Hakuto-日記

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熊野古道-中辺路を歩く(その3) 【小口〜熊野那智大社(大雲取越)】

朝の湯の峰温泉

前回からの続きです。

 

今回は熊野古道3日目。

中辺路を全踏破するためには、熊野本宮大社から小口までの小雲取越を歩き、続いて那智大社までの大雲取越を歩くことになる。

しかし、そうなるともう1泊する必要があり、3泊4日の日程ではちと難しい。

そこで、なくなく小雲取越をあきらめて、バスで小口に入り、大雲取越を歩き、さらに那智駅近くの浜の宮王子まで歩くことにした。

熊野古道-中辺路を歩く(その1) 【滝尻王子〜比曽原王子】

熊野古道-中辺路を歩く(その2) 【継桜王子〜熊野本宮〜湯峯王子】

 

 

熊野古道 3日目

中辺路3日目。ようやく雨が上がる。朝6時半、湯の峰温泉の宿を出発。

昨日の宿はゲストハウスだが、元は旅館だったということだ。だからちゃんと温泉もある。それも共同浴場ではなく、プライベートで使える贅沢なものだ。それが3つある。

 

ああ、たっぷり温泉に浸かって疲れが取れた、と言いたいところだが、3日目ともなるとだいぶ疲れが出てきている。昨夜飲んだアルコールが残っているような気もする。

 

朝食は、フリーズドライのカニ雑炊と宿で提供してくれた白粥を食べた。バス停留所に着いたのは出発時刻の10分前で、短い待ち時間ではあったが、朝の冷え込みでかなり寒かった。

 

定刻より少し遅れて出発。神丸で下車する。ここで乗り換える必要がある。

 

小口行きのバスが出るまで約30分。バス停の前を行ったり来たり、軽くジョギングをしながら体を温めた。

 

バスを待っていると、本宮から新宮に向かうバスがやってきた。このバスから例のオーストラリア人の二人も降りてきた。お互いに「グッドモーニング」。

バスをまっいるとこんな風景が

小口行きのバスは始発だった。なんと料金は統一で100円。ありがたい。バスが小口につく。オーストラリア人の二人は一つ前のバス停で降りていった。てっきり同じコースを歩くのかと思っていたが、勘違いだったようだ。きっと小雲取越を行くのだろう。

 

小口で降りて、さて、どちらに向かったらよいものかと迷う。地図出して確かめ歩き出すと、廃校となった小学校があった。これで方角が飲み込めた。

 

この小学校のトイレを借り、近くの商店に入る。するとお店の女店主が出てきた。

「今日はいいお天気になりましたね、これから大雲取越ですか? 雨に濡れてよく滑るので気をつけて行ってきてください」

「ほんと、ようやく晴れました。予報では今日だけのようです。気をつけて行ってきます」

そんな会話を交わしたあと、あんこ巻なるものを買う。

 

今日これから大雲取越えを歩くのは、西洋人の中年女性、日本人の中年男性、アジア人の青年、そしてこのぼく。たったこれだけだ。大方はさっきの一つ手前のバス停で降りて行った。

 

8時25分、大雲取越と書かれた小さな案内から階段を登っていく。その取り付きのところにスタンプ台が設置されていた。ぼくが押していると、アジア人の青年も後ろで待っていた。

大雲取越の登り口

階段を登っていくと民家の間を抜け、舗装路に出た。ここでもどう進んで良いかがわからず地図を確認。少し分かりづらかったが、ウォークガイドマップが役に立った。

 

舗装路から大雲取越の山道に入っていくと、苔むした石段がずっと長くつけられていて、なんだか癒される。ガイドマップを見てわかってはいたけれどずっと上り坂だ。そして言われた通りかなり滑る。これが下りだったら怖いだろうなぁと思っていたら、なんと向こうから降りてくる人が。こんな早くに一体どこから歩き始めたのだろう。

苔むした石段。静かな山歩きが楽しめそうだ。

9時頃、四阿があったのでそこで休憩。今朝買ったあんこ巻きを食べ、宿で入れてきたポットの白湯を飲む。

 

少しの間平らなところが続く。だがその後の上りがすごい。胴切坂と言うらしい。これが永遠と続く。先の方が明るく見えたのでそこで終わりかと思ったら左にカーブしてまだまだ続く。さすがに3日目ともなると軽快には登っていけない。

円座石(わろうだいし)

