Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

天気の良い日に登りたい 【天城山】その2

天城山に登るため、前日に麓の伊東市内でキャンプをした。

最近は登山がメインで、テントで泊まるにしても食事は弁当かアルファ米などの簡単なもの。

一般的に野営を楽しむというのがいわゆる「キャンプ」だというイメージがあるが、登山がメインだとそれは本来の意味の野営または野宿というものになる。

そこで、これからの冬山登山で高山には登れないぼくなので、キャンプでも楽しもうかと考えた。

今回は、その準備段階として、これまでのただ寝るだけという野営にちょっぴり味付けをしてみることにした。

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ミニ焚き火と夕食

共同温泉からキャンプ場に戻り、バイクのエンジンを切る前に明かりを準備する。

まずはLEDライト。そしてもう一つ持って来たキャンドルランタンに火を灯す。

キャンドルランタンは実用性には欠けるので、単に雰囲気を楽しむためである。

 

バイクのエンジンを切ると穏やかな明かりだけとなる。

 

つづいて焚き火の用意。今回持って来たのはCan★Doで購入した「組立式コンパクト焚き火台」(税込550円)だ。ソトのミニ焚き火台テトラによく似ている。

 

薪(焚き付け用ファイアーウッド)も一緒に売っていたものを持って来た。これは半分折って入れるとちょうど良い。

 

焚き付けに少しナイフで切り込みを入れただけで簡単に火がついた。だが、燃え広がらずにすぐに火が消えた。

 

もう一度、同じようにして、今度はほったらかしにしないで火を育てていくとバッチリ燃え広がってくれた。

 

さて、夕食の準備だ。といっても米を忘れて来たので、メスティンやらアルコールストーブの出番はない。

 

まずは鰯のハンバーグ。そう書いてあるが、これは小判型のちょっと大きいさつま揚げ。

 

これを焚き付けの棒に刺して焚き火で炙る。これが実に美味い。そしてビール(もどき)にとてもよく合う。

 

こうして食べそして飲みながら、つぎに鰹のたたきをナイフで厚めに切っていく。醤油皿は鰯バーグの載っていたプラの容器。

 

ちょうどよく、焚き付けの中には切り込みが入っている割り箸の出来損ないが入っていた。

 

これを使って箸にする。これなら箸が燃えても構わないのでかつおのたたきをさらに炙ってみた。うまい。

 

最後は鯵のにぎり寿司でしめた。

 

料理とは呼べないが、こうして、十分キャンプを楽しんだ(すこし食べ過ぎだが)。

 

 

星空と夜景

この時期は虫が飛んでいないのが何よりいい。ただし地面を這う虫はいる。とくにじめじめした場所は注意したほうがいい。

 

さて、後片付けをして寝ることにしよう。

 

焚き火は寿司を食べる頃にはほぼ燃え尽きて、灰はすでに冷たくなっていたのでゴミ袋に入れる。

 

そういえば、最後にバナナを食べた。これは家から持って来たもの。その皮を小さなビニール袋に入れた。そして翌朝もバナナを食べるつもりでいたので、そのビニール袋はテントの前に移動したアルミテーブルの上に置いておいた。

 

明かりを消すと、遠くの眼下に街の明かりが煌めいていた。空は雲がかかってその間から少し星が見えた。

 

こうして20時就寝。夜露がかなり降りて来ていて、タープはびしょ濡れ、テントの後側もタープの端なので結構濡れていた。

 

寒いと思ってシュラフは冬用を持って来た。ところが意外に暖かい。逆に暑過ぎて眠れないので足元のファスナーを開けてみた。そうしたらちょうどよくなって眠ることができた。

 

<カタッ>という物音で目が覚める。外で動物の気配がした。とっさにしまったと思う。

 

あれはテーブルに寝かせて置いておいたビールの缶が落ちた音だ。狙いはあの生ごみだろう。

 

急いで起きて外に出る。きっとビニール袋が破られて中身が散乱しているだろうと思った。

 

ところが、なにも散乱していない。だがよくみるとビニール袋が丸ごと無くなっていた。やっちまった。近所の皆さんごめんなさい。

 

スマホで時間を見るとちょうど午前0時だった。

 

この時雲が晴れていた。満天の星空が素晴らしい。キャンプ場には照明はないが、すぐ上の家の照明が明るすぎるのがちょっと残念に思える。

 

星座には詳しくないが、オリオン座くらいはわかる。真ん中の三つ星の下の方にひときわ輝く星が見える。あれがシリウスなのだろうか。最近読んだ茂木誠氏の書いた「ジオ・ヒストリア」(笠間書院)に影響されてそんなことを考えながら再びシュラフに潜り込む。

 

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テントを撤収し登山口へ向かう

夜中の3時頃に目覚めたが、まだ早すぎるので再び寝る。そして起きたのは5時半。予定では7時出発なのであと1時間半。

 

テントの内側はかなり狭くなっていた。夜露の重みのせいである。頭や服が濡れそうなのでレインウェアを着てから朝食の用意をした。

 

朝食は温めるだけの玄米かゆ。これに家から持って来たたらこを入れて食べる。

 

そして急いで撤収。だが、あまりにびしょ濡れなので雑巾で軽く拭き取ってからタープ、テントと片づけていく。

 

結局、出発できたのは1時間遅れの8時になっていた。

 

暖かい夜だったので凍結の心配はないと思ったが、濡れている場所は慎重に走った。今朝もそれほど寒くない。

 

だが、県道111号線に入るとどんどんと高度を上がっていく。それとともに空気が冷たくなって来た。

 

スーパーカブもほぼ3速でないと登れない。ときどき2速に落とすこともあった。

 

8時半、111号線の終点の天城縦走登山口に到着する。

 

 

 

天城山登山

登山口

 

天城というと、石川さゆりの『天城越え』、あるいは松本清張の同名の小説が有名である。しかし、天城山という山はない。

 

天城山というのは天城山脈あるいは天城連山といって複数の山の総称である。

 

今回登るのはその中の最高峰である万三郎岳(ばんざぶろうだけ)と万二郎岳(ばんじろうだけ)で、さらに登山口から反対側の遠笠山にも登ろうという計画だ。

 

広い駐車場の片隅にバイクを停め、ライダージャケットを脱ぎ、膝プロテクターを外してビニール袋に入れて登山の準備をする。それからちゃんとした水洗トイレを利用させてもらう。

 

天気は良いが風は冷たい。登山道入り口は道路の反対側にある。8時55分、天城縦走登山口から万二郎岳を経由して万三郎岳を目指す。計画よりほぼ1時間半遅れでの出発である。

 

初めは少し下ってそれから上り下りを繰り返す。道は濡れていて落ち葉がたくさん落ちている。

 

一昨日降った雨のせいかそれとも霜が解けたのか。所々ぬかるんでいて、これは降りてくるまでに泥だらけになりそうだ。

 

登山道はほぼ落葉樹ばかりの樹林帯で、そのため明るい。アマギツツジやリョウブといった今まであまり見たことのないような木がたくさん生えていて根が張り出している。針葉樹の根と違い細くてくねくねしている。

 

 

 

万三郎岳へと向かう道とつながる四辻を過ぎると、しばらくそのままなだらかな上りが続く。さらに少し行くと開けた沢筋が現れた。水は流れていない。

 

そこから下を見渡すと天城高原がみえた。その向こうにはうっすらと山が見えている。

 

ここで小休止だ。

 

視界が開ける

 

ツルシキミがあちこちに

 

腹が減ったのでソイジョイを食べる。そして少し暑くなってきたのでレインウェアとライトシェルパンツを脱ぎスパッツをつけた。


この沢を過ぎると登りがだんだん急になっていく。頑張って登りつめるとシャクナゲの群生する林の平らな道になる。

 

そしてそこが万二郎岳山頂であった。10時15分だった。

 

万二郎岳山頂

 

あいにく曇ってきてガスがかかり景色は見えない。万二郎岳山頂を過ぎて急坂を下り、ふたたびなだらかな道になる。さらに進むと右手にさっき下に見えた高原が見えている。どうやらそこはゴルフ場のようだ。

 

その見えている辺には日が当たっているが、ここは薄い雲の中で日が当たらない。

 

このあたりから万三郎岳まではなだらかな尾根の縦走路で、馬の背という大きなコブのようなところを過ぎ、ほぼ中間地点の石楠立(はなだて)というちょっと読めない字の場所を一つの区切りとする。

 

馬の背からの景色

 

はなだて

 

ずっと左手の南側はガスがかかっていてほとんど何も見えない。右手の北側は多少晴れていてときどき木々の隙間から相模湾の海岸線がかすかに見えた。

 

もし晴れていて遠くまでよく見渡せたら気持ちの良い縦走路なのだろうが、どうも中途半端な天気でもどかしい。

 

アセビのトンネルという群生地を過ぎ、なだらかな道を淡々と進んでいくと11時35分、万三郎岳山頂に着いた。

 

アセビのトンネル

 

なんだか登ったという感じがしない。そこは大勢の人が思い思いに食事を作ったり食べたりしていた。

 

例のごとく記念写真を撮ろうとしたところ、山頂の標識のところに帽子をかけて休んでいる人がいたので、とりあえず昼食とした。

 

そのあと来た人がその人に声をかけたらしく、帽子やトレッキングポールをそそくさとどかしていた。

 

この少し先が万三郎岳山頂

 

 

12時ちょうどに下山開始。計画よりも1時間遅れなので、約30分は短縮したことになるが、この調子だと予定しているもう一つの遠笠山に登るのは厳しい。

 

下山を開始してすぐに急斜面が現れる。ここは岩が滑りやすい。そのうえ、丸太で作られた階段は壊れたり土が削られたりですこぶる歩きづらい。

 

危険なので慌てずに慎重に下っていく。

 

こんな場所は迂回する

 

見えそうで見えない景色

 

急坂が終わると広い尾根の斜面を横切り、そのあとは急な谷間の斜面をトラバースしていく。もちろん左側も急斜面がつづいている。

 

谷間なので何度か沢筋を越えていく。ほぼ水はなくあっても小さな沢となっている。

 

こうしてほぼ標高の変わらない道を進んで行き、ようやく急斜面から抜けた頃にはかなり脚にきていた。四辻を目標に歩いていくが、似たような場所が何度も訪れ、その度に期待が裏切られる。

 

13時50分、ようやく四辻まで戻って来た。そして14時5分、登山口駐車場に到着した。計画より35分遅れまで挽回したが、遠笠山に登ってくると16時を過ぎてしまう。おそらく木々でかなり暗くなるだろう。それにもう疲れてしまった。

 

そもそも欲張った計画だったと思い、ここは無理をしないことにした。

 

靴を洗ったり、残った食料を食べたりしてゆっくり休み、15時に帰路についた。

 

駐車場に着いたら晴れて来た

 

 

最後に

今回の登山は、九州の旅の疲れが抜けていないのか、あるいはゆっくりしすぎて体が鈍ったのかはわからないが、どうも魂が抜けたような登山になってしまった。

 

今年の日本百名山の挑戦はひとまずこれにて終了とする。ただ目標をこなすだけの登山にはしたくない。

 

来年、また気持ちを切り替えて挑戦を続けたいと思う。

 

天城縦走路は、まっすぐ進んでいけば天城峠まで続いている。そこの天城隧道にも行ってみたいなあと考えている。ただし、徒歩ではなくて。

 

では、このへんで

 

 

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天気の良い日に登りたい 【天城山】その1

日本百名山制覇に向けて動き始めたのは今年4月下旬。

今年も残すところあと1ヶ月ちょっとなった。

限られた期間にできるだけ沢山登りたい。

そう思ってこれから登れそうな山を調べた。

 

初冬の山選び

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/Mount_Ena.jpg

恵那山(出典フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

まずは中央アルプスの恵那山に狙いを定めた。

そこはバイクで行ける距離で、さらに登山口にキャンプ場がある。

そこで予約を取るために電話した。

「もしもし、11月26日と27日にテントを張りたいのですが、大丈夫ですか?」すると、

「はい、大丈夫です。ところで冬山装備はお持ちですか?」

「えっ・・・」

「もう凍結していますのでアイゼンかチェーンスパイクが必要です」

「冬山の装備は持っていないのですが」

「車ですか?」

「いいえ、バイクで行こうと思ってます」

「路面が凍結しているのでバイクはやめた方がいいです」

「わかりました。今回は見送ることにします」

というわけで、恵那山はボツ。

続いて候補に挙げたのが赤城山。

しかし、ひょっとしてここも路面凍結かも。

そう思って公共交通機関で行く場合の時間を調べてみたが、なんだか気分が乗らない。

やっぱり赤城はバイクで行きたい。

そして最終候補になったのが天城山というわけである。

 

 

前日キャンプ

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/33/Mount_Amagi_20120610.jpg/1920px-Mount_Amagi_20120610.jpg

天城山(出典フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

天城山登山口まで2時間半から3時間なので、朝早く出発すれば日帰り登山が可能である。

だが、仕事から帰ってから準備すると、どうしても寝るのが遅くなってしまうため、早朝の出発は辛い。

それに早朝の風は冷たく寒さが堪える。

そこで、前日にキャンプできる場所を探した。今回はキャンプ場で地元で採れた魚などを味わったりちょっぴり焚き火などもしてキャンプ気分を味わおうという趣向である。

数日前に週間天気予報をみたとき、週末はずっと晴れマークがついていた。

ところが、前日の夜から雨が降り始め、朝目が覚めるとまだ雨の音がしている。

当初の計画ではのんびりと10時に出発する予定だった。

だが、雨で気分が乗らず、さらにのんびりして出発は11時となる。幸い雨は小降りになってくれた。

伊東に着くのが昼過ぎなので、伊東のスーパーで魚を買い、近くの定食屋で焼き魚定食なんかを食べるつもりでいた。

しかし、出発が遅れたので熱海の先で見つけた食堂に入り先に昼食。

ところがそこはラーメンがメイン。焼き魚定食はメニューにない。仕方なく親子丼を頼んだ。

伊東駅近くのスーパーに寄る。うーん、地元で上がった魚がどれだかわからない。うまそうなカツオのたたきを選ぶ。

実は今回はメスティンで飯を炊くことにも挑戦しようと思っていた。そのために家で何度も練習してきた。

思っていたというのは、それができなくなったのである。なぜかというと、お米を持ってくるのを忘れてしまったからである。

家を出て、まだそんなに走っていないときに気がついたのだが、戻る気がしなかったのでそのまま走って来た。

だからアジの握り寿司もカゴに入れた。鰯のハンバーグ(さつま揚げ?)も美味しそうだったので一緒に買った。

もちろん、ビール(もどき)もお買い上げ。

こうしていざ、キャンプ場へと急ぐ。

 

 

ワイルドなキャンプ場

予約したキャンプ場は分かりにくい場所にあり、Googleマップもお手上げ状態だった。

少し迷ったが、感が当たり無事到着。

管理人が先に来て待っていてくれたのでそれとわかったが、パッとみてそこがキャンプ場だとはだれもが思わないであろう。

まだ、建設途上とのことであるが、ほとんど設備はない状態である。

キャンプ指定地は枯れ草がぼうぼうと茂る。まだ水道はない。そこまではまだいい。

なんとトイレは小屋があるばかりで、折り畳み式の便座にゴミ袋を引っ掛けて用を足すといった塩梅なのである。

そして嫌な予感が的中した。

土は柔らかく、昨夜来の雨で湿っている。こんな場所にはきっといるだろうな、あのぬめーっとしたやつ。

テントを張って焚き火をしていた時に、やっぱりでてきた。

 

 

忘れたのは米ばかりではなく

管理人はとても気さくな女性で、この土地を選んだ思い入れがかなり強いオーナーであった。この場所の良いところ、たとえば近くに病院やコンビニ、スーパ=、ドラッグストアなどが近くにあるのに静かな場所であることや、大室山が望めたり夜景が綺麗なこと、さらに星もよく見えるということなどを話してくれた。

そしてそれはどれも本当だった。

テントを張る場所を決めて、テントを出して張り始める。あれ、ない。

なんとテントポールを忘れて来てしまった。どうもおかしい。準備をする時間はたっぷりあった。頭が全然働いていない。これまでの登山の疲れが出てしまったのか、あるいは体を休め過ぎてボーッとなってしまったのか。

本来ならテントポールがなければテントは立てられない。

だが、幸いにもトレッキングポールを持って来ている。さらにポンチョをタープにする予定でいたのでロープやペグも用意して来た。

テントは二本のポールをクロスさせて自立するタイプなので、天井の真ん中を吊るして四隅をペグで留めればなんとかなるように思えた。

写真を撮っておけばよかったのだが、それもなんだか面倒だった。

 

説明するのがむずかしいが、手順はこうである。

1、4ミリロープ約2メートルをトレッキングポールの頭に結び、そこに3ミリのロープを90度の角度で開いてペグでとめ、向かい合わせて立たせる。

2、テントの天井のクロスした部分にロープを巻き付けて、1の4ミリのロープに結ぶ。すると天井が立った状態になる。

3、テントの4隅をペグで留める。

4、テントポール中程あたりから伸びている固定ロープ(4箇所)を伸ばしてペグダウン(これで少し居住空間が広がる)。

5、ポンチョタープを1の4ミリロープに被せる(天井を吊っているため、フライシートは掛けられない)。

6、4ミリロープに被せたポンチョタープの両端にロープを通し、トレッキングポールに結んでピンと張る。

7、ポンチョタープの四隅の前2箇所をペグダウン。

8、テントのポール中程から伸ばしているロープ(後側)をペグから外し、ポンチョタープの四隅の後ろ2箇所を通して捩ってから再びペグに留める。

以上、こうするとポンチョタープは切り妻屋根の形にピシッと張れた。その下のテントはどうにか中で寝ることができる状態になった。

 

