前回、北海道をバイクで旅したいと思い立ち、バイク免許を取った話をしました。
そしてフェリーに乗って苫小牧に到着するところまででした。
今回はその続きで、37年前に初めて降り立った北海道を免許取り立てで走った話です。
初めての北海道ツーリングの概要
ここで、旅の概要について簡単にお話しします。
出発は昭和59(1984)年8月17日金曜日、東京ー苫小牧のフェリーに乗りました。
前回、出発時間を23:00、到着時間を翌々日の朝6:00だったと思うと書きましたが、当時のメモが出て来たのでここで訂正しておきます。正しくは、23:30発でした。到着予定時刻はわかりませんでした。
つまり、8/17の夜に乗船し、8/19の朝に到着したわけです。
ちなみに利用したフェリー会社は日本沿海フェリーで、当時の運賃は2等で9,200円、オートバイは特殊手荷物で6,600円でした。
帰りは、同じく苫小牧港を8/24(金)の朝8:40発、東京フェリーターミナルには翌日8/25(土)の19:00に到着しました。
したがって北海道の滞在は、8/19の朝から8/24の朝までということになり、5日間北海道の夜を過ごしたことになります。
1泊目は苫前、2泊目は浜頓別、3泊目は旭川、4泊目はトムラウシ温泉、5泊目は新冠でした。
北海道1日目の感動と心細さ
朝はご来光を見るために早くから起きていました。そして6:00頃、苫小牧の街が遠くに見えました。船首に行き港が近づく様子を見て、「とうとう北海道にキター」という感慨が溢れてきます。けれど、ずっと感慨に浸ってばかり入られません。バイクを格納している甲板で待機するために階段を降りていきます。
7時45分、いよいよ北海道へ降り立ちます。「やったー Hokkaidoダ!」と当時のメモにありました。かなり興奮していたことがわかります。
ここで、フェリーで知り合った山本さんと別れました。とりあえず札幌方面に向かって走り出します。
途中、月寒のセブンイレブンでサンドイッチを買い、月寒公園で食べました。そばにいた子供達と遊んでいたら、19、20日の分の地図がどこかにいってしまいました。
札幌へ向かう途中では、フェリーでよく眠れなかったせいもあるかも知れませんが、よそ見をしていて前の車にぶつかりそうになったり、サイドスタンドを上げるのを忘れて、カーブで曲がれずに対向車とお見合いしそうになったり、「ヒヤッ」とすることが二度もありました。こらからは気を引き締めていこうと思いました。
札幌を抜けて今回の目的の一つ、小樽運河を見に行きます。
小樽では小樽博覧会というのを開催していましたが、表で写真を撮るだけにしました。
(ネガをアプリで変換)
当時、小樽運河を埋め立てることが決まって工事が始まっていました。埋め立てられたらもう見られなくなると思って行ったわけです。
小樽運河は、艀(はしけ)を使って倉庫までにを運ぶために作られ、完成は1923年(大正12年)ということです。ところが、戦後に埠頭が建設されたことからその使命を終え、1966年(昭和41年)に小樽運河の埋め立てと倉庫の解体を含む都市計画が発表されます。
1973年(昭和48年)、市民団体の「小樽運河を守る会」が生まれて以後10年以上に渡って反対運動が起こります。
そして、最終的に私が行った数年後に小樽運河を半分残すということになったそうです(参考:Wikipedia)
こうした市民の方々の運動により保存され、現在のような観光資源となっているのです。
ただ、個人的には観光地として整備され過ぎているようにも感じます。当時私が見たときは、時代から取り残されたうら寂しい雰囲気が漂っていました(なぜか写真が見当たりません)。
続いて小樽一帯が見下ろせる潮見台公園という小高い丘に登ります(トップの写真。ネガしか見つからず、アプリでネガ変換)。
やはり港が見下ろせるってつくづくいい眺めだと思います。
高い建物がないこともポイントです。
じつはフェリーを降りて別れた山本さんも小樽に行くと行っていたのですが、残念ながら会うことはできませんでした。
