八甲田山に登った後、おいらせ町の友人宅に泊めてもらう。
近くの居酒屋で大いに飲み食べた。そして大いに語り合った。
友人宅に帰ってから飲み直し、さらにしゃべった。
おかげで翌朝は声が掠れていた。
楽しい時間は過ぎ、今度は次の目標の岩木山を目指す。
友人と別れ弘前駅に移動
三沢駅まで友人に送ってもらい、青い森鉄道に乗る。
青い森鉄道はJR東北本線の青森県内部分を第三セクター鉄道が引き継いだものだ。
青森県内を走る東北新幹線とは別ルートになる。
今回、この鉄道に乗るのも目的の一つだった。
昔JRだった頃は寝台特急に乗って走ったくらいで景色を眺めたことがない。
三沢駅は、バスと鉄道のターミナルビル「三沢駅前交流プラザみーくる」の2階にあった。2階には机や椅子が置かれ、観光案内所などもある。
1階はバスの待合所になっていて、その反対側にそば屋があった。次の電車を待つ間、このそば屋で昼食。
ホームに入線してきた電車には青い可愛いイラストが描かれていた。時間になるとつぎつぎと乗客が現れた。よかった、思っていたより人が多い。
始め友人の家の最寄り駅まで送ってもらったのだが、次の列車が来るまで1時間以上時間があった。それで三沢駅まで送ってくれた。その最寄り駅は有人だったが隣は無人駅だと言う。この鉄道が今後も存続してくれることを願う。
こうして景色や乗客を眺めながら行こうと思っていたが、夜行バスと昨夜の睡眠不足のために眠ってしまった。乗った時はガラガラだったが、青森の手前で目が覚めてみると、座席は全て埋まり座れずにいる人もいた。
終点の青森駅でJR奥羽本線に乗り換える。昨日、若者を送って行った新青森駅は一駅目でおよそ6分の距離だった。そこで多くの人が下車した。僕はそのまま弘前まで乗っていく。
弘前では宿を取った。GOOD OLD HOTEL と言う名前のホテルだ。これがちょっと変わっている。場所は弘前駅からはちょっと離れているが、周りは飲み屋の多い場所だ。
そこには地方でよく見かけるたくさんのスナックなどが入っているビルがある。その中の一つのビルがホテルに改造されていた。部屋も◯◯号室などと言うのではなく、店の名前がそのまま使われている。扉を開けるまでは飲み屋街そのものなのである。
僕の泊まった部屋は「うさぎ」といった。受付には誰もいなかった。事前にロック解除番号がメールで送られてきて、その番号を入力して扉を開ける。
中は広くてベッドも2つある。その辺のビジネスホテルより快適だ。おまけに値段も安い。
まずは風呂に入り、それから夕食を食べに行く。ついでに明日乗るバスの停留所を確認しコンビニで明日の朝食を買う。なんとファミマにはご当地名産のりんごのお酒「シードル」が売っていた。夕食時にビールを飲んだが部屋に戻ってからシードルもいただいた。
厳かな岩木山神社から岩木山を目指す
午前7時ホテルを出発。江南バスはPASMOが使えないのでコンビニでチョコを買ってお札を崩す。
本町バス停7時20分発、岩木山神社前に7時50分到着。岩木山神社は荘厳な佇まいで、霊感のない僕でさえパワースポットであることを感じ取れる。
まずは本殿に向かう。石段横の立派なお浄め所で手を洗い口をすすぐ。続いて本殿に参拝をする。財布はザックの奥にしまってしまったので申し訳ないがお賽銭は無しだ。
参拝が終わって登山道を探すがよくわからない。掃除をしているおばちゃんに道を尋ねると石段の左手を指差した。特に登山道とか案内の標識は置かれていない。おばちゃんにお礼を言ってそちらに向かう。
少し登ったそのすぐ上に登山道の案内板があった。山頂まで4時間15分。ひたすら登りである。
岩木山神社左手の静かな山道を少しずつ進んでいく。それにしても今日は体が重い。夜行バスで来て八甲田山に登り友人と夜中の3時まで話していた罰だ。
それでも昨夜はシードルを飲みながらうとうとしてしまうくらいに十分睡眠は取れている。無理をせずマイペースで登っていこう。
15分ほどで岩木山神社の森を抜け、車道に出た。その先は桜林公園である。きれいに整備された公園で低い階段をまっすぐに登っていく。ここを抜けるとスキー場のリフト乗り場になる。その入り口に登山ポストがあったので届けを出す。
スキー場を横目に見ながら上っていくと、登山道入口でそこから道が左手に向かっていた。登山道にはドングリがたくさん落ちている。種類はわからないがコナラとかクヌギの類だろう。その後も広葉樹林の中をなだらかな上りがずっと続いていく。
途中、「七曲り」とか「カラスの休み場」などがある。おそらくこうした中間目標を作らないと、昔の人も登るのがきつかったのだと思う。
「熊出没注意」の看板があったので熊鈴をザックにつける。鈴はあまり音が響かないので、もう一つ音がよく響くベルをつけようかと思いながら登る。
気温は少し涼しくてちょうど良いのだが、何しろ湿度が高い。僕は普段あまり汗をかかないが、今日はもう既にかなりの汗をかいている。腕まくりをしていたら蚊に食われた。痛しかゆしである。
その後は視界の利かない単調な上りが続く。焼止りヒュッテまで550メートルのところに標識があり、「ダケカンバ」と書いてある。すぐ近くにそのダケカンバが生えており、枝の間から下界を見通すことができた。所々に霧がかかり、その向こうには連なった山並みがみえる。
そこから再び登り始めるとをさらなる急坂で息が切れた。
しばらく登ると遠くの山々が見渡せる絶好のビューポイントに達した。そこから道は右に巻くように平坦な道が続いている。するとすぐにブロックで作られたような建物が現れた。おそらくこれが焼止りヒュッテだろう。特に看板は見当たらない。
それにしても「焼止り」とは面白い名前だ。その少し先へ行くと今までになかった岩場が現れた。おそらく溶岩がこの辺で止まったので、それで焼止りというのではないか。
沢沿いの道というより沢登り
そこからは沢沿いの道を登っていく。というよりも一部は沢の中を進んでいく。水に浸かることはないがまさに沢登り状態だ。
今回はテント泊ではないこともあり、また高速バスに乗るのですぐ脱ぎ履きができるようサロモンのローカットシューズでやってきた。軽くて快適ではあるのだけれど、どうも濡れた石の上では滑り易い。滑りそうなところだなと思っていると案の定ずるっと滑った。気をつけなくては。
それまで晴れていたが12時半頃から上の方に雲がかかり出した。
沢を上り詰めて稜線に出ると「種蒔苗代」という標識がありそこに池があった。その時鐘が鳴った。音がしたほうを見上げると霧の中に霞んで小屋が見えた。あれが鳳鳴ヒュッテだろう。
ヒュッテの中に入ってみた。そこは避難小屋で奥の壁に二段の棚があり、一応二段ベットが二つ並んだような格好になっている。表に銘板がはめられており、そこに当時高校生4人が雪山登山で亡くなったことから寄付によって建てられたことが書かれていた。
つづく。
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