Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

思いがけず雪山登山 【四阿山】

八ッ場

この春は体調が芳しくなく、

さらに夏はコロナに感染した。

そのためまだ今年は百名山を3座しか登れていない。

新年の絵馬に「たくさん山にのぼるぞ!」と書いた。

残りの人生を考えるとちょっと焦る。

せめてこれから雪が降る前に登れる山を登っておきたい。

そこで10月最後の週末に、群馬県の四阿山を登ることにした。

 

菅平高原ファミリーオートキャンプ場

不動大橋の袂にて

四阿山に登る一般的なルートは、菅平牧場からスタートしゴールするものだ。

そこで、牧場に近いキャンプ場を利用して登ることにした。

 

10月28日土曜日、朝7時50分に自宅を出発する。11時20分、「ミルトン」という寄居町のレストランで昼食。チキンのガーリックソルト焼きでエネルギーを補給した。そこからGoogle マップをみると、目的地の菅平高原ファミリーオートキャンプ場まではあと134キロ3時間23分となっていた。

 

それが曲がるところを見逃したらしく、予定していたコースと違う道を進んでいることにだいぶたってから気がついた。国道254号線で北上し、県道131号を経由して国道17号、そこから18号に入り損ねて、県道29号へと進んでいた。Googleマップは、間違えてもどんどんその先のコースを案内してくれるのだ。

 

帰りに国道18号の予定していたルートを通ったが、スーパーカブではあの長い登り(碓氷峠のこと)ではスピードが出ないので、かえって間違えてよかったなあと思った。

 

その間違ったルート上で「道の駅くらぶちおぐりの里」というところに立ち寄った。道は29号からいつの間にか国道406号に変わっていた。この道の駅で、ここが小栗上野介の生地であることを知った。

 

売店に行って夕食と朝食用に山菜おこわと味噌パン、あんぱんを買う。これでコンビニを気にしないで先へ進める。バイクのところへ戻ると雨が降ったらしくシートがぽつぽつと濡れていた。

 

さらに先へ進んで406号から県道377号線に入り、長いトンネルを抜けて左折すると、紅葉の綺麗な橋の袂にでた。思わずバイクを停めて歩いて景色を見に行く。そこは不動大橋と書かれていて、橋の袂から不動の滝という落差の大きい滝が紅葉の間を落ちていく様子が眺められた。橋の反対側には以前民主党が大騒ぎをした八ッ場ダムが小さく見えた(冒頭の写真)。

 

 

午後4時半、菅平高原ファミリーオートキャンプ場に到着。予約したフリーサイトはなだらかな芝生の斜面だった。斜面でどうやって寝ようか。考えた末、斜面に対して横になるようにテント張った。これなら頭と足の高さは変わらない。


テントを張り終え、水を汲んできてフリーズドライの味噌汁を作るためにお湯を沸かす。その間に山菜おこわを食べる。そして7時には寝袋に入った。

 

ところがやはりファミリーキャンプ場、話し声が聞こえてくる。仕方なく、毎日配信される参政党の音声メルマガを聞いているうちに少しうとうとする。

 

話し声はまだ続いていた。耳栓を取り出して装着する。ただし、耳栓をしても音が聞こえなくなるわけではない。少し小さくなるだけだ。あくまで気休めである。

 

なかなか寝付けない。昨夜は睡眠時間が少なくて眠いはずなのに、なかなか眠れない。それでも耳栓をつけたら少し眠れた。ふたたび眼が覚めるとまだ話し声がしている。スマホを見ると22時30分を過ぎていた。

 

こんな時間まで話をしているなんて。

 

話はさらに盛り上がって笑い声まで聞こえてくる。何度か咳払いを試みたが気づいてもらえない。おそらく、あれだけ盛り上がっている様子では気づいてもらえないだろう。

そこで仕方なく「すみません。お静かに願います」と声をかけてやっと静かになった。

 

次に目が覚めたのは午前3時ごろである。起きるにはまだ早い。少し寝袋の中で静かにしていた。午前4時になって寝袋から這い出す。まずはトイレに行き、ともかくお湯を沸かす。その間に道の駅で買って来た味噌パンを食べ始める。続いてあんぱん。お湯が沸き味噌汁を作る。

 

うまい! あんぱんがうまい。150円の大きなあんぱん。餡がたっぷり入っている。この餡が絶妙。甘さが抑えられており、ちょっと塩味を感じる。また食べたいと思うくらい気に入った。

 

さて、寝袋などを片付け。次に昼食用のお湯を沸かす。そうして荷物を片付けていたらいつの間にか5時40分になっていた。6時には出発しようと思っていたのに遅れそうだ。急いでテントを撤収する。降っていた雨はいつの間にか止んでいた。

 

 

 

雪の根子岳にて

菅平牧場登山口

6時10分にテントの撤収が終わり、バイクの停めてあるところまで歩いて持っていく。バイクの荷台に荷物をくくりつけ終わると6時20分になっていた。

 

キャンプ場から菅平牧場までは地図を見て一応記憶していていたつもりだったが、途中でわからなくなり、Google マップに助けられて6時40分に菅平牧場駐車場に到着する。


また雨が降り出してかなり冷え込んでいる。トイレに寄って靴ひもをしっかりと締める。

 

出発前、四阿山が見えた

6時50分、根子岳へ向けて出発する。そういえばクマに注意しなければと思いつつ熊鈴を忘れてきてしまった。周りに誰もいないので、鈴の代わりにスマホで寺尾紗穂の歌を聴きながら登る。

www.youtube.com

 

少し登ったところに東屋があり、ここで中に来ていたダウンジャケットを脱ぐ。雨は横殴りで東家の中にも吹き込んできた。それはなんとみぞれに変わっていた。

 

登り始めてすぐにある東屋

レインウェアのフードを被って歩き出す。少し進むとシラカンバとダケカンバの林に入っていく。笹の葉はだんだん白くなっている。みぞれは雪に変わっていた。

 

白樺林

みぞれは雪に

さらに高度を上げていくと、高い樹木が消えて森林限界になる。

雪を被った笹原がつづく

完全に冬山


まっすぐにつけられた真っ白な道をすべらないように、慎重に下を見ながら歩いていくと、そこに車のキーが落ちていた。大変だ。これは困るだろう。

 

今歩いている道には、おそらく少し前に歩いたと思われる靴跡がついていた。その主が落としたのではないだろうか。靴のサイズからすると小柄な男性だ。


根子岳山頂へ着くと、そこに小柄な男性がいるのを見つけた。

「こんにちは、車でおいでですか」

「ええ、そうです。車のキーを無くしてしまって戻ってきたところなんです」

「車はダイハツですか」

「ええ、ダイハツの軽です」

「さっきそこで車のキーを拾いました。これじゃないですか」

そう言ってキーを差し出す。

「四阿山に向かう途中でキーをなくしているのに気がついて、探しながらここまで戻ってきたところです。もう諦めて下山しようと思っていたのです。いやー、大変助かりました」

そう言ってその方は財布から千円札を取り出してぼくに渡してきた。そんなつもりで拾ったのではないので「結構です」と何度も断った。しかし、それでもどうしても手を引っ込めないのでありがたく頂戴することにした。

根子岳山頂

その方は50代くらいの地元の方で、近くの低い山には登っているが、本格的に登り始めたのは最近なのだそうだ。あまり地元の山には登っていないということで、四阿山に登るのは今回で3回目ということだった。

 

「雪になっちゃいましたね」と言うと、「上田市内は晴れていたのですよ。それがこんなになるとは思いませんでした」ということだった。

「まだ時間が早いので、諦めずに四阿山まで行ってこられたらいかがですか」

と言うと、しばらく考えてから「そうですね」と言ってまた戻っていった。

 

ぼくは山頂で写真を撮ったりしてから四阿山へ向かった。

 

 

四阿山直下の登りは息が切れた

根子岳から少し下ると痩せた尾根に大きな岩がどっかと腰を据えていた。岩を巻いていくが、足を滑らせたら崖の下だ。注意しながら進む。こうした痩せた尾根はすぐに終わり、こんどはなだらかな斜面の横腹を横切るようになっていく。

大岩が行くてをはばむ

右側は切れ落ちている

痩せた尾根

なだらかな斜面の笹とシラビソ

 

右側のそうしたなだらかな道をいくと笹が道を覆っていて薮こぎを強いられる。

大スキマの幻想的な風景

藪漕ぎ

ここから登りが始まる

その先から急登がはじまる。雪の急坂を慎重に登っていく。さっき向こう側から来る人と3人ほどすれ違った。みなここを下って来たのだろう。この坂を下るのは大変だったろう。登りでよかったと思ったのだが、この急な登りがしばらく続き、息が切れて何度も立ち止まって休んだ。

 

段差も大きい

 

地図を見れば、急坂からなだらかな道になり、そして中四阿につづく道との分岐に出るようになっている。時間的に見てももうすぐのはずだ。そう思っていると、やはり急坂は終わり、平原のような道に変わった。

急坂が終わった

なだらかになって足取り軽く進んでいくと広い場所に出た。その中心に案内板が立っている。ここが分岐のはずだが分岐の文字は見つからなかった。

その案内標識には四阿山と根子岳の文字だけしか書かれていないようだった。地図によればここが分岐のはずだが、そのまま四阿山へ向かう。

 

そこから続く平らな道を笹を掻き分けるようにして進んでいくと、再び道が開けてそこに階段がつけられていた。植生を守るための階段である。そこに積もった雪の柔らかな感触を楽しみながら上っていくと、山の上にしては立派な祠が建てられていた。ここが四阿山山頂? しかし、どこにも標識がない。さらに、先へ進んでみる。

階段が現れる

山家神社の祠

するとそこに根子岳で出会った男性がいて、近くに四阿山の標柱が立っていた。男性はちょうど出発するところだったため、お互いに「気をつけて」と挨拶をして別れた。

 

こうして10時30分四阿山に登頂。山頂で記念写真を撮り、昼食にする。その間に登って来た登山者は3組だった。

 

11時少し過ぎに下山を開始する。

さっきの階段の下から鳥居峠向かう道が分かれている。念のため地図を見る。やはりここではない。さっきの開けた場所から行けるはずだと思って歩いていく。やはりいくら探しても案内標識には分岐については何も書かれていなかったが、足跡が左側に伸びているので間違いない。

 

こちら側の道は根子岳からの道よりも雪が少ない。その分多少歩きやすかった。ここを下っていると、わりとたくさんの登山者と出会うことになった。

 

登山道としてはこちらのコースの方が歩きやすい。途中に転がっている、割れてできたような岩がごろごろしていて、それはちょっと歩きづらかった。

 

ここを下っていく

これはカラマツ

このような場所も

中四阿

ヤマハハコ

小四阿。ダボス牧場がわからなかった

下まで降りてくると

美しい紅葉の落ち葉

 

最後に

ガスが晴れて見えた四阿山

再び菅平牧場の登山口に戻って来たのは午後1時10分。

30分後、駐車場を後にする。

牧場入口の料金所で登山協力金200円を支払う。管理人が言っていた。

「寒かったでしょ。いつも10月20日頃になると雪が降ってそれが根雪になるんだよ」

 

寒いといえば、バイクで長時間走るとだんだんと冷えてくる。埼玉県に入ったところで疲れて眠くもなって来た。

道の駅のようなところの休憩所でうとうとする。

するとそこへ30代くらいの男性が入って来て、

「そこで暴漢に女性が襲われたので助けてください」

そばにいた女性が「警察を呼ばなきゃ」

するとすでに警察は呼んでいて、連れの男性がその暴漢を取り押さえていた。

それがぼくのスーパーカブのすぐとなり。

警察がやって来て、良いと言うまで動けなかった。

しかしそのおかげで眠気は覚めた。

 

では、このへんで

 

広告

 

森の懐に抱かれて 【宮之浦岳と縄文杉】その5

北側デッキからの縄文杉

10月8日、高塚小屋には男性4人女性3人が宿泊した。

問題は明日バスが走るかということと川が増水して通れなくならないかということ。

みな翌朝が早いためか午後7時には灯りを消して静かになった。

ところが深夜に雷がなり出す。

challe.info

 

出発まで

夜中の12時過ぎから雨の音が激しくなり雷まで鳴り出した。それが4時頃まで続く。雷が光ってから音がするまでを数えてみた。大丈夫、だんだん遠くなっている。雨の音もしだいに小さくなって来た。

 

小屋の中が動き出したのは午前4時。まだ真っ暗だ。下の二人は朝早く出ると言っていた。きっとその二人から出発するのだろう、そう思っていた。ところが一番に出発したのは宗像市の男性だった。4時を少し回った頃だ。なぜか連れの女の子を残して一人で出ていってしまった。

 

4時半、次に出ていったのは下の(たぶん)夫婦。この二人が出ていってからぼくも寝袋から抜け出す。

 

ぼくは朝食を食べてから行動することにしているので、食事をつくるのに必要なものを持って下に降り、まずはトイレに行ってから食事の支度をした。必要なものはあらかじめ昨夜のうちに準備して置いた。

 

食事の支度をしながら水戸の女性と話をする。彼女はもうすぐにでも出発できるように準備を整えていた。昨日話をしていて、今日は白谷雲水峡に下山する予定だと言うことだった。

「雨が小降りになったので、バスは走っていそうですね。あとは増水して通行できなくなっていなければいいのだけど」

ぼくがそう言うと、

「地元の人が、雨が止めばすぐに水は減るということでした」

「それなら大丈夫そうですね。それじゃこちらも予定通りそっちから下ることにします」

 

そんなことを話しながら女性は靴を履いている。

「歩くのが遅いので出発します」

「これからだとちょうどいいバスは1時45分のなので、たぶんまた会いますね。では気をつけて」

 

この女性は5時に出発していった。

 

30分ほどたってあと片付けをしているところに出ていったのは福岡の女の子。すっと黙って出ていった。少しして、向こうのほうからこちらに声をかけて来た。

 

「縄文杉にいくのはどっちの道ですか?」

どうやら少し歩いて不安になって戻って来たようだ。

「その道で合ってますよ」

「通れますか」

「大丈夫、通れます」

そして向こうへ歩いていった。

 

5時45分、続いて横浜の青年が出ていく。この青年も白谷雲水峡に下る予定だと言う。

「同じバスに乗る予定ですね。わたしは明るくなってから出掛けます。気をつけて」

青年は、それじゃと言ってヘッドランプをつけて出ていった。

 

全員を見送ってから2階にあがって荷造りする。といっても鍋を入れるだけなのですぐに終わる。それから下に降りてトイレに行ってから濡れた靴下を履き、レインウェアを着る。そしてさらに濡れた靴。濡れているので履くのに時間がかかった。

 

こうして6時10分、外が、ヘッドランプがいならいくらいの明るさになってから高塚小屋を後にした。

 

 

大株歩道をいく

 

昨日水戸の女性から、北展望デッキから縄文杉を見ると南側から見るよりも迫力があると言うことを聞いていた。一昨日は南側からしか見ていなかったので、北の方に登って見た。

 

なるほど、確かにこちら側からの方が貫禄があるし、迫力がある。この木が縄文時代に芽を出したのかと思うと、時間を超えた何か特別な命というものを感じざるを得ない。

 

この北展望デッキは南より、より高い場所にあって登り用の階段と下り用とが別になっていた。しかもどちらも急だった。縄文杉に別れの挨拶をしてから、雨に濡れた階段を慎重に下っていった。

 

だあれもいない朝靄がただよう静かな森をただ一人歩いていると、自分の意識がこの森の精と一体になったように感じられて不思議な感覚に包まれた。

 

あちらこちらに透明な小さな沢の水が流れ、足元を通り過ぎていく。これが人が見ていない普段の森の姿なのだ。森は雨によって生気を得て命が輝き出すのである。そんな俗世から遠く離れた世界を歩いていく。

あちこちに沢の水が流れている

 

すると、道を曲がった先の下の方に突然人の姿が見えた。

「おやっ」

そこに見えたのは下着姿の女性の背中だった。そしてその女性が何かを叫んだ。

慌てて後ろに下り、視線を外す。

 

理解したのは福岡の女の子がここで着替えをしていたということである。

「すいませーん。もう大丈夫です」

そう言われてそちらを見ると、その先に横浜の青年が向こうを向いて立っていた。

 

おそらくこの手前で青年が追いついたのだろう。そして青年に向こうを向いていてと言って着替えを始めたのだろうと推測できた。それにしても大胆な行為だなあと、半ば感心し半ば呆れる。考えようによっては青年を誘惑しているとも捉えられてしまう。

 

ああ、こんなことをされてはおそらく青年の心はざわついていることだろう。

 

ともかく、ふたりの邪魔をしないように追い越して行った。そのときその女の子は「すみません。着替えをしてました」と陽気な声で言いわけをした。

 

先に進むとすぐに夫婦杉があり、続いて大王杉をゆっくり眺めてから進んで行くと、再び先行者が見えた。

 

夫婦杉

大王杉

大きな荷物を担いでいたので宗像市の男性かと思ったら、それは水戸の女性だった。追いついてから声をかけ、後ろについて歩いていく。

 

するとすぐにウィルソン株のある場所に出た。7時20分だった。

一昨日ここを通った時は、人がいっぱいで写真を撮るのに順番待ちをしていた。今日はわれわれ二人だけである。

 

この株の前で写真を撮ってあげて、それから株の中に入って見た。もうすでに中は空洞で幹の外側が残っているだけだった。

 

水戸の女性がハートが撮れるというアングルを探していたので、ぼくもいっしょに探した。そしてそれらしい場所を見つけたので教えてあげた。そこで数枚ハートの写真を撮った。

ウィルソン株

ハートに見える?

