南沼キャンプ指定地はトムラウシ山頂までわずかの場所にある。
稜線ではないが、風が通り抜ける場所らしく風が強かった。
それに遮るものがなく、せいぜい膝上くらいまでの草が囲ってくれている程度であった。
3回目のツェルト山行
ツェルトをテントがわりにして初めて張ったのはオンネトーの野営場だった。あのときはまったくといいくらい結露がなかった。
2回目は高妻山に登るために戸隠のキャンプ場に張った。このときは内側にびっしりと結露していた。しかしそれほど酷いとは感じなかった。起き上がると体に触れて服が濡れたため、すぐにレインジャケットを着た。そしてツェルトの内側に触れたときに結露が床にまで流れてきた。まあその程度なのでマイクロファイバーの雑巾で拭けばなんてことはなかった。
今回の山行では、昨夜の白雲岳避難小屋の野営地で泊まった時は、戸隠の時と同じくらいかそれよりも少ないくらいの結露だった。だが、二日目のツェルト泊では悲惨な目に遭うことになった。
疲れ果てて南沼キャンプ指定地に到着すると、風い強が吹いていた。北沼は山に遮られていたせいか、それほど風は吹いていなかったのでちょっと困ったなと思った。
まだ、テントの数が少なかったので、水捌けの良さそうな場所で平らな場所、そして多少は草の陰になる場所を選び、できるだけ風が吹いてくる方向にツェルトの狭い面を向けて横からの風を受けないように配置した。
苦労して30分くらいかけて張り終えた。しかし、すこし風の方向と斜めになってしまったため、片側からの風で半分くらいまで内側に凹んでいる。それをサイドリフターで引っ張るとなんとかまともな居住空間ができた。ペグは刺さらなかったので全て転がっている石を使ってペグがわりにした。
中に入ると、まずはウイスキーの水割りで一息淹れる。これでやっとゆっくりと寛げると思ったのも束の間、風の音に混じって雨の音が聞こえてきた。はじめは、雨が降る前に到着できてツェルトも張れて良かったと余裕で、雨もすぐに止むと思っていた。ところが次第に風雨が強くなっていく。
そして夕食を作るためにお湯を沸かしていたら、すぐに結露だらけになってしまった。この結露という厄介者の洗礼をこのあとしっかり受けることになる。
ツェルト泊、風雨の洗礼を受ける
風にツェルトがはためくと、中の結露が雨のように降ってきた。防水布なのでこのくらいの雨では染み込んできているとは思えない。早くもテントの中でレインジャケットを着る。
食事を済ませると、必要のないものはザックの中に入れ、ショルダーポーチや歯ブラシなどはビニール袋の中に入れた。歯磨きをして、レインパンツを履いて外に出る。そうしてガイラインのたるみを取り、ペグがわりの石を点検、少し石を足して補強した。
中に入るとレインジャケットを脱いでダウンジャケットを着る。下にはダウンパンツを履いた。インナーシュラフをSOLのエスケープヴィヴィ・ライトの中に入れ、その中に潜り込む。
こちらの風に煽られる音に混じって隣のテントがはためく音も聞こえてくる。こうして横になったのは19時頃だっただろうか。
うるさいながらも疲れていたので眠りにつく。だが、眠りは浅くなんども目が覚めた。
そうしてうとうとしていると、突然バサッという音と共にツェルトの布が覆い被さってきた。咄嗟に手が出て押さえる。「まずい、足元側のポールが倒れたか」と思った。しばらくそうしていたが、スマホで時間を見ると深夜2時。朝までこうしているわけにもいかない。ともかく灯りをつける。
幸いポールは倒れていなかった。外れたのはサイドリフターで空間が半分になっていた。布地に触れたため、エスケープ・ヴィヴィがびしょ濡れになってしまった。防水性はないといことがこれでよくわかった。ダウンが濡れると保温力が失われるので、狭いツェルト内でレインウェアの上下をダウンの上から着るも、すでにかなり湿ってしまっていた。それから表に出てサイドリフターをもう一度張りなおす。
ついでに他のガイラインも点検したが、他は問題なかった。これだけの風が吹いても倒壊しないことに逆にツェルトのタフさもよくわかった。そのかわりサイドリフターの重要性も再認識することになった。
この時点で翌日はトムラウシ温泉に下山することに決めた。びしょ濡れのまま歩いてもう1泊するなんて無理だ。十勝岳はまたいずれ登ることにしようと気持ちを切り替える。
その後、レインウェアを着たままエスケープ・ヴィヴィに潜り込んで夜明けを待った。そんな状況でも少しは眠ったようだ。
明け方、寒くなって目が覚めた。「低体温症」という言葉が脳裏に浮かぶ。トムラウシの大量遭難事故は夏場に起きた。原因は低体温症だ。だから体が冷えないようになんとかしなければと思った。
そこで思いついたのが、まだ一度も使ったことのない若い頃に買ったエマージェンシーシートだ。ザックからこれを取り出す。取り出すまではそれほど時間は掛からなかったが、これを広げるのが大変だった。おそらく15分くらいはかかったのではないだろうか。これをエスケープ・ヴィヴィに巻くと(シートは意外と大きかった)濡れ対策にもなり、気持ちにも余裕ができた。
