11月5日、開聞岳に登るため指宿にやって来た。
3年ぶりだ。
前回は大隅半島の根占からフェリーで山川港に入港した。
根占からみる夕日が開聞岳の方に沈む景色は今でも強く心に残る。
山川に着いてからは山川温泉の砂湯に行った。
そこからの開聞岳の存在感も圧倒的だった。
5日目、開聞岳に登る
11月5日、えびの高原を出発し、午後4時過ぎに指宿のゲストハウスに到着する。その後は宿でのんびり過ごす。
今朝は霧島山に登り、下りではヘトヘトになってしまった。早めに夕食を済ませて8時頃にはベッドに入る。
翌朝は午前4時に起床。まだ暗いうちに宿を出た。
ゲストハウスの駐車場は徒歩1分くらいの場所にある。車に乗り込み、ナビをセットしようと思うが今回も目的地を見つけてくれない。またもやスマホのGoogleマップに頼ることになった。
ただ、前日の現在位置がとんでもないところを指し示すことはなく、GPSが正常に働いてはいた。
6時20分、かいもん山麓ふれあい公園横の登山者駐車場に車を停める。駐車場が一杯にならないうちにと急いできたのだが、停まっていたのはバイクが1台だけだった。
これから先はトイレがないとのことで、公園のトイレに寄って6時30分登山開始。
正面には開聞岳が聳え立っている。真っ直ぐに車道を少し進むと二合目に着く。ここからいわゆる登山道に入っていく。
登山道はまるでジャングルの中のようだ。眺望はきかないし、木々も南国ムード満載。そして切り通しのように斜面が削られたところがたくさんある。足もとは細かい砂でちょっと歩きにくい。
上空では、夜が明けたばかりなのでさまざまな鳥たちの鳴き声が姦しく飛び交っている。
鳥の声が静かになってきた頃、砂の登山道は砂利の登山道に変わった。これはこれでまた歩きにくい。まあ、こうした変化があるから面白いのだが。
倒木処理だろうか。太い丸太が転がっていた。それに登山道の真ん中にどーんと丸い大きな石があったりする。
景色が見えないので楽しみは登山道を観察することになる。あとは黙々と瞑想のように登っていくだけだ。
登山は瞑想
ここからは瞑想のような脳内のつぶやきである。
先日泊まった南阿蘇でのこと。
そういえば、南阿蘇の森で夜中に鳴いていた動物のあの「ヒュー」という声は一体何の動物だったんだろう。日が沈んで焚き火を見ていると周りが余計に暗く見え、あの動物の鳴き声を聞いて、本当に深い森の中にいるように思えた。なんとも野性味豊かなゲストハウスであった。
ゲストハウスのオーナーは川崎でパリダカなどのラリーの支援をするようなバイクショップを経営していたという。
泊り合わせた宿泊客は僕の他に千葉から来たと言うお母さん。若い頃からヨーロッパを1人で回ったりして旅慣れているようだった。今回も旦那さんと子供を残して1人で旅に出てきたという。なんて理解のある家族だろう。うらやましい。
もう1人は徳島から来たと言うライダーで今年からツーリングを楽しむようになったらしい。以前バイクを買ったところで海外赴任をすることになり、なんと10年位バイクを保管していたそうだ。ようやくバイクに乗れるようになり、乗ってみたらとても楽しかったということだ。きっと今は楽しくて仕方ない状態だろうなあ。これもまたうらやましい。
ただ、うらやましいけれども真似しようと言う気にはならない。そこが若い頃と違っている。今は自分のやりたいことを自分が決めた目標に向かってまっすぐ進んでいる。
それにしても、今何かをやると言う事は何かを犠牲にするということである。同時に様々な事はできない。
大切な命の時間を今そのことにつぎ込んでいるのである。他の事は犠牲にしているのである。だから今この時はに集中して生きなければもったいない。今この時を生きるということはそういうことだ。
無駄な人生を生きないというこは今に集中することなのである。
再び現実
四合目の標識が見えてきた。だいぶ体も温まってきたので上着を脱ぐ。
しばらく歩くと砂利がほとんどなくなって歩きやすくなる。そう思っていると五合目に到着。そこにはデッキのような展望台があった。
そこに一人の登山者が腰掛けていた。ぼくがやってくると走って下りて行ってしまった。駐車場に停まっていたバイクの人だろうか。
ここまで約1時間かかった。ここまでの速度は平均タイム以下だった。さらに暑くなったのでここでもう1枚脱ぐ。
展望台に立つと朝日が反射する海が見えた。
五合目を過ぎるとまた砂利道になる。いわゆるザレ場である。石は削られて丸みを帯びていた。するとイテテテ、張り出した木に頭をゴツンとぶつけた。下ばかりみていたせいだ。
しかし、下は下でコロコロとよく滑る滑る。
エネルギーのメーターがもうあとわずかしか残っていない感じだ。できるだけ消耗しないように登っていく。まだ五合目を過ぎたばかり。あと半分がんばれ。
開聞岳登頂
九合目から上は岩が多くなる。その岩が露で濡れていてツルツルと滑って怖い。
五合目から上も展望はきかず、7.1合目という変なところで再び見晴らしが良くなる。開聞岳の登山道は渦を巻いて登っていくので、ここから見えるのは海である。
