(釧路湿原 プリントをデジカメで複写)
北海道4日目、カムイワッカ湯の滝でたっぷりと青空を眺めて湯に浸かり、自然と一体になる。
さて、明日は釧路からフェリーに乗るためできるだけ近づいておきたいところだ。
でも、知床には知床五湖や乙女の涙など見ておきたいところがある。
そんな急ぐ気持ちがあったせいもあるのだろうか、このあと危ない目に逢う。
今回はカムイワッカ湯の滝から降りてきたところから始まります。
危機一髪
バイクに戻り、とりあえずウトロを目指して走り出した。自分としてはかなり頑張って走っていたつもりなのだが、途中でオフロードバイクに追い抜かされた。
「はえ~」
メラメラと瞳の中に炎が燃えだした。スロットルを開けてスピードをだす。けれどちっとも追いつかない。それどころがどんどん引き離されていく。
しばらく直進が続いたあと道は右にカーブしていた。するとそこに対向車があらわれる。車を避けて寄った道の端には砂利が溜まっている。
「まずい、曲がれない」
見ればちょうど先の部分の森が切れて広場になっている。無理に曲がればコケると判断し、直進して広場に突っ込んだ。するとその先に30センチ位の丸太が横倒しになっている。エエイっとばかりアクセルを開け、体を後ろに引く。
ウィリーなどのテクニックは持ち合わせていないが、なんとか無事に丸太を乗り越えられた。アドレナリンが全開だ。しばらく息を整えた。
少し落ち着いてから、そのまま直撃した後輪を点検する。どうやら異常はないようだ。ホッとする。危なかった。実力以上に無理はしてはいけないとつくづく思った。そして砂湯で出会ったライダーのバイクのように、ホイールが曲がらなくて良かったと思った。
それに丸太がほぼ垂直方向に倒れていてよかったと思う。もし斜めだったらこんなにうまくはいかなかっただろう。
そのあと知床五湖に立ち寄って少し歩いた。つぎに「乙女の涙」と呼ばれるフレペの滝を見に行った。
知床五湖では、さっきカムイワッカの滝で出会った日焼けのライダーがいた。少し話をして別れたが親しみやすい感じの人だった。
(プユニ岬 プリントをデジカメで複写)
実はこのツーリングを終えた一ヶ月後に夜行列車で八甲田に出かけたとき、なんとそこでもこの日焼けライダーに出会っている。
このときは色々と話をした。見かけによらず(それは関係がないが)渋谷の画廊にいて、これからなにか新しい仕事を始めようかとバイクの旅をしながら考えているところだということだった。これからの旅の予定を聞くと、とりあえず、ゆっくり九州まで旅を続けようと思っていると言っていた。
ウトロに着くとイカの刺し身を食べ、三角岩の港を散策した。
さて、これから釧路手前にある塘路湖まで走るのだ。気を引き締める。
たしか、フェリーの出航時刻は午後の2時過ぎだったと思う。つまり、明日の今頃は帰りのフェリーの中にいなければならない。
塘路湖まで最短ルートをとることにして、ウトロから再び斜里までの道を引き返し、屈斜路湖と摩周湖の間を抜けていく。
摩周湖入り口では、前日走った冥界へ向かうような未明の道が思い起こされる。それと確かこの辺りでライダーハウスの看板を見かけたように思う。
このとき、まだライダーハウスには泊まったことがなかったが、途中で出会ったライダー達からライダーハウスのことは聞いていた。しかし当時は、大勢の人たちと雑魚寝することに抵抗があって泊まるのを避けていた。
現在は自転車旅でライダーハウスやゲストハウスを利用して抵抗はなくなっている。しかし歳をとったせいでいびきをかくので周りの人に申し訳ない気持ちがある。実際、他の人のいびきで眠れないこともあった。
まあ、お互い様なので防御策はやはり「耳栓」を使うことだろう。ゲストハウスによっては無料でくれるところもあった。
この辺りから塘路湖までの道の記憶は全く残っていない。急いで走っていて、余裕がなかったためだろう。
そのうち天気があやしくなり、ついに夕方から雨が降り出した。
塘路湖のキャンプ場についたのは、もうすっかり日も暮れて暗くなってからだった。雨は強くなっていた。キャンプ場に入っていく道で、雨の中を誰かが大きく手を降っているのがライトに照らし出された。
ゆっくり近づいていくと、「ここでキャンプするの?」と問われた。
「はい、そうです」と答えながら、「ああ、キャンプ場の管理人だな」と思った。てっきり料金を請求されるのかと思ったら、
「雨の中テントを張るのはたいへんでしょ。こっちへおいでよ、倉庫があるからその中にテントを張ればいいよ。おれも張ってるから」そう言って走って先導してくれる。
行ってみると大きな倉庫で、テントを4張りくらい張れそうだ。
その人は30代半ばくらいの男性で、もうひと月も自転車で旅をしているということだった。
その頃は自転車の旅なんて全く興味がなかったので、あまり深くは尋ねなかった。それに一ヶ月も旅を続けるなんて、全く理解できなかった。今思えば、きっといい話がたくさん聞けたのではないかと思う。
釧路湿原
(釧路湿原 プリントをデジカメで複写)
翌朝は曇ってはいたが雨は上がっていた。自転車の人に挨拶をして出発しようとしたら、茹でたとうもろこしをくれた。とても親切な人だった。
最終日は、前に北海道を旅行した写真学校の友人から聞いていた、釧路湿原がよく見渡せるという岩保木山に登った。それほど高い山ではなかったのでバイクで登ることができた。
登り口がわかりにくく、何度か行ったり来たりしてようやく麓にたどり着く。登り始めると、水の流れた跡が溝になっていて荒れた道だった。足を着きつつどうにか登る。オフロードで良かったと思う。
山の上は広くてススキか何かの草の群が点在してどこも同じように見えた。その間を縫うようにバイクのタイヤ跡が無数についている。
釧路湿原の眺めは素晴らしく、遠くまでよく見通せた。
けれど問題は帰り道だ。どこから登ってきたのか、もうわからなくなっていた。そうして自分もタイヤ跡を無数につけながら降りる道を探すことになる。
おそらく来た道とは違うと思われるが、どうにかこうにか下に降りることができたときには、やったぜという気持ちだった。
さて、あとは釧路港のフェリー乗り場に向かうだけだ。
フェリーに乗った時間の記録はないが、たぶん午後2時頃の出航だったろうと思う。東京港の到着は翌日の夜。30時間ちょっとの旅である。
翌日の昼、塘路湖でチャリダーにもらったとうもろこしを食べようとバッグから出したところ、すでに腐ってしまっていた。このときの、せっかく頂いた好意を無駄にしてしまったことがいまだに悔やまれてならない。
まとめ
以上で2度目の北海道バイクツーリングの旅はおわりである。
今回の全走行距離は1,023キロ。雨は4日目の夕方に降られただけだった。1回目の時のように寒さに震えることはなかった。
ツーリグングとしてはとてもいい気候で爽快だった。ただ、写真に収めるには中途半場な時期でもあった。
2度目はメモが少なかったため、断片的な記憶しか残っていないのだが、それでも36年間もよく覚えていたものだと思う。
こうやって昔の旅を振り返ってみると、やはり人との出会いというものが一番多く心に残るものなのだということを感じている。
いや、出会いの場面がその風景と共に深く心に刻まれると言ったほうがいいだろう。つまりは、こうしたことが旅の醍醐味であると思うのだ。
なお、北海道バイクツーリングは2度目で終わっている。歳に負けずにこのあとも度重ねていくことを目標にしたいと思っている。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、このへんで
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