前回は八合目まで登ったところまでだった。
ともかく急な坂を真っ直ぐに登っていく登山道である。
樹林帯からガレ場、再び樹林帯からガレ場と続く。
急ながれ場ではストックは邪魔になる。
ストックを出したりしまったりとけっこう面倒臭い。
体がキツいのでなおさらだ。
さて、八合目の先はどうなっているのだろうか。
八合目から頂上
八合目の岩に座って補給食を食べながら、前日に同じ奥白根山を登った男性と7、8分話をした。その男性は広島から来ているとのことだった。
お互い長い急坂に参っていた。
ここから先はずっとぼくが先行し、広島の男性が後に続く。
すこしガレ場が続き、再び樹林帯に入る。
このあたりが九合目になるはずだが、下ばかり見ていたせいで道標には気づかなかった。
補給食が効いたせいか、この辺りでは初めの頃のキツさは和らいでいた。
けれどもゆっくりゆっくり一歩ずつ足を踏み出していく。
すると、前方が開け、赤ちゃけた岩のごろごろした登山道が現れた。
その末端あたりに立つと、下に中禅寺湖や戦場ヶ原が広がり、遠くには山々の稜線が流れる雲の間に見えた。
そのなかにひときわ高く、形の良い山が見えた。AR山ナビアプリで調べたら昨日登った奥白根山のようである。
だが調べている間に山頂は隠れてしまった。
この少し上で広島の男性が追いついた時に「奥白根山が見えましたよ」と言ったら、
「やはりあれがそうでしたか」と返ってきた。
やはり昨日登った山は気になるものとみえる。
頂上直下では下山する人も多かった。丸くゴロゴロした岩でずるずる滑っている人も多く見かけた。
このあたりは富士山の登山道を思わせる。
できるだけ左右に振れながらジグザクに登っていく。体力温存だ。まだ下りが待っている。
こうしてたんたんと足を前に出して10時40分、頂上に着いた。八合目からは50分。まあまあの速度だ。
頂上にて
頂上には鳥居が立っていてその奥に社らしきものが見えていた。
ともかくそれを目標に登っていった。
山頂に到着するとまずは奥宮に参拝する。こうしてなんとか頂上に立てたことに感謝する。
あれだけきつかったのに頂上までこれたことの安堵感と達成感が湧いてくる。
奥宮の脇では白装束の修験者が岩に腰掛けて休んでいた。
自分も修験者になったような気分である。
この奥宮の前で記念写真を自撮りしていると広島の男性も登ってきて、そのまま右手の小高い岩山の方へ向かっていった。
少し遅れてぼくもそちらに向かう。
その途中に山頂の標識があり、そこでシャッターを押すように頼まれたのでついでに自分もとお願いして撮ってもらった。
広島の男性が岩山から降りてきたので、あの上に立つ細い棒のようなものは何だったのかと尋ねると、「どうぞご自分で行ってみてください」とのこと。
余計に気になり、急いで岩山に登る。そこに行ってみると、御神剣が天を突き上げていた。そしてそこが男体山最高地点で三角点のある場所であった。
山頂はガスが出たり太陽が出たりと目まぐるしく変化している。
岩山から奥宮の方へ戻ってくると、社務所らしき建物の脇で昼食を食べ始めている広島の男性を見つけたので、近くに座って一緒に昼飯を食べさせてもらう。
そこで話したのは、やはり定年後のことである。
ぼくが金曜日が休みになったので、金曜に菅沼でキャンプして翌日に奥白根に登り、下山後日光に移動して菖蒲ヶ浜にキャンプし、そして今日は下の駐車場にバイクを置いて登ってきたことなどを話すと、
「仕事はフルで働いているのですか」と訊かれた。
「だいたい週に4日。5日の時もありますけど。でもほとんど午後からです」と答える。すると、
「わたしもいまだに仕事をしていまして」という。土日を使って来ているのだからそうだろうと思っていた。
「リタイア後、そのまま仕事を続けているのですか」と訊くと、そうだという。
そこで、ぼくは一切仕事を辞めて自転車日本一周をしたことなどを話した。
するとその男性は、若い頃に自転車で九州を一周したことが2度ほどあるという。
どんな自転車かと訊いたら、特にランドナーなどではないという。普通の自転車ということだった。
自転車日本一周のときも、声をかけてくれた人の多くは自身も自転車の旅を経験したことがある方が多かった。ぼくはよく知らないが、自転車旅行ブームがあったようだ。
仕事の方も、ぼくと同じくボランティア活動をしているということで共通点が多かった。
「これから広島に帰られるのですか」と尋ねると
「塩原の方に知人がおりまして、これからそこに向かいます。そのあとも福島の知人と会う約束をしています」とのことであった。
下山開始
1時間ほど山頂に滞在し、さて下山しようと思ったところ、まだ反対側の像のある方に行っていなかったことに気づき、二人でそっちへ行ってみた。
そこには二荒山大伸の像が立っていた。そこから見えるはずの景色は白い霧の中だった。
「下山します」というと広島の男性も一緒に下山を開始した。
