Hakuto-日記

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木曽路てくてくひとり旅 【84年秋、旧中山道を歩く】

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(カラーネガをアプリで反転 以下の写真全て同じ)

 

84年夏、初めて北海道バイクツーリングに行った。

そしてその秋、木曽路を歩いてみた。


バイクツーリングについてはすでに書いたので、次は木曽路を歩いた旅について、メモをたよりに思い出してみようと思う。

 

前年、前々年と東松山で行われる日本スリーデーマーチに参加していた。1日に50キロ歩き、それを3日間行うイベントだ。

 

3年目は一緒に行く仲間がいなかったため、木曽路をひとりで歩いてみることにした。

 

challe.info

 

japan3day.jimdo.com

 

木曽路のルートはこちらがよくわかります。

cat.kisoji.com

 

これより南 木曽路

84年11月3日、0時10分。急行アルプス59号にて新宿を出発。

23時55分の普通列車長野行きは、山屋さんたちが多すぎてとても乗車できる状態ではなかった。急行はどうにか座ることができ、急行料金1,200円を払った甲斐があった。


この急行列車は朝の5時20分に塩尻に着く。そこで中央西線に乗り換えだ。

 

けれど、そこで降りずに松本まで行くことにした。中央西線普通列車中津川行きは塩尻を発つのが6時54分、1時間34分も待たなければならないのだ。

 

急行アルプス59号の松本着は5時38分、松本発中津川行きの始発が6時16分。しかも始発のため入線は5時55分だった。これだと待ち合わせ時間は38分。寒いホームに立っていたのは15分足らずだった。


しだいに空が明らみ始め、6時16分、列車は静かに動き始めた。


7時、日出塩駅に到着。降り立った客は僕の他は地元の人らしき方一人だった。駅を出て準備運動をし、トイレを済ませると木曽路の旅が始まった。

 

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20分ほど歩くと『これより南 木曽路』の碑へ到着。そこから少し道を間違えたのでまたもとに戻って8時に再出発した。

 

それにしても寒い朝だった。ありったけのものを着込み、手袋を二重にしているのに手はかじかみ、鼻水は垂れてくる。あたり一面霜で真っ白だ。

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贄川でパンを買い、歩きながら朝食を済ます。平沢を抜け、10時半頃に奈良井宿に着く。写真を撮りながら宿場を通り抜け、勇んで鳥居峠越えに向かう。11時頃登り始め、峠の上には12時少し前に着いた。御嶽山がはるか向こうに見える。いい眺めだ。

 

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藪原へは12時15分頃に着く。ここで土産を買ったり昼食をとったりして1時間半ほど滞在。薮原から宮ノ越までは約1時間、原野までは20分くらいだった。

 

そろそろ今夜の宿を見つけなくてはならない。電話ボックスに入り、図書館で借りたガイドブックに載っている民宿に電話をかける。どこまで歩けるかわからなかったので予約をしていなかったのだ。ところが連休中のためかどこもいっぱいだと断られてしまう。何軒目かでようやく見つかったところは木曽福島だった。ちょっぴりスリルを味わったがホッとした。

 

1時間後、「民宿ふじ」に到着した。

 

ここまで歩いて来て、昔の宿場を保存(再現)しているのは奈良井宿だけで、あとは昔の面影を残しているといった風情だった。けれどその、ありのままの佇まいが逆に往時の姿を想像させてくれる。旅姿の旅人がひょっこり現れるような錯覚を起こさせた。

 

宿場をつなぐ道路は狭い谷の中を抜けている。広くなったところが宿場で周りには畑が広がっている。ときどき枯葉を燃やす煙が上がっていた。冬支度をする晩秋の景色の真っ只中をデイパックを背負って歩くことが楽しかった。

 

道を外れて寝覚めの床へ

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翌朝、民宿を7時45分に出発する。今日の予定は妻籠までだが果たしてそこまで歩けるかどうか。

 

昨夜の宿は、置いてあったパンフレットの文句によると、「古色豊かな民宿ふじ」というのだそうだ。うん、かなり古い。宿はおばあさんがやっていて、「すごいとこに来ちゃったなあ」という感じだった。ところがここの風呂が素晴らしかった。ヒノキの風呂桶にヒノキのすのこ。木の香りを嗅ぎながら、ゆっくりと旅の疲れを洗い流すことができた、はずなのだがやっぱり少し疲れ気味である。

 

今朝は昨日よりは寒くはなく、なかなか快調なスタートだった。だんだんと気温が上がり、棧(かけはし)のあたりでセーターを脱ぐ。天気は最高だ。

 

