Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

再会した旧友と一緒に登山する 【八甲田山】その2

井戸岳の先に大岳がみえる

残念ながら友人と一緒に八甲田山登頂は果たせなかった。

しかしながら、前回歩けなかったところを歩くことができた。

そしてなによりも、友人と再会したくさん話ができた。

僕はふるさとというものを持たない。

生まれ故郷を愛する彼との再会はちょっぴり羨ましさを感じ、また、ちょっぴりふるさとにいるような気持ちにしてくれた。

 

大岳を往復

井戸岳の火口

井戸岳で声をかけてくれた人を残して一足先に出発した。

井戸岳の標識のあるところから歩き始めると、右手が火口になっている。つまり火口の淵が登山道となっている。

 

高田大岳

右手を見ると三角のお山が見えた。近くを歩いている人が、

「高田大岳はいい姿をしているなあ。あれなら皆登りたくなるよな」と一緒に登っている人に話しているのが聞こえた。なるほど、あれは高田大岳というのだな。

 

大岳鞍部避難小屋には10分で着いた。しっかり階段が付けられていたが、丸い岩がごろごろしていて滑りやすかった。

 

いったん下ってから大岳に取り付く

避難小屋の前にはベンチが置かれ、多くの登山者が休んでいた。歩き始めたばかりなので休憩を取らずに大岳に取り付く。

 

この日は人が多く、どんどん人が下ってくる。しかし道が広いのですれ違うのも楽だ。

避難小屋から25分で大岳山頂。

 

ここは二度目なのだが全く記憶がない。随分と広い山頂だった。ここでも多くの登山者が休んでいて、思い思いに昼食をとっていた。

 

以前来た時にここから写真を撮ったので、井戸岳という名前は覚えていなかったが山容には見覚えがある。それを確かめることができたのは今回の収穫だ。

 

初めて登ったような気持ちになる

 

火山の成り立ち

 

広い山頂

 

毛無岱を行く

同じ道を下っていく。

すると目の前にはずっと井戸岳が見えている。だから記憶に残ったのだろう。

 

再び大岳鞍部に降りてくる。ここから酸ヶ湯まで4.6Km。その途中に湿原の毛無岱がある。前にここを通ったときは10月初旬、草が紅葉していて別世界に迷い込んだようだった。

 

今回は、残念ながら上から見たところではまだちょっと早過ぎたようである。

 

樹林帯の中を下ると前が突然パッと開ける。それは記憶通りだった。しかし覚えていたのはそれくらいだ。なにしろ38年も前のことだ。

 

けれど、忘れるからこそ同じ景色(本当は全く同じ景色などないけれど)を見ても感動できる。

 

今回はローカットシューズで来ているので木道も歩きやすい。サロモンは濡れているところでは靴底が滑りやすいのが欠点だが、今日は晴天なので問題ない。

 

それにしても狭く視界の効かない樹林帯から広くて明るい湿原にでると、気持ちまで広く大きく膨らんで明るくなる。それがなんとも心地よい。

 

毛無岱の湿原は上毛無岱と下毛無岱とがあるが、なるほどその境が急坂で段丘になっていることが歩いてよくわかった。地形図をよく見ればわかるはずだが、やはり実際に歩いてみるのが一番だ。

 

この急坂には細かく階段がつけられていて、こういう場合には腰をくねらせて下ると歩きやすく、早く下れることがわかった。

 

また、途中にはそれぞれ展望台というものがある。それはいわゆる高い場所にある展望台とは違って、一段高くなった台といったものでテラスと呼べそうである。

 

そこにベンチが設置されている。その上でゴロリと横になっている人がいた。気持ちよさそうだ。混んできたらちゃんと立ち上がって歩いて行った。

 

振り返れば青空の下にさっき通った赤倉岳や井戸岳、大岳が見える。ロープウェイのアナウンスで教えてもらったアオモリトドマツの樹林帯がその裾野に広がっている。

 

上毛無岱展望台

 

丸沼

 

後ろを振り返る

 

上毛無岱から下毛無岱を見下ろす

 

池塘が空をさらに大きくする

 

下毛無岱展望台

 

湿原と八甲田山に別れを告げる

 