森の普段の姿

そこへ若者たちがやって来た。こちらは十分に堪能したので先に出発した。このとき7時40分だったので20分ほど滞在していたことになる。

もうどうせ同じバスに乗ることになるのだからということで、こちらも二人で歩いていくことにする。ぼくは一度歩いているのでこれから歩くトロッコ道について説明をした。彼女が気になっていたのは、ストックをどうするかということだった。

 

ぼくは、ストックがあるとかえって歩きづらかったという感想を述べ、使うなら1本の方がいいとアドバイスした。ぼくはもともと1本しか持って行かなかったが、この先の帰りのトロッコ道ではストックは使わなかった。

 

8時、大株歩道入口に到着。ここからはトロッコ道のためほぼ平坦である。途中、思い思いに写真を撮り、マイペースで歩いていく。歩行速度はそれほど遅くはない。

 

歩きながら色々と話をした。仕事のことや旅のこと、学生時代の研究の話などを聞いた。学生時代に山には行っていたが、それは研究のためで登山目的ではなかった。本格的に登山をすることにしたのは今年からであること。歩くのが遅く長い時間がかかるので、今回初めて暗いうちから歩き始めたのだそうだ。

 

雨はいつの間にか上がっていた。

 

トロッコ道を歩いている時に若い二人が追いついて来た。そのまま後ろについて歩いている。一度写真を撮って休憩したときに聞いてみたが、後ろをいくとのことだった。

 

沢、沢

シダ、シダ

三代杉の先にトイレがあった。水戸の女性が立ち寄る。ここで若者たちは先へ進んで行った。

 

 

楠川歩道から白谷雲水峡

9時25分、そこからわずか先の楠川分れに到着。ここまでは標準タイムに比べてそれほど遅くない。ここから白谷雲水峡に向かう。雲水峡は峠の向こう側なので一山越えることになる。まずは峠のさらに上にある太鼓岩を目指す。

 

この峠道に入ると、これまでみた景色とは少し違っていた。緑がさらに濃いのだ。

木の幹に生えた苔は、これまでよりもずっと上の方まで付いている。切り株も多く、そこにはびっしり苔が生えていた。

緑の登山道

朽ちた大木に苔が生える

苔の幹

この山には切り株が多かった

大岩に伸びた根

木の幹ばかりではない。大きな岩が木の根に支えられ、その岩にも苔が生えていた。

 

前を行く女性は、登りになるとあきらかに速度が落ちていた。登りが弱いらしい。

だが、バスは1時45分だからたっぷり時間はある。楠川分れから通常では3時間のコースである。とすると通常の速度では12時半頃には到着する。プラス1時間あれば余裕だろう。

 

辻峠に着くと、白谷雲水峡からきた大勢の人たちがいた。本格的な登山の格好をした人はほぼおらず、ほとんどがハイキングに出かけるときのような格好だった。

 

ここにこれだけ人がいるということは、白谷雲水峡までバスは通っているし、増水による通行止めもないということなので安心した。

 

峠にはベンチがいくつか置かれていてたくさんのザックが置いてあった。さっき先に行った若者らのザックも並べて置いてあるのを見つけた。こちらもその近くにザックを置いて太鼓岩まで登っていった。

太鼓岩から下を見下ろす

 

太鼓岩まではきつい坂でけっこう大変だった。残念ながら岩の上に登っても見えるのはすぐ下の森ばかりで遠くの景色は拝めなかった。

 

太鼓岩は登りと下りとが別ルートになっていて、下の方が時間がかかる。そこに変わった形の杉が立っていた。そこには名前がついていて、島の一般のひとが名付け親になっていた。公募でもしたのだろうか。名前があるとなぜか人は親しみを持って眺めることができる。

 

ふたたび辻峠に戻るとすでに12時を回っていた。若者らのザックはなくなっている。

連れとなった女性がそろそろ時間が気になりはじめたようだ。どこにも寄らずまっすぐ下れば白谷山荘から1時間であると地図を見ながら説明する。

 

下り始めると再び雨が降り出した。二人とも傘を出して差していった。

 

もののけの森

輝く苔

白谷山荘に着くともうすぐ12時半になろうとしているところだった。このペースではバスに間に合わない。すると彼女はそこからものすごいペースで下り出した。こちらも追いついていくのが大変なくらいだった。

 

どんどん先行者を追い抜いていく。歩くのが遅いなんてとんでもない。白谷川にかかるさつき橋という吊り橋まで約30分で下りて来た。このペースならあと15分ほどでバス停に着くだろう。

 

そこで少し余裕ができたので弥生杉まで足を伸ばすことになった。その分かれ道にいくと、いきなり見上げるような階段を見て嘆いていた。どうやったら楽に登れるかと訊かれたので、自分の経験では二軸歩行で重心を左右に乗せながら歩くと疲れにくいという話をした。実際にやってみて、確かに少し楽かもという感想だった。

 

その後も何度か登り階段があって、その度に嘆いていたが足は止めなかった。

弥生杉に到着したのは1時15分だった。バスの発車まであと30分ある。

そして午後1時30分、無事に白谷雲水峡バス停に到着した。

 

雨は本降りになっていたが、緑の森を歩き通した充実感があった。水戸の女性もあれだけ早く歩けることに自分でも驚いたと話していた。そして最後に1本残していたタバコを待合所の屋根の下に吸いにいった(このあとそこでタバコを吸わないようにとバス会社のひとに注意されていた)。

 

バスの窓口のある建物の軒下に行くと、若い二人がベンチに座っていた。

「だいぶ早く着いたでしょう」

ふたりに話しかけると、そうでもないですよという返事だった。

 

間もなくバスがやって来た。我々4人は固まって席に着く。外は雨に烟っていた。やがてバスが下に降りていくと、しだいに雨は上がり明るくなって来た。やはり山の天気なのである。

 

そして最初に青年がバスを降りた。車窓からさようならと手を振った。彼も手を振りかえした。

つづいて降りたのはぼくである。

 

まだ先だと思っていたので慌てて女性二人に挨拶をして急いで降りていった。

宮之浦バス停

 

最後に

宮之浦バス停で降りて、近くの釣具店にいく。そこで今夜の宿の受付を行い、少し離れた民宿まで車で送ってもらう。

 

宿に入るとまずはシャワーを浴びた。本当は近くの温泉に行こうと思っていたが、バスに乗っていくのが面倒なのでシャワーで間に合わせることにした。

 

ついでに洗濯機があったので洗濯もした。

そして大事なことを思い出す。職場のお土産を買わなくちゃ。

 

宿のサンダルを履いて土産物店まで歩いていく。ふたたび小雨が降っていたので傘を差して出かける。これが案外遠かった。

 

当初予定していたお土産が見当たらず、またちょうど良い数のものがなかったのでしばらく考えてしまう。色々工夫してやっとレジにいく。するとそこに水戸の女性がタクシーに乗ってやって来た。なんだかさっぱりとした顔をしている。聞けば温泉まで行きたいと言ったら宿の人が送ってくれたのだという。そしてお土産を買うためにタクシーも手配してくれたというのである。

 

女性だからなのか、それとも人柄なのか、羨ましい限りである。

 

宿に戻ると上り框の上にシューズドライヤーが二台置いてあるのに気がついた。それだけ雨が多い土地だということだろう。料金は100円だか200円だか忘れてしまったが、おかげで翌朝には乾いていてとてもありがたかった。

 

その夜、ひとりで居酒屋に飲みにいく。そこは愛想のいいおかみさんと母親らしい調理場の二人で切り盛りしていた。

 

マグロ、あかはら、秋太郎の3種盛りというお造りを頼む。あかはらはカンパチ、秋太郎はバショウカジキ。値段は1800円ということで、一人で食べるにはちょっと奮発したが、量はかなりあった。

 

それに屋久島といえば飛魚(らしい)。飛魚のさつま揚げは草履サイズ。そして地酒の焼酎をたらふくいただいた。

お造り

飛魚のさつま揚げ

調子に乗って飲みすぎて、危うく二日酔いになるところだった。おかげで朝食を食べにいく時間がなくなり、慌ててバス停に向かうことになった。

 

バス停に行くと、スーツケースを持った登山者風の中年女性がバスを待っていた。おとといは、屋久杉自然館についてからバスが運休であることがわかり、縄文杉ツアーが中止になったとのこと。昨日は白谷雲水峡にいって来たとのこと。

 

そして今日はこれから屋久杉ランドに行ってくるということだった。

 

空港でバスを降りるとき、「楽しんできてください」と言って別れた。とにかく今回の旅行の最終日がいちばん良いお天気に恵まれたのである。

 

まあ、それもよし。

屋久島空港にて

では、このへんで

 

 

広告

 

森の懐に抱かれて 【宮之浦岳と縄文杉】その4

高塚小屋

新高塚小屋で昼を食べ、雨が降る中を高塚小屋まで歩く。

今日は高塚小屋泊まりの予定なので後1時間ちょっとだ。

どうせこの雨でバスは止まっているだろう。

高塚小屋でのんびりしよう。

ひょっとしたら今日はぼくだけかも知れない。

そんなことを考えていた。

challe.info

 

高塚小屋で

雨雲はまだどかない

12時50分、高塚小屋到着。新高塚小屋から1時間10分。標準タイムとぴったりだった。高塚小屋はちょっとおしゃれな小屋で、「新」とついている方の小屋のほうが古い建物なのである。

 

小屋の入り口は開いていた。予想に反してすでに誰かがいるようだ。入口の前に立つと先客は一人の30代くらいの女性だった。

「こんにちはー、おひとりですか?」

「上にひとりいます」

この小屋は5人が横になれる広さで、急な階段で2階に上がれるようになっていた。

「上は男性ですか?」

「ええ、そうです」

「では上に行きます」

「このハンガーを使うといいですよ」

そう言って奥にあったハンガーを持って来てくれた。見れば三和土にレインウェアやザックカバーが掛けてある。朝からずっと雨のなかを歩いて来たのでレインウェアはずぶ濡れだ。ありがとうございますと言って受け取り、ハンガーに掛けて三和土に吊るした。

 

問題は靴である。もう中までびしょ濡れだ。低い上がり框に座って靴と靴下を脱ぎ、雑巾で足を拭く。親切にもサンダルが置いてあり、そのサンダルを履いて入口の外に出て濡れた靴下を絞る。

 

そんなことをしながらその女性と話をする。彼女は、この小屋には昨日の夕方に到着し、今日はずっと寝ていた。昨日の朝はまだ暗いうち、それも相当早く出発した(それは4時頃だったもよう)のに、それほど進んでいないうちに、かなり後から出発したグループに追い越されたといことだった。

 

「追い抜いていったグループの一人は無線機を持っていて、ちょっとびっくりしました」

「えっ、それは男性二人と女性一人のグループ?」

「あ、そうそう」

「その3人なら昨日、新高塚小屋の前で会いましたよ。これから荒川登山口まで行くといっていました。その無線機を持った男性が、早く出たのにすぐに追いついてしまった女性がいたといって心配していましたよ」

「それ、わたしです。ずいぶん長い時間歩いたので疲れて今日はずっと寝てたんです。おかげでだいぶ疲れが取れました」

 

そして、本格的に登ることにしたのは今年からで、以前は誘われた時に登る程度であることなどを話してくれた。

 

梯子よりはマシな階段を登っていくと、背の高い若い男性がいた。さっきぼくを追い越していったひとだと思った。

 

「どちらからですか?」

「横浜です」と青年は答えた。

「わたしは平塚です。昨夜泊まった宿で一緒になった人も神奈川から来ている人でした。なんだか神奈川だらけですね」

 

そうしてどの辺りの山によく出掛けるのかと尋ねたら、「丹沢にはよく行きます」ということだったので、さらにどのあたりに行くのかと聞いたら割合と西丹沢が多かっ。

「東丹沢にはヤマビルがいっぱいいますからね」

そうと言うと、やはり被害には遭ったことがあるとのことだった。

 

「ズボンの裾が赤くなっているので何かと思って見たら、奴がいたんですよ。手で払ったら取れたんですけどなかなか血が止まらなくて」

「ふつうは手で払っても取れないのでラッキーでしたね。塩や虫除けスプレーをかけると取れるそうですよ。自分は塩のほうは試したことがありませんが。血を吸うときに固まらない成分を入れるので血がなかなか止まらないのだそうですよ」

 

そうしてヒル退治話の後、ぼくが気に入っているルートの話などをした。そして話の中で、もともとは横浜ではなく茨城の出身だと言うことを聞いた。

 

午後4時頃、夕食の支度のために1階に下りていった。固形燃料なので換気ができるところでないと匂いがきついのである。

 

少しして青年も降りて来て外へ出ていった。

 

小屋前の雨に濡れたヒメシャラ

 

夕食の準備をしているところに男女のカップルが雨を滴らせながらやって来た。準備していたストーブを端にどける。そのとき1階の女性は外に出ていたのでぼくが対応に当たり、ハンガーを持って来て叩きに干すように促す。

 

「今何人くらいいるのですか?」と訊かれたので、

「いまは1階に女性が一人、2階にはわたしともう一人の男性がいます」

「明日の朝、早く出発するのでここにします」と言って二人はザックを一階の奥に入れた。

「近くに水場はありますか?」

「縄文杉の近くまで行かないとないようですよ」

 

話しかけてくるのは夫らしき男性の方で、穏やかな声で聞いたことを奥さんらしき人に伝えている。すると奥さんのほうはなにやら旦那に厳しい声を投げかけていた。それでも旦那は淡々と穏やかに返事をしていた。なるほど、自然とそうなっていくのだな、そうじゃないと喧嘩ばかりすることになる。二人の会話からそんなことを思った。

 

湯を沸かしていると、1階の女性がタバコを吸い終えて戻って来て、近くに座った。そしてぼくの使っている固形燃料を見せて欲しいと言った。ぼくは使っているエスビットのメリットなどを説明した。

 

その後さきほどの二人は水汲みに出かけ、そしてしばらく帰ってこなかった。縄文杉をみているのだろう。

 

そこへ青年が戻って来た。どうやら水汲みにいってきたようだ。女性は青年に向かって言った。

 

「さっき上で話していたのが聞こえたのだけど、茨城出身ですか。私は水戸。どうも話し方がそうじゃないかって思ってたんですよ」

「僕は⚪︎⚪︎(と地名を言う)なので近くですね。普段はあんまり出ないのですが、実家に帰るとやっぱり方言になっちゃいます」

 

それを聞いて、ぼくが長年勤めた職場には茨城出身の人がたくさんいて、方言丸出しの個性的な人が多かったなあと、しみじみと昔のことを思い出していた。

 

そこに20代くらいの若い女性が入って来た。なんだかとても陽気な方である。すると親しそうに青年と言葉を交わしだした。会話の様子から、昨日淀川小屋で一緒だったことが分かる。

 

ぼくがフリーズドライの夕食を食べているうちに青年は2階に戻っていった。夕食を食べ終えるとぼくも2階に上がった。若い女性はレインウェアを脱いで三和土の上に吊るしている。

 

しばらくして若い女性が2階に上がって来て小屋の中の様子を窺っている。

「ここの2階には今二人。この上にも部屋があるよ」

青年はそう言って上を指差す。ぼくも、そうか3階もあったんだとあらためて認識した。

その女の子は好奇心旺盛で梯子に登って3階をのぞいている。

 

この小屋は吹き抜けになっていて、ノッポの壁だけの建物の中に棚のように2階と3階が作られている。2階は1階の真上、3階は三和土の上にある。棚なので部屋を仕切る壁はない。

 

3階に登る梯子は2階に登る階段のすぐ傍にあるので、梯子を登る時は1階まで見下ろせることになる。けっこう高い。

女の子は一旦降りて来て、さらに1階に置いてある荷物を持ってそれを3階に運び出した。どうやら3階に場所を決めたらしい。

 

小屋の周りはヒメシャラが群生している

 

夕食のとき、前の日にペットボトルに入れていた水はすべて使い切ってしまっていた。そこでさっき新高塚小屋で汲んできたエバニューのポリ水筒の水をザックから出してみた。するとけっこう濁っていて細かいゴミも入っている。水場は普段は沢の水だが雨が降ると完全に雨水になっていた。さっき水を汲んできた青年から、縄文杉の水場の水は濁っていないと言うことを聞いたので、明日の朝食のために水汲みに行くことにした。

 

靴はびしょ濡れだったので、小屋のサンダルを借りて出かけた。念の為、ヘッドライトを持って出掛ける。幸い帰りもライトなしで歩くことができる明るさが残っていた。

 

2階に上がると女の子が部屋の真ん中に座っていて青年と話をしていた。仕方がないので二人のお邪魔をする。青年はご飯を炊いていたようで、トランギアの鍋が置いてあった。聞けば母親のものを借りて来たと言う。大型のザックも父親のものだと言う。なかなかのアウトドア家族である。

 

外はもう暗くなっていた。雨の音は静かになっていてこのまま止んでくれるかも知れないと思った。

 

そこへもう一人、ぼくと同年輩の男性が小屋にやって来た。この男性が入ってくるとその女の子が下に降りていった。どうやら連れらしい。

 

男性は足がつったとかで、なんとかと言う薬を持っていないかと皆に聞いていた。最初にいた女性がもっているといってその男性に手渡した。ぼくはそんな薬があることを初めて知った。

 

この男性は全身びしょ濡れで、服の中もザックの中も全て濡れてしまったそうだ。だから3階に落ち着くまでに時間がかかった。

 

しばらくして3階でも夕食の支度を始めた。夕食を終えたのだろう、男性がこちらを見下ろしながら青年に年齢を聞いている。「27です」と青年は答えた。そして連れの女性には彼氏がいないなどと言うことを話している。そして、どうして若い女性と一緒に山に来られるのかと言う説明を始めた。

 

それは二人が同じ山の会の属しているからだそうだ。

「そうでもなけりゃこんな若い女の子と一緒に来られるわけがないですから」

なんだか嬉しそうである。

それからぼくにも話しかけなきゃと気を遣ったのだろう。どこからきたのかと尋ねられた。

「そちらは博多ですか」

そう言うと女の子の方は驚いていたが、男性が

「僕は宗像市です。そっちは福岡。やはり言葉でわかりますか」

 

この男性の荷物は水なしでなんと18キロもあると言うことだった。それじゃ歩くのも大変だ。だから到着が遅かったのか。そんなことを思っていると、青年の方も同じくらいの重量があるとのことだった。しかしこちらのほうは歩くのが早い。

 

青年とは7時に消灯するまで(灯は青年がLEDライトを天井に吊るしてくれていた)いろいろな話をした。

 

この夜、高塚小屋には男性4人、女性3人が泊まることとなった。

 

つづく。

 

challe.info

広告

 

