10月7日、荒川登山口から縄文杉を見てその先の高塚小屋、そして新高塚小屋に到着。
靴を脱ごうとしたら、右足にこむら返りが起きそうになった。
平らな道ばかりでそれほど足に負担をかけていないはずなのに。
やはりまだ筋力が回復していなかったようだ。
もし縦走コースを行っていたらどうなっていたか・・・
新高塚小屋で
縄文杉から急に人の姿がなくなったが、これまでのように登山道脇には大きな縄文杉を相変わらず見ることができた。そのうちに霧が立ちこめて高塚小屋についた頃には小雨が降り出した。
ここでレインウェアの上着を着る。高塚小屋の周りには赤い幹のヒメシャラが数多く見られ、雨に濡れて滑るように艶めいていた。ここから新高塚小屋まで霧に包まれた神秘的な森の中を進んでいった。
12時半、新高塚小屋が目の前に現れると、庇の下の奥のほうにひとりの男性登山者が休憩していた。
その手前の入口から小屋の中に入る。中には誰もいない。ただ、上がり框にザックが一つ置かれていた。小屋の中は薄暗かったので窓の近く、そして入口の近くに寝場所を決めてマットを敷き、その上に寝袋を広げた。
さて、まずは水を汲みに行こう。そう思ってポリ水筒を持って外の水場に向かう。すると水場の近くで男女二人がザックを下ろし、これから水を汲もうとしていた。二人の後から水を汲み少し話をする。
男性は大柄な人でザックのショルダーベルトに無線機をつけていた。昨夜は淀川(よどごう)小屋に泊まり、少し明るくなりはじめた頃に出発して、宮之浦岳に登って来たところだという。
「どちらから入ってこられたのですか」
無線機の男性からそう訊かれたので荒川登山口からだと答えた。
「荒川登山口には中にテントを張れるような建物はありましたか」
「りっぱな建物のバスの待合所がありましたよ。これからあそこまでいくのですか」
「ええ、天気が荒れそうなので急いで下りようかと思います。もう、バスは間に合わないのでそこでテントを張るつもりです。テントを張れるような広さはありましたか」
「何張か張れる十分な広さがありましたよ」
「今日はこれからどうされるのですか」
「今日はここに泊まって明日、宮之浦岳に登る予定ですが、明日は大雨の予報だということであさっても続くそうです。明日の雨の状況ではやめるかもしれません。大雨になるとよくバスが運休するらしいですよ」
「今日はもう淀川に入るバスは土砂が崩れたとかで止まっています」
「それじゃ、淀川に下りても足がないですね」
「宮之浦岳まではそれほど難しい場所はないのでぜひ登ってくるといいと思いますよ」
そして、その男性は「われわれよりもかなり早く出ていった女性が心配です。2時間くらい前に出ていったのに割とすぐに追いついてしまったのですよ」
そんなことを言っていた。
話しながら小屋の入り口に向かうと、先に歩いていた女性の方がさっき休んでいた人に待たせたというようなことを言っていた。庇の下に座っていた人はこの二人の連れであった。
小屋に入り、寝袋に入って少し休む。すると雨が落ちる音が聞こえて来た。
4時頃に小屋の外で夕食の支度を始める。夕食といってもモンベルのリゾッタなのでお湯を沸かして注ぐだけだ。それにフリーズドライの味噌汁。
その少し前から少しずつ登山者が小屋に入って来た。5時過ぎに年配の女性ばかりのパーティがぞろぞろと入って来た。小屋の中が賑やかになった。困ったのはヘッドライトをつけてあちこちを見回していること。眩しい。そしてなかなか消してくれない。
屋久島3日目、雨の宮之浦岳を目指す
翌朝は4時からその女性パーティーが動き出し、やはりライトであちこちを照らし出す。大勢が出たり入ったりするだけでも賑やかなのに、さらにこのライト攻撃はやめて欲しかった。
そして小屋に泊まった大方は5時までには出発していった。まだ外は真っ暗である。
ともかくこちらは明るくなってから歩くことにしている。ソロなので怪我をしたら大変だ。雨は相変わらず降り続けているが、大雨というほどではなかった。
午前6時、新高塚小屋を出発する。ヘッドライトは点けているが、すでにぼんやりと見えるくらいにはなっている。