 

共同温泉

https://itospa.com/lsc/upfile/spot/0005/4044/54044_1_l.jpg

 

テントが張れたら、急いで近くの共同温泉まで走る。

受付のおじさんにお金を払おうとしたら、後ろを指さされた。そっちを見ると自動発券機が置いてある。

「石鹸はありますか」

「いいえ、もっていません」

「では、どうやって洗うのですか」

「・・・・・」

「共同風呂というのはどこも石鹸は自分でもってくるものですよ」

そう言って立ち上がり、別室でなにかゴソゴソしている。すると洗面器をもってでてきた。中に石鹸箱が入っている。言葉はぶっきらぼうだが意外と親切だ。

その後に何やら怒声を上げているお客がやってきた。はやく300円を払ってチケットを寄越せと言っている。ついには受付のおじさんにも飛び火した模様。

そんな騒動が暖簾越しに起きているのを聞きながら、昔ながらの温泉に浸かる。

しっかり温まって出てくると、玄関に警察官が二人、おじさんと話をしている。どうやらさっきの揉め事で呼んだらしい。

表に出るとすでに暗くなっていた。いまは5時で真っ暗だ。

暗い道を引き返す。途中カーブの連続する山道があり、バイクでは照射範囲が狭いのでスピードを抑えて(というかあまりスピードがでない)慎重に走る。

 

つづく。

 

 

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九州五山巡り 五山目 【開聞岳】

 

11月5日、開聞岳に登るため指宿にやって来た。

3年ぶりだ。

前回は大隅半島の根占からフェリーで山川港に入港した。

根占からみる夕日が開聞岳の方に沈む景色は今でも強く心に残る。

山川に着いてからは山川温泉の砂湯に行った。

そこからの開聞岳の存在感も圧倒的だった。

 

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5日目、開聞岳に登る

 

11月5日、えびの高原を出発し、午後4時過ぎに指宿のゲストハウスに到着する。その後は宿でのんびり過ごす。

 

今朝は霧島山に登り、下りではヘトヘトになってしまった。早めに夕食を済ませて8時頃にはベッドに入る。

 

翌朝は午前4時に起床。まだ暗いうちに宿を出た。

 

ゲストハウスの駐車場は徒歩1分くらいの場所にある。車に乗り込み、ナビをセットしようと思うが今回も目的地を見つけてくれない。またもやスマホのGoogleマップに頼ることになった。

 

ただ、前日の現在位置がとんでもないところを指し示すことはなく、GPSが正常に働いてはいた。


6時20分、かいもん山麓ふれあい公園横の登山者駐車場に車を停める。駐車場が一杯にならないうちにと急いできたのだが、停まっていたのはバイクが1台だけだった。

 

これから先はトイレがないとのことで、公園のトイレに寄って6時30分登山開始。

 

正面には開聞岳が聳え立っている。真っ直ぐに車道を少し進むと二合目に着く。ここからいわゆる登山道に入っていく。

 

いよいよ開聞岳登山。


登山道はまるでジャングルの中のようだ。眺望はきかないし、木々も南国ムード満載。そして切り通しのように斜面が削られたところがたくさんある。足もとは細かい砂でちょっと歩きにくい。

 

上空では、夜が明けたばかりなのでさまざまな鳥たちの鳴き声が姦しく飛び交っている。

 

鳥の声が静かになってきた頃、砂の登山道は砂利の登山道に変わった。これはこれでまた歩きにくい。まあ、こうした変化があるから面白いのだが。

 

砂の登山道

 

ツワブキ

 

ツルソバ

 

木が生い茂る

 

登山道の丸太

 

削られた道


倒木処理だろうか。太い丸太が転がっていた。それに登山道の真ん中にどーんと丸い大きな石があったりする。

 

景色が見えないので楽しみは登山道を観察することになる。あとは黙々と瞑想のように登っていくだけだ。

 

 

登山は瞑想

ここからは瞑想のような脳内のつぶやきである。


先日泊まった南阿蘇でのこと。

 

そういえば、南阿蘇の森で夜中に鳴いていた動物のあの「ヒュー」という声は一体何の動物だったんだろう。日が沈んで焚き火を見ていると周りが余計に暗く見え、あの動物の鳴き声を聞いて、本当に深い森の中にいるように思えた。なんとも野性味豊かなゲストハウスであった。

 

ゲストハウスのオーナーは川崎でパリダカなどのラリーの支援をするようなバイクショップを経営していたという。


泊り合わせた宿泊客は僕の他に千葉から来たと言うお母さん。若い頃からヨーロッパを1人で回ったりして旅慣れているようだった。今回も旦那さんと子供を残して1人で旅に出てきたという。なんて理解のある家族だろう。うらやましい。


もう1人は徳島から来たと言うライダーで今年からツーリングを楽しむようになったらしい。以前バイクを買ったところで海外赴任をすることになり、なんと10年位バイクを保管していたそうだ。ようやくバイクに乗れるようになり、乗ってみたらとても楽しかったということだ。きっと今は楽しくて仕方ない状態だろうなあ。これもまたうらやましい。


ただ、うらやましいけれども真似しようと言う気にはならない。そこが若い頃と違っている。今は自分のやりたいことを自分が決めた目標に向かってまっすぐ進んでいる。

 

それにしても、今何かをやると言う事は何かを犠牲にするということである。同時に様々な事はできない。

 

大切な命の時間を今そのことにつぎ込んでいるのである。他の事は犠牲にしているのである。だから今この時はに集中して生きなければもったいない。今この時を生きるということはそういうことだ。

 

無駄な人生を生きないというこは今に集中することなのである。

 

九州五山巡り 二山目 【阿蘇山】 - Hakuto-日記

 

 

再び現実

四合目の標識が見えてきた。だいぶ体も温まってきたので上着を脱ぐ。


しばらく歩くと砂利がほとんどなくなって歩きやすくなる。そう思っていると五合目に到着。そこにはデッキのような展望台があった。

 

そこに一人の登山者が腰掛けていた。ぼくがやってくると走って下りて行ってしまった。駐車場に停まっていたバイクの人だろうか。

 

五合目の展望デッキ

 

展望デッキからの眺め

 

ここまで約1時間かかった。ここまでの速度は平均タイム以下だった。さらに暑くなったのでここでもう1枚脱ぐ。

 

展望台に立つと朝日が反射する海が見えた。


五合目を過ぎるとまた砂利道になる。いわゆるザレ場である。石は削られて丸みを帯びていた。するとイテテテ、張り出した木に頭をゴツンとぶつけた。下ばかりみていたせいだ。

 

こんなのがいっぱい

 

しかし、下は下でコロコロとよく滑る滑る。

 

エネルギーのメーターがもうあとわずかしか残っていない感じだ。できるだけ消耗しないように登っていく。まだ五合目を過ぎたばかり。あと半分がんばれ。

 

 

開聞岳登頂

 

九合目から上は岩が多くなる。その岩が露で濡れていてツルツルと滑って怖い。

 

五合目から上も展望はきかず、7.1合目という変なところで再び見晴らしが良くなる。開聞岳の登山道は渦を巻いて登っていくので、ここから見えるのは海である。

 

そしてそこに屋久島や種子島が見えるはずだが、今日は霞んで見通せなかった。

 

再び木々に覆われた道に入り、九合目の上で再び下が見えた。今度は山の西側、海岸線が見える。

 

その手前で先行者に追いつき、この見晴らしの良い場所で言葉を交わす。地元の方ですかと問うと、そのぼくよりすこし年配の男性は、佐賀から来ているということだった。

 

その男性からつい先日、熊本の黒峰山で遭難事故があった話を聞いた。3人で登っていて一人だけ途中から下山したそうだ。その下山した女性が遭難したのだという。あらためて気を引き締めた。

 

男性と言葉を交わした場所から

 

その方はゆっくり行くと言ってぼくを先に行かせてくれた。

 

その後も滑る岩に気をつけながら登っていき、9時5分、開聞岳に登頂する。

 

山頂からの景色はやはり少し霞んでいるのが残念だが、何とか佐多岬まで眺めることができた。

 

池田湖

 

 

佐多岬を望む

 

山頂には誰もおらず、下山する人にも合わなかったので、今日はおそらくぼくで二人目の登頂者だろう。

 

岩に腰掛けてレトルトのサツマイモなどを食べていると、山頂にはすでに5、6人の人が登ってきていた。

 

9時10分、下山を開始する。すると九合目のちょっと下までで10人くらいとすれ違った。

 

 

下りは人間観察

開聞岳を登り始めてジャングルのようだと言ったけれど、けっこう登山道に木々が張り出していたり、海からの強風のためと思われる倒木も多い。

 

半分倒れた木

 

完全に倒れた木

 

登りではすでに5回頭をぶつけた。そして下り始めて今ここでぶつけて6回目だ。

 

この九合目の下でヘルメットを被った少し年配の方に出会う。

 

「ヘルメットいいですね。私は木に頭を何度もぶつけてしまいました」と言ったら、その方は、

「私はもうこれ以上頭が悪くならないように被ってます」との返事が返って来た。


結局、下りでは3回頭をぶつけ、合計8回頭をぶつけた。擦った回数を入れれば数え切れない。

 

数え切れないと言えば、下りで出会った人も大勢で、次から次へと登って来ていた。

 

五合目近くまで降りて来たら、思った通り丸まった石に足を乗せるとコロコロと転がっていく。なんとかしのいで尻餅をつかないように頑張った。

 

最後まで転けずにいけると思ったところでずっこけた。変な体制で転けるとダメージが大きい。


景色も見えず、ただただ下っているとだんだん登山者の人間観察のようになってくる。

 

元気な中学生が勢いよく登っていったり、粋なお姉さんが登ってきたかと思うとその後に外人さんがいたりする。


それに夫婦連れも多い。中には奥さんのザックを持ってあげているご主人もいたりして微笑ましい。しかし『自分の荷物くらいしっかり持てよ』と言う自分もいる。

 

7.1合目から

 

蝶に出会う

 

ジャングルツリー

 

二合目に降りてくると舗装された道になるので、ここで登山は終了といった感じである。

 

ちょうどそこの角に蕎麦屋の案内看板があり<11:00開店>とあった。ちょうどいい。あと10分だ。少しそちらに歩きかけたが、車で行った方がいいと思い直し、戻って駐車場に向かった。

 

そば屋の案内板。

 

蕎麦屋はなんとこの日臨時休業。近くのラーメン屋でタレ焼き肉とライスを食べて指宿に戻り、元湯温泉で汗を流した。シンプルな共同風呂でぬる湯と熱湯があった。

 

元湯温泉

 

リフレッシュしたところで鹿児島に向かう。

途中、「道の駅いぶすき」で石焼き芋を食べる。自転車旅で来た時は、レミオロメンの「粉雪」の歌がずっと流れていたっけ。


この後、無事に鹿児島中央でレンタカーを返却。

 

近くのゲストハウスに向かう。屋台の誘惑にも打ち勝って、コンビニのビールで食糧の在庫処分。途中でやって来た、広島から来たという還暦の方と2時間くらい話をしたあとベッドに入った。

 

ゲストハウスで

 

最後に

これで九州五山巡りは終わりである。

 

全日晴天で何もかも計画通りに進んだ。おかげで九州の百名山のうち、屋久島を除いてすべて廻ることができた。

 

今回巡った5つの山はみな火山活動によってできた山で、祖母山だけが火山活動の後に隆起したものだった。

 

だから、九州は火山地帯というイメージである。実際には断層の運動によってできた山もあるとのことだが、少なくとも九州の日本百名山は火山ばかりであった。

 

今回、幸運にも五山を巡ることができたが、もしも何かしらのトラブルが発生したらそうはいかなかったに違いない。それくらいタイトなスケジュールだった。

 

まるでひとりだけの登山ツアーに参加したような感じだ。なんだか予定をこなしただけのように感じられる。もちろんそのことには満足しているのだが、残念ながら旅をしたという感じがしない。

 

限られた日数と予算のなかで欲張ったためである。

 

でもやはり、旅というものは思いがけない出来事が起こったりするのが面白い。それがたとえトラブルでもだ。

 

ぼくは旅というものをそんなふうにとらえている。

 

九州五山巡り6日目の最終日、朝一番のバスで空港に向かう。飛行機も予定通り飛んで昼前に自宅に戻って来た。そして午後から仕事に出かけた。

 

2022年、あといくつ登れるだろうか。

 

では、このへんで

 

 

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九州五山巡り 四山目 【霧島山】

新燃岳火口と高千穂峰

3日目は、えびの市のビジネスホテルに泊まった。

朝食がついていて6時から開始とのことなので、翌朝レストランに立ち寄ってから出発。

実はもっと早く出発しようかと考えていたため、前日に巻き寿司の弁当を買ってきていた。

消費期限があるため、これを食べてからレストランに行く。

朝もバイキング形式で種類も豊富にあった。

もっと食べたかったなあという思いを残してえびの高原に向かう。

なかなか割安な良いホテルであった。

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4日目、霧島山に登る

 

11月5日午前7時、えびの高原に車を停め、霧島山の韓国岳(からくにだけ)に向けて登山を開始する。

 

舗装された道路から遊歩道に入り、遊歩道から登山道に入る。するとそこは松林。両側はロープで仕切られて登山道しか歩けないようになっていた。

 

 

途中から石の階段を上っていく。少し上ると噴煙の立ち上っているところが下に見えた。左手にはえびの高原駐車場が見える。いい眺めだ。遠くの山々も連なって見える。

 

平らな山は甑岳(こしきだけ)

 

登り始めてからずっと硫黄の匂いがしている。阿蘇山で匂っていたのとは違う温泉で嗅ぐような匂いだ。

 

8時に5合目到着。ここはちょうど展望台になっている。今まで登ってきたところをしばし振り返り、左手を見ると桜島が見えた。噴煙が上がっているのですぐにそれとわかる。そして目を凝らせばその向こうに明日登る予定の開聞岳まで見えるではないか。最高だ。

 

五合目休憩所

 

休憩所内にあったマップ

 

桜島と開聞岳(ちょっと遠いけど)


8時35分、韓国岳山頂登頂。山頂付近は大きな岩が積み重なっている。ここの岩に腰掛けて周りの景色を堪能した。

 

頂上まであとわずか

 

 

向こう側は深い火口

 

神々しい高千穂峰(たかちほのみね)

 

 

 

 

大浪池一周

大浪池(おおなみのいけ)を見下ろす

 

9時5分、大浪池に向かって下山を開始する。このルートは急坂で滑りやすい。途中から木製の階段が現れたのでそちらに移る。するとなんだか途中で切れたようになっていて、その先から下に降りるのは段差があり過ぎては難しく、少し戻って登山道に降りた。

 

下り始め

 

板の階段

 

この始めに現れた板の階段はすぐに終わってしまったが、そのあとに現れてからはずっと下の方まで続いていた。段差があるので登るのは大変だろうと思うが、それでも大勢の人がこの階段を登って来た。

 

30分で大浪池の分岐まで到着。この標識の下で休んでいた人がいたのであまりよく見ずに進んで行く。するとちょっと先で3頭の鹿に遭遇した。ひょっとしたらカモシカかもしれない。

 

ところがだんだん道が荒れてきて一般道らしくなくなってきた。そこでGPSで確認する。やはりコースから外れていた。

 

ここから引き返し、再び分岐まで戻る。計画では大浪池を西回りで1周することにしていた。それなのに道は東に向かっている。

 

少し歩いてみてやはりおかしいと思い、また分岐まで戻る。すると、最初に間違えた道の右側にも道のようなものが見えた。近くまで行ってみてそこが登山道らしいことがわかる。

 

ようやく正規ルートと思える道を歩き始める。少しずつ登って行くと大浪池をめぐる道に入ったので間違いなさそうだ。だが、右手に見えるはずの池がなかなか見えてこない。

 

しかしお鉢巡りのようにお池巡りをしていることはわかる。しばらく歩いて少しずつ池が覗けるようになった。

 

反対側あたりにくると池を見下ろせる場所が度々現れるようになる。その向こう正面には韓国岳が見えた。

 

その後はたびたび池を見下ろせた。比較的北側からのほうが眺めがよいということになる。

 

特に気に入ったのは、4分の3周した辺りの登山道から少し外れて登ったところ。下に池を見下ろし、左手に韓国岳を見上げる位置だ。このときは池の右側の水面に太陽が反射して煌めいていた。紅葉の色が少しくすんでいるのが残念だが、初冬の透き通った風が心地よかった。

 

韓国岳と大浪池

 

煌めく水面

 

南を見れば桜島

 

 

最後の下り

なだらかな下り

 

その眺めのよいところを過ぎると少しずつ下り始め、池から離れていく。それから彷徨った例の分岐と繋がる西側の分岐まで一気に下る。

 

そこからはなだらかな下りが、えびの高原駐車場の少し手前の道路まで続いている。

 

