Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

念願の劔へ。ところが雷、突風、どしゃ降り!【剱岳】その2

登山2日目は一日中雨。それも大雨と突風と雷。

よってトイレ以外はずっとテントの中。

ひたすら横になって休養。

明日は最終日、なんとか剱岳には登りたい。

お願いだ。雨よ止んでくれ!

 

3日目の計画

ともかく15日は一日中雨。何もすることがないので休養に心がける。

スリーピングマットは40年以上前に買ったロールマット。厚さは1センチのはずだけど、家に帰ってから測ってみると0.8センチだった。テントを張るときにできるだけ出っ張った石は取り除いたのがが、それでもやはりところどころに出っ張りがあってそれが背中を突き上げる。

 

ひさかたぶりに使ったロールマット。一日中寝ていて思ったのは、上向きに寝てじっとしている時は問題ないが、横を向くとさすがに腰がきつい。そして少しズレると上向きでも石の出っ張りが背中に当たった。

 

したがって、たまに横向きにはなるがほとんど上向きで寝ることになった。それでも不思議なもので数時間は爆睡できた。それに雨や風にはためくテントの音さえだんだん気にならなくなっていた。

 

そんな中で食事以外に仕事らしいことをしたのは3日目の計画変更だった。当初の予定では4時起床。6時にテントを撤収して立山三山を縦走し、浄土山にも登って室堂に戻ることにしていた。帰りも夜行バスを予約していて、出発は0時20分なので時間には余裕があった。

 

この雨が上がった場合のことを考えて計画を立て直してみる。剱岳に登って室堂に引き返すには、標準コースタイムのとおりに歩いたとすると、5時に出発しても16時20分の最終バスに間に合わないことがわかった。まずい。

 

最終バスの時刻から逆算すると、12時半にはテントを撤収してこの劔沢を出発しなければならない。だが、日の出時刻は5時半頃。目が悪いのであまり暗い道は歩きたくはない。だから5時出発はぎりぎりのところ。すると削れるのは昼食の時間だ。これは小休止のたびに少しずつ口に入れていけばなんとかなりそうだ。

 

だが、それでもまだ少し間に合わない。

 

そこで地図を見てみると、劔沢を通らずに剣山荘から劔御前小屋に向かうルートを通れば少し時間が短縮できることがわかる。それで、出発前にテントを撤収し、剣山荘の近くにザックをデポし、そこからアタックザックで剱岳を往復することを思いついた。これなら間に合う。

 

ちなみにアタックザックを使うことは初めから考えていて、そのために今回それを購入してきた。欲しかったのはモンベルのバーサライト15というやつで、これはなんと93グラムしかない。だがオンラインショプでは売り切れだったため、代わりのものを探す。そこで見つけたのがネイチャーハイクの18リットルのバックで重さは110グラム。

webshop.montbell.jp


これはこれで良かったのだが、あとからちょっと使い勝手の良さそうなものを見つけた。それはアライテントのザックで、こちらは20リットルで190グラム。デザインもこっちがよかったなあ。


ちょっと話がそれてしまったが、重たい荷物を背負って難関のカニのたてばいやよこばいを通るのは危険なので、アタックザックを使うことを考えたのだった。

 

 

夜が明けて

3日目、午前3時に起床する。やはりまだ雨が降っていた。だが、天気予報では5時頃から雨が上がり昼過ぎからは再び雨だという。よし、これならなんとかなるかもしれない。

 

ともかく食事をし、身支度を整える。だが、テントを撤収し終えるとすでに5時20分になっていた。まだ雨は降り続いていたが急いで出発する。

 

6時少し前、剣山荘が見えて来た。雨は小降りになってきた。

剣山荘はもう目の前

6時頃、剣山荘の表の邪魔にならない場所にザックをデポさせてもらう。中からアタックザックを取り出して急いで出発。必要なものはすでに入れておいた。雨はもうほとんど止んでいる。

 

身軽になって小屋の裏側から剱岳に向かって登っていく。ここは前に登ったことがあるはずだがと思ったが全く記憶がなかった。それもそのはず、帰ってから当時の記録をみると、劔御前小屋から劔御前を通って一服劔に向かうルートを通っていた。

 

