ヤビツ峠から大山に登り、北尾根を通って戻ってきた。
その日、くたびれ果てて早くに就寝。
そしてその翌日、足に筋肉痛を感じている。
体力の衰え
かなり体力が衰えている。
冬になってから山に行かなくなったこと、職場が変わってひどく疲れていること、さらに風邪をひいて体重が落ちたことが原因だ。
なんとか体力を回復させなければと思い、山に登ってきた。
実はなかなか休みが取れず、土日も句会で連続する休みがなかった。
けれど5月最後の土日は、パソコンボランティアを休んで泊まりがけで山に行こうと考えていた。
昨年最後に行こうかどうしようかと迷っていた赤城山である。
しかし、ここのところの体調、体力の劣化を考えるとちょっと難しいと思った。
そこで次に考えたのが、土曜日に日帰りで山に登って日曜はゆっくり休むというトレーニングのための登山だ。
そして前日の金曜日、山に行く準備を整えて就寝。
翌朝、7時に起きて朝食を摂るも体がだるい。
この日予定していたコースは歩行時間7時間というちょっと長めのコース。
当然無理だ。
では歩行時間の短いコースならと調べていたが、「やっぱり今日は無理」と布団に入った。
それから昼過ぎまで眠ってしまった。
そして翌日。
本当は日曜日もゆっくりしていたいという思いも心をよぎったが、ともかく体力をつけなければ日本百名山の残り63座を登ることは難しいと考え直した。
そうして出発したのが9時半。
ヤビツ峠から大山を登り、北尾根を通って再びヤビツ峠まで戻ってくるコースを選んだ。
ここは以前に逆コースで歩いたことがある。
かなりの急登できついコースだったが、今回は逆コースを通ることにより、楽に歩けると考えた。ガイドの歩行時間は4時間である。
ただ、これだけ体力と筋力が落ちているので想定よりも時間がかかるかもしれない。
それに膝も前のように痛み出す心配もあった。
ヤビツ峠
ヤビツ峠まではスーパーカブに乗っていく。
以前はまだカブに乗り出したばかりで慣れていなかったが、もう1万2千キロも走行しているのでかなり慣れた。
それにスロットルを開けた時の伸び上がりが以前より良くなっているような気がしている。
また、先日空気圧を調整したついでにチェーンの伸びを確認したところ、まただいぶ伸びていた。
このまえは、伸びすぎていてチェーンカバーが擦れて穴が空いてしまった。あれから半年、またかすかにチェーンカバーに当たっていた。
歯医者に行く前のわずかな時間に急いでチェーンを張り直した。
慌てていたのでマフラーを緩めるために外したナットを締め忘れて出発してしまった。すぐに気がついて戻って締め直した。
そんなことでチェーンの方も弛んではいない。
246号線の名小木交差点を右折するとその左側の角にコンビニがある。
そこにバイクが2台止まっていて、店の脇には数台のロードバイクとローディー達が屯していた。
その角から蓑毛までは2台のロードバイクが下ってくるのに出会ったが、上っていく姿は見られなかった。
「コンビニの様子だと今日はたくさんのローディが山登りをしているかと思ったが意外とそうでもないのかな」などと考えながら登っていく。
最初に目についたのはランナーだった。
次から次と登っていく。そしてそれがすべて女性たち。
とくに大会などではなさそうだがどこかのサークルなのだろうか。
そのうちに後ろからバイクが2台やってきた。
さっきのバイクだろうか。
スピードを落として抜かせようとしたら前方から車が来た。
再びスピードを上げる。
するとそこからはローディー等が次々と登っていた。
下りも予想されるので気をつけながら登っていく。
そうしてスピードを落としたところで後ろの2台のバイクが追い越して行った。
ヤビツ峠に近づくと数台の車ともすれ違った。
そうして10時半過ぎに峠に到着する。
そこには峠を登りきったという充実した表情で寛いでいるローディー達がいた。
そのあと下っていくのは宮ヶ瀬方面が多かったようだ。
そういえば車もバイクもそちらに向かっていくのが目立った。
それで下っていく自転車やバイク、車とあまり出会わなかったのかも知れない。
大山に登る
10時47分、ヤビツ峠から大山に登り始める。
階段を登るとそこに<ヤビツ峠レストハウス>なるものが建っていた。
あれ、いつ出来たのだろう。以前来た時にもあったのだろうか。全く覚えていないが。
なかなか洒落たたてものだ。
テラスなんかもある。
その脇を抜けていくと、ヤマボウシが出迎えてくれた。
この前の句会の吟行で庭に植えたヤマボウシを見つけて覚えていたのですぐにそれとわかった。なかなか覚えられない植物の名前だが、こうしてすぐにわかるとなんだか嬉しい。
そしてしばらくなだらかな新緑の中の道を歩いていく。
続いて見つけた白い花。名前はわからないが写真を撮って後から調べることにする。
そうして写真を撮っていると下山してきた中年の女性が近くでこちらを見ている。
どうやらその方もこの花の写真が撮りたいらしい。
どうぞと言ってその場を譲る。