森の懐に抱かれて 【宮之浦岳と縄文杉】その3

ヤクザル

10月7日、荒川登山口から縄文杉を見てその先の高塚小屋、そして新高塚小屋に到着。

靴を脱ごうとしたら、右足にこむら返りが起きそうになった。

平らな道ばかりでそれほど足に負担をかけていないはずなのに。

やはりまだ筋力が回復していなかったようだ。

もし縦走コースを行っていたらどうなっていたか・・・

 

challe.info

 

新高塚小屋で

この場所を確保

縄文杉から急に人の姿がなくなったが、これまでのように登山道脇には大きな縄文杉を相変わらず見ることができた。そのうちに霧が立ちこめて高塚小屋についた頃には小雨が降り出した。

 

ここでレインウェアの上着を着る。高塚小屋の周りには赤い幹のヒメシャラが数多く見られ、雨に濡れて滑るように艶めいていた。ここから新高塚小屋まで霧に包まれた神秘的な森の中を進んでいった。

 

12時半、新高塚小屋が目の前に現れると、庇の下の奥のほうにひとりの男性登山者が休憩していた。

 

その手前の入口から小屋の中に入る。中には誰もいない。ただ、上がり框にザックが一つ置かれていた。小屋の中は薄暗かったので窓の近く、そして入口の近くに寝場所を決めてマットを敷き、その上に寝袋を広げた。

 

さて、まずは水を汲みに行こう。そう思ってポリ水筒を持って外の水場に向かう。すると水場の近くで男女二人がザックを下ろし、これから水を汲もうとしていた。二人の後から水を汲み少し話をする。

 

男性は大柄な人でザックのショルダーベルトに無線機をつけていた。昨夜は淀川(よどごう)小屋に泊まり、少し明るくなりはじめた頃に出発して、宮之浦岳に登って来たところだという。

 

「どちらから入ってこられたのですか」

無線機の男性からそう訊かれたので荒川登山口からだと答えた。

「荒川登山口には中にテントを張れるような建物はありましたか」

「りっぱな建物のバスの待合所がありましたよ。これからあそこまでいくのですか」

「ええ、天気が荒れそうなので急いで下りようかと思います。もう、バスは間に合わないのでそこでテントを張るつもりです。テントを張れるような広さはありましたか」

「何張か張れる十分な広さがありましたよ」

「今日はこれからどうされるのですか」

「今日はここに泊まって明日、宮之浦岳に登る予定ですが、明日は大雨の予報だということであさっても続くそうです。明日の雨の状況ではやめるかもしれません。大雨になるとよくバスが運休するらしいですよ」

「今日はもう淀川に入るバスは土砂が崩れたとかで止まっています」

「それじゃ、淀川に下りても足がないですね」

「宮之浦岳まではそれほど難しい場所はないのでぜひ登ってくるといいと思いますよ」

 

そして、その男性は「われわれよりもかなり早く出ていった女性が心配です。2時間くらい前に出ていったのに割とすぐに追いついてしまったのですよ」

そんなことを言っていた。

 

話しながら小屋の入り口に向かうと、先に歩いていた女性の方がさっき休んでいた人に待たせたというようなことを言っていた。庇の下に座っていた人はこの二人の連れであった。

 

小屋に入り、寝袋に入って少し休む。すると雨が落ちる音が聞こえて来た。

 

4時頃に小屋の外で夕食の支度を始める。夕食といってもモンベルのリゾッタなのでお湯を沸かして注ぐだけだ。それにフリーズドライの味噌汁。

 

その少し前から少しずつ登山者が小屋に入って来た。5時過ぎに年配の女性ばかりのパーティがぞろぞろと入って来た。小屋の中が賑やかになった。困ったのはヘッドライトをつけてあちこちを見回していること。眩しい。そしてなかなか消してくれない。

 

 

屋久島3日目、雨の宮之浦岳を目指す

宮之浦岳への案内標識

翌朝は4時からその女性パーティーが動き出し、やはりライトであちこちを照らし出す。大勢が出たり入ったりするだけでも賑やかなのに、さらにこのライト攻撃はやめて欲しかった。

 

そして小屋に泊まった大方は5時までには出発していった。まだ外は真っ暗である。

 

ともかくこちらは明るくなってから歩くことにしている。ソロなので怪我をしたら大変だ。雨は相変わらず降り続けているが、大雨というほどではなかった。

 

午前6時、新高塚小屋を出発する。ヘッドライトは点けているが、すでにぼんやりと見えるくらいにはなっている。

 

本州では見慣れない姿の木々に見守られながら淡々と登っていく。「今日は誰にも会わないかも」と思う。

 

黙々と木々の根と根の間を通り抜けていく。それほど急なところはないが、少し急なところには階段がつけられていて、とてもよく整備されていると感じた。

 

第一展望台という標識がある場所に着いたが、あたりは靄っていて何も見えない。晴れていたら海や種子島が見えるのだろうか。森の中を進むには雨は気にならなかった。すこし開けた場所に出ると雨が直接あたり、少し風もあった。

 

雨が降るにつれ、登山道に水が溜まり始める。今回の山行のためにダナーライトをリペアして来たが、残念ながらゴアテックスが劣化してしまい水が染みて来た。昨年の雨では大丈夫だったので安心していたが、さすがに30数年も経つとダメらしい。このあたりではまだ靴先の方だけが濡れていたが、下る時にはもう全体がびしょ濡れ状態になってしまった。

 

そのうち目の前に大きな岩が前を塞ぐように現れた。その岩と岩との間を抜けると、さらに左側の岩がとなりの岩と上の方でくっつき合っていた。そこが平石岩屋だった。時計を見るとここまで約1時間半。

 

この近辺から高い木はなくなり、その先には笹やシャクナゲの平原が広がっていた。岩屋を越え、いったん下りになると風が強く吹き抜け、雨も激しく当たって来た。

 

再び登り返したところに平石の標識が立っていた。さらに滑り止めの横木がつけられた板の木道をいくと、その脇のシャクナゲにたった一つ白い花が咲いていた。

平石、笹原の草原が続く

 

シャクナゲの花

雨と霧の中を登っていくと突然男女の登山者が向こうから現れた。誰もいないと思っていたのでちょっと驚いた。そしてそのわずか先が宮之浦岳の山頂だった。時刻は8時20分。2時間20分ほどの短い登りだった。

 

宮之浦岳山頂の標識前ではひとりの男性が写真を撮っていた。つづいてぼくも記念撮影。自撮り棒は諦めて手で持って撮ったのにも関わらず、風のためにブレてしまった。

 

宮之浦岳山頂にて

それにしてもすごい風と雨だ。昨年4月下旬に登った金峰山を思い出す。あの時もすごい風と雨だった。ただ、あの時は南側の岩陰に入れば風を避けられた。しかし、ここは岩陰に入っても風は相変わらず吹きつけて来た。

 

せっかく登ってきてあまり早く下りるのもシャクなので、屈んでソイジョイを食べた。見えるのは地面と近くの岩ばかりでまったく景色は見えなかった。

 

そうして10分ほど滞在して下山を開始した。あの平石岩屋を過ぎればこの風雨は避けられるだろうと思いながら下っていく。ちょっと慌てたためか、木道に滑ってひっくり返る。

 

平石岩屋につくと、岩の間に入ってみた。なるほど、ほどんど風が来ない。足元には小さな祠が鎮座していた。上には隙間があるので雨は降ってくるが、この静かな空間にほっと一息ついた。

 

平石岩屋にほっと一息

小さな石の祠

ヤクザルには何度も遭遇した。奴らは歩いているぼくの脇に平気でやってくる。いや逆である。こちらが奴らに近づいていってもちっとも逃げない。こちらが心配になるくらいだ。

 

そこにいたのは子ザルで、近づいていくと親ザルが飛んできた。襲われるのではないかと心配していると、他のサルも数匹やって来て集団で離れていった。その後もこうした集団をいくつか見かけた。

 

だいぶ下りて来た頃、今度は木の根に滑って転ぶ。さっきよりはバランスを保てたのですぐに立ち上がれた。少しして後ろから背の高い登山者が迫って来た。足場の安定したところまでいって道を譲った。若者だった。今朝から出会ったのはこれで3人(組)目だ。

 

10時半過ぎに新高塚小屋まで戻って来た。ここでザックを回収だ。実はほとんどの荷物をここに置いて、小さな袋に行動食と水、非常用のセット、それにツェルトがわりのポンチョを入れてそれを背負って山頂を往復してきたのである。

 

昨日小屋に入った時に置いてあったザックも同じようにして山頂を往復して来た若者が夕方回収していった。無線を持った男性は、その若者は荒川登山口から最後のバスに乗ると言っていたそうだ。だとすればものすごい健脚である。

 

ここで荷物を整理し、ついでに昼食。11時40分、新高塚小屋を出発し高塚小屋に向かった。

 

 

つづく。

 

 

広告

 

森の懐に抱かれて 【宮之浦岳と縄文杉】その2

屋久島2日目。10月7日(土)。

いよいよ宮之浦岳を目指して山に入る。

心配なのは天気。

予報では、翌日は大雨とのこと。その後翌々日も、となる。

状況によっては登頂できない可能性もでてきた。

challe.info

 

荒川登山口から縄文杉トレッキングコース(1日目)

向こうに見えるのは種子島?

荒川登山口に行くには、屋久杉自然館で荒川登山口行きのバスに乗り換えることになっている。ぼくは5時過ぎに(空港には止まらないため)塩の道バス停からバスに乗った。

 

これで行けば、自然館を5:40発のバスに乗り継げるはずであったが、なんと満席で、ぼくを先頭にして5、6人が乗り切れなかった。それで次に戻って来たバスに乗り、6時過ぎになってようやく登山口に向けて出発した。

 

待っている時に、右側の座席に座ると海が見えるとバス会社の関係者が話していたのでその通りに座る。しばらくすると薄明かりの中、木々の間からぼんやりと海の上に浮かぶ種子島が見えた。

 

道は狭く、あちらこちらで修復工事が行われ、崖崩れの爪痕が見える。大雨が降ったら危険であることがよく分かった。

 

山道をいくバスの車内で写真を撮っていたら、なんだか気持ちが悪くなって来た。写真を撮るのをやめて大人しく前を見て座る。

 

狭い道を走るバスは、荒川三叉路で右に折れて町道荒川線に入る。曲がらずにまっすぐにいくと屋久杉ランド、そして当初予定していた紀元杉バス停に行く。

 

バス酔いを我慢していると、約35分で荒川登山口に到着した。広場の端に立派な待合所、隣に別棟のトイレが建っていた。

 

待合所で少し休むとだいぶ楽になって来た。ここで水を汲もうとしたが、トイレの手洗い場の水は飲料不可となっていた。ただ、宿でペットボトル1本分は水を詰めて来ていたので問題はない。

 

バスが一回りできるくらいの広場のさらに向こうの方にはトロッコのレールが敷いてあり、小屋には古いトロッコが仕舞われていた。

 

荒川登山口

安房森林軌道

 

6時50分、いよいよ縄文杉、そしてその先にある新高塚小屋に向かって歩き出した。他の皆は先に出発してしまったので、ぼくが最後だった。

 

左側に川を見下ろして少しいくと橋があって、そこを渡ってしばらく安房川の右岸を歩いていく。

 

初めはたった一人取り残されて寂しい気分で森を歩いていた。やがて前方に先行者が見えるとどんどん距離が近づいていった。

 

最初の橋

 

先行者は先頭がガイド、後の二人がお客さんのようだった。ガイドが説明をしながら歩いているのですぐに追いついてしまうのである。

 

次に現れたのは女性3人組。お揃いの格好をしていた。ガイドが立ち止まって崖を見上げながら説明している横をすり抜けていった。

 

左側の崖からは清水が滴っていて、森が水を湛えているのがわかる。トロッコ道はその先も小さな沢をいくつも越えていく。木々は森を作りその根は土をしっかりと捉える。土は雨水を溜め込み、溢れた水が沢となって広い川に注ぐ。

 

安房川支流

トロッコ道のトンネル

小さな沢をいくつも越えて

清水の滴り

トロッコ道は軌道の中心に板が敷かれていた。幅が狭いのでストックを突くときはレールと板の間の砂利の上に突くことになる。このためストックを突きながらは歩きにくかった。最終日に歩くときはストックをしまって歩いた。

 

7時25分、小杉谷橋を渡る。この辺りに部落があり、小学校、そして中学校まであった。おそらく屋久杉を切り出す林業に携わる人たちが住んでいたのだろう。

小杉谷橋

小杉谷小中学校跡

当時の様子

この辺りから切り出した切り株にほかの樹木などが着生している様子が見られる、ということが書かれた案内板が立っていた。つまりこの先から木々を切り出していたことになる。

切り株に着生

そしてこの辺りから前方をいく大勢の人たちが見られるようになる。

 

7時55分、楠川歩道入口に到達。案内板には「楠川分かれ」と書かれていた。ちょうどそこで数人の女性たちが写真を撮っていた。

 

この少し先の右手にトイレがあり、そこで2、30人くらいの人がトイレに並んでいた。左側にも10人ほどにハイカーが休憩していた。

 

とりあえずトイレは大丈夫だったので、このトイレに並ぶ集団を追い越していった。

すぐに三代杉があった。一代目の上に二代目が育ち・・・というふうになっていると書かれていたが、一代目は空洞になっていてよくわからなかった。

 

苔がきれい

まるで杉並木

三代杉

その先から次第に道は右に左にくねくねとうねり出す。この辺りまで来ると、歩くスピードが同じグループと前になったり後ろになったりしていく。グループというのは大抵二人から4、5人くらいまでで、そのグループそれぞれにガイドが一人ついている。

 

つまり、グループの数だけガイドがいることになる。ぼくと歩調が合うグループは30代くらいの女性のガイドだった。

 

 

大株歩道入口から縄文杉へ

くねくねと曲がりながら進んでいくと仁王杉があり、トロッコの切り返し場所があった。

 

大株歩道入口

仁王杉

トロッコの切り返し場所

そして、9時を少し回ったころ、大株歩道入口に到着した。ここには線路脇やその先の橋の向こう側に大勢の人が休んでいた。ぼくも入り口の手前にある板に腰掛け少し休んた。

 

するとそこへ少し遅れてさきほどの女性ガイドの一行がやってきた。休む場所を探しているようだったので、「ここへどうぞ」と言って場所を譲った。

 

橋を渡って向こう側の2階建てのトイレに入る。ここでは並んではいなかった。

 

大株歩道入口

大株歩道入口の階段

10分ほど休んで大株歩道への板の階段を登る。これまでの平らな道から突然登りになった。もうすでに下ってくる人たちもいて、道を譲り譲られながら登っていく。

 

トロッコ道はここで終わりである。ここまではスニーカーで来られるが、ここから先は普通の登山道となり、スニーカーではちょっと厳しい。

 

最初の階段のあと、岩の山道を行くとふたたび木の階段が現れる。前方のガイドさんが、「ここからこうした階段がずっと続きます」という声が聞こえた。

途中から現れた階段

赤いのはヒメシャラ

木の根もすごい

登山道に入るとガイドの説明に立ち止まるからなのか、人が詰まりだした感じになって来た。

 

ガイドさんは後ろをよく見ていて、こちらが追いつくとすぐに立ち止まって道を開けてくれる。おかげでこちらは休む間もなくどんどんと登っていくこととなった。

 

それにしてもガイドさんには様々なタイプの人たちがいて、お客さんの話に合わせてずっと喋っている人や、外人さん専門? と思われるような人、杖を持った仙人のような人など様々で、ガイドさんウォッチも結構楽しい。

 

10時10分頃、腹が減って来たので、ベンチや段々になった板の休憩場所で、ゲストハウスのねーさんに作ってもらったおにぎりを食べることにした。

 

そこは大王杉の少し手前で、15分間昼食休憩をとった。おにぎりはボリュームがあったので昼は一つだけにし、もうひとつは夕食にすることにした。

 

大王杉

 

11時15分、縄文杉に到着。少し離れたところに展望デッキが作られており、ツアーのお客さんが順番に記念写真を撮っていた。

 

展望デッキはもう一つ隣にあるが、そこはパスして次の高塚小屋に向かった。

 

先へ進むと、これまでとは違って歩いているのはぼくひとりだけとなった。ツアー客は縄文杉が目的で、そこから引き返す日帰りコースなのである。

 

縄文杉


11時半、高塚小屋に到着する。

そして12時30分、きょうの目的地である新高塚小屋に到着した。小屋の扉を開けると誰もおらず、ザックが一つ入口近くに置いてあるだけだった。

 

高塚小屋

新高塚小屋に向かう途中

 

新高塚小屋

つづく。

 

challe.info

 

広告

 

森の懐に抱かれて 【宮之浦岳と縄文杉】その1

屋久杉

10月の連休に屋久島へ行ってきた。

結果的に目的は達成したが、問題があって予定とは違うコースを歩くことになる。

ともかく台風が来なくてよかった。

屋久島には予定通り入れて予定通り帰って来れた。

まあ、それだけでもありがたいことだ。

 

宮之浦岳ってどこにあるの

昨年の4月下旬に奥秩父にある瑞牆山に登った。

その時、登るペースが同じでぼくより少し年上の女性と、ぼくより20歳くらい若い女性がいた。その二人と前が詰まって待っている時などに言葉を交わすようになった。

 

一緒に山頂に立った時、休憩しながらしばらく話をした。

 

そのとき若い方の女性は言った。

「今日ここにきたのはお天気が良いということだったから。本当は宮之浦岳へ登る予定だったけど、天気が悪いということなのでツアーをキャンセルしたんです」

 

お姉様のほうは、宮浦だけにはすでに登っていて、安い航空券の取り方などをレクチャーしてくれた。やはり天気の悪い日には登らないそうで、お天気アプリを紹介してくれた。

 

そのときぼくは、宮之浦岳について何も知らなかった。

「宮之浦岳ってどこですか?」

そう尋ねると、ふたりが「屋久島です」と口を揃えて教えてくれた。

 

 

屋久島といえば縄文杉

 

屋久島といえば縄文杉だ。それくらいは知っている。だが、宮之浦岳は知らなかった。

そのときは日本百名山に挑戦すると決めて初めての登山だったのだ(若い頃に登った山もカウントしてはいるが)。

 