計画ではここは楽勝で気持ちよく歩いているはずであったが、大浪池の下りでこれまでの疲れが出た。もう何も考える余裕がないくらいヘトヘトになる。

 

緩やかな下りをたらたらと下っていく。

 

車道まであと500メートルという辺りで道は松林の中に入った。そこはしっかりとした踏み跡が残っていないので、うっかりすると道を外してしまいそうだ。

 

なんだか体が重く感じられてきた。血糖値が下がっているのかもしれないと思い、チョコレートを食べてみる。すると少し楽になった。

 

こうして何とかしのいで県道まで辿り着いた。

 

そこはつつじヶ丘という所だった。駐車場まであと少し、そう自分を励まして歩く。えびの高原にもしも蕎麦屋があったら蕎麦を食べるんだ、そんなことを考えながら歩いて行った。

 

つつじヶ丘

 

 

指宿に向かう

駐車場に戻ってくる

 

12時25分、やっと駐車場に戻ってくる。駐車場から道を挟んだ反対側、霧島バードラインからえびのスカイラインに繋がるところに幸いにも蕎麦屋があった。

 

どうして蕎麦なのか。それは昨夜バイキングで食べ過ぎたこと。食べ過ぎたせいで気分が悪くなったように思ったからだ。よって軽めの昼食にしようとしたということ。

 

そして、蕎麦が思い浮かんだ理由は昨晩見たテレビで蕎麦打ち名人対決というのを見ていたからだ。

 

テレビの影響力ってすごい。

 

いずれにしろ願いが叶って大満足。食べ終わって駐車場に向かう。

 

駐車場は満杯になっていた。並んでいる人には申し訳ないが、こちらはこれから指宿まで走らなければならない。指宿までは約120キロだ。

 

そこで車の中で少し眠ることにした。実際眠っていたのは15分か20分程度。けれどこれのおかげで元気になった。

 

行き先を住所でナビに入れると今回は街の中なので目的地を見つけてくれた。いざ、出発。

 

えびのスカイラインを鹿児島に向かって進む。道路脇には車がいっぱいだった。駐車場を出る時、係の人が「早く来て正解でしたね。8時にはもういっぱいでしたよ」と言っていた。

 

割と真っ直ぐな道からくねくねとした道になり、そこから一気に高度を下げていく。そんなカーブの道路脇で白い蒸気が高く噴き出していた。なるほど、霧島は温泉が有名だった。

 

下まで降りてくると鹿児島空港の前を通る。ここは帰りの飛行機に乗るところだ。そして錦江湾を見下ろしながら鹿児島市内に入っていく。

 

市内に入るとスピードを出している車がいなくなった。取り締まりが厳しいのだろうかと、こちらもスピードを出し過ぎないように気をつけて走った。

 

市街を抜け、海岸線を走る道まで来ると、なぜかナビが狂い始める。ナビ上ではとんでもない場所を走っている。

 

結局、またしてもスマホのGoogleマップを起動して走ることになった。

 

午後4時過ぎ、無事に指宿のゲストハウスに到着。ありがとうGoogleマップ。

 

つづく。

 

 

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九州五山巡り 三山目 【祖母山】

 

暗いうちに起きて出発準備。

南阿蘇は6時でもまだ暗く、6時を回ると少しずつ周りが見えてくる。

そんな時間に高千穂の北谷に向かって車で走り出す。

白んできた空に浮かぶ阿蘇は美しく神々しい。

荒々しい火山ほど遠くから眺めると美しく見えるものだ。

 

通りに出ると、そこは以前自転車で通ったはずの道。

高森湧水トンネル公園の看板をみて、確かに立ち寄ったことを思い出す。

そして、高千穂の入り口に立っている「鬼の人形」まで自転車で辿った道をゆく。

 

「鬼の人形」と思っていたのは実は間違いで、本当は古事記に登場する天鈿女命(あめのうずめのみこと)と手力男神(たぢからおのかみ)の二柱だったということが今回調べて分かったのは収穫だった。

 

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3日目、祖母山に登る

 

7時半前に北谷登山口に到着。すでに駐車場は満杯だ。一台の車の前の角がなんとか停められそうで、運転者も朝ごはんを食べていたのでお願いして少し下がっていただいた。

 

おまけに誘導までしてもらう。ただ、見たところまだ他にスペースはあったように感じた。帰りに見たらやはりそのスペースに2、3台停まっていた。

 

車を停めると昨日コンピにで買って来たおにぎりで朝食。3つ買って来たうち2つだけ食べる。昼頃には下りてくる予定なので昼食は下りて来てから食べることにしていた。残したおにぎりは非常(おやつ)用である。

 

この北谷登山口に通じる道は、地形図を見ると一本の線となっている。一本の線とは軽車道のことで、道幅が3m未満の道路である。

 

それも山道なのでくねくねとうねっている。だから当然暗いうちは通りたくなかった。レンタカーの事故の免責がないので、ブツけたら15万円は実費となる(と脅された(と感じた))。

 

思った通りすれ違うにはどちらかがバックしないと難しい道だった。しかし、幸いなことに先行車に追いついてその後を走ることができ、対向車もこなかったのでラッキーだった。

 

まあ、午前7時頃に山から降りてくる車もないだろうけど。

 

登山開始

いきなり深い森の中

北谷登山口でトイレを借りる。これが意外や意外。全く匂わないのである。風の通りは壁と屋根の間の隙間。それだけなのに。

 

実はここ、水洗なのである。街中のように勢いよく水が流れたりしないが、ボタンでちょろりと水が流れ、もう一つ水の銃でフォローするようになっていた。水の銃のことを洗浄ガンというらしい。こんな山奥なのにたいしたものだ。

 

さて、7時50分、ようやく北谷登山口を出発。

 

左手の登り口に入るといきなり森の中に入る。これまでと打って変わって深い森の中だ。九重山も阿蘇山もほぼ草地か岩場の火山の山だった。だからこんな深い森の中に入っていくと癒される。

 

ウィキペディアによれば、祖母山は火山活動にって形成された火山地帯が隆起したものだという。よって低山部では渓谷、中高山部では花崗岩の断崖が多い地帯だとのことである。

 

今回登っているルートは、一般のルートである。車で走って来た道をまっすぐ進むルートもあり、そちらは中級者向けのコースになっているようだ。

 

少し登るとしばらく平坦な道が続く。襞のようになっている山腹をくねくねと進んでいくのである。

 

こうして少しずつ高度を上げていくと尾根道に出る。ここからは地図を見てもほぼ真っ直ぐな、なだらかな道を登っていく。

 

 

まるで里山

一旦尾根道に出て少し登ると展望所があるというので少し横道に逸れて登る。行ってみると霞がかかって遠くまで見通せなかった。

 

残念ながら景色が霞んでいた

 

そこから元来た道に戻らずに通常ルートに合流する短縮ルートをいく。

 

このあとはほぼ平ら。ときどき下りもあるが緩やかに登っていく。このあたりは千間平というそうだ。

 

その先が五合目で中間地点。けれど山を登っているという感じがしない。この地点で標高1400メートルを越えているのだが、まるで里山をトレッキングしている気分だ。

 

登山道には広葉樹の葉が落ちて森の中が明るい。このたくさんの落ち葉の下には小さな虫たちが生きている。さらにはもっと小さな微生物たちが生きている。こうして自然は循環し、さまざまな生き物が共生している。それが森である。

 

里山を思わせる登山道

 

やがて広葉樹から針葉樹に変わった。通常、針葉樹の森は暗いものだがなぜか明るい。

なぜだろうと、空を見上げると針葉樹の葉が上の方だけについていて、下のほうは枝が払われていた。さらに根本にはその枝が落ちていた。

 

広葉樹から針葉樹に

つづいて三県界の標識が現れる。そこは宮崎県、熊本県、そして大分県の3つの県が接する場所だ。そこから少し登り、少し下るとしばらくは本当に平らな道になる。

 

ここで少し腹が減ったので、歩きながらおにぎりを食べた。これまで二人くらいしか人と出会わなかったので安心していたら、すぐに前から人がやって来てしまった。おにぎりを頬張っているのが少し恥ずかしい。

 

南阿蘇でペットボトルに汲んできた美味しい水を飲んだ。

 

ふたたびわずかに登ると突然キャンプ地のような広場に出た。国観峠(くにみとうげ)である。正面に祖母山のなだらかな山頂が見えた。

 

広場の向こう側の登山道に入る脇には赤いマントの上に赤いちゃんちゃんこを着て赤い帽子を被ったお地蔵様がこちらを見ていた。

 

ふたたび広葉樹

 

祖母山

 

国観峠

 

この先の八合目で登りに入る。さらに九合目を過ぎたあたりから岩場の道になり、傾斜も急になっていく。

 

落ち葉から岩場に変わる

 

午前10時、祖母山登頂。山頂では多くの登山者が重い思いに何かを作って食べていた。ぼくはここでコーヒーを淹れて休憩。

 

山頂からはほぼ360度の眺望だった。ただ、やはり霞んでいてあまりはっきりとは見えなかった。それに山の名前も全くわからない。

 

祖母山山頂から Ⅰ

 

祖母山山頂から Ⅱ

 

山頂の祠

 

 

山頂では今朝車を移動してくれた人と出会った。その方は真っ直ぐの中級コースを登って来たということだった。ぼくが登って来たコースは景色が見えたかどうかを訊かれたので、ほぼ樹林帯の中で、展望所からも霞んでいて見えなかったと伝えた。その方のコースも同じだったようだ。

 

10時半、同じコースで下山を開始する。

 

始めは岩場に注意し、あとは土の斜面を滑らないように注意しながら下る。滑らないようにするためにはなるべく平らな場所に足をつくこと、という筑波山の下りに体で学んだことが生かされているように思う。

 

理屈ではなく、体で学んだことはなかなか忘れない。


落ち葉の柔らかな道を下り、ふたたび山襞に沿った道を下っていく。本来急斜面のはずが大きく道が回り込んでいるために傾斜が少ない。すごく楽だ。

 

どこもこんなだったらいいのになあ。

 

 

 

下山した駐車場で

そして12時ちょうどに登山口まで降りて来た。

ここでお湯を沸かしてモンベルのリゾッタを食べようと思っていたが、面倒になって行動食のSOYJOYバナナ味と本物のバナナで昼食とした。

 

雑巾で汚れた車のフロントとリアのガラスを拭いて、準備万端つぎの目的地のえびの市に向かおうとした、が、その前にトイレに行っておこう。

 

そしてトイレから出て来たら、ふたたび車を移動してくれた方と出会った。

「大分からですか」というので

「車はレンタカーで、神奈川からです」と答える。その方は北九州ナンバーだった。

 

「神奈川だと北アルプスなどに登りやすいですね。こちらからはなかなか行きづらくて。この間は九重にいってきました」と言うので、

 

「九重は昨日登って来ました」と言うと、

「紅葉はどうでしたか」。少し考えてから

「うーん、ちょっともうくすんだ感じでしたね」

「私が行ったのは10月20日ごろだったのでちょうど見頃でした」とのことだった。

 

12時半、その方と別れて例の狭いくねくね道を走り出す。今朝と同じ道を引き返して熊本に出る。九州自動車道を使ってえびの市まで走った。

 

ビジネスホテルに16時に到着。夕食前にひと眠りしたかったが、洗濯を終えるともうすぐ18時、ゆっくりする間もなく急いで食堂に向かう。

 

この日は18時半に団体の予約が入っているという。ここはバイキング形式なので急がないと。食堂で頂いた焼酎は、水割りとかではなくコップ一杯300円というコンビニ並みのお値段。

 

今日一日無事に登山できたことに感謝して乾杯。ちなみに水で割ったら3杯飲めた。

 

つづく。

 

 

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九州五山巡り 二山目 【阿蘇山】

阿蘇山火口

11月3日(木)、九重山を下山し11時5分前に牧ノ戸峠まで戻ってくる。

ここにある売店で5種類の具の入った山賊おにぎりと肉まんを買い、ベンチで昼食。

隣にダナーライトを履いている人がいたので声をかけようと思ったが、ぼくのよりボロボロな感じだったのでやめた。

さて、今日はあと一つ登る予定だ。

ここから阿蘇まで秋空の下を快適なドライブを楽しむ。

すれ違うライダーが羨ましい。

今日は最高のツーリング日和だ。

challe.info

 

 

2日目の午後、阿蘇山に登る

 
牧ノ戸峠を後にし、阿蘇火口西駅に向かおうとするが、ナビが見つけてくれない。このナビの操作に20分もかかってちょっといらつく。結局それっぽい行き先を入れて出発。
 
しかし、途中で不安になりスマホのGoogleマップでもナビを開始する。牧ノ戸峠から火口西駅までは49キロ。使い慣れたGoogleマップが強い味方になってくれた。
 
阿蘇に登り始めると牧場が左右に広がり、馬が放牧されている。それを見物する人が車を止めて道路を歩いていたので気をつけながら登っていく。草千里阿蘇火山博物館前には車がいっぱいだ。今日は祝日、この先の駐車場に入れるだろうかと心配になりながら進んでいく。
 
すると、次の駐車場はかなりガラ空きだった。入口の管理者(料金徴収係の人)に尋ねると、この先には行けないという。
 
ここに車を止めて歩いてみると、阿蘇警察署の派出所の看板とその前の駐車場だけいっぱいになっている。その他の施設は閉鎖されていて物寂しい感じだ。
 
そしてここから阿蘇山公園有料道路が始まるが、この道路が閉鎖されていた。
 
調査不足であった。警戒レベルは確認したが道路の通行止めまでは確認を怠った。さて、ここから西駅まで歩いて行かなかればならないのか。日暮れまでに間に合うだろうかと心配になる。
 
急がなくちゃ。そう思って登山口を探すがどこだかわからない。そこにちょうど下山してきた人がいたので道を尋ねる。
 

教えてもらった登山口
12時半、ようやく登山開始。登山口からすぐに有料道路に出た。道路脇を登っていくとその先にゲートがある。そこから人が歩いて来て、右手にある登山道に誘導された。有料道路は歩けないということだった。
 

登山口のすぐ上、一瞬通れないと思ったがこの横に登山道が

 

通行可能ルート
言われるままに右手の登山道に入っていくと、道標が建てられていた。そこに地図が書いてあり、現在どこにいるのかがわかったのでこれは非常に助かった。地形図を出してどの道を歩いているのか確認する。
 

道標の地図
ここの道標には、さっき車を止めたところが古坊中駐車場であることが示されている。ところがGoogleマップには特に名前が示されていない。しいてあげれば山上警備派出所とか山上ターミナル、山上広場など、山上という名前が共通する。
 
地形図にも古坊中の名はなく、阿蘇山公園道路の下から砂千里ヶ浜に通ずる歩行者道が載っていた。少し距離が遠くなったのでやはり急いで登ってくる必要がある。
 
始め草地の中を進み、いったん水が流れた跡のような窪地に降りる。そこは火山灰が流れて積もっていた。続いて前に立ちはだかる岩山をひと越えして下っていくと砂千里ヶ浜にでる。ここで火口からの登山道と合流する。
 

ゲート脇から登山道に入る

 

ホソバリンドウ(だと思われる)

 

川のあと?

