11月18日から何かしらの用事や仕事があって、まる1日何も予定がないのは久しぶりだ。
そこで約半月ぶりにロードバイクに乗ってきた。
曇り空の寒い中、萎えていた心が大勢のロード乗りを見かけて元気づけられた。
初めの予定より距離は短くはなったが、久しぶりに体を動かして心地よい疲れと満足感を感じている。
何も予定のない1日をどうしようか
前日の土曜日、仕事が急に無くなったため、パソコンボランティアで公民館のスマホ講座でお手伝いをすることにした。
夕方家に帰ると公民館で頂いたどら焼きを食べ、そのままウイスキーを飲みながら家にあるものを摘んでいるうちにウトウトしてしまった。
仕事を始めて1ヶ月余り。少しは慣れてきたが、金曜は初めて就く分担業務で緊張した。翌土曜日は3時間立ちっぱなし。
そのせいで疲れが出たようだ。
日曜の休日には山登りに行こうと考えていた。夜になって地図を眺めていたところ、どうも体が受け入れない。そこで、ロードバイクで三浦半島の油壺あたりまで行ってみることにして早く寝ることにした。
ところが目覚めてみるとすでに9時半を過ぎていた。
それからゆっくり朝食をとり、チャンネル登録しているYouTubeをみる。
なかなか体が目覚めず、けっきょく準備を始めたのが11時半頃。12時を少し回った頃に出発した。
なお、こんどはロードバイクに乗るときのチェックリストを作ってあるので割とスムーズに準備ができた。
準備に手間取る自分が情けなくなる
曇り空だけど風はない
相模川右岸の土手の道を南下していくと空全体が怪しげな雲に覆われている。ただ、雨の確率はゼロだ。
いつもの通り、国道1号線を少し走って右折し、国道134号線に向かう。
いつも寄るコンビニでおにぎりの昼食。その先の網元料理「あさまる」は人気店で今日も10人くらいが並んでいた。
134号線に入ってすぐの生シラスの店も車が駐車場にいっぱいで、入れなかった車がバックしてきた。後ろをチェックして大きく迂回する。
今日は風がなく走りやすい。半月前はモンベルの中厚手のアンダーウェアと夏用ジャージ、その上にジレだけだったが、今回はその上にユニクロのウインドブレーカーを着ている。自転車用ではないので、腕の生地がばたつかないようにヘアゴムで止めている。
さらに、アームカバーも付け、先日スーパーカブ用に買ったワークマンの499円のフリースが入った手袋である。
これで目一杯漕ぐと汗ばむくらいになるので風を入れて調節した。
あとは日が暮れて気温が下がったときに耐えられるかが問題である。
鎌倉を越えて
江ノ島までは快調に走れた。
しかしやっぱりそこから先は渋滞が発生している。ここは万年渋滞だ。それなのに皆相変わらず車でやってくる。
もちろん自転車やバイクは横をすり抜けていく。ただ、スピードは出せない。
車ばかりではなく、人も歩道に溢れている。
海を見ればサーファーが小さい波に乗ろうとしている。
由比ヶ浜までくると海岸にはサーファーと観光客がたくさん立っていて、よくみるとウインドサーフィンの帆が沖合にたくさん見えた。
砂浜は観光客、波打ち際がサーファー、そのもっと沖がウインドサーファーと棲み分けているようだ。
由比ヶ浜の次は材木座海岸でその先のトンネルを潜ると逗子に入る。
この先へ行くのは2度目で、ほぼ10年ぶりになる。
あのときは逗子に向かう山越えがとてもキツく感じたが、今回はロードバイクということもあり、それほど苦しくない。けれど、気合を入れる必要はある。
今日は出発が遅かったので、油壺までは行けそうにない。目の前に横須賀の標識が見えたので、横須賀に行こうと思い、標識に沿って左折し、次を右折した。
このまま道なりに行けば横須賀に行けるだろうと安心して走る。
そのまま進んでいくと標識が三崎に変わっていた。いつのまにか三崎に向かってる。そういえば急に車が少なくなった。さっきの交差点で多くの車が左折していたのであそこで間違えたなと思ったが、引き返すのも面倒なので、そのまま進んだ。
そうしてふたたび相模湾の海に出る。
こうやって南下してくると、大島が近くに見える。そして伊豆半島もはっきりと見えた。
前島密の墓所
海岸沿いのアップダウンを走っていると、反対側から何人ものロード乗りとすれ違った。同じユニフォームを着ている団体がいたり、ひとりで頑張っている人もいて、どうやら人気のコースらしいことがわかった。
アップダウンがあって眺めもいいのだから、人気があるのも当然だ。
しかし、帰りが遅くなると暗い中を何時間も走らなければならなくなる。それにそろそろ疲れてきた。
ちょうどそのとき、前島密の墓所なる石碑を見つけた。脇には近代郵便制度創始者とある。
よしここまでとしよう。ここ浄楽寺を本日の折り返し点とした。
帰ってから前島密をウィキペディアで調べてみると、錚錚たる業績が連ねてある。ちなみに1円切手の肖像画の人物である。
その業績だけを並べてみると、
- 近代郵便制度の創始者(「郵便の父」と称えられている)
- 江戸遷都を大久保利通に建言
- 鉄道敷設の計画案作成
- 新聞事業の育成
- 日本通運株式会社の前身となる陸運元会社を創立
- 海運政策を大久保利通に建議(日本郵船株式会社の前身となる郵便汽船三菱会社を補助)
- 郵便為替を創始
- 郵便貯金を開始
- 電話事業の開始
などなど
浄楽寺のHP
最後に
帰りは同じ道を引き返した。
しかし、こんどは海側の道を行く。だんだん道幅が狭くなってきたかと思うとさまざまな商店が軒を連ねている。
新しいようでもあり、昔ながらの風景のようでもあり、不思議な空間だった。商店街がなくなると葉山マリーナがあった。楽しい道だった。
若宮大路突き当たりの滑川交差点の広場で休んでいると、ぼくより少し上かと思われるご婦人が話しかけてきた。
「失礼ですがペンチをお持ちではないでしょうか」
見れば近くに小さな自転車に乗った子供がいる。おそらくお孫さんだろう。
砂浜で転んでハンドルがの向きが曲がってしまったということだった。自転車を見てみると、六角穴のボルトで止められていた。
「これならありますよ」そう言ってネジを緩めて直してあげた。
「ありがとうございましたと言いなさい」とご婦人が孫に言うと、
「まっすぐみたいだね、ありがとうございました」
「どういたしまして」と返しながら、ちゃんと確認するところがえらいと思った。
帰りは長谷の大仏の横を通って藤沢に抜け、湘南台方面に向かう。ところがみその台の坂がだらだらと続いていて、立ち漕ぎしながらなんとか登った。
湘南台を左折し、相模川に向かって進んでいく。一度コンビニで休憩し、チョコアイスを食べる。
日が暮れてもそれほど気温が下がらなかったが、少し寒く感じるようになった。ワークマングローブは暖かく感じていたが、それでもだんだん指先が冷えてきた。
5時半、家に到着。走行距離78.7キロ。平均速度20.8キロ。最高速度は下り坂で56キロも出ていた。それからキャットアイのサイコンは途中から反応しなった。
では、このへんで
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