青年を新青森駅まで送る

湿原を満喫して毛無岱を後にする。木道ともお別れだ。

 

なだらかな湯坂を下っていく。酸ヶ湯では友人が待っているはずだ。

 

ちょっと急いで下ったつもりだったが、標準タイムより5分ほど早いだけで15時10分に酸ヶ湯に到着。

 

酸ヶ湯温泉の駐車場が見えた

酸ヶ湯温泉に到着するとすぐに友人の彼女が見つけてくれて手を振ってくれた。こちらも手を振り返す。

 

友人は引き返すのも大変だったらしく、酸ヶ湯にはつい先ほど到着したばかりだという。そして、登山中に出会った人を見かけたので声をかけたところ、これから新幹線で千葉に帰るというので新青森まで送っていくことにしたということだった。

 

トイレに行き、顔を洗って車に戻ると20代の青年がいた。彼も日本百名山に挑戦中だという。現在30数座登ったところだというので僕とほぼ同じくらいのところだ。

 

車内でいろいろと話を聞くと、誘われて筑波山に登ったことがきっかけで百名山を目指すことにしたそうである。初めは友人と登っていたが、日程を合わせたりするのが大変なので現在はほぼソロ登山をしているという。

 

青森には昨日来て岩木山に登ったということだった。あいにくガスが出て景色は見れなかったとのこと。そして今日は八甲田山に登ってそのまま帰宅するという1泊2日の旅だそうだ。

 

僕の友人は滅多に青森までくることはないそうで、ナビがついていたが行き先の設定がされておらず、だいぶ遠回りをして新青森駅に着いた。

 

青年は次第に話をしなくなっていた。道を間違えてああだこうだと騒いでいたのだから不安になるのは当たり前だ。それでもなんとか予定の列車が出発する前には到着した。

 

青年と別れてから友人の家まではけっこう時間がかかった。途中で日が暮れだす。しかし街中を離れるとなかなかいい道が続き、見慣れない背の高い木々の中を抜けて八甲田の太平洋側の道を進んで行った。

 

八甲田夕まぐれ

 

話は当然、明治時代の八甲田雪中行軍の話になる。友人は何度も映画を見たそうでストーリーやらキャストやらの説明をしてくれる。新田次郎の原作も読んだとのことで、原作との違いなども教えてくれた。

 

途中、道案内をした南部の青年が、その日のことを固く口を閉ざしていたという記念碑に立ち寄った。律儀な南部人気質を象徴するできごとで、こうした南部人気質を友人がとても愛していることが感じられた。

 

僕が津軽弁のことを言うと、それは南部弁なのだという。もともと津軽藩と南部藩は仲が悪い。それは津軽氏が国司の北畠氏を滅ぼして南部藩から独立したからだという。風習も方言も違うのだそうだ。

 

7時頃に友人宅に到着。シャワーを浴びて居酒屋に行く。運転は友人の彼女がしてくれた。

結局閉店まで飲み、友人宅でも缶ビールを飲んで寝たのは3時過ぎ。

 

翌日は7時に起きて玉ねぎの苗をホームセンターに届ける仕事を手伝った。

 

自転車日本一周で立ち寄った時もお手伝いをしたが、店に並ぶ苗を生産者がどのように管理しているのかがわかって面白かった。

 

 

 

最後に

今回の旅はどちらかというと登山よりも友人と会うのが主であった。

この歳になってこうした旅ができるのはありがたいことである。

友人の母上にも再会し、おいしい朝食をご馳走になった。

また、彼女ができて友人が明るくなっているのがとても印象的でこちらまで気持ちが明るくなった。

 

ホームセンターに苗を納品後、港を案内してくれた。彼が生まれ育った土地を愛していることが窺い知れた。そして青い森鉄道の三沢駅まで送ってもらった。

 

彼はNHKの青年の主張に選ばれた。その仲間達とのご褒美旅行に国や地方の職員研修で参加したひとまわり上のものたちがドイツで2週間一緒に過ごした。

旅行中に起きたトラブル。それをバネに結束力が強まった。そんなことがこうして30年後も友人関係を築いている。感謝。

 

では、このへんで

 

 

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