河井継之助記念館を出発してすぐに見つけた天然炭酸水の湧水。
ここでのどを潤す。
この少し前、道路沿いの駐車場に入った時に温泉の案内が掲示されているのを見つけた。
その名は大塩温泉。
入浴1回300円。
いいじゃないか。
大塩温泉
大塩天然炭酸場で採取した炭酸水をペットボトルに詰め、すぐ近くにあるという大塩温泉に向かう。
この辺りは、「塩」のつく地名が多いという。先の記念館のガイドさんに聞いてみると、やはり昔は塩が採れたのだという。山塩だ。
河井継之助記念館のある場所は塩川。これから向かう温泉は大塩。大塩の方がたくさん塩が採れたのだろうか。
そんなことを考えているうちに温泉に到着。建物は最近建てられたもののようだ。
駐車場からだとよくわからないが、入り口を入るといきなり急な階段が下に向かっていた。
「えっ、地下?」
しかし、下の階にも日差しが差し込んでいる。
階段下は受付になっていて、ちょっと先輩の男性がウトウトしていた。
下に降りていくと目を覚ましたので、入浴料300円を渡す。
温泉の湯は茶色い濁り湯だった。
綺麗な浴場で温まっていると、外湯があることに気がついた。
扉を開けてみると、ベランダのようなところに幅の狭い浴槽があり、外側には日覆いがかけられていた。
隙間から覗くと下に川が流れている。この温泉はどうやら崖っぷちに建っているようだ。
温泉の湯が濁って下が見えないのでゆっくり入っていく。慎重に入ったつもりだったが、浴槽の中の周りが段になっていてそこですべってしまった。
あっと思う間もなく尻もちをつく。ちょうどその段になったところに座った形だが、右の尻をけっこう打ちつけて痛かった。
しかしまあ汗を流せて気持ちが良かった。
金山町
温泉から上がって外に出るともう12時45分。どこかで昼食を食べよう。そう思って出発。
ところが先へ進んでも店らしき看板は見つからない。
10分くらい走ったところに食堂を見つけたが、駐車場がいっぱいだったので通過した。
1軒見つけたので、またすぐにあるだろうと思ったが、なかなか次が現れない。
ようやく見つけたのがラーメン屋だった。
本当はそばが食べたくて蕎麦屋を探していたのであるが、あまりの店の少なさに、ともかく何か食べなくてはという危機感からバイクを止めた。
店は右側にあり、ほんの少し行きすぎたので一旦止まらなければならなかった。ところが右折のウインカーを出して急に止まったので、ぼくの後ろを走っていた車も一緒に止めてしまった。頭を下げて先に行ってもらう。
もうここ数年、ラーメンは食べないようにしている。だからちょっと躊躇したのだがご飯ものもあるだろうと店に入る。
店の前には車がいっぱい停まっていた。当然、店にもお客さんがたくさん入っていた。こちらは一人なのでカウンター席に座る。時計を見ると午後1時を少し回ったところだった。
店には色紙がたくさん飾られていた。そのどれもがカツカレーミックスラーメンを絶賛する内容だった。メニューを見るとそれが名物と書かれていた。
カツカレーがありご飯があるならご飯のカツカレーがメニューにあっても良さそうだが、なんとそれがない。そばの代わりにカツカレーモードになっていたのでがっかりである。
モードを入れ替えて代わりに注文したのはトップ写真のソースカツ丼。ついてきたスープの量がすごい。もう途中で腹一杯。だが完食。
店内に貼られているポスターなどから、この店があるのは金山町であるということがわかった。このあたりでは一番大きな町のようだ。
店にいる間、たくさんのバイクが通り過ぎた。みなこの道路を走りに来ているように思われる。この国道252号線は只見線や只見川に沿っていて、とても風光明媚なのである。
道の駅 奥会津かねやま
食べすぎて苦しいので、次に現れた道の駅で休憩することにする。
広い駐車場の片隅にある別の建物の近くにバイクが並んでいる。その一番端っこにぼくのスーパーカブを停める。
そこにある建物は、東北電力のPRのための建物らしかった。
入館無料に惹かれて入館する。
館内に入ると、受付の女性が近寄って来て館内の展示などについて簡潔に説明してくれた。この丁寧な対応ぶりは青森の六ヶ所村に行った時のことを思い出させた。
展示は企画展示を含めて大きく3つに分かれていた。
入り口を入ってまず人目を引くのが「千と千尋の神隠し」に登場する油屋の再現模型である。
作者情報はこちら。
この模型の横を通って最初に見たのは白洲次郎の部屋。
