前回はテント場にテントを張って夜を迎えるところまでを書いた。
夜、少し雨が降り、翌朝も霧雨のようなものが降っていたがすぐに止んだ。
今日も昨日や一昨日のように昼頃まで晴れてほしい。
そう願いつつテントを残して槍ヶ岳に向かう。
果たして槍はその姿をぼくの目の前に見せてくれるだろうか?
槍に向かって進め
7月18日、午前3時45分に起床。朝食をとり支度を整えて4時40分、いよいよ念願の槍ヶ岳に向かって出発だ。
この時間はまだ少し薄暗いがライトがなくても十分に歩ける明るさがある。
テント場を出るとすぐにダケカンバの林の中を通り抜ける。
あとは槍沢に沿って少しずつ登っていく。
この辺りは赤沢山と横尾尾根に挟まれた深い谷間である。
目の前に見える地形はどうやらカールのようだ。氷河で削られたあとで、涸沢ほど横に広くなく傾斜も急だが綺麗に丸く削られている。
後で調べたらここはカールではなくてU字谷というそうだ。
カールと言うのは氷河に削り取られたすり鉢状の地形のこと。ついでにババ平の辺りはモレーンと言うのだそうだ。氷河末端の土砂が堆積し堰堤のようになったもので、その上が平らになっている。
槍沢に沿ってほぼ真っ直ぐに進んでいくと、水俣乗越への分岐があり、この辺りから沢は左にゆっくりと曲がっていく。堆積した土砂のためしばらくはなだらかな傾斜でこれが槍沢の始まる辺りまで続く。
沢が枝分かれし、右手の沢に沿って少し進むと天狗原への道が分かれている。その道はU字谷を横切るようにして向こう側に伸びているのが見える。
この分岐を右に行くと登山道らしい登りになる。高山植物が咲き乱れる中をジグザグに登っていく。登るに連れて霧が濃くなっていく。
登り始めてすぐに雨が降り出した。急いでレインウェアをザックから出す。ところがレインパンツの裾のファスナーが噛んで手間取ってしまう。続いてザックにもカバーをかける。こうして手間取っているうちに雨が止んだ。また降るかもしれないので着たまま歩き始める。
上からは次から次へと下山者が降りてくる。登り優先なのでたいていは道を譲ってくれるが、中には勢いよくすれ違っていく人もいて、ちょっとびっくりする。ぶつかれば弾き飛ばされてしまう。もちろん下山者のほうの足場が悪い時はこちらが道を譲る。
突然、道の真ん中に座り込んで上着を脱ぎ出した人がいた。言い訳をいうように
「昨日は1時くらいまで晴れたけど、今朝はダメでしたね。今日は晴れそうにないですね」そう言ってから、
「あ、なんだか気持ちを削いでしまいましたね」と言われた。
まったくそのとおり。けれど「まあ、とにかく行ってみますよ」。そう言いながら登っていった。
しばらく登っていくと小さな沢の音が聞こえて来た。その沢の手前を沢に沿って登っていくと、そこの大きな石に「水沢」と書いてある。ここは水場になっていて、下山者の多くが水を汲んだりして小休止していた。
この沢を渡ると道は大きく右に曲がり、少しいくと雪渓があった。次から次と下山者が雪渓を渡っていくので、ここで15分くらい待たされた。
その先は岩だらけの景色が広がる。これまでも岩は多かったが土もそれなりにあった。それが岩だらけの道になる。
右にヒュッテ大槍への道を分けて、少しいくと播隆上人が使ったとされる岩屋(坊主岩屋)の横を通り過ぎる。岩谷の上には高山植物が咲き、近くには石が三角に積み上げられていた。
再び雪渓を越える。こちらは傾斜が緩くそれほどの恐怖は感じない。渡り切った先で下山者が待っていてくれた。
けれど向こうを向いて立っていたのでザックが邪魔になり通るのが大変だった。ここは声をかけるべきだったように思う。もしザックに触れて押してしまったら下の雪渓に落っこちてしまうからだ。そういえば、谷側によけて待ってくれている人も多かった。谷側は危険である。
ただ、槍沢のルートはそれほど危険な箇所もなく、ひたすら登り続けるという忍耐力が試される道である。
この辺りからは槍ヶ岳山荘までの距離が岩にペイントされていて、それがけっこう励みになった。
岩だらけの道を眺めているうちに「槍ヶ岳は本当に岩を積み上げて作られた山だなあ」と思えてくる。
下の方の緑の帯のようなところから岩場にかけて、ここまでの長い道のりを高山植物の花々が心を和ませてくれた。名前はわからないがとりあえず写真を撮る。後で調べて名前を添えた。
もう後少しで槍ヶ岳山荘だと思われる頃、黄色いウェアの男性とすれ違う。道を譲ってくれたのでお礼を言うと、
「どこからですか?」と問われる。
「ババ平からです。今日は霧でダメそうですね」
「昨日は1時頃まで晴れていまして2時頃から雨になりました」
「雷も鳴りましたよね」
「槍沢は谷なので割と安全なんです。山に登るには今日のような天気の方が涼しくていいです。今年はブユに刺される人が多くてこの先の診療所に昨日は5人も来ましてね」
「もうこの時期にですか?」
「今年はずいぶんと早いです」
「診療所にお勤めなんですか?」
「ただのボランティアです。今日は下まで降りるのですか?」
「いえ、またババ平に戻りゆっくりして明日下山します」
「それはいいですね。では気をつけて」
そんな会話をした。
その方と別れてから上を見上げると霧が流れて槍の穂先がチラッと見えた。その左側には穂高岳山荘が岩稜に張り付いていた。
つづく
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