10月8日、高塚小屋には男性4人女性3人が宿泊した。
問題は明日バスが走るかということと川が増水して通れなくならないかということ。
みな翌朝が早いためか午後7時には灯りを消して静かになった。
ところが深夜に雷がなり出す。
出発まで
夜中の12時過ぎから雨の音が激しくなり雷まで鳴り出した。それが4時頃まで続く。雷が光ってから音がするまでを数えてみた。大丈夫、だんだん遠くなっている。雨の音もしだいに小さくなって来た。
小屋の中が動き出したのは午前4時。まだ真っ暗だ。下の二人は朝早く出ると言っていた。きっとその二人から出発するのだろう、そう思っていた。ところが一番に出発したのは宗像市の男性だった。4時を少し回った頃だ。なぜか連れの女の子を残して一人で出ていってしまった。
4時半、次に出ていったのは下の(たぶん)夫婦。この二人が出ていってからぼくも寝袋から抜け出す。
ぼくは朝食を食べてから行動することにしているので、食事をつくるのに必要なものを持って下に降り、まずはトイレに行ってから食事の支度をした。必要なものはあらかじめ昨夜のうちに準備して置いた。
食事の支度をしながら水戸の女性と話をする。彼女はもうすぐにでも出発できるように準備を整えていた。昨日話をしていて、今日は白谷雲水峡に下山する予定だと言うことだった。
「雨が小降りになったので、バスは走っていそうですね。あとは増水して通行できなくなっていなければいいのだけど」
ぼくがそう言うと、
「地元の人が、雨が止めばすぐに水は減るということでした」
「それなら大丈夫そうですね。それじゃこちらも予定通りそっちから下ることにします」
そんなことを話しながら女性は靴を履いている。
「歩くのが遅いので出発します」
「これからだとちょうどいいバスは1時45分のなので、たぶんまた会いますね。では気をつけて」
この女性は5時に出発していった。
30分ほどたってあと片付けをしているところに出ていったのは福岡の女の子。すっと黙って出ていった。少しして、向こうのほうからこちらに声をかけて来た。
「縄文杉にいくのはどっちの道ですか?」
どうやら少し歩いて不安になって戻って来たようだ。
「その道で合ってますよ」
「通れますか」
「大丈夫、通れます」
そして向こうへ歩いていった。
5時45分、続いて横浜の青年が出ていく。この青年も白谷雲水峡に下る予定だと言う。
「同じバスに乗る予定ですね。わたしは明るくなってから出掛けます。気をつけて」
青年は、それじゃと言ってヘッドランプをつけて出ていった。
全員を見送ってから2階にあがって荷造りする。といっても鍋を入れるだけなのですぐに終わる。それから下に降りてトイレに行ってから濡れた靴下を履き、レインウェアを着る。そしてさらに濡れた靴。濡れているので履くのに時間がかかった。
こうして6時10分、外が、ヘッドランプがいならいくらいの明るさになってから高塚小屋を後にした。
大株歩道をいく
昨日水戸の女性から、北展望デッキから縄文杉を見ると南側から見るよりも迫力があると言うことを聞いていた。一昨日は南側からしか見ていなかったので、北の方に登って見た。
なるほど、確かにこちら側からの方が貫禄があるし、迫力がある。この木が縄文時代に芽を出したのかと思うと、時間を超えた何か特別な命というものを感じざるを得ない。
この北展望デッキは南より、より高い場所にあって登り用の階段と下り用とが別になっていた。しかもどちらも急だった。縄文杉に別れの挨拶をしてから、雨に濡れた階段を慎重に下っていった。
だあれもいない朝靄がただよう静かな森をただ一人歩いていると、自分の意識がこの森の精と一体になったように感じられて不思議な感覚に包まれた。
あちらこちらに透明な小さな沢の水が流れ、足元を通り過ぎていく。これが人が見ていない普段の森の姿なのだ。森は雨によって生気を得て命が輝き出すのである。そんな俗世から遠く離れた世界を歩いていく。
すると、道を曲がった先の下の方に突然人の姿が見えた。
「おやっ」
そこに見えたのは下着姿の女性の背中だった。そしてその女性が何かを叫んだ。
慌てて後ろに下り、視線を外す。
理解したのは福岡の女の子がここで着替えをしていたということである。
「すいませーん。もう大丈夫です」
そう言われてそちらを見ると、その先に横浜の青年が向こうを向いて立っていた。
おそらくこの手前で青年が追いついたのだろう。そして青年に向こうを向いていてと言って着替えを始めたのだろうと推測できた。それにしても大胆な行為だなあと、半ば感心し半ば呆れる。考えようによっては青年を誘惑しているとも捉えられてしまう。
