Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

日本百名山を振り返る 【2024年】

 

朝日岳からの夕日

新年おめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

さて、がむしゃらに日本百名山を登ってきて、昨年末で68座まで到達しました。

ここで1年を振りかえってみようと思います。

 

2024年に登った日本百名山

まずは、登頂した山をリストにしてみました。

雪山登山

2024年の大きな変化は、雪山に登り始めたことです。

前年の12月、伯耆大山で思わぬ大雪。このとき麓のモンベルで12本アイゼンを購入。この登山で雪上を歩く楽しさを味わい、年明けの1月2日に雪山初心者向けの北八ヶ岳の横岳(北横岳)に登りました。ロープウェイで山頂付近まで行けるので歩く距離が短いことが初心者向けと言われるところ。

 

山頂駅から表に出る階段で滑って転ぶ人を何人も見かけました。寒くて手が悴んでいたうえに、冬用ではなく3シーズン用の登山靴に、Amazonで買った安いネオプレンのカバーをつけ、さらにアイゼンやゲイターをつけたりするのにかなり時間がかかりました。

 

その翌々週は赤城山へ。ここで初めてチェーンスパイクというものを試しました。ところが外す時に前後を逆に装着していることに気づきました。この日は暖かく良い日でしたが、黒檜山から駒ヶ岳へ向かうと雪が少なく、チェーンをいつ外そうか思案しながら歩きました。駒ヶ岳でチェーンを外すとぬかるみがあらわれ、泥が靴底について重くて参りました。さらに最後の下りでは、少し残った雪が凍り、滑って転んだ時に脛を岩にぶつけてかなり痛い思いをしました。

 

蓼科山では山頂付近で強風の洗礼を受けました。バランスを崩して倒れてしまい、じっとして踏ん張って耐えたりしました。

 

3月中旬にモンベルの雪山講習が谷川岳でありました。この時に合わせてようやく冬靴を買いました。講習でじっとしていても足が冷たくならず、道具のありがたみを感じました。ただ、雪山はお金がかかることも確かです。

 

冬山は終わりとなり、講習で習ったことを忘れそうなので、5月に残雪の西吾妻山でアイゼンワークのおさらい。樹木の周りではスポッと残雪を踏み抜いてしまったことが数回ありました。ゲイターを装着していなかったため、雪が靴の中に入ってしまい、取り除くのが大変でした。

 

最後にアイゼンを使ったのは中央アルプルの木曽駒ヶ岳でした。このときは八丁坂で落石があり、危うくぶつかるところで肝を冷やしました。この坂は下りの方が恐怖でした。

 

新緑

西吾妻山の翌日に登ったのは磐梯山でした。それほど離れてはいないのにほとんど雪はなく、ブナの新緑がとても綺麗でした。登っている間の眺望もよく、山頂からは猪苗代湖が真下に見えてとてもいい山だと思いました。

 

次に登った岩手山は、眺めると美しい山なのですが、登るとなると厳しい山でした。距離が長いため、日帰りとなると少し急ぐ必要があります。樹林帯の中では眺望がきかず、ようやく見晴らしが良くなったと思うと溶岩の岩場が続きました。とくに山頂付近では、富士山のようにずるずると靴が埋まり、体重移動をうまくやらないと進めませんでした。そしてお釜の淵に立つと強風で飛ばされそうになりました。

 

6月になり、東北の朝日連峰では暑さ、とくに蒸し暑さに参りました。ここで手袋の片方を落としてしまったのが残念です。樹林帯を抜けると風が吹き抜けてほっとしましたが、山頂直下の小屋まで結構な距離があり、大変でした。しかし、この時期、高山植物が咲き乱れていて眼を楽しませてくれました。

 

ヒグマ対策

羅臼岳

この月は北海道の道東の山に登りました。一番の心配はヒグマ。クマスプレーを借りる暇がなかったので、100均で火薬銃を買いました。

 

道東1日目は羅臼岳に登りました。クマベルを鳴らしながら周りを警戒しながら登るので、精神的にも疲れました。そのせいか、コルのハイマツ帯から山頂までの岩場は足が上がらず、途中でしばらく休憩しました。下りは山頂で出会った青年と話しながら一緒に下ることができて、クマの恐怖からは少し解放されました。

 