縄文杉の話を直接聞いたのは、およそ20年前のこと。職場に入ってきた新卒2年目の女の子が家族と縄文杉を見るトレッキングに参加してきたという話を聞いたのだ。それはそれは嬉しそうに話してくれた。

 

そのときはルートなどを詳しく調べることはしなかったけれど、いつかは行ってみたいなと思った。

 

 

宮之浦岳縦走計画

日本百名山の制覇を目指して、季節と日程そして旅費のことを勘案しながら次の目標の山を決めている。

とくにこの順番に登ろうと決めてはいない。

 

今回宮之浦岳に登ることにしたのは、10月の連休に合わせて休みが取れたこと、10月は屋久島に行く航空券代が安くなること、そして10月は比較的雨が少ない時期であることからである。

それに九州の百名山はこの宮之浦岳をのぞいてすべて登っていたので、この山を登れば九州の百名山を制覇することになる。

 

百名山を登るためのガイドブックとして使っているのは、JTBパブリッシング「日本百名山 山あるきガイド」である。今回はこれに同じ出版社の「日本百名山登山地図帳」を追加購入した。

 

 

それらを見てコース設定をしたのが、淀川(よどごう)登山口から入って宮之浦岳に登り、白谷雲水峡に下りる2泊3日の縦走コースである。

 

具体的には、入山初日に淀川小屋に宿泊し、翌朝、花之江河(はなのえごう)を通って宮之浦岳登頂。そのまま向こう側に降りて新高塚小屋に宿泊。3日目は高塚小屋を通って縄文杉、大王杉、ウィルソン株をみながら大株歩道入口に下りる。それからトロッコ道を通り、楠川歩道入口から辻峠を越えて白谷雲水峡に下山する。

 

不安なのは、2日目の歩行時間が7時間強となることだ。まだコロナによる体力の消耗が完全には回復していないのだ。

 

 

屋久島に入る

プロペラ機で屋久島まで飛ぶ

羽田を午後の便で鹿児島に入る。積荷の積載遅れのため出発が遅れ、到着は15分遅れとなった。

 

鹿児島空港で2時間ほど乗り継ぎ便の出発を待つ。その間に夕食をとり、予定より少し遅れて18時ころ屋久島目指して鹿児島空港を飛び立った。

 

プロペラ機に乗るのは初めてである。ジェット機と比べると遥かに小さい。それでも70人乗りだという。何気なくとった座席だが、ちょうどプロペラが回るところがよく見えた。

 

鹿児島空港での夕食

ちょうど夕日が

 

プロペラが回り出すと機体が動き始め、滑走路に到達するや一気に回転速度が上がる。それほど滑走しないうちに機体が舞い上がった。

 

眼下には桜島が見える。自転車日本一周で走った道を目で追っているうちに最南端の佐多岬が見えた。

 

夕闇が迫り、次第に海も見えなくなった。

眼下に桜島

 

約35分で屋久島空港に着陸する。飛行機から降りて歩いて空港の建物に入る。すると先に降りた乗客が大勢壁際に立っていた。

屋久島空港に到着

 

何かと思ったら、建物に入ってすぐのところにカウンターのようなものがあり、そこが預けた荷物を受け取る台であった。ぼくの荷物が早く運ばれて来ないかと見守っていたら、なんとほぼ最後の方になってようやく運ばれてきた。

 

急いで荷物を受け取ると、建物を出て(すぐに出入り口の扉がある)、あらかじめ調べておいたドラッグストアに歩いて向かう。

 

買わなきゃいけないもの。それはお酒とつまみ、明日の行動食、そしてライター。ライターは一つだけ機内に持ち込めるが、ぼくのもっていたチャッカマンタイプのちびっちゃいやつは、ライターではないと言われて没収されていたのである。

 

これらを買うと、再び歩いて今夜の宿に向かう。それは空港から数分のところにあるゲストアウス。そこへ向かう道路は、一部街灯のないところがあって真っ暗だった。そこを抜けるとすぐ右側に建物が見えた。近づいてみると、予約したゲストハウスの名前があった。

 

 

ゲストハウスに泊まる

ゲストハウスの外にふたりの男女が椅子に座っていた。なんと声をかけて良いか分からず、思わず名前を名乗ってしまった。すると男性の方が近づいてきて言った。

「いま、お客さんを案内しているので、もうすぐ来ると思いますよ」

どうやらこのゲストハウスの人ではないらしい。後で分かったのは、屋久島が気に入って長期滞在しているゲストであった。

 

少ししてオーナーの、ねーさんと呼ばれる女性がやって来た。そしてひとまずハウス内を案内してもらい、ルールなどの説明を受けた。

 

宿帳に名前を記入すると「宮之浦岳にのぼるの?」と聞かれた。

ええ、そうですと答えると、スマホの画面を見せて「明後日は大雨になる予報がでてるよ」という。

歩くルートを話すと、首を傾げられた。

「雨が降るとバスが止まることがあって、しかも大雨だと止まる可能性が高いですよ」

バスで降りてくる日はその翌日なので、山小屋にいれば大丈夫だと思ったが、雨が降れば道は川になり、沢は増水するという。降りようとしている白谷雲水峡では無理に渡渉しようとして亡くなった人もいるという話を聞かされた。

 

地元にいる人(このねーさんは、関西から移住してきたらしい)から聞かされると、屋久島は本州とはかなり違うように思われた。いろいろと心配をしてくれて、何度も天気予報を見てくれる。

 

そんなことでぼくも心配になり、登山コースを変更することにした。ともかく入山は荒川登山口として、荒れそうな縦走ルートは採らないこととした。もしも元気なら歩いたかもしれないが、コロナ後で体力が落ちている状況では無理はしない方が良いと判断した。

 

万一のことも考えて、荒川登山口からのルートも調べて地図も印刷して来ていた。ルート変更することを告げると、ねーさんは明日の朝のバスの時刻と乗り場について説明してくれた。

 

さらにはおにぎりもひとつ80円で作ってくれるという。それで2つお願いし160円を支払った。

 

風呂上がりに買って来たせんべいとサワーを飲んでいる時に、外で立ち上がって案内してくれた若者と話をした。

その若者は年の半分近くを屋久島で過ごしているとのことで、このゲストハウスに泊まって近くで仕事もしているということだった。

 

さらには自転車で日本一周をしていることもわかり、話が弾んだ。かれの日本一周は実は一周どころではなく、日本を隈なく回る旅であったことがわかる。走行距離は22,400キロで、ぼくの約2倍。それを3回に分けて4年かけて回ったという猛者であった。

 

ちなみにライターが取り上げられた話をしたら、没収されたものとほぼ同じタイプのライターを取りに行ってぼくにくれた。

 

話し足りない気もしたが、すでに9時を回っていて、明日は早いので話を切り上げてベッドに入った。

 

翌朝、団欒室に入ると食パンと一緒におにぎりがテーブルに置かれていた。

このゲストハウスでは、朝食としてトースト1枚とコーヒーなどの飲み物1杯が無料になっている。

 

すでに二人のお客さんが食事をしていて、4時過ぎのバスに乗るとのことである。

 

それまでのわずかな時間に話をしたところ、二人は別々に来ているが同じ神奈川県からでぼくと同じだった。そのひとりは日本百名山に登っていて、これから登る宮之浦岳でちょうど50座目になるということだった。

 

 

つづく。

challe.info

 

広告

 

登山口でコロナ発症 【日本百名山登頂断念記】その3

昼食はソースカツ丼

河井継之助記念館を出発してすぐに見つけた天然炭酸水の湧水。

ここでのどを潤す。

この少し前、道路沿いの駐車場に入った時に温泉の案内が掲示されているのを見つけた。

その名は大塩温泉。

入浴1回300円。

いいじゃないか。

 

 

 

大塩温泉

大塩温泉

大塩天然炭酸場で採取した炭酸水をペットボトルに詰め、すぐ近くにあるという大塩温泉に向かう。

この辺りは、「塩」のつく地名が多いという。先の記念館のガイドさんに聞いてみると、やはり昔は塩が採れたのだという。山塩だ。

 

河井継之助記念館のある場所は塩川。これから向かう温泉は大塩。大塩の方がたくさん塩が採れたのだろうか。

 

そんなことを考えているうちに温泉に到着。建物は最近建てられたもののようだ。

温泉場にあったチラシ

駐車場からだとよくわからないが、入り口を入るといきなり急な階段が下に向かっていた。

「えっ、地下?」

しかし、下の階にも日差しが差し込んでいる。

 

階段下は受付になっていて、ちょっと先輩の男性がウトウトしていた。

下に降りていくと目を覚ましたので、入浴料300円を渡す。

 

温泉の湯は茶色い濁り湯だった。

綺麗な浴場で温まっていると、外湯があることに気がついた。

扉を開けてみると、ベランダのようなところに幅の狭い浴槽があり、外側には日覆いがかけられていた。

隙間から覗くと下に川が流れている。この温泉はどうやら崖っぷちに建っているようだ。

 

温泉の湯が濁って下が見えないのでゆっくり入っていく。慎重に入ったつもりだったが、浴槽の中の周りが段になっていてそこですべってしまった。

あっと思う間もなく尻もちをつく。ちょうどその段になったところに座った形だが、右の尻をけっこう打ちつけて痛かった。

 

しかしまあ汗を流せて気持ちが良かった。

 

 

金山町

温泉から上がって外に出るともう12時45分。どこかで昼食を食べよう。そう思って出発。

ところが先へ進んでも店らしき看板は見つからない。

10分くらい走ったところに食堂を見つけたが、駐車場がいっぱいだったので通過した。

 

1軒見つけたので、またすぐにあるだろうと思ったが、なかなか次が現れない。

ようやく見つけたのがラーメン屋だった。

本当はそばが食べたくて蕎麦屋を探していたのであるが、あまりの店の少なさに、ともかく何か食べなくてはという危機感からバイクを止めた。

 

店は右側にあり、ほんの少し行きすぎたので一旦止まらなければならなかった。ところが右折のウインカーを出して急に止まったので、ぼくの後ろを走っていた車も一緒に止めてしまった。頭を下げて先に行ってもらう。

 

もうここ数年、ラーメンは食べないようにしている。だからちょっと躊躇したのだがご飯ものもあるだろうと店に入る。

 

店の前には車がいっぱい停まっていた。当然、店にもお客さんがたくさん入っていた。こちらは一人なのでカウンター席に座る。時計を見ると午後1時を少し回ったところだった。

 

店には色紙がたくさん飾られていた。そのどれもがカツカレーミックスラーメンを絶賛する内容だった。メニューを見るとそれが名物と書かれていた。

 

店内の色紙

これが名物

 

カツカレーがありご飯があるならご飯のカツカレーがメニューにあっても良さそうだが、なんとそれがない。そばの代わりにカツカレーモードになっていたのでがっかりである。

 

モードを入れ替えて代わりに注文したのはトップ写真のソースカツ丼。ついてきたスープの量がすごい。もう途中で腹一杯。だが完食。

 

店内に貼られているポスターなどから、この店があるのは金山町であるということがわかった。このあたりでは一番大きな町のようだ。

 

店にいる間、たくさんのバイクが通り過ぎた。みなこの道路を走りに来ているように思われる。この国道252号線は只見線や只見川に沿っていて、とても風光明媚なのである。

 

 

道の駅 奥会津かねやま

道の駅 奥会津かねやま

食べすぎて苦しいので、次に現れた道の駅で休憩することにする。

広い駐車場の片隅にある別の建物の近くにバイクが並んでいる。その一番端っこにぼくのスーパーカブを停める。

 

そこにある建物は、東北電力のPRのための建物らしかった。

入館無料に惹かれて入館する。

 

館内に入ると、受付の女性が近寄って来て館内の展示などについて簡潔に説明してくれた。この丁寧な対応ぶりは青森の六ヶ所村に行った時のことを思い出させた。

 

展示は企画展示を含めて大きく3つに分かれていた。

入り口を入ってまず人目を引くのが「千と千尋の神隠し」に登場する油屋の再現模型である。

油屋の再現模型

 

作者情報はこちら。

プロフィール - モケイの住宅展示場!名作の世界へ。

 

この模型の横を通って最初に見たのは白洲次郎の部屋。

白洲次郎が東北電力の初代会長だということをここで初めて知った。

白洲次郎がデザインしマッカーサー元帥に贈った椅子

 

白洲次郎を紹介した展示

詳しくはこちらで。

只見川と白洲次郎|東北電力奥会津水力館「みお里 MIORI」【公式サイト】

 

最近までアメリカに対してものが言えるすごい人だと思っていたが、どうも戦後作られたイメージであった公算が高い。

 

けれど、次郎自身はやはりぶれないプリンシプルを持っていたのではないかという気がした。

 

続いては只見川にかかわる絵画を見た。バックに東北電力を感じさせるものだが、作者独特の手法を用いていて、なかなか楽しめた。

 

そして最後に映画やアニメなどに登場する建物の模型コーナーを見る。

作者は、サザエさん家の間取り模型を作ったことをきっかけに次から次へと作ったようで、見たことのある映画やアニメの模型は十分楽しめた。ただ、見ていないものの場合はどうも興味が湧かなかった。

 

東北電力奥会津水力館みお里を出て只見川を見下ろす。

あの絵画を見た後は、やはり本物が見たくなる。

金山町の只見川

バイクを停めたところに戻ると、隣に別のスーパーカブが止まっていた。

そのライダーが「どちらからですか」と話しかけてきた。

「神奈川の平塚からです」と答えると、「一日で?」と訊かれたので、那須塩原に一泊して来たことを話す。

 

そのカブライダーは宇都宮から来たそうで、9時ごろにいい天気なのでもったいないと思って走って来たということだった。これからどうやって帰ろうかと考えているところだそうだ。

 

こちらは登山のため喜多方に向かっていることを話した。

その後しばらくスーパーカブ談義を楽しむ。

 

 

登山口に到着

御沢野営場

会津から小高い山に入り、そこを下っていくと田園風景が広がっていた。喜多方市に入った。

 

さて、そろそろコンビニで今夜と明日の朝の弁当を買い、ガソリンも補給しなくてはと考えながら進む。すると道の先にガソリンスタンドの看板が見えた。近づくとなんとその手前がコンビニだった。

 

先にガソリンを入れ、次にコンビニで昼に食べたかったざるそば弁当とおにぎりセットを買う。

 

店から出てくると、軽のワゴン車に乗ったおじさんが話しかけて来た。

「平塚から?」

「途中で泊まって来ましたけど」

「そうだろうね。厚木には今もときどき行ってるよ」

「厚木は平塚のとなりですよ。この車でですか」

「年に何度か仕事の用事があるんだ」

そして、

「オレも昔バイクで東京まで走ったことがあるけど、こんな姿勢で(体を前傾させて)腕が痛くなったよ」

「一気に行ったのですか?」

「ああ、あれで懲りたけどね」

そんなことを話していたが、なかなか終わりそうもなかったので、「それじゃそろそろいきます」といって別れた。

 

そこから10分くらい街中を走ると道は山に向かって上って行った。それでもまだ道幅は広く、集落もあってこのえ前の恵那山のときのような細くてくねくねした道とは大違いだった。

 

しばらくすると民家はなくなったが車は余裕ですれ違えるほどで、ところどころに車が止めてある。すると渓流釣りのアングラーが近くを歩いていたりした。

 

左折して橋を渡るとようやく道が細くなって寂しげになってきた。このまま山の中に入っていくのかと思ったら、突然目の前が開けてそこにたくさんの車が駐車していた。

 

ここに来るまで同じ方向に行く車は見かけなかったので、飯豊山へ登る人は少ないのだと思っていた。それがどうだろう。すごい人気だったのである。

 

到着は午後4時半頃。バイクを停めて受付のある建物にいく。管理人は不在だったので、申込書を書いてテント宿泊料の1200円を封筒に入れてポストに入れた。

 

テントサイトには10張りくらいのテントが張られていた。数人用のテントもあったがほとんどがソロ用だ。その入り口を中心に向けて皆で夕食を食べている集団があった。

我がテント

ぼくは近すぎず離れすぎずという場所にテントを張った。夕食にはまだ早いし、なにより昼食を食べすぎて腹が減らない。それでしばらくテントの中で横になっていた。

 

6時頃、腹は減らないが残してはおけないのでざるそばをいただく。それが意外とおいしくて驚いた。

 

食べたばかりですぐに寝るわけにもいかないので明日の準備などをして8時頃就寝。

 

 

発熱。登頂を断念

ここから登るはずが

なんだか寝苦しく、エアーマットの音もいつになく気になる。午前3時、目が覚めたらなんだか体がだるい。それに熱っぽい感じもした。

 

それでも登山の準備をして着替えをする。そうしながら色々考えた。もし、山の上で動けなくなったら・・・ 

 

それでまた横になって様子を見ることにした。次に目覚めると明らかに発熱していた。6時少し前だった。

 

テントの中が異様に暑く感じる。しばらくすると狭い空間にいるのがいたたまれなくなって来た。テントの入り口はメッシュにしているので酸欠になることはないはずだ。しかし、酸素が欲しい。ただ、あまり激しく息を吸い込んだりしていると過換気症候群になりかねない。そこで大きくゆっくりと深呼吸をしながらテントの外に出た。

 

炊事場に行って水を飲み、ベンチで休む。

まわりでは朝に車でやって来た登山者が次々と登って行った。そんな中の一人になにかを尋ねられたが覚えてはいない。

 

もう一度テントで横になる。目覚めると再び酸欠になった気分でパニックになりそうだった。

 

だいぶ寝た感じがしていたが、時計を見るとまだ10時半だった。このままテントで寝ていては治らないように思えてここを脱出することにする。というか、そんなふうに思うまもなく体が動いてテントを撤収し始めていた。

 

とりあえず街にでたところでバイクを停めて近くの安いホテルを探す。見つけたのは福島と郡山。郡山なら帰る途中だ。それで郡山のホテルを予約した。

 

そこから郡山までは約90キロほどある。ふらふらになりながら4時間かけて郡山に着いた。部屋に入るとベッドにバタン。昼飯を食べていなかったので腹が減って目が醒める。お湯を沸かしてアルファー米を食べようとしたが、匂いがきつくて二口ほど食べるのがやっとだった。

 

再びベッドに横になり、目覚めたら11時。まずい時間オーバーだ。慌ててフロントに電話し、連泊を申し入れる。

 

このとき、フロントとの会話が噛み合わなかった。後でわかったのだが、てっきり昼の11時だと思っていたが本当は夜中の11時だった。

 

翌日は少し動けるようになったので、ホテルの朝食を食べ、昼は少し歩いて蕎麦屋に行った。ホテル入口の検温計により、どうにか熱が下がっていることがわかった。ただ、あまり食欲はわかず、夕食はコンピ二のみかんゼリーで済ませた。

 

翌朝、ふたたびホテルの朝食を食べた。このときなんでも同じような味がすることに気づく。味覚障害だ。甘いものはそうでもないのだが、苦味としょっぱ味を強く感じてしまう。

 

ホテルでゆっくり2泊したおかげで熱も下がり体もどうにかバイクで移動することができた。台風は東海地方に上陸する見込みで、ちょうど線状降水帯を移動することになる。しかし、激しく降ったのは一時的で思ったよりは降らなかった。

 

連休最終日の前日は出発前に予約していたさくら市のホテルで1泊する。夕食に食べたそばも味覚障害のため美味しく感じられなかったが、熱いそばにしたのでかなり汗をかいた。

宿の近くの古民家(この日は休館日だった)

 

宿の隣に立っていたスタミナ健太

翌朝は雨。しかしその後はたまに降る程度で晴れている時間帯の方が長かった。

 

 

最後に

せっかくの6連休はこうして終わった。

発熱後はどうやって帰るかということに集中した。ともかく山の上で具合が悪くならなかったことは幸いだった。

それに登山口に着くまでの旅を楽しめたことはよかった。

今回の旅で走った距離は850キロ。総走行距離は1万5千キロを超えた。

 

こうして6連休の最終日に帰宅したわけであるが、結局その週は仕事を休んだので11連休とあいなった。この間ほとんど寝ていたわけであるが。

 

そのため筋肉はふにゃふにゃとなり体重は5キロ落ちた。

その後も微熱は2週間続き、仕事を早退する日もあった。

味覚障害は微熱が治った頃にほぼ治った。

なお、味覚が敏感になったのと同時に嗅覚も敏感になっていてニオイのきついものは食べられなかった。

 

今は体重をふやすためにいつも以上に食べているが、まだ2キロしか戻っていない。階段を登ると息切れがするという情けない状態だ。

 

なんとか早く回復して百名山にふたたび挑戦したい。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

では、このへんで

 

 

追記

ブックマークにしんちゃさんからコメントをいただきました。ありがとうございます。

 

しんちゃさんも同じタイミングでコロナ発症だったのですね。症状はどうでしたか? 

