Hakuto-日記

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文化の日はポカポカ陽気 【巻機山】

1週間前の天気とはうって変わってポカポカ陽気となった文化の日。

先週の雪の週末が記憶に残っていて、ついつい厚着をしてきてしまった。

この前と同じ国道16号のファミマにスーパーカブをとめて休憩。中間着を脱いで着膨れから解放され涼しくなった。

今回は途中から東へは向かわず、国道17号線を北上。目指すは新潟の巻機山。

その登山のために『北越雪譜』で有名な江戸後期の科学・民俗学者の鈴木牧之が生誕した塩沢を拠点に定めた。

 

東松山スリーデーマーチ

奇しくもこの日は文化の日で東松山を通った。この日この場所には思い出がある。

歩道をゼッケンをつけた大勢の人が行列を作って道路歩いていた。

ん、この光景、どこかで見たことがある。

そうだ。きっと歩け歩け大会をやっているに違いない。

たしか毎年、文化の日に合わせて行っていたはずだ。

ぼくはこの大会「東松山スリーデーマーチ」に2回参加したことがある。

たしか第3回と第5回だったと思う。

初めて歩いたときに申し込んだのは50キロコース。東松山の箭弓稲荷を出発して50キロ歩いて戻ってくる。それを3日間続けるわけだ。

 

ただし、ぼくと一緒に参加した職場の先輩は、最終日に50キロは無理だと言うので40キロに変更した。

そのことがいまでも悔やまれる。だからいまでも忘れないでいるとも言えるが。

 

2回目の参加では、初めから40キロコースで、最終日のみ新人の女の子が参加するので30キロコースを歩いた。

 

最初は足の裏に豆ができた。豆ができていると、休んだ後に歩き出すのが辛い。精神力が必要になる。あのときは、豆を処置してくれる救護所が森林公園の中に設置されていた。

 

2回目の参加では、一番擦れる指の付け根のあたりの足の裏にクラフトテープを貼って滑りをよくした。そのおかげで豆はできなかった。これはほかの人がやるのを見て真似してみたのが功を奏したというわけだ。

 

あのときは体育館に雑魚寝したっけ。なつかしいなあ。

いまも50キロコースは健在なのだろうか。それにしても大会が40数年も続いているというのはすごいことだと思う。

 

ちなみにスリーデーマーチ最終日となる11月5日、新潟からの帰りにも東松山を通った。すると、足が痛いのだろう、歩き方がおかしい人を見かけた。きっと足の裏に豆ができていたのじゃないか。

 

 

双子キャビン

さて、この夏、武尊山登山のために通った水上方面には行かずにまっすぐ17号を進む。猿が京温泉を過ぎると、そこから先は峠道になっていく。

 

この三国峠をバイクで走る。楽しい。全山紅葉の中である。帰りにはさらに余裕を持って景色を眺めたが、やはりここの峠道は最高である。

 

トンネルを抜けると雪国、ではないが、名だたるスキー場がずらっと並んでいる。苗場、かぐら、かぐらみつまた、ガーラ湯沢、石打丸山と、滑ったことはないが聞いたことのある名前がつぎつぎと現れた。

 

そして、上越国際の名前が見えるとその先が塩沢である。その途中コンビニで明日の朝食のおにぎりと今晩用の地酒を買い、へぎそば屋で腹を満たした。

 

以前、東京で食べたへぎそばは青臭い匂いがしてイマイチだったが、ここ中野屋のは匂いはせず、つるつるでとても美味かった。単なるもりそばを注文したが、煮カボチャまでついてきた。わさびを半分ほど入れたが、これがすごく効いていて涙が出た。

 

5時過ぎに今夜の宿<双子キャビン>に到着。入口は1階だが受付は2階。はじめ受付の場所がわからず、誰もいなくてどうしようかと思ったが、張り紙を見つけて2階に上がり、リビングと言うか食堂みたいな感じのところに入ると5,6人の人がいて安心した。

 

指さされた奥のカウンターを見ると、向こう側に仏頂面の親父が座っていた。話しかけると外見とは違ってとても親切に応対してくれた。

 

この双子キャビン。素泊まり専用の宿で、2泊でなんと5,200円ほど。それでいて館内は清潔だしコーヒーは自由に飲める(しかもドリップコーヒー)。風呂は順番にはなるが、熱くてたっぷりのお湯に浸かり疲れを癒すことができた。

 

先週のキャンプ場よりもずっと安いので、登山目的ならみなこちらを選ぶだろう。さらには正面に巻機山がバッチリと拝めるのである。

へぎそば中野屋から

カボチャは2切れありました

へぎそば屋

双子キャビンから未明の巻機山

双子キャビンから夕方の巻機山

双子キャビンから日の出後の巻機山

 

機織りの美女

駐車場から 微かに山頂がのぞいている

巻機山。これを「まきはたやま」と読める人は地元の人かおそらく登山をやっている人だろう。ぼくがこの山を知ったのは、「山と渓谷」という雑誌に紹介されていたからである。それももう40年くらい前のことである。

 