白洲次郎が東北電力の初代会長だということをここで初めて知った。
詳しくはこちらで。
只見川と白洲次郎|東北電力奥会津水力館「みお里 MIORI」【公式サイト】
最近までアメリカに対してものが言えるすごい人だと思っていたが、どうも戦後作られたイメージであった公算が高い。
けれど、次郎自身はやはりぶれないプリンシプルを持っていたのではないかという気がした。
続いては只見川にかかわる絵画を見た。バックに東北電力を感じさせるものだが、作者独特の手法を用いていて、なかなか楽しめた。
そして最後に映画やアニメなどに登場する建物の模型コーナーを見る。
作者は、サザエさん家の間取り模型を作ったことをきっかけに次から次へと作ったようで、見たことのある映画やアニメの模型は十分楽しめた。ただ、見ていないものの場合はどうも興味が湧かなかった。
東北電力奥会津水力館みお里を出て只見川を見下ろす。
あの絵画を見た後は、やはり本物が見たくなる。
バイクを停めたところに戻ると、隣に別のスーパーカブが止まっていた。
そのライダーが「どちらからですか」と話しかけてきた。
「神奈川の平塚からです」と答えると、「一日で?」と訊かれたので、那須塩原に一泊して来たことを話す。
そのカブライダーは宇都宮から来たそうで、9時ごろにいい天気なのでもったいないと思って走って来たということだった。これからどうやって帰ろうかと考えているところだそうだ。
こちらは登山のため喜多方に向かっていることを話した。
その後しばらくスーパーカブ談義を楽しむ。
登山口に到着
会津から小高い山に入り、そこを下っていくと田園風景が広がっていた。喜多方市に入った。
さて、そろそろコンビニで今夜と明日の朝の弁当を買い、ガソリンも補給しなくてはと考えながら進む。すると道の先にガソリンスタンドの看板が見えた。近づくとなんとその手前がコンビニだった。
先にガソリンを入れ、次にコンビニで昼に食べたかったざるそば弁当とおにぎりセットを買う。
店から出てくると、軽のワゴン車に乗ったおじさんが話しかけて来た。
「平塚から?」
「途中で泊まって来ましたけど」
「そうだろうね。厚木には今もときどき行ってるよ」
「厚木は平塚のとなりですよ。この車でですか」
「年に何度か仕事の用事があるんだ」
そして、
「オレも昔バイクで東京まで走ったことがあるけど、こんな姿勢で(体を前傾させて)腕が痛くなったよ」
「一気に行ったのですか?」
「ああ、あれで懲りたけどね」
そんなことを話していたが、なかなか終わりそうもなかったので、「それじゃそろそろいきます」といって別れた。
そこから10分くらい街中を走ると道は山に向かって上って行った。それでもまだ道幅は広く、集落もあってこのえ前の恵那山のときのような細くてくねくねした道とは大違いだった。
しばらくすると民家はなくなったが車は余裕ですれ違えるほどで、ところどころに車が止めてある。すると渓流釣りのアングラーが近くを歩いていたりした。
左折して橋を渡るとようやく道が細くなって寂しげになってきた。このまま山の中に入っていくのかと思ったら、突然目の前が開けてそこにたくさんの車が駐車していた。
ここに来るまで同じ方向に行く車は見かけなかったので、飯豊山へ登る人は少ないのだと思っていた。それがどうだろう。すごい人気だったのである。
到着は午後4時半頃。バイクを停めて受付のある建物にいく。管理人は不在だったので、申込書を書いてテント宿泊料の1200円を封筒に入れてポストに入れた。
テントサイトには10張りくらいのテントが張られていた。数人用のテントもあったがほとんどがソロ用だ。その入り口を中心に向けて皆で夕食を食べている集団があった。
ぼくは近すぎず離れすぎずという場所にテントを張った。夕食にはまだ早いし、なにより昼食を食べすぎて腹が減らない。それでしばらくテントの中で横になっていた。
6時頃、腹は減らないが残してはおけないのでざるそばをいただく。それが意外とおいしくて驚いた。
食べたばかりですぐに寝るわけにもいかないので明日の準備などをして8時頃就寝。
発熱。登頂を断念
なんだか寝苦しく、エアーマットの音もいつになく気になる。午前3時、目が覚めたらなんだか体がだるい。それに熱っぽい感じもした。
それでも登山の準備をして着替えをする。そうしながら色々考えた。もし、山の上で動けなくなったら・・・
