Hakuto-日記

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三人で三山を山行 【鳳凰三山縦走】

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地蔵ヶ岳 (リバーサルフィルムをデジカメで複写 以下全て同じ)
前に結婚後、本格的な登山をしたのは北岳が最後と書いた。
 
ところが記録を整理してみたら、そのあとにもう一回行っていたことが判明。
 
それは1991年のことで、北岳から4年後のことであった。
 
登ったのは北岳と同じ南アルプスの鳳凰三山で、職場の仲間と山小屋泊まりで縦走したことをすっかり忘れていたのである。
 
今回はそんな山行をわずかな記録を頼りに振り返ります。
北岳登山の記事はこちら

夜行1泊2日の山行

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八ヶ岳が見えた
10月18日、新宿駅アルプス広場に午後11時に集合した。
 
メンバーは同い年の友人男性と、昔からよく一緒に登っている後輩の女性で、3人での山行となった。
 
同い年の友人とは以前から「一緒に山に行きたいね」とは話していたのだが、なかなか機会がなく、一緒に登るのは今回が初めてとなる。
 
今回縦走する鳳凰三山とは、地蔵ヶ岳(標高2,764メートル)、観音ヶ岳(標高2,841メートル)、薬師ヶ岳(標高2,780メートル)の三山をいい、富士山や八ヶ岳、そして北岳や甲斐駒ケ岳などが見渡せる。
 
また、地蔵ヶ岳の山頂にはまるでチューリプの花のような二つの大きな石のオベリスク(尖塔)が聳え立っている。
 
古くから信仰の山として登られ、地蔵ヶ岳の山頂直下には賽の河原と呼ばれる場所がある。賽の河原といっても細かい石を積み上げるのではなく、石仏が置かれていて、その周りに白い石が置かれている。一説には子宝に恵まれない夫婦がお詣りし、子が授かったお礼にこの石地蔵を立てたということだ。
 

鳳凰小屋を目指す

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ねじ曲がった枯れ木(「かもしか遠見の岩」の文字が)
新宿駅から中央線に乗って穴山駅で下車。そこから御座石鉱泉まで約1時間バスに揺られ5時半に到着した。天気は上々である。
 
ここで1時間休憩して朝食をとり、6時半に出発。いきなり樹林帯の中の急登で、登り始めて1時間、西ノ平で一息つく。
 
ところがそこからまた急な登りがつづいた。そうして西ノ平から3時間登り続けてようやく標高2,105メートルの燕頭山(つばくろあたまやま)に到着。
 
そこで一息いれて歩き出すと、少しだけ下って再び登りになるが、これまでよりも少し傾斜が緩いようだ。
 
午後1時、本日の目的地、鳳凰小屋に到着した。
 
早い時間に到着したので好きな場所を使って良いという。奥は上下二段に仕切られている。翌朝光が射すようにと上段の窓の下に陣取った。だが、この選択は間違っていたことに後から気づく。
 
外にでて昼食をとり、ゆっくりくつろぐ。
 
早めの夕食を食べたあと、寝袋を出して寝る準備をする。それから外でお湯を沸かし、今は存在しないメーカーであるフランスのグランテトラ製のアルミ水筒に沸かした湯を入れる。それを靴下で包み湯たんぽにした。
 
寝る準備は万端ととのう。最後に用を足しに外にある便所へいく。ところがここでやってしまった。
 
外は真っ暗である。もちろん便所の中も明かりがなく真っ暗である。首からミニマグライトを細挽きロープでぶら下げてはいたが、よく見えない。
 
立ったまま狙いをつけて放尿。おやっと思ったが、最後まで済ます。
便所から出て、気になったのでズボンを照らしてみると・・・濡れていた。
 
やばい。替えのズボンなんてない。
 
仕方がないので、水場で軽く洗い、バンダナを当てて水を吸い取った。
このままでは寝袋が濡れてしまうので、「うー、寒〜い」といいながら雨具のズボンを履き、そのまま寝袋に潜り込んだ。
 
気持ちは悪いが、幸い体温で温まり冷たくはない。
ところが夜明け前になると冷え込んで、窓から冷気が降りてくるのがわかるくらいだ。
 
寒い。
 
どうやら連れの二人も寒さで目が覚めたようだ。2千メーターより上にある10月の山小屋はかなり冷え込むのであった。
 
そのことに思い至らず窓の下を選んだことを後悔する。
 

鳳凰三山縦走

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縦走路
宿泊者のほとんどが薄暗い中を起き出して準備を始める。
 
