初冬の11月下旬、中央アルプスの空木岳(うつぎだけ)を目指した。
標高2千5百メートルあたりから前に降った雪が解けずに山道を覆っていた。
実は計画段階で失敗をしていることが判明し、登山開始時だけでなく、下山時にもヘッドライトを使うことになる。
登山計画を立てる
今年の5月に木曽駒ヶ岳に登った。
そのとき、駒ヶ根キャンプセンターに前泊し、翌朝に菅の台バスセンターからロープウェイ乗り場に向かった。
その駒ヶ根キャンプセンターから程近い場所に空木岳の登山口があることを知り、機会を狙っていた。
前回このブログに書いたが、突然8月末で仕事を辞めることになり、これからは自由に時間が使える、これまでほぼ休日に行なっていた登山を天気予報を見ながらいい時に行ける、サボっていた心理学の研修にも行けることになった。
そしてなにより、定年時にリストアップした「やりたいこと」をとにかくやっていこうと思った。
「黄金の15年」のうち、すでに5年が経過している。黄金の15年とは楠木新著「定年後」に書かれている言葉で、気力体力が充実しているのは多くが60歳から74歳までであるというものである。
残りあと10年。よくばっていろいろとリストアップしたが、どれも時間のかかるものばかり。とてもすべて出来そうにない。ともかくいま出来るものからどんどんやっていこう。
前置きが長くなったが、そんなことでホノルルマラソンに出場することに決めた。そのトレーニングとして位置付けたのが空木岳登山なのである。
ホノルル行きを決めた後、心理学の全国年次大会に合わせて岩手の山には登ったが、行程的には軽めの登山だった。その後、衆議院議員選挙が行われ、今回初めて参政党候補者の選挙の手伝いをした。参政党にとって大事な選挙だと感じたので12日間精一杯出来ることを手伝った。
選挙の後は少し疲れが出て体調がすぐれなかった。急に寒くなって来たこともあり、登山をする気になれなかった。それに天気もすぐれない日が続いた。
ようやく元気が出て来て、晴れの予報が続いた11月24日から26日までの予定で空木岳登山の計画を立てた。
スーパーカブに乗って駒ヶ根キャンプセンターでキャンプし、翌朝未明から池山林道終点の登山口までカブで移動する。そして同じ登山口へ下ってくる。
コースタイムは、登りで約5時間半、下りで3時間45分。
計画の失敗と長い長い登山道
翌朝4時にキャンプ場を出発。ヘルメットを外に出していたら霜が凍っていてなかなか落ちず、視界があまりよくない。
まだ真っ暗な中をどんどん山の中に入っていく。くねくねとした道を登っていくと、突然目の前にゲートが現れた。閉ざされたゲートである。道を間違えたかと思いスマホで調べると別な道が表示された。そこで一旦下る。もう一度スマホを見直してみると、そのルートは歩行者のルートであることがわかった。
ここでバイクを置いて下から登るか、さっきのところにバイクを止めて林道を歩くか。
どちらも時間的にはそれほど変わらないように思える。しかし、当初の計画でも日暮れギリギリであり、さらに時間がかかるとなるともう真っ暗だ。その場合は林道を歩いたほうが歩きやすいと考えた。
もう一度さっきの閉まっているゲートまでカブで行き、そこから林道を歩き始める。このとき5時20分。標高は1千百メートルあたりだろうか。ただ、地図を見ると、林道途中から登山道に入って当初予定の林道終点地点まで行けることがわかった。やはり冬場は林道は通行止めになる。わかっていたはずなのに何度も同じ失敗を繰り返している。
30分ほど林道を歩くと登山道の入り口に辿り着いた。ここは駒ヶ根高原の菅の台から続いている登山道で、そこに合流したことになる。
その登山道を入っていくと再び林道を横切って登山口に到着した。標高は1350メートルくらい。6時25分、この時点で計画より1時間半遅れていた。
ここで着ていたダウンジャケットやダウンパンツを脱ぎ捨て(捨てないけれど)、身軽になって再出発。時刻は6時40分。
いざ、登山開始
始めは大きく蛇行しながら登っていく。それがタカウチ場というところまで続く。そこからもあまり急ではないが今度はほぼまっすぐに登っていった。そして急登が現れ始め、そこを登っていくと池山小屋の分岐点についた。
ここから空木岳方面にわずかに進むと再び分岐があり、通常の登山道が右、左は遊歩道経由となっている。それは尻無というところで合流する。ここは右の通常の登山道を進んで行った。
続いて2百メートルほど進むとマセナギという分岐点に出る。ここの標高が1980メートル、標高ではちょうど中間あたりまで登って来たことになる。
そしてここから等高線の詰まった険しい道のりに変わっていった。ここまでは遊歩道といった感じ。そしてなななんと「大地獄」というすごい名前のついた切り立った場所を越え、続いて「小地獄」という鎖場を越えると「迷い尾根」というなんとも怖い名前のところへ出た。
ここから真っ直ぐにはいかないで右に曲がる。それほど迷いそうな場所ではなかったが、目印がないとまっすぐ行ってしまうのかもしれない。
ここから次の分岐点までアップダウンを繰り返しながら300メートルほど登っていく。遅れて出発したので少し気が急いたのか、あるいは気が緩んだのか、トラバースの崖っぷちで石を引っ掛けて落としてしまった。下に登山道はないので人はいないと思われるがドキッとした。
