Hakuto-日記

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熊野古道-中辺路を歩く(その4) 【多富気王子〜浜の宮王子、そして新宮駅まで】

大門坂の石段

前回の続きです。

 

中辺路の最終は、熊野那智大社から浜の宮王子の海岸線に出て、そこから海岸線を伝って新宮までのコースになる。

一般的には、熊野本宮大社から神丸の少し先、熊野川の舟下り乗り場から川を下って新宮(熊野速玉大社)に行き、今回のぼくが歩いたコースとは逆に歩いて熊野那智大社に向かうというもののようである。

 

熊野古道-中辺路を歩く(その1) 【滝尻王子〜比曽原王子】 - Hakuto-日記

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熊野古道-中辺路を歩く(その3) 【小口〜熊野那智大社(大雲取越)】 - Hakuto-日記

 

熊野古道 3日目(続き)

3日目、時間が遅くなった場合は熊野那智大社から宿のある紀伊勝浦駅まで、バスで向かうことを考えていた。

しかし、思ったよりも早く熊野那智大社に到着できたので、暗くなるまでに那智駅につけると判断し、駅まで歩くことにした。

ただ、那智の滝でちょっと時間がかかったので少々急ぐ必要があった。

 

滝から駅までの間にあるスタンプ押印場所は、大門坂の多富気王子、市野々王子、駅の近くにある補陀洛山寺と浜の宮王子だった。明日は、那智駅から歩き始めるつもりなので、駅の近くのスタンプ押印場所は翌日でも構わないと思っていた。

 

まずは大門坂に向かう。この辺りの道はクネクネとしており、地図をみてもよくわからなかった。とりあえずその方角に向かって歩いていく。すると旅館らしき建物の裏手に向かって「熊野古道」の案内板が立てられているのを見つけた。

 

それにしたがって進んでいくと、大門坂の石段にたどり着いた。あとはここからひたすら下っていくだけである。なお、この坂の途中に多富気王子があるということなので、見逃さないように気をつけながら下っていく。

 

ところが、この石段がよく滑る。よーく足の置き場を選ばないとツルッと行きそうな感じだ。実は気をつけていてもズルくらいはすべったりしていた。

 

足元と王子探しをやりながら、そして少々急ぎながら石段を下っていく。

 

これまで3日間、石段や石畳を歩いてきて、履いているメレルのカメレオン8の弱点が見えてきた。足にフィットしていて靴擦れなどは一切起きていないことは、シューズ選びとして成功しているけれど、石畳のように固くてツルッとした路面は、苦手である。

 

一気にツルッといくようなことはなかったけれど、グリップ力が弱いのは確かだ。前のサロモンよりは多少はよいといった感じだ。ソールが硬いので、足に細かい突き上げは感じないので疲れにくい。けれど、硬い分接地面積が少なくなるためだと思われる。もう少し柔らかいソールの方が日本の山には合っている気がする。

 

そんなことを思いながら大門坂を下っていくと、いつの間にか下まで来ていた。

 

あれっ、多富気王子がない。念の為もう少し先まで歩いてみた。やはりない。地図を広げて確認すると、やはり通り過ぎているようだ。仕方がない。戻るか。

 

急ぎ足で坂に戻り、再び石段を登っていく。ない。また下る。見つからない。しょうがない、もう一度登る。さっきより少し上まで行くと、あった。よかった、と思ったのも束の間、スタンプ台がない。

 

やっと見つけた多富気王子だが

押印帳を出してみると、「スタンプは、大門坂茶屋にあります。(9:00〜16:00)」と書かれていた。さっき通った時に大門坂茶屋なんてなかったぞ。そう思ったが、ガイドマップを見ると確かにある。よくよくみながら下っていく。やはりない。おかしい。再び登る。

 

茶屋には見えないが、古民家があったのでよく観察すると、生垣の中の玄関脇にスタンプ台らしきものが見えた。入ってみるとやはりそうだった。これでは下っている時には見えない。そしてとくに茶屋の看板はない。

 

それでもなんとかスタンプを押せたのでよかった。ここまで来てスタンプラリーの間を飛ばしたくはない。それにしてももう少しわかりやすい場所においてもらいたいものだ。多少時間は過ぎていたけれども。

