10月の連休に屋久島へ行ってきた。
結果的に目的は達成したが、問題があって予定とは違うコースを歩くことになる。
ともかく台風が来なくてよかった。
屋久島には予定通り入れて予定通り帰って来れた。
まあ、それだけでもありがたいことだ。
宮之浦岳ってどこにあるの
昨年の4月下旬に奥秩父にある瑞牆山に登った。
その時、登るペースが同じでぼくより少し年上の女性と、ぼくより20歳くらい若い女性がいた。その二人と前が詰まって待っている時などに言葉を交わすようになった。
一緒に山頂に立った時、休憩しながらしばらく話をした。
そのとき若い方の女性は言った。
「今日ここにきたのはお天気が良いということだったから。本当は宮之浦岳へ登る予定だったけど、天気が悪いということなのでツアーをキャンセルしたんです」
お姉様のほうは、宮浦だけにはすでに登っていて、安い航空券の取り方などをレクチャーしてくれた。やはり天気の悪い日には登らないそうで、お天気アプリを紹介してくれた。
そのときぼくは、宮之浦岳について何も知らなかった。
「宮之浦岳ってどこですか?」
そう尋ねると、ふたりが「屋久島です」と口を揃えて教えてくれた。
屋久島といえば縄文杉
屋久島といえば縄文杉だ。それくらいは知っている。だが、宮之浦岳は知らなかった。
そのときは日本百名山に挑戦すると決めて初めての登山だったのだ(若い頃に登った山もカウントしてはいるが)。
縄文杉の話を直接聞いたのは、およそ20年前のこと。職場に入ってきた新卒2年目の女の子が家族と縄文杉を見るトレッキングに参加してきたという話を聞いたのだ。それはそれは嬉しそうに話してくれた。
そのときはルートなどを詳しく調べることはしなかったけれど、いつかは行ってみたいなと思った。
宮之浦岳縦走計画
日本百名山の制覇を目指して、季節と日程そして旅費のことを勘案しながら次の目標の山を決めている。
とくにこの順番に登ろうと決めてはいない。
今回宮之浦岳に登ることにしたのは、10月の連休に合わせて休みが取れたこと、10月は屋久島に行く航空券代が安くなること、そして10月は比較的雨が少ない時期であることからである。
それに九州の百名山はこの宮之浦岳をのぞいてすべて登っていたので、この山を登れば九州の百名山を制覇することになる。
百名山を登るためのガイドブックとして使っているのは、JTBパブリッシング「日本百名山 山あるきガイド」である。今回はこれに同じ出版社の「日本百名山登山地図帳」を追加購入した。
それらを見てコース設定をしたのが、淀川(よどごう)登山口から入って宮之浦岳に登り、白谷雲水峡に下りる2泊3日の縦走コースである。
具体的には、入山初日に淀川小屋に宿泊し、翌朝、花之江河(はなのえごう)を通って宮之浦岳登頂。そのまま向こう側に降りて新高塚小屋に宿泊。3日目は高塚小屋を通って縄文杉、大王杉、ウィルソン株をみながら大株歩道入口に下りる。それからトロッコ道を通り、楠川歩道入口から辻峠を越えて白谷雲水峡に下山する。
不安なのは、2日目の歩行時間が7時間強となることだ。まだコロナによる体力の消耗が完全には回復していないのだ。
屋久島に入る
羽田を午後の便で鹿児島に入る。積荷の積載遅れのため出発が遅れ、到着は15分遅れとなった。
鹿児島空港で2時間ほど乗り継ぎ便の出発を待つ。その間に夕食をとり、予定より少し遅れて18時ころ屋久島目指して鹿児島空港を飛び立った。
プロペラ機に乗るのは初めてである。ジェット機と比べると遥かに小さい。それでも70人乗りだという。何気なくとった座席だが、ちょうどプロペラが回るところがよく見えた。
プロペラが回り出すと機体が動き始め、滑走路に到達するや一気に回転速度が上がる。それほど滑走しないうちに機体が舞い上がった。
眼下には桜島が見える。自転車日本一周で走った道を目で追っているうちに最南端の佐多岬が見えた。
夕闇が迫り、次第に海も見えなくなった。
約35分で屋久島空港に着陸する。飛行機から降りて歩いて空港の建物に入る。すると先に降りた乗客が大勢壁際に立っていた。
何かと思ったら、建物に入ってすぐのところにカウンターのようなものがあり、そこが預けた荷物を受け取る台であった。ぼくの荷物が早く運ばれて来ないかと見守っていたら、なんとほぼ最後の方になってようやく運ばれてきた。
