Hakuto-日記

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『永遠の0』 に感涙 【ストーリーも映画も】

遅ればせながら、アマゾン・プライムビデオで映画『永遠の0』を観た。

百田尚樹氏の原作は読んでおらず、原作と映画の違いはわからないが、まずストーリーに泣かされた。

そして映画の作り、とくにVFXでの戦闘シーンなどの迫力に感激し、作り物めいた違和感を感じさせないことに驚いた。

さらに、主演の三浦春馬さんの演技がとてもよかった。春馬さんが亡くなったのがちょうど2年前。早すぎる死であった。

今回は、映画『永遠の0』を観た感想を書いてみたい。

 

ストーリーについて

まず、引き込まれて観てしまったのは、脚本の構成がよかったからだと思う。これは原作の構成のままかもしれないが。

どういうことかというと、主人公が特攻で死んだ祖父について少しずつ知っていく過程が、観客が知っていくのと同時進行していくためだ。そのため、いつのまにか主人公に感情移入してしまう。

また、最初に英語の通信、つまりアメリカ側が特攻の攻撃に怯えるシーンがあること、続いて、妻を亡くした老人が火葬場で泣き崩れるシーンにちょっとした違和感を覚える。年老いた男が妻を亡くしてそこまで乱れることがあるのだろうか。

こうした疑問を感じさせながらストーリーが展開していく。

 

ストーリーについては、Amazonの紹介文から引用する。

太平洋戦争末期。勝利目前のアメリカを大混乱に陥れた、一機の戦闘機。「悪魔」と呼ばれたゼロ戦は、米軍最強の空母艦隊による一斉射撃・百万の銃弾をくぐり抜け、包囲網を突破したのだ。その「悪魔」を操るパイロットは、宮部久蔵。天才的な操縦技術を持ちながら、生還することにのみ執着し、「臆病者」と蔑まれた男だった…。そして時は2004年、現代。進路に迷う佐伯健太郎は、祖母・松乃の葬儀の日に驚くべき事実を知らされる。本当の祖父の名は、宮部久蔵。太平洋戦争で零戦パイロットとして戦い、終戦直前に特攻出撃により帰らぬ人となっていた。「家族のもとへ、必ず還ってくる」…それは宮部が妻・松乃と娘・清子に誓った、たったひとつの約束だった。そんな男がなぜ特攻を選んだのか。宮部が命がけで遺したメッセージとは何か。そして現代に生きる健太郎は、その思いを受け取ることができるのか。(C)2013「永遠の0」製作委員会

 

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永遠の0 Amazon Prime Video

 

 

主人公(佐伯健太郎)が話を聞いてまわった戦友たちの戦時中の若い頃はどんなだったのか、そして誰が演じているのかを見つけるというのも映画ならではである。

少しづつ祖父のことがわかっていくにつれて、主人公の気持ちが変化していく。その様子にこちらも共感していく。

戦時中のあの時代に妻と子のもとへ生きて帰ることに執着することなんてできたのだろうか、という疑問もある。

もし、そう考えていても、人に伝えたりあからさまに戦闘から逃げるなんてことができたのだろうか。

その辺りはよくわからないが、もしそういう人がいたとしたら、それはとても意志の強い人である。

現代でも新型コロナに怯えてマスクを外せない世の中で、マスクは不要と考えても同調圧力により外せない人も多いのではないか。少なくとも僕はそうだ。そんな中で実行できる人は意志の強い人である。

それが軍隊という特殊な環境の中でできたとしたら、とてつもなく強い人である。

ストーリーが展開していくにしたがって抱いていた謎が解けていくのだが、その伏線がたくさん散りばめられていたことに後から気がついたりする。

そのことに気づくことでより一層映画に引き込まれるのである。

また逆に最後のほうでは、祖父の妻を助けすためにヤクザに殴り込んだ男の正体が、おそらくあの人だろうと想像させるだけで最後まで明かされぬまま終わる。これが余韻となっていつまでも観客の心の中に残るのである。

こうした観客の想像力を掻き立てる手法が実に心にくい。

 

 

VFXについて

監督は山崎貴。『ALWAYS 三丁目の夕日』の映画監督である。

あの映画を見た時はなつかしい昭和の風景が再現されていることに驚いた(あのときはもっと涙が止まらずに困った)。

そして今回の零戦の飛行シーンも実際に飛んでいるところを空から撮影したと思わせるアングルだったりして、迫力があった。

特攻機が目的の空母に到達する前に撃墜されていくシーンには胸が熱くなった。

当然VFXであることはわかっているのだが、違和感を感じずに画面に没入しているのである。

戦時中のシーンでの主人公を演じた岡田准一の物静かで冷静な性格と戦闘の激しいシーンとの対比が一層迫力を増しているようにも感じられた。

 

 

三浦春馬の演技について

三浦春馬は目で演技する。

目の表情で何を感じて、どう考えたのかを表現している。

それが、次第に主人公と観客との心が一体となっていき、魂が揺さぶられてくるのだ。

実はこの映画を見る前に『天外者』というやはり三浦春馬が主演した映画を観た。

その映画は幕末の五代友厚を描いたものだが、その中で三浦春馬が演じたアクションシーンのキレの良さには目を見張った。武士は強かったんだということを改めて思い起こさせた。

『永遠の0』のほうがもっと若い頃の作品だが、そのころから演技の力があったことがわかる。

目の表現で特に印象深いシーンがある。

それは、だいぶ祖父のことがわかってきた頃、友人に誘われて合コンに出かけた時のことだ。

友人から「特攻って自爆テロと同じだよね」と言われているうちに次第に怒りが込み上げてくるのが、その目を見ていればわかるのである。ぼんやりしていた目が鋭くなっていくのである。

友人の言葉は、現代の多くの若者を代表する言葉だが、本当のことを教えられていないものにいくら話してもわからない。そのもどかしさがついには怒りとなり、ついにはどなってしまう。

まだまだ演技を続けてもらいたかった若者である。

 

 

最後に

この作品の肝はそれほど命を大切にしていた祖父がどうして特攻に志願したのかということである。

それは結局だれにもわからない。

作品中に登場する戦友や主人公の家族がそれを考えている。

そして、監督は映画を観た観客のすべてに考えてもらいたいということを伝えたかったのではないだろうか。

当然、人間はたったひとつの理由だけで決断することは少ないだろう。多くの要因が重なって決断することの方が多いと思う。

激戦地だった硫黄島の兵士たちは、本土にいる妻子を守るため、少しでも長く生きられることを願って最後まで戦った。

こうしたことを日本は伝えてこなかった。いや、GHQにより伝えることができなかった。

しかし、もう戦後の呪縛から解放されて、正しい歴史を後世に伝えていくときではないだろうか。

この原作を書いた百田尚樹氏もそんな思いがあったのではないかと思う。


最後までお読みくださりありがとうございました。

週末は山に行く予定なので少しブログはお休みします。


では、このへんで

 

 

永遠の0 (講談社文庫) 文庫 – 2009/7/15

 

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