップされたアロハタワーが目に入った。このあたりから再びアラモアナ・パークに向かって戻ってくる。

 

4キロ手前に初めての給水所があり、ここで給水をとる。ここまでにコースマップには書かれていないトイレもあったが行列ができていた。給水所付近は紙コップが散乱しており、道路も水浸しとなっていた。

 

この水浸し状態は、ワラーチを履いているぼくにとってはあまり嬉しいものではなかった。裸足でビーチサンダルを履いているようなものなので、濡れても何も問題ないように思われるだろうが、実は水に濡れると滑るのである。ワラーチの底ではなく、その上の足がヌルッと動くのがあまりよろしくなかった。

 

この給水のあと、少しスピードを上げられた。5キロまでの1キロは7分16秒で走ることができた。

 

6キロー15キロ

5キロごとに歩くこととしていたが、次の給水所が7キロあたりなので、6キロから歩くことにした。それに6キロでスタート地点のアラモアナ・パークに戻ってくることになり、そこにはたくさんのトイレが並んでいたので、そこのトイレに行っておくという計画だ。

 

果たしてトイレはだいたい3、4名ほどの行列で、思った通りかなりすいていた。ただ、それでも5分ほどは待っただろうか。そしてまだ真っ暗なので、スマホのライトが役に立った。

 

こうして次の給水所まで歩いて進む。ここは昨日歩いたところで道幅も広く、落ち着いて歩くことができた。

 

ここでは給水したらすぐに走り出す。でも、あと3キロ走れば10キロ地点のカピオラニ・パーク、すごく気が楽だ。

 

ワイキキビーチが見えるあたりに差し掛かると空が白み始めた。そして10キロ地点、10キロラン&ウォークの参加者は右手のゴールに向かって曲がっていく。フルマラソンはそのまままっすぐ進む。ここで人が減って走りやすくなるのかと思っていたが、まだあまりバラけてもいない。

 

ここから再びウォークに入る。公園の縁を右に曲がると道幅があって両側に応援の声援やタッチしてエネルギーチャージができるプラカードを持った人たちがあちこちに立っていた。

 

公園から離れ、ダイヤモンドヘッドへの上り坂に入ると、こんどは道が狭くなってもうほとんど人を追い越せない感じになった。ここは走ったり歩いたりを繰り返しながら進んでいった。

 

そんな時、先導車が現れ、続いてマラソンエリートランナーのトップ選手がやってきた。少ししてやってきた2番目の選手も黒人選手だった。そのあと続けて日本人選手。4番目に現れたのはテレビで見ていた大迫選手だった。

 

坂の上まで来ると太鼓の音が響いてくる。和太鼓だ。マラソンを走るのも大変だが、何時間もぶっ続けで叩いているのも相当しんどいに違いない。ありがたい応援である。

 

次のエイドステーションは14キロ地点にあった。結局3キロ走って(歩きも交えて)クールダウンする。

 

15キロー20キロ

15キロからは住宅街の中で応援の声を聞きながら走る。つぎのエイドステーションは20キロ地点(よりも少し先)なので、5キロを続けて走らなければならない。持ってきたカロリーメイトはお腹が空いたら飲むつもりでいたが、朝のおにぎりが腹持ちが良かったので、20キロ地点の歩きの時に飲むことにする。

 

朝日が顔に当たり出したのもこの辺り。すぐに右折になりぐっと坂を下っていく。このとき太陽は正面になった。ここで頭に乗せていたサングラスをかける。その後も顔に当たって眩しい時にだけ掛けた。

 

ウォーキンが幸いしてまだまだ疲れが出ていなかったので、下り坂では少し飛ばした。

15−16の1キロは6’51”、16−17は5’44”、17−18は7’12”、18−19は6’10”、19−20は6’14”で走ることができた。

 

20キロー25キロ

18キロあたりからはハイウェイに入っていた。反対車線は普通に車が走る。そこに二人乗りのスクーターなどが奇声を上げながら応援してくれたり、車中から奇声を上げて声援を送ってくれたり、ともかく派手な応援をしてくれて、単調な道路に変化をつけてくれた。

 

そんなとき、山側に虹が現れた。ここは立ち止まって写真を撮った。この高速はずっとまっすぐだったが、日本人のJALやピア、HISの応援団もこの辺りにいて、見逃すこともなさそうだった。ピアのQちゃんも同様に止まって応援してくれていた。

 

20キロ少し過ぎにエイドがあり、ここでカロリーメイトを飲みながら歩く。1キロ10分ちょっと掛けて足を休める。

 

その後は再び元気に走り出す。少し早く走ろうとするとやはり人が邪魔になってまっすぐ走れないため、右に左に体をかわしながら走っていく。このときはまだ元気だったが、この無駄な動きは後から疲労がやってくることになる。

 

ただ、同じペースで走る人もいて、その場合はできるだけ後ろについて走るようにした。

 

22−23の1キロを6’33”、23−24を7’01”、24−25を5’56”で走る。

 

25キロー30キロ

25キロ少し手前で左に曲がる。その先をぐるっと回ったらふたたびここに戻ってくる。その股のところにトイレが設置されていた。ここではもう並んでいる人の姿は見られなかった。

 

25キロ地点からふたたびウォーク。このあたりから少し疲れを感じ始める。するとビスケット(プリッツェルというらしい)を配ってくれているボランティアの方がいて、大きなかけらと小さなかけら2つをもらった。これは美味かった。元気が出た。