ああ、こんなことをされてはおそらく青年の心はざわついていることだろう。
ともかく、ふたりの邪魔をしないように追い越して行った。そのときその女の子は「すみません。着替えをしてました」と陽気な声で言いわけをした。
先に進むとすぐに夫婦杉があり、続いて大王杉をゆっくり眺めてから進んで行くと、再び先行者が見えた。
大きな荷物を担いでいたので宗像市の男性かと思ったら、それは水戸の女性だった。追いついてから声をかけ、後ろについて歩いていく。
するとすぐにウィルソン株のある場所に出た。7時20分だった。
一昨日ここを通った時は、人がいっぱいで写真を撮るのに順番待ちをしていた。今日はわれわれ二人だけである。
この株の前で写真を撮ってあげて、それから株の中に入って見た。もうすでに中は空洞で幹の外側が残っているだけだった。
水戸の女性がハートが撮れるというアングルを探していたので、ぼくもいっしょに探した。そしてそれらしい場所を見つけたので教えてあげた。そこで数枚ハートの写真を撮った。
そこへ若者たちがやって来た。こちらは十分に堪能したので先に出発した。このとき7時40分だったので20分ほど滞在していたことになる。
もうどうせ同じバスに乗ることになるのだからということで、こちらも二人で歩いていくことにする。ぼくは一度歩いているのでこれから歩くトロッコ道について説明をした。彼女が気になっていたのは、ストックをどうするかということだった。
ぼくは、ストックがあるとかえって歩きづらかったという感想を述べ、使うなら1本の方がいいとアドバイスした。ぼくはもともと1本しか持って行かなかったが、この先の帰りのトロッコ道ではストックは使わなかった。
8時、大株歩道入口に到着。ここからはトロッコ道のためほぼ平坦である。途中、思い思いに写真を撮り、マイペースで歩いていく。歩行速度はそれほど遅くはない。
歩きながら色々と話をした。仕事のことや旅のこと、学生時代の研究の話などを聞いた。学生時代に山には行っていたが、それは研究のためで登山目的ではなかった。本格的に登山をすることにしたのは今年からであること。歩くのが遅く長い時間がかかるので、今回初めて暗いうちから歩き始めたのだそうだ。
雨はいつの間にか上がっていた。
トロッコ道を歩いている時に若い二人が追いついて来た。そのまま後ろについて歩いている。一度写真を撮って休憩したときに聞いてみたが、後ろをいくとのことだった。
三代杉の先にトイレがあった。水戸の女性が立ち寄る。ここで若者たちは先へ進んで行った。
楠川歩道から白谷雲水峡
9時25分、そこからわずか先の楠川分れに到着。ここまでは標準タイムに比べてそれほど遅くない。ここから白谷雲水峡に向かう。雲水峡は峠の向こう側なので一山越えることになる。まずは峠のさらに上にある太鼓岩を目指す。
この峠道に入ると、これまでみた景色とは少し違っていた。緑がさらに濃いのだ。
木の幹に生えた苔は、これまでよりもずっと上の方まで付いている。切り株も多く、そこにはびっしり苔が生えていた。
木の幹ばかりではない。大きな岩が木の根に支えられ、その岩にも苔が生えていた。
前を行く女性は、登りになるとあきらかに速度が落ちていた。登りが弱いらしい。
だが、バスは1時45分だからたっぷり時間はある。楠川分れから通常では3時間のコースである。とすると通常の速度では12時半頃には到着する。プラス1時間あれば余裕だろう。
辻峠に着くと、白谷雲水峡からきた大勢の人たちがいた。本格的な登山の格好をした人はほぼおらず、ほとんどがハイキングに出かけるときのような格好だった。
ここにこれだけ人がいるということは、白谷雲水峡までバスは通っているし、増水による通行止めもないということなので安心した。
峠にはベンチがいくつか置かれていてたくさんのザックが置いてあった。さっき先に行った若者らのザックも並べて置いてあるのを見つけた。こちらもその近くにザックを置いて太鼓岩まで登っていった。
太鼓岩まではきつい坂でけっこう大変だった。残念ながら岩の上に登っても見えるのはすぐ下の森ばかりで遠くの景色は拝めなかった。
太鼓岩は登りと下りとが別ルートになっていて、下の方が時間がかかる。そこに変わった形の杉が立っていた。そこには名前がついていて、島の一般のひとが名付け親になっていた。公募でもしたのだろうか。名前があるとなぜか人は親しみを持って眺めることができる。
ふたたび辻峠に戻るとすでに12時を回っていた。若者らのザックはなくなっている。
連れとなった女性がそろそろ時間が気になりはじめたようだ。どこにも寄らずまっすぐ下れば白谷山荘から1時間であると地図を見ながら説明する。