ところで今回のコロナ、自然発生ではないことがほぼ判明しています。変異の仕方も連続性がないそうです。隠し撮りによるF社幹部の話では、「変異してからでは間に合わない」とも語っていました。薬も必ず副作用があります。気をつけながら飲むことといたしましょう。

 

広告

 

 

登山口でコロナ発症 【日本百名山登頂断念記】その2

福島へ移動の2日目。

目的地は喜多方の御沢野営場。

距離は133キロ。まっすぐ向かえば4時間程度。

あまり早く到着してもすることがない。

どこか面白そうなところはないか。

探していたら、見つけた。

 

challe.info

 

まずは南会津へ

以前きたスキー場はこの先

2日目の朝7時、那須塩原のゲストハウスを出発し、近くのコンビニで朝食。

なんとおにぎりを買ったらペットボトルのお茶が一本ついてきた。ラッキー。

 

まずは南会津へ向かう。

ほぼまっすぐな平坦な道から山道に入る。峠越えだ。

標高が上がっていくにつれ肌寒くなってくる。

しばらく我慢して走っていたが、峠を越えて少し下っていくと道の駅があったのでそこに入る。

さっき道を右折してからライダーが急に増えていた。その多くがこの「道の駅たじま」に入っていく。

 

ここでウインドブレーカーを出して着ようと思っていた。ところがバイクを止めると暑かった。

結局、少し休んで上着は着ないで出発する。

 

山道から谷間の平坦な道になる。ほぼまっすぐだ。もう寒くない。風が心地よい。

 

民家は道路側に等間隔で建てられている。たいてい庭はなく、家の裏手は田んぼが広がっている。

この光景は以前見たことがある。

 

前の職場の先輩が会津田島の出身で、その実家に同期の仲間で挨拶に立ち寄ったことがある。その時に見た景色と同じだ。

 

先輩の父上はこのあたりの名士だということだった。その先輩が若い頃、寄り合いで酒を飲み過ぎて田んぼに落ちて助けられたという話を思いだした。

 

後から聞けば笑い話だが、時期は秋。もし、村の人たちが探しまわって見つけてくれなかったら、その先輩は先輩としていなかっただろう。

 

会津田島から左に折れる。

そういえば同期で来たのとは別に家族でスキーに来たこともあった。

スキー場の名前は忘れてしまったが、この道を走ったのではないか。

 

そんなことを考えていたら、スキー場の看板が現れた。

「会津高原だいくらスキー場」。ここだ。

あのときスキー場の少し手前の民宿に泊まったのだった。

 

その民宿の若女将は我が町の近くの町の出身だということで驚いた。

あの民宿はどこだったろう。

確信はないが、それらしき民宿が建っていた。家族で泊まったのは、25、6年前くらいのことだから、まだ営業していてもおかしくない。

 

 

河井継之助記念館

逆戻りするようにして只見線の橋梁をくぐる

次に向かう先は只見である。

スキー場のあたりから山道になり、そこを抜けるとふたたび谷間の平らな道が続く。

 

そうやって気持ちの良い道を走っていくと、只見線只見駅にでた。

ここを右折する。

走っていくとほとんど店屋が見当たらない。この辺りの人たちは買い物はどうしているのだろうかなどと考えながら走っていく。

 

それに民家も南会津とはだいぶ違っている。雪への対策がされていることがこの暑い夏でも感じ取れる。

 

後で聞いてみたのだが、やはりこのあたりの降雪量はものすごいらしい。だいたい2、3メートルは積もるのだそうだ。

 

只見線に沿って走っていくと、何台かのバイクがぼくを追い越して行った。走りながら電車(ひょっとしてディーゼル車?)が走ってこないかと気をつけて見ていたが、走ってはこなかった。

 

さて、今日の移動中のメインは河井継之助記念館に行くことだ。

 

自転車日本一周中には新潟県長岡市の河井継之助記念館に立ち寄った。継之助は長岡藩の家老だった。これから行く只見町の記念館は、河井継之助が亡くなった場所である。

 

河井継之助を知ったのは、司馬遼太郎の「峠」を読んでである。最近、映画になった。ぼくは最近Amazonプライムで観た。長岡市の記念館に立ち寄った時(2019年6月)は、たしか映画の撮影が終わったばかりの頃で、もうすぐ公開されるということだったと思う。

 

それが、新型コロナの感染が広がって延期になり、ようやく最近(2022年6月)公開されたのである。

 

映画では官軍と戦いになる直前から、戦の最中に負傷して福島県只見町に落ちのびてそこでなくなるまでのことが描かれている。残念ながら、継之助が中立の立場を取ろうと考える経緯が描かれていないので、ちょっと消化不良な感じがした。

 

 

河井継之助記念館

河井継之助記念館

10時20分頃、河井継之助記念館に到着。

わかりにくい場所なので、ナビがなければ迷っただろう。

ちょうど同じ時刻に、ぼくより少し年上と思われるご夫婦も一緒に入館した。

 

すると受付の方から、我々に向かって「もし、お時間があるのなら、今日はガイドがいるのでご案内しますがどうしますか」と尋ねられた。

 

そして30分くらいあれば一通り説明できるというので、案内をお願いした。

 

現れたガイドさんは女性で、ぼくよりも少し若い感じだった。

説明は、亡くなった時の状況を細かく話してくれたばかりでなく、継之助の人となりがよくわかるように説明してくれた。

 

その説明は世界の状況(外国勢が日本を狙っていたという背景)を交えていた。明治維新というものをよく理解しているなという印象をもった。

 

説明は継之助だけではなく、継之助の下僕、松蔵のことにまでおよび、松蔵が継之助の言いつけを守って経済人となって成功したという話も聞けて大収穫であった。

 

ちなみに松蔵は栃尾の出身だそうである。ぼくが生まれたのも旧栃尾市(現長岡市)なので、なんだか誇らしく感じてしまった。

 

館内を巡った後、近くにあるという継之助の墓にも案内してもらい、手を合わせてきた。

 

只見線の線路脇を通って墓へ向かう

河井継之助の墓

記念館に戻る途中、近くに生えていた木は五葉松だと教えてくれた。墓のあたりから見える山々が尖っているのは、そして山頂あたりだけ木々が生えているのは、雪崩で中腹が削られるからだと教えてくれた。その山頂に生えているのが五葉松なのだそうだ。

 

そのガイドさんは渓流釣りで何度も訪れているうちに年の半分をこの只見で過ごすようになったのだという。そして残り半分はなんとぼくの住んでいる平塚市の隣にいるという。

 

ガイドさんはなかなか活動的な女性であった。

 

 

 

天然炭酸水

天然炭酸水の採水場

 

記念館を後にして少し走ると、天然炭酸水という看板があった。面白そうなので駐車場にバイクを止める。

 

ついでにトイレ(とてもきれいだった)を借りて、どこから天然炭酸水が出ているのかと見回したらそこから山の方へ向かう道に案内板が立っていた。

 

バイクに乗ってその道を奥の方へと進む。左に曲がるとまた駐車場があってそこにたくさんの車が停まっていた。

 

その一番奥に荷物用のカートをつけたスーパーカブが止めてあったのでその後ろにこちらのスーパーカブを停めた。

 

ペットボトルの水筒をもって歩いて炭酸水が流れているところへ向かう。

ポリタンクにたくさんの水をためている人がいたが、途中でこちらに場所を空けてくれた。

 

カブの停めてあるところに戻っていくと、先に停めてあったカート付きのカブの運転者が戻っている。そこへ車で来たおばちゃんが近づいていって何か話しかけていた。

 

変わったものを見ると話しかけずにおられないのがおばちゃんなのだ。とはいえぼくも同じ気持ちで近づいて行って話に加わった。

 

おばちゃんは今度はこのぼくに向かって言った。

「どちらの水を汲んできました?」

「えっ、あそこの水が流れているところですけど」

「左側に小屋みたいのがあったでしょう。そこにやかんが置いてあって紐で汲み上げられるようになっているの。そちらは炭酸が濃いのよ。今汲んできた水を少し飲んだら捨てて両方を飲み比べてみるといいわ」

「そうなんですね。それじゃ後で行ってきます」

 

そんな話をしておばちゃんは車に戻って行った。

 

さて、カブライダー。後ろのカートにたくさんのキャンプ道具を載せている。そしてマフラーやらサスペンションを変えていた。

 

三十代後半から四十代半ばくらいだろうか。ともかく何もかもが個性的である。

その彼は新潟の新発田市からやってきたそうだ。どうやら暑さを逃れるためにやって来ていてこれから檜枝岐に行くところだとか。

 

見たところカブは原付(50CC)なので、カートを引いていて坂道とか問題ないかと尋ねると、どのくらいかは忘れたがボアアップしているので問題ないとのこと。しかし、カートが弱いので、あまりスピードは出せないということだった。

 

最後に写真を撮らせてもらってそのライダーを見送った。

新発田市から来たカブライダー

 

さて、少々長くなったので今回はここまで。

さらに続きます。

 

 

広告

 

 

登山口でコロナ発症 【日本百名山登頂断念記】その1

大宮で昼食

久しぶりのブログである。

福島県の山に登りに行ってなんと発熱。

帰ってから検査をしたらなんとコロナ陽性。

いまさらかかるなんて。

でも感染力は増しているようなので、今さらというより今だから感染したのかもしれない。

さて今回は、日本百名山登頂断念記としてお届けします。

 

お盆休みは6連休

定年退職後、これまでとは全く違う仕事を始めて1年9ヶ月が過ぎた。昨年は覚えていないのだが、今年のお盆休みはなんと6連休。さて、どこへ行こうかと考えた。

 

ただ、シフトが決まったのが7月下旬なので、あまり時間がない。

 

本当は北海道大雪山の朝日岳からトムラウシ山を縦走したかったのだけれど、航空券や宿の手配が大変なので今年は諦めることにした(ただ、旭岳だけにはすでに登っている)。

 

そこで、航空券や新幹線の手配をしなくても良い場所という条件、つまりスーパーカブでいける範囲の山を探した。ただし、お盆の帰省渋滞を考えて、余裕のあるプランを考えた。

 

その結果、決定したのが福島県の山で飯豊(いいで)山と安達太良山。

 

飯豊山は登山口で1泊し、さらに山上で1泊。下山後も登山口で1泊するというゆとりのある計画。

 

安達太良山は帰宅途中に登る。

 

飯豊山登山口までの移動は途中の那須で1泊し、帰りはさくら(佐倉)で泊まって帰る。

これで5泊6日。

 

計画自体は余裕があるが、予備日がないのが少し不安ではあった。

それに台風が近づいていて、帰りにはきっと大雨の中を通過しなければならないだろう。

 

まあ、計画自体にゆとりがあるし、いざとなれば安達太良山はパスしてもいい。

こうして荷物をできるだけコンパクトにして出発した。

 

 

1日目はゲストハウスを目指す

川越の手前で休憩

1日目は、以前那須岳に登る時に利用した那須塩原のゲストハウスに向かう。距離的にもちょうど良いし、なにより低価格である。

 

平塚から都内を避けて川越経由で行くことにする。このまえ武尊山に行った帰り道、スマホのバッテリーが無くなってナビ(Googleマップ)なしで帰ったことが幸いしたのか、16号の右左折の場所を覚えていた。

 

道路の混雑は予想よりはましだったが、それでもやはり混んではいた。そんな状態が宇都宮まで続いた。

 

宇都宮を過ぎて一休みしている時に、ゲストハウスに思ったよりも早く着きそうだということがわかる。そこで、どこか面白そうなところはないかと考えた。

 

そうだ。自転車日本一周のときにあきらめた殺生石に行ってみようか。

 

そう思って調べてみると、ゲストハウスへ向かうのに少し遠回りをすることになるが、たいした距離ではないことがわかった。

 

そこで目的地を殺生石に変更。Googleマップに入力する。

 

 

殺生石

那須塩原に入ると見覚えのあるコンビニや飲食店の看板が目に入る。昨年、会津駒ヶ岳、燧ヶ岳に登った後、この那須塩原に来て那須岳に登った時のことを思い出す。

 

そしてなんと、殺生石は那須岳に向かう途中にあった。前に来た時は、ただ那須岳のことばかりが頭にあって、途中にあるこの殺生石には気付かずに通り過ぎたのだった。

 

ふたたびこの場所に来てみると、もう見落とすはずがないくらいの殺生石の看板が道路脇にあった。

 

ただ、下っているときにここに噴き上げている白い煙を見て、温泉が吹き出しているのだなと思った記憶がある。

 

殺生石の駐車場にスーパーカブを止め、案内板のところへ行く。そして思った。日本一周のときに諦めて正解だったと。それは、自転車で走ったルートからかなり逸れていること。それにあの平地からかなり登らなければならなかったからである。

 

同時に芭蕉はよくここまでやってきたものだと感心もした。やはり芭蕉は健脚だ。

 

殺生石のある場所まで木道の遊歩道がつけられていた。一番奥に殺生石がある。付近は硫黄の匂いが立ち込め殺伐とした風景だ。

 

 

それではしばし一緒に歩いてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

到着。

 

 

ではここから引き返そう。

 

 

 

さあ、戻ってきた。

 

 

黒磯駅まで

殺生石の見学を終えて駐車場に戻ると時間は4時37分。さて、あとはゲストハウスに行くだけだ。途中、来る時に見つけておいたガソリンスタンドで給油する。メーターはすでに0を示していた。

 

スーパーカブの燃料計は、しばらく走らないと針が動かない。そして、針が0を示してもその時点で約1Lは残っている。1Lあれば最低でも60キロは走れるのである。

 

このときに入ったガソリンは2.9Lだった。やはり1Lと少し残っていたことになる。

 

5時少し過ぎにゲストハウス到着。前回は看板が見つからず、ウロウロしてしまったが、今回は2回目なので迷わず店の脇にバイクを停める。

 

受付をして料金を支払う。システムの説明を簡単に受けて荷物をベッドに運び入れる。わかっているので案内は無し。裏の駐車場にバイクを移動し、お店の人に聞いた黒磯の駅まで散歩した。

 

散歩といったが、実は夕食が食べられる場所を探すのが目的だった。お店の人が言ったとおりピザのお店くらいしかなかった。

 

それにしても新幹線の駅はなんだか寂しかった。ところがその駅の隣にある建物が立派なのである。一体なんだろうと思い近くまで行ってみるとなんと図書館。

 

 

 

自治体の思惑が透けて見えるようだ。

 

宿に戻る時に面白いものを見つけた。

CS&Nかな。

 

 

 

 

それにこの辺りの蔵や塀には大谷石が多く使われている。神奈川でも一時はどこの塀も大谷石ばかりだった。この辺りは近いので当然なのだろう。

 

結局、夕食は宿の近くの焼き鳥屋に行った。お店の人は教えてくれなかったけど。

 

つづく。

 

youtu.be

 

広告

 

 

霧に包まれて 【恵那山】おまけ

恵那山の登山道でみかけた野草などを紹介するのを忘れていたので、おまけとしてアップします。

 

なお、名前はGoogleレンズで検索したものなので、正確ではないかもしれません。

ノウツギ

 

ミヤマバイケイソウ

 

シラビソ

 

ニガナ

 

ホツツジ

 

ヨツバヒヨドリ

 

真ん中辺のシラビソ(白檜曽)は、日本の固有種だそうで、樹齢が100年ほどと短く、集団で枯死することもあるそうなので、分岐近くの枯れ木集団はそれなのかもしれない。

分岐付近の枯れ木集団

最終日、悔しいけれど晴天。

神坂峠から南アルプスの頂きがのぞいていました。

 