ヤビツ峠には、昔からの茶店(売店)があるが、実はトイレの方が立派な建物だ。ちゃんと男子トイレと女子トイレが別々になっている。
その男女の入り口の間の壁にベンチが備え付けられていて休憩できるようになっている。
そこに「丹沢のツツジ」という案内ポスターという感じのものが貼られていた。
ちょうど今はツツジの季節なのである。
しかし、似たようなツツジの写真なので違いがよくわからない。
さっそくそのツツジが咲いていた。
その後もたびたび見かけた。ちょうど疲れた頃に現れるのでそこでまた元気になって歩き出すといったちょうどいい塩梅に咲いていてくれた。
少し登ると上の霧がはっきりしてきた。
ヤビツ峠を登っている時から大山山頂はガスっていた。
ヤビツ峠にガスは出ていなかったが、こうして少しずつガスの中に向かって歩いている。
阿夫利神社下社からのメインコースに合流すると急に人が多くなった。
そしてその少し前から「こんにちは〜もう少しですよ、頑張って〜」と登ってくる登山客に向けて、まるで掛け声のような大きな声が聞こえていた。
その声に思わず苦笑する人もいた。
あの人は一体どういう人なのだろう。チラッと見えたのは坊主頭でまるでお坊さんみたいな人だった。
たしかにそこからわずかで山頂になる。
手前に鳥居が2つ建っているが、少し驚いたのは、若い二人連れの女の子がその鳥居の前に立ち止まってお辞儀をしていることだった。
近くにいた子供が「どうしてここでオジギをするの?」と訊いていた。
母親は「これからお邪魔しますって挨拶してるのよ」
山頂はやはり霧に覆われていて景色は何も見えなかった。
ブナの大木の向こうには相模湾や厚木の街が見えるはずだが。
到着は12時半になっていてかなりのスローペース。
けれどこれ以上スピードを上げるのは無理だ。
まずは奥の院で礼拝。
その横で昼食にする。
一時間たっぷりかけて昼食をとり体を休めた。
いざ、北尾根から下山だ。
想定では10時に歩き始めて15時に戻ってくるという計画だった。
ところがすでに1時間半ほど遅れている。
ただ、北尾根コースの半分ほどは県道を歩くので、もし途中で膝が痛くなってゆっくりでしか歩けなくなったとしても、安心だ。
それに膝は下りのときしか痛まないことは経験上わかっている。
鹿よけの柵を脚立で乗り越えて北尾根コースに入る。
まずはなだらかな明るい道。
これまで見てきた通り白い花の低木がたくさん目についた。
しかし近づいてみると形は様々でそれぞれ個性的だ。
午後になってだんだん霧が晴れてきた。
この辺りからだんだん左の膝が痛み出した。
恐れていた通りのことが起こった。不安的中だ。
だから登る前にたっぷり屈伸運動を行い、無理せずゆっくり歩いてきたのに。
北尾根はマイナーなコースなのであまり人は歩かない。
誰にも合わないと思っていたところ、一人の登山者とすれ違った。
前回逆コースを歩いて覚えているのは登りがきつかったこと。道がわかりにくいところがあったこと。
ところが忘れていたことがあった。
それは登り下りがあることだった。
逆コースもかなりハードなのだった。
ただ、元気であれば楽しいコースだ。
モノレールのレールの脇を歩いたり、道に迷いそうな広い斜面を歩いたり、あまり人の手を加えていない野生味豊かな道だったり、痩せ尾根が現れたり、鉄塔の下をくぐったりといった具合である。
だましだまし急な斜面を下り、なんとか県道に出た。
この時点で15時半。大丈夫、明るいうちにヤビツ峠に戻れる。
県道を歩いていると何台も車やバイクが通り過ぎる。追い越すものすれ違うもの半々くらいだった。
すれ違った車にはパトカーもあった。
17時少し前にヤビツ峠に戻ってきた。
この手前には県道を外れた登山道があり、そちらを歩いてきた。
そこは涸れた沢沿いの道で細かい登り下りが多かった。
当然膝が痛んだ。
それでもなんとか無事にたどり着けてよかった。
最後に
ヤビツ峠では、トイレから少し離れたベンチに座ってお湯を沸かしコーヒーを淹れた。
もう疲れてすぐに動きたくはなかった。
ゆっくりコーヒーを味わっていると、向こうの売店が店じまいを始めた。
おやじさんと娘さんの二人でやっていた。
ところが帰りは別々の車で帰って行ったので親子ではなかったようだ。
少しして、レストハウスの方からもポリタンクを二つ持って降りてきた男性がいた。
それを車に運び入れると、階段下に置いていた立て看板をもって上に上がって行った。
おそらく店の中に仕舞いに行ったのだろう。こちらはひとりだった。
30分ほど休んで秦野方面に降り出す。
もう車は登ってこないと思っていたら、意外にも5、6台の車とすれ違った。
おそらくその車の方ももう下ってくる車はないと考えていたのだろう。道いっぱいを使って登る車が数台あった。
峠の道はこうした時間帯が危ないのだと思った。
では、このへんで
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