急いで荷物を受け取ると、建物を出て(すぐに出入り口の扉がある)、あらかじめ調べておいたドラッグストアに歩いて向かう。
買わなきゃいけないもの。それはお酒とつまみ、明日の行動食、そしてライター。ライターは一つだけ機内に持ち込めるが、ぼくのもっていたチャッカマンタイプのちびっちゃいやつは、ライターではないと言われて没収されていたのである。
これらを買うと、再び歩いて今夜の宿に向かう。それは空港から数分のところにあるゲストアウス。そこへ向かう道路は、一部街灯のないところがあって真っ暗だった。そこを抜けるとすぐ右側に建物が見えた。近づいてみると、予約したゲストハウスの名前があった。
ゲストハウスに泊まる
ゲストハウスの外にふたりの男女が椅子に座っていた。なんと声をかけて良いか分からず、思わず名前を名乗ってしまった。すると男性の方が近づいてきて言った。
「いま、お客さんを案内しているので、もうすぐ来ると思いますよ」
どうやらこのゲストハウスの人ではないらしい。後で分かったのは、屋久島が気に入って長期滞在しているゲストであった。
少ししてオーナーの、ねーさんと呼ばれる女性がやって来た。そしてひとまずハウス内を案内してもらい、ルールなどの説明を受けた。
宿帳に名前を記入すると「宮之浦岳にのぼるの?」と聞かれた。
ええ、そうですと答えると、スマホの画面を見せて「明後日は大雨になる予報がでてるよ」という。
歩くルートを話すと、首を傾げられた。
「雨が降るとバスが止まることがあって、しかも大雨だと止まる可能性が高いですよ」
バスで降りてくる日はその翌日なので、山小屋にいれば大丈夫だと思ったが、雨が降れば道は川になり、沢は増水するという。降りようとしている白谷雲水峡では無理に渡渉しようとして亡くなった人もいるという話を聞かされた。
地元にいる人(このねーさんは、関西から移住してきたらしい)から聞かされると、屋久島は本州とはかなり違うように思われた。いろいろと心配をしてくれて、何度も天気予報を見てくれる。
そんなことでぼくも心配になり、登山コースを変更することにした。ともかく入山は荒川登山口として、荒れそうな縦走ルートは採らないこととした。もしも元気なら歩いたかもしれないが、コロナ後で体力が落ちている状況では無理はしない方が良いと判断した。
万一のことも考えて、荒川登山口からのルートも調べて地図も印刷して来ていた。ルート変更することを告げると、ねーさんは明日の朝のバスの時刻と乗り場について説明してくれた。
さらにはおにぎりもひとつ80円で作ってくれるという。それで2つお願いし160円を支払った。
風呂上がりに買って来たせんべいとサワーを飲んでいる時に、外で立ち上がって案内してくれた若者と話をした。
その若者は年の半分近くを屋久島で過ごしているとのことで、このゲストハウスに泊まって近くで仕事もしているということだった。
さらには自転車で日本一周をしていることもわかり、話が弾んだ。かれの日本一周は実は一周どころではなく、日本を隈なく回る旅であったことがわかる。走行距離は22,400キロで、ぼくの約2倍。それを3回に分けて4年かけて回ったという猛者であった。
ちなみにライターが取り上げられた話をしたら、没収されたものとほぼ同じタイプのライターを取りに行ってぼくにくれた。
話し足りない気もしたが、すでに9時を回っていて、明日は早いので話を切り上げてベッドに入った。
翌朝、団欒室に入ると食パンと一緒におにぎりがテーブルに置かれていた。
このゲストハウスでは、朝食としてトースト1枚とコーヒーなどの飲み物1杯が無料になっている。
すでに二人のお客さんが食事をしていて、4時過ぎのバスに乗るとのことである。
それまでのわずかな時間に話をしたところ、二人は別々に来ているが同じ神奈川県からでぼくと同じだった。そのひとりは日本百名山に登っていて、これから登る宮之浦岳でちょうど50座目になるということだった。
つづく。
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