就職してから定年退職するまでの間、あんなにも大勢で山を歩いたのは後にも先にもこの時だけだ。
貸切バスの夜行車中泊山小屋1泊の山行。
雨あり晴れあり転倒あり。そして宴会あり。
関東の北の湿原から高峰に登頂して下る。
2日間で様々なことを体験した。
楽しくて思い出に残る尾瀬散策について紹介します。
尾瀬散策
まだ職場で人とのふれあいを大切にしていた1983年のことである。勤務先の職員で作っていたワンゲル部が関連する病院職員と合同の山行を計画した。
そのとき僕はワンゲル部員ではなかったが、部員以外にも広く声をかけてくれたので参加させてもらうことにした。
計画は貸切バスを利用した尾瀬散策。6月17日の夜に出発して車中泊し、翌日は尾瀬の小屋に泊まる。翌19日は登山組と散策組とに分かれて鳩待峠に集合し、再びバスで帰るという計画である。
参加表明をして出発の数日前になったとき、小学生のときに遠足で配られたような栞が配られた。
そこには予定のコース、装備や注意事項、そして参加者名簿が載っていた。
参加者は、なんと総勢41名の大集団であった。こちらの職場からは15名、病院職員は26名の参加で、病院での職種は検査技師、レントゲン技師、看護婦(当時は「師」ではなく婦人の「婦」)、そして事務である。もちろん看護婦さんはすべて女性である。
神奈川県から病院職員を乗せた貸切バスが、夜の10時頃に東京のこちらの職場のまえに止まった。
ここでしばらく休憩となり、その間にこちらの職員が乗車していく。
ところが、バスが出発する前から、酒やビールをを買い込んだこちらの職員がバスの後部座席に座って飲み始めた。
午後11時、バスは尾瀬戸倉に向けて走り出した。
後部座席で飲んでいた我々(ただし自分は飲んでいなかった)のなかに地声が大きい先輩がいた。まるで遠足前日の小学生のように、ハイになってしゃべっている。当然その先輩の声の音量が倍増する。
いやー、ちょっとはしゃぎすぎじゃないかなと思っていたら、こちらの職員のリーダーから注意が来た。きっと他の人も、いい加減にしろと思っていたに違いない。それでやっと眠ることができた。
午前4時50分、バスは戸倉に着いた。ここからマイクロバスに乗り換える。
それから約1時間、狭いバスに揺られて午前6時に鳩待峠に到着した。
鳩待峠から山の鼻
鳩待峠はあいにく小雨が降っていてあたり一面がモヤっていた。
ここで朝食をとったあと、皆でそろって準備体操をし、最後に記念写真を撮る。
午前7時、いよいよ尾瀬散策が始まった。
これから向かうのはアヤメ平だ。そして富士見平を左に進み、竜宮小屋をさらに左に折れる。今日の目的地は山の鼻にある山の鼻小屋である。
アヤメ平へ行く道は木道で、それが雨のためによく滑る。何人もが足を取られて尻餅をついていた。幸い僕の靴はニューバランスのジョギングシューズではあるのだが、ソールを三角のちいさなイボイボのついたブルックス製のものに変えていたのでノンスリップだった。
もやのかかった樹林帯を軽快に歩いて行く。
けれどアヤメ平のあたりから雨が激しくなってきた。そのため富士見小屋で昼頃まで休憩し、そのまま昼食。だれかが豚汁を作ってくれ、皆に振舞われた。体が冷えていたのでありがたかった。
ここから足許が濡れるといけないので、ジョギングシューズから持って来ていた登山靴(革製の重いやつ)に履き替えて歩き始める。
すると、これまでとは違いよく滑る。慎重に歩いていたが1度は転び、1度は引っ繰り返りそうなところでなんとか耐えた。大暴れといった感じである。
竜宮小屋の手前、山岳部から湿地帯に降りて来た頃になると雨が上がり、日が差して来た。
ここで、竜宮小屋で山の鼻へ直行する組と付近を散策する組とに分かれた。滑って疲れていた僕は直行組に入る。
今回のまとめ
今回は尾瀬ヶ原についたところまでであった。
尾瀬は尾瀬ヶ原ばかりが有名であるが、山間部もぜひ歩いてもらいたい。
山間部と湿原の両方を味わうことによりそれぞれの良さが引き立つ。
このあといろいとやらかしてしまうのであるが、それは次回に。
それにしても41名という団体を計画から当日の段取りや指示まで幹事の皆さんは素晴らしい働きをしてくれました。あらためて感謝です。
では、このへんで(次回に続く)
当時ニューバランスは日本上陸後わずかでムーンスターが製造していた。
ジミーコナーズが履いていたテニスシューズで有名なブルックス。
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