定年を迎えたらやりたいと思ったことを少しずつやっている。
けれど、一つのことをやるとその他のことはやることができない。
けれど、やりたいことをやらないということはしたくない。
では、どうしたらいいか。
ひとつのことに熱中しないとそれに習熟することはできないと言われている。
逆に言えばある一定の時間(一般的には1万時間)続けることができればそのことをモノにすることができるということだ。
これから何かを極めて社会で何かをしたいということならそれもいい。
ただし、そうすると他のものは犠牲にすることになる。
60を過ぎたらもうそんなことはどうでもいい。
ただ、今このときを楽しみたいのだ。
やりたいことをやらなくては楽しくない。
ロードバイクにいつ乗るか
以前ブログに書いたことがあったと思うが、毎日が日曜日でいつでも時間があると、やりたいことなのに、あとでもできるとばかり先延ばしにしたりする。
いくらやりたいことと言っても、動き出すには意志の力が必要だ。
まあるい石でも大きくて重たければ動かすのには相当な力がいる。
けれど動き出してしまえばあとは勢いがついて転がっていく。
そんな感じだ。
ところが、仕事を始めて自由な時間が限られることになると、不思議とこの石の重さが軽くなる。
貴重な休日にぼーっとしていてはもったいない。
ただ、休日が少ないとやりたいことがいろいろとはできなくなってくる。
ぼくの場合、おもにアウトドアなので組み合わせればいっぺんにできる場合もある。
バイクに乗って登山とか、バイクに乗ってフライフィッシングとかである。
行った先で、自作のアルストや五徳でお湯を沸かしたりするのも楽しめる。
しかし、なかなか組み合わせにくいものもある。
それがロードバイクなのである。
ロードバイクでは単に走ることを楽しみたい。
ロードバイクの軽さを楽しみたいのである。
ところが、4月はほぼ毎日出勤しなければならない。
児童が相手なので止むを得ないことでもあるし、その児童から元気をもらっているのでそれはそれで充実している。
けれどこの仕事と遊びのバランスが大事で、いったんリタイアすると、以前より遊びの比重が増えるのである。
では、いったいロードバイクにはいつ乗ったらいいのだろうか。
仕事前にひと走り
多くの方の自転車ブログを読んでいると、みな時間をやりくりして自転車に乗っている。
早朝、出勤前に乗ったり、ナイトライドしている様子などが記事になったりしている。
また、ちょっとした合間の時間に乗ったりなどみな意欲的だ。
それに刺激を受けて、自分も真似をしてみようと考えた。
早朝ライドやナイトライドは気が進まないが、早朝ではなく普通の朝の時間帯に走ることはできるのではないか。
これまでは原則として1日にやるのは一つだけにするよう心がけていた。それはとても疲れることだからである。
けれど最近は、パソコンボランティアと仕事を午前と午後で行うことも度々あった。
これをロードバイクと仕事にすることだってできるのではないか。
逆にそうでもしないとロードバイクに乗る時間がない(最近フライフィッシングを始めたので釣りに行きたいのがその理由)。
そう思って出勤前に、まずは軽く足慣らしに行ってきた。
桜並木を走っていったら昔住んでいた家の近くに続いていた
以上のとおり強い決意を持って、と言いたいのだがまったく意志が弱く、
「とりあえず行動することに意義がある」などと自分に言い訳をしながらも何とかサイクルウェアに着替え、ロードバイクをローラー台から降ろし、前輪を取り付けて表に出た。
ただし、仕事に行く準備と昼食のためにはあと1時間ほどで帰ってこなければならない。
特にあてもなく、ただ走ったことのない道に入っていくと、すでに葉桜とはなっていたが立派な桜が川っぷちに並んでいるのが目に入った。
桜並木に沿って下流に向かい、橋を越えていくとその先に再び桜並木が現れた。
今日は桜がだいぶ散り始めている。
そんな桜吹雪の中を走るのは楽しい。
桜並木に導かれて進んでいくと、交差点の先にさらに桜並木が伸びていた。
信号を越えてふたたび桜並木に入って進んでいく。
すると、昔、中学高校時代に住んでいた借家の近くに出た。
せっかくなので感を頼りにその家を探してみた。
周りはすっかり変わってしまったが、目印となる高校が近くにあったので、それがその借家であることがわかった。
その借家はぼくが中学1年か2年のときに新築されたものなので、ほぼ50年が経っている。けれど、その4軒の借家は周りから取り残されたようにそこに存在していた。
ベニヤ板の雨戸は表面が剥がれかけていたが、そこに人が確かに住んでいるようだった。
そのあと通学路にそって少し走ってみる。
急な坂だと思っていたところはそれほどでもなく、簡単に登れた。
下校時に肉まんを買って食べたその店の近くの神社に行ってみる。
そこには子安神社と書いてあった。そうかここは子安神社といったのか。
ここの神社で行われた縁日のとき、テキ屋のおじさんに輪投げの手伝いをさせられたことがあった。おそらく1時間くらい手伝ったと思うが、お駄賃としてその輪投げの景品から「好きなものをもっていけ」と言われて、天気で色が変わる貯金箱をもらってきたことを思い出した。
また、親父から聞いた話では、テキ屋の家に住み着いていた時、そのテキ屋のおやじに気に入られて娘を嫁にもらえと言われて逃げ出してきたなんてことを言っていた。
親父は戦争から帰ってくると、転々と仕事を変え、また1箇所に定住しないで日本各地で仕事をしていたということだ。
出征前は大手電機メーカーの研究員だったのが、まったく違う放浪にちかい人生を送った。
きっと戦争で人生観が変わったのだろう。そんな言葉は一度も聞いたことがないが。
今思えばしっかりと戦争体験を聞いておけばよかったと思うのだが、子供の頃は全く興味がないし、聞いてもわからないことばかりだった。
まあ、親父の話はこのくらいにしておこう。
子安神社からその先の坂を下る。ここももっと急だと思っていたのに大したことはなかった。子供にとってみれば大変な坂道なのかもしれないが。
もっと他にも回りたかったがもう戻らないと仕事の時間に間に合わなくなる。
帰りも走ったことのない道を家の方向に向かって走る。そして広い通りに出たのでそこを左折していくと、行きに桜が途切れた交差点に出た。
あとは走り慣れた道を通って家に帰る。
こうしておよそ1時間、約13キロほどを走った。
最後に
家に帰ると、自転車の車輪を濡れ雑巾で拭き、前輪を外してローラー台にセット。
シャワーを浴びて着替えると、家を出る時間まであと20分。
いそいで蕎麦を茹でて5分で食べる。
家に帰ってから出勤まで50分だったが、あと10分はあったほうがよい。
つまり今後は出勤の1時間前には家に着いていないとならない。このことがわかったのが今回の収穫。
あとは睡眠時間を削らずにどれだけ早起きできるかということである。
実はこれがなかなか難しい問題なのであった。
では、このへんで
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