(摩周湖の夜明け プリントをデジカメで複写)
温泉に入ると旅をしている気分になる。
それは住んでいるところに温泉がないからそう感じるのだろうと思うが、旅をしたときに温泉に入ることが多いので、旅と温泉が結びついているためでもある。
摩周湖では天気に恵まれた。その後2度ほど訪れ「霧の摩周湖」を1度経験した。
どんなときも摩周湖は神秘的で美しい。
摩周湖の夜明け
砂湯に泊まった翌朝は、摩周湖の日の出を撮ろうとまだ暗いうちにカメラを持って出発した。
摩周湖へ行くには山を登らなければならない。本当に闇だ。バイクのライトだけを頼りに進んでいくと、道路をなにか動物が横切った。ヒヤッとする。続いて大きな鳥がライトに照らし出された。まるでオルフェウスが冥界に向かって進んでいるようだ。心臓が縮み上がる。
上まであがってくると少し明るくなってきた。太陽が昇る前に摩周湖が見下ろせる場所を探して三脚とカメラをセットしなければならないので忙しい。
どうにか間に合い夢中でシャッターを切る。陽が昇りきると、じわじわと感動が湧き上がってきてしばらく動けなかった。神秘的で宇宙の夜明けに立ち会ったような気がした。ほんとうに素晴らしかった。そうやって朝日のなかで感動に包まれていた。
キャンプ地へ戻る途中には硫黄岳がある。ここも夕べのライダーから「良かったよ」と聞いていた。行ってみればまさに活火山。箱根の大涌谷を思い出した。同じように硫黄の匂いがする。地球が蠢いている様子がこの目で確かめられるところだ。
あの美しい摩周湖も火山が作り上げた自然の造形だ。かつてはこのように岩肌がむき出しで荒々しいものだったのだろう。
オンネトーと能取湖
(オンネトー プリントをデジカメで複写)
キャンプ地に戻り、朝食を食べていると夕べのライダーも起きてきた。
彼は今日は西に行くという。
「オンネトーって知ってる?」と聞くとやはり知っていた。
「今日はオンネトーに行ってから戻って能取湖に行くつもりなんだ」と話すと、
「それじゃ、オンネトーまで一緒に行こうか」ということになった。
途中、屈斜路湖畔にあるコタンアイヌ民族資料館に立ち寄った。アイヌの暮らしぶりが分かるところだ。それから阿寒湖を眺め、北海道の形をしているという湖ペンケトーが見えるという双湖台へ案内してくれた。
彼のバイクがなんだったのかはっきりとは覚えていないが、クラシカルなタイプのロードバイクでたぶんスズキGSX250Tではなかったかと思う。事故ったか何かしてホイールがブレているのでバイク屋に見てもらうと言っていた。
オンネトーの駐車場にバイクを止め、カメラを用意してしばらく歩く。すると対岸が見渡せる場所がある。そこから湖を見ると湖面がコバルトブルーに近い深い青色になっていた。
砂湯で出会ったライダーとはここで別れた。思えば名前も聞かなかった。
一人になってから北にある能取湖を目指した。ガイドブックで見たサンゴ草が今は赤く染まっているはずだ。紅葉にはまだ早かったのでせめてサンゴ草は見頃であってほしいと願いながら向かった。
午後2時頃に到着。バイクを止めて歩いて行く。しかし何か違う。ガイドブックのサンゴ草は真っ赤なのだが、目の前のサンゴ草はすこしくすんだ色をしていた。確かに全体が色づいているのだが、鮮やかな赤ではないのだ。盛りを過ぎていたのだろうか。
残念な気持ちで次の予定地へ向かう。次は知床だ。
羅臼の露天風呂
(ウトロ プリントをデジカメで複写)
能取湖からは弓なりの海岸線を走り、斜里を抜けてウトロに向かう。知床半島に入ると道路脇に滝が見えたりして景色が変わった。
夕方になってウトロに着く。今日の目的地は羅臼の町の手前にあるキャンプ場。だからここが最後の町となる。ここで食料を調達して知床半島を横断する。
知床半島を横断するには羅臼岳の知床峠を越えなければならない。9月も半ばをすぎ、上る都度気温が下がっていく。そんなとき、峠付近で自転車に乗った人を見かけた。バイクでも大変な上りなのにそこを自転車で走るなんて大変だなと思った。というより物好きがいたもんだという印象しか持たなかった。実際日本一周したときも知床峠は避けることにした。
峠道を右に左にカーブしながらだいぶ下ってきたあたりにキャンプ場がある。そこは羅臼温泉野営場で、道を挟んだ向かいに目的の「熊の湯」がある。
どうしてここ「熊の湯」が目的だったかといえば、当時ここは混浴だと聞いていたからだ。それで暗くなってきたのにもかかわらず頑張って走ってきたというわけである。
だが、温泉は翌朝に入ることにして、この日は早く寝た。
この日の走行距離は373キロだった。写真を撮りながらよく走ったと思う。ダート走行が少ないためでもあるだろう。
※知床横断道路が通行止めのため、迂回して羅臼に行くルートを示しているが、実際はウトロから知床横断道路を通って羅臼温泉野営場に行っている。
家族で再訪した屈斜路湖
屈斜路湖畔にはその後家族で訪れ、砂湯とは別なところでキャンプをした。
夕方、温泉に入りに行こうと探してみる。すると近くの旅館で入浴ができるようだった。
そこは湖畔にある古い一軒宿で、森の中に隠れるようにして建っていた。
入り口から風呂場へ行く途中で数人の浴衣の客を見かけたので宿泊客もいたのだろう。風呂場は別棟になっていて、砂湯のように穴を掘ったところに温泉が湧き出し、その上に掘っ建て小屋のような建物で覆ったという印象だった。
浴槽を真ん中で仕切り、それが壁となって男湯と女湯を分けている。けれど壁はその先で途切れていて、向こうに回ることができた。
我々家族が入った時は他の人は誰もいなかったが、さすがに女湯を覗くのは憚られた。だが、そのときまだ4歳の息子は男湯と女湯を行ったり来たりして喜んでいる。
浴槽に入ると大人が立ってちょうどいいくらいの深さがあって驚いた。底には砂利が敷いてある。子供は縁に捕まって浮いていなればならないという具合だった。
旅館の風呂でこんなに素朴なところはめったにないだろう。とても印象に残る温泉だった。
今回のまとめ
この2度目の北海道バイクツーリングは26歳の時。
若かった。元気だった。
北海道の秘湯で混浴と聞いたら当然行ってみたい。
そんな動機が行動するエネルギー源となっていた。
その頃は風景写真を撮りながら旅をすることができる時代でもあった。
撮影した写真を預けておけば貸し出しに応じて収入が得られる仕組みがあったからだ。
風景写真を撮って温泉に入りながら旅をする生活。そんな生活に憧れていた。
けれどデジタルカメラの登場で、旧来の仕組みは姿を消した。
今こうして昔の旅を振り返っていると <もし、あのとき写真の世界に入っていたら>ということが同時に頭に浮かぶ。
では、このへんで(次回に続く)
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