先日、MTBで階段をダイビングしたことを書きましたが、救急車を呼んでから一連のことが落ち着くまでにはいろいろなことがありました。
MTB練習記 【しばらく乗れなくなりました】 - Hakuto-日記
今回は、救急搬送先でどんなことをしたのか、単独事故なのに警察の現場検証までが行われた顛末をお話します。
救急車が到着するまで
怪我をしたのは夕方5時過ぎのことです。直感的に左手首を骨折したと思いました。
しばらくは倒れたままで動けません。
動けるようになって立ち上がり、右手でバイクを起こし、自分は階段をバイクはその横の土手を押して上りました。
バイクはハンドルも曲がっておらず、あまりダメージを受けていないようにみえます。ただ、フロントのギアが逆回転してチェーンが内側にはさまっていたのと、リアがローだったものがトップにまで動いていました。
家まで10分か15分くらいかかったと思います。バイクを押して帰りました。
家に帰り、まっさきにいったのはトイレです。
そこでひとまずホッとして、トイレに座りながら結婚指輪を外すことにしました。
それは、指が腫れて血液が流れなくなるとまずいと思ったからです。けれどこの時すでに腫れてきていて、外すのにだいぶ時間がかかりました。
ともかくなんとか外すことができて、ふたたびホッとしました。
つぎは冷水で患部を冷やし、手首の固定です。ちょうど肘のプロテクターが使えそうだと思い、肘から下にずらすようにして手首にあてがいました。
肘の骨折の時に使った三角巾を出して腕を吊ろうとしましたが、どうしても結ぶことができません。
そこで息子(ずっと家で過ごし1日は25時間周期でこの時は睡眠中)を起こして結んでもらいました。
ところがこのあたりから心臓の鼓動が早くなり、だんだん目の前が暗くなって気持ちが悪くなってきました。
以前かかっていた病院へ、電話してからタクシーで行くつもりでしたが、動けなくなった状態を見て息子が救急車を呼んでくれました。
救急車が到着してから病院まで
救急車は普通なら20分はかかるところを10分くらいで到着。
救急車も自転車日本一周の旅の途中で経験済みなので、保険証やお金の準備をしていました。救急隊員から言われて追加したのはお薬手帳でした。
2019.10.13 北海道19日目 - Hakuto-日記
ちゃんと靴を履き(前回は靴がなくて、ゲストハウスのオーナーに迎えにきてもらうときに持ってきてもらいました)歩いて救急車に乗り込めました。
救急車の車内では、事故の状況の説明、痛みのあるところの説明(手首以外はすぐにどこが痛いのかがわからない状況)をしました。そして指先にオキシメーターを挟みます。
頭も、ヘルメットはしていましたがぶつけた可能性があったので(あとからヘルメットを見たら天辺が凹んでいた)、首も固定してくれました。
今度は受け入れてくれる病院を決めます。
初めに以前かかっていた病院に電話をかけてもらいましたが、現在平塚市におり、区域外のため体良く断られました。
つぎに以前勤めていたところの関連病院に問い合わせてもらいましたが、あいにくこの日は整形外科の当直医がいないとのことであきらめました。
3番目に市民病院が受け入れてくれることになり、これでやっと出発できることになりました。
おそらく救急車が到着してから30分は経っていたでしょう。
救急での処置
救急車の振動はとっても大きいです。この振動が手首の骨にひびいて痛くてたまりません。見かねて隊員の方が毛布を下に挟んでくれたのでだいぶましになりました。
我が家は平塚市のはずれにあり、市民病院は旧東海道の近くなので結構距離があります。感覚では30分くらい、すくなくとも20分以上はかかったと思います。
病院へ到着すると、救急車の担架のまま救急処置室に運ばれ、そこで病院の担架に自力で移動。担当の看護師(男性)が名前を名乗りましたが覚えている余裕はありません。というかもともと人の名前と顔を覚えるのは苦手で、たいていは服装や座席の位置と関連付けて覚えています。
だから、みな同じような制服(看護服)を着ているともう誰が誰だかわかりません。
そのあと同じように担当の医師が名乗ってくれましたが、やっぱり名前を覚えられませんでした。
ここでもオキシメーターを指に挟み、患者モニターの端子を胸に貼り付けます。三角巾とプロテクターを外して腕と他の痛いところ(肩と大腿部)を目視しました。
そうしている間にも次々と救急搬送の連絡が入ってきます。骨折らしき場合は「変形あり」と伝えるのですね。私の連絡は「左手根部に変形あり」と連絡されていたと思います。
そして、首、手首、大腿のレントゲンを撮り、手首以外に異常はないことがわかりました。
このとき少しベテランのドクターが説明をしてくれ、併せて「このままこの病院で治療を続けてもいいし、希望の病院に行くのも自由です。他の病院へ行くのなら紹介状を書きますよ」ととても穏やかに説明してくれました。
