天城山に登るため、前日に麓の伊東市内でキャンプをした。
最近は登山がメインで、テントで泊まるにしても食事は弁当かアルファ米などの簡単なもの。
一般的に野営を楽しむというのがいわゆる「キャンプ」だというイメージがあるが、登山がメインだとそれは本来の意味の野営または野宿というものになる。
そこで、これからの冬山登山で高山には登れないぼくなので、キャンプでも楽しもうかと考えた。
今回は、その準備段階として、これまでのただ寝るだけという野営にちょっぴり味付けをしてみることにした。
ミニ焚き火と夕食
共同温泉からキャンプ場に戻り、バイクのエンジンを切る前に明かりを準備する。
まずはLEDライト。そしてもう一つ持って来たキャンドルランタンに火を灯す。
キャンドルランタンは実用性には欠けるので、単に雰囲気を楽しむためである。
バイクのエンジンを切ると穏やかな明かりだけとなる。
つづいて焚き火の用意。今回持って来たのはCan★Doで購入した「組立式コンパクト焚き火台」(税込550円)だ。ソトのミニ焚き火台テトラによく似ている。
薪(焚き付け用ファイアーウッド)も一緒に売っていたものを持って来た。これは半分折って入れるとちょうど良い。
焚き付けに少しナイフで切り込みを入れただけで簡単に火がついた。だが、燃え広がらずにすぐに火が消えた。
もう一度、同じようにして、今度はほったらかしにしないで火を育てていくとバッチリ燃え広がってくれた。
さて、夕食の準備だ。といっても米を忘れて来たので、メスティンやらアルコールストーブの出番はない。
まずは鰯のハンバーグ。そう書いてあるが、これは小判型のちょっと大きいさつま揚げ。
これを焚き付けの棒に刺して焚き火で炙る。これが実に美味い。そしてビール(もどき)にとてもよく合う。
こうして食べそして飲みながら、つぎに鰹のたたきをナイフで厚めに切っていく。醤油皿は鰯バーグの載っていたプラの容器。
ちょうどよく、焚き付けの中には切り込みが入っている割り箸の出来損ないが入っていた。
これを使って箸にする。これなら箸が燃えても構わないのでかつおのたたきをさらに炙ってみた。うまい。
最後は鯵のにぎり寿司でしめた。
料理とは呼べないが、こうして、十分キャンプを楽しんだ(すこし食べ過ぎだが)。
星空と夜景
この時期は虫が飛んでいないのが何よりいい。ただし地面を這う虫はいる。とくにじめじめした場所は注意したほうがいい。
さて、後片付けをして寝ることにしよう。
焚き火は寿司を食べる頃にはほぼ燃え尽きて、灰はすでに冷たくなっていたのでゴミ袋に入れる。
そういえば、最後にバナナを食べた。これは家から持って来たもの。その皮を小さなビニール袋に入れた。そして翌朝もバナナを食べるつもりでいたので、そのビニール袋はテントの前に移動したアルミテーブルの上に置いておいた。
明かりを消すと、遠くの眼下に街の明かりが煌めいていた。空は雲がかかってその間から少し星が見えた。
こうして20時就寝。夜露がかなり降りて来ていて、タープはびしょ濡れ、テントの後側もタープの端なので結構濡れていた。
寒いと思ってシュラフは冬用を持って来た。ところが意外に暖かい。逆に暑過ぎて眠れないので足元のファスナーを開けてみた。そうしたらちょうどよくなって眠ることができた。
<カタッ>という物音で目が覚める。外で動物の気配がした。とっさにしまったと思う。
あれはテーブルに寝かせて置いておいたビールの缶が落ちた音だ。狙いはあの生ごみだろう。
急いで起きて外に出る。きっとビニール袋が破られて中身が散乱しているだろうと思った。
ところが、なにも散乱していない。だがよくみるとビニール袋が丸ごと無くなっていた。やっちまった。近所の皆さんごめんなさい。
スマホで時間を見るとちょうど午前0時だった。
この時雲が晴れていた。満天の星空が素晴らしい。キャンプ場には照明はないが、すぐ上の家の照明が明るすぎるのがちょっと残念に思える。
星座には詳しくないが、オリオン座くらいはわかる。真ん中の三つ星の下の方にひときわ輝く星が見える。あれがシリウスなのだろうか。最近読んだ茂木誠氏の書いた「ジオ・ヒストリア」(笠間書院)に影響されてそんなことを考えながら再びシュラフに潜り込む。
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テントを撤収し登山口へ向かう
夜中の3時頃に目覚めたが、まだ早すぎるので再び寝る。そして起きたのは5時半。予定では7時出発なのであと1時間半。
テントの内側はかなり狭くなっていた。夜露の重みのせいである。頭や服が濡れそうなのでレインウェアを着てから朝食の用意をした。
朝食は温めるだけの玄米かゆ。これに家から持って来たたらこを入れて食べる。
そして急いで撤収。だが、あまりにびしょ濡れなので雑巾で軽く拭き取ってからタープ、テントと片づけていく。
結局、出発できたのは1時間遅れの8時になっていた。
暖かい夜だったので凍結の心配はないと思ったが、濡れている場所は慎重に走った。今朝もそれほど寒くない。
だが、県道111号線に入るとどんどんと高度を上がっていく。それとともに空気が冷たくなって来た。
スーパーカブもほぼ3速でないと登れない。ときどき2速に落とすこともあった。