荷物も軽くなって軽い足取りで登っていくと、後ろから足音がする。登り始めた時には誰も見かけなかったので、相当早い。広い場所で道を譲る。なるほど、若い。そしてこちらは上下雨合羽を着ていたが、その若者はTシャツに短パンという出立ちだ。

 

その後、岩場の鎖場の近くで見かけたが、そのあとはとっとと先へ行ってしまった。

 

そうして歩いていたら、ラッキーなことに目の前に雷鳥が3羽。結構近づいても逃げていかない。ただ、ぼくのスマホでは広角しか写せないので、光学式ではないズーム機能で写してみた。

 

姿はまだ夏羽である。これって岩場にいると本当に目立たないなあと思う。動いていたからわかったものの、じっとしていたら気が付かなかったかもしれない。

 

 

岩場の連続

雷鳥を見た後、いよいよナンバー付きの鎖場が始まる。そして気持ちが引き締まる。

 

ナンバー2を過ぎて、そのあとに一服劔に到達。40年前に来た場所だ。標柱は倒れて文字もよく読めなかった。

 

一服劔からの眺めはガスがかかっていたが、それでも向こうが透けて見えて来た。

 

このあと前劔に向かって未踏の世界に踏み出していく。

おやっ、なんだか青空が見えて来たぞ。天気予報通りだ。いや、少し時間が遅れて雨が上がったが、それよりもこんな青空になるなんて超ラッキー。

 

振り返ってみると素晴らしい景色がそこにあった。

雲が切れてくる

おやおや、どんどん雲がなくなっていく

そして素晴らしい雲海

小さく見える雪渓の上に劔御前小屋がある

雲が躍動している

剱岳は目の前に

 

念願の剱岳に登頂

こうして何度も振り返りながら当面の目標の前剱に登頂。時刻は7時3分。予定では7時20分なので、遅れた時間はすでに取り戻した。この調子で進めばなんとか最終バスには間に合うだろうと一安心する。

 

そしてここで雨合羽を脱いだ、ように思う。身軽になっていよいよ目の前に壁のように聳えている剱岳にむかって歩き出す。

 

そして現れた一本橋とそれにつづく鎖場。多くの登山系ユーチューバーたちがここを紹介してくれている。動画で見ると本当に怖そうだ。

剱の名所

一本橋でふらつかないように、事前に何度か丹沢の同じようなところを通って練習して来た。さて、いざ本番だ。谷の下を見ないようにして集中して早くもなく遅くもなく歩いていく。集中していたせいかそれほど怖くはなかった。

 

そして、すぐに岩場のトラバース。ともかく鎖を絶対に離さないようにして歩いていく。動画で見たよりもちゃんと足を置く場所があったのでここも思ったより怖くはなかった。だが、油断は禁物である。

 

ここを通り過ぎると下りの鎖場が現れる。

 

そこを下ると左へ回り込んだ。そして目の前に剱岳とその肩に雲海が広がっているのが見えた。

 

このあとは鎖場の連続である。目の前を行く夫婦連れらしき二人はしっかりビレイをしながら登っていてだいぶ待たされた。鎖場ではこうしたことがあるので時間には余裕を持って計画する必要があると反省する。

 

平蔵の頭を越えると登りルートと下りルートとに分かれる。

 

そして登りルートには最大の難関、カニのたてばいが待っている。

トラバース

ちょっと平坦な道

ここがカニのたてばい

幸いカニのたてばいでは渋滞しておらず、後続者もいなかったので、慌てることもなく慎重に一歩一歩登って行った。手をかけるところ、足を乗せるところを慎重に選んでバランスを崩さないように気をつけた。

 

こうして集中していたらいつの間にか難所を通過していた。頂上まではもうあとわずかである。

 

そして8時23分。とうとう念願の剱岳に登頂した。山頂にはたくさんの人が休んでいた。山標の前では若い中国人のパーティが代わりばんこに写真を撮っていてしばらく空きそうになかった。しかたなく空くまで近くで待つことにした。

 

そうしてどうにか静かになったあとに急いで写真を撮った。しかし、じっくり構えている暇がなく、後から見たらブレていた。大勢いたのだから誰かに撮ってもらおうと思っていたが、あの中国人たちが騒いでいて頼めそうな人が近くにいなかったので自撮り棒を使った。