あれからずっと登ってみたいと思っていた念願の山なのである。それがようやく目の前にある。

 

ここで巻機山についてかるく紹介しておこう。

 

深田久弥は「日本百名山」の中で前述の鈴木牧之の北越雪譜について触れている。ぼくはこの本(岩波文庫版)を図書館で借りて読んだけれど、旧かなに慣れていないため全ては読みきれなかった。でも鈴木牧之がすごいと思うのは、観察眼が鋭いということである。それは雪の結晶の図を見ればわかる。

 

北越雪譜は青空文庫で読むことができる。

京山人百樹刪定 岡田武松校訂 北越雪譜 北越雪譜二編 鈴木牧之編撰

雪の結晶の図はWikipediaで見ることができる。

北越雪譜 - Wikipedia

 

深田久弥は、日本百名山の巻機山の章で、北越雪譜上下2巻の中で山の名前が2つだけ上がっているとし、その一つは苗場山でもう一つが破目山(われめきやま)だが、後者の名前は聞いたことがないと言う。

 

そして牧之の描写から、破目山とは天狗岩に相違ないと推理を働かせる。

この岩の後方にひかえているのが割引岳(わりびきだけ又は割引山(わりびきやま))で、国土地理院測量部の人が名前を聞き誤ったのではないかと疑っている。なお、わりびきだけは、別名をわれめきだけという。

 

巻機山の山頂はゆったりとした平原のようなところで、どこがピークなのかがよくわからない。この巻機山本峰にニセ巻機山、牛ヶ岳、割引岳を含めた山の総称として巻機山と呼んでいる。

 

麓の塩沢、六日町のあたりは豪雪地帯で、民家のほとんどは特殊な3階建てである。1階はコンクリートであつらえた、まるで地下室のようになっている。降ろした雪で埋まってしまうからだろう。

 

この地域は古くから機織り(塩沢紬や越後上布)が盛んで、巻機山は機織りの神として信仰されているとのこと。山中で美女が機を織っていたという伝説からこの名がついたとも言われていて、頂上の辺り(特に本峰と割引岳との分岐地点)は御機屋と呼ばれている。

 

この御機屋直下の直登となる起点あたりには織姫の池がある。

 

 

巻機山登山ルート

地形図や登山地図を見ると、先週登った四阿山に地形がよく似ている。

当初、四阿山と同じように周回コースを考えていた。

それは、割引沢からヌクビ沢を登っていくルートをとり、割引岳を往復したあと巻機山本峰に登って一般ルートの井戸尾根を降りてくるコースである。

 

しかし、このヌクビ沢ルートは急なため下山禁止となっている。加えて岩が濡れていて結構滑るらしい。この冬の時期に沢に落ちたくはない。

 

それでは多少なりとも沢の少ない天狗尾根ルートを通ってはどうか。いちおうこのコースで計画を立てた。けれどよくよく調べてみないと。危険な匂いがする。

 

地形図を見ただけでも山道は沢筋から一気に尾根まで駆け上がっている。

ヤマップなどで実際に歩いた人の投稿を調べると、登山装備をしっかりとしてさらに複数のパーティーで入山していた。

 

ぎりぎりまで検討し、次の理由から一般ルートを往復することにした。

理由その1、ソロであること。万が一の時に助けてもらえない。

その2、万が一沢に落ちた場合、体が冷えて危険である。凍死することもあり得る。

その3、もうダメ、となっても下山禁止。引き返せない。

以上である。

 

ぼくの目的は日本百名山の制覇であってヌクビ沢の制覇ではない。ここで怪我をして山に登れなくなっては元も子もない。

 

一般ルートを往復することにしたら、割引岳か牛ヶ岳のどちらに行くにも同じくらいの時間なので、どちらに行こうかと考えた。両方に登る時間はない。ここは楽な牛ヶ岳に行くことにして、急遽コピーした地図にボールペンでコースタイムを書き込んだ(ところが帰りにバッグに入れたウイスキーが漏れてボールペンで書き込んだ部分が滲んでしまった)。

 

 

 

そういうわけで11月4日6時10分、桜坂駐車場からいよいよ巻機山に向かって歩き出したのである。

第2駐車場からすぐのところにある橋を渡ると第1駐車場になる。トイレがあるのは第2の方である。

第1駐車場の奥が登山道となっていて、そこに登山ポストが置かれている。コンパスアプリによる登山届は出したが、念の為この登山カードにも記入してポストに入れた。

 

(ここからは写真が多くなります)

 

ポストの隣の登山案内

入山禁止(初心者は)の注意書き

さらに隣にも

ミズナラやホウの落葉を踏みしめて

登り始めの山道

里山の雰囲気

たくさんの落ち葉を踏み締めて歩いていく。同じ道に登る登山者が多くいて、前の登山者を追い越したり追い越されたりしながら自分のペースを掴んでいくことになる。しかし、周りを意識してどうしてもハイペースになりがちである。

 

朝のうちは肌寒いため、また、バイクで体が冷えたため、少しハイペースで体を温め、少し暖かくなったら一枚ずつ脱いでいく。そうやって立ち止まり同時に自分の体調も確かめておく。

