
先日、2024年に登った百名山を振り返りましたが、それ以前についてもいままで整理してこなかったので、この際に整理してみました。
2023年に登った百名山

まずは一覧表から。

2023年は、前年の12月から冬の間は山に登らなかったため、体力がかなり低下してしまいました。そのため、24年からは体力維持も兼ねて雪山登山の挑戦を始めました。
雪山を始めたのはそればかりではなく、23年の最後に登った鳥取の大山が大雪の降った後で、雪山の美しさにすっかり魅了されてしまったからでもあります。
さて、23年前半は体力が落ちたのに加えて体調がいまひとつ。そんな中でそろそろ始動しなければというあせりの中で、ともかく最初に選んだのが武尊山でした。このときもやはり登り初めから体調が悪く、下山するまでそれが続きました。
しかし、天候に恵まれて素晴らしい眺めを満喫できました。
つぎは恵那山で、夏の暑い中を抜け出して標高の高い場所でテントを張り、だいぶ体調も良くなってきました。しかし、体力的には厳しい山でした。特に神坂峠の分岐手前の急登がきつかった。めずらしくだいぶ水を飲みました。
8月には飯豊山に登りに行き、麓でキャンプしたその夜、調子がおかしいと思っていたら発熱。登山をあきらめてテントを撤収。ふらふらになりながらスーパーカブで郡山まで戻り、ホテルに泊まりました。熱が下がらないのでここで二泊。解熱剤を飲んだらどうにか熱が下がりました。
そして、さくら市内のホテルに一泊して自宅に帰りつきました。検査キットで検査したところコロナだったことが判明。しばらく力が入らず、味覚障害にも悩まされました。
こうして9月は登山ができず、10月になって以前から予約していた屋久島に向かいました。入山の翌日が大雨の予報だったため、縦走はあきらめ宮之浦岳の往復に計画変更しました。大雨の中、どうにか宮之浦岳には登頂し、下の山小屋に泊まりました。この日、バスが運休となっていたことを後から知りました。
この屋久島に登ったあたりから体力も回復してきました。
10月下旬と11月上旬には上信越の四阿山と巻機(まきはた)山に登りました。どちらもスーパーカブで出かけましたが、三国峠の紅葉が見事でした。四阿山では思いがけず雪が降り、寒さが厳しい登山となりました。ところがそれより北の巻機山では快晴とは行きませんでしたが、周りの山々を眺めながらのんびりした登山を楽しめました。
巻機山の翌週は夜行バスで四国へ。レンタカーで剣山と石鎚山に登ってきました。どちらも登山口までが狭い道で、運転に気を使いました。剣山は名前と裏腹になだらかな山で、ハイキングのような登山でした。ところが石鎚山では雨に降られて寒い思いをしながら鎖場を登りました。
ここの鎖場は他とは違い、鎖が岩から離れているところがあり、そのためかはわかりませんが、太い大きな鎖が張られていました。そして鎖の輪の中に靴を差し込んで登りました。霧で周りが見えなかったこともありますが、この三つの鎖場を無事に登り終えたことに安堵し、石鎚山の隣の天狗岳に行くのを忘れてしまいました。
この年は雪に降られることが多く、四阿山に続いて安達太良山でも雪が降りました。前夜にどかっと降ったそうです。一応5本爪の簡易アイゼンは持っていましたが、アイゼンなしで十分登れました。しかし、山頂の風雪はきびしく、急いで下山しました。
翌日は磐梯山に行く予定でしたが、悪天候のため断念し、温泉に浸かって帰りました。
次の大峰山では雪に降られはしませんでしたが、数日前に降った雪が残っていました。上の方では簡易アイゼンを使いました。多くの登山者の方々はチェーンスパイクを履いたり手に持ったりしていました。小屋は数日前に閉鎖され、その前でテントを張りました。
それほど高い山ではありませんが、奈良の山は奥深く谷も切り立っていて険しいところでした。
大峰山の後大台ヶ原へ向かいましたが、近道がレンタカーのナビに表示されず、遠回りをしてしまったため、大台ヶ原全体は歩く時間がなく、一番たかい日出ヶ岳に登っただけで降りてきました。
そしてこの年最後に登ったのが伯耆大山でした。
結局この年はあまり山に登れず、11座に止まりました。
2022年に登った百名山