 

そこからはもう地図と睨めっこで古道を歩いていく。そこからは古道といっても生活路で民家の間を抜けていく。

 

その途中にあるのが市野々王子。ここは小学校の斜め前に建っている。しっかり手入れされた境内をみて、これまでずっと住民がしっかり守ってきたことが伺えた。

民家の中にある市野々王子

このあと、わかりづらくてちょっと行き過ぎてしまったが、霊園に向かう道に入っていく。本当にこっちでいいのかと不安になったが、坂道を登っていくとやがて標識があり、間違いないことに安心する。

ここから山道に入っていく。現在17時半、まだ明かりが残っていた。日が暮れるまでにあと30分もない。早くここを通り過ぎなければと気持ちが急く。

 

実際は10分くらいで抜けられる道だったのだが、小川に沿った細道で結構荒れていた。連日の雨のためか一部、完全に川になっている部分もあり、難所であった。

 

この山中に尼将軍供養塔があり北条政子との縁が語られていた。それによると政子は、源頼朝没後、尼となり子の頼家、実朝の後見となっていたが、子らが次々と暗殺された。その苦しみから、熊野三山詣をし、子の供養のため供養塔を建てたと伝わる。

尼将軍供養塔

なんとか明かりが残っているうちに山を抜けることができた。だがもうあたりは薄暗くなっていて、車はライトをつけて走っていた。それに加え、なんとまた雨が降り出す。

 

18時少し前に補陀洛山寺に着く。とりあえずスタンプがあれば押しておこうと思い境内を見渡すと、本堂正面の隅に見慣れた小鳥小屋のようなスタンプ台が目に入った。行ってみると補陀洛山寺と浜の宮王子の二つのスタンプが置いてあった。お参りは明日にまわし2ヶ所に押印する。

 

那智駅からは、バスに乗って紀伊勝浦駅に向かった。

 

 

熊野古道 4日目

その夜は、地元食材の美味しいものを食べ、温泉に浸かって疲れを癒した。

泊まったゲストハウスは駅前にあった。そのオーナーのおすすめのお店だった。温泉についても情報をくれた。とても親切な方だった。


ベッドに横になるとすぐに爆睡。朝目覚めると6時35分、目覚ましをかけ忘れた。予定の電車は7時16分発、まだ間に合う。朝食をコンビニに買いに行く時間があるかは微妙なところ。窓から外を見ると予報通り雨が降っている。


急いで洗面を済ませ、荷物の整理をすると7時。靴を履いて駅に着くと7時5分、うーん朝食は諦めよう。行動食のソイジョイが1本ある。


7時16分、なんと同時にあっちとこっちから電車が来る。ホームでレインウェアを着ていたので、よく行き先を見ていなかった。さて、どっちの列車に乗っていいのかがわからない。車掌の姿も見えない。実は方角がわかっていなかった。電車に乗ってから向こう側じゃないのかと思ったところでドアが閉じた。続いてこちらの扉が閉じた。

 

走り出してから車内アナウンスがある。やはり間違っていた。やがて海が見える。反対方向に向かっていることを自分の目で確認。昨日電車ではなくバスで来たのでどちらが海側なのかがわからなかったである。それに同じ時刻に列車が発車するなんて。


次の駅まではかなりあった。歩いたら1時間くらいかかりそうだ。降りるとき車掌に間違えて逆方向のに乗ってしまったと言ったら切符をそのまま持っていていいと言ってくれた。さらに時計を見てもうしばらくしたら反対側の電車が来ると教えてくれた。


この駅は海の近くにあり、海からの風が強かった。雨も強くなっている。階段下で雨風を凌ぎながら電車を待つ。

 

風雨を避けながら次の電車を待つ

こうして8時、無事に那智駅に到着。予定より30分程度の遅れだ。たったこれだけの遅れで済んだのは本当にラッキーだった。

補陀洛山寺

浜の宮王子

傘を差しながら、まずは補陀洛山寺にお参り、続いて浜の宮王子に参詣。明治以前はこうした神仏習合であったということである。一時は明治維新はすばらしい、そのおかげで日本は近代化したと思い込んでいた。だが、こうした伝統や文化をいとも簡単に変えたり無くしたりしたという罪の部分についてこれまで教えられてこなかった。そのことを知ってしまうと、そんなに単純に賞賛すべきものではないと今では思える。