 

火口のふちを渡り歩く

中岳に向かっていく左手には火山灰が積もった平らな地形が広がっている。砂千里ヶ浜とはよく言ったものだ。そしてその向こうの火口からは噴煙が上がっている。
 
3年前の自転車日本一周で南阿蘇に来た時には大きな噴煙が上がっていて、火山灰が降って来て車に積もったり洗濯物が干せないので困るとゲストハウスのオーナーが言っていた。
 
それに比べると今回の噴煙はかなり小規模だ。そしてここからみる風景は、九重山でも感じたように、地球という惑星が誕生したばかりの姿を想像させる。
 
この噴火の跡はまさに地球が活動している証である。そしてここは生きている火山だ。それを肌で感じる。それはもちろん匂いがするからでもあるが、その匂いは温泉の硫黄の匂いともまたちょっと違う。溶岩が冷えて固まった岩の匂いだ。
 
また、溶岩の姿が激しい噴火を思わせて生々しいのだ。ともかく阿蘇は生きている。そう感じた。
 

一山越えて下るところ

 

殺伐とした登山道

 

砂千里ヶ浜から正面の壁を登っていく
登山道は砂千里ヶ浜の端っこにいったん降りてから中岳に向かって急坂を登っていく。そこはまるでヒマラヤみたいだった。行ったことは無いけれど。ガイドブックには火山弾の急斜面とある。
 

ヒマラヤをトレッキングしているような気持ちになる

 

砂千里ヶ浜を見下ろす
厳しい登りはここまでで、あとは火口の縁を中岳に向かって上り下りしていく。当然ここでスピードアップを図る。
 
ここからは立ち入り禁止となっている火口がよく見える。
 

火口から昇る噴煙
そして14時7分、中岳に登頂。写真だけ撮ってすぐに高岳に向かって出発する。
 

高岳に向かう
ここも平坦な道が続き、最後だけちょっぴり頑張って登ると高岳山頂だ。
 
14時27分高岳登頂。山頂は結構広くて登山者が大勢休んでいた。そして急に雲が出て来て肌寒くなって来た。
 

山頂で休む人々
さて、予定では高岳東峰まで行ってくることにしている。火口西駅までのコースタイムを確認すると約2時間だ。古坊中駐車場からここまでは2時間かかった。ほぼ西駅からのタイムと同じだ。すると4時半頃には駐車場まで戻ることができるということになる。
 
これなら東峰まで行って来ても日が暮れないだろう。そのことを確認してから東峰を目指す。
 
高岳には大勢いたのに東峰へ向かう人は誰もいない。なんだか物寂しい雰囲気になって来た。
 
今歩いているのも火口のへりだ。右側が火口で左側には北側の町と外輪山、九重連山が見えた。
 

阿蘇北側

 

東峰から見た根子岳
14時45分、高岳東峰に到着。山頂を示す標柱などは見当たらなかった。
 
ここから月見小屋のある大鍋の底を通って戻る。下り始めるとリンドウの花がたくさん咲いている。そして次には、なんとその一画だけ木が生えていた。
 

なんと木が生えている

 

月見小屋

 

火口の鍋底

 

 

高岳に登った頃から雲が出て来ていたが、中岳の分岐あたりまで戻ってくると雲間から太陽が差し込んで光のシャワーが見られた。

 

光のシャワー
その後一旦雲が切れて太陽が顔を出す。すると急に暑く感じる。

中岳からはスピードアップを図りたいところだが、もうすでに足にきていて無理はできない。特に例のヒマラヤの下りはきつかった。ともかく前に転けないように慎重に降った。
 
砂千里ヶ浜に下って少し登り、砂千里ヶ浜に沿った道には火山灰が白く積もっていて、まるで雪が降ったように見えた。
 

ふたたび火口

 

阿蘇南側

ミヤマキリシマの返り花か 古坊中まであと少し


ヒマラヤの急斜面の下りでだいぶ足にきた。疲れたが止まっていたら日が暮れてしまう。ゆっくり歩きながら休む。古坊中駐車場までもう少しだ。頑張れ。最後は自分を励ましながら歩いた。
 
 

山の中のポツンと一軒家

16時33分、登山口まで下りて来た。駐車場の脇のなぜか真ん中あたりに公衆トイレがあり、用を足して車に戻る。のんびりと休みたいところだがもうすぐ日が暮れる。
 
急いでナビに宿泊先を入れる。しかし住所を入れても目的地を示してくれない。やっぱり今度も大雑把な住所で走り出す。
 
そしてあまりにも山に登っていくのでおかしいと思い、Googleマップで検索。やはり違う方向に向かっていた。外はもう真っ暗になっていたが、やっぱりGoogleマップの方が頼りになる。山の中のポツンと一軒家のゲストハウスに無事到着。
 
一台の車が前に止まっている。すると一人の女性がゲストハウスの方から走って来て車に乗り込んだ。駐車場に停めるものだと思い、ついていくと車から降りて来た。
 
「今日ここに泊まるのですか。オーナーは先に入っていてくださいとのことです。車はさっきのところの草地のどこでも停めていいということでした」
 
草地と言っても真っ暗でどうなっているのかわからない。歩いて行ってみて、安全かどうかを確かめてからそこに車を停めた。
 

翌朝、宿の近くから見た阿蘇山
隣にその女性の車も停めた。<わ>ナンバーだったので、
 
「レンタカーですか」と訊くと、別府から借りて来たという。そして今日の泊まりは3人だけだと教えてくれた。
 
近くに温泉もあるということだったが、前日に入っているのでパスする。
 
オーナーは3人揃ったところで受付をするということだった。
その女性は千葉から来ているということで随分と旅慣れた感じだった。
 
先にシャワーを使わせてもらい、2階の部屋で荷物を片付けて下に降りるともう一人の宿泊客も来ていて、オーナーと話をしていた。
 
そこで宿泊名簿に記入して、料金を支払った。
 
オーナーはUターンで川崎から九州に戻り、この南阿蘇でゲストハウスを始めたとのことだった。川崎ではラリーを支援する仕事をしていたとかで、現在もラリーに関わっているそうだ。
 
千葉の女性は旦那と子供を置いて一人で旅をしているとのことで、若い頃から一人でヨーロッパなどを回っていたそうである。
 
後から来た宿泊客は、徳島の男性でぼくと同年代のライダー。聞けばなんと今年からツーリングにハマっているとのこと。楽しくて仕方がないという感じだった。
 
その後、千葉の女性のリクエストで焚き火を楽しむことになる。焚き火と言ってもキャンプファイヤーが出来るくらいのかまどで建築の廃材を燃やすといった豪快なもの。
 
とてもあったかーいオーナーのもてなしであった。
 
つづく。
 
 

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九州五山巡り 一山目 【九重山】

九重連山の朝

11月3日は文化の日。

この日は晴れの特異日と言われ、九州での晴れの確率は高い。

そこでこの祝日と土日をつないで連休となるように休暇の希望を出したところ、うまく休みを取ることができた。

そうしたらその前日の2日も休みのシフトとなり、これで5連休が与えられた。

当初から山に行くことは考えていたけれど、どこの山とは決めていなかった。

それが5連休。

こうなったら有効に使いたい。

そこで調べたところ、九州にある百名山は6座あり、屋久島を除き、5山をうまく繋げば4日間で登ることができそうであることがわかった。

 

九州五山巡り計画

「九州 百名山」で検索していたら、4泊5日で九州にある百名山を5座制覇した人のヤマレコだかヤマップだかの記事が見つかった。

 

1日目は九州に到着して前泊、2日目は九重山と祖母山、3日目以降阿蘇山、霧島山、開聞岳の順で1日に1座ずつ回っていた。

 

ものすごい健脚なのか。そう思ったが、同じルートの標準コースタイムを調べると貧脚のぼくにもなんとか回れそうだということがわかった。

 

移動手段はレンタカー。テント泊は無し。

 

こうしてまずは飛行機の格安チケットを確保し、次に登山口近くの宿を探した。宿は最初の日だけは少々高めのところしか見つからず、あとはゲストハウスとビジネスホテルを確保できた。

 

最後はレンタカー。大分空港で借りて鹿児島空港で返却ということで検索したところ、「見つかりませんでした」という返事。他のサイトでも同様。

 

そこで個別にトヨタレンタカーで調べてみるとレンタル可能であった。ただ、帰りの航空便を翌朝の便にしたため(もちろんこちらの方がかなり安かったから)、前日に鹿児島中央の営業所に返却した方が翌日のバス代を考慮しても割安だったので前日返却とした。

 

こうして移動手段、宿の手配が完了し日本百名山の九州五山に登るための準備を整えた。

 

なお登山する順番は、少し変更して九重山、阿蘇山、祖母山、霧島山、開聞岳の順とした。

 

 

出立

 

格安空港券(Peach)で予約したのでわざわざ遠い成田空港までやってきた。我が家からはちょうど3時間かかった。


到着は12時ちょっと過ぎ。あゝ、腹減った。

 

搭乗手続きを済ませてからレストランを探すもどこか分からず、そのまま出発ロビーに行く。荷物の数と大きさ、重さのチェック(大きさ制限のほか、荷物は2つまで、重さは7キロまで)を受けてエスカレーターに乗る。

 

案内表示に促されるまま進んでいくとやがて人間が一人立っていて、搭乗券のチェックを受けた。さらに進んで手荷物検査だ。ザックに入れたカップの中に喫煙用ライター(ビッグミニ)が入っているが、一つはOKのはず。だがザックだけ二度X-RAYスキャンを通された。

 

幸い中を広げて確認されることはなかった。これはないしょだが、後で考えたら緊急用セットの中にビッグミニを入れていたのを忘れていた。

 

無事に通過して搭乗ロビーに行くと、ANAの売店があった。メニューは少ないがカレーなどを食べることができる。ここでかき揚げ蕎麦を食べた。

 

 

1日目、九重町長者原(ここのえまち ちょうじゃばる)泊

大分空港には定刻通り15時半に到着。空港内のセブンイレブンで行動食や非常食、そして明日の朝食用のおにぎりを買う。

 

空港を出ると目の前に各社のレンタカーの看板が見える。以前、仕事で来て到着が遅れたので急遽レンタカーを借りた。運転免許証をもってこなかったので部下が全て運転してくれた。

 

あのとき借りたオリックスレンタカーの看板を見てそんなことを思い出す。そのあとで宿泊したホテルもオリックスグループのホテルだった。

 

さて、トヨタレンタカーの看板はどこだろう。

 

通りまできて眺めると、遥か遠くに緑の看板が見えた。どうやらあれらしい。それにしてもトヨタだけポツンと離れているなあ。

 

営業所に行って名乗ると、受付の女性に「免許証を見せてください」といきなり言われる。テキパキしていると言えばそういえるのだがちょっと怖い。その後も早口で契約内容の確認とか保険の説明をしてくれる。

 

ビッツだったらいいなあと思っていたが、車種はパッソだった。

 

その女性は当然知っているだろうという感じで車の操作説明が必要かと聞いて来た。「お願いします」とエンジンの掛け方を教えてもらう。「ほかに聞きたいことは?」と言われたが、「わたしになにもかも説明させるつもり?」と思われそうだったので、「いえ、だいじょうぶです」と答えてしまった。

 

そのあと運転位置を調整したら、サイドミラーも調整したかったがやり方がわからずそのまま発進した。

 

車の運転なんて約2年ぶりだ。それにトヨタ車はあまり馴染みがない。これまで乗って来たのは三菱、三菱、三菱、シトロエン、マツダで、レンタカーもトヨタ車はノアくらいのものなのだ。

 

次いで疑問だったのが、シフトのSとB。まあ、とりあえずDポジションで大丈夫か。

 

いずれも翌日山道を走っているときに、一旦止まって再度ミラーのレバーを動かしたらミラーが動いたこと、下り坂でSモードにしてみたらうまくエンジンブレーキがかかったことで解決した。

 

初日、長者原の宿にはぎりぎり真っ暗になる前に到着。オーナーに夕食について尋ねると、レストランはやっておらず、夕食は食事付きプランの方だけだという。困ったなという顔をしていたら、近くのスーパーを教えてくれた。お弁当も置いてあるという。

 

荷物を部屋に置いてすぐに買い出しに出かける。外はもう真っ暗になっていた。慣れない車で夜道は走りたくなかったが、仕方がない。

 

行ってみると、残念ながら弁当は売り切れていた。

 

宿に戻り、まずは温泉に浸かる。他に誰もいない。たっぷり温まった。

 

 

2日目、九重連山の久住山に登る

牧の戸登山口

11月3日、少し明るくなった6時過ぎに宿を出発し、牧の戸峠に向かう。15分ほどで到着。するとなんと駐車場はもう一杯になっていた。どこか空いていないかと探したら、どうにか1台分空いているところがあった。ラッキー。

 

 

6時25分、登山を開始する。

 

始めはコンクリートで舗装された登山道を登っていく。見慣れない景色そして見慣れない植生がこれまで見て来た風景とだいぶ違って不思議な気分だ。


少し上ると腹がゴロゴロ言い出す。昨夜の食べ過ぎのせいだろうか。弁当を買いに行ったスーパーで売り切れだったので代わりに自家製のさつまいもの天ぷらを買ってきた。

 

それが二本分(300〜350gくらい)もあろうかというビックな芋。それに持って来たアルファ米の山菜おこわを食べたのだ。明らかに食べ過ぎである。九重分れまで行けばトイレがある。まあ、そこまでは大丈夫だろう。

 

大分では自転車日本一周の時にも腹が痛くなって飲食店のトイレを借りたことがあり、あの時の切羽詰まった状況よりは全然ましだ。

 

沓掛山まで登ると、その後は平坦な尾根道が続く。

 

九重連山は標高が低いわりにはかなり高い所を歩いてるような気になる。それは雲が下に見えるからだ。この尾根道はいってみればスカイラインだ。

 

九重スカイラインと命名

 

進行方向正面に太陽が上った。まぶしすぎてルートがよく見えない。早朝の太陽に向かう登山はあまり経験がない。

 

霜が降りてきていたので九州でも零下になるんだなぁと思う。日が当たってるところはそこがぬかるんでいた。

 

コンパスアプリのナビをオンにして、写真をたくさん撮っていたら、スマホのバッテリー低下のサインが出てしまった。ナビは相当バッテリーを喰うみたいだ。

 

やがて九重分れに到着。トイレのお世話になり、明るい気分で再出発。

 

九重分れ

 

九重分れまでは草原が広がっていたが、ここから先はほぼ火山の岩ばかり。そして最後の登り。

 

8時半少し前、久住山登頂。

 

 

ここから眺める景色を見ていると、今まさに、地球という星の上に立っているという感覚に陥る。ほとんど建物が見えいせいだろう。


そういえば阿蘇山が見えていたはず。

 

そんなことをすっかり忘れて降りて来てしまった。

 

これが阿蘇山だろう

 

時計を見ると8時45分。予定になかったが、これなら中岳まで往復できそうだ。

 

持っていた地形図は途中で切れていたが、コンパスアプリの地図がある。お陰で安心して足を伸ばせる。

 

こうして御池(みいけ)を巡って中岳に登り、天狗の城を登って九重分れに戻った。

 

中岳山頂からみた久住山と御池


九重連山にはピークがたくさんある。今回は久住山と中岳、沓掛山だけだったが他にもたくさん登る山がって面白そうだ。近くにピークがたくさんあるのでどれも登ってみたくなった。   

 

つづく。

 

 

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秋の午後を満喫する 【大菩薩嶺】

 

甲武信岳から降りてきたら、まだ10時半なのに腹ペコ。

幸い食堂が開いていたのでここで早い昼食。

元気が出たところで大菩薩嶺に向かう準備をする。

しかし、かなり疲れていたので次に向かうかどうかちょっと躊躇う。

それでも再び登りに来ることを考えるとここで少し頑張ればと思い、次の目的地に向かった。

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頑張れスーパーカブ

道の駅みとみから大菩薩嶺に登るために上日川峠に向かう。

下り坂なので来た時のようにスピードが落ちることがない。

逆に前をいく車が安全運転のうえブレーキをよく使うのでとても走りにくい。

けれど微妙な速度のためなかなか追い越せない。

かなり下まで降りて来たときにスピードを緩めてくれたので、ようやく追い越すことができた。

 

ずっと行きに通った国道140号線を引き返し、隣の国道411号線(大菩薩ライン)に乗り換える。ここからはほぼ真っ直ぐな上り坂になる。

 

ツーリングをしているバイクにも多く出会うようになった。後ろからバイクが来ていないかを気にしながら走る。もちろんスーパーカブの走りがマイルドなためである。

 

しばらく安全速度で坂道を登っていく。なかなか快適な道だ。だんだん元気も出て来た。

 

「大菩薩の湯」のところがU字のカーブになっていてそれが2つ続く。少しして大菩薩峠の案内標識に従って右折すると峠に向かって葛折の道が始まる。

 

以前、といっても40年くらい前のことだが、大菩薩峠まで来たことがある。残念ながら写真などの記録が見つからないので百名山の登頂記録には入れていないのだけれど、記憶の方も曖昧なのである。

 

覚えているのは、あの時もバイク(ヤマハXT250Tというオフロードバイク)で来たこと、どこかお寺の駐車場に停めたこと、曇りの天気で景色が見れなかったことくらいなのである。

 

ふたたび来てみたら何か思い出すと思ったけれど、逆に今走っている峠道は走っていないことを確信したくらいなのだ。

 

つまり、あのときは下のお寺(おそらく雲峰寺だろう)にバイクを停めて、下から登ったのだと思われる。

 

たしかに大菩薩峠には登ったはず。けれど大菩薩嶺にまで脚を伸ばしたのだろうか。そこがはっきりしない。

 

そんなことを考えながら葛折を登っていく。ただ、登ると言ってもヨタヨタ状態で、カーブを曲がり加速しなくてはならないときにほぼ加速できていない。「がんばれ、がんばれ」そう心の中で声を掛ける。

 

スーパーカブのすごいところはそれでも負けずに登っていくことと、決してエンストしないことだ。

 

この、エンストしないというのはなんとも心強い。通常のバイクは、クラッチ操作を誤るとすぐエンストしてしまう。カーブの途中でエンストしてしまったら悲惨だ。ただ、トルクがあればギアチェンジをすることがないかもしれない。

 

そうやってヨタヨタと登っているのになぜか先行の車に追いついた。理由は簡単、道が狭くてすれ違えないためだ。しばらく車の後をついて走る。

 

だいぶ上がって来たとき、左手のスペースに観光バスが停まっていた。すこし小型ではあったが、こんな狭い道を走ってくるなんて信じられない。なお、このバスは登山ツアー客が降りてくるのを待っていたことが後でわかる。

 

そして斜度がゆるくなってきたところで目的地の上日川峠駐車場に到着した。

 

 

大菩薩峠

ロッジ長兵衛

2022年10月23日の秋の日の午後、今日も日が暮れる前に下山するために時間との戦いである。

 

午後12時半、バイクを駐車場の隅っこの邪魔にならない場所に停めて、急いで登山支度を整える。駐車場の道を挟んだ反対側にはロッジ長兵衛というなんともモダンでレトロな名前とそこそこ綺麗な山小屋があった。小屋の前のテーブルは登山客で一杯である。

 

山小屋のすぐ向こう側が登山口だった。この時間、下山する人の波がつぎつぎと押し寄せてくる。川の流れに逆らうように登り始める。

 