神坂峠より南アルプスを望む

 

反対側の木曽谷を見下ろす

林道を下っていくと御嶽山が見えました。

中央が御嶽山

 

以上、おまけでした。

霧に包まれて 【恵那山】その2

前回は神坂峠近くの萬岳荘に到着したところまでだった。

今回はいよいよ登山開始だ。

ところがこの恵那山、霧のためほとんど姿を現すことがなかった。

けれども一瞬だけその姿が見られたこと、遠く南アルプスの山々の頂が眺められたことは幸運だった。

 

challe.info

 

体調は万全、なのに

午前4時、萬岳荘1階の駐車場のテントで目覚めると、すぐに朝食の用意を始める。腹がへっては戦はできぬ。

テントの入り口を開いてお湯を沸かしていると、深夜にやって来た車の男性がやって来た。

「ここに車を停めても大丈夫ですかね」

駐車場は他に2台しか停まっていなかったし、前の屋外駐車場にはまったく停まっていなかったので、

「いいんじゃないですか」と適当に答えた。すると

「ここにテントを張るのもありなんですね」

いかにも屋根あり駐車場にテントを張るのはどうなの? という皮肉的なオーラを放っていた。

「ここに張るように管理人に言われたんですよ」と、ちょっと不機嫌そうに答えた。

「わたしたちはこの上にテントを張ろうと思っていまして」と言って向こうへ行ってしまった。深夜に眠りを邪魔されて、しかも朝から皮肉かよと嫌な気持ちになった。

 

口直しに前日に萬岳荘の周りを歩いた時に咲いていた花をご紹介。

ヨツバヒヨドリ

 

トリアシショウマ

 

近くの水場

 

 

神坂峠から登り始める

舗装された道を少し下っていくと、左側に車が数台停めてある。峠の一番近い場所には十台くらいの車が停めてあった。みなまだ暗いうちから出て来たのだろう。

 

恵那山登山口

 

神坂(みさか)峠は霧に包まれていた。

恵那山登山口から登り始めると、いきなりの急登で朝露に濡れた熊笹が登山道に迫り出して来ていた。なるべく体を濡らさないようにストックで押さえながら登っていく。

 

しばらく熊笹の道が続きアップダウンが急である。するとすぐに千両山と書かれた標識の立つ富士見台パノラマコースの山頂に出る。ここから恵那山がよく見えるらしいが、今日は全くだめである。

 

 

霧は千両山を過ぎると少しずつ晴れてきて青空も見え出した。そして、背中にしていた太陽が右手に見えるようになった。樹林帯の尾根道を進み、一気に下っていくと鳥越峠に達する。神坂峠から45分。標準タイムと同じだ。

 

鳥越峠からウバナキまではほぼ平坦な道である。それにしても「ウバナギ」とは変わった名前だ。そのウバナギから北の斜面をのぞくと大きく崩落しており、もしも今立っているところが崩落したら終わりだと思って後退りした。あとでガイドブックを読み直したら、崩落の恐れがあるので近づかないように注意書きがあった。

ウバナギ

そこから大判山までは、鳥越峠までの道とウバナギまでの道をミックスしたような感じになり、熊笹も少し離れていて歩きやすかった。けれど、ふたたびガスが濃くなってきた。

 

それにしても蒸し暑い。なんだかもう疲れてきた。

6時55分、大判山に到着。大判山はベンチが七台設置されていて、休憩するのにちょうど良い場所になっている。ここで先行者の若者とおばちゃんの二人連れと挨拶を交わす。

 

ここまではほぼ標準タイム通りに歩いてきたが、昨夜例の車に起こされたためなのか、どうも足が重かった。

大判山

 

 

天狗ナギから恵那山

 

次の目標は天狗ナギである。一度大きく下ったあと道は緩やかな上りが続く。延々と上っていく感じがやっとなだらかになったと思ったところで<こだまエリア>と言うなんだか不思議な空間にたどり着いた。その空間(おそらく原生林)には木の霊が宿っているような、そんな感じがした。

こだまエリア

その「こだまエリア」と書かれた看板のある木の根方で長袖のシャツを脱ぎ、Tシャツ1枚となった。そしてアームカバーをはめる。

 

その先からこれまでと違って石がゴロゴロし始めた。

天狗ナギもやはり崩落地で北側の斜面が剥き出しになっていた。ただ、ふたたびガスが濃くなってきていて、下までは見えない。

天狗ナギ

 

天狗ナギをすぎ、天狗の頭を過ぎると晴れてきて、恵那山が壁のように前に立ちはだかるっているのが見えた。

 

そこから分岐までの道はひたすら忍耐が必要で、中間あたりを過ぎるとさらに傾斜が増して急登になる。崖のような斜面を登り、ようやく分岐にたどり着くと、普段はあまり水が減らないのに今日は珍しく水筒の水をほとんど飲んでしまっていたので、ザックを降ろしてエバニューの2L用に入れてきた1.5Lの水を取り出してペットの水筒に移し替えた。

 

恵那山分岐点

 

するとそこに例の深夜の車組がやって来た。50代くらいの男性の連れは女性二人で、30代と50代といった所だろうか。話ぶりからすると職場の同僚か。

 

先に行ってもらおうと思って少し待っていたが、男性が、今登ってきた神坂峠のルートは最近できた道で、以前はこの分岐のもう一本の前宮ルートを使っていた。最近は広河原のルートを登る人が増えているなどと講釈を始めたので先に行くことにした。

 

船をひっくり返したような形の恵那山なので、分岐から恵那山山頂への道はほぼ平坦だった。その船底の龍骨部分を歩き始めると、なぜか右手に枯れ木の林が広がっていた。

分岐近くの枯れ木林

先へ進むと小さな祠があり「二乃宮社 剣神社」と標柱に書かれていた。

この先もいくつかのお宮がある。

二乃宮社

この頃ちょうど霧が晴れて遠くの景色を見ることができた。

南西方向を眺む

各お宮にお参りしながら進んでいく。ちなみに二乃宮から始まっているが、実は一乃宮は例の前宮ルートにあるらしい。

 

そうやって進んでいくとひらけた広い場所に出て、左手に小屋があった。そこは恵那山山頂避難小屋で、その手前に恵那山最高地点を通過したはずだが気付かずに通り過ぎてしまった。

 

山頂避難小屋

恵那山は、山頂がこの先の2190メートルのところで、最高地点の2191メートルではないのである。

9時半と時間も早いので、休憩は取らずにまずはこの先の山頂まで行くことにした。明るい山頂の道を行くと板を置いただけの木道があり、そこに木花咲開姫を祀った五乃宮(富士社)があった。

 

 

そして伊邪那大神と伊邪那美大神を祀った恵那神社奥宮本社が現れる。

恵那山の名前は、イザナギとイザナミの二柱の胞(えな=へその緒)を山頂に納めたことから胞山となり、それが恵那山に変化したと言われている。

 

お参りをして先へ行くとすぐそこが恵那山山頂だった。

 

 

山頂からは展望が効かない。展望台があるが登った人が何も見えないというので登るのはやめにした。

 

セルフタイマーで写真を撮っていると、そこへ大判山で出会った若者とご婦人との二人連れが後からやって来た。

「岩山には登られましたか」

ご婦人が訊いた。

岩山とは避難小屋の裏手にある小さな岩の山で、避難小屋に着いたときには気が付かなかった。歩き始め、振り返った時にその岩山とその上に登っている人が見えた。

「いえ、まだ登っていません」

「富士山が見えましたよ。今のうちにぜひ登って来てください」

そう言われたが、この先もちょっと見たかったので広河原からのルートもちょっとだけ見に行った。するとそちら側はもう下りになっていた。地図を見るといったん下ってから少し平らな道になるようだ。

 

5分くらいで再び山頂に戻る。それから急いで避難小屋裏の岩山に向かった。

 

岩山には誰もいなかったのですぐに登ってみた。まっすぐ立てるような場所はなく、頑張っても2、3人しか登れない。

そしてそこからは富士の山が見えた、といいたいところだが、そこにあるはずであることはわかるがぼんやりとしていてどうも富士の形は探せなかった。

避難小屋裏の岩山

岩山からの眺め

岩山を降りて、板を置いているだけのベンチに腰掛けて昼食にする。お湯を沸かして注ぐだけのフリーズドライ。ついでに味噌汁もフリーズドライ。じつにお手軽だ。

 

昼休憩を予定通り1時間とった。11時下山開始。11時22分分岐に到着。いよいよ長い長い下りが続く。もう脚は疲れて、いや脚だけじゃない、もうヨタヨタである。すでに何人かに追い越された。

 

天狗ナギまでやって来た時には再び霧が出始めていた。

 

大判山では3人が休憩していた。百名山の話をしている。こちらは疲れて話どころじゃなかった。3人が下りていくと4、5名のパーティがやって来た。それを合図にこちらも下山。

 

富士見パノラマ台の千両山では、再び霧のため恵那山は拝めなかったが、ときどき霧が晴れて恵那山の端っこだけは見ることができた。

 

 

最後に

神坂峠には14時半に到着した。

千両山ではアブに服の上から噛まれた。そして歩きだしてすぐに倒れた木を跨いだ時に前回登山で怪我をした右脚の脛のほぼ同じところをぶつけてしまった。あとで見るとやはり皮膚がめくれていた。

 

萬岳荘に戻り管理人に利用料金を支払う。

管理人は気さくな方でNHKで放送した百名山のアドバイザーを務めていたということだ。夜には星空観察会を開くのでぜひ参加してくださいと言われた。8時、12時、そして深夜3時の3回行うということだった。

あいにくの天気になり、星座観察は望めないだろうなと思い、ゆっくり疲れを取ることにした。

ところが深夜、2時頃と3時頃に車のエンジンがかかり(暖機運転をしているように思えた)、眠りを妨げられてしまった。

翌朝、ビックバイクに乗った二人連れに話を聞くと、8時、12時は曇っていたが、3時は晴れて星がよく見えたと教えてくれた。その方は星空を見るためにやって来たそうだ。バイクのナンバーは名古屋だった。

野沢菜おやき

 

帰りはスーパーカブで木曽路19号線を気持ちよく走れた。どうしてかと考えたら信号が少ないことに気づいた。

昼は道の駅はくしゅうで弁当を食べ、近くの尾白の湯で汗を流す。

しかし自宅に近づくにつれて次第に気温が上がっていく。ああ、木曽の23度が恋しい。夏でも寒いヨイヨイヨイ🎵

 

道の駅甲斐大和で

 

では、このへんで

 

 

広告

 

 

霧に包まれて 【恵那山】その1

スーパーカブをプチカスタムした。

7月28日金曜日、そのバイクで木曽まで走って来た。

目的地は神坂(みさか)峠にある萬岳荘。

翌日、ここから恵那山を目指す。

 

スーパーカブで300キロ

我が家から神坂峠の萬岳荘まではほぼ300キロだ。

平均時速30キロで10時間。結構な距離だ。

しかし今回はほぼ国道20号線を通る。今までの経験で行きでは大渋滞は経験していない。

大抵混んでいるのは甲府の街なか。そこをバイクの特性を使ってうまく切り抜けられればほぼ順調に走ることができる。

 

目的地には午後4時半までには到着したい。朝7時に出発すれば9時間半ほど時間があるのでなんとかなるだろう、と考えた。

 

出発の朝、6時に目覚めたのだが眠くてぐだぐだとしていて結局出発は8時になってしまった。

今回の荷物はコンパクトにまとめて基本35Lのザック一つ。あとはショルダーポーチだけ。前回のように前夜には行わなかったが、荷台に括り付けるのは簡単だった。

 

スーパーカブのプチカスタムは大きく分けて2箇所。

ひとつはスマホ充電用にUSB充電器を取り付けたこと。これでいつでもナビは使える。

もう一つはチェーン交換のついでにドリブンスプロケット(リアスプロケット)を標準の35Tから34Tにしたこと。これによりとても乗りやすくなった。

 

交換手順などについては他の方がYouTubeやブログで紹介しているけれど、後日、作業の様子などを報告したいと考えている。

 

その効果として大きかったのは、USB充電機をつけたことによりバッテリー切れによる不安がなくなったこと。これは安全運転にもつながると思われる。

 

そして、駆動系で交換したのはチェーン、ドライブスプロケット(フロント)、ドリブンスプロケット、そしてエンジンオイルである。ちなみにチェーン交換後に注油している。

 

このうちのどれが一番効果があったのかはわからないけれど、ともかく駆動音が滑らかになり、振動がやわらいだ。そのおかけでこの前の武尊のときはバイクを降りた時にずっと手が震えているように感じたものだったが、今回そんなことは一切なかった。

 

また、乗りやすくなったのは、エンジンブレーキが効きすぎるというスーパーカブの特性が少し弱まったため、停止する際に早めに2速に落としてもカクッとならなくなった。

 

これらにより、断然乗りやすくなったスーパーカブを駆って楽しいツーリングができた。

 

ただ、出発が遅れたのでゆっくり休憩することができなかったのは反省すべきところだ。昼食は甲府を抜けた先の「のんちゃん」でゆっくり食べたかったのだが、すき家のカレーで時短を図ることにした。

 

 

茅野から伊那へ

この日の天気は晴れ。気温は32度から33度。暑い。

メッシュのライダーズジャケットなので走っている時は風が通り抜けてくれるが、それでも暑い。止まれば尚更だ。

 

心配していた甲府市内も(流石に平日のためか)それほどの混雑ではなく、甲府を抜けると次第に車は少なくなっていった。

 

登山のためにもう何度もこの国道20号を走っているので、景色もだんだん見慣れて来た。「ああ、この前来た時はここで握って来たおにぎりを食べたのだな」とか、「ここの道の駅にはまだ寄ったことがなかったな。今度寄ってみよう」などと考えながら走っていた。

 

茅野に差し掛かると、ここから甲斐駒方面に曲がったなとか、この先から霧ヶ峰方面に行ったっけなどと思い出す。

 

今回はその茅野から伊那方面に向かって左折し、県道16号に入った。まもなく諏訪大社上社の前を通る。諏訪大社には参詣したことはあるが、上社には来たことがない。いずれ時間のある時に参拝したい。

 

左折して県道50号に入るとまもなく峠道に差し掛かる。木陰に入ると少しだけ気温が下がるのがありがたい。しばらく山中を走ると伊那谷に抜ける。伊那谷の街中をナビを頼りに走り抜けた。

 

このあたりの道は少し複雑である。右左折を繰り返しながら走ったのでどこを通ったのかよくわからないが、ナビなしでは遠回りをしなくてはならなかっただろう。

 

このナビ(Googleマップ)をたよりに進んでいくと、中央アルプス側の山裾の道を案内してくれている。道幅は狭く民家があるので慎重に進んでいく必要がある。

それにしてもGoogleマップはよく狭い道を案内してくれる。スーパーカブはどんなところにでも入っていけるので問題ないが、同じ道を走る車が多いことも気になる。ひょっとしてGoogleマップをナビとして使っているのでは? などと思ってしまう。

 

それはともかく、山沿いの道は閑散としていて商店などは見当たらない。つまりガソリンスタンドもほぼない状態だ。

 

そろそろ給油しなくてはと考えていたが、まだ少し余裕があるかなとも思っていた。それでその山沿いの道に入る前に現れたスタンドをやり過ごしてしまった。ついには木曽へ抜ける国道361号線にぶつかってしまった。

この先は山の中になる。ガソリンがなくなると大変なことになる。仕方なく近くのGSを探すと3キロのところに見つかった。

 

少し道を外れて給油する。自分が食べたわけではないのになんとなく落ち着く。

 

さて、Googleマップを見ると今来た道とは違う道を案内しているように思えた。近道があるのかと思ってしまった。ただ、どの道を案内してくれているのかがわからない。つまりどちらへ進んだらいいのかがわからなくなった。

 

とりあえず感で進んでみる。するとちゃんと案内を開始してくれる。けれど、それが遠回りであってもそのことを教えてはくれないのだ。ということで結局さっき国道にぶつかったところに戻って来た。

 

 

木曽路を走る

木曽に向かっていくと、トンネルが現れた。長いトンネルだ。この権兵衛トンネルを抜けるとなんと雨が降っていた。さっきまでいいお天気だったのがうそのようだ。

出口の脇の広い場所で雨具を着ているライダーがいた。僕は少し走ってチェーン装着場にバイクを停めた。空を見上げると進行方向にすこし青空が広がっていた。

「きっと山を降りれば雨は上がるだろう」

雨具を着ないで走り始める。予想は的中。雨は小降りになって止んだ。

 

木曽路の国道19号線に入る。懐かしい。

40年近く前、国鉄(当時)日出塩駅から中津川までの87キロを夜行列車を使い、2泊3日で歩いたことがある。

 

challe.info

景色を眺めたり、地名を見たりするとその時のことがいろいろと思い出される。

夕方、その日の宿をどうやって見つけるか。それが大変だった。当時携帯電話もなく公衆電話で予約した。ガイドブックが頼りであった。

 

ところどころ国道も歩いた。歩道がないところを見ると、当時ヒヤヒヤしながら歩いたことを思い出す。

 

木曽福島に泊まり、三留野に泊まった。ああ懐かしい。

 

ただ、前を行くトラックが赤信号になって突っ込んでいったところを白バイがサイレンを鳴らして追いかけていったのを見て、スピード違反に注意しながら走っていった。

 

 

中津川から神坂峠

 

中津川まであと少しのところまで来た。今夜と明日の朝はコンビニ弁当で済ますつもりなので、引き返すことにないように早めにコンビニに立ち寄らなくてはと考えていた。

 

ただし、早すぎても荷物になるのでギリギリのところで買いたい。

 

ちょうど右手にコンビニを見つける。すぐにウインカーを出して前方の車が通り過ぎるのを待つ。

 

この前の武尊の時は弁当の汁がこぼれてぬるぬるして困った。今回は汁が出ない弁当を買う。朝食は日持ちのする海苔巻きといなり寿司という武尊の時と同じものにした。

 

ザックから小ナップサックを取り出してそこに入れ、ベトナムキャリアに留めた。

そこから少し走ると左折の案内。よかった。あそこが最後のコンビニだった。

 