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2時間弱で上松へ到着。駅には丸太が多くさん積んである。さすが木曽だ。

 

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旧中山道からは少しそれるが、寝覚めの床へ寄ってみることにした。ちょっと変わった景色だった。裏寝覚の方へも行って見る。ここは人が全くいなくて気分爽快。

 

さて、ここから須原へ行く道がわからない。仕方なく旧街道までもどってみたもののそれでもわからない。ようやく行けそうな道はえらくぐるっと回った道で、工事中だ。半分ヤケクソで工事中の道を通らせてもらった。ここはちょうど地図が途切れているところだったのだ。

 

須原への道のりは遠かった。途中は何もなくただ車だけが勢いよく走っている。どうにか見つけたドライブインみたいなところで昼食をとり、遅れているので急いで出発した。

 

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午後1時半頃ようやく須原に到着した。しかし須原の宿はなかなかいい街で、苦労してたどり着いた甲斐はあった。道路脇のあちらこちらに用水が引いてあり、コップまで置いてあるのことにすこぶる感心した。

 

今日はとにかく喉が渇いて仕方がなかったのだが、お腹をこわすといけないので水は飲まなかった。それに唇が乾いてとても痛い。この宿場も良かったが次の野尻もまた気に入った宿場だ。須原〜野尻間はなかなかいいコースだと思った。

 

途中にある大桑という駅で電話をかけて宿をとった。ちょっと妻籠までは行けそうになかったので南木曽(三留野)へ泊まることにした。十二兼(じゅうにかね)という宿場をとおり三留野に着いたのはもう5時を回っていた。

 

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*当時の記録はここで途切れていて、なぜか「3日目」と書いておいて続きがないのである。なんとか続きを思い出してみた。

 

これより北 木曽路

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南木曽の宿は街道から少し外れた普通の民家のようなところだった。夜は日本酒を1本つけてもらい、ひとり静かに自分をねぎらった。

 

翌朝、出立時刻は不明だがこの日が最終日である。

 

わずかな距離で妻籠宿に着く。当時の妻籠も観光客が集まる人気スポットだった。ただ、16年前に訪れたときの街並みよりも、もう少しおとなしい雰囲気だったように思う。その先の馬籠宿も人気の宿場だが、妻籠よりもこちらの方が気に入った記憶がある。

 

馬籠には島崎藤村の生家があり、記念館になっていた。はずかしながら、島崎藤村の名前はよく知っているのだが、当時(現在も)藤村の小説は一つも読んだことがない。

 

それなのにその藤村記念館に入った記憶がある。

 

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馬籠宿は山の中腹にあって坂の途中にある宿場だ。そして昔ながらの坂道を下っていくと「是より北 木曽路」の石碑がある。これで木曽路の旅は終わりである。

 

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少し行くと大きな街が広がりそこが中津川。もう昔の宿場の風情はない。ここで栗きんとんのお菓子をお土産に買う。以前、土産でもらって食べたのがとても美味しくて忘れられなかったのだ。

 

お土産を買うとすぐに列車に乗った。

 

 

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まとめ

最後までお読みいただきありがとうございます。

まず、写真が見にくいことをお詫びいたします。ネガをデジカメで撮影し、アプリで反転させた後、色や明るさの調整をしています(ぜんせん納得してはいませんが)。

ネガが古いこともあるとは思いますが、もともとコンパクトカメラ(OLYMPUS XA2)で撮影しているのでピントはゾーンフォーカスの目測です。

当時プリントした時もあまり綺麗ではありませんでした。

ただ、ポケットに入れておいて、撮る時にカバーをスライドさせるだけでよかったので機動性はありました。

 

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OLYMPUS XA2(ウィキメディアコモンズより)

 

なお、写真は記事の内容に合う場所に置いていますが、場所の特定ができないものもあるため、場所の説明をしておりません。なおなお、木材の写真は上松より手前にあったもので、丸太の写真は撮っていません。悪しからず。

 

徒歩旅については、当時のメモを見てもただ歩き通すことが目的だったように感じます。

 

このころはエネルギーがあり余っていて、バイクツーリングや旅行、登山、スキーにテニス、コンサートに写真展など毎週のように出かけていました。84年に映画館に見に行った映画は21本と自分でも驚くくらいです。ちょっと遅いけど(25歳)青春真っ只中でした。

 

いま、こうして振り返ってみることができるのはとても楽しいことで、また行ってみたくなりました。若い頃に、とにかくいろいろなことをやっておいてよかったと思います。

 

では、このへんで

 

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