8時半、111号線の終点の天城縦走登山口に到着する。
天城山登山
天城というと、石川さゆりの『天城越え』、あるいは松本清張の同名の小説が有名である。しかし、天城山という山はない。
天城山というのは天城山脈あるいは天城連山といって複数の山の総称である。
今回登るのはその中の最高峰である万三郎岳(ばんざぶろうだけ)と万二郎岳(ばんじろうだけ)で、さらに登山口から反対側の遠笠山にも登ろうという計画だ。
広い駐車場の片隅にバイクを停め、ライダージャケットを脱ぎ、膝プロテクターを外してビニール袋に入れて登山の準備をする。それからちゃんとした水洗トイレを利用させてもらう。
天気は良いが風は冷たい。登山道入り口は道路の反対側にある。8時55分、天城縦走登山口から万二郎岳を経由して万三郎岳を目指す。計画よりほぼ1時間半遅れでの出発である。
初めは少し下ってそれから上り下りを繰り返す。道は濡れていて落ち葉がたくさん落ちている。
一昨日降った雨のせいかそれとも霜が解けたのか。所々ぬかるんでいて、これは降りてくるまでに泥だらけになりそうだ。
登山道はほぼ落葉樹ばかりの樹林帯で、そのため明るい。アマギツツジやリョウブといった今まであまり見たことのないような木がたくさん生えていて根が張り出している。針葉樹の根と違い細くてくねくねしている。
万三郎岳へと向かう道とつながる四辻を過ぎると、しばらくそのままなだらかな上りが続く。さらに少し行くと開けた沢筋が現れた。水は流れていない。
そこから下を見渡すと天城高原がみえた。その向こうにはうっすらと山が見えている。
ここで小休止だ。
腹が減ったのでソイジョイを食べる。そして少し暑くなってきたのでレインウェアとライトシェルパンツを脱ぎスパッツをつけた。
この沢を過ぎると登りがだんだん急になっていく。頑張って登りつめるとシャクナゲの群生する林の平らな道になる。
そしてそこが万二郎岳山頂であった。10時15分だった。
あいにく曇ってきてガスがかかり景色は見えない。万二郎岳山頂を過ぎて急坂を下り、ふたたびなだらかな道になる。さらに進むと右手にさっき下に見えた高原が見えている。どうやらそこはゴルフ場のようだ。
その見えている辺には日が当たっているが、ここは薄い雲の中で日が当たらない。
このあたりから万三郎岳まではなだらかな尾根の縦走路で、馬の背という大きなコブのようなところを過ぎ、ほぼ中間地点の石楠立(はなだて)というちょっと読めない字の場所を一つの区切りとする。
ずっと左手の南側はガスがかかっていてほとんど何も見えない。右手の北側は多少晴れていてときどき木々の隙間から相模湾の海岸線がかすかに見えた。
もし晴れていて遠くまでよく見渡せたら気持ちの良い縦走路なのだろうが、どうも中途半端な天気でもどかしい。
アセビのトンネルという群生地を過ぎ、なだらかな道を淡々と進んでいくと11時35分、万三郎岳山頂に着いた。
なんだか登ったという感じがしない。そこは大勢の人が思い思いに食事を作ったり食べたりしていた。
例のごとく記念写真を撮ろうとしたところ、山頂の標識のところに帽子をかけて休んでいる人がいたので、とりあえず昼食とした。
そのあと来た人がその人に声をかけたらしく、帽子やトレッキングポールをそそくさとどかしていた。
12時ちょうどに下山開始。計画よりも1時間遅れなので、約30分は短縮したことになるが、この調子だと予定しているもう一つの遠笠山に登るのは厳しい。
下山を開始してすぐに急斜面が現れる。ここは岩が滑りやすい。そのうえ、丸太で作られた階段は壊れたり土が削られたりですこぶる歩きづらい。
危険なので慌てずに慎重に下っていく。
急坂が終わると広い尾根の斜面を横切り、そのあとは急な谷間の斜面をトラバースしていく。もちろん左側も急斜面がつづいている。
谷間なので何度か沢筋を越えていく。ほぼ水はなくあっても小さな沢となっている。
こうしてほぼ標高の変わらない道を進んで行き、ようやく急斜面から抜けた頃にはかなり脚にきていた。四辻を目標に歩いていくが、似たような場所が何度も訪れ、その度に期待が裏切られる。
13時50分、ようやく四辻まで戻って来た。そして14時5分、登山口駐車場に到着した。計画より35分遅れまで挽回したが、遠笠山に登ってくると16時を過ぎてしまう。おそらく木々でかなり暗くなるだろう。それにもう疲れてしまった。
そもそも欲張った計画だったと思い、ここは無理をしないことにした。
靴を洗ったり、残った食料を食べたりしてゆっくり休み、15時に帰路についた。
最後に
今回の登山は、九州の旅の疲れが抜けていないのか、あるいはゆっくりしすぎて体が鈍ったのかはわからないが、どうも魂が抜けたような登山になってしまった。
今年の日本百名山の挑戦はひとまずこれにて終了とする。ただ目標をこなすだけの登山にはしたくない。
来年、また気持ちを切り替えて挑戦を続けたいと思う。
天城縦走路は、まっすぐ進んでいけば天城峠まで続いている。そこの天城隧道にも行ってみたいなあと考えている。ただし、徒歩ではなくて。
では、このへんで
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