舗装された林道と並行して登山道がつけられており、どちらからも人が流れてくる。登山道を歩きはじめたが、すぐにすれ違いやすい舗装道に移って登っていった。

 

この並行する道は福ちゃん荘で一つになる。というか、そこから舗装されていない林道だけになる。

 

 

福ちゃん荘

 

下山してくるのはほとんどが家族連れで、小さな子どもを連れたハイキングといった感じだった。それでも多くの人が挨拶をしてくれた。

 

そうやってたくさんの人に挨拶しながら砂利道の林道を登っていくと、やがて大菩薩峠についた。

 

ここには山荘があり、トイレも売店もある。山荘と売店の間を抜けるとそこに大菩薩峠と書かれた大きな柱が立っている。

 

砂利道の林道

 

大菩薩峠の売店

 

大菩薩峠

峠は広場のようになっていて、そこに岩が埋まって凸凹している。

 

今日は本当にいい天気だ。秋の日差しが降り注ぎ、遠く西は南アルプス、東は奥多摩の山並みが見渡せた。

 

小高い丘を一山越えてると賽の河原。そこからはなだらかな尾根を大菩薩嶺に向かって進んでいく。

 

西の斜面は草が秋色に染まり、西日でさらに色を増していた。西側の下には大菩薩湖が見え、よく見ると雲の上に富士の高嶺がのぞいていた。

 

ゆるやかな稜線

 

大菩薩湖と富士

 

大菩薩嶺に向かって稜線を進む

団体さんが休憩中

 

このルートは本当に眺めが良くて気持ちがいい。

 

途中、ツアーの団体とすれ違う。ぼくも日本百名山に挑戦しようと思った頃は、不安があってツアーに参加することも考えたが、自由に写真を撮るために立ち止まったり、自分のペースで歩けないことがいやで単独登山を行っている。まあ、若い頃もほとんどが単独行ではあったのだけれど。

 

大菩薩峠から雷岩という大菩薩嶺と上日川峠との分岐まではずっと岩場だが、広い稜線上なので快適だ。しかし、もし霧が深かったときは道を見失いそうに思えた。

 

雷岩には特に標識が見当たらなかったが、それとわかるような形をしている。それはちょうど良い展望台になっている。

 

雷岩

 

ここから大菩薩嶺に向かっていくと樹林帯の中に入って景色は見られなくなる。10分弱で山頂に到達するが、ここからの景色も望めない。

 

 

写真だけ撮ってすぐに引き返す。
 
大菩薩嶺に向かう途中、カメラを3台ぶら下げた人を先頭に、レフ板を持った人、リーフのような飾りを持った女性とすれ違った。それが雷岩まで戻ってくると、男性が礼装し、すぐ横では小さなテントが張られて中でゴソゴソしていた。おそらく女性が着替えているのだろう。
 
まるでGoogle pixel 消しゴムマジックのCMを思わせるシチュエーションだった。
 

これから撮影?
 

唐松尾根

荒れた道を下っていく

分岐から下山を始めるとわりと急な坂である。ゴロゴロした岩場地帯を抜けると笹が群生している。唐松尾根というのだが、笹ばかりでカラマツは見当たらない。笹ばかりだと大きな木が生えてくる余地がない。どうしてこんな名前が付いたのだろうと思いながら下っていると、傾斜がだんだん緩やかになりカラマツが左右に現れ始めた。

 

笹の群生

 

カラマツの森

後半は傾斜もゆるく歩きやすい登山道で、それがますます平らになって来た頃に福ちゃん荘に到着。こんどは登山道を下っていく。すぐ脇には舗装路が見え隠れするがやはり林道よりも登山道の方が気持ちが良い。

 

15時50分、日暮れ前にロッジ長兵衛に到着。あれだけ混んでいた店の前のテーブルには誰もいない。腹が減ったのでおでんを注文してテーブルで一休みし、帰り支度をする。

 

自転車でやって来た猛者も

 

 

最後に

一泊二日で百名山を2座。ちょっと欲張ったせいでかなり疲れた。

けれど、2座目はあまり危険なところがない山を選んだのは正解だった。

計画を立てるときは休憩時間を入れて余裕を持たせているので、時間を短縮したいときは休憩時間を短くする。

急足にすると体に無理がかかり、故障の原因となるためだ。

高齢者の登山はこうしたやり方で登るのがよいのではないかと思う。とくに筋力のない人におすすめできる登り方である。

できるだけ筋力に頼らずに体重と骨を利用するようにするとなんとか体力を持たせることができる。

 

このあとスーパーカブで夜の道を走って帰ったが、できるだけ夜は走りたくない。単なる移動では面白くないからだ。

 

それにしても秋を満喫した今回の登山であった。

 

では、このへんで

 

 

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標高差1400メートルを登り下り 【甲武信岳】その2

甲武信岳

槍ヶ岳のときの槍沢も長かったが、こちらも長い登りだ。

急坂になったりなだらかな登りになったり緩急をつけながら道が続く。

そして広葉樹主体の森から針葉樹主体の森に変わり、さまざまな姿を見せてくれる。

この奥深い秩父の森の中、甲武信岳はまだその姿をあらわさない。

そうやって焦らしに焦らしてやがてひょいとその姿を見せた。

 

challe.info

 

木賊山

コメツガの森の中は道幅が広くなっていろんな踏み跡がある。さて、どこを通ろうか、一番楽そうなルートを目で確認して登っていく。

 

ここでも可愛い絵の描かれた標識が道案内をしてくれる。緩急をつけながら登り続けていくと、2000メートルを超えたあたりだろうか、突然大きな岩が積み重なっている場所に出た。

 

そこまで行ってみると、西側から南側が一望できる。南には富士山がひときわ高く優美な姿を見せてくれていた。手前右手には黒金山が三角に尖り、左手下には今朝登山を開始した道の駅のある広瀬湖が見えている。

 

 

しばしこの景色を堪能した後ふたたび森に入っていく。

 

ここからまた急登になってぐんぐんと高度を稼ぐ。そのうちになだらかな道になり、しばらく行くと木賊山(とくさやま)と破風山とを結ぶ登山道に突き当たる。

 

ここで先行する人が休憩していた。

 

「こんにちは」と挨拶をして、タイムを記録するために分岐の案内標識の写真を撮り、地図を取り出して位置を確認する。

 

するとこちらの30Lのザックを見て「小屋泊まりですか」と声をかけられた。

「テント泊です」と答え、こちらもその方の大きなザックを目で追って「そちらもですか」と問う。

 

「ええ、なんだかんだ持っていこうとすると大きくなってしまって」そして「一人用のテントですか」と訊かれたので

 

「ええ、一人用で十分なんですよ。重さも1キロくらいなので。わたしは重たい荷物はだめで」と答えた。

 

それから「もうすぐですか」と訊かれたので、地図を見せながら「いまここなので、もうあとちょっとです」と言った。

 

そこから木賊山への道はなだらかで、ピークも標識がなければ通り過ぎてしまいそうな山だった。山頂には40代くらいの女性3人が姦しくおしゃべりをしていたので写真だけ撮って通り過ぎた。

 

木賊山からは下り坂になる。この甲武信側の斜面は反対側に比べてかなり急である。そこにちょうど荒れてボロボロになったコンクリートのような斜面が現れた。視線を上げると目の前に三角の甲武信岳が空に突き出していた。向こうのなだらかな山は三宝山だろう。

 

甲武信岳が見えた

 

木賊山を振り返る

 

ここを慎重に下るが思ったより滑らないので助かった。

 

すると地図にはないが、道が二つに分かれている。一方はなだらかな登り、もう一方はなだらかな下り。特に標識はない。

 

ここは楽そうな方を選ぶ。翌日わかったのだが、どちらも甲武信小屋に通じる道で、ここで選んだのは巻道であった。

 

目の前に小屋が見えて来た。近づいていくと小屋の下のテント場が見えた。

 

甲武信小屋に着いた

 

 

テントを設営後甲武信岳へ

 

14時44分。甲武信小屋の前に立つ。テントの受付をしようと、中に入ると先客が受付をしていた。

 

<今日は混んでいるのでテントを張る場所をこちらで指定させていただきます>という説明が聞こえた。<それでは張る場所をご案内します>と言って立ち上がる。

 

そのときこちらに向かって「ご予約の方ですか」「ではそこに座って少しお待ちください」そう言って小屋の人が先導してテント客と一緒に出て行った。開いたドアから見ていると、テラスの上からテントを張る場所を指示している。

 

テラスは宿泊客だけが使用できるとの説明があとからあったが、この時テーブルはいっぱいで、大勢で酒盛りしていた。

 

宿泊者カードのようなものに記入して先行者と同じ説明を受け、宿泊代1000円を支払う。それから指定された場所にテントを急いで張る。15時20分、防寒着と非常食、そして水を持って甲武信岳に向かって歩き始めた。

 

少し登ってから、トイレの先にあった十文字峠と書かれた方へ行く道はたしか甲武信岳の巻道で、向こう側からも登ることができたことを思い出した。そこで一旦下って巻道の方から登ることにした。

 

巻道に入るには鹿避けだろうか、網の扉が設置されている。その扉を開けて向こう側へ行く。するとそこはほぼ平坦な道がまっすぐ伸びていた。こっちの道を通ることを想定しておらず、どのくらいのタイムなのかがわからない。おそらくさっきの直接登る道を行った場合とそれほど変わらないだろうと予測する。しかし、それでもやっぱり急足になる。

 

そうしたら8分ほどであっという間に甲武信岳と三宝山を結ぶ稜線に出てしまった。

 

そこの標識に三宝山まで30分と書いてある。ここで、ちょっと考える。予定にはないが、三宝山まで行ってこようか。現在15時35分、大丈夫、明るいうちに戻って来られる。

 

三宝山までの道はなだらかなところが多く、そういった場所では少し早歩きをしたところ、20分で三宝山に到着。記念写真を撮るが、残念ながら木々に囲まれて眺望が効かなかった。

 

戻る時は周りを眺める余裕ができた。すると森の木が間引きされていて、こんなところにまでちゃんと手が入れられているのだなあと感心した。

 

ふたたび巻道の終わりの分岐地点に戻ってくるのもやはり20分だった。

 

そして、いよいよ甲武信岳の山頂を目指す。ここからは急な斜面のガレ場でジグザクに道がつけられていた。すでにかなり疲れていたのでゆっくりゆっくり足を前に出していく。標識では文字がはっきりと読めなかったが、7分で山頂に到着した。標識の文字が5分だとするとだいぶゆっくりだ。

 

山頂直下の道

 

甲武信岳山頂。周りには誰もいない。ちょっと風があって肌寒かった。そして夕暮れ時の赤みを帯びた太陽がもうじき山の向こうに沈見始めることだった。空はなんとも言えず美しく、とても静かな時間が流れていく。少しだけ虹のようなものも見える。

太陽の沈む方向を眺め、AR山ナビで調べても山が多すぎてどれがどの山なのかがはっきりしない。しかし、右手には八ヶ岳、左手には南アルプスが見えている。

南に目をやると、ぎりぎり森に隠れる前に富士山が優美な姿を見せてくれていた。

そして登って来た北側には先ほど登ったどっしりとした三宝山がゆるやかな曲線を描いていた。山頂でゆっくり周りの山々を眺め、記念写真も撮って一人だけの山頂を満喫した。

八ヶ岳から南アルプスまでが

 

風が出て来た

 

富士の美しい姿

 

三宝山

山頂には12、3分ほどいて、テント場を目指して反対側に降り始めると岩稜地帯を慎重に進むと、その向こうに美しい富士山が再び姿をあらわした。手前の黒金山も富士山と同じような形をしている。ちょうど、こちら側から黒金山に光を当て、向こうのスクリーンに山の影が写っているようにも見えた。

 

ふたたび富士

こちら側の下りも急斜面で気をつけながら下る。すると下からひとりで登ってくる女の人がいた。まったくの空身だ。夕日を見に来たのだろう。そしてもう一人、ほぼ下ったところで若い男性とすれ違った。

 

 

テント場

テント場に着くと、テントに荷物を下ろしてダウンを着る。それから小屋に向かった。

 

目的は受け時に見た「地酒一杯500円」という一升瓶に貼られた紙の文字に釣られてのこと。テント場のテーブルではすでに夕食を作りながら食べている人たちがいた。

 

地酒を注文すると、100均で売っているアルミのシェラカップに一杯いれてくれた。なんと一合以上もある。それをこぼさないようにぼくのテント横まで運ぶ。隣のテントの向こう側に小さなテーブルがあり、そこで非常食のナッツをつまみに一杯やった。

 

じつに至福のひととき。

 

夕食は残っていたおにぎりを水を入れた鍋に入れた。玄米、塩昆布、海苔の入った雑炊だ。かなり冷えて来たので寝る準備。トイレに行き歯を磨いて7時頃シュラフに潜り込む。

 

しかし、なんとなく寒い。ダウンは膝にかけている。がたがた震えるほどではないのだがどうも眠れない。数時間我慢したがやはり眠れないので、枕にしていた着替え等を入れた袋の中からパーカーを取り出して体にかけたら寒くなくなった。やがてすうーっと眠っていた。

 

翌朝は4時半に起床。十穀米のおかゆで朝食を済ます。それから急いでテントを片付ける。まずはテント内を片付けて表に出てみたら、お隣はすでに撤収済みだった。

 

 

下山開始

6時50分、小屋を後にする。木賊山へは昨日とは違う道を通っていく。

霜が降りていて寒さを実感する。ダウンは着ていないが、下はライトシェルパンツを履いて出発した。

 

木賊山で振り返り、甲武信岳に別れを告げる。

 

朝の甲武信岳

破風山の分岐からしばらく行って樹林帯になるとピンクのテープをたよりに下る。下りでは特にこのテープがありがたい。

 

近丸新道と徳ちゃん新道との合流点には8時半少し前に着いた。ここでライトシェルパンツを脱ぐ。

 

合流地点

 

コースタイムを見ると1時間20分のところを20分も余計にかかっていた。この前下りでの体の使い方がわかったと思ったが、速度は早くはならないようだ。

 

ここからは徳ちゃん新道を下る。始めは急坂を一気に下る。その後はなだらかな道が続き、再び急斜面を下ると西沢渓谷に至ると地図では読める。

 

急な岩場では前につんのめるのが一番怖い。だから、慎重にゆっくりと下った。

 

その後なだらかな尾根道がしばらく続くのは地図の通りだが、思った以上に広い場所があったりする。

 

大学生らしき団体とすれ違う。登り優先で道を開けると、爽やかな挨拶が帰って来た。正確な人数はわからないがおそらく8人くらいのパーティで女性は3人。みな元気に登っていく。

 

しばらくして5人のパーティとすれ違う。やはり大学生か。このパーティは女性3人に男性2人。

 

それをみて、あの男子らは楽しくて仕方がないだろうな、などと考えてしまった。そういえばあの女子たちは3人ともかわいかったな、もし自分があの大学生ならもう喜び勇んで参加しただろうな。しかし、女性がひとりあぶれちゃうな、などと余計なことを考えながら下って行った。

 

だいぶ下ってくると紅葉したもみじの中に入る。どんぐりもたくさん落ちている。栗もある。

 

秋真っ盛り

 

カラマツ林

 

見上げると大きな栗の木

もう少し下ると今度はカラマツの林になった。早くも落葉している。

 

尾根道が左に折れるとそこからは急坂となり、下り切ると休業中の西沢荘の前に出る。

そこから道の駅に向かって少し歩くと例の外国人に道を尋ねられた近丸新道登山口になった。

 

 

最後に

道の駅駐車場には10時半到着。合流地点から2時間20分のところを2時間で歩いたことになる。

 

結局トータルではコースタイム通りとなった。おそらく急斜面の下りは相当遅く、平坦な道では少し早く歩くのだろう。

 

道の駅では早めの昼食。何しろ腹が減った。ついでに地元のさつまいもとチンゲン菜を買って次の目的地、大菩薩に向かった。

 

それにしても標高差1400メートルもある甲武信岳登山、さすがに疲れた。

 

では、このへんで

 

 

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標高差1400メートルを登り下り 【甲武信岳】その1

 

晩秋の奥秩父、甲武信岳に登る。

ルートは我が家から行きやすい西沢渓谷から登るルートを行く。

標高差は1400メートル近い。

果たして登れるのか。

さらに続けて大菩薩にも行こうというのだから年寄りにはちょっとハード。

ちょっと不安な気持ちでの出発。

まあ、無理なら途中で引き返そう。

 

寒さが身に沁む

10月22日土曜日、朝5時半にスーパーカブで家を出発。西沢渓谷を目指す。

この時期はまだ路面凍結していないので安心して走ることができる。

しかしである。

寒い。風が冷たい。

 

バイクウェアとして、登山するときのウェアの上にプロテクター入りのバイクジャケット(夏用メッシュ)を着て、その上にL.L.Beanの裏地のないパーカを着る。


下は、サポートタイツにサイクルニッカが今回の登山スタイルで、その上に膝と脛のプロテクターをマジックテープで止める。これは自転車用に買ったものだが、MTBごと階段から落ちた時にしっかり守ってくれた実績がある。それだけではなく、防寒にもなる。

 