下り始めると再び雨が降り出した。二人とも傘を出して差していった。
白谷山荘に着くともうすぐ12時半になろうとしているところだった。このペースではバスに間に合わない。すると彼女はそこからものすごいペースで下り出した。こちらも追いついていくのが大変なくらいだった。
どんどん先行者を追い抜いていく。歩くのが遅いなんてとんでもない。白谷川にかかるさつき橋という吊り橋まで約30分で下りて来た。このペースならあと15分ほどでバス停に着くだろう。
そこで少し余裕ができたので弥生杉まで足を伸ばすことになった。その分かれ道にいくと、いきなり見上げるような階段を見て嘆いていた。どうやったら楽に登れるかと訊かれたので、自分の経験では二軸歩行で重心を左右に乗せながら歩くと疲れにくいという話をした。実際にやってみて、確かに少し楽かもという感想だった。
その後も何度か登り階段があって、その度に嘆いていたが足は止めなかった。
弥生杉に到着したのは1時15分だった。バスの発車まであと30分ある。
そして午後1時30分、無事に白谷雲水峡バス停に到着した。
雨は本降りになっていたが、緑の森を歩き通した充実感があった。水戸の女性もあれだけ早く歩けることに自分でも驚いたと話していた。そして最後に1本残していたタバコを待合所の屋根の下に吸いにいった(このあとそこでタバコを吸わないようにとバス会社のひとに注意されていた)。
バスの窓口のある建物の軒下に行くと、若い二人がベンチに座っていた。
「だいぶ早く着いたでしょう」
ふたりに話しかけると、そうでもないですよという返事だった。
間もなくバスがやって来た。我々4人は固まって席に着く。外は雨に烟っていた。やがてバスが下に降りていくと、しだいに雨は上がり明るくなって来た。やはり山の天気なのである。
そして最初に青年がバスを降りた。車窓からさようならと手を振った。彼も手を振りかえした。
つづいて降りたのはぼくである。
まだ先だと思っていたので慌てて女性二人に挨拶をして急いで降りていった。
最後に
宮之浦バス停で降りて、近くの釣具店にいく。そこで今夜の宿の受付を行い、少し離れた民宿まで車で送ってもらう。
宿に入るとまずはシャワーを浴びた。本当は近くの温泉に行こうと思っていたが、バスに乗っていくのが面倒なのでシャワーで間に合わせることにした。
ついでに洗濯機があったので洗濯もした。
そして大事なことを思い出す。職場のお土産を買わなくちゃ。
宿のサンダルを履いて土産物店まで歩いていく。ふたたび小雨が降っていたので傘を差して出かける。これが案外遠かった。
当初予定していたお土産が見当たらず、またちょうど良い数のものがなかったのでしばらく考えてしまう。色々工夫してやっとレジにいく。するとそこに水戸の女性がタクシーに乗ってやって来た。なんだかさっぱりとした顔をしている。聞けば温泉まで行きたいと言ったら宿の人が送ってくれたのだという。そしてお土産を買うためにタクシーも手配してくれたというのである。
女性だからなのか、それとも人柄なのか、羨ましい限りである。
宿に戻ると上り框の上にシューズドライヤーが二台置いてあるのに気がついた。それだけ雨が多い土地だということだろう。料金は100円だか200円だか忘れてしまったが、おかげで翌朝には乾いていてとてもありがたかった。
その夜、ひとりで居酒屋に飲みにいく。そこは愛想のいいおかみさんと母親らしい調理場の二人で切り盛りしていた。
マグロ、あかはら、秋太郎の3種盛りというお造りを頼む。あかはらはカンパチ、秋太郎はバショウカジキ。値段は1800円ということで、一人で食べるにはちょっと奮発したが、量はかなりあった。
それに屋久島といえば飛魚(らしい)。飛魚のさつま揚げは草履サイズ。そして地酒の焼酎をたらふくいただいた。
調子に乗って飲みすぎて、危うく二日酔いになるところだった。おかげで朝食を食べにいく時間がなくなり、慌ててバス停に向かうことになった。
バス停に行くと、スーツケースを持った登山者風の中年女性がバスを待っていた。おとといは、屋久杉自然館についてからバスが運休であることがわかり、縄文杉ツアーが中止になったとのこと。昨日は白谷雲水峡にいって来たとのこと。
そして今日はこれから屋久杉ランドに行ってくるということだった。
空港でバスを降りるとき、「楽しんできてください」と言って別れた。とにかく今回の旅行の最終日がいちばん良いお天気に恵まれたのである。
まあ、それもよし。
では、このへんで
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