山本さんというのは、旭川にある大学の学生で、確か北海道教育大学だったと思います。東京にバイクで遊びにきていて帰るところだということでした。北海道ではバイクに乗れる期間が短いと言っていました。
「冬の間バイクはどうやって保管するの?」と聞いたら、
「ちゃんと預かってくれる自転車屋があってそこに預けるんだよ」
北海道に向かうフェリーといえば、自分のように遊びに行く人ばかりだと思っていたら、「帰る人もいるんだー」ということに気づいて驚きました。
山本さんは、小樽から北の海岸沿いの景色がいいといって、そこを通って帰ると言っていました。そこには海水浴場もあるということで、ふたたび驚きました。
「北海道でも泳げるんだ」。北海道は寒くて海水浴などできないと思っていたからです。旭川からだと、日本海に抜けて海水浴をすると言っていたと思います。
小樽で少しのんびりし過ぎました。
急いで日本海沿いを北上し、今日のキャンプ地を探します。
雄冬峠を越えたのが午後2時、留萌は4時過ぎに通過しました。
そうして5時半頃、苫前で「グリーンヒルキャンプ場」という看板が目に入りました。
行ってみると本当に丘の上、海側から見れば崖の上にあります。そして芝だったかどうかは覚えていませんが、緑の大地といった感じで広大な真っ平らのキャンプ場でした。
テントは海の近くの崖っぷちに張りました。そのとき他のキャンパーは見えませんでした。
まだ明るさが残っているうちにバイクの点検をします。眺めて見て異常はないか、緩んだネジはないか。そしてチェーンに給油です。
夜になって遠くにぼんやりと他のキャンパーの明かりが見えましたが、まわりには誰もおらず自分一人。そしてあたりは闇。空にはこぼれそうなくらいの星が見え、なんだかとても心細くなりました。
なお、このグリーンヒルキャンプ場はもうかなり前に閉鎖されているようで残念です。
ツーリングの装備など
1日目の走行距離は336.7kmでした。基本バイクの整備は毎日走行後に行うことにしていました。チェーンへの給油もです。
今ほどガソリンスタンドがなかったので、こまめにガソリンを給油。1日2回程度はガソリンを入れていました。さらに予備のタンク(お金がなかったのでポリタンク。危ないね)にもガソリンを入れていました。
バイク用工具の他には、予備のブレーキレバーとブレーキワイヤー、予備のチューブ、そして針金を準備していきました。
針金は、クラッチレバーが折れた時に留めるためです。短くなるけど使えると本に書いてありました(書いてあったと思います)。
バイクの後ろに積んだのは、登山用のザックにテントやシュラフ、シュラフカバー、コッヘルなど。マディソンスクウェアーガーデンのバッグ(昔流行ったやつ)に空気入れ、工具等、ラジオ、チェーンオイル、予備のゴーグル、ガソリン予備タンクなどなど。
ウエストバッグにカメラ、フィルム、コンパス、財布、免許証、保険証、切符、地図など。
そして、小さなザックを背負ってその中に着替えや洗面道具などを入れていました。
背中にザックを背負って後ろの荷物の上に乗せるのは、「さすらいの野宿ライダー」寺崎勉さんのまねです。
食事はあまり面倒なことはしなかったので何を食べたのか覚えていません。
その日の分を調達して食べていたので食料を運ぶことはしませんでした。
(この写真は千葉のツーリングの時)
今回のまとめ
周りに人がいないキャンプって初めてだったので、それがとても心細く感じました。
持って行った灯りはヘッドライトとローソクのランタンのみ。
そして「空も大地もでっかいぞ北海道」を全身で感じました。
バイクの毎日の点検方法は『さすらいの野宿ライダーになる本』から学びました。
この日はやっていませんが、真似して手持ちの噴射式の洗車機による洗車もこのあとやっています。
今と違ってナビがない中、それでも走ることはできました。
それに情報が少なくて行ってみるまでわからないこともありました。
けれど、綿密な計画を立てていたわけではないので全然気になりませんでした。
若さゆえの前向きさがあったのでしょう。なんとかなるものです。
では、このへんで(次回につづく)
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