ずっと歩きたいと思っていた熊野古道。
2月後半の連休にとうとう行ってきた。
歩いたのは中辺路(なかへち)といわれるルート。
ここが一番ポピュラーだということで選んだ。
残念ながら天気はほとんど雨だった。
熊野古道を歩きたい
「熊野古道を歩きたい」
テレビなどで紹介されているのを見たり人伝に聞いたりして、漠然とそう考えていた。
「よし、いくぞ」と決めて調べ始める。
すると、知っているのは熊野本宮大社まで多くの人が参詣するために歩いた道であるということくらいであることに気がついた。
以前ならガイドブックを買ってきたのだろうが、現在はネットがある。
まずはお手軽にYouTubeで調べる。
ところが、ほとんどが自分が歩いた道を断片的に紹介してくれているだけなので、全体像が浮かばない。
そのなかでも初心者向けの説明をしてくれている方がいて、参考になった。
けれど、頭の中でイメージすることができなかった。
やはり、ガイドブック的なものがあったほうがよい。そう考えるとガイドブックとはよく考えて作られている。だが、そのまえに観光協会か何かのホームページを覗いてみよう。
すると、やはりそこにはしっかりとわかるように説明してくれていた。
ここで、熊野古道をよく知らないという方のために簡単に説明しよう。
熊野古道とは・・・
古代から中世にかけて熊野三山(本宮、新宮、那智)に詣でる人々が数多くいた。それは貴族から庶民にいたるまでであったという。そのときによく通った道が熊野古道といわれている。
熊野古道にはいくつかのルートがある。
1.紀伊路・・・京都から大阪、和歌山を通って田辺まで
2.中辺路(なかへち)・・・田辺から山中を通って熊野本宮大社、そして那智大社を経て新宮(熊野速玉大社)まで
3.大辺路(おおへち)・・・田辺から海岸線を通って那智、新宮まで
4.小辺路(こへち)・・・高野山から本宮まで
5.伊勢路・・・伊勢から本宮、新宮まで
6.大峯奥駆道(おおみねおくがけみち)・・・吉野から大峯山を通って本宮まで(山伏たちの修行の道)
自転車日本一周の際、大阪から和歌山まで海岸線を通ったのでほぼ伊勢路、その後高野山、吉野に行った。昨年は大峰山にも登った。なんだかほかの古道も歩けと誘われているような気になる。
熊野古道1日目
2月21日(水)、横浜から夜行バスに乗る。翌22日午前7時30分、紀伊田辺駅に到着。紀伊田辺駅発8時2分のバスに乗り、中辺路ルートの起点である滝尻に向かう。8時45分頃、予定より少し遅れて到着。この時降りたのは、ぼくのほか西洋人の若い男女二人だけ。この二人はまだ若そうだ。たぶん20代。
まずは滝尻の熊野古道館に立ち寄り、押印帳を買う。まぁスタンプラリーである。ぼくが古道館に入ったら、その二人も後から入ってきた。そしてぼくより先に歩き始めて行った。
この日から数日間、全国的に雨の予報で、このときは細かい雨が降っていた。
スパッツをつけたりレインパンツを履いたりなど身支度を整え、9時10分ごろ古道館を出発。道路を渡った向かいが滝尻王子だった。
「王子」というのは熊野神の御子神を祀った神社で、現在まで残っているところもあるが、ほとんどはその遺跡。ちなみにウィキペディアによれば御子神(みこがみ)とは『神社において親子関係にある神が祀られる場合、子に当たる神のこと』とある。
滝尻王子の裏手から山道の登りになり、少し登っていくと胎内くぐりがある。大きな岩同士が寄りかかって隙間ができている。潜ろうかと思ったがかなり狭く、雨でドロドロになりそうなので断念する。
そのすぐ上に乳岩がある。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将で奥州平泉藤原氏第3代当主である藤原秀衡が熊野詣での途中、妻が急に産気づいてこの岩屋で出産したと伝える。
夫妻はここに赤子を残して旅を続ける。戻ってみると、岩から滴り落ちる乳を飲み、オオカミに守られて無事だっという。
そんなお腹をして山に登るかな。眉に唾をつけて読む。
そこから不寝王子(ねずおうじ)を経てしばらく上りが続く。わりと急である。そしてその頂上の剣ノ山(標高371m)に到着する。ここに教典が埋められていたと書かれていた。封筒に入れ、それを壺に入れてあったらしい。それがその経典の封筒が盗掘されてしまったということである。
剣ノ山からはなだらかな下り。すると、
「ウォ!」
大きなカエルが数匹道の真ん中に。あやうく踏んづけるところだった。ああ、びっくりした。親子ガエル。すごい、初めて見た。道端の草むらからはカエルの鳴き声が聞こえた。
10時20分、展望台下に到着。階段を上る。景色は期待していなかったが、幸運にも少し晴れてきて雲の下に山の峰が見えた。うっすらと山に架かる雲の感じがよい。なんだか時代をさかのぼるようなそんな気持ちにさせてくれる。この展望台があるのは飯盛山341メートル。
そこからの下りはわりと長く感じた。結構下った。ずっと下っていくと石畳が現れる。その石畳を下ると舗装路に出る。あれ、熊野古道はどっちだ。舗装路の反対側に熊野古道の登り口があった。
さて今日の熊野古道、今のところ誰にも会っていない。静かな山歩きである。再び登り返すと平坦な道になる。暑い。歩き出す時に薄着になったつもりだったが、朝のうち寒かったのでやはり着すぎのようだ。