プロテクターの上には先日購入したモンベルのライトシェルパンツを履く。このパンツにはクリマプラス・メッシュがライニングされている。軽量かつコンパクトになるパンツだ。

 

以上のような出で立ちで出発したわけだが、もう走り初めから冷たい風が身に染みて来た。

 

そういえばグローブは昨年ワークマンで買った裏起毛のもので、ちょっと暑いかなと思いながら嵌めて来たものである。もちろんバイクにはハンドルカバーを取り付けてある。

 

それなのに手の甲でさえ肌寒く感じるくらいなのだった。

 

寒さに耐えきれず、相模湖手前の三ヶ木(みかげ)のコンビニにバイクを停めて、上下ともレインウェアを着た。

 

すごい。これで服からの風はシャットアウトできた。

 

今後の課題。首回りの寒さを防ぐこと、足首から入る風を防ぐこと。

 

 

到着

冷たい風に耐えながら、9時半に西沢渓谷入り口の道の駅みとみに到着した。

ここにバイクを停め、登山支度を整えて9時40分に歩き始める。

 

道路を渡って西沢渓谷に続く道に入り少し行くと車止めのゲートが見える。10時ちょうどにこのゲートの横から向こう側に抜ける。

 

15分ほど林道を歩くと広場があり、そこにトイレやベンチ、小さな神社の祠などがある。そしてそのわずか先に今回登る甲武信岳の近丸新道登山口があった。

 

今回もバイクなので同じ地点に戻ってくる。通常は登りと同じ道を下るのだが、ここにはもう一つ徳ちゃん新道というルートが付けられている。せっかくなら別なルートを通りたい。だから下りはこの徳ちゃん新道を通る予定である。

 

この登り口で外国人カップルに英語で道を尋ねられた。こんなとき、ペラペラと英語で答えることができればカッコいいのだが、残念ながらそうはいかない。

 

とりあえず、どこに行きたいのか確認する。「ホウェア?」。

 

通じた。女性が西沢渓谷のパンフレットを見せた。登山するのではないことがわかる。

 

真っ直ぐを指差して「ストレイト」。

 

たったこれだけである。その後何か言われたがよくわからない。なんとなく「お前はどこに行くのか」と言われたような気がして、日本語で「ワタシハ、コッチ」と言うと、笑って行ってしまった。

 

 

登山開始

 

登山口からの道はいきなりの急坂で面食らう。そこを越えるとなだらかな道が続いていた。そこに右からの道が合流していたので、どうやら手前から登る道があったようだ。

 

近丸新道はヌク沢に沿って付けられている道である。沢は遥か下、滑って落ちたら大変だ。

 

ただし斜面につけられた道はほとんど起伏がなく少しずつゆっくりと上っている。周りの木々はほとんどが広葉樹でブナの仲間たちである。

 

いきなりの急登

 

ずっと下に沢が見える

今日は時間との戦いだ。明るいうちに小屋に着いてテントを張り、それから甲武信岳に登ってこようというのである。だから、平坦な道では急足で歩いていた。

 

登山道が沢沿いから少し離れて登りに差し掛かったところでストックの長さを調整していたら、後ろから来た人に追い越された。自分ではかなり早く歩いていたつもりだったのでちょっとびっくりした。

 

ふたたび道が沢沿いになった時、トロッコ鉄道の跡だろうか、朽ち果てた軌道が残されていた。その先に木とコンクリートでできた小さな倉庫のような建物がやはり誰にも使われずに残されていた。

 

朽ち果てた軌道

 

ちょうど11時にヌク沢を渡る。沢を越えて少し下流に行ったところで登山者がザックを下ろして休憩していた。

 

これから向かうのは特ちゃん新道との合流点。特ちゃん新道は合流点からそのまま戸渡尾根へと続いている。

 

ヌク沢を越えるとこの尾根に向かって山原を上っていく。といっても尾根道で明るい道だ。しかし全体的に急勾配である。                                          

 

こうした地形は地形図を見てわかっていた。けれど地図ではわからないこともたくさんある。

 

近丸新道は一般的なルートではないため、登山道は整備されているとは言い難いワイルドな道である。

 

ただし、いたるところに標識がつけられており、安心して進むことができた。そして標識に添えられている絵がかわいくて、それが元気を与えてくれる。

 

また、登り始めるともみじなどの赤い葉がたくさん落ちていた。その中にどんぐりが混じっている。ミズナラのようだ。そればかりではなく栗のイガも落ちていた。

 

こんな標識があちこちに

 

さまざまに紅葉した落ち葉

 

 

上に登るにつれてすれ違う下山者が多くなってくる。日帰りの人たちなのだろうか。

 

 

戸渡尾根

徳ちゃん新道との合流点

12時頃、シャクナゲの葉のトンネルを抜けると展望が開けた。左手に三角の山が見える。スマホのアプリで調べると黒金山とあった。その左側に以前登った乾徳山がある。

 

シャクナゲのトンネル

 

黒金山

それから数分で徳ちゃん新道との合流店に到達する。コースタイム2時間40分のところを2時間弱で踏破した。

 

ここで昼にする予定にしていたが、すでにそこでは大勢の登山者が昼食を作って食べていたため先へ進んだ。しばらくシャクナゲに囲われたところが続く。両側は谷になっていて名前の通り狭い尾根を渡る道だった。

 

12時35分頃にちょっとだけ広くなった場所で昼食を取る。昼食は家で作って来た玄米おにぎりだ。実は3個作って来ていたが、道の駅に着いた時にもう一つは既に食べてしまっていた。残る2つのうち1つだけ食べて12時50分に歩き出す。休憩時間は15分。

 

このとき、二人のパーティーが通り過ぎ、少し離れて合流点で昼食を取っていた人たちが続いていて、8人ほどのパーティーであることがわかった。皆が通り過ぎた後に続く。

 

しばらくは追い越しができないほどの狭い道だが、次第に道幅が広くなり傾斜もキツくなった。道幅が広くなると迷わないようにピンクのテープがあり、ところどころに標識が付けてある。

 

8名パーティが休憩したところで前に出る。

 

植生が変わり、コメツガが主体の森になっていた。

 

 

つづく。

 

 

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姿よし眺めよし、そして歴史と霊験豊かな山 【筑波山】

バスの中から

9月の疲れが残っているため10月はゆっくりと始動。

それで思いついたのが電車で行ける日帰り登山。

週間予報は雨の日が多い中で10月19日は晴れ。

そしてこの日の仕事は休み。

筑波山。

調べてみると十分日帰り登山ができることがわかる。

日本百名山の中でも珍しく千メートルにも満たない低山。

深田久弥はどうして筑波山を百名山の一つに入れたのだろう?

 

公共交通機関を使って筑波山にやって来た

つくばエクスプレスに乗って午前9時、つくば駅に到着する。駅前のつくばセンターバス乗り場から筑波山神社入口に行くバスに乗る。

 

発車時刻は9時30分。それまで少し時間がある。

 

家を出る前にはいつものように米粉パンを食べてきたのだが、もうお腹が空いた。
近くのコンビニでおにぎりを買って食べた。

 

バスが発車するとテープによるアナウンスがあり、いろいろと筑波山について案内をしてくれている。

見る時間帯によって山肌の色が違って見え、「朝は藍(あい)、日中は緑、夕方になると紫色へ変化することから「紫峰(しほう)」とも呼ばれる」

とか、

 「筑波山をご神体と仰ぐ筑波山神社は、約3000年の歴史を誇る古社。境内は山頂を含み約370ヘクタールと広大。本殿は男体山と女体山の山頂に鎮座する祠。男体山は男の神・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、女体山は女の神・伊弉冊尊(いざなみのみこと)を祀り、縁結びや夫婦和合に霊験あらたか」(以上、茨城県観光情報「たびらい」より


などということが語られる。

 

アナウンスが止んでしばらくすると右前方に筑波山が見えてくる。その姿は両手を広げてぼくを迎え入れてくれているように見えた。

 

筑波山神社入り口でバスを降りると、目の前の観光センターでトイレを借り、ついでに観光地図を一部いただく。

 

20分ほどで筑波山神社に到着。まずは歴史ある神社に参拝。本殿の横からケーブルカーの駅に行くことができ、駅の横から登山道が続いている。

 

今日は平日なので登山者は少ない。そのおかげで静かな山登り楽しめる(静かなのはこの表参道だけだったが)。

 

鳥居を潜って表参道(御幸ヶ原コース)を登り始めると神の体内に入っていくような厳かな気持ちになる。

 

ここから御神体の中に

登山道には木の根がたくさん張り出していた。しかし根と根の間隔が開いているのでそれほど歩きづらいことはない。

 

しかし、朝方まで降っていた雨で登山道が濡れていた。所々に水たまりがある。また、石の上はとても滑りやすい。そして今日履いているのは濡れた場所でよく滑るサロモンだ。

 

木の根が張り出している

登山道はケーブルカーのすぐ脇を通っている。時々、赤と緑のケーブルカーが横を通り過ぎた。

 

登り始めるとたちまち暑くなって、中に来ていたベストを脱いだ。そしてそれほど歩かないうちにまた暑くなった。

 

ちょっと広くてベンチが置かれているところで上着を脱いでいたら、そこに上りと下りのケーブルーがやってきてすれ違った。ここが中間地点なのだろうか。

 

右上にも赤いケーブルカーがチラリと見える

結構急な坂を登っていくと途中で左への巻道になった。地図を見るとケーブルカーのトンネルの上を通過している。下を見るとケーブルカーの線路が見えた。数メートル先へ行ったところでガラガラとケーブルが動く音がし始めた。

 

「ケーブルカーが来る」そう思って線路の見える位置へ再び引き返した。そしてケーブルカーを見ることができが、とても小さくてそれも木の枝の向こうにチラリと見えただけだった。

 

赤いケーブルカーが見えるだろうか

さらに先へ進む。地図では男女川(みなのがわ)を横切るようになっている。そこへ行ってみると、源流といった趣で沢の水がちょろちょろと流れている程度だった。

けれど、そこもなんだか霊験が溢れているように感じた。

12時5分前に御幸ヶ原到着。

 

 

男体山と女体山

筑波山は標高871メートルの男体山と877メートルの女体山の二つの頂をもつ双耳峰である。

 

その頂と頂の鞍部が御幸ヶ原でかなり広くて平らな場所だ。そこにケーブルカーの山頂駅があり、また、茶屋などが立ち並んでいてにぎやかである。


登ってきたのと反対の方へ行くとすぐ下にどこまでも平らな田んぼが見渡せる。いわゆる関東平野である。そちらを向いて座れるベンチが横に並んでいた。水溜りのないベンチに座って昼食にする。今日は玄米のおにぎりを作って持ってきた。

 

食べながら賑やかな方を見ると、小学生の遠足の団体が来ていて先生が大声で昼食の説明をしたりトイレに行かせたりと奮闘していた。

 

御幸ヶ原

 

座ったベンンチのところから下を見る

 

昼食後、男体山へ登る。山頂へは10分ほど。手を使って登るような岩場があって面白い。山頂からはつくば駅方面の関東平野が見渡せた。

 

男体山の岩場

 

男体山山頂からの眺め

男体山を下る時、高校生?あるいは大学生?も2、30人で来ておりソフトクリームを食べながら登っている女子が5、6人いて驚いた。

 

再び御幸ヶ原に戻ってくると今度は幼稚園生の団体がありの行列のように長い列を作っていた。先頭はケーブルカー乗り場の中に消えていった。

 

御幸ヶ原から女体山へはなだらかな登り。ただ濡れているので滑りやすい。

 

筑波山のピークは女体山山頂になる。数メートルだけ男体山より高い。そのピークは大きな岩がいくつか積み重なっていてとても狭い。5、6人も立てばもういっぱいだ。

 

女体山山頂

 

記念撮影

 

女体山山頂からの眺め 遠く霞ヶ浦まで見える

 

男体山を振り返る

山頂からの眺めは素晴らしかった。この山がそれほど標高が高いわけでもないのに百名山に選ばれたのは、この眺めのせいだろうと思った。

 

周りの山が低く、筑波山だけが単独で平地から突き出ている。そしてその平野の向こうに霞ヶ浦がこれも大きく横に広がって見える。

 

ようするに下から眺めてもよし上から眺めてもよし。その存在感が百名山たらしめているのだろう。

 

家に帰ってから『日本百名山』(深田久弥著、新潮文庫)を読んでみると、百名山の一つに数えたその理由を「その歴史の古いこと」だと述べていた。しかし、最後の方で姿のよさも褒めている。

日本百名山 (新潮文庫) | 深田 久弥 |本 | 通販 | Amazon

 

女体山からはつつじヶ丘に下る。このルートは弁慶茶屋跡まで女体山の名にふさわしくない急な岩場が続く。その岩が濡れていてつるつる滑る。

 

ここで女性3人のグループとすれ違った。リーダーが後ろに声をかけながら先頭を登っていた。下山するこちらの動きもよく見ており、道を譲ったらすぐのそれに応えて登ってきた。最後の子が滑りながら登ってきてお礼を言い、「頂上まではもうすぐですか」と訊かれたので「ええ、すぐそこですよ」と答えた。

 

少し下ると再び同じような3人の女性グループにもすれ違う。こちらもリーダーが後ろを気にしながら登り、最後の子がやはり滑りながら登ってきて、頂上までとは訊かなかったがお礼を言って通り過ぎたのは同じだった。そのことがとても印象的だった。

 

急な下りでなくとも岩はよく滑る。そして何度か転びそうになり、そのうちの1回を後ろに転ぶ。

 

いったいどういう時にズルっと滑るのだろうか。そう考えているうちにそれがわかった。

 

この山には平べったい石が数多くあり、それが平らに置かれている箇所も結構あることに気がついた。どの石も滑るがそれが斜めに置かれているところに足を乗せるとズルっと滑るのだ。

 

なんだ、当たり前だと思うだろう。そう当たり前のことなのだ。しかし、そうわかってもできないこともある。

 

登りでは前と後ろに1回ずつ転び、合計3回転んだことになる。幸い手をつくだけでズボンのお尻や膝などは汚さずに済んだ。

 

こうして神経を使いながら下ったのでかなり時間を食われた。途中の弁慶茶屋跡まで30分のところ50分もかかっている。

 

下の方へ降りてくると岩が少なくなってくる。もう転ばないだろうと思って軍手をとったらたちまち土の斜面ですべって手をついた。

 

御神体は雨をしっかり蓄えているありがたい山であった。

 

 

最後に

筑波山にはパワースポットが沢山ある。

 

せきれい石

 

がま石

 

天浮橋(あめのうきはし)

 

屏風岩

 

国割り石

 

陰陽石

 

母の胎内くぐり

 

高天原(たかまがはら)

 

弁慶七戻り(べんけいななもどり)「 古くから、神々の世界と現生を分かつ場所とされてきた石門。」 とある。

たくさんのパワースポットに立ち寄っているうち、次第に元気が出てきたように感じた。

 

ロープウェイのつつじヶ丘駅到着は午後2時20分、そこからのバスは2時30分発だった。料金は880円。つくばセンターには15時30分着(少し遅れる)、つくばエクスプレス15時41分発に乗って帰る。

 

では、このへんで

 

筑波山の写真は上で紹介したホームページの方がよくわかります。

https://www.tabirai.net/sightseeing/tatsujin/img/0000031/tat_main.JPG?uid=20221020215554

https://www.tabirai.net/sightseeing/tatsujin/img/0000031/tat_col_1.JPG?uid=20221020215554

 

 

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那須野からの優美な姿と荒々しさ 【那須岳】その2

2022年9月26日、南会津と北関東登山の最終日である。

帽子はかぶっていたがキャップだったので耳の後ろが焼けた。

ここが焼けるとバイクのヘルメットの脱着時に擦れて痛い。

しかしそれだけ良いお天気だった。

かなり疲れていたが、無理せずゆっくり歩く。

ほぼコースタイム通りの時間で歩いていた。

やはりコースタイムで計画を作っておくべきだと思った。

ロープウェイ山頂駅

山頂駅から続く道

やった。9月の登山の中で今日が一番の良い天気。

 

それにしても台風14号、15号と立て続けに来てくれたものだ。幸い直撃からは逃れての登山となったが、やはり良い天気での登山は楽しい。

 

先頭を切って広いロープウェイのゴンドラに乗り込むと、次から次へとお客さんが乗ってくきた。半分以上は登山の格好をしているが、軽装の人たちも大勢いた。

 

ロープウェイの先には那須岳の主峰茶臼岳が見えている。

 

8時40発のロープウェイは山頂駅に5分ほどで到着した。山にはほとんどトイレがないのでここでいっておく。表の展望テラスに出て、ストックを袋から出してセットしスパッツをつける。こうして9時ちょうどに歩き始める。

 

少し行くと若い頃に職場旅行で見た、記憶に残る風景が目の前にあった。そしてあの時に頂上まで登ったのかどうか記憶が曖昧だったが、ここではっきり「頂上まで行ってない」ことが分かった。

 

山頂駅付近をウロチョロしただけだったのだ。

 

まるで富士山のような草木の生えていない溶岩だらけの道(道というような道があるわけではない)をゆっくり登っていく。ところどころに大きな岩がどんと止まっているが、あれがもし転がってきたらひとたまりもない。

 