道東2日目は斜里岳に、羅臼岳の下りで一緒だった青年と同じ日程だったため、一緒に登りました。斜里岳はまさに沢登りで川の中にザブザブと入って行きました。しかし、古いスニーカーを履いていたので、帰って来る頃にはソールが一部剥がれてしまいました。

 

道東3日目は雌阿寒岳。前日にオンネトー国営キャンプ場にツェルト泊。ワイルドな雌阿寒温泉にも浸かりました。雌阿寒岳では噴火が起こらないように祈りながら登り、強風に肝を冷やしながら山頂に立ちました。

 

一旦家に帰り、再び北海道へ。大雪山からトムラウシ、そして十勝岳という三泊の縦走に挑戦しました。大雪山の旭岳は2度目の登頂となりました。このときはクマスプレーをレンタルできましたが、借りに行ったり返却しに行ったりとかなり面倒でした。荷物を軽くするためツェルト泊しましたが、2日目、ツェルトを張った後にひどい雨風となり、シュラフからなにから濡らしてしまいました。そのため、トムラウシ登頂の後、十勝岳には行かず1日早くトムラウシ温泉に下山することにしました。ヒグマは一度も見かけませんでしたが、登山道に糞があって驚きました。

 

信仰の山

大雪、トムラウシへ行く前には御嶽山と高妻山に登りました。御嶽山では数年前の噴火による遭難について、事前にいろいろ調べました。実際に歩きながら頭の中でシミュレーションしてみると、生きて下山できた人は本当に幸運だったということがよくわかりました。亡くなった方々のご冥福をお祈りしました。

 

高妻山は登山することが仏の道を歩くことで、まさに修行を積んだように思いました。

体調があまりよくなかったこともありましたが、急登続きで体力のなさを感じた山でした。

 

次に登ったのが剱岳。この山を目の前にすると思わず手を合わせて拝みたくなります。劔沢でテントを張りましたが、大雨のため1日停滞。しかしその翌日、朝方は雨でしたが登っている途中から晴れてきて、最高の登山ができました。

 

 

絶景の山

火打山からの白馬

つぎに登ったのは妙高山と火打山。妙高山は変化に富んでいて楽しい。ただ、頂上に近づくにつれて傾斜が急になって結構きつかった。あいにく曇りで周りの山々は見えませんでしたが、北峰から南峰、そしてその逆から見た山頂の岩場はとても美しい景色でした。

 

高谷池ヒュッテのテント場にツェルトを張り、翌朝から火打山を目指しました。多くの人は4時頃には出発したので、ずいぶん早いなと思いましたが、それは山頂で日の出を見るためであることがわかりました。私は遅れて出発したおかげで、しばらく山頂を独り占めできました。この火打山からは360度の絶景が楽しめました。

 

2024年最後の山は、中央アルプスの空木岳でした。日帰りはできましたが、なんと12時間も歩いてしまいました。山頂ではゆっくりする時間はありませんでしたが、それでもたくさん写真を撮りました。この山も360度絶景で、木曽駒ヶ岳に続く稜線の左側には御嶽山が、その遠い先には白山とおぼしき山も見ることができました。上ではすでに雪が積もっており、チェーンスパイクでザクザクと雪を踏みしめました。

 

晩秋の山を楽しむ

空木岳の前に岩手で用事があり、そのついでに早池峰山と八幡平に登りました。あいにくどちらも雨に降られ、景色は楽しむことができませんでした。しかし、早池峰山の不思議な地形と珍しい蛇紋岩を見ることができ、八幡平では幻想的な湿原の中に身を置くことができました。

 

最後に

今年最後の空木岳登山は、ホノルルマラソンのトレーニングを兼ねて選んだ山で、翌日は筋肉痛になり、トレーニングの目的は十分に達成できたように思います。また、今後、林道を使うときは、閉鎖されていないかを確認することを忘れないようにしたいと思います。もう何度か同じ失敗をしているのです。

 

なお、2月下旬に熊野古道の中辺路を歩きました。

また、2024年は10月後半に解散総選挙があったため、山には登らず選挙活動の手伝いに専念しました。

12月にはホノルルマラソンをワラーチで走りました。ワラーチでのフルマラソンは自分の中では凄く達成感を感じ、年末までしばらく浸っていました。

 

では、このへんで

 

 

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