朝食後、皆そろって6時に小屋を出発。おそらく全員が地蔵ヶ岳を目指す。だから地蔵ヶ岳に着くまで長い行列ができた。
 
僕はといえば、ずっとレインズボンを履きながら登っていた。
 
約1時間で地蔵ヶ岳に着く。その手前から地蔵ヶ岳山頂の大きなオベリスクがひときわ目を引く。山頂についてそのオベリスクを見上げるとなんとその大きな石を登っている人がいる。すごい。しばし見とれてしまった。
 
このオベリスクに最初の登ったのは日本人ではなく、イギリス人のウォルター・ウェストンだということである。
 
そのオベリスクに今登っている人がいることに感動する。

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オベリスクに登る人
 
一緒に登ってきた集団はここでばらける。ここからはわれわれ3人のペースで進んでいく。
 
地蔵ヶ岳の次は赤抜沢の頭(標高2,750メートル)、続いて観音ヶ岳、薬師ヶ岳と尾根が続いている。
 
縦走路は、誰かが白い花崗岩を空に向かって伸びているように置いたとでもいうように、石が突きでている不思議な空間である。
 
また、北岳など3千メートル級の山々をほぼ同じ高さで眺めながら歩くというぜいたくな尾根道であり、そのうえ歩きやすいという、まさに天国のようなスカイロードである。
 
日が高くなって暖かくなったので、レインスーツのズボンを脱いだ。風があったのでその風で乾かそうという魂胆もあった。
 
けれど、脱いでみるともうほとんど乾いているではないか。このときにゴアテックスの本当の素晴らしさを実感したというわけである。
 
昨夜しっかり水で流したおかげか、臭うことはなく、ホッとして気持ちも明るくなった。
 
薬師岳からはほぼ下りである。ここから苺平を抜けて夜叉神峠まで長い距離を下っていく。
 
下り始めて少し経ったころ、同い年の友人の膝が痛み出した。ここからは彼のペースに合わせて休み休み下るが辛そうである。けれど歩かなければ下に降りられない。頑張ってというしかない。
 
苦しみながらもなんとか夜叉神峠(標高1,770メートル)まで下ってきた。
 
ここは以前ワンゲルで来たことがある。そのときは夜叉神峠から景色を眺めることが目的でそのまま下った。その時のことを思い出しながら周りを眺めた。
 
見覚えのある景色の中をさらに下ってバス停のある夜叉神峠登口まで下ることができた。
 
膝が痛い中、よく頑張ってくれた。ここからバスに乗って甲府に出て中央線で皆無事で家まで帰ることができた。
 
ところで、夜叉神峠に以前ワンゲルで来たといった。そのように記憶している。それなのに記録が見つからない。メモも写真もない。いったいどういうことなのか。入部する直前に行ったという話を聞いてそのことが記憶をごちゃごちゃにしてしまったのか、わからない。
 
わからないが、86年に行った涸沢のあとワンゲルをやめているので、いったとすればその前になる(こんなこと読者の皆さんにはどうでもいいことですが)。

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まとめ

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北岳から続く稜線が一望
やはり下りは鬼門である。
 
膝を痛めた友人は、日頃山に登っていなかったため、膝が音をあげたのだと思う。もう体は昔のようには若くないということを感じたことだろう(30歳を過ぎると第一段階の体の衰えを感じ始める)。
 
実はぼくだってこの膝の痛みを経験している。
 
この山行の後、しばらく山登りをしなくなった。そして50代後半から少しずつ丹沢の低山に登り始め、少しなれたころにちょっとだけ距離の長い丹沢表尾根縦走をした。そのとき、長い下りの途中で膝を痛め、少しの間全く歩けなくなる。冷たい汗をかきながら、なんとかなだめすかしてようやく下のバス停までたどり着いた経験がある。
 
あの時は本当に辛かった。少し休んで痛みが治ると少し歩き、するとまた痛くてどうしようもなくなりまた休むの繰り返しで、急ぎたくてもどうにもならなかった。
 
あのとき、おそらく友人もかなりの痛みに耐えながら、あの長い下りを下っていったのだと思う。
 
ただ、もうひとりの女性は昔からよく一緒に山登りをしていて、スピードはないけれどいつも元気でいてくれた。その後その女性は海外の山に登ったり、ダイビングの資格を取って世界の海の潜ったりと大活躍をしている。言葉も英語だけでなくスペイン語も話せる。たいしたものである。
 
こうやって振り返ってみると、鳳凰三山縦走はまさに「天国(極楽浄土)にいちばん近い山」なのではないかと思うと同時に、一緒に登った仲間とその思い出も宝物であるということに気づいた。
 
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、このへんで
 
グランテトラ水筒

 

ミニマグライト

 

 

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