立て続けの登山で疲れているというだけでなく、いつも登り始めは意識してゆっくりと歩く。体をゆっくり慣らしていくためだ。それにそうやって歩いているとその日の体調もわかってくる。ああ、今日は体が重い。

 

 

主峰茶臼岳

那須野

茶臼岳にはほぼ真っ直ぐ登っていく。振り返ると那須野原全体を見渡すことができる。本当にでっかい野原だ。

 

さらに登ると大きな岩が行手を阻む。右に巻いてから再び登っていくと朝日岳に向かう分岐がある。ここで地図を出して確認した。そう、予定では左回りで一周し、再びこの分岐から朝日岳を目指す。

 

 

左回りというのはお鉢周りのことである。富士山に登った時はお鉢周りは出来なかったので、ここでしっかり一周した。

 

分岐から3分の2周くらいのところが茶臼岳のピークになる。標高は1915m。一般にここが主峰と呼ばれるが、実は那須岳で一番高いのはこれから向かう三本槍岳なのである。

 

茶臼岳の山頂から三本槍方面を眺める。槍というからには尖った峰があるのだろう。そう思ってよくよく眺めるが、そんな山はどこにも見えない。

 

しかし、少し右手に見える朝日岳はしっかり尖って見えている。朝日岳は次に向かう隣の山なので見間違えようがない。

 

茶臼岳は形の良い山である。遠くから眺めると美しい。しかし、間近で見ると岩だらけのゴツゴツした荒々しい山で荒涼とした風景が広がっている。

 

先ほどの分岐から少し先にさらに道が分かれて朝日岳に向かう。朝日岳に向かうにはいったん茶臼岳を峠まで下る必要がある。この峠に昔は峠の茶屋があったらしいが、いまはそこに避難小屋が建っている。

 

茶臼岳を見上げる

 

茶臼岳中腹

 

赤い岩

 

茶臼岳山頂

 

お鉢

 

朝日岳

避難小屋の向こうに朝日岳

峠の茶屋跡から見上げる茶臼岳は立派である。そしてこれから振り返ればいつでも茶臼岳の姿が見える。そして離れれば離れるほど優美な姿に見えてくる。

 

峠の茶屋跡からは剣ヶ峰の中腹をトラバースして反対側まで回り込み、その後岩場の急斜面を登っていく。ここから朝日岳山頂へ向かう分岐点まではちょっとスリリングな道になる。

 

狭い尾根を越えていったかと思うと岸壁の腹を鎖を伝って歩く。左は谷が深く下まで続いているのが見える。

 

次は拳台の石がごろごろした急斜面で、ここを左右に曲がりながら登っていく。一本道ではないのでどこを通るか一瞬のうちに決めなければならない。できるだけ体に負担がかからないように段差が少ないコースを選び、石を落とさないように慎重に登っていく。

 

ところが一度拳くらいの石を落としてしまった。あっと思って声を出そうとしたら、すぐ後ろの女性がその石を足で止めてくれた。

 

ホッとしてお礼を言う。話をしたのはその時だけだったが、その方ともう一人の女性との二人連れ登山者とは、途中前後しながら同じコースをたどり、下山するまでほぼ一緒だった。

 

朝日の肩という朝日岳山頂への分岐地点はちょうど良い休憩場所になっていて、大勢の登山者がいた。ここでザックを置いて山頂を往復する人も多く見受けられた。

 

ここでは荷物を背負ったまま登っていった。なぜか降ろす気がしなかったのである。それだけ頭が回らなかったのかもしれない。

 

ここから眺める朝日岳は道が左に曲がっていき、その先に山がにゅっと空に伸びていて先端が細く尖っている。そしてその先に多くの人の姿が黒く影になってみえる。

 

 

 

鎖のトラバース

 

朝日の肩から朝日岳山頂を目指す

朝日岳の頂上直下であまり人の歩いていないところ(踏み跡は確かにあった)を歩いていく。するとなかなか頂上に登る道にならない。後ろについてきている人がいたので声をかけ、少し先を偵察しにいったところ、そこは行き止まりとなっていた。

 

後ろの人にその旨伝え、途中、頂上が見えた岩から登るのが良さそうだと伝えた。

頂上ではその人に写真を撮ってもらった。

 

 

三本槍岳

三本槍岳 領地確認のため槍を立てたのが名前の由来か

朝日の肩に戻ってそこのベンチでコンビニで買ってきたおにぎりを食べる。飲み物もコンビニで買ったお茶で済ます。

 

ここから一旦登って下り、清水平というところを抜ける。いってみると清水平というのはまさに湿原。たくさんのトンボが迎えてくれた。

 

けっして綺麗とはいえないが、変化があって面白い。

 

そういえば9月の登山は湿原付いている。八甲田、会津駒、燧、そして那須と岩木山を除いて登った山全てに湿原があった。

 

清水平を横切った向こう側に展望台があった。そしてその先へ進むと笹で周りが見えない迷路のような道になる。もちろん迷路にはなってはいないので、迷うことはない。

 

清水平

 

迷路の中にいるような道

 

すると笹の道がT字路となっているところに出た。そこに北温泉分岐の標識があった。

 

左に少し登ってから下りになる。道はなだらかだ。なんとなく長閑な雰囲気である。右手には遠く山々が見渡せる。

 

三本槍の頂上のすぐ下だけ急登になり、再びなだらかな道になったかと思うとすぐに頂上に着いた。1917m。茶臼岳より2m高い。

 

 

山頂ではドローンを飛ばす人がいた。すごい速さで歩いていた人だ。

 

別の登山者の人がドローンを飛ばしていた方に声をかけているのを聞いていたら、ドローンで撮影したものはとくにネットに上げてはいないということだった。声をかけた女性は、YouTubeか何かにアップされると思って手を振っていたそうだ。

 

その女性が「ちゃんと戻ってくるように操縦するのは難しいでしょう」と聞いたら、自動で戻ってくるように設定できるのだと説明していた。しかし、強風が吹いたりしたときに途中で墜落したこともあったという。拾いに行くのは大変らしい。

 

そしてまたその男性は足早に下っていった。そのあとで朝日岳頂上で飛ばしているところを見た。

 

 

自分なりの下り方のコツ

前日の燧ヶ岳の下りでストックの使い方をスキーのようにしたら、登山でも2本ストックの片方が引っかかったりすることなくにスムーズに下ることができることに気づいた。

 

これに引き続き、那須岳では体の使い方もスキーと同じようにすると楽なことに気がついた。

 

どういうことかというと、広い登山道をジグザクに下れるときは、体は常に下を向いているようにするということである。

 

当然頭も同様で、視線は常にこれから向かうところに置き、足元は周辺視野とときどきちらっと目で確認する。左右には腰を使って向きを変える。

 

こうすると姿勢も安定し、体がグラグラしない。

 

茶臼岳からの、溶岩地帯の下りではこんなことを考え、試しながら下った。すると山麓駅手前の茶屋まで疲れも忘れてすごく調子良く下ることができた。

 

これなら標準タイムよりもかなり速く山麓駅に着くな、と思った。

 

茶店の少し先で若い女性の二人連れを追い越す。そのとき、「お先に失礼します」と言ったら「お疲れ様でした」と返事が返ってきた。そう、もうほとんど下山した感じだったのである。

 

ところが、山麓駅に行くには車道に出て少し歩いてから右に入らなければならなかった。そこに気づかず、どんどん車道を下っていってしまった。だいぶ下ってからおかしいことに気づき、そこから引き返したので10分以上ロスする。

 

それでも50分のところ40分弱で山麓駅についた。

 

こうした下り方は狭い登山道ではできないが、それでもところどころにある広がった登山道の急な下りでは役に立つと思われる。

 

これまで下りはあまり得意ではなかったが、今回の自分なりのコツを掴んだことで次の登山が楽しみになった。

 

山麓駅ではトイレを借りて顔も洗い、缶コーヒーを飲みながらベンチで一休みした。

さて、これから6時間半かけて自宅に戻るのだ。

 

 

帰り道、スーパーカブに異変

今回の三座を目指した旅のはじめのブログでスーパーカブの気になる音のことを書いたが、音だけでなくおかしな症状が現れ始めた。

 

そもそも変な音というのは今年(2022年)1月に1か月遅れの1か月点検から戻ってきた時から気づいていた。

 

点検前からあったのか、点検から帰ってきてからの症状なのかはよくわからないが、ともかく「変な音がするな」と気がついたのは点検後のことだ。

 

それは、アクセルを戻した時にカラカラという音がクランクケースあたりからしているように思われた。

 

ただ、新車で購入して2か月しか経っていないのだから、おかしくなるところなんてあるはずがない、きっと初めからそういうものなんだろうと、自分を納得させていた。

 

こうした音もいつも聞いていると当たり前になる。そしてあまり気にならなくなっていた。特に走りには影響がなかったからである。

 

ところが、那須からの帰り道で影響が出始めたのだ。

 

国道4号線は高速道路かと思うようにみなスピードを出して走っている。波に乗るためにこちらもスピードを上げる。逆にそうしないと危ないのである。

 

高速道路と違うのは、信号があることだ。信号で止まり、一気にアクセルを開ける。そして一旦アクセルを戻してギアを2速に入れたそのときに、一瞬カクッと前に飛び出るのである。

 

ゆっくりと出て、シフトアップするときはこうした症状は出なかった。

 

なるべく静かなアクセルワークを心がけて家まで、いや、家の近くの「すき家」まで走り抜ける。


山麓駅を午後4時ちょうどに出発して、途中休憩はコンビニに1回、あとはガソリンを入れる時だけだった。そして「すき家」に立ち寄ったのが10時半。ここで「すき焼き丼」の夕食。

 

そのあとコンビニでビールを調達し、それをポケットに入れて帰って家で祝杯をあげた。

 

 

最後に

9月はかなりの強行軍で八甲田山、岩木山、会津駒ヶ岳、燧ヶ岳、那須岳と登った。さすがに最後の那須岳はきつかった。

 

おそらく体の疲れはしばらく抜けないと思われ、しばらくはできるだけ体を休めることにした。

 

今年4月下旬の金峰山を皮切りに日本百名山を次々に登ってきた。以前登ったのが13座。金峰山が14座目でその後15座登った。ただ、八甲田山は二度目となるので、日本百名山の登頂記録としては今回の那須岳が28座目となる。

 

まだまだ登山シーズンだ。もうあと少し登頂数を伸ばしていきたいと思う。

 

なお、スーパーカブの音とシフトアップの不具合についてはその後原因が判明した。そのことはまたブログに書いておきたいと思っている。


では、このへんで

 

 

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那須野からの優美な姿と荒々しさ 【那須岳】その1

 

那須ロープウェイのゴンドラの中から


燧ヶ岳から下山し、尾瀬御池から那須のゲストハウスへ向かう。

今晩は夕食もお願いしている。

夕食は6時からなので遅れるわけにはいかない。

途中、休憩なしでスーパーカブを走らせる。

いや、一度ガソリンスタンドに立ち寄った。

計算すると那須までぎりぎり持つかどうかというところ。

しかし精神衛生上良くないので、途中で見つけたスタンドに入る。

最近はセルフのスタンドが多いが、ここは店員が入れてくれた。

いつも入るのは2.6、7リッターなのですぐに一杯になる。

人がやっているのを見ていると、いっぱいまで入れてくれているかどうかが気になる。

 

那須ゲストハウスChus

Chus店内

今夜の宿は黒磯駅に近い場所にあるゲストハウスだ。

 

那須岳はは那須ロープウェイで上に登る予定なので、その近くの宿を探したが見つからなかった。

 

ついで近くのキャンプ場を探したところ、オートキャンプ場ばかりでバカ高い。だんだん範囲を広げていったところに今回のゲストハウスがあった。オートキャンプ場に泊まるより断然安い。ドミトリーは1泊3300円(税抜)だ。

 

そしてなんと食事の提供もある。到着が夕方になるので夕食をお願いすることにした。

 

青森への旅行が控えていたのでこのゲストハウスについてはあまりよく調べていかなかった。行ってみるとそこはレストランで、ゲストハウスを併設しているらしかった。

 

なるほど、だから夕食や朝食がたのめるのか。

 

 

黒磯の思い出

尾瀬御池から那須までは、ほぼ行きに通った道を引き返した。途中から脇に逸れて黒磯駅方面に向かう。

 

実は、Googleマップに頼り切りで、どういったところを通ったのかは家に帰ってから確認し、それでわかったという具合である。

 

那須に入り、昔、家族旅行で来て、林の中の道を車で走った時の記憶と同じような景色が現れ、「そうそう、前に見た景色だ」と変に感じ入っていた。

 

ちなみにその時の帰り道、高速に乗ったところで空が真っ暗になり、雷とともにワイパーを高速にしても前がよく見えないほどの激しい雨が降ってきた。その時乗っていたのはシトロエンBXだった。

 

この車のワイパーは1本である。もう遠心力でワイパーが飛んでいくのではないかというくらい大きいワイパーが行ったり来たりしていた。

 

1本ワイパーは2本ワイパーと違い、車の左右に水を勢いよく弾き飛ばす。もし通行人がいたら迷惑な車だ。

 

そしてそのうちになぜか足先が冷たくなってきた。なんと、雨水が染みてきていたのである。足元のマットがずぶ濡れになっていた。

 

前がよく見えないくらいの降り方で、みな速度を落としてゆっくり前に進んでいた。そのうちに雨雲の下を通り過ぎて雨が止んだ。

 

黒磯といえばそんな思い出のある場所なのである。

 

 

 

コース料理

Chusレストラン内

ゲストハウスには17時少し前に到着した。よかった。シャワーを浴びる時間がある。
受付で必要事項を記入して、ルールの説明を受ける。そのあと2階にある部屋を案内してもらった。

 

寝床にシーツを敷いてからシャワーを浴びにいく。二段ベッドのある部屋(ドミトリー)は8人が泊まれるようになっていたが、シャワーは一つ。けれど清潔で気持ちの良い施設である。時間がないので見にいってはいないが、宿泊者用のラウンジもあるとのことだった。

 

6時丁度に下のレストランに降りていく。手前の席に座って案内があるのを待つ。
すると20代前半くらいの青年が笑顔で案内してくれた。今日の給仕担当ということだった。頼んだのはコース料理(税抜2500円)で僕以外にコースを頼んだものはいなかった。

 

ふつうレストランのお客としてきて食べたい料理をオーダーすることもできるようだった。もし、次回来ることがあればそうしようと思う。

 

コース料理は、前菜は地元那須で採れたという野菜のサラダ。なんだか味が濃いように感じられていっきに平らげてしまった。

 

つづいては魚料理で地元の古い干物加工の店から仕入れているという鯖を使った寿司で、フランス料理みたいにお皿に乗っていた。ところが食べてみるとしっかり和食で、見た目とのギャップに驚いてしまった。

 

つづいては肉料理。やはり地元の鶏をつかったものだった。ワインが回ってきたせいか、残念ながら味付けなどは覚えていない。けれどけっこうボリュームがあって、この時点でかなり腹が一杯になっていた。

 

そんなところに止めのパスタが来る。ちょっと無理して食べてしまったらもう腹が一杯で苦しい。

 

コース料理と飲み物代、そして宿泊代を支払って2階のベッドに戻る。するとこれまでの疲れが出て睡魔が襲ってくる。しかし、食べたばかりなので頑張って起きていた、つもりだったが、座ったままうとうとしてしまう。

 

目が覚めたところで元気を振り絞り歯磨きとトイレを済ませて清潔なふかふかのふとんに潜り込んだ。

 

 

那須ロープウェイ山麓駅

ゴンドラの中からみえる朝日岳

翌朝は6時半に起床した。荷物を整理して登山用とバイクに残すものとに分ける。重たい荷物を担いで階段を降り、通用口から駐車場まで歩く。バイクに荷物を括り付けると7時半になっていた。

 

これから朝食を食べ、昼食を仕入れて那須ロープウェイ乗り場までいく。Googleマップでは途中に3つか4つのコンビニがあるようだったが、一番初めに現れたセブンイレブンに立ち寄った。

 

山麓駅までは23キロ程である。街から抜け出すと左右に林が広がる。十字路を左に曲がると道はほぼ一直線に那須岳に向かっている。

 

そこからは避暑地らしい雰囲気となり、左右に現れる店の名前も店もどこか洒落ている。

 

しばらく進むと前方に那須岳山頂付近の稜線が、薄青色の空に薄いピンクの線を引いているのが見えた。美しい。ヒマラヤの屋根が空に浮かぶ如くである。

 

スーパーカブではトップのまま登っていくのは次第に難しくなってきた。

 

ここまで車の流れに乗って頑張ってスピードをあげていた。それもだんだん苦しくなってきたが車のほうもだんだん少なくなってきた。

 

ありがたい、もう流れに乗って走るのはきびしい。

 

那須岳がすぐ近くに見えてきた。先ほどまでの優美な姿はどこにもない。荒々しい岩だらけの山に変貌している。

 

道はカーブを描きながら上に続くようになってきた。ギアを3速に落とすカブはふたたび元気づく。まだまだ行ける。ところが道の端には細かい砂が散らばっていた。道路を一杯につかって曲がると滑って転びそうだ。したがってスピードを落として登っていく。

 

アスファルトも荒れているところが多くなった。ザックを背負って来なくてよかった。背負っていたらもっと走りにくかっただろう。

 