スマホが充電できない
こうして朝を迎えた。生きていた。まるで悪天候によるビバークをした後のようだった。過ぎてみればこれも経験と前向きに考えることにした。
まずはツェルト内の水を雑巾で吸い取り、外で絞ることを10回くらい繰り返す。スマホとケーブルは水びたしになってしまっていた。幸いビニール袋内のものやザック内のもの(中にビニール袋を入れてある)は濡れなくて済んだ。
エアマットも畳み、いざモバイルバッテリーからスマホを充電しようとすると、どうやっても充電が始まらない。残りはあと10%程度、ともかくトムラウシ山での記念写真が撮れるようバッテリーを温存する。
それでもいちおうモバイルバッテリーに繋いで出発する。出発は7時45分。だが方向を間違えて北沼の方に歩き出してしまう。すぐにおかしいと気づいて元に戻ったが、再出発はおそらく8時頃だったと思う。それからトムラウシ山を目指す。
トムラウシ山からトムラウシ温泉に下る
歩き始めはしっかりと降っていた雨も霧雨になっていた。それが眼鏡について前がよく見えない。そうして急な岩場を登って8時22分、ついにトムラウシ山に登頂。
この後バッテリーが落ちたが、途中で見て見ると数パーセント充電されていたのでとりあえず写真を撮っておく。
その後、トムラウシ公園、前トム平という名がついたところを過ぎ、コマドリ沢出合まで下っていく。そのとき雲が切れて青空が見えた。もちろん雨は上がっていた。
この下りの途中でレインウェアを脱いでザックにしまう。その後もたまに青空がのぞいたが、やはりずっと雲がかかっていた。
11時頃、何度も前後して見知った顔がコマドリ沢出合で一堂に会して休憩をとった。そこにはあの間宮岳で話しかけてきたパーティもいた。ここで皆顔を洗ったり体を拭いたりしてくつろいでいた。
そこでロックガーデンで聞こえたナキウサギの話が出た。するとその中の一人が写真を撮ったというので見せてもらった。他にも姿を見た人がいたが、ほかはぼくとおなじく声だけで見つけられなかったという人が多かった。
そこから一旦登りになり、そのあとはだいたいなだらかな道を下っていった。こうしてトムラウシ温泉登山口に降りてきたのは2時15分頃だった。トムラウシ山から降り始めて6時間弱、とても長く感じた。
最後に
トムラウシ温泉の東大雪荘は綺麗で立派な建物に変わっていた。
若い頃にバイクツーリングで来た時以来だ。
温泉も広くて綺麗だった。まったく昔の面影はなかった。
温泉に入ってサッパリすると、次にやることは今日の宿探し。さて、どこに泊まるかだ。トムラウシ温泉からのバスは新徳駅行き。早めにバスがやってきたので、運転手さんに新徳に着いてから旭川行きのバスはあるかどうかを尋ねると、親切に営業所に問い合わせてくれた。
するとこのバスがついてから約20分後に出るバスがあるという。予約が必要だということで電話番号を聞いて電話で予約をとる。次に数日前に泊り、明日も泊まることになっているゲストハウスに電話してみる。すると昨日はいっぱいだったが今日は空いているという。事情を話して少し時間は遅くなるが泊めて欲しいというと快く承諾してくれた。
玄関前では顔見知りになった人たちが別れの挨拶をしていた。ぼくも今夜の宿をとった話などをしたところ、なんと旭川空港に車を止めている人がいて、ぼくの泊まるゲストハウスを調べてから、空港から近いので車で送ってくれるという。バス停はいくつかあるが、空港の次はたしか旭川駅まで止まらないという。
その方はなんとあの五色岳で10分くらい話をした富山から来た方だった。
旭川から戻ったら結構な時間がかかったと思われるが、おかげで随分と早く宿に到着することができた。本当に感謝である。
翌日、宿のレンタルバイクで旭山動物園を見学しに出かける。旭川ではますはコインランドリーにより、回転寿司で昼食。ところが動物園のほどんど全てを回ったところで雨が降り出してしまった。
それから雨の中を東川町のトランジット東川までクマスプレーの返却に向かう。シートの下にスプレーや洗濯物を入れることができたのは助かった。
スマホは一時的に充電できたので動物園までは大丈夫だったが、雨に濡れるとまたも充電不能。地図を頭に叩き込み、ずぶ濡れになってスプレーを無事ポストに返却(この日は定休日だったため)。
そこから宿までの道は途中までは完璧だったが後少しというところで間違えて、5キロくらい違う方向へ。それでもなんとか無事に宿まで辿りついた。
こうして大雪山からトムラウシ山までの縦走の旅は終わった。大変ではあったけれど、思い出に残る旅だった。
では、このへんで
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