なお、今日はここまで誰とも出会っていない。月曜日の平日で、時期的にも登山シーズンではないためだろう。ところがその先のひらけた斜面を横切り急な斜面を登っていたら下から声が聞こえた。どうやら追いつかれたようだ。するとその人影にはすぐに近づいてきた。犬を連れたトレールランナーだった。早い。ぼくを追い抜くとあっという間に姿が見えなくなった。
前に降った雪がまばらに残っているところにでて、そのすぐ後にヨナ沢の頭という標識が立っていた。そして日の当たらない場所では2、3センチくらいの雪が固くなって残っていた。それほど傾斜がきつくなく、登りでもあるので登山靴のままで歩いていけた。
今回は雪を想定して冬靴ではないがアイゼンのつけられる登山靴を履いて来ている。ただし持って来ているのはチェーンスパイクだ。さて、どのあたりで取り付けようか。
チェーンスパイクを履いたのはその先にある分岐の手前、おそらく標高2500メートル付近だったと思う。久しぶりに聞く雪を踏む音が心地よい。
分岐では左の空木平経由のルートをとった。この分岐まではおおよそ標準コースタイム、つまり1時間半遅れで11時5分だった。すぐに目の前に避難小屋が現れた。そして空木岳の山頂が間近に見えた。左手には南アルプスの峰々が白く青空に浮かんで見える。空木平はあまり広くなく、小屋の周りだけが平らだった。
ここでは日差しを遮るものがなく、雪が太陽の光を反射して眩しかった。それに表面の雪が解けてそれが氷っているらしく、テカテカと輝いていた。
遠い山頂
腹が減ったので、昼食にしようと避難小屋に入ってみた。扉を開けると入口から日差しが入り中を明るく照らした。入口付近に座り菓子パンを頬張る。とくにお湯も沸かさず水で喉を潤した。遅れているので20分ほど休憩してふたたび登り始めた。
ところがここからが苦戦した。空木平は小さなカールといった感じで小屋は標高2530メートルあたり、そこから一気に2864メートルの山頂まで直登していく。おそらく雪のおかげで歩きやすくなっていたの思われるが、息が上がってしまい、何度も立ち止まって呼吸を整えた。
山頂が見えているのになかなか近づかない。苦しい。そしてまずは駒峰ヒュッテに到着。あと少しだ。12時56分、苦労してやっと空木岳山頂に立つ。
しかし、山頂からの眺めは素晴らしかった。早く降りないと日が暮れることは分かりつつも15分ほど写真やビデオを撮っていた。
こうして名残惜しくも下山を開始した。あとは日が暮れるまでにどこまで降りられるかだ。下山は駒石のルートをとった。こちらは分岐までなだらかに下っていくので楽だった。そして広々とした尾根で視線の先には南アルプスの稜線がくっきりと見えており、手前は伊那谷がはっきり見える。ほんとうに気持ちよく歩くことができた。
分岐点からは再び樹林帯に入る。しばらくは広葉樹林帯。尻無から池山小屋の分岐までは遊歩道経由のルートをとる。ここを下っていくとダケカンバの林が現れた。明るくてありがたい。もうすぐ16時になろうとしていた。
そして16時40分、池山林道終点まで戻ってきた。ここまで3時間半、結構急いだつもりだが、標準タイムよりも15分早いだけだった。もう日は落ちたが、まだ明るさが残っている。明るいうちにヘッドライトを準備し、菅の台への登山道に入っていく。
この林道を横切る登山道の一つ目を過ぎたあたりでにライトを点灯。木々の間には街の明かりが見えた。
そして登り始めた林道に出たのは17時ちょうど。ここからは林道歩きなのでともかく一安心だ。しかし、あたりは真っ暗になった。ライトのバッテリーが切れると困るので明るさを抑える設定にした。すると見えるのはわずか数メートル。崖から落ちないよう道路の真ん中を歩く。
そして未明の歩き始めからちょうど12時間、17時20分に林道のゲートに到着した。登る時はどんどん明るくなっていくから良いが、下山時の日暮はなんだか心細い。スーパーカブが見えた時はとても愛しく感じた。
最後に
歩き詰めでとても疲れたし、筋肉痛も始まりかけていた。ランニングをしていたので体力はあると思っていたが大間違いだった。
このあと、前にも行ったこまくさの湯に行き、たっぷり温まった。
キャンプ場に戻り、エスビットに火をつける。するとなんと固形燃料が弾けて飛んだ。
寒いので外ではなくテントの中で行っていた。エスビットの五徳の下には桐の板を敷き、その下には防火シートを敷いていた。ところが固形燃料が燃えたまま弾け飛んだのである。それは防火シート(百均のものを半分に切って小さくしていた)を飛び越えた。
念の為、エアマットにはGパンを被せていた。そして大半はすぐ下の板と防火シートの上に落ちた。桐の板は黒く焦げ、防火シートも銀色のところが少し溶けた。
そして、飛び散ったうちのひとつは自作コジーに飛んだ。それは簡単に穴が空いた。ああ、よかったテントに飛ばなくて、と思っていたらもうひとつ燃えているものがあった。
それは2ミリ厚の銀色のテントマットだった。いそいで火を消したが遅かった。銀マットを溶かし、その下のテントのフロアを溶かしていた。やっちまった。ただ、その下のグランドシートには農ポリを使っていたのでまた切って作れば良い。
家に帰ってからアライテントでを調べると、リペアシートが売られていた。同色かどうかはわからないが、早速注文した。
それにしても固形燃料が破裂して飛び散るってどういうこと?
では、このへんで
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