さて、いよいよ峠までの山道に入る。ここでふたたび雨が降り出した。これから向かうのは山なので雨はやまないだろうとここで雨具を取り出して着る。

雨具はザックの外側のおおきなポケットに入れておいたのでいつでも取り出せる。靴を脱がずにレインパンツを履くことはできたが、少々手間取った。

 

時間は16時を回っていた。半までにはつけなくとも17時にはならないだろう。

<クマに注意>の看板が注意を引く。バイクで襲われたら逃げ切れるだろうか。下りならともかく上りでは無理だろう、などと考えながら、前方を注意しながら走っていく。

 

そういえば、あれはいつどこでだっただろう。山道を走っていてサルに出会した。大回りして横を通り過ぎようとしたら、なんとそのサルがこちらへ向かって来た。あれはけっこう大きなサルだったなあ。サルも人を襲ってくるのものなのだと思ったっけ。

 

道はかなりクネクネとしていて、見通しの効かないところもあり慎重に走った。対向車とは2台すれ違った。そしていつの間にか雨は止んでいた。

 

かなり登って長めの良い場所に出た。そこに登山道を登って来た人が一人いた。その人は「雨は大丈夫でしたか」と言った。その人はずぶ濡れになっていた。

神坂峠から

写真を撮り終えて上に向かうとそこが神坂峠だった。あと一息である。

ちなみにこの峠は信濃と美濃を結ぶ要所で、縄文時代の頃から人々が往来していたらしく、多くの遺跡が発掘されているという場所である。

 

神坂峠遺跡 文化遺産オンライン

 

16時40分、萬岳荘に到着。

さっそく受付を探すもよくわからない。外にいた人に聞くと

「管理人さんはもう帰ってしまったよ」とのこと。

 

 

そこで、電話をかけてみたが繋がらない。

しかたなくキャンプ指定地を探す。すると電話がかかって来た。管理人からである。

なにやら打ち合わせがあって下山したらしい。雨が降っていたらテントは1階のテラス下の駐車場に張って良いとのこと。再び雨が降り出していたのでそこに張らせてもらうことにする。雨ばかりでなく雷が鳴り、あたりは霧に包まれていた。

 

 

雨に濡れずにラッキーだと思っていたら、ちょっとした落とし穴が。

それは、夜中に車でやって来た人がいたことだ。

なんと深夜2時過ぎにやって来て近くに車を止め、車から大きな荷物を下ろして車で寝る段取りを同乗者に説明している。

そうやって到着してから30分くらい騒いでやっと静かになった。

 

翌朝、顔を洗っていると泊まり客が言った。

「昨夜はだいぶ賑やかでしたね」

「2時過ぎでしたね」

迷惑していたのは宿に泊まった人も同じだったようである。

 

つづく。

 

 

広告

 

 

2023年初の日本百名山 【武尊山】その3

武尊山山頂

登山の疲れだろうか。

夜、ブログを書きはじめようとすると眠くて仕方がない。

そんなわけで「つづく」といいながら間隔が空いてしまっている。

いずれにしろ今回が最終話、今も眠いが頑張って書いていくのでお付き合いいただけると嬉しい。

challe.info

 

はだしのおじさんと少年たち

こうしたガレ場がつづく

登山道が狭いうえ、石を落としたら大変なので、登ってくる登山者のために早くから立ち止まって道を譲った。何人もの登山者が続くこともあった。

 

こうして休み休み下っていると、下の方から少年の歌声が聞こえる。歌といっても初めは何の歌かわからない。登るリズムに合わせて息を吐きだすようにして歌っている。メロデューはあってないようなもの。独り言のようにも聞こえてくる。

 

とうとうその子の正体がわかり、歌はドレミの歌であることが分かった。とても元気な歌声で足取りも元気である。

「がんばって」と声をかける。後ろからも仲間が登ってくるようだ。

 

2番目の少年が「はだしのおじさんが向こうにいる」と教えてくれる。

「はだし? この山で?」

 

3番目の子が登ってくると「上もこんなかんじですか?」と聞いてきた。

「ずっとこんな感じ。がんばって」と答える。

 

どうやら少年3人組で来ているらしい。3人ともオレンジ色のお揃いのTシャツを着ていた。いや、はだしのおじさんの連れなのか。

その少年たちを見送るとすぐにガレ場は終わった。そしてここからは起伏のなだらかな道が伸びている。

 

アカバナ

 

ミネウスユキソウ

 

ハナニガナ

 

少し歩いて少年たちのことを忘れた頃、オレンジ色のTシャツを着ている人が向こうからやってきた。40代だろうか、日に焼けている。すれ違う時に足元を見たらなんと裸足だ。さっきの少年の言葉を思い出した。

「はだしですか。すごいですね」

「ありがとうございます」

そう挨拶を交わした。

 

10年ほど前、大学の通信課程のスクーリングで出会った講師の方がいる。その方も裸足で山を登っている。当時はスクーリングにビブラムの五本指シューズを履いてきていて、その後小学校の校庭で足袋で遊ぶ指導などをしていた。

 

ワラーチを教えてくれたのもその先生だ。裸足に近い生活をしていると人間本来の身体能力が育つものらしい。健康にも良いようだ。しかし、いきなり裸足で山を歩くのは無謀だ。少しずつ足の裏の皮を厚くしていく必要がある。

 

だから、武尊山で出会った「はだしのおじさん」も日頃から裸足に近い生活をしているはずだ。一朝一夕には裸足で山は歩けない。

後日、その先生にメールではだし登山者を見かけたことを伝えたところ、<増えているのは嬉しいけれど、ちゃんとリスク管理ができているかが心配>との返信があった。

 

剣ヶ峰山に向かう尾根道

 

剣ヶ峰山は、ちいさなピークをいくつか超えた向こうに聳え立っていた。前方左のかなたには赤城山が見えている。

 

いったん道が木々の中に入っていくと剣ヶ峰山への分岐になった。小さな標識があり、100メートルほどで剣ヶ峰山だ。

急斜面を登り、最後の岩場を乗り越えると山頂にたどり着く。この岩場の上では下山する人が待っていてくれた。

 

二人の先行者が山頂の標識前で写真を撮っている。その足元の狭い場所には二人が地面に腰を下ろして食事をしていた。

写真が撮り終わるのを待っていたら、後からひとりの登山者がやってきたのでお互いに写真を撮りあった。

 

赤城山を望む

 

無理やり笑っている筆者

剣ヶ峰山山頂からは武尊山がよく見え、その右手には中ノ岳、家の串山、剣ヶ峰、前武尊。そしてその稜線がよく見えた。

 

山頂には10分ほど滞在して下山を始めた。

 

 

木の根に絡め取られそうになりながら

剣ヶ峰山からの武尊山

 

剣ヶ峰山からのルートは等高線が詰まっている。つまり急斜面である。中間あたりに武尊沢渡渉点がありそこからは緩やかになるはずである。

 

そのようにわかっていても実際歩くとなると複雑な要素が絡まってくる。

実際の道は、土が水分を多く含んでいて滑りやすく、道全体に木の根が張り出していた。加えて段差が大きく、とくに小柄な女性は難渋していた。

 

木の根が登山者を苦しめる

 

こちらが早いというわけではないのだが、女性連れのパーティはどうしても歩くのが遅くなりがちで、そんないくつかのパーティを追い越した。

 

そうした中に30歳前後の男性二人連れがいて、座って電子タバコをふかしていた。「こんにちは」と声をかけると

「急ですね」とひとりが言った。

「登りですか」と訊いたら下りだという。そして

「膝が笑っちゃって」とべつのひとりが言った。

そう言いながらも登山を楽しんでいる様子だった。

「お先に」といって追い越させてもらった。

 

 

腹の調子は(ちょっと下品で恐縮)

腹の方はガスが溜まっているようで、ときどき差し込むような痛みがあった。やはり下痢なのだろうか。しかし何か違う感じもする。武尊神社駐車場まで下ればトイレがある。そこまでなんとか頑張ろう。時々痛みが襲ってくるので、そんな時は立ち止まって痛みが治るのを待った。

 

そうしてまた下り始めていると、ある拍子にガスが出た。そのときいっしょに何か液体が出たような感じがした。「まずい。もらしたか」と思って手を当てて匂いを嗅いでみた。だが臭くない。気のせいか。

 

そんなことが二、三度起こった。

 

先ほどから沢の音がしていた。

渡渉点は近いのだろうか。スマホのGPSで現在地を見てみると、あと100メートルくらいのところまで来ていた。

武尊山は西側に地表が現れた深い谷があり、そこから雨水が集まって流れ出しているのが武尊沢である。

この武尊沢の渡渉点までくれば、剣ヶ峰山分岐までの約半分を下ったことになる。ただ、地形図に水色の線(川の線)が描かれるのは剣ヶ峰山分岐より少し上までで、渡渉点には線はない。

 

その渡渉点にようやく到達。ここで一休み。沢は普通に川となって流れていた。沢の冷たい水で顔を洗うと気持ちがさっぱりとする。そこで休んでいると後から二組のパーティーが現れた。さっき追い抜いた方々だ。

一組は休みもせずにそのまま先へ行ってしまった。後から来た一組は、ぼくと同じように顔を洗い、そのうえ水筒に沢の水を汲んでいた。

 

武尊沢渡渉点

 

やはりこの渡渉点から先は傾斜が緩やかになり、大きな段差がなくなった。

 

ここで少し油断したのだろうか、足を滑らせてしまった。ちょうどそこに木の枝が横たわっており、その下に足が入って脛を擦ってしまった。

見るとサポートタイツに血が滲んでいる。絆創膏を貼ることもできないのでそのまま歩く。

下山後に見てみると、皮がベロっと剥けていて、その傷が2箇所にあった。

 

その後、ふたたび滑ったが、その時はなんとか尻餅をつかずに持ち堪えることができた。

 

こうして淡々と歩いて行くと道幅の広い砂利道になる。そこから少し下ると今朝分かれて進んで行った剣ヶ峰山分岐に到着。あとは登りと同じ道を辿って武尊神社駐車場に戻る。

 

 

ここで例の粗相をしたか問題の解決を図った。つまりトイレに入ってしゃがむ。すると出たのはガスだけ。トイレットペーバーでお尻を拭くも色はついていない。どうやら透明の液体がでたようだ。

 

一体なんだろうと思い、テントに戻ってから調べると、腸液という粘液らしい。前日の暴飲暴食が祟ったのだろう。いやはや無事に下山できて本当に良かった。

 

 

水上温泉

ガクアジサイ

駐車場に戻ってきたのは14時35分。トイレに行き、顔を洗ったりして駐車場を出たのが14時50分。おそらく10分くらいでキャンプ場についたと思う。

 

予定より早かったので、昨日教えてもらった水上温泉の共同浴場を調べてみる。水上駅の近くに「ふれあい交流館」というのがあり、ここはシャンプーやボディーソープが備え付けてあって600円とリーズナブルだ。ここに決定。

 

途中、工事渋滞もあり、また、前を行く埼玉のおばちゃん車が制限速度より遅かったり早かったりでなかなか抜けず、40分かかって到着。

 

このおばちゃん(追い抜く時に見た)、ぼくが後ろを走っていたのを知らないのではないかと思った。バックミラーを見る余裕がないと思われるような格好で前を見つめて走っていた。

 

そして登りではゆっくり走り、下りで速度を上げた。そうなるとこちらはなかなか追い越せないのである。おばちゃん、ずっとドライブのままでシフトチェンジをしたことがないのじゃないか。

 

ふれあい交流館の駐車場にバイクを停める。バイク置き場が見当たらず、どこに停めようかとちょっと迷った。

中に入り、入館料を払うと受付のおばちゃんが親切に説明をしてくれる。脱衣かごはのれんの外のロビーのようなところに置いてあり、それを持って中に入り、使い終わったらまた元に戻すというシステムになっているということだった。

 

洗い場は確か7つで、浴槽もそれほど大きくはない。すでに5、6人が中にいて、その後もぞくぞくと人が入って来た。すごい人気の温泉である。

 

湯から上がり、休憩室の窓から駐車場に停めてある車を眺めていたら、ナンバーが兵庫、三重、大宮、横浜など遠くから来ている人ばかりだった。どうもここは観光客に人気の温泉だということがわかった。

 

 

スマホのバッテリーがやばい

入浴後、近くのコンビニで発泡酒とつまみを買う。腹の方は完全ではないがかなり良くなった、という気がした。つまりはどうしてもビール(もどき)が飲みたかったということである。

 

キャンプ場へ戻る際にナビをつけていなかったら道を間違えた。

右に曲がるところを直進してしまい、湯檜曽の方へ行ってしまった。おかしいと思ってナビで確認。そこから引き返して左に曲がった。

しかし、湯檜曽の温泉街を眺めることができたのはそれはそれでよかった。

 

キャンプ場に戻ると若者たちが大騒ぎしながらテントを設営していた。結局、自分たちでは設営できず、近くのキャンパーの手助けによって設営できた。

 

残念ながら、ぼくは小さなテントの立て方しかわからないので発泡酒を飲みながら傍観していた。

 

そろそろスマホのバッテリーがなくなって来たのでモバイルバッテリーから充電を開始。ケーブルでスマホと繋いで夕食の支度に取り掛かる。

 

夕食は鯖の味噌煮の缶詰。ご飯はアルファ米といった簡単メニューである。

夕食後、簡単に片付けて早めに寝る。翌朝はやはり自然の鳥の声が目覚ましとなった。

しかし、今日は帰るだけなので再び目を閉じる。次に目覚めたのは7時だった。

 

このときにスマホを見て驚いた。なんとバッテリーが残り15%ほどしかない。モバイルバッテリーとの接続が切れたのかとバッテリー残量のスイッチを押してみると、なんとこちらも充電が空になっていた。

 

まずい。これから帰るのにナビが使えない。ちょっと使いすぎたようだ。登山中に機内モードのするのを忘れたのが大きいのか、温泉をいろいろと検索したのがいけないのか。

 

ともかく片付けを始め、ゴミ袋を買いに受付へ行くと、コイン式のスマホ充電器が置いてあるのを見つけた。ラッキー! とばかり200円を入れて充電を開始。充電時間は30分と書いてあった。

 

テントを撤収し、バイクに乗って再び受付棟へスマホを取りに寄る。だが、バッテリー残量はまだ45%ほどにしか達していなかった。

 

もう一度充電する時間もないので諦めてナビなしで帰ることに腹をくくる。そうしてスマホの電源を切った。

 

いつもナビに頼りすぎているので、必死で来た道を思い出す。確信を持てずに道路標識に従っていくととりあえず見覚えのある道になり一安心。

 

道の駅おおたでコーヒーブレイク

 

こうして17号に入り、深谷手前の〈道の駅おおた〉で昼休憩。そこでスマホを立ち上げ、コースを確認する。帰る道順は次のコースを通ることにする。まず、この先の深谷で右折して小川町に向かい、そこからなんかして越生を通って飯能に行き、そこで16号に出る。

 

初めは見覚えのある田んぼの中の道をカーブして行き、とりあえず順調に走っていった。

 

ところが、小川町あたりから標識のどの方向へ行ったら良いのかがわからず、また、先へ進むと標識に現れる地名が変わっていくためどこに向かえばいいのかわからなくなってしまった。

 

こうして行きで通った道から外れながら、(おかしいと思って引き返したりしながら)どうにか16号に入ることができた。ここまで来れば一安心。ナビなしでも走れる。

 

こうした冒険をしながら家路についた。

外はまだ明るく、5時半を回ったところだった。9時20分に出発したので8時間ちょっと、実質走行時間は7時間ほどになるだろう。スーパーカブよお疲れ様。

 

 

 

最後に

最後に、今回の登山での収穫があったことについて触れたい。

どうも、からだが疲れている時や体調が悪い時に、余計な力が入らないためかこうした発見をする。

 

これまでの登山では、主に下りの際に下りやすい体の使い方についての発見について紹介して来たと思うが、今回は登りの際の楽な登り方についての発見をした。

 

というのは、登りは脚で登るのではなく、体の体重(重心)移動によって登れば楽だということだ。

 

体重移動とは、平地を歩くときの一軸歩行ではなく、二軸歩行を行い、その時に体重も左右に移動させるのだ。つまりは振り子のように登るのである。

そのときに頭はぶれないようにしておくと視界が揺れない。

 

このようにすると、大きな筋力は必要ない。スケート、あるいはクロスカントリースキーで進むときのようにするのである。

 

そうするととても楽に登ることができた。

また、一定のリズムで足を前に出していくととても登りやすい。

 

ただし、この方法はスピード登山には向かない。

これは階段でも応用できるので、周りに人がいない時はぜひ意識して試してみていただきたい。きっと違いがわかるだろう。

 

では、長くなってしまいましたが、このへんで。

 

 

広告

 

 

2023年初の日本百名山 【武尊山】その2

前回はスーパーカブに乗って長い長いアプローチについてだった。

今回はいよいよ登山開始だ。

まあ、あまり順調とはいかなかった登山だったけれど収穫もあった。

登山する方のなにかの参考となれば幸いです。

 

challe.info

 

キャンプ場の朝は早い

長いアプローチではあったが、それほど疲れは感じていなかった。

午後4時半に宝台樹(ほうだいぎ)キャンプ場に到着。受付を済ませると早速テントを設営した。

数分で設営が終わり(モンベルムーンライトは設営が早い)、キャンプ場内を偵察がてら散歩した。

キャンプの様子

 

受付のある入り口近くがフリーサイトで奥がオートキャンプ場となっている。左手奥の山側にはバンガローが建っている。

奥のオートキャンプサイトまで行ってみる。そこを越えると森の中だ。道はずっと先まで舗装されていた。

 

向かっている方向に明日目指す武尊山があるはずである。ときどき前方にピークが見えたが、それが武尊であるかどうかはよく分からなかった。

 

途中まで行って引き返す。バンガローとフリーサイトの間の道を通って受付のある建物の裏手に建つロッジの前まで行ってみる。

 

受付の係の人が、このロッジで入浴できると説明していた。もしも温泉だったら、明日下山した後に行ってみようと考えた。

そこで、ロッジ入り口まで行ってみたが、温泉とは書かれていない。念の為スマホで調べてみた。

 