そんなことを考えて、どこで脱ごうかと考えていたら、前方からやってくる人とすれ違った。外国人の女性だった。外国をひとり旅、それも山歩きの旅をするなんてすごいなあと思う。
そこから少しいくと、民家があった。その家の前がちょっとした広場になっていて、垣根のこちら側にベンチが置いてあった。ちょうどいい。ここで休憩しよう。
そういえば、雨は止んでいた。気温は10度くらいある。だからレインジャケットを脱いでウインドブレーカーに変えた。いくらゴアテックスとはいえやはり蒸れてくるのである。
それに人がいないことをいいことにタイツも脱いだ。このタイツは失敗だった。発熱するタイプで動くと暑い。活動時には向かないのである。わかっていながらも、滑りが良いので履いてきてしまった。もう履かない。
熊野古道1日目は、滝尻王子から継桜王子手前の宿まで歩く予定である。比曽原王子と継桜王子の中間くらいのところである。移動距離は16キロほど。現在までの移動距離は4キロ弱。まだまだだ。
そこから先は舗装された道になり、民家が続いていた。宿の案内板もあった。そして少しいくと高原の集落に出た。山の中の集落、いい感じだ。
木工品のギャラリーがあったので中に入ってみる。すると木の温もりに包まれて心が癒された。
この集落に高原熊野神社がある。スタンプ押印地点なので、スタンプ置き場を探すが見つからない。よく見回したがあの木製の小さな祠のようなスタンプ台が立っていない。
半分プレハブのような建物の入り口のところに、スタンプは中にあると書かれた貼り紙があるのをようやく見つけた。ほっとした。ついでに芳名帳に住所と名前を書いて立ち去った。
その元の道に戻って舗装路を下っていくと、左手に無料休憩所があった。ここの駐車場は展望台になっていて、下に棚田が見える。その向こうに果無山脈(はてなしさんみゃく)と言う山々が見渡せる。
ここの休憩所の少し手前が分岐になっていて、古道は右の方へ斜めに入っていく。すぐに民家の間を抜ける狭い坂道になる。そこにはきれいに石畳が敷かれていた。
ところが雨で滑って登りにくい。つま先を蹴るとずるっとすべる。なので、登山においてすべらない登り方の良い練習になる。蹴らずに体重移動することがポイントだ。
その後、舗装路に出てさらに登っていく。ゲストハウスなどが立っていた。そして舗装が突然終わり、その先は狭い山道になる。山道を少し行くときれいに置かれた石畳。これは平らな石ではなくて凸凹した石、幅は2メートル、1メートル半位かな。 この幅に石畳が敷かれていて、平らな石畳よりも少しは歩きやすいように感じる。ただ、ここから先は杉の森になっていて、なんだか薄暗い森になる。
そこに四阿があったのでここで昼食。
大門王子から十丈王子へ向かう道は、崖の横腹を通る道であった。大門王子は社の中に雛人形が飾ってあった。
崖道を抜けると、平らな歩きやすい道が続く。杉木立の中にモヤがかかり、何とも言えぬ神聖な雰囲気が漂っている。十丈王子を過ぎても、崖のトラバースは右側を行ったり左側を行ったりして続いていた。杉木立も時々雑木林に変わったりした。大阪本王子に近づくにつれ尾根道に変わる。そこは雑木林でこれまでとだいぶ雰囲気が変わる。
久しぶりに登り坂になった。それもかなり急で綴れ織りになっている。そこを登ると標高600メートルの平らな山頂が広がっていて、昔、上多和茶屋があり民家もあったという。
下っていくと、くねくねっとしてひょろひょろっとした木が群生していて、ちょっと変わった雰囲気になる。
その後また杉林の中に入る。杉林の中に入るとモヤが立ち込めている。杉林の中はモヤが立ち込めやすいのかと思ってしまう。
どんどんと下っていく。これが長く、一旦舗装路を渡ってからさらに急な下りとなり、ジグザクに下っていって沢に出たところが大坂本王子である。そこからさらに沢に沿って下っていくとやがて国道にぶつかる。
そこに道の駅があるので道路を渡って休憩。暖かいミルクティーで疲れを癒す。ここまででかなり疲れた。だが、のんびりしていると日が暮れそうなので急いで出発。
つぎは牛馬童子を目指す。ここにさっき道の駅で見た童子像の本物がある。高さ50センチほどで小さい。なんだかヒビが入っているそうなので触れたりしないようにとの注意書きがあった。
そこから間違えて裏山の方に行ってしまった。少し歩いておかしいと思って引き返したらやはり間違った道だった。次の近露王子は山を下って町に出て、橋を渡ったところにあった。
さて、今日泊まる宿は比曽原王子のすこし先である。急ごう。
近露王子からは200メートルくらい登り返すことになった。ここで再び汗をかいた。疲れてきたせいかこれがとても遠く感じた。おまけに止んでいた雨がここで細かく降り出した。
5時をすこし回った時刻に宿に到着。
夕食は、同じ宿の別棟に泊まっている二人が此処で一緒に食べるという。やってきてみたら、なんと今朝一緒に滝尻で降りた二人連れだった。彼らはオーストラリアから来ていた。明日の予定を聞くとぼくと同じ、そしてその次の日の予定も同じようだった。
つづく。
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