 

さきほど勢いよく抜いていった韓国人の集団がにこやかに休んでいた。あの勢いで抜いていったのにもう追いつくなんて。おそらくあまり登り慣れていないと思われる。南アルプスで遭難した韓国人のパーティのことが頭に浮かんだ。

 

後から地図を見てなるほどと思ったのだが、この辺り一面広葉樹林帯で、針葉樹は見当たらない。かなり落葉もしていたので木々の隙間から向こうの山が透けて見え、日の光も入って来てとても明るい。この山の女神は陽気な性格らしい。

 

紅葉の中を行く

シシガシラ

五合目から 左手が巻機山山頂

7時10分、五合目焼松に着く。なぜ焼松なのかは不明。ここで今回試しにしてきた腹巻を脱いだ。試しなのでイオンで買ったヒートなんとかという安いものだ。モンベルのはちょっとお高い。今回で腹巻きの効果は大きいことがよく分かったので、今後寒い時は忘れずにつけることにしようと思う。

 

五合目を過ぎるとブナの林に変わっていく。美しい林だ。

五合目を過ぎるとブナ林になる

六合目手前から中低木の林に

7時43分、六合目展望台に到着。展望台からは、目の前にドーンと天狗岩が聳えていた。それに続く天狗尾根を辿った先に割引岳が見える。その下の影のところにはヌクビ沢がはっきりと見て取れる。こうした木々の陰になっていない沢というのも不思議な気がする。ここを歩いていれば上から丸見えなのである。

天狗岩と天狗尾根、割引岳に続くヌクビ沢 どちらも下山禁止のルート

イワカガミの葉

ニセ巻機山(前巻機)

八合目手前から階段が現れる

樹林や笹の中を進んでいたのが七合目からは草と岩ばかりとなる。このあたりから南側の展望がぐっと開け、目立つのは三角の万太郎山だ。そのほかたくさんの山が連なっている。やはり山は展望がよいに越したことはない。

三角なのが万太郎山。その左は谷川連邦

前巻機に登っていくと向こう側に巻機山が見えた

9時ちょうど、ニセ巻機山に到着。ニセとはあまりイメージが良くないが、巻機山によく似ていて、登りながらではこのニセものが目の前に立ちはだかる。この山に登るとこれから歩く道が見渡せ、模型のルートを眺めているように全体の地形がよく理解できる。

ヤマラッキョウでしょうか

織姫の池

9時半、御機屋に到着。すこぶる調子が良く、予定より1時間も早く到着した。これなら割引岳もいけるかもしれないと思う。

そして、ちゃんとした山頂の標識はここしかないという情報だったので、本当のピークではないがここで記念撮影。近くの人に撮ってもらった。

山頂の一つの御機屋にて

山頂に広がる池塘の草原

巻機山本峰 なんとも寂しい標識

広い山頂

遠くに燧ケ岳が見える

左手に赤城山、中央右に谷川連邦がみえる

巻機山本峰をさっと通り過ぎ、その先の牛ヶ岳に向かう。東に向かっていた道から北東に折れ曲がるとますますたくさんの山が見えるようになる。

牛ヶ岳

振り返ると

牛が岳はどこがピークなのかがよくわからなかったので、少し下り始めるところまで歩いていった。そこには先行していた大阪から来たという男性が休んでいて、なんとスーパードライのロング缶を飲み始めた。ここまでこれを担いできたということだ。ぼくは飲んだらだるくなるのでこういった真似はできない。

 

牛が岳から再び巻機山に戻る。途中のベンチのある場所で緑づくしの若い人と立ち話をする。その人は言っていた。

「新潟の山はどこも登山口が低い場所にあるのが大変で」

なるほど。この山も山頂までが長く、登ってくるのが大変だった。色々と山の話をして、あとで時計を見たら20分も経っていた。

 

10時55分、ふたたび御機屋に戻って来た。ここで昼食にする。沸かして来たお湯をモンベルリゾッタに注ぐだけだ。残ったお湯で味噌汁を作る。こちらもフリーズドライ。

こうして30分ほど休憩して割引岳に向かった。

 

11時40分、割引岳着。ここから越後三山がよく見えた。

割引岳

割引岳山頂から麓の街を見下ろす

越後三山(左から八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳)

 

最後に

14時半、無事に下山。駐車場に戻ってくると、そこに靴を洗うための水道とブラシが置かれていた。

ぼくが靴を洗おうとしているところに、やはり下山して来た男性(50代か)が近くにやって来た(蛇口は3つあった)。

「これはありがたいですね」

ぼくもずいぶん親切ですねと答える。

そして、その方は日本百名山を登っていて今日が51座目であること、昨日は苗場山に登り、昨日出会った人に今日も出会ったこと、明日も谷川岳に登ってそのまま名古屋に帰ることなどを語った。

ぼくは42座目ですと答える。

こうして百名山にやってくると百名山を目指して登っている人が本当に多いことがわかる。

その夜、30代の男性二人がやはり百名山を目指して宿にやって来た。

 

では、このへんで

 

 

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