(ネガをアプリで反転。場所は天塩あたりと思われる)
北海道2日目、いよいよ今日はダートを走る。
サロベツ原野を抜ける日本海オロロンライン。
1984年当時、天塩から稚内までの約70キロのほとんどがダートだったのではないだろうか。
オフロードバイクはダートを走るためのバイクなのだから、当然ダートを走る。
ただ、免許取り立てなのに恐れを知らないのは若さゆえ。
けれど若者はそうやって経験して成長していくものなのだ。
ダート走行に挑む
(ネガをアプリで反転)
北海道2日目、早朝に出発しようとしたが仲の良かった隣の係の女性係長に頼まれた用事を思い出す。
昔、羽幌で買った木彫りのペンダント(だったと思う)を無くしたので、もし寄れたら買ってきてほしいということだった。
9時に羽幌駅に着き、「ねずみ館」を探す。けれど見つからない。駅の近くにいた人に聞いてみると、もう店をたたんでしまったとのこと。親切にも住んでいるところを教えてくれた。
行ってみたが誰も出ない。もう住んでいないのか、たまたま留守なのかはわからなかったが、家は相当に荒れ果てていた(上の写真)。
10時45分天塩に到着。少し休んでここからダートに入る。稚内まで約70キロ、サロベツ原野の海岸沿いのその道はそのほとんどがダート。そこをひた走る。一度右にカーブしているがほぼ一直線といっていいだろう。ここは日本海オロロンラインと呼ばれるが当時もこう呼ばれていたのかどうかはわからない。そして現在は舗装されている。
時速60〜70キロくらいで快調に飛ばす。25分くらい経ったころ稚咲内というあたりで休憩。豊富方面に行く分かれ道があるあたりだ。
休んでいると後から横浜ナンバーのバイクがやってきた。彼は「めげた〜」といって豊富方面に行ってしまった。
「なんだ、だらしないなあ」と思いつつ、さあ行くぞとばかり気合を入れて走り出す。
この日天気が良く、左に利尻富士が良く見えた。しかしずっと同じ景色が続く。ただ、路面を見なければならないのでゆっくり景色を眺めている暇はない。
調子に乗っていたら時速80キロくらい出ていた。稚内に近づいた頃、舗装工事が始まっているらしく、そこにまんべんなく砂利が敷き詰めてある。走りにくい。時速は40キロくらいに落ちる。前方に「カーブ」と書かれた看板が立っているのが見える。エイ、なにくそっとばかりに時速30キロくらいで左に曲がって行くと前輪が砂利の中に埋れた。そしてバイクが左に倒れる。
「痛っ」、左手のひらに砂利の尖った先が食い込む。グローブをしていても手のひらが痛い。幸いトライアル用のブーツとモトクロスパンツを履いているので足は守られていて無事だった。それでも少し右足が痛む。ちょうど12時だった。
バイクは無事で走り続けることができた。少し走ってからハンドルが少し曲がっていることに気づいた。電柱か何かにぶつけて元に戻した。
転倒から30分後、ノシャップ岬に到達する。ここで昼食。カレーを食べる。灯台にいくと近くで子供が釣りをしていた。
「なにが釣れるのー」と尋ねると
「〇X〇X」と魚の名前を教えてくれたが、知らない名前なので覚えられなかった。
子供と仲良くなってそれからしばらく魚釣りに付き合った。
「そんじゃ行くから」といって記念に写真を撮らせてもらった。
(ネガをアプリで反転。フィルム現像にムラがある)
稚内公園には立ち寄らず、まっすぐ宗谷岬を目指す。
稚内からは利尻島へ渡る船が出ているが、短い休暇の中では余裕がないことや、それよりも、とても遠いところへ行くような気がして船の時間を調べることもしていなかった。
午後2時半頃、宗谷岬に到着。ここ最北端の地で少しばかり昼寝をする。
(ネガをアプリで反転。グーグルマップで見ると今も柏屋さんがあるようです)
宗谷岬を午後3時に出発。オホーツクの海岸沿いを走る。少し行くと気持ちのいいワインディングロード。最高だ。