那須岳主峰、茶臼岳の麓がロープウェイ山麓駅である。そのすぐ下には大丸温泉がある。ここは昔職場の慰安旅行で来たことがある。あの時は感じなかったがこんな奥にあったのだとわかり驚く。

 

たぶんタクシーか送迎バスできたのだと思うが、幹事さん任せにするとこういうことになる。覚えているのは温泉とロープウェイで上ったことだけというのだから本当に勿体無い。

 

あの旅行は課の旅行で十数名の参加だったが、翌朝、女性の上司が夜中に混浴に入ったということを聞いて、なかなか勇敢だなと思ったものである。

 

いくつものカーブを曲がりながら道はさらに急になっていく。そしてようやく山麓駅が左手に見えた。右手には小さな駐車場がある。車と車の間が広くなったところがあり、そこならバイクを停めても支障がないと思われたのでそこに停める。時計を見るとちょうど8時半だ。始発のロープウェイが出る時刻である。残念、ちょっと間に合わなかった。


道の反対側のゲートを通る時、警備員の女性が次は10後の40分発だ教えてくれた。よかった。綺麗で広い構内の隅に自動発券機が置いてある。そこで1200円の片道乗車券を買った。

 

 

まだ登山はしていないが今回はここまで。

次回につづく。

 

 

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水のあふれる山【燧ヶ岳】

 

檜枝岐のキャンプ場2日目の朝は冷え込んだ。

今日は晴れの予報。

ここから尾瀬御池までいき、燧ヶ岳に登る予定である。

下山後は那須まで130キロを移動する。

スーパーカブのガソリンはどこまで持つだろうか。

 

尾瀬御池登山口

 

4時起床、テントを撤収して6時20分にキャンプ場を後にする。

6時50分尾瀬御池(みいけ)駐車場に到着。

今日の天気は晴れ。放射冷却のため今日はかなり冷え込んでいる。体が冷えきったので自動販売機で温かいココア飲む。ところが缶を捨てる場所がない。持ち帰れと言うことか。

 

登山準備をしたあと登山口がわからずうろうろする。たしか駐車場の向こう側に登山口があったはずだと地図を見る。そうだ、駐車場入り口の反対側に道が伸びている。行ってみると果たして御池登山口と書かれた表示版があった。7時10分、いざ出発。

 

駐車場の先からは幅のある木道が始まり、少し進むとすぐに左に折れる道がある。そこを曲がると細い1本の木道となる。ところがこれが曲者で、腐って落ちているところがある。おまけに濡れていて、いつ滑ってもおかしくない状態だ。木道脇は土で水が溜まっている状態なので落ちたくはない。

 

左に折れると燧ヶ岳登山道になる

 

初めはなだらかな道を行き、途中から急坂になる。地形図では尾根道のようにみえるが、それがなんと雨でもないのに沢のように水が流れてくる、まるで枯れかけの沢なのである。

 

今朝寒かったので、この山行直前に購入したオーバーパンツを履いていた。急坂になる前にすでに暑くなっていたのでそれを脱ぎたいが、脱げるような場所がない。細い木道の一本道である。

 

ようやく木道の橋の手前に広くなった場所があり、平らな岩があったのでその上でようやくオーバーパンツ脱ぐことができた。もちろん上のジャケットも脱いでザックにしまう。

 

荒れた木道

 

急坂

 

沢のような登山道

 

この沢登りのような登山道は、水あり大きな段差ありでとても登りにくく、きつかった。連日の登山ということもあるが。

 

段差のところで先行する人に追いついたので、「いいお天気になりましたね」と話しかけた。すると、

 

「そうでないと困ります。そのために新潟から日帰りでやってきたのですから」という返事が返ってきた。そして先に行くように言われたが、こちらもきつかったので、断って後ろを歩かせてもらった。

 

その後、なんども休んだので後ろを行って正解だった。その方の顔をみることはもうなかった。

 

 

湿原あらわる

最初に現れた湿原

少しずつ傾斜が緩くなってくる。するとまた木道があらわれる。ただし今度は二本の木道だ。次第に周りの木がなくなって湿原地帯になる。池塘に青空が映り美しい。

 

中間あたりにわずかに横に佇めるスペースがあって、そこに広沢田代の標柱があった。ここで先行者が一眼レフで写真を撮っていたので「綺麗ですね」と声をかけたら「ほんと美しいですね」と返してくれた。その後、この方とは前後を入れ替えつつ何度も顔を合わせる。

 

広沢田代

 

再び樹林帯の中の急坂を登る。道がぬかるんでいて歩きづらい。五合目の標識が見えた。まだ半分だ。今日はここまでのところ標準タイムよりやや遅れ気味である。

 

ここを頑張るとふたたび湿原が現れた。行手には燧ヶ岳が正面に見えている。やはりちょうど真ん中あたりにスペースがある。今度はベンチが置かれていた。展望台といってよいだろう。熊沢田代展望台である。

 

木道は燧ヶ岳に向かっている

 

展望台

 

左手が平ヶ岳

手前にわりと大きな池塘を置いて写真を撮る。その向こうにはたくさんの山が連なっていた。アプリを使って山名を同定しようと試みるが、山名がたくさん出過ぎてどれがどれだかわからない。平ヶ岳だけはあれで間違い無いだろうとひとり納得する。

 

そうして5分くらい滞在し、再び山頂を目指す。ここの木道もだいぶ傷んでいたが、それでも二本通っている。そうすると荒れているところを避けることができるのでありがたい。

 

熊沢田代を後にして、先ほどよりはゆるやかな道を登る。振り返ると下に湿原がよく見えた。しかし、道はぬかるんだところが多くていやになる。できるだけ靴が沈みにくそうなところを探して通り過ぎる。

 

 

燧ヶ岳登頂

熊沢田代を見下ろす

 

ふたたび道は傾斜が急になっていく。

 

ほとんど樹林帯のなかなのだが1箇所溶岩が流れ出て草木が生えていない崖を横切るところがある。長居はしないほうがよいのだが、ここからの景色が素晴らしい。深田久弥を魅了したという会津駒ヶ岳がなだらかな山頂をみせてどんと構えているのがみえた。

 

ここだけ赤茶けた草木のない場所

 

会津駒ヶ岳のゆったりした眺め

 

頂上に近づくと、急な涸沢があらわれる。本当に急だ。それも直上する。何人も途中で休んでいる人が見えた。

 

ここを登ると左に少し巻いてまた少し登ると最後に岩場が現れる。そこを乗り越えると燧ヶ岳のひとつ俎嵓(まないたぐら)の山頂である。10時20分、登頂。

 

山頂からの会津駒ヶ岳

 

ここからは尾瀬沼全体が見下ろせる。そこから視線を右にやるともうひとつのピーク、柴安嵓だ。

 

ここに荷物をデポし、芝安嵓まで往復する。芝安嵓には5分間滞在。尾瀬ヶ原がしっかり見えた。至仏山は山頂が雲に隠れてしまっていた。

 

俎嵓から尾瀬沼を見下ろす

 

隣の芝安嵓

 

芝安嵓にて

 

尾瀬ヶ原を見下ろす

 

唯一ここだけは標準コース20分のところ片道15分で往復できた。しかしそれも荷物を置いて空身だったからだ。やはり2週続けての登山が堪えている。

 

11時10分、俎嵓に戻ってくる。ここで昼休憩をとり、11時40分下山開始。

 

途中の涸沢はすこし幅があったのでスキーで滑る時のようにジグザクに下る。するとスキーで使うようにストックを突いたらとても降りやすかった。これまで2本あるとたいてい1本がひっかかっていたのが解消されたのである。

 

つまり、2本のストックがあっても左右1本ずつ使うようにすれば邪魔にならないということを体で理解できたわけである。ついでに体を左右に動かしていても、視線はいつも下を向くようにすると早く楽に下ることができた。今まであまり下りは得意ではなかったが、これで少し楽になった。

 

熊沢田代に12時25分到着。5分ほど休憩する。ここまでの下りは早かった。15分も短縮。これもスキーのときように調子良く下ったためである。そしてその後は標準タイム通りとなった。なお、木道では2本のストックでは歩きづらいので1本はザックにくくりつけた。

 

登りで苦労した沢のようなところでは、下りも大変で滑らないように慎重にくだった。先行者が休んでいるところに追いついた時に、「滑りそうで怖いですね」というと、

 

「滑りそうというか、もうすでに何度も転びました」ということだった。そこで昨日登った会津駒ヶ岳の<必ず滑る>という注意書きのある木道のことを話した。するとその方は、

 

「わたしは明日登ろうと思っているところなんですよ、気をつけます」とのことだった。その後自分も一度滑って手をつく。


13時45分、ようやく尾瀬御池駐車場に戻ってきた。

 


最後に

尾瀬御池登山口から登った燧ヶ岳の全体的な感想。

 

結局頂上までほとんどが腐った木道とぬかるみ。そして急坂の沢登り。とても歩きづらい山だった。

 

悪いところばかりでは無い。良かったところは、やはり湿原の美しさ。そして頂上からのすばらしい眺め。

 

下山後、靴の洗い場があったのはよかった。靴だけでなくストックも洗う。つけていたスパッツも泥だらけだったのでこれも洗い雑巾で拭く。

 

こうするとなんとなく気持ちがいい。これから那須までの移動が待っている。

 

するとそこに懐かしいバイクがスッと入ってきた。

 

なんとホンダXL250。たしかRだったと思う。近づいてみると綺麗な車体だ。黒いシートに白くXLの文字。おじさんライダーに「懐かしいバイクですねえ。ずいぶん綺麗に乗ってらっしゃいますねえ」と話かける。すると、うれしそうにいろいろ話してくれた。

 

ずっと乗っていたのではなくて最近中古を買ってそれに自分で手を入れたのだそうだ。若い頃に乗りたかったバイクなのだそうだ。シートも張り替え、XLの文字もそのシートから写して自分で書き入れたのだということ。

 

よく見ればさすがに40年前のバイク。だが、キャブやプラスチックのフェンダーはフリマで買って交換したということだった。

 

新潟から走ってきたというその方は僕より一足先に軽快なエンジン音を響かせて去っていった。

 

では、このへんで

 

 

尾瀬のもう一つの山、至仏山には昔登っています。

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こぬか雨降る 【会津駒ヶ岳】その2

 

こぬか雨降る会津駒ヶ岳を登ると、たっぷりの水を含ませた湿原が現れた。

ほどよい靄があたりを幻想的にしてくれる。

ただ、足元は荒れていて下を見ていないと危険である。

ところどころに高山植物の花が咲いていた。

 

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山上の湿原を歩く

 

水場から1時間半。11時5分前に駒ノ小屋に到着する。ここから右に行けば駒ヶ岳だ。この分岐地点にちょうどよくテーブルとベンチが設置されていたのでここで昼飯にする。

 

山頂近くの湿原地帯に入ってから風が出てきて気温も低くなってきた。ベンチにつくとまずはポンチョを脱いでレインウェアに着替えた。ポンチョを脱いてみるとその暖かさがよくわかる。これならツェルトの代わりになると思われる。

 

さっきから細かい雨が降っている。ポンチョをタープのように段差のあるベンチに引っ掛けようかとも思ったが、風邪で飛ばされそうだし面倒なのでレインウェアのままベンチに座る。

 

ザックからポットとモンベルのリゾットを取り出し、ポットのお湯を注ぐ。今朝、お湯を沸かしてポットに入れてきたのである。こうすればお湯を沸かす時間を節約できる。

 

ポットは350mlの小さいやつだが、いっぱいに入っていれば長時間熱いままであることを先日使ってみてわかった。それで、これならフリーズドライやアルファ米に使えることに気がついたというわけである。

 

11時半、駒ノ小屋の分岐を出発する。木道はしっかり整備されていて鉄の滑り止めが付けられている。これなら安心だ。

 

整備された木道

ところがしばらく行くと古い木道に変わった。「これより木道◯◯がひどく」という丁寧な注意書きまである。〇〇のところは草で読めなかったが、ともかくひどく腐って荒れていた。さらに濡れているので滑る。二、三度滑って転びそうになった。しかし植生を守るため木道から外れないようにする。

 



 

 

 

 

 

11時45分駒ヶ岳山頂に到着する。残念ながら見えるのは周りの木々だけだ。ここは展望がよいとうことだが今日は全く見えない。案内板の山の名を見てそこに見えるであろう景色を想像する。記念写真を撮って12時ちょうどに中門岳に向かって出発した。

 

木道の脇には池がたくさんある。こんな山の上に湿原と池があるなんて不思議な気がする。

 

雨に濡れた草の葉はイキイキとして輝いている。前後には誰も見えない。木道は細かい雨の中に真っ直ぐ輝いて伸び、霞んだ景色の中にに消えていく。こうしているとどこか別の世界に迷い込んだような気になる。

 

すると、その先に黒く大きな柱が立っているのがみえた。そこには大きな池があり、中門岳の標柱があった。山頂の湿原にある大きな池なんてなかなかに珍しい。そして誰もおらずとても静かだ。

 

 

 

 

 

 

 



深田久弥は『日本百名山』のなかで『六月半ばの快晴の日、ただ一人この山に在るという幸福感が私を恍惚とさせた』とあるが、こちらは「9月半ばの秋雨の日、ただ一人この山の異空間に私を引きずりこんだ」。

 

なお、深田氏はこのあと残雪の沢に迷い込んで遭難しかけたと書いている。

 

中門岳のピークはもう少し先らしいのだが、この辺り一帯が中門岳であるようなのでここから引き返すことにした。

 

帰りは、会津駒ヶ岳山頂を迂回するコースを通る。するとそこに「帰りも怖すぎる木道    必ずすべります」という注意書きがあった。

 

危なそうなところで一度立ち止まり、気を入れて右足を一歩を踏み出す。するとあっという間にずるっと滑った。つづいて左足も滑る。本日初めての転倒。さらに手をついたところが滑り、そのまま木道の下まで落ちた。這い上がろうと手を伸ばすが、腐って濡れた木の上で再び手が滑り、這い上がるのが大変だ。

 

 

その後は滑りそうなところは木道と木道との間を踏んで事なきを得た。

 

そうして駒ノ小屋の分岐地点に戻り、少し先の小屋まで行ってみた。すると愛嬌のある人形が置かれていて小屋主の心遣いがよくわかる。また、そこに書かれている文字もあの注意書きの文字も同じだった。なかなか味のあるユニークな文字でこちらも愛嬌がある。

 

 

 

 

 

 

 

小屋近くの分岐

雨は湿原を過ぎたあたりで止んだ。その後も何度か滑り、そのうち1回手をついた。

 

下るほどに暖かくなり、時々日も差したのでレインウェアを脱ぐ。ただし、尻餅をつくとズボンが汚れるので下は履いたままにした。

 

特に急いだわけではないが、水場まで1時間のところ50分、さらに登山口までこちらも1時間のところ50分で、15時20分に下山した。

 

 

駒の湯

桧枝岐村役場

登山口の階段を降りると目の前にベンチが置かれていた。そこで少し休憩をする。

 

そのあと駐車場のスーパーカブに乗って下り始める。ここはそうとうにくねくねとした九十九折なので、滑らないように慎重にくだる。

 

もうこの時間上ってくるものはないと思っていたら、1台の乗用車がライトをつけて上ってきた。これから何をしにいくのだろう。

 

途中、アングラーが車のところにいるのが見えた。この辺りはフライフィッシャーが多いように見受けられる。

 

国道まで降りると、キャンプ場とは反対に右折する。駒の湯温泉に行くためだ。スタンプラリーのキャンペーンがあるとかで、スタンプを3つ押して貰えば抽選ができるという。もうすでにキャンプ場で一つ押してもらっている。次は駒の湯で押してもらおうという考えである。

 

駒の湯は役場の隣にあり、スーパーも隣だ。入り口で靴の泥を落としていたら地元のおばあさんが二人出てきた。お互いに気持ちがよかったねと言いあっていた。

 

ちなみに通常600円のところ、キャンプ場で入浴券を400円で買うことができた。

 

中に入り入浴券とスタンプのハガキを差し出す。スタンプは後ひとつ、500円以上の食事か土産を買えばいい。今晩は道の駅で夕食を食べようと考えている。

 

温泉は古く鄙びたところを想像していたが、新しい施設であった。そこはちょっと残念だった。また、外で涼むスペースはあるが露天風呂はない。それも残念。

 

しかし、気持ちのいい湯で外で涼みながらのんびり疲れを癒した。

 

ゆっくり温泉に浸かり、のんびりとキャンプ場に向かう。道の駅はすぐ近くなのでバイクを停めて歩いていくことにした。

 

道の駅の隣にあるレストランに行ってみると閉まっていた。なんと午後5時閉店である。時計はわずかに5時を回っていた。

 

近くの店もことごとく閉まっている。仕方なくテントに戻りアルファ米にレトルトカレーの夕食とした。

 

スタンプラリーもあとひとつスタンプが足りなかった。

 

 

最後に

会津駒ヶ岳はほぼ平らな山頂であった。

それが湿原となっている面白い山である。

その姿はその山に登っていてはよくわからない。

明日は燧ヶ岳。

そこからの会津駒ヶ岳は深田久弥を魅了した。

 

雨も上がり、檜枝岐の夜は暑くも寒くもなく、キャンプにうってつけの夜だった。

 

では、このへんで

 

 

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