やったー! 光が差している。

胴切坂

10時55分、越前峠到着。やったー。小口から約800メートルを一気に登ってきた。ここからはもう大きな登りは無い。小さなアップダウンを繰り返していくはずだ。今度大きく下る時は、那智大社に着く時だ。

 

そういえば、ここに生えているのは杉ばかりだと思っていたけれど、このあたりに生えているのはヒノキだ。ちょっと杉とは違った風景。細かい枝が多いようだ。

 

また、ところどころに短歌や俳句の石碑が立っていて、こうしたもてなしが疲れを癒してくれている。

 

ここにある歌碑は「輿の中海の如しと嘆きたり石を踏む丁のことは傅えず」という土屋文明の歌があった。後で調べると、藤原定家の『熊野御幸記』に「輿の中海の如く」とあり、いかにこの大雲取越が大変であったということが書かれている。文明はそれよりも下僕(「丁」よぼろ)のほうが大変であったろうと皮肉っている歌のようである。

 

11時40分ごろ、地蔵茶屋跡の休憩所に到着。ここが大雲取越のおよそ中間地点。ここで30分ほど昼食休憩。

地蔵茶屋跡の休憩所

12時10分出発。しばらく林道を進むが、この林道がまた結構な登りであった。途中から熊野古道に入り、再び林道に出る。一旦下ってまた登り。最後の八丁の堀割のところから急な石畳の上りである。これが九十九折りできつかった。

林道脇には川が流れ、だいぶ濁っていた。

雰囲気満点

三角の石段

八丁の堀割

疲れてなかなか進まなかったが、13時20分、何とかこの縦走路最後の最高点、船見峠(883m)に到着。

 

峠の上の平坦な道を進み、多少のアップダウンはありながらぐぐっと下っていく。残りあと5キロである。

 

船見峠から少し下ると茶屋のあったところに出る。その左の上の方に展望台がある。展望台からは海が見えるそうだ。少し登っていくと前方が明るく見える。果たして海は見えるだろうか。四阿が見える。そこが展望台のようだ。そこまでいくと海が見えた。やった。晴れてくれてよかった。

 

展望台では西洋人の中年女性とアジアの青年が二人で話をしていた。二人は英語で会話しており、こちらはちっともわからない。ただ、木曽路という言葉が聞こえたので、これまで歩いた日本の街道の話でもしているのだろう。

船見茶屋跡 この上が展望台

海が見えた!

見えているのは紀伊勝浦

二人を残して元の道に戻る。そこからは石畳の坂をどんどん下っていく。途中、舗装路と並行して進み、その後少しづつ別れていくとそこで石畳が終了する。そこは那智高原公園。14時30分到着。公園内の坂を抜けて那智大社向かって降りて行く。

 

舗装路を見下ろしながら歩く

 

公園内を下っていく

500mごとにある番号標識の1番

熊野那智大社まであと少し

再び現れた石畳を滑らないように下っていく。

そして15時をちょっぴり回ったとき、そこはもう山中ではなく寺社というテーマパークの一角に入り込んでいた。

 

こうして那智山青岸渡寺の裏手から回り込んで本堂、その先が熊野那智大社への入り口になっていた。境内には大勢の参拝客がいた。

青岸渡寺

延命の水 清浄水

境内からみえる那智の滝

熊野那智大社に参詣

ここで再びスタンプ探し。行ったり来たりしたがわからない。結局、宮司さんに聞いてスタンプを押す。スタンプは単に拝殿の脇のテーブルの上にあった。

 

続いて青岸渡寺の方も本堂前で作業をしていた方に聞いたところ、やはり参拝をする左手にあるという。すこしキョロキョロしたがなんとか見つかる。

 

続いてのスタンプは、那智の滝前の飛瀧(ひろう)神社である。三重塔の前を通り、クネクネした道を下っていく。左に折れると急な坂道になり、大勢の列に入ってどんどん下っていく。こうして滝の目の前に出たところに神社がある。ここではすぐにスタンプの場所を聞いた。それはなんと滝がよく見える正面の台の上にあった。

三椏と三重塔

これは桜?

間近にみる那智の滝

リンク先:

https://www.tb-kumano.jp/wp-content/uploads/2020/03/kumanokodo_nakahechi_ogumotori-goe_walkmap.pdf

 

まだまだここから那智駅まで歩いていく。けれど続きはまた次回に。

(読む方も疲れたでしょう。書く方もつかれました。)

 

つづく。

 

 

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