 

26−27の1キロを6’48”、27−28を6’30”、28−29を8’02”(ここはエイドで子どもからゲータレードをこぼされて渡され、水で砂糖のベタベタを流したりして少し時間がかかった。また、ボランティアからのそうめんの提供などもあった)、ここでふたたび25キロ手前で左に曲がって分かれた股のところに戻ってきた。29−30の1キロは6’48”で走る。

 

30キロー37キロ

 

30キロの少し先のエイドから再びウォークキング。なんだかとても元気だった。あれはきっとランナーズハイというやつだろうと思われる。31キロからゴールまで一気に走るつもりでアミノバイタルを飲む。そういえば忘れていたが、歩く時には必ず塩タブレットを舐めることにしていた。この時も同様で、効果はあったように思う。

 

ゴールまであと12キロちょいだ。時計を見ると9時半。11時20分までにゴールすれば6時間以内のゴールだ。このまま行けば6時間は切れる感じた。

 

あとはどれだけタイムを縮められるか。11時までにゴールすることを目標に走っていくことにした。あと1時間半、頑張れるか。

 

32キロから33キロの1キロは6’10’’、次の1キロは6’50”、その次の1キロは6’43”で走った。

 

35キロからは歩かずに走る計画だったが、ここでどっと疲れが出た。苦しくなってきた。それに右足の踵の外側あたりの裏側がワラーチの紐に当たっている感覚が伝わってき始めた。あ、これはマメだと直感でわかった。目視するとそら豆が二つ並んだくらいの大きな水ぶくれができていた。

 

こうしたマメは一旦立ち止まると次に歩き出す時が大変なのである。これは若い頃に東松山のスリーデーマーチで経験してよくわかっている。

 

それにしてもランナーズハイからの突然にくる体の重さにマメ。「マラソンは35キロからが本当の勝負」ということばが頭に浮かんできた。

 

ここは無理せずウォーキングに切り替える。そして長かったハイウェイともここでさようならだ。住宅街に入り、水をかけてもらいながら歩いていく。道端ではあちこちでストレッチをしている人を見かけた。つらいのは自分だけではない。

 

だがそんな中、元気に追い越していく人たちもいる。すごいなあと感心する。

結局ぼくはここで2キロ歩いた。

 

37キロからゴールまで

37キロあたりからふたたび走りだす。残り5キロと200メートルほどだ。住宅街では住民のさまざまな応援があり、それが本当に嬉しい。

 

この走り始めの1キロは、8’38”と結構時間がかかった。この後気持ちを切り替えてダイヤモンドヘッドの上り坂に入っていく。この38キロから39キロでは7’27”と盛り返し、和太鼓の音が坂の上へとぼくを押し上げてくれた。

 

この少し手前でQちゃんが周りの皆を励ましながらぼくに追いついてきた。Qちゃんはツアーの仲間を引き連れていて、「そこの白いTシャツのお兄さん、あともう少し、がんばろう」などと声をかけながら坂を登ってきた(ぼくのときは「紺色のTシャツのお兄さん」)。

 

置いていかれないように気力を振り絞る。遅れる人がいると「もったいないよー、あと少しだよー」。よく通る声でこのQちゃんの声にずいぶん励まされた。

 

「はい、走りながら左のすばらしい海を見ましょう。それから右のダイヤモンドヘッド」

 

言われる通りに景色を見たら、それが写真のように目に焼き付いてすばらしい思い出となった。その後は、カピオラニ公園まで一気にくだる。幸いずっとQちゃんチームの後について走ることができ、最後の直線に差し掛かった。

 

その先にゴールらしきゲートが見えてきた。道路の両側にはすごい観客の応援の声。

ゲートが近づき、やったーと思ったら、なんとゴールはまだ先で、ゴールゲートがはるか向こうに見えた。

 

そして今度は本当のゴール。長かった。時計は11時数分前だった。

 





 

最後に

 

ゴール後、スタッフにゴールドメダルをかけてもらい、その先にあるシャワーを浴びた。服は濡れてもすぐに乾いた。

まず、ペットボトルの水をもらい、軽くストレッチをした。それからTシャツを受け取り(子どもがスタッフとして配ってくれた)、バナナとマラサダ(揚げパン)を受け取った。

 

芝生の上に座ってバナナとマラサダをいただく。走り終わったあとからは、例の踵の水脹れが微妙に痛い。しばし休んでからホテルに向かって歩いて行った。

 

途中、ワイキキビーチに寄り、波打ち際に立っていると一気に大波で腰までびしょ濡れとなる。もともとクールダウンのつもりで来たので問題はないが、この引き波の力が大きいので面食らった。

 

そして一見綺麗でサラサラに見える砂は、実は結構つぶつぶで、それがマメを刺激してゾンビのような歩き方になってしまった。近くのベンチで乾かして砂を落としてからホテルに帰った。

 

ホテルのベランダで持ってきたカレーメシの昼食とビールで祝杯。

初マラソン完走とワラーチによるフルマラソン。ついに目標達成! なお、タイムは5時間36分。上出来である。

 

夕方、ワイキキマーケットにビールと水を買いに行き、楽天ラウンジのマッサージチェアで無料のマッサージを受ける。痛かったのは脚ではなく、なんと左の尻だった。

 

翌日、帰国の途についた。

 

ここまで長々とお読みいただきありがとうございました。

では、このへんで