奥白根山の下りでは膝が痛くなり始めたのでマイペースで慎重に下っていく。
小学生の男の子と父親が前を下っていた。ところが靴がスニーカーのためだろう。ずるずると何度も滑っては尻餅をついていた。
父親が「お先にどうぞ」というのでお礼を言って先に行かせてもらう。
最後の登りの時と同じく常にぼくが先行するが、それほど大きく離れるわけでもなく後ろからついてきている。
八合目で休憩する。この下からはストックが邪魔になるのでここでストックを畳んでザックにくくりつける。
するとそこに追いついてくる。
七合目でも同じようなパターンであった。
ところが、七合目付近ではヘリコプターの轟音が霧の中から聞こえて来た。
少し下ると無線を持った紺色のポロシャツの二人が登ってくるのに出会う。
また少し下ると消防署の隊員がヘルメットをかぶって登ってきた。
「こんにちは。遭難でもあったのですか?」と尋ねてみた。すると
「はい、そうです」との答えが返ってきた。
「あのヘリコプターもそうですか?」と重ねて訊くと
「ええ」ということだった。
少し下ってそのことを後ろからついてきている男性にいうと、
「道に迷うということはなさそうなので怪我ですかね」というので
「登っている時に下山している人に声をかけたら転んで背中を打ったという人がいました。もし、頭を打ったら動けなくなるかもしれませんね」と話した。
六合目で
ちょうど六合目の石標についた時、登りでは気づかなかった岩の上の石標に気づいて写真を撮っていた。
後ろから男性も追いついて、そのあとに溶岩の道で滑っていた父子も追いついて来た。
先に行ってもらおうと道を譲ろうとしたら、「その先で休憩します」とのこと。続いて子どもが
「トカゲがいる」といった。
我々が行くと大きな岩の影に隠れてしまった。少ししたら反対側から顔を覗かせた。子どもが「〇〇トカゲ」だと種類まで教えてくれたが、残念ながら覚えられなかった。父親は
「手のひらに乗せると、気持ちよさそうにして動かないんですよ」
「手にひらに乗るんですか」と男性が言うと
「変温動物なので手のひらが暖かくて気持ちがいいんじゃないですか」と答えていた。
六合目からの急な下りを終えて避難小屋について休んでいると、追いついた男性がここは五合目ですねと石標を示した。
「登りの際は気がつかなかったんですよ」と言って写真に収める。
「実は九合目も登っている時は気がつかなくて、下りで気がついて写真を撮ったんです」というと
「わたしは下りでも気が付きませんでした」ということだった。
雨に降られる
四合目に到着する直前で雨が降り出した。午後1時半だった。キャンプ場で聞いた昨日の天気と同じだ。
再び激しい雨になると思われたのですぐにレインウェアを着ることにした。
後ろからきた男性は上着だけ着て様子を見るというので先に行ってもらった。
四合目についた時には激しいとまでは行かないが結構な雨になっていた。ここであの男性もレインパンツを履いているだろうと思ったが姿が見えない。
先に行ったのかと思い、休憩を取らずに舗装された林道を下っていく。
三合目からのズルズル滑りそうな樹林帯の中に入ると、さすがに森が深いためだろう、あめは木々の歯を伝って落ちているようで、時々ぱらぱらと雨に当たる程度だった。
薄暗い森の中を下っていると、前方に黄色く光るものが見えた。反射版か何かがあるようだった。
近づいてみると、なんとキノコである。
なんと言う名前なのか後から調べてみたがわからない。似たようなきのこが多すぎるためだ。
しかし、キノコがあのように光るのを初めてみることができた。
午後2時20分、遥拝所を通過。石段を降り中宮祠にでる登拝門手前の靴清め所で汚れた靴を清める。門をくぐった後、鳥居に向かって一礼し、登山の無事を感謝する。
午後2時30分、二荒山神社中宮祠に無事戻って来た。一旦外へ出て再び正面の唐門から入り、拝殿の前でここでも登山の無事を感謝する。
最後に
下山すると雨が止んだ。
濡れたレインウェアを拭いて畳み、ザックにしまったりストックを畳んだりしていたら広島の男性がやって来て挨拶を交わす。
苦しかったけれど、おかげで楽しい登山になったと感謝の言葉を述べると、その男性は、一緒に歩いてくれて心強かったと言ってくれた。
「上の駐車場に停まっているバイクがそうですか」というので、階段下のスーパーカブを指差して「あれです」と教えてあげた。
「これから塩原方面ですね、気をつけて」と言って別れた。
その後、トイレに行って手ぬぐいで体を拭き、さっぱりとしてバイクのところに行くとふたたび雨が降り出した。
残念ながらしばらく大降りの雨の中をバイクを走らせて帰る。やはりここでもヘルメットのシールドが曇る。
ところがだいぶ下まで下ってくると太陽が照りつけ熱くてたまらない。上の世界の涼しさが恋しくなった。
では、このへんで
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