 

このあと、裏道から国道にでると車とその水はねに気をつけなければならなかった。さらに海沿いなので風が強く、弱々しい折り畳み傘を風の方向に向けながら、修行僧のように歩いていく。

 

途中、こんもりとした山には昔ながらの古道が残っており、大狗子(おおくじ)峠を越え、小狗子(こくじ)峠を越えた。

大狗子峠

小狗子峠

小狗子峠の石畳

こうした部分的に残る古道は、舗装路を歩いてきた後では余計に貴重に感じられ、こうした道を延長して当時の姿を想像しながら歩いた。

 

小狗子峠を降りてきたところにスタンプ台が設置されていた。ぼくが歩いているのは一般とは逆コースということがこれでもよくわかる。一般コースで歩けば峠の入り口にスタンプ台が置かれていることになる。これが反対だとかなり不安になる。

 

時刻は9時半、そろそろ腹が減ってきた。やはりソイジョイ1本では腹が満たされない。ところが、那智駅から北にはまったく店がない。このあと、ふたたび国道を歩いて10時に佐野王子を過ぎる。それから少し進んだところにマックの看板が見えた。ここでハンバーガーを買い、歩きながら食べた。

 

このあとガイドマップで点線の未舗装路は1ヶ所だけ。あとは雨風を受ける舗装路である。

 

その最後の未舗装路は高野坂というところで、ここは峠という名がついていないように、険しいところではなかった。そのせいか、とてもよく整備されており、気持ちよく歩けた。けれどそれなりに上まで登ったけれど。

高野坂までのアプローチ

高野坂の石畳

そして最後にこの眺め

高野坂を降りてきてトイレ休憩。時刻は11時15分。帰りの電車は新宮駅発12時45分。予定がタイトだったことや電車を乗り間違えたことなどで、熊野速玉大社まで歩くことは出来そうにない。

 

ではどうするか。バスで速玉大社まで行って熊野三山詣を達成するか、途中まで歩いて終わりとするか。

 

バス停で時刻を確認すると、駅まで行くバスが帰りの電車にようやく間に合う時間で、それもあと30分くらい待たなければならなかった。ということで駅までこのまま歩いてそこで今回の中辺路徒歩旅行を締めくくることにした。

 

スタンプの押印帳はさっきの高野坂の次は阿須賀(あすか)神社、神倉神社、そして熊野速玉大社となっている。この3つはまた次の機会に回すこととしよう。

浜王子手前の道路から

こうして12時を少し回った時刻に新宮駅に到着。ここでおみやげとお弁当を買うことにした。だが、売店がない。向かいのコンビニに行ってみたがお土産物は置いておらず、店員さんに聞くとお土産物屋があるのは少し離れた場所だという。仕方なく弁当のみ(もちろん地酒とビールも)買って特急に乗り込んだ。

 

駅弁が買えなかったのは残念だが、地酒が買えたのは幸運だった。その幸運を噛み締めながら雨にけぶる景色を眺めていた。

 

乗り換え駅の名古屋駅は大混雑で、乗り換え時間が短かったため土産物も買えずに帰ることとなった(新横浜の売店で熊野とは関係ない土産を買った)。

 

熊野古道中辺路 全体図

(出典:熊野古道 中辺路 – 田辺市熊野ツーリズムビューロー)

 

最後に

新宮駅で

こうして3泊4日の熊野古道中辺路の旅は終わった。

コンパスアプリによると、実際に歩いた距離は全部で95キロ。ガイドマップに記載されている距離よりもだいぶ長い。

実感としてはそのくらいは歩いたような気がする。

最終日に歩いた海岸沿いは、自転車日本一周で走らなかった部分なので、つぎは自転車で走らなかった和歌山から松坂までを繋いでみたいと思う。

そして雨の中、怪我も病気もなく無事に完歩できたことに熊野の神に感謝したい。

 

では、このへんで

 

 

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