奥穂から槍ヶ岳を望む (リバーサルフィルムをデジカメで複写 以下、全て同じ)
前回は86年10月4日、穂高岳山荘が見えて来たところまで書いた。
ここまでのザイデングラートの登りは思ったよりきつかった。
ともかく前の人に続いて離れないように、そして石を落とさないように慎重に登った。
これまで山小屋に泊まったのは数えるほどしかないが、穂高岳山荘はこれまでの中では一番おしゃれで清潔な小屋だと思う。
そして朝日と夕日が眺められる贅沢な場所に建っている。
今回は、そんな穂高岳山荘に到着してから奥穂、前穂に登頂し下山するまでの話です。
前回の記事
穂高岳山荘
涸沢から登り始めたのが午後1時、それからずっと登り続けて3時15分にようやく穂高岳山荘に着いた。受付を済ませて荷物を置き小屋の前のテラスに出る。
降ったり止んだりしていた雨はあがってくれた。だんだんと日が暮れはじめると同時にかなり冷え込んできた。
雲海の向こうに常念岳の尖った頭と、どっしりとそして優雅な曲線を描いて裾野を広げている姿が見えた。右手には前穂の北尾根が連なり、夕焼けに染まっていった。
こうしたひとときのドラマを楽しんだあと小屋の中に入る。
穂高岳山荘は、小屋と言ってもかなり大きく立派な建物である。中にはロビーがあり、図書室のようにも思われた。そこに椅子が置いてあり、その椅子に座って朝日や夕日の山々を窓越しに眺めることができる。
しかし水に関しては、この日は水場が枯れていたために少ししか補給できなかった。
小屋のあちこちには、山岳写真家の水越武氏の写真パネルが展示してあった。ちょうど写真集『穂高 光と風』が出版されたばかりで、モノクロームの迫力ある写真が魅力だ。
8時になると映画会が始まった。もちろん作品は穂高だった。
この日は休憩を含めると9時間半、おそらく8時間くらいは歩いただろう。疲れた。
奥穂高岳登頂
奥穂高岳
翌朝は体がきつくてなかなか起き上がれなかった。早朝から歩き始める人が多い中、6時15分に出発する。
中には涸沢岳を往復してから奥穂に登る人もいた。その逆に奥穂に登ってから引き返して涸沢岳、北穂高岳を抜けて槍ヶ岳に向かう人もいる。
そんななか、軟弱な自分は涸沢岳はパスして奥穂を目指し、そのまま前穂に向かう。
しかし奥穂の取り付きからいきなり急登で、なんと岩には氷がついていた。
午前7時、奥穂高岳に登頂する。そこからの眺望は素晴らしく、北側には大キレットとその先にちょこんと尖った槍ヶ岳を見ることができた。反対側にはゴツゴツしただるまのようなジャンダルム、その左には夕焼けが美しかった前穂高岳が間近に見える。ここで30分眺望を楽しみ前穂に向かう。
前穂高岳登頂
前穂高岳
前穂までは吊り尾根を行くのだが、このときは吊り尾根を歩いていることなど忘れて、ただひたすら必死で岩場を上下していた。ここでかなり消耗する。
前穂山頂へ続く道と下山道が分岐するあたりは紀美子平と呼ばれる。紀美子平という名の由来は、穂高岳山荘を築いた今田重太郎が、この前穂の分岐あたりで5歳の娘の紀美子を遊ばせて道作りをしていたことから、そう呼ばれるようになったという。
前穂山頂は、この分岐から往復することになるため、ここ紀美子平に荷物をデポして空身で前穂の頂上を目指す。壁のように立ちはだかるルートは、まるでロッククライミングをしているようだ。
ようやく頂上に到達する。この間たったの20分だが、なんともいえない達成感だ。そこで見る眺めはなにもかもが素晴らしかった。この達成感と見事な眺めにしばしの間酔いしれる。ものすごく気に入って、「ぜったいまた来るからな」と心のなかで呟いた。
諏訪のおじさん
再び紀美子平に下りて、一息入れる。カロリーメイトを頬張って、「さあ、これから下るぞ」と気合を入れた。
紀美子平からの下りは重太郎新道を下って岳沢ヒュッテまでいき、そこからは岳沢沿いに一気に下る。下り始めるとちょうど歩調の合うおじさんがいたのでそのあとについていく。
とても人のいいおじさんで、ずっと後ろにくっついていても文句を言われることもなく、一緒に休憩した時には梨をくれた。そのおじさんは諏訪から来ているといい、南アルプスによく登っているそうだ。そうして足元を指差して、誇らしげに昔の山履を自慢した。
このおじさんのおかげですごく早く下りられた。途中の岳沢ヒュッテ*で別れたが、その勢いのまま河童橋まで下ることができた。
紀美子平を下りはじめたのが10時10分、岳沢ヒュッテについたのが11時40分、ここで40分休憩して昼食。上高地についたのが午後1時25分だった。
*岳沢ヒュッテは現在は岳沢小屋になっています。
まとめ
当時の日記を読むと、前穂登頂の興奮の様子が伝わってくる。
しかし、ただ素晴らしい眺めであるということだけが書いてあり、どんなふうに素晴らしかったのか思い出すことができない。
そして、ぜったいまた来るぞといいながら、そのままとなっている。
いま、ユーチューブで奥穂からの眺めを見てみると、その険しさに怖気付いている自分がいる。
こちらがコンパクトによく編集されています。
よくまあ、こんなところを歩いたものだと思う。
しかし、当時は楽しくてしかたがなかった。
もう一度登るとしたら急がないとならない。
あと、何年元気でいられるだろうか。
そういえば、あの時出会った諏訪のおじさんはいくつくらいだったのだろう。
再び挑戦するときは、若い登山者に、あのときのおじさんのように、ダナーライト のシューズ自慢をしてみたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、このへんで
穂高岳山荘の公式サイト
ダナーライトの記事はこちら
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