南アフリカの方で新型コロナの新しい変異株が見つかり、猛烈な勢いで全世界に広がっていることがニュースになっている。
日本では、デルタ株の波が収まってきたので、海外は無理だとしてもこれから国内は自由に旅行ができると期待していた。それなのにそれは難しくなりそうだ。
せめてこのオミクロン株、たとえ感染力が強いとしても重症化しにくい弱毒性の株であってくれたらと願うばかりである。
今日は、これからも続くコロナ禍を受け入れるために考えを整理してみることにした。
自転車日本一周で高まった気持ちが挫かれた
思えば、ちょうど2年前は自転車による日本一周中で九州に入ったばかり。12月下旬に九州一周を終えて翌年の正月は広島で迎えた。
それから四国を一周して、芭蕉が生まれた伊賀上野から東海道を通って日本一周を達成した。
ちょうどその頃に日本で新型コロナの感染者が広がり始めた。
あの頃は日本一周をした勢いで、次はあれもこれもと様々なことに挑戦しようと意気盛んだった。
ところが、コロナで自粛生活を余儀なくされる。
すると、あれやこれやが出来ず、皮膚炎が悪化してむくんだり熱が出たりなど、だんだん体の方の調子が悪くなった。
これじゃあいけないと、年明けから子供が乗らなくなったMTBをレストアして河原で技の練習を始めた。
ところが階段でダイブして手首を骨折。そしてふたたび自粛生活。
こうしてどんどん人生の残り時間が減っていく。
多くの人が、気力体力が続くのは75歳になるまでだということを、楠木新氏が『定年後』のなかで書いていた。
だから、60歳から74歳までを黄金の15年というそうだ。
その大事な時間がコロナで奪われている。
けれど、嘆いても始まらない。
状況の変化に対応し、今できることをやる。ひとは今を生きることしかできないのだから。
ぼくらの父たちのように戦争に駆り出されるわけではないのだ。
コロナ禍で最期を迎えるとき
今年、俳句の恩師が亡くなられた。
ある施設に入所しておられたが、自転車旅行に旅立つ前に挨拶に行ったときがお顔を拝見した最後となった。
あのとき、崖から落ちないようにとか体温計を持っていくようにだとかとても心配してくれた。
ところが旅から帰ってくると、コロナのために面会できなくなった。
そして、お会いできないまま亡くなられてしまわれた。
きっと、同じように家族にも会えないまま亡くなった方が大勢いることだろう。
先日、パソコンボランティアの個別手ほどきに、公民館でスマホ講座を受けられた方が来られた。
その方がどうしても覚えたいことの一つにビデオ通話があった。
その方がおっしゃるには、映画をみていて主人公が亡くなる前にビデオ通話で話をする場面があったとのこと。
それに感動し、どうしてもビデオ通話ができるようになりたいと思ったということだった。
コロナ禍で入院し面会ができない場合、自分が死ぬときにどうしても子供たちの顔を見ながら話がしたいと目を潤ませておっしゃった。
コロナで直接家族に会えないとき、せめてビデオ通話で話ができたら。
かなしいことだけれど、全く会えないよりは画面越しでもこころが慰められることだろう。
そして、最後に伝えたいことを伝えることができたら。
そうした決意をもって教わりにきていた。
終わりに
普段は情報のやりとりや娯楽に使っているスマホ。
それが人生の終わりに悔いを残さないための道具にもなる。
人生の残り時間にやりたいこと。それがスマホでビデオ通話ができるようになること。
どうやらやり方をマスターされたようだ。
ぼく自身はといえば、もういちど「やりたいことリスト」の見直しをしようと思う。
最後までお読みいただきありがとうございました。
では、このへんで
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