Hakuto-日記

定年後を楽しく、生きたい人生を生きる!

酸ヶ湯千人風呂に入る 【八甲田その1】

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八甲田毛無岱(プリントをデジカメで複写)

 

好きなことは登山にキャンプ、温泉、それに写真撮影。

これをまとめてやってしまおうと、85年秋、八甲田山に行くことにした。

写真学校では2年になり、風景写真のゼミに参加するようになっていた。

 

当初予定されていたゼミの講師がご高齢のために亡くなられ、ピンチヒッターとして登場したのはその講師の弟子で、その時まだ30代半ばの現役ばりばりの写真家だった。

 

その先生は、主に写真エージェンシーという写真貸出業務を行うところに写真を預けて、その売り上げだけで十分に家族が養えるだけの収入を得られるほど、売れる写真を撮っていた。

 

その先生を見ているだけでこちらも楽しくなるような、そんなエネルギーを発散させていた。

 

そのエネルギーを分けてもらった感じで夏には北海道バイクツーリングにでかけ(その先生もバイクに乗っていた)、その20日後に今度は青森に向かったわけである。

challe.info

 

八甲田山に登る

バイクの旅も楽しいが列車の旅も捨てがたい。とくに夜行列車は格別だ。

 

北海道バイクツーリングの熱もまださめやらぬ10月9日、上野発21時14分の急行八甲田に乗り青森に向かう。

 

今回の目的は八甲田山に登ること、写真を撮ること、酸ヶ湯千人風呂に入ることなどと盛りだくさんで、宿泊費を浮かすために夜行列車を使い、テントを持って来ている。こうした荷物とこれからの旅の期待にザックの中はぎゅうぎゅう詰めになっている。


車内の様子はこちらのブログが参考になります。

急行・八甲田の思い出 | 懐古趣味で何が悪い!

 

翌朝9時8分、青森駅に着く。ここで9時30分発の国鉄バス(民営化は87年)に乗り換えだ。

 

バスは賑やかな街を抜け、しだいに家がまばらになりやがて森に入って行く。それから右に左にカーブしながらかなりの坂道を登っていった。

 

しかし、夜行で横になれなかったこともあり、バスに酔ってもう限界・・・というころで酸ヶ湯に到着した。11時だった。つまり1時間半バスに揺られていたのである。

 

バスを降りて吸った新鮮な空気がとてもおいしかった。こうしてしばらく休んでいると、どうも見覚えのあるきったない格好をした人がいた。声をかけてみたらやはりそうだ。この夏北海道で出会った人だった。カムイワッカの滝で突然上から現れ、知床五湖でも出会ったライダーだった。

 

話を聞くと、これから九州までバイクで走る予定で、それから仕事を見つけるつもりだということであった。この人と出会ったすぐあとに塘路湖で声をかけてくれた自転車の人も、もう1ヶ月旅を続けていると言っていたことを思い出す。

 

その頃は、長期に仕事を休むことはイケないこと、悪いことと多くの人が考えていて、有給休暇を使わないことが美徳とされた風潮があった。そのため自分も気兼ねをして休みを取っていた。

 

そうした世の中とは全く違う世界に生きている人もいるんだなとうらやましく思う。

「じゃ、気をつけて。縁があったらまた会いましょう」といって別れた。

 

そこから歩いて近くのキャンプ場に向かう。背負っているカメラ機材とテントはさすがに重かった。

 

キャンプ場は素晴らしい環境でさらに紅葉が見事だった。テントを張り、必要な荷物をデイパックに入れる。さあ、これから八甲田山に登るぞ。

 

みな、八甲田山と言っているが、じつは八甲田山という山はなく、複数の火山の総称である。今回登るのは主峰の大岳(八甲田大岳)で標高1,585mの山である。

 

山の天気は変わりやすい。酸ヶ湯の登山口まで来ると、午前中までは晴れていたのに山頂にガスがかかり出した。

 

それでも快適な登山だった。途中途中展望を楽しみながら登って行き、午後2時45分に登頂した。

https://www.env.go.jp/park/guide/towada/recommend/assets_c/2017/01/T08-thumb-848xauto-91130.png

環境省_国立公園へ出かけよう!_十和田・奥入瀬・八甲田_おすすめコース_八甲田大岳コースより

 

大岳山頂を通り過ぎ、避難小屋の分かれ道を左に進んで行くと、突然湿地帯があらわれる。そこは毛無岱湿原といい、とても大きな湿原だ。その一帯すべてが黄金色に輝き感動的な光景だった。

 

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八甲田毛無岱(プリントをデジカメで複写)

 

酸ヶ湯千人風呂

酸ヶ湯に下りて来たのは午後4時だった。テントで荷物を入れ替え、酸ヶ湯温泉に向かう。


酸ヶ湯温泉は1684年に発見され、1954(昭和29)年に国民保養温泉地第1号の指定を受けたという温泉で、昔は観光客よりも湯治客が多かった。だから自炊場があり長期滞在することができる。

 

そしてこの酸ヶ湯温泉で有名なのが大浴場の千人風呂である。当時だけでなく、なんと今も混浴が守られているという。

 

温泉に入る前の腹ごしらえで名物の雲谷(もや)そばを食べた。残念ながら味は忘れてしまったが、どんな蕎麦だったのか。

雲谷そばを紹介しているサイトには次のように書かれていた。

 雲谷そばは青森市の雲谷地区から酸ヶ湯地区にかけての区域で昔から食されているご当地蕎麦。地元で収穫される雲谷蕎麦の身の芯の部分のみを使ってつくられるそば粉100%の蕎麦。身の芯の部分のみを使用している為、蕎麦の色は白く食感は一般の蕎麦に比べさっぱりしています。また蕎麦の香りは一般の蕎麦とは比べものにならないほど良い。蕎麦通の方は一度食べてみる価値はあるおすすめの蕎麦です。

んー。思い出せない。


さて、いよいよ千人風呂である。


ちょっぴり期待(なにを?)しながら入ってみると、聞いてはいたが想像以上に広くて驚いた。けれど薄暗くさらに湯気で中がよく見えない。メガネも外しているのでなおさらだ。だだっ広いプールのような浴槽の端にちょこんと首だけ出す。

 

滝湯があり、大きな浴槽がもう一つ向こうにあった。けれどどうも落ち着かず向こうの浴槽には入らなかった。

 

 sukayu.jp

 

 

www.youtube.com

 

「ああ、やはり男だけだったな」と思って上がるときに歩いている人の前を見たら、なんととても体格のいいおばあさんだった。あらためて後ろ姿をみると男性に見えた。

 

今回のまとめ

今回の旅は急行八甲田に揺られての旅だった。

この列車は利用客が多く、93年まで運行されていたようだ。

寝台ではなく座席なので寝台料金がかからず割安で青森まで行くことができた。

 

座っているためか乗客も遅くまで起きている人が多かったように思う。だから体は疲れるわけだ。それなのに乗っている客にはお年寄りも少なからずいた。昔のお年寄りは矍鑠(かくしゃく)としている人が多かったように思う。

 

青森の酸ヶ湯温泉にいたのもお年寄りばかり。

多くのお年寄りが農業や漁業、そして林業などの力仕事をしていた。そのことが元気の源だったのであろう。

 

では、このへんで

 

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