ワインディングロードが終わるとオホーツクの長い海岸が続く。猿払だ。左は海、右は牧場。そしてずっと向こうまで平原が続いている。すごいとしかいいようがない。
けれど、風がものすごく強い。ハンドルが取られる。さらにダンプカーが多くて、対向車線をダンプが通り過ぎると風のかたまりがぶわっとぶつかってきて、思わず怯んでしまう。
それでも快調に飛ばし4時には浜頓別に着いた。キャンプ場はクッチャロ湖畔にあり、テントを張ってからすぐ近くの温泉に入りに行く。
こんなに遠いところまで来て温泉に入れるとはなんともありがたく気持ちがいい。
自転車日本一周と重なる場所
一昨年の自転車日本一周の旅でも北海道を走り、このとき一部バイクで走った道と同じ道を自転車で走っている。
留萌から天塩までは同じ道を走っている。天塩から稚内は別の道だ。
稚内ではノシャップ岬に立ち寄ったが、当時のことは全く覚えていなかった。確かにここに来たことがあるはずなのに初めて来たように感じてしまった。
浜頓別に宿を予約していたこともあり、稚内から宗谷岬へは回らずに稚内猿払線の山の中の道を走った。山を抜けてその先にオホーツク海が見えた時にはとても感動した。
そこから当時泊まった浜頓別のキャンプ場の近くまで当時と同じ道を走った。宿はキャンプ場の近くだった。
バイクではずっと向こうまで平原が続いていてすごいと感動していたが、自転車で走るといつまでたっても似たような景色で体力的にも精神的にも辛かった。
ましてこのときは途中に店がなく、昼飯を食べずに走っていたのでなおさらだ。
翌朝、浜頓別のキャンプ場に行ってみたが、ここもあまり覚えておらず、あのときのバイク旅は、のんびりキャンプを楽しむ旅ではなかったというわけだ。けっこう必死だったのかも。
一昨年の自転車旅では、キャンプ場の様子をよく眺めて目に焼き付けて来た。また、利尻島へも渡ることができたので、これで若い頃のバイク旅で欠けていた、あるいは欠けてしまった部分を補えたように思える。
この日の記録
北海道2日目の走行距離は240.8キロ。
苫前から日本海の海岸線を通って稚内、宗谷岬。今度はオホーツク海の海岸線を南下して猿払から浜頓別まで。
昼のカレーが500円、夕食は惣菜パンで508円、ビール280円、そしてガソリン代は3.117円。こうしてみると物価は今とそれほど変わっていない。
この日は洗車をして料金は200円だった。給油は2回。メモをみると前日の日曜日は多くのスタンドが休みだったとある。
今回のまとめ
サロベツ原野ではずっと左手に利尻富士を眺めながら走った。
自転車の旅では、あの時行けなかった利尻島を訪れることができた。あのときやり残したことが自転車の旅で実現できてとても満足している。
思えば、若い頃にやりたかったことややり残したことを今やろうとしている気がする。
歳をとってから新しいことに興味を持つことは、若い頃の好奇心に比べてなんだかエネルギーの大きさに違いがあるように思える。
若い頃の夢にはたしかに大きなエネルギーがあった。そのときのエネルギーがいまも残っていて、その夢の実現のために力を与えてくれる。
そんなふうに思えてしまう。
なお、今回の写真もネガからのアプリによるポジ反転ですが、気合を入れて(三脚を使って)接写したので歪みはなくなっていると思います。
また、アプリによる反転後、ヒストグラムを調整したことで少しはみられる写真になったと思います。ただし、当時モノクロ現像を始めたばかりでムラがあったり気泡があったりしていました。結局、最後まで上達しませんでしたが。
では、このへんで(次回につづく)
ネガの反転に使用したアプリはRawTherapeeです。
北海道ツーリングの思い出記事の過去分はこちらから。
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