そしてそこに屋久島や種子島が見えるはずだが、今日は霞んで見通せなかった。
再び木々に覆われた道に入り、九合目の上で再び下が見えた。今度は山の西側、海岸線が見える。
その手前で先行者に追いつき、この見晴らしの良い場所で言葉を交わす。地元の方ですかと問うと、そのぼくよりすこし年配の男性は、佐賀から来ているということだった。
その男性からつい先日、熊本の黒峰山で遭難事故があった話を聞いた。3人で登っていて一人だけ途中から下山したそうだ。その下山した女性が遭難したのだという。あらためて気を引き締めた。
その方はゆっくり行くと言ってぼくを先に行かせてくれた。
その後も滑る岩に気をつけながら登っていき、9時5分、開聞岳に登頂する。
山頂からの景色はやはり少し霞んでいるのが残念だが、何とか佐多岬まで眺めることができた。
山頂には誰もおらず、下山する人にも合わなかったので、今日はおそらくぼくで二人目の登頂者だろう。
岩に腰掛けてレトルトのサツマイモなどを食べていると、山頂にはすでに5、6人の人が登ってきていた。
9時10分、下山を開始する。すると九合目のちょっと下までで10人くらいとすれ違った。
下りは人間観察
開聞岳を登り始めてジャングルのようだと言ったけれど、けっこう登山道に木々が張り出していたり、海からの強風のためと思われる倒木も多い。
登りではすでに5回頭をぶつけた。そして下り始めて今ここでぶつけて6回目だ。
この九合目の下でヘルメットを被った少し年配の方に出会う。
「ヘルメットいいですね。私は木に頭を何度もぶつけてしまいました」と言ったら、その方は、
「私はもうこれ以上頭が悪くならないように被ってます」との返事が返って来た。
結局、下りでは3回頭をぶつけ、合計8回頭をぶつけた。擦った回数を入れれば数え切れない。
数え切れないと言えば、下りで出会った人も大勢で、次から次へと登って来ていた。
五合目近くまで降りて来たら、思った通り丸まった石に足を乗せるとコロコロと転がっていく。なんとかしのいで尻餅をつかないように頑張った。
最後まで転けずにいけると思ったところでずっこけた。変な体制で転けるとダメージが大きい。
景色も見えず、ただただ下っているとだんだん登山者の人間観察のようになってくる。
元気な中学生が勢いよく登っていったり、粋なお姉さんが登ってきたかと思うとその後に外人さんがいたりする。
それに夫婦連れも多い。中には奥さんのザックを持ってあげているご主人もいたりして微笑ましい。しかし『自分の荷物くらいしっかり持てよ』と言う自分もいる。
二合目に降りてくると舗装された道になるので、ここで登山は終了といった感じである。
ちょうどそこの角に蕎麦屋の案内看板があり<11:00開店>とあった。ちょうどいい。あと10分だ。少しそちらに歩きかけたが、車で行った方がいいと思い直し、戻って駐車場に向かった。
蕎麦屋はなんとこの日臨時休業。近くのラーメン屋でタレ焼き肉とライスを食べて指宿に戻り、元湯温泉で汗を流した。シンプルな共同風呂でぬる湯と熱湯があった。
リフレッシュしたところで鹿児島に向かう。
途中、「道の駅いぶすき」で石焼き芋を食べる。自転車旅で来た時は、レミオロメンの「粉雪」の歌がずっと流れていたっけ。
この後、無事に鹿児島中央でレンタカーを返却。
近くのゲストハウスに向かう。屋台の誘惑にも打ち勝って、コンビニのビールで食糧の在庫処分。途中でやって来た、広島から来たという還暦の方と2時間くらい話をしたあとベッドに入った。
最後に
これで九州五山巡りは終わりである。
全日晴天で何もかも計画通りに進んだ。おかげで九州の百名山のうち、屋久島を除いてすべて廻ることができた。
今回巡った5つの山はみな火山活動によってできた山で、祖母山だけが火山活動の後に隆起したものだった。
だから、九州は火山地帯というイメージである。実際には断層の運動によってできた山もあるとのことだが、少なくとも九州の日本百名山は火山ばかりであった。
今回、幸運にも五山を巡ることができたが、もしも何かしらのトラブルが発生したらそうはいかなかったに違いない。それくらいタイトなスケジュールだった。
まるでひとりだけの登山ツアーに参加したような感じだ。なんだか予定をこなしただけのように感じられる。もちろんそのことには満足しているのだが、残念ながら旅をしたという感じがしない。
限られた日数と予算のなかで欲張ったためである。
でもやはり、旅というものは思いがけない出来事が起こったりするのが面白い。それがたとえトラブルでもだ。
ぼくは旅というものをそんなふうにとらえている。
九州五山巡り6日目の最終日、朝一番のバスで空港に向かう。飛行機も予定通り飛んで昼前に自宅に戻って来た。そして午後から仕事に出かけた。
2022年、あといくつ登れるだろうか。
では、このへんで
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