計画では9時までに山頂を出発することにしていた。幸い早く到着することができたので少しゆっくり休憩した。といっても20分ほどだが。それにしても、アタックザックは正解だった。荷物が軽いため標準コースタイムより早く歩くことができたのである。見れば多くの人が小さいザックで歩いて来ていた。やはり考えることは皆同じである。

 

下山は特に気をつけて

8時40分、山頂を後にする。アンラッキーなことにあの中国人たちも下山を始めてぼくの先を歩いて行った。後について歩いて行ったら彼らは早月尾根の方へ下っていく。あやうくついていきそうになった。

 

下りはほとんど渋滞で、それは鎖場でガイドツアーの人たちがガイドの指導を受けてセルフビレイをとりながら歩いていたからだった。バスの時間はあるが、少し早めに下山を始めたので多少はゆとりがあったため、いらいらせずに待つことができた。

 

いずれにしてもこんな場所で追い越すわけにはいかない。それに追い立てると登っている人が焦って滑落するかもしれない。だから、ここは静かに黙って見守る。遭難は下山中の方が多いということだ。

 

それからひとり不思議なひとを見かけた。

それは外国人の女性で東洋人ぽくも西洋人ぽくも見える40代くらいの人だった。

 

その女性は山頂直下でこちらが登っている時に下山をしていた。それがこちらが下山している時にまた見かけたのである。最初にすれ違ってからもうだいぶ時間が経っている。その女性は髭モジャの男性と話をしていた。その男性はどうやら剣山荘の人らしかった。男性はその外国人に下山ルートを教えていた。そしてぼくに向かって女性が剣山荘まで降りるので、ちゃんと降りられるように見ていてほしいといった。

 

いいですよ、と答えたが、その女性はさっさと歩いて行ってしまった。結構早い。こんなに早いのになぜいまこんなところにいるのだろう。おそらく道を間違えてしまったのだろうと察しがついた。

 

その女性はどういうわけかガイドツアーの人たちの先を歩いていた。どこかで追い越したのに違いない。山のマナーを知らないらしい。そんなことを考えながら順番待ちをし、ようやく岩場を越えようとしたその時、道を間違えたと言ってその女性が上りの鎖を伝ってきた。いったいどうやったら下りから上りに入れるのだろう。

 

上りから下りの方へ移ってくるように後ろにいたガイドが叫んだが、とうとうその女性はそのまま行ってしまった。したがってその後は姿を見ていない。ちゃんと降りられただろうか。その後遭難のニュースは流れていないので大丈夫だったと思う。

 

こうして10時40分、剣山荘に降りて来た。計画より1時間も早かった。

このあと剱沢は通らずに劔御前小屋に向かい、雷鳥沢へ来たときと同じ道を下って行った。

すっかり秋めいた剣山荘

チングルマもすっかり綿毛に

剱沢に見えるテントは2張りだけ

雷鳥平も秋めいて来た

雷鳥平野営場のテントもだいぶ少なくなった

みくりが池温泉までの登りがつらい

地獄谷

血の池

こうしてだいぶ早く下山することができたので、みくりが池温泉でひと風呂浴びていくことにした。浴場はレストランの中を突っ切っていく。ビールを美味しそうに飲んでいる人たちを見て、湯上がりにぼくも、そう思って出て来たところ、なんとレストランは2時で終了。さっきここを通過したのは2時少し前だ。しかし、ともかくさっぱりした。

表のテラスでのんびり休憩。残った行動食を食べながら水を飲む。こうしたゆったりとした時間をたっぷりと味わい、室堂ターミナルに向かった。

 

最後に

室堂ターミナルにいくと、雄山の山頂に建っていた社が建て替えられ、古い社がここに移築して展示されているという。腐った部材は新しいものに変えられていたが、立派な社がそこにあった。

 

以前雄山に登った時に見ているはずである。でもまあ覚えていない。

そこで当時に撮った写真を見てみたら、写っていた。

ああ、写真ってやっぱり記録だなあと一人得心している。f:id:Hakuto-MA:20210613013915j:plain



今回の旅を総括すると、大雨でもダブルウォールのアライテントは快適で、雨のため予定変更して立山縦走はできなかったが、剱岳に登るときは素晴らしい天気に恵まれてとても幸運だった。そして最後に温泉にも入ることができて最高の登山だった。

 

では、このへんで

 

 

広告