一覧表です。

百名山挑戦は2022年から始まりました。挑戦することに決めて最初に登ったのが金峰山と瑞牆山でした。4月下旬でところどころにまだ雪が残っていました。金峰山では雨に降られ風も強くて山頂では大変でしたが樹林帯の中は静かでいい山でした。
翌日の瑞牆山は快晴で楽しい登山となりました。ほとんどが岩場でしたが登りやすく楽しい道でした。1箇所だけ氷のため通行に難渋した場所がありましたが。また、登りで一緒になった二人の女性の登山者との山頂での語らいは楽しいものとなりました。
この頃はまだスーパーカブに乗って半年ほどで、このあとの百名山の山行でどんどん距離を伸ばして行きました。
両神山のテント場は快適でトイレも綺麗でした。そのあと遠出して美ヶ原、霧ヶ峰と歩きました。美ヶ原も霧ヶ峰も雲上の楽園といった感じで、登山というよりも高天原の住人になったようでした。
その後、念願の槍ヶ岳に登りました。あいにく時折り小雨が降る天気で山頂付近はガスで何も見えませんでした。霧の中で岩にへばりついている時に恐怖が襲ってきて動けなくなりました。しかし、助けてくれるものはいないと自分に言い聞かせ、勇気を振り絞って登っていきました。梯子も上に出る時が怖かったです。
そして、その夜はババ平でテント泊したのですが、雨に降られて翌朝気がつくと水溜りの中に浮かんでいました。幸いテントがまだ新しく防水が効いていたので浸水はしませんでした。しかし、下山中の雨ではゴアテックスの雨具は浸水してきてかなり濡れてしまいました。ゴアテックスには寿命があることを知りました。上高地の温泉で温まって帰りました。
次の日光白根山でも下山時に雨に降られました。それまではガスもなく遠くまで見渡せました。雨具は新調したので問題はなかったのですが、激しい雨でヘルメットのシールドが曇って前が見えなくなりました。しかたなくシールドを跳ね上げて走りました。
向かったのは中禅寺湖湖畔のテント場。このときはモンベルのムーンライト2型を持っていったのですが、使い古したせいで防水がされずに浸水してきました。
翌朝は幸いにも晴れてくれて、男体山に登りました。最初に頑張り過ぎたせいでへばってしまい。その後が大変でした。男体山はひたすら登りとなるので筋力を使いすぎると回復する間がないのです。ただ、歩調が合う方が話し相手になってくださり、山頂でも一緒にお昼を食べました。
次の常念岳も思い出の残る山でした。蝶ヶ岳からの縦走でしたが、蝶ヶ岳のテント場は超満員でトイレに行くのもテントの迷路を通っていきました。翌日はやはり雨。常念岳の手前で若い女の子の二人連れと知り合いました。山頂に着き、雨で昼飯をどうしようかと考えていたらひとりが食べきれないので小屋で作ってもらったおにぎりを食べてくれないかというのです。それで蝶ヶ岳の小屋まで一緒に帰って来ました。
面白かったのは、赤いレインウェアの子が靴を前に出して見せて
「もうずっと履いているので穴が空いちゃって。年季がはいっているんです」と言っていかにも気に入っているという感じだったが、実は靴擦れを起こしているということで、3人で笑いました。
ところがその先でソールが半分剥がれてしまったのです。これは笑えません。何かいい方法はないかと考えて思いついたのがテーピングテープでした。これをぐるぐる巻きにしたらどうにか歩けるようでした。それからその子が財布を徳沢に忘れて来たという話を聞きました。これはすごい話で、蝶ヶ岳小屋に着いたらその財布が届いていたというもう漫画のような話でした。
つぎの甲斐駒ヶ岳、千丈ヶ岳でも少し雨に降られています。幸い、次の八甲田山以降で降られたのは会津駒ヶ岳だけでしたが、結構雨に降られた年でした。
八甲田は2度目の登山で、地元の友人と登りましたが、彼は途中リタイア。彼の家に一泊し、翌日は岩木山へ。ところが台風が近づいているということで帰りのバスが運休。時間も遅かったので車で来ている方に麓まで送ってもらいました。東京の方でした。
続いて会津駒ヶ岳、燧ヶ岳、那須岳につづけて登りました。檜枝岐のキャンプ場にテントを張りましたが、冷たい雨の中を走っていきました。会津駒ヶ岳は生憎の雨となりましたが、山上には湿原が広がり幻想的な光景でした。しかし、「必ず滑ります」の注意書き通り木道の上で滑って転びました。
燧ヶ岳は登山道がほとんど湿っていてというより水浸しでゆっくり休めるところがなくてとても疲れました。那須岳は3日連続登山の最終日でもうヘトヘトになって下山しました。
滑ると言えば筑波山も石の上がツルツルで、とても気を使いました。そのあとは形の良い甲武信岳に行きましたが、その整った姿は近くでないと見えませんでした。テント泊でしたが、小屋で注文した日本酒が美味かったです。
甲武信のあとに続けて大菩薩嶺に行きました。上の駐車場までの道はカーブが多く、そこを登るのがスーパーカブにとっては大変でした。本当は大菩薩嶺は2度目なのですが、ほとんど覚えていませんでした。
その後は九州の山(九重山、阿蘇山、祖母山、霧島山(韓国岳)、開聞岳)を一気に制覇しました。大分空港でレンタカーを借りて鹿児島空港で返却しました。祖母山の時だけガスで景色が見られませんでしたが、そのほかは遠くまで景色が見渡せました。
この年の最後に天城山に行きましたが、近くのキャンプ場で前泊したところ、テントポールを忘れてしまい、トレッキングポールを使ってなんとか寝ることができました。最初に整地してあとは自然に任せたようなワイルドなキャンプ場でした。
2021年までに登った百名山

とりあえず、登山記録のある山をリストにしました。

ところが先日、登山記録を整理していたところ、1度目の大雪山(旭岳)は写真の記録や記憶は鮮明に残っていましたが、登頂を記したメモが見つからず、登頂日が判明しませんでした。
しかし、立山に登った時と同じ靴(クォーディーのモカシン)で登ったことは確かなので、83年から85年の間だと思われます。なお、時期は秋でした。
この頃は職場の友人と登ることも多く、リストの13座のうち6座はソロ登山ではありません。
なお、記録の見つからない大雪山を除き、他は当時メモ用紙に書いておいたものをこのブログに載せています。
最後に
少々長くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
こうして振り返ってみると、「割と覚えているものだなあ」と我ながら感心しています。
記録のない大雪山も旭川の出張の帰りに登ったもので、綿毛のチングルマが群生していたことを思い出します。
こうした思い出はお金では買えない貴重なものだとあらためて感じています。
これからも時間の許す(身体が動く)限り、思い出を作っていきたいと思います。
では、このへんで
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