それでまた横になって様子を見ることにした。次に目覚めると明らかに発熱していた。6時少し前だった。
テントの中が異様に暑く感じる。しばらくすると狭い空間にいるのがいたたまれなくなって来た。テントの入り口はメッシュにしているので酸欠になることはないはずだ。しかし、酸素が欲しい。ただ、あまり激しく息を吸い込んだりしていると過換気症候群になりかねない。そこで大きくゆっくりと深呼吸をしながらテントの外に出た。
炊事場に行って水を飲み、ベンチで休む。
まわりでは朝に車でやって来た登山者が次々と登って行った。そんな中の一人になにかを尋ねられたが覚えてはいない。
もう一度テントで横になる。目覚めると再び酸欠になった気分でパニックになりそうだった。
だいぶ寝た感じがしていたが、時計を見るとまだ10時半だった。このままテントで寝ていては治らないように思えてここを脱出することにする。というか、そんなふうに思うまもなく体が動いてテントを撤収し始めていた。
とりあえず街にでたところでバイクを停めて近くの安いホテルを探す。見つけたのは福島と郡山。郡山なら帰る途中だ。それで郡山のホテルを予約した。
そこから郡山までは約90キロほどある。ふらふらになりながら4時間かけて郡山に着いた。部屋に入るとベッドにバタン。昼飯を食べていなかったので腹が減って目が醒める。お湯を沸かしてアルファー米を食べようとしたが、匂いがきつくて二口ほど食べるのがやっとだった。
再びベッドに横になり、目覚めたら11時。まずい時間オーバーだ。慌ててフロントに電話し、連泊を申し入れる。
このとき、フロントとの会話が噛み合わなかった。後でわかったのだが、てっきり昼の11時だと思っていたが本当は夜中の11時だった。
翌日は少し動けるようになったので、ホテルの朝食を食べ、昼は少し歩いて蕎麦屋に行った。ホテル入口の検温計により、どうにか熱が下がっていることがわかった。ただ、あまり食欲はわかず、夕食はコンピ二のみかんゼリーで済ませた。
翌朝、ふたたびホテルの朝食を食べた。このときなんでも同じような味がすることに気づく。味覚障害だ。甘いものはそうでもないのだが、苦味としょっぱ味を強く感じてしまう。
ホテルでゆっくり2泊したおかげで熱も下がり体もどうにかバイクで移動することができた。台風は東海地方に上陸する見込みで、ちょうど線状降水帯を移動することになる。しかし、激しく降ったのは一時的で思ったよりは降らなかった。
連休最終日の前日は出発前に予約していたさくら市のホテルで1泊する。夕食に食べたそばも味覚障害のため美味しく感じられなかったが、熱いそばにしたのでかなり汗をかいた。
翌朝は雨。しかしその後はたまに降る程度で晴れている時間帯の方が長かった。
最後に
せっかくの6連休はこうして終わった。
発熱後はどうやって帰るかということに集中した。ともかく山の上で具合が悪くならなかったことは幸いだった。
それに登山口に着くまでの旅を楽しめたことはよかった。
今回の旅で走った距離は850キロ。総走行距離は1万5千キロを超えた。
こうして6連休の最終日に帰宅したわけであるが、結局その週は仕事を休んだので11連休とあいなった。この間ほとんど寝ていたわけであるが。
そのため筋肉はふにゃふにゃとなり体重は5キロ落ちた。
その後も微熱は2週間続き、仕事を早退する日もあった。
味覚障害は微熱が治った頃にほぼ治った。
なお、味覚が敏感になったのと同時に嗅覚も敏感になっていてニオイのきついものは食べられなかった。
今は体重をふやすためにいつも以上に食べているが、まだ2キロしか戻っていない。階段を登ると息切れがするという情けない状態だ。
なんとか早く回復して百名山にふたたび挑戦したい。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
では、このへんで
追記
ブックマークにしんちゃさんからコメントをいただきました。ありがとうございます。
しんちゃさんも同じタイミングでコロナ発症だったのですね。症状はどうでしたか?
ところで今回のコロナ、自然発生ではないことがほぼ判明しています。変異の仕方も連続性がないそうです。隠し撮りによるF社幹部の話では、「変異してからでは間に合わない」とも語っていました。薬も必ず副作用があります。気をつけながら飲むことといたしましょう。
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