そして、「すぐに手術をするならやらないのですが、他の病院に行くかもしれないので整復をします」といって、網のようなステントに人差し指と中指にを入れて先を点滴を吊るす台のようなところにぶら下げ、腕に重りをぶら下げました。
そして、「整復には痛みが伴いますので麻酔を打ちます」とのこと。
麻酔は患部の骨のところに打つそうで、そのやり方を最初に挨拶した若い医師に説明しています。
多少の不安はありましたが、ベテラン医師がつきっきりで指導しているのでその点はちょっと安心。
「圧がかかって入りにくくなるけど出来るだけ入れるように」と若い医師にいってからこちらに向かって
「どうですか、圧を感じますか」
と訊かれたので「はい」と応えました。実際圧力を感じました。
再び若い医師に向かって
「最後まで入らなければその周りに散らしても大丈夫ですよ」
麻酔が終わると「完璧」と褒め称えていました。それを聞いてこちらもすごく安堵しました。なかなかひとの心を操るのがうまい。
そして「15分くらい経ったら麻酔が効いてくるのでそれから整復します」とのこと。
15分後、ベテラン先生が手で引っ張ってくれました。痛みはそれほど感じませんでした。
それからギプスシーネで固定。若い医師は固定の仕方の指導を受けながら近くで見ていました。
これも、「なるほど、そういうところに気をつけて固定しているんだ」と分かり、ますますいい先生だなーと思いました。
そのあとどのくらい元の位置に戻ったかを確認するためレントゲンを撮ったのですが、なにしろ患者が多くて大分待たされました。
結果は手首の体側にある骨、橈骨が折れて重なり合っていたのを見事に元の位置に戻してくれていました。
これで救急の処置はおしまいですが、最後にレントゲン写真を見せながらベテラン先生の説明がありました。
「骨は元の位置に戻っていますが、関節が折れていることから手術をお勧めします」とのことです。
治療はこの病院に通うのは大変なので以前の病院に紹介状を書いてもらいました。紹介状とともに写真のCD-ROMも添付してくれました。
廊下に出るとずらっと並ぶベンチが患者と家族でいっぱいでびっくりです。
受付で診察券を受け取り、初診なので必要書類に記入をしたあと、一枚のメモ用紙を渡され、全ての診療が終わったら連絡が欲しいとの警察からのメモでした。
警察の現場検証
救急処置が全て終わったのは21時になっていました。おそらく病院に到着したのは19時過ぎ、処置が終わるまでに2時間弱かかったことになります。
そして会計を待つ間にメモのところに電話すると、帰りはどうするのかというのです。
タクシーで帰ろうと思っていると答えると、また改めて電話するということ。
一体何をしたいのかかわからず、「何か届出等が必要なのですか」と訪ねました。
すると、「交通事故かそうでないかを確かめたいので現場を見せて欲しい」ということでした。
しばらくして電話があり、タクシーが病院に着いたら電話して欲しいということです。
結局、会計を済ませ、痛み止めの薬をもらい、タクシーに乗ったのは22時半になっていました。
23時頃自宅に着くとパトカーが1台止まっており、つづいてワゴン車のパトカーが到着しました。
まず、乗っていたMTBを見せてくれというので車庫を開けると、写真を撮りたいといってたくさんの写真を撮りました。続いてメーカーを訊かれたので、本当は違うのですがルイガノと回答。
転落現場までパトカーに同乗して現場に向かいます。
そうそう、警察官は総勢5名。どうやら交通課と地方課で、どちらの担当になるのかわからないので両方の部署から来たみたいです。
こちらも痛いやら疲れているやら腹は減っているやらで、早く切り上げたかったのですが、それぞれの担当者が別々に質問するのでぐったりでした。
そして最後に
交通課「それじゃ地方課で」
地方課「こちらが担当します」
ということで一件落着。
まとめ
最後までお読みいただきありがとうございます。
市民病院のドクターには良い先生がいる。ただし混んでいて手術も多い。
手術件数が多いということは安心材料だけれど、なにせ我が家からは不便。
救急車を呼ぶと警察にも連絡がいき、単独事故でも現場検証がある。
ということを今回学びました。
現場検証は23時半頃に終わってようやく解放され、タクシーで帰る途中で寄ったコンビニで買ったカレーうどんを食べました。本当は親子丼が食べたかったのですが、深夜になるとご飯ものはほとんどなくなっているのですね。
痛みについてですが、家に帰って横になった時に左の腰が痛いことに気がつきました。肩は痛みを感じたところと傷のあったところがずれていました。
このように大きな怪我をした時は、おそらくアドレナリンのせいで痛みの感覚がにぶくなっていることを実感しました。
空腹も気持ちが落ち着いた時に初めて感じました。
ひとの体は当面の危機に対応するようにできているようです。
なお、事情があって別なところにいる家内も家まで来てくれたので一応お伝えしておきます。
では、このへんで
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