すると、坂の下から小学生くらいの子供が近づいてきた。

「すみません。ここは温泉ですか?」

「いまちょうどそれを調べているところなんだ。入り口のところには温泉と書かれていないんでね」

後から両親がやってきて、子供と一緒に入口からロッジの中に入って行った。

たしかに直接聞いた方が早いかもしれない。

だが、もし温泉ならそれを売り物にしてちゃんと目立つように書いておくだろうとも思った。

 

坂を下り、受付に立ち寄ってここから近い日帰り温泉施設を尋ねてみた。

「一番近いのは宝川温泉です。水上温泉まで行けば公共の施設が2軒ありますよ。宝川温泉はちょっとお高いので」

と、白いTシャツを着た筋肉質の中年のおじさんがそう答え、水上温泉までは30分ちょっとだと教えてくれた。テンガロンハットみたいな帽子をかぶっていてカーボーイみたいだった。

 

公共の施設の名前を何とかと言っていたがよく聞き取れなかったが、後で調べればいいやと思った。

 

夕食を早く済ませて早く寝ようとしたが、昼に食べたざるそばの大盛りがまだ腹に残っているようでちっとも腹が空かない。それでもコンビニ弁当を無理やり腹に詰め込んで、食後2時間も経たないうちに横になった。

 

一応スマホの目覚ましをかける。

その後何度か目が覚めたが極め付けは3時過ぎに鳥たちが鳴き始めたこと。

外はまだ真っ暗だ。

じつはスマホの目覚まし音は鳥の鳴き声で、それに体が反応したのだ。目覚ましを止めようとスマホを探してしまった。

 

目を覚ましてみると、山の奥に向かって車の走る音が次から次へと聞こえてくる。どうやら登山者が駐車場を確保するために未明から向かっているものと思われた。

こちらの目覚ましは5時にセットしてあるのでまだ1時間半ほどは眠ることができる。もし眠れなくとも体を横にしておくことは重要だ。なにしろまだ体力がついていないのだから。

そんなふうに考えていたらいつの間にか眠っていて、結局本当の目覚ましの鳥の鳴き声で目覚めたのだった。

 

 

武尊神社下の駐車場から登山開始

6時半、いよいよ登山開始だ。

武尊神社下の駐車場は、車ぎりぎり1台分が空いていた。そのほかはすでに満杯で、駐車場に停められなかった車が手前の道路脇の空きスペースに駐車していた。

 

予定では6時スタートだったが、テントでお湯を沸かしたりトイレにいって軽量化をはかったりしていたら結構時間がかかってしまった。朝食は前日に買っておいた稲荷寿司と海苔巻きなので簡単であったのにも関わらずだ。いったい何をしていたのか。

 

さて、駐車場から武尊神社までは50メートルくらいだろうか。ここで舗装路が終わる。その先は砂利道だ。

下山後に撮った上の駐車場

 

この砂利道林道を歩いていると後ろから四駆がやってきた。

「ここまで車? 許可車だろうか」とナンバーを見ると「長岡」とある。地元の車ではない。

 

さらに歩いていくとその先に駐車場(ただの空き地)があり、車が10台くらい停めてあった。もう後数台は停められそうだ。さっきの長岡ナンバーはいちばん手前に停めてあった。

 

この辺りから道幅が狭くなって、軽のジムニーがやっと通れるくらいの幅と荒れ具合だった。そしていくらか傾斜も急になっていく。

 

歩き始めて30分、剣ヶ峰山との分岐に着いた。ここから左に入り、手小屋沢避難小屋に向かっていく。

 

ここからがいわゆる登山道で、地形図によれば手小屋沢避難小屋分岐までの3分の2が比較的傾斜が緩やかな道で、そのあとの急斜面を登れば須原尾根に出る。

 

ところが、この登山道に入ると急に腹が痛み出した。トイレに行きたいような行きたくないような変な感じである。登る前にトイレは済ませているが下痢をしたら大変だ。おそらく慣れない早起きで腸がびっくりしているのだろう。しばらく我慢していたら治るだろうとそのまま登り続けた。

 

今日は暑くなるという予報が出ていたが、ずっと樹林帯の中なので案外涼しい。もちろん水上で高原だということもある。

 

登山道は全体に湿っていた。ただ、ぬかるむというほどではなかった。

 

湿った登山道

ほぼ標準コースタイムで小屋沢避難小屋分岐の須原尾根に到着。尾根までの急登ではしっかり汗をかいた。

 

その分岐では一人の登山者が休んでいて、ぼくが到着したらすぐに歩き始めた。

こちらも少し休憩だ。すると、さっき追い抜いた夫婦連れがあとから現れたのでこちらも歩き始める。

 

ありがたいことにここの尾根道も樹林帯の中で直射日光が遮られている。すこし平坦な道の後、細かい起伏が続く。

 

その登りの時に休んでいる人に追いついた。するとその少し年上と思われる男性は

「あぶら・・・」とつぶやいた。

「何ですか?」

「あれですよ、あぶら・・・」

ストックで目の前の木を指すと、「いや、それじゃなく向こうのやつ」

「あれは食べれるんですよ」

「どうやって食べるのですか?」

「天ぷらにするよ」

結局、あぶらなんとかの名前はわからなかった。

(後から調べると、たぶん「あぶらこ」(ウコギ科)というものだと思われる。「こしあぶら」ともいうらしい。味はたらの芽ににていると書いてあった。)

 

最初のくさり場

カラマツソウ

 

さらに登っていくと岩場が現れた。ここが「行者ころげ」といわれるところだろう。

その後もいくつか岩場が現れ、どれも鎖が付けられていた。ぜんぶで3箇所か4箇所くらいあっただろうか。

 

この岩場を越えると、木々はほとんどなくなって明るい尾根道になった。すると太陽が直接体を焦がし始めたが、傾斜は少し緩くなった。道の両側にはシャクナゲの花が出迎えてくれた。

 

行者ころげを通過して

ゴゼンタチバナ

ベニサラサドウダン

シャクナゲ



登頂

そんなふうにして歩いていると、いつのまにか武尊山頂上に着いた。なによりも多くの登山者が腰を下ろしていたり写真を撮っていることで頂上であることに気付かされたのである。

 

時刻は9時54分。標準タイムよりも少しだけ早いペースで歩くことができている。スタートの遅れは完全に取り戻していた。

 

武尊山頂(トンボが飛び交っていた)

 

 

山頂からは、同じ位置ではうまくいかないが、山頂を小さく移動すれば360度の展望が開けている。北を向けば至仏山、平ヶ岳が見えている。南には赤城山、東には日光白根山、その間には皇海山が見える。西側は少し靄っていて同定はできなかったが谷川岳が見えているはずである。

中央は剣ヶ峰(剣ヶ峰山ではない)。左手奥に皇海山が見える

 

右手の三角の山が至仏山。中央は平ヶ岳

 

これから向かう剣ヶ峰山




腹は全く空いていなかったが、ここでカレーリゾットを食べた。ポットのお湯を注ぐだけである。南東にはこれから向かう剣ヶ峰山の尖った山頂が見えている。だからおそらく山頂にはのんびりできるスペースはないだろうと思ったのでここで食べておくことにしたのだ。

 

腹の痛みの方は相変わらずで、ときどき差し込むように痛くなる。食べたら治るかと思ったがそんなことはなかった。

 

予定通り1時間ほど休憩した。10時50分に歩き出す。いったん東方面に向かい、すぐに西方面に向かっていく。剣ヶ峰山が正面に見えたら急斜面のガレ場の下りになる。石を落とさないように慎重に下っていく。

 

下の方には歩いている登山者がよく見えている。剣ヶ峰山までの尾根道には高い木がなくハイマツ帯となっている。シャクナゲも混じっている。

 

連休のせいで登山者が多かった。こちらに向かって登ってくる登山者も多かった。

 

長くなったので次回へつづく。

なお、収穫についても次回で。

 

 

広告

 

 

2023年初の日本百名山 【武尊山】その1

今年の春からずっと倦怠感が付きまとい、なかなか思うように山に行けなかった。

若い頃なら「来年もあるさ」とのんびり構えていただろう。

だけど、黄金の15年のうちすでに5年目に突入している。

黄金の15年とは多くの人が定年を迎える60歳から74歳までのことで、この期間が一番気力体力が充実しているのだそうだ。

つまり、75歳になるとガタッと崩れやすいということ。

だから、それまでにやりたいことをやってしまわなければ、挑戦しなければ、できなくなった時に心残りとなってしまう。

それで、まだ体調は完全ではなかったけれど、今年の日本百名山挑戦を再開することにした。

 

どの山を目指すか

コンビニ前から撮った赤城山

昨年は、11月でひとまず百名山登山は終えた。

冬山は難易度が高いからだ。

昨年の登山開始は4月下旬から。今年も同じ頃にと思っていたところに人事異動。

ストレスから体調不良になる。

3ヶ月経ってようやく少し慣れてきた。いきなり体調は戻らないが、それでもようやくここ最近は少し上向いてきた。

そんな体調で、特に体力が落ちているのでそれに見合った山を探した。

 

まず候補にあがったのは、赤城山。

この山は昨年の最後に登ろうとした山だ。だが、キャンプ場は閉鎖されているのと、バイクでは凍結が心配で断念した。電車とバスで行く方法も考えたが、もっと快適な時に登ることにした。

 

今回、7月の連休に登山すると決めたのは10日ほど前だった。だから夜行バスなどは考えず、バイクで行ける範囲で検討した。

 

赤城山ももちろん候補になる。

他には皇海(すかい)山もバイクで行ける距離だ。

そして、今回登ることにしたのは武尊(ほたか)山。

 

決め手になったのは、下山時に登山道を歩くのが2時間程度と短いこと。

この前トレーニング登山で丹沢に行った時、下山で2時間を超えた頃から左膝に痛みを感じ始めたのである。

 

つまり、2時間までは大丈夫ということになる。

今回目指す武尊山のルートは、登山口から林道をしばらく歩く。だから、もしも膝が痛くなっても林道ならなんとか歩けるだろうという目論見だ。

おまけにその登山口のすぐ近くにキャンプ場がある。

ネットで簡単に予約も取れた。

 

そんなわけで武尊山を目指すことにした。

 

 

延々9時間のアプローチ

最初の休憩

7月15日土曜日、朝7時半に平塚の自宅から出発する。

すぐに出発できるように前日に荷物を荷台にくくりつけておいた。

後から気がついた荷物は小さな袋に詰めて、ベトナムキャリアにくくりつけた。

 

この方法は便利だ。

そういえば、自転車で日本一周した時もナップサック型の袋を持って行っていた。

それは、その日調達した食料がパニアバッグに入り切らなかった時に背負うことができてとても便利だった。それを思い出したのだ。

ただし、百均のものは耐久性に難がある。途中で一つダメになり、今持っているのは2つ目だ。今回持って行ったのはこれである。

 

今回も到着間際のコンビニで買った弁当や飲み物(アルコール)を入れて背負った。ところが目的地についてみたらもうすでに綻び始めていた。もうひとつ小ぶりで少し丈夫な袋をもう一つ持っていった。これは翌日温泉に行く時に役に立った。

 

ともかく、このように追加の荷物があっても荷を解かなくて済むので、一つ持つことをぜひお勧めしたい。

あれ、このことに気がつかなかったのはぼくだけかな? これは失礼。

 

さて、スーパーカブのベトナムキャリアに取り付けた小さなバックにモバイルバッテリーを入れて、スマホとコードで繋ぐ。スマホはハンドルに取り付けたTIGRAへ装着して走り出す。

 

ナビはGoogleマップを使う。家の近くではナビを見る必要はない。そう思っていたら道を間違えた。最近は句会へ向かう時しか遠出をしていなかったので、ついそちらの方向へ進んでしまった。慣れとは恐ろしいものである。

 

246号を少し引き返し、相模原方面に進路を修正。早起きしたせいなのか頭がぼーっとしていた。割と道も混んでいて、ナビが裏道を案内してくれている。129号線から16号線に入る手前の裏道にあったコンビニで休憩し、コーヒーで頭をすっきりさせた。

 

今日向かう先は、みなかみ町にある宝台樹キャンプ場。若い頃に宝台樹スキー場へは何度か行ったことがある。だがいつも夜でさらに同乗させてもらっていたので道はまったく覚えていない。

 

予定のルートは、ほぼ北上する形で八王子から飯能、小川町を通り、深谷から17号で月夜野まで行く。その先は291号から63号線を通って目的地だ。

 

八王子までは八王子バイパスを通る。相変わらず車が多い。八王子からは16号に乗る。16号は道がまっすぐではないので気を遣う。

 

昔は川越に彼女がいてよくここを通ったものだ。あの頃はナビなんてものはなく、地図と道路標識を頼りに通っていたが、ときどき道を間違えた。それに八王子バイパスは有料だった。

 

この八王子から福生あたりを通るたびにそのことがつい思い起こされる。

ナビのおかげで運転がとても楽になった。そのかわり道がなかなか覚えられない。

 

そんな物思いにふけっていた16号を左に折れて飯能方面に向かう。ここからは車が少なくなり快適なツーリングとなる。

 

今日はありがたいことに曇りなので、多少楽だ。長距離走行のためしっかりプロテクターをつけている。脚には膝と脛を保護するプロテクター。これは自転車で階段一回転の時にしっかり保護してくれたという実績が証明されている。その上に少し緩めのジーパンを履く。

 

上は、メッシュのライダーズジャケット。昔ホンダが手がけていたブランドで今はもうなくなっている。最近のものと違うのは、胸当てがないこと。もう40年くらい前のものだが、まだまだ使えそうだ。

 

メッシュだから走っていると風が通り抜けてくる。だが止まると暑い。残念ながらヘルメットに風通し窓がないので(2つも買う余裕がない)、頭は暑い。

 

今回の旅でぼくのスーパーカブは、走行距離が1万3千キロを超えることになるだろう。チェーンはだいぶ伸びてきたのでそろそろ交換時期だが、エンジンはとても快調で、初期の頃より吹き上がりが良くなっている。相変わらず60キロ走行時だけは振動が大きいのが玉に瑕である。

 

 

高麗神社に立ち寄る

高麗神社

今日は、キャンプ場到着が午後4時半頃と連絡してある。だから時間に余裕があった。それにあまり早く着き過ぎてもすることがない。夕食は弁当にすることにしているし、焚き火道具も持ってきていない。

 

それでもテントはモンベルのムーンライトⅡ型(旧型)なので快適に過ごせるだろうし、ミニテーブルと折り畳みのスツールは持ってきている。

 

だから時間調整というほどでもないが、途中にある高麗神社に立ち寄った。高麗という地名は平塚にもある。確認はしていないが、おそらく朝鮮からの渡来人が居住した場所であろう。

 

鳥居のところに茅の輪があったので、左右に回りながら三度潜り抜けた。

拝殿に入る門には「高句麗神社」という名が掲げられていた。

鳥居の先に

 

 

立ち寄った埼玉県日高市の高麗神社はまさしくそういったところであった。

神楽殿には再現されたチマチョゴリが飾ってあった。

 

 

 

高麗神社のHPによれば、「高句麗からの渡来人 高麗王若光を主祭神として祀る社」ということである。高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)渡来のいきさつは次のように書かれている。

天智天皇5年(666)年、連合した唐と新羅は隣国の強国、高句麗の征討を開始しました。高句麗は危機的状況の中で外交使節団を大和朝廷へと派遣します。『日本書紀』には「二位玄武若光」の名が記されており、若光が使節団の一員として日本へと渡来した事が分かります。668年、建国から約700年間東アジアに強盛を誇った高句麗は滅亡し、若光は二度と故国の土を踏むことはありませんでした。

 

また、続日本書紀(巻第7)には霊亀2(716)年、関東一円にいた高句麗人1799人が武蔵国に集められて「高麗郡」が創設されたことが書かれているとのことである。

 

拝殿に向かい、日本が高句麗のようにならないようにと手を合わせた。

 

komajinja.or.jp

 

月夜野の矢瀬遺跡

深谷から17号に入る。

ここでは皆スピードを出して走っている。

流れに乗るようにアクセルを開ける。

前方に大きな山の塊がいくつか見えてきた。

間近に迫っているのは赤城山だ。

他の山はどこの山だか分からない。

 

喉が渇いたので渋川のコンビニで休憩。熱中症にならないためにも水分補給は大切だ。

バイクを停めてエンジンを切り、スマホを外そうとしたらスマホが振動している。

アレっと思ったら振動しているのは手の方で、ずっとハンドルを握っていたので感覚が残っていたのだった。

ここで沖縄パインミックスというジュースを飲んだ。

目的地まで後残りわずかだ。もう一踏ん張り頑張ろう。

 

月夜野で道の駅矢瀬親水公園の案内板が見えた。

ここに弁当が売っているかもしれないと思い寄ってみる。

野菜はたくさんおいてあったが弁当はなかった。

ついでにトイレに寄る。それは外の少し下の方にあった。

行ってみるとトイレの正面に遺跡の復元された建物が見えた。

 

そこには矢瀬遺跡と書かれてあった。

見たところ縄文遺跡のようだ。

復元された建物の内部に入ってみると、いきなり灯りがつきそこに人がいて驚いた。

人というのは縄文人の模型で、家族で火を囲んでいるのだった。

他にも柱が六本立てられているものがある。これはあの三内丸山遺跡で有名になったやつと同じのようだ。実際には何の目的で建てられたのかが不明というやつだろう。

もし、同じような構造の建物が建てられていたとしたら、当時の縄文人は繋がりがあったということになる。

そして現在、冬には相当冷え込むこの地域に多くの縄文人が住んでいたということは、当時の気温が今よりも高かったということである。

そんなことを思いながら縄文の遺跡を歩いた。

 

あとからこの矢瀬遺跡を調べると、次のように紹介されている。

上越新幹線「上毛高原駅」より徒歩約10分ほどの利根川の河岸段丘上で発掘された縄文遺跡。今から3500年から2300年前の縄文時代の住居と祭祀遺構、水場など、狭い範囲にこれらの施設がそろって発見されたため縄文時代の集落構造が分かる遺跡として知られている。

 

www.enjoy-minakami.jp

 

次回へつづく