本州では見慣れない姿の木々に見守られながら淡々と登っていく。「今日は誰にも会わないかも」と思う。
黙々と木々の根と根の間を通り抜けていく。それほど急なところはないが、少し急なところには階段がつけられていて、とてもよく整備されていると感じた。
第一展望台という標識がある場所に着いたが、あたりは靄っていて何も見えない。晴れていたら海や種子島が見えるのだろうか。森の中を進むには雨は気にならなかった。すこし開けた場所に出ると雨が直接あたり、少し風もあった。
雨が降るにつれ、登山道に水が溜まり始める。今回の山行のためにダナーライトをリペアして来たが、残念ながらゴアテックスが劣化してしまい水が染みて来た。昨年の雨では大丈夫だったので安心していたが、さすがに30数年も経つとダメらしい。このあたりではまだ靴先の方だけが濡れていたが、下る時にはもう全体がびしょ濡れ状態になってしまった。
そのうち目の前に大きな岩が前を塞ぐように現れた。その岩と岩との間を抜けると、さらに左側の岩がとなりの岩と上の方でくっつき合っていた。そこが平石岩屋だった。時計を見るとここまで約1時間半。
この近辺から高い木はなくなり、その先には笹やシャクナゲの平原が広がっていた。岩屋を越え、いったん下りになると風が強く吹き抜け、雨も激しく当たって来た。
再び登り返したところに平石の標識が立っていた。さらに滑り止めの横木がつけられた板の木道をいくと、その脇のシャクナゲにたった一つ白い花が咲いていた。
雨と霧の中を登っていくと突然男女の登山者が向こうから現れた。誰もいないと思っていたのでちょっと驚いた。そしてそのわずか先が宮之浦岳の山頂だった。時刻は8時20分。2時間20分ほどの短い登りだった。
宮之浦岳山頂の標識前ではひとりの男性が写真を撮っていた。つづいてぼくも記念撮影。自撮り棒は諦めて手で持って撮ったのにも関わらず、風のためにブレてしまった。
それにしてもすごい風と雨だ。昨年4月下旬に登った金峰山を思い出す。あの時もすごい風と雨だった。ただ、あの時は南側の岩陰に入れば風を避けられた。しかし、ここは岩陰に入っても風は相変わらず吹きつけて来た。
せっかく登ってきてあまり早く下りるのもシャクなので、屈んでソイジョイを食べた。見えるのは地面と近くの岩ばかりでまったく景色は見えなかった。
そうして10分ほど滞在して下山を開始した。あの平石岩屋を過ぎればこの風雨は避けられるだろうと思いながら下っていく。ちょっと慌てたためか、木道に滑ってひっくり返る。
平石岩屋につくと、岩の間に入ってみた。なるほど、ほどんど風が来ない。足元には小さな祠が鎮座していた。上には隙間があるので雨は降ってくるが、この静かな空間にほっと一息ついた。
ヤクザルには何度も遭遇した。奴らは歩いているぼくの脇に平気でやってくる。いや逆である。こちらが奴らに近づいていってもちっとも逃げない。こちらが心配になるくらいだ。
そこにいたのは子ザルで、近づいていくと親ザルが飛んできた。襲われるのではないかと心配していると、他のサルも数匹やって来て集団で離れていった。その後もこうした集団をいくつか見かけた。
だいぶ下りて来た頃、今度は木の根に滑って転ぶ。さっきよりはバランスを保てたのですぐに立ち上がれた。少しして後ろから背の高い登山者が迫って来た。足場の安定したところまでいって道を譲った。若者だった。今朝から出会ったのはこれで3人(組)目だ。
10時半過ぎに新高塚小屋まで戻って来た。ここでザックを回収だ。実はほとんどの荷物をここに置いて、小さな袋に行動食と水、非常用のセット、それにツェルトがわりのポンチョを入れてそれを背負って山頂を往復してきたのである。
昨日小屋に入った時に置いてあったザックも同じようにして山頂を往復して来た若者が夕方回収していった。無線を持った男性は、その若者は荒川登山口から最後のバスに乗ると言っていたそうだ。だとすればものすごい健脚である。
ここで荷物を整理し、ついでに昼食。11時40分、新高塚小屋